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文献名1霊界物語 第49巻 真善美愛 子の巻
文献名2第1篇 神示の社殿よみ(新仮名遣い)しんじのしゃでん
文献名3第5章 復命〔1279〕よみ(新仮名遣い)ふくめい
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2023-06-10 16:12:08
あらすじ
一同は前後百余日を費やして立派な宮を建て上げた。節分の夜に遷宮式を行うことになった。四方八方から信者が集まり来たり、祠の森の広い谷も立錐の余地ないほどになった。

バラモン組も祭官の中に加わり、祭服をまとって神饌所で調理にかかっている。イクは無形の神に多くの神饌を備える意義に疑問を呈する。ヨルは心を尽くして献餞することで神様は霊をあがり、真心を受けるのだと説明した。

祓戸式、神饌伝供も済み、遷宮祝詞も終わった。それより餅まきの行事に移った。神饌長の純公をはじめ、イル、イク、サール、ヨル、テル、ハルたちは餅をまき、一場の争奪戦が繰り広げられた。終わって各信徒は立派に建て上がった新しい宮を伏し拝み、家路に帰って行った。後には宣伝使、祭典係と熱心な信者たち十数人が残っていた。

神殿は三社建てられ、中央には国治立尊、日の大神、月の大神が祀られ、左の脇には大自在天大国彦命と盤古大神塩長彦神、右側には山口の神をはじめ八百万の神々が鎮祭された。

この祭典が終わると、玉国別の眼は全快し、以前にましてますます円満の相となり、にわかに神格が備わってきたように思われた。

玉国別は残った者たちを社務所に集め、直会の宴を開くことになった。玉国別は鎮祭の無事終了を祝して、お神酒をいただきながら歌いだした。玉国別はこれまでの経緯を歌い、五十子姫と今子姫にイソ館に帰るように促した。

