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文献名1霊界物語 第52巻 真善美愛 卯の巻
文献名2第3篇 衡平無死よみ(新仮名遣い)こうへいむし
文献名3第17章 飴屋〔1353〕よみ(新仮名遣い)あめや
著者出口王仁三郎
概要
備考
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あらすじ
霊主体従とは、人間の内分が神に向かって開け、神を愛し理解し、善徳を積み、真の知恵を輝かせて信の真徳に居り、外的事物に拘泥しない状態を云うのである。このような人は地上の天人にして、生きながら天国に籍を置いている。この精霊を本守護神という。

体主霊従とは、人間はどうしても霊界と現界の中間に介在し、一方に天国を開き一方に地獄を開いている。ゆえに、どうしても善悪美醜たがいに交わって世の中の神業に奉仕しなくてはならない。そこでもし、霊を軽んじ体を重んじるなら、体五霊五となり、地獄に向かって内分が開けることになる。

一般に体主霊従は霊学の説明上「悪」とされているが、これは生きながら中有界に迷っている人間の境遇を云うのである。人間は最善を尽くして一つも悪をなさなくても、その心性情動の如何によって、あるいは善となり、あるいは悪となるものである。

何ほど善を尽くしたと思っても、その愛が神的であれば天国、自然的であれば地獄に分かれるのである。体主霊従的人間が、現世で一つでも悪事をなしたら、どうしてもこれは体五霊五より堕ちてしまい、たちまち地獄道に落ちなければならないのである。

善悪不二とは、神が中有界に迷える人間にも自愛の心をもって臨むことを表した言葉であり、人間の言動に当てはまることではない。人間は、肉体を保って現世に在る間は絶対的な善をなすことはできない。しかしその内的生涯において天国に籍を置くことができるなら、これを霊主体従の人ということができるのである。

中有界の八衢は、善悪正邪の審判所である。人間の大部分は、中有界と地獄界に籍を置いている。人間が霊界に行ったときは、外分が除却されて内分のみ存在し、霊的生涯を営むことになる。

純潔な霊は、肉体に附けるすべての悪が払しょくされ、霊相応に天国の団体に和合することができる。あまり利己心の強い精霊は、死後にいたるまでその執着を残し、容易に駆除されず、外分のみ開けてしまう。またその内底の悪が暴露され、浅ましい面貌となって地獄界に堕ちるものである。

文助は八衢の関所に着き、白と赤の守衛に比較的丁寧に導かれて、門の傍らの石の上に腰をかけて息を休めていた。すると半町ばかり手前に騒がしい飴屋の囃子が聞こえてきた。

飴屋は関所の前に荷を卸、ラッパを吹きたてる。たくさんの子供が集まってきて、先を争って銭を差し出し、飴をくれと押し掛ける。子供にせがまれて囃子を歌い、しきりに金を出せを歌って子供相手の商売をやっている。

守衛たちは通行人の身元調べに忙しい中、飴屋が大勢の子供を集めて騒ぎ出したので面喰い、城の守衛が側に寄ってきて、飴屋の爺に別の場所に移動するように言い聞かせた。飴屋はここが幽界の八衢だとは信じず、騒ぎまわる。赤の守衛は大いに怒り、飴屋を手早くひっくくって門内に姿を隠した。

