霊界物語はやたらと長く平凡だと言う人士があるようだが、瑞月は真理なるものはもとより平凡だと思っている。この物語が平凡であっても、世人が誰も気が付いていないことであれば、千言万語を連ねてもこれを説く必要があろうと思う。
なにほどシカツメらしい文章や言葉でも、世間に知れ渡ったことを著述・論説するならば、決して堂々たる学者の態度とは思われないのである。
深く痛ましい人間味や人生味に透徹しない現代の学者は、いかにしても深遠微妙な神霊界の消息がわかるものではない。
学者でさえも神霊界の何たるかを諒解しえない世情であれば、一般人がこの神示の物語を批判できようはずがない。
瑞月王仁は、今日まですべての迫害と妨止を突破してようやく五十三巻、原稿六万枚余を脱稿したのも、決して世にありふれた事実を著すためだったのではない。また現代人に読んでもらおうという野心もない。
千年の後に知己を得ればよいという考えで口述しているのである。とは言うものの時代と神霊とに目の醒めた人士が現れて、たとえ一人なりとも愛読してくれる方があれば、実に望外の幸いである。