珍彦と静子には、ここに残って自分に代わって神殿に仕えるようにと命じた。そして自分は、弟子たちを引き連れて夜明けにハルナの都に向けて出発することを宣言した。

五十子姫と今子姫は、玉国別一行の旅の成功を祈る歌を歌った。道公は二人に感謝の返歌を歌った。たちまち五十子姫は神がかり状態となり、国照姫命の神勅が下った。

国照姫命は、玉国別の眼が怪我を負ったのも神の恵みであると託宣し、道公に道彦、伊太公に伊太彦、純公に真純彦、晴公に道晴別とそれぞれ名前を与えた。

一同は互いに感謝と出立・見送りの歌を詠み交わした。一同は前途の光明を祈りながら大神の前に拝礼した。

翌日玉国別は、珍彦、静子、楓、バラモン組の六人や熱心な信者たちに祠の森の神殿の後事を託し、道晴別、真純彦、伊太彦、道彦と共に宣伝歌を歌いながら、初春の日の光を浴びて河鹿峠を下って行った。
主な人物 舞台 口述日1923(大正12)年01月16日(旧11月30日) 口述場所 筆録者松村真澄 校正日 校正場所 初版発行日1924(大正13)年11月5日 愛善世界社版56頁 八幡書店版第9輯 52頁 修補版 校定版58頁 普及版27頁 初版 ページ備考
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本文  漸くにして石搗も済み、道公、晴公、伊太公、純公、其外一同は、前後百余日を費して立派なる宮を建て上げた。而して其遷宮式は節分の夜に行はるることとなつた。四方八方より信者が密集し来り、祠の森のふくらんだ広い谷も、立錐の地なき迄に信者が集まつて来て、此遷宮式に列することとなつた。沢山の供物が山の如く集まつてゐる。道公始めバラモン組のイル、イク、サール、ヨル、テル、ハルの連中も祭官の中に加はり、イソの館より下附された立派な新調の祭服を身にまとひ、神饌所に入つて、何百台とも知れぬ神饌の調理にかかつてゐる。
ヨル『オイ、今日の祭りは俺のお蔭だぞ。神様を拝むよりも先づさきに俺を拝むのだな』
とお神酒の盗み呑みに、顔を真赤にしてクダを巻いてゐる。
イル『コラ、ヨルの奴、貴様は何だ、エヽン、祭服をつけやがつて、神様にお供へもせぬ内からお神酒を戴くといふ事があるか、チツと心得ぬかい』
ヨル『コラ、イル、何を吐しやがるのだ。今夜は玉国別さまがヨルの祭だと仰有つただないか、イルの祭だないぞ。それだから俺が先づ毒味をして喉の神様に供へ、其上でヨルの神様をお祭りするのだ。ヤツパリ身魂がよいとみえて、こんな立派なお宮様にヨルの霊を祭つて頂くのだからなア、本当に偉いものだらう』
イク『併しこれ丈沢山の金銭物品を供へても、神様はお受取になるだらうかなア。却て御迷惑だらうも知れぬぞ、神様はすべて無形にましますのだから、この様な人間の食ふ有形的供物はおあがりになる筈はないだないか。その証拠にやいくら永く供へておいても果物一つ減つてゐないぢやないか、こんな沢山の物供へるよりも、代表的にお三方に二台か三台か供へておいて差支なささうだがな。丸で八百屋の店みたやうだ。エヽー、ヨル、貴様何う思ふ?』
ヨル『貴様はヤツパリまだ神の事が分らぬと見えるワイ。神様は地上に降り玉ふ時はヤツパリ人間の肉の宮を機関と遊ばすのだから、自然界の法則を基として、何事もお仕へせなくちやならぬぢやないか。信者の供物を受取り玉ふ神様は無形にましますが故に、物質的食物は不必要だと云つて、此結構な御祭典に金額物品を備へない奴は神様の愛に居らず又神の恵に浴する事も出来ない偽信者のなすべき事だ。祭典といふ事は祭る法式といふ事だ。祭るといふ事は、人を待つ事だ、所謂お客様を招待するも同じ事だ。善と真とを衡にかけ、人間の愛と神の愛とを和合する神事だ。それだから真釣りにまつるといふのだ。何程神様に供へたお供へものがへらないと云つても、肝腎要のお供物の霊は皆おあがりになつてゐるのだ。大根は大根の味、山葵は山葵の味、魚は魚の味と、各自に其味が変つてゐるのは皆神様から造られたものであつて、人間の所為でもなければ、大根山葵夫れ自身のなし得たる所でもない。同じ土地に同じ肥料をやつて作つても、唐辛を蒔けば辛くなる、水瓜を作れば甘くなる、山椒を作れば又辛くなる、そして其甘さにも辛さにも各特色がある。これ皆神徳の内流によつて出来るものだ。それだから地上の人間は神様に結構なものを与へられて、之を感謝せずには居られない。夫れ故神の御恵みを謝する為に心を尽してお供物をするのだ。此通り沢山なお供物の集まつたのも、仮令少しづつでも、これ丈の人間が各自に何なりと持つて来たのだから、塵つんで山をなしたのだ。神は人間の真心を受けさせ玉ふものだから、菜の葉一枚でも供へてくれと云つて持つて来た者は、皆お供へせなくちやすまないぞ。それが祭の祭たる所以だから、……』