文助は五里霧中に彷徨した心地で、これまでのことは夢か現かとしきりに首をひねっていた。
主な人物 舞台 口述日1923(大正12)年02月09日(旧12月24日) 口述場所 筆録者加藤明子 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年1月28日 愛善世界社版210頁 八幡書店版第9輯 453頁 修補版 校定版217頁 普及版92頁 初版 ページ備考
OBC rm5217
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本文  霊主体従とは、人間の内分が神に向つて開け、唯神を愛し、神を理解し、善徳を積み、真の智慧を輝かし、信の真徳に居り、外的の事物に些しも拘泥せざる状態を云ふのである。斯の如き人は所謂地上の天人にして、生きながら天国に籍を置いて居る者で、この精霊を称して本守護神と云ふのである。至粋、至純、至美、至善、至愛、至真の徳に居るものでなくては、此境遇に居る事は出来ぬ。
 又体主霊従とは、人間はどうしても霊界と現界との中間に介在するものである以上は、一方に天国を開き一方に地獄を開いて居るものだ。故に人間はどうしても善悪混交美醜互に交はつて世の中の神業に奉仕せなくてはならない。併しこれは、普通一般の善にも非ず悪にも非ざる人間の事である。人間は肉体を基礎とし、又終極点とするが故に、外的方面より見て体主霊従と云ふのであるが、併しながら、之を主観的に云へば霊的五分、体的五分、即ち、霊五体五たるべきものである。若し霊を軽んじ体を重んずるに至らば、茲に、体五霊五となるのである。同じ体五分霊五分と雖も、其所主の愛が外的なると、内的なるとに依つて、霊五体五となり、又体五霊五となるのである。故に霊五体五の人間は、天国に向つて内分が開け、体五霊五の人間は、地獄に向つて其内分が開けて居るものである。
 一般に体主霊従と云へば、霊学の説明上悪となつて居るが、併し体主霊従とは、生ながら中有界に迷つて居る人間の境遇を云ふのである。人間は最善を尽し、唯一つの悪をなさなくても其心性情動の如何に依りて、或は善となり或は悪となるものである。故に人間は、どうしても霊五体五より下る事は出来ない。これを下れば忽ち地獄界に堕ちねばならぬのである。何程善を尽したと思つて居ても、其愛が神的なると自然的なるとに依つて、天国地獄が分るるのであるから、体主霊従的人間が、現世に於て一つでも悪事をなしたならば、どうしても是は体五霊五所か体六霊四、体七霊三となりて、忽ち地獄道へ落ちねばならぬのである。
 信者の中には善悪不二とか、正邪一如とか云ふ聖言を楯に取つて、自分の勝手のよいやうに解釈して居る人もあるやうだが、是は神が善悪不二と云はるるのは中有界に迷へる人間に対して云はれるのであり、且神は善悪に拘はらず慈愛の心をもつて臨ませらるる見地から仰せらるる言葉である。決して人間の云為すべき言葉ではない。どうしても人間が肉体を保つて現世にある間は、絶対的の善を為す事は出来ない。併しながら其内的生涯に於て天国に籍を置く事を得るならば、最早これを霊主体従の人と云ふ事が出来るのである。
 中有界の八衢は善悪正邪の審判所であつて、今日の人間の大部分はこの中有界と地獄界に籍を置いて居るものである。されども人間が霊肉脱離の関門を越えて霊界に行つた時は、其外分の情態は時を経るに従つて除却さるるが故に、其内分のみ存在し、茲に霊的生涯を営む事となる。此時は肉体に附ける総ての悪は払拭され、其純潔なる霊は天国の団体に、霊相応に和合し得るものである。併しながら余り利己心の強い精霊は、死後に至るまで其執着を残し、容易に駆除されないが故に、外分のみ開け、且又外分が時を追うて脱離すると共に其内底の悪は忽ち暴露され、妖怪変化の如き浅ましき面貌となつて地獄界に堕ち往くものである。
 文助は漸くにして八衢の関所に着いた。白、赤二人の守衛に比較的叮嚀に導かれ、門の傍のロハ台の上に腰打かけ、息を休めて居た。半町ばかり手前に当つて騒がしい音が聞えて来た。
『トンチントントン チンチントントン
 チントン、チントン、チンチントン
 夕日が赤い横町に
 飴屋のお爺さん鉦ならす
 大きい子供に小さな子供
 一銭出しては飴お呉れ
 二銭出しては飴お呉れ
 お爺サン両手が巧に動く
 金魚が一つ兎が一つ
 も一つ目には日がくれた
 飴屋のお爺さん鉦ならす』
と子供が沢山に群がつて飴屋の後から跟いて来る。飴屋は妙な身振をしながら、
『トンチントントン、チンチントントン
チントン チントン、チンチントン』
と囃し立て、八衢の関所の前にやつて来た。さうして其処に荷を下ろし、おもちやの喇叭を頻りに吹き立てて沢山の子供を集め出した。子供は四方八方から集まつて来て、お酒に酔つた赤い銭や、白粉をつけた白い銀貨を出して、先を争うて『飴呉れ飴呉れ』と押しかける。飴屋は指の先を巧に動かして、兎や、鶏、達磨なぞを瞬く間に捻つては拵へ、麦藁でぷつと吹いて量を高うし、寄つて来る子供に金と引きかへに渡して居る。さうして子供の所望によつて又もや歌ひだした。
