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文献名1霊界物語 第56巻 真善美愛 未の巻
文献名2前付よみ(新仮名遣い)
文献名3総説よみ(新仮名遣い)そうせつ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ
人生の目的は決して現界の幸福と歓楽を味わうのみではない。すべての人間は幸福と歓楽に執着し、苦悩と災厄を免れようとのみ焦慮し熱中しているようだ。しかし神様が人間を世界に創造し給うた使命は、決して人間が現界における生涯の安逸をはからしむるが如き浅薄なものではない。

人間は神様の目的経綸をよくよく考察して、どこまでも善徳を積み信真の光をあらわし神の生き宮、天地経綸の御使いとなって三界のために大々的に活動せなくてはならないものである。

人間には直接天国より天人の霊子を下して生まれしめ給うたものもあり、あるいは他の動物から霊化して生まれたものもある。

大神は初めて世界に生物を造り給うや、ばい菌に始まり、蘚苔となり、草木となり、進んで動物を造り給うた。虫、魚、貝、鳥、獣、最後に人間を生み出し給い、神は自ら生物を改良して、動物産生の終わりにすべての長所を具備して理想のままに人間を造られたという学者もある。動物発生の前後に関する問題は、霊界物語を読まれた読者の判断に任せることとする。

すべて人間は大神の無限の力を賦与され知能を授けられている以上は、日夜これを研いて啓発し、神の境域に到達し得る資質を具有しているものである。すべての生き物は生まれては死し、死しては生まれる。神は同じ神業を繰り返させ給う。人間の生死問題も宇宙の主宰なる大神の目よりご覧になる時は、万年の昔も万年の未来も少しも変わりはない。

生の本体は、煎じ詰めれば単に一体の変化に過ぎない。人間もこの変化を免れることはできない。すべて生物に死の関門があるのは、神様が進化の手段として施し給うところの神の御自愛である。死は生物のもっとも悲哀とするところなれども、これまた惟神の摂理である。

しかし人間は他の動物と異なり死後はじめて霊界に入り復活して天国の生涯を営むものであれば、人間の現肉体の生命はただその準備に他ならないことを知らねばならぬ。

人間社会において往古より今日に至るまで霊魂の帰着について迷うこと久かった。しかし未だ一つとして徹底的に宇宙の真相、人生の本義を説いたものはない。弥勒出現成就して初めて苦集滅道を説き三界を照破し道法礼節を開示す、とは先聖すでに言う所である。

人は天地経綸の奉仕者にしていわゆる天地の花であり、神の生き宮たる以上は、単に他の動物のごとく卑劣なるものではない。神に代わって天地のために活動すべきものである。

王仁がこの物語を口述する趣旨もまた人生の本義を世人に覚悟せしめ、三五教の真相を天下に照会し、時代の悪弊を祓い清め地上に天国を建て、人間の死後は直ちに天界に復活し人生の大本分を尽くさしめ、神の御目的に叶わしめんとするの微意にほかならない。

附言

金剛不壊の如意宝珠は、大本教の宣伝使・湯浅仁斎氏の紹介によって、鳥取県気高郡海徳村大字徳尾宮東菜種田において種刈り中、鎌に当たり拾得した天降石にして、明治二十三年四月二十四日、森岡直衛氏の所有であった。

本日その息直次郎氏により大本に献納された。霊界物語 霊主体従 第一巻に記載せるシオン山より出でたる金剛不壊の如意宝珠である顕国魂は、すなわち之である。
主な人物 舞台 口述日1923(大正12)年03月14日(旧01月27日) 口述場所竜宮館 筆録者北村隆光 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年5月3日 愛善世界社版3頁 八幡書店版第10輯 146頁 修補版 校定版3頁 普及版1頁 初版 ページ備考
OBC rm560002
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本文  人生の目的は決して現界の幸福と歓楽を味はふのみでない。凡ての人間は幸福及び歓楽のみに執着して苦悩と災厄を免れむとのみ焦慮し、自愛的方面に熱中して居るやうだ。併し神様が人間を世界に創造し玉ふた使命は、決して人間が現界に於ける生涯の安逸を計らしむるが如き浅薄なものではない、人間は神様の目的経綸をよくよく考察して、何処までも善徳を積み信真の光を顕はし神の生宮、天地経綸の御使となつて三界の為に大々的活動せなくては成らないものである。又人間には直接天国より天人の霊子を下して生れしめ玉ふたものもあり、或は他の動物より霊化して生れたものもある。大神は初めて世界に生物を造り玉ふや黴菌に始まり、蘚苔となり、草木となり、進んで動物を造り玉ふた。先づ虫となり、魚となり、貝となり、鳥となり、獣となり、最後に人間を生み出し玉ひ、神は自ら生物を改良して、動物産生の終りに総ての長所を具備して理想のままに人間を造られたと云つてゐる学者もある。動物発生の前後に関する問題は霊界物語を読まれた読者の判断に任す事として、凡て人間は大神の無限の力を賦与され智能を授けられて居る以上は、日夜之を研いて啓発し、神の境域に到達し得る資質を具有して居るものである。春生じて夏枯るる草も、朝に生れて夕に死する蜉蝣の如き小動物も種子と子孫を遺さないものは一つも無い。動植物は生じては枯れ、枯れては生じ、生れては死し、死しては生る。幾百千万歳、神は同じ神業を繰返させ玉ふものである。人間の生死問題も宇宙の主宰なる大神の目より御覧になる時は、万年の昔も万年の未来も少しも変りは無いのである。彼の草を見るも茎となり、葉となり、花となり実となる。草の本体は果して何れにあるか。昆虫を見るに幼虫となり、蝶蛾となり、樹間の卵となる。生の本体は抑何ものぞ。卵は虫の始めにして又虫の終りである。初卵と終卵とは同じものか異なれるものか、詮じ詰めれば単に一体の変化に過ぎない。人間も亦是に類する変化は免れ得ない。幼たり老たり死たるも一体の変化のみ