テル『それでも賽銭一文持たず、菜の葉一枚お供へせずして、有難がつて喜んでゐるのもあるだないか。それは何うなるのだ』
ヨル『其奴は夢を見て喜んでる様なものだ。此ヨルさまはヨルの祭だから、供へてくれた人間は皆覚えてゐるが、空参りする奴は空霊だからお蔭はやらないよ。ヨルの守護の世の中だからなア。何なつと手形を持つて来ないとヨルの神様も信仰が分らないからな』
テル『お前の神様はヨルの神様でなうて、欲の神様だろ』
ヨル『馬鹿云ふな。神を愛し、神に従ひ、仮令菜の葉一枚でも、神様に上げたいといふ真心の人間をヨルの神様だ。即ちより分ける神様だ。選まれたる者は天国にゆくといふぢやないか。選むといふ事はヨル事だ。併しチツとは其時の都合にヨル神だから、マアなるべく酒でも何でも構はぬ、供へ玉へ運び玉へだ、アハヽヽヽ』
ハル『丸でバラモン教みたいな事を言ふぢやないか、神様に物をお供へすればお蔭がある、お供へせない奴ア神様が愛せないといふのは、チツと神としての神格に抵触するではないか』
ヨル『バラモン教だつて、三五教だつて、祭に二つはないだないか、別に神様は人間の乞食でもあるまいから、醵出したものを以て生命を保ち玉ふ様なお方ではないが、すべて愛の心が起れば、人間は神様に何なりと上げたくなるものだ。又神様は人間を愛し玉ふ時は田もやらう、畔もやらうといふお心にならせ玉ふものだ。年よりの親が息子や娘に土産を買ふて来て貰つたり、又孫が仮令少しの物でも、これをお爺さまお婆アさまに上げたいと思つて買つて来たと聞いた時は、其爺さま婆アさまは、仮令僅少なものでも、どれ丈喜ぶか知れぬだないか。せうもないものでも、息子が買ふて来てくれたものだとか、孫が遥々買ふて来てくれたとか、送つてくれたとか、会ふ人毎に話して喜ぶだろう。そして僅二三十銭の物を孫がくれると爺さま婆アさまは臍繰金の十円も出して、孫にソツとやるだないか。愛は愛と相応し、善は善と相応するものだ。それだから、祭を真釣合といふのだ。決して爺さま婆アさまは吾子や孫に、土産を買ふて来て貰はうと望まない……と同様に神様は決してお供へを望み遊ばさない。けれど其子や孫が土産をくれた時の心と、くれない時の心とは、其時の愛の情動の上に於て、非常な差等のあるものだ。それだから神の愛に触れむと思ふ者は神を愛さなくてはならぬのだ。人間として何程心を尽しても、神様に対する御恩報じは金額物品を以て、其真心を神に捧ぐるより、外に手段も方法もないだないか』
テル『それでも人間は精神を以て神の為に尽し、神を愛すれば可いのだよ。なア、イク、サール、貴様、そう思はせぬか』
サール『それも一理あるやうだが、ヤツパリ、ヨルの神様の、云ふやうに、愛の心が起つたならば、キツト中途に止まるものだない、終局点迄達するものだ。其終局点は所謂人間の実地の行ひだ。霊から始まつて体に落ち着くのが真理とすれば、ヤツパリ神様に山野河海の珍しき物や幣帛料を献納するのは所謂愛と誠の表はれだと思ふ』
ハル『成程夫れに間違ない。さうでなければ何うして玉国別さまや、五十子姫様が、こんな大層な祭を遊ばすものか』
と神饌所が賑つてゐる。そこへ伊太公、純公の二人現はれ来り、
伊太『サア、是から祓戸が初まる、お前たちも準備をしてゐなくちやならないぞ。併し大変な参詣者だないか』
ヨル『本当に立錐の余地なき迄、参拝者が集まりましたなア』
伊太『ヤア、今太鼓がなつた。サア、神饌の用意は出来たかなア』
イル『余り沢山な供へ物で、実は目をまはす許りの多忙を極めて居ります。併し大方準備が出来たやうです』
伊太『純公さま、私は之から祓戸を勤めねばなりませぬ。貴方はどうか神饌長になつて下さい』
純公『ハイ承知しました』
 伊太公は『皆さま宜しく、抜目のないやうに頼みます』と云ひすて、祓戸の館を指して急いで行く。
 祓戸式、神饌伝供もすみ、玉国別の遷宮祝詞の奏上も了り、それより餅撒きの行事に移つた。祓戸主の祝詞や遷宮式の祝詞は略しておく。