『トンチントントン チンチントントン
 チントン チントン チンチントン
 飴の中からお多やんエ、お多やんが嫌なら金時だ
 金時嫌なら達磨さま
 兎でも餅つく、お猿でも
 十五のお月さんの餅つきに
 よう似た飴屋のお爺さんよ
 こりやこりや其処らの子供達
 飴が欲しけりや幾何でもやらう
 しかしお金と引きかへぢや
 地獄の沙汰でも金次第
 お金が無ければ甘い汁
 どうしてもかうしても吸はりやせぬ
 お母の乳よりお砂糖より
 もつと甘いのは此飴ぢや
 あめが下には他人と云ふ事は
 無いものぞやと三五教の
 神様が云はしやつたけれど
 何程あめの下ぢやとて
 金が無ければ他人ぢやぞ
 金が敵の世の中だ
 このお爺さんが今打つ鉦は
 ミロク三会の明けの鐘
 金の無い奴ア近寄るな
 トンチントントン、チンチントントン
 チントン、チントン、チンチントン』
と一生懸命に子供を相手に暴儲けをやつて居る。
 白、赤の守衛は通行人の身許調べに忙殺されて居る所へ、沢山の子供を集め、鉦や太鼓で騒ぎ出したので大に面喰ひ、白の守衛は傍に寄つて、
『これこれお爺さん、場所を考へないか。こんな関所の前で、さうやかましく云つて呉れては、俺達の邪魔になるぢやないか。ちと気を利かして、彼方の方へ行つてやつたらどうだ』
『構うて下さるな。私は行商と云つて道路を歩いて商ひをするものだ。これでも政府へ税金を納めて居るものだ。何処で商売をしようと構うて下さるな。子供の沢山よつて居る所で、子供相手の商売をやつて居るのだ。私の商売の邪魔をするのなら、損害賠償で訴へませうか』
『現界でなればお前の勝手だらうが、此処は冥途の八衢の関所だから、お前もやがて調べてやる時が来るのだ。まア暫く彼方の方へ往つて居て呉れ』
『何と云つても此処は動かないのだ。ヘン冥途の八衢なんぞと馬鹿にしなさんな。最前から声が枯れる程歌つて子供を集め、商売繁昌の真最中だ。お前の勝手がよければ此方の勝手が悪い、私の商売が邪魔になるのなら、なぜ高い税金を取るのだ』
と呶鳴りつけ、尚トンチントントン、チンチントントンと鉦を叩き歌を歌つて、子供の機嫌を取つて居る。
 赤の守衛は、余り頑強の飴屋の態度にグツト目を剥き、
『これ飴屋、これ程事を分けて申すのに、其方は聞かぬのか』
『そんな日の丸のやうな赤い顔をして睨んだ所が、此亜米利加屋さまはビクとも致しませぬわいな、ヤンキイモンキイ云はずに、黙言つて引込んで居なさい。
 トンチントントン、チンチントントン
 飴の中からお多やんと金太さんが飛んで出たよ』
と又もや踊り狂ふ。赤は白の守衛に向ひ、
『困つたものですな、どうしませうかなア』
『暫くほつといてやりませうかい、訳の分らぬ爺をつかまへて叱つて見た所で何にもなりますまい。やがて商売が無くなつたら帰るでせうし、子供だつて有るだけの金をつかへば飴屋に用はありませぬからなア』
赤『デモ、かう喧しくては仕方がないぢやありませぬか、どうしてもこいつは追払はにやなりますまい。こりやこりや飴屋、此処に居る事は許さないから、どこかへ行つて商売をして来るがよからう、喧しくて事務の邪魔になるからな』
『ヘン甘い事仰有りますワイ。飴屋の太鼓位が何喧しいのだ。今日の世の中は労働争議とか普選問題とか、小作争議だとか外交問題だとか云つて、あれだけ喧しう騒ぎ立てて居るのに、其声が聞えないのか。飴屋位が喧しいとはチと聞えないぢやないか。これ位の事が耳に障るやうで、どうして役人がつとまるか。役人の耳は何億と云ふ人民の号泣の声がちつとも聞えないやうに塞がつて居るのだ。それでなくては今日の世に処して、大人物とは云はれないぞ。仮令木端役員と雖も勤まるものぢやない。庚申さまの眷族になつて、見ざる、聞かざる、言はざるを守つて居るのが一番賢いやりかただ。喧しう云ふと何時までも門番をさされて苦しんで居らねばならぬぞ、ほんとに仕方のない奴だ。
 トンチントントン チントントン
 チンチントン
 八衢街道のまん中で
 白と赤との守衛に出会うた
 飴の味をば知らないと見えて
 苦い顔して睨みよる
 ほんに因果な生れつき
 チンチントントン チントントン』
と又もや喧しく囃立て踊り狂ふ。赤は大に怒り、矢庭に飴屋の腕を後に廻し、手早く引つ括つて門内に姿を隠した。
 文助は五里霧中に彷徨した心地で、今渉つて来た山路や沼、萱野ケ原の事や、両親に会うた事など思ひ出し、夢か現か将た現界か幽界かと、頻りに首を捻つて居た。
(大正一二・二・九 旧一一・一二・二四 加藤明子録)
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