 昼夜を分たずポンポンと搗いた小餅は五石六斗七升と称へられた。而して其大部分は五十子姫今子姫の手に固められたものであつた。神饌係のイル、イク、サール、ヨル、テル、ハルを始め、神饌長の純公は高台の上に登り、一生懸命に四方八方へ餅を撒きつけた。数多の老若男女は波打つ様に餅の落ちる方へ雪崩を打つて、人を踏み越え、つき倒しなどして、一個でも多く拾はむ事を努めた。平素は神の教を聴き、人間は人に譲り、謙らねばならぬと云ふ事を心に承知し且人にも偉相に宣伝し乍ら、かかる場合にはスツカリ獣性を遺憾なく発揮するものである。丁度犬の子がさも親密相にじやれあふたり、ねぶり合ふて遊んでゐる所へ、腐つた肉を放りこんだやうな物である。之を思へば人間は肉体を有する限り、どうしても我慢と欲には離れ得ないものと見える。一つでも此餅を戴き家に帰つて家族や近所の者に分け与へて神徳を分たむとすれば、おとなしくして、後の方へ控へて居つても、半分の餅も拾ふ事は出来ない。始めの間はさういふ態度を取つて居つた信者も沢山あつたがグヅグヅしてると、押し倒され、踏み躙られ、餅は拾ふ事が出来ないので、群集心理とやらに襲はれて、さしも謙遜にして従順なりし男も、ソロソロ鉢巻をしめ出し、手に唾をつけ、邪魔になる奴を押し倒し、そして一つでも余計に拾ふて懐に捻ぢ込まねば損だといふ気になり、一時にあばれ出したからたまらない。彼方の端にもキヤアキヤア、此方の隅にもアンアンと子供の泣く声、俄に修羅道の浅ましき場面と変じて了つた。餅撒きも漸くすみ、餅の争奪戦も休戦のラツパが鳴つた。それより各信徒は立派に建て上つた新しき宮を伏拝み、欣々として河鹿峠を下り、各家路に日を暮し乍ら、帰つて行く。あとには宣伝使や祭典係の連中と熱心なる信者が十数人残つて居た。
 因に神殿は三社建てられ、中央には国治立尊、日の大神、月の大神が斎られ、左の脇には大自在天大国彦命、並に盤古大神塩長彦神を鎮祭し、右側には山口の神を始め、八百万の神々を鎮祭された。此祭典がすむと同時に玉国別の眼病は全快し、顔の少しく、形まで変つて居たのが、以前にまして益々円満の相となり、俄に神格が備はつて来た様に思はれた。茲に玉国別は直会の宴を、社務所の広間に於て開く事となつた。而してこの席に並んだ者は、此祭典に与つた役員全部と十数名の熱心な信者とであつた。玉国別は鎮祭無事終了を祝する為、神酒を頂き乍ら、歌ひ出した。
『神が表に現はれて  善と悪とを立て分ける
 此世を造りし神直日  心も広き大直日
 只何事も人の世は  直日に見直し聞直し
 身の過ちは宣り直す  三五教の大御神
 聖き教を四方の国  開き伝ふる身を以て
 少しの心の油断より  天津御空の日月に
 譬ふべらなる両眼を  獣の為に破られて
 痛さに悩み皇神が  依さし玉ひし神業を
 いかにか なして果さむと  思ひ悩める折もあれ
 皇大神の御心に  深き仕組のゐましてや
 祠の森に止められ  皇大神の御舎を
 大宮柱太しりて  仕へまつらせ玉ひたる
 其御心は今となり  初めて思ひ知られける
 これを思へば吾々が  二つの眼を山猿に
 掻きむしられし経緯は  全く神の御心に
 出でさせ玉ふものなりと  悟るも嬉し今日の宵
 今迄痛みし吾眼  拭ふが如く癒えわたり
 眼の霞もよく冴えて  今は全く元の如
 清き光を放ちけり  あゝ惟神々々
 神の守らす神の世は  一切万事神界の
 御教に服ひ奉り  卑しき人の心もて
 何くれとなく一々に  争論うべきものならず
 天地の間は一切を  只神様の御心に
 任せまつりて従順に  吾天職を守るより
 道なきものと悟りけり  五十子の姫よ今子姫
 最早吾身は斯くの如  眼の悩み癒えぬれば
 汝が命と何時迄も  一つとなりて神の前
 仕ふる事は叶ふまじ  われは是より珍彦に
 これの館を守らせて  神の依さしの神業に
 立ち出で行かむ汝は又  イソの館へ立ち帰り
 今子の姫と諸共に  皇大神の御前に
 心を浄め身を清め  朝な夕なに仕へかし
 珍彦静子晴公よ  汝は吾れに成り変り
 祠の森の神殿に  朝な夕なに仕へつつ
 神の教を受けむとて  参来集へる信徒を
 完全に詳細に説き諭し  神の御国の福音を
 普く附近にかがやかし  曲津身魂の往来を
 いよいよ茲にせきとめて  イソの館に一歩も
 進入させじと村肝の  心を尽して守るべし
 夜が明けぬれば吾々は  これの館を立出でて
 ハルナの都に蟠まる  八岐大蛇の征服に
 神の恵を浴び乍ら  進みて行かむ惟神
 神の守りを願ぎまつる』
と歌ひ了り、神殿に向つて合掌する。
 五十子姫は長袖淑かに舞ひ乍ら、静に歌ひ出したり。
『神素盞嗚大神の  神言畏み背の君は
 玉国別と名乗りまし  獅子狼の吠えたける
 荒野を別けて河鹿山  風の悩みや山猿の
 為に眼を失ひつ  漸く茲に来りまし
 悩みし眼を癒やす内  如何なる神の御恵か
 尊き神業を任けられて  百日百夜を事もなく
 過ごさせ玉ひ皇神の  瑞の御舎仕へまし
 祭も無事に相済みて  神の恵も灼然に
 眼の悩みなをりまし  感謝の涙諸共に
 今直会の宴席に  列なり玉ひ珍彦や
 其他の司に御社の  守りの役を任けさせつ
 只の一日も休まずに  又もや猛き荒野原
 雪踏み分けてフサの野を  渡らせ玉ひ月の国
 遠き都に出で玉ふ  其功績は皇神の
 御稜威に比べまつるべし  さはさり乍ら五十子姫
 漸く茲に尋ね来て  夫の命の笑顔をば
 拝む間もなくイソ館  神の御前に帰るべく
 宣らせ玉ひし言の葉は  実にも雄々しき限りぞと
 勇みに勇む胸の内  今子の姫もさぞやさぞ
 嬉しみ玉ふ事ならむ  伊太公さまよ純公よ
 其外百の司たち  吾背の君に従ひて
 一日も早く月の国  ハルナの都に蟠まる
 八岐大蛇や醜神を  言向和し大神の
 依さし玉ひし神業を  完全に委曲に尽し了へ
 一日も早く復命  申させ玉へ惟神
 神の御前に祈ぎまつる  旭は照る共曇るとも
 月は盈つ共虧くるとも  仮令大地は沈むとも
 誠の力は世を救ふ  誠一つは神界の
 唯一の宝生命ぞ  皇大神を能く愛し
 其神格を理解して  神の御前に善徳を
 積む傍に世の人を  普く愛し導きて
 神の司の本分を  遂げさせ玉へ五十子姫
 イソの館に勤めつつ  吾背の君や汝が命
 其一行の成功を  身もたなしらに祈るべし
 いざいざさらばいざさらば  勇み進んで出でませよ
 妾はこれより河鹿山  雪踏み分けてやうやうに
 イソの館に立ち帰り  皇大神に此さまを
 完全に委曲に奏上し  百の司の真心を
 洩らさず落さず大前に  申し上げなむいざさらば
 明日はお別れ申します  何れも無事でお達者で
 神の恵の幸あれや  偏に祈り奉る
 あゝ惟神々々  御霊幸はひましませよ』
 今子姫は又歌ふ。
『旭は照る共曇るとも  月は盈つ共虧くる共
 仮令大地は沈む共  神の恵は永久に
 変らせ玉ふ事あらじ  抑も神が世の中を
 造り玉ひし目的は  地上に住める蒼生を
 一人も残さず天国に  救はむ為の御仕組
 天国浄土の団体を  ますます浄く円満に
 開かせ玉ひ神国を  永遠無窮に建設し
 百の神人喜びて  常世の春の栄えをば
 来さむ為の御経綸  吾等は人と生れ来て
 深甚美妙の神徳に  ひたり乍らも体欲に
 いつとはなしに晦され  至粋至純の神霊を
 汚しゐるこそはかなけれ  皇大神は吾々の
 曇れる霊を憐れみて  高天原より降りまし
 ウブスナ山や其外の  聖地を選りて神柱
 立てさせ玉ひ現そ身の  暗黒無明の世界をば
 照らさせ玉ふ有難さ  皇大神の神言もて
 五十子の姫の侍女となり  メソポタミヤの天恩郷
 其外百の国々を  経めぐり神の福音を
 余り大した過ちも  来さず漸く使命をへ
 イソの館に相召され  尊き神の大前に
 仕ふる身とはなりにけり  ハルナの都の曲津身を
 征服せむと出でましし  玉国別の遭難を
 介抱せむと神勅を  辱なみて五十子姫
 みあとに従ひ来て見れば  思ひ掛けなき御負傷に
 一時は胸も轟きて  憂へ悩みゐたりしが
 神の仕組のいや深く  かかる案じもあら涙
 流せし事の恥かしさ  百日百夜を無事に経て
 茲に尊き皇神の  瑞の御舎建て了り
 国治立の大神や  月の大神日の御神
 大国彦の神様や  其外百の神々を
 斎きまつりて三五の  教の道の御光を
 照らさせ玉ふ今日の宵  あくれば立春初春の
 天津光をうけ乍ら  玉国別は道の為
 南を指して鹿島立ち  妾は君と諸共に
 雪踏み分けて河鹿山  風に吹かれつ春の日を
 頭にいただきいそいそと  勇みて帰るイソ館
 皇大神の御前に  此有様をまつぶさに
 復命する楽しさよ  旭は照るとも曇る共
 月は盈つとも虧くる共  皇大神の御恵は
 千代も八千代も永久に  変らせ玉ふ事あらじ
 玉国別よ百人よ  勇み進んで月の国
 ハルナの都は云ふも更  七千余国の国々に
 蟠まりたる曲神を  厳の言霊打出だし
 言向和し神国を  此地の上に永久に
 建てさせ玉へ惟神  神の御前に今子姫
 謹み敬ひ願ぎまつる  あゝ惟神々々
 御霊幸はひましませよ』
 道公は又歌ふ。
『祠の森に宮柱  太しく建てて永久に
 鎮まりいます皇神の  御前に謹み願ぎ奉る
 皇大神の御道を  四方に伝ふる道公は
 玉国別の師の君に  従ひまつり月の国
 其外百の国々に  威猛り狂ふ曲神を
 神の力を蒙りて  言向和し神国の
 聖き教を世に布きて  神の御前に復命
 仕へ奉らむ吾心  諾ひ玉ひ惟神
 神の御前に道公が  真心こめて願ぎまつる
 五十子の姫よ今子姫  汝が命はイソ館
 いと安々と帰りまし  皇大神の御前に
 此有様を詳細に  宣らせ給ひて師の君や
 吾等が一行の身の上を  深く守らせ玉ふべく
 祈らせ玉へ道公は  吾師の君に従ひて
 吾身を砕き吾骨を  粉にするとも厭ひなく
 守り奉らむ心安く  帰らせ玉へ惟神
 神の御前に願ぎまつる』
と歌つて五十子姫に別れを告げた。五十子姫は忽ち神懸状態となつた。かからせ玉ふ神は国照姫命なりけり。

国照姫『皇神の神言畏み御舎を
  仕へ奉りし人ぞ尊き。

 玉国別神の命の悩みたる
  目のはれたるも神の恵ぞ。

 大神に尽す誠の顕はれて
  再元の眼とぞなれる。

 道公は名を道彦と改めて
  玉国別に従ひて行け。

 伊太公は伊太彦司と名を賜ひ
  曲きたへむと月に出でませ。

 純公は真純の彦と改めて
  神の教を四方に伝へよ。

 晴公は道晴別と名を替へて
  治国別の後を追ひ行け』

玉国別『有難し、国照姫の詔
  項にうけて進み行かなむ』

道彦『身も魂も曇りはてたる道公に
  名を賜ひたる事の嬉しさ。

 大神の恵はいつか忘るべき
  心も身をも捧げ尽さむ』

伊太彦『暗の世にいたけり狂ふ曲神を
  言向和さむ伊太彦司は』

道晴別『治国別神の命に従ひて
  帰りて見れば道晴別となりぬ』

今子姫『国照姫、かからせ玉ふ五十子姫
  汝は誠の神にいませし。

 美はしき尊き神の生宮に
  仕へ奉りしわれぞ嬉しき』

珍彦『皇神の瑞の御舎側近く
  仕ふる吾れを守らせ玉へ』

静子『背の君は宮の司となりましぬ
  守らせ玉へ国照姫の神』

楓『父は今、神の司となりましぬ
  母と吾等を守らせ玉へ。

 国照姫神の命の御教を
  固く守りて仕へまつらむ』

国照姫『いざさらば、神の宮居も恙なく
  成りたる上は天に帰らむ』

と歌ひ玉ひ、神上がり玉へば、五十子姫は元の肉体に復りける。

五十子姫『いざさらば吾背の君よ恙なく
  神の仰せをとげさせ玉へ。

 五十子姫イソの館にあるとても
  霊は清き君が御側に』

玉国別『玉国別神の命の真心を
  力となして神に仕へよ』

 かく互に歌をよみかはし乍ら、大神の御前に恭しく拝礼し、前途の光明を祈り乍ら珍彦、静子、楓其外バラモン組の六人の役員や熱心な信者に後事を托し、玉国別は道晴別、真純彦、伊太彦、道彦と共に宣伝歌を歌ひ乍ら、潔く河鹿峠を、初春の日の光を浴びて下り行く。
(大正一二・一・一六 旧一一・一一・三〇 松村真澄録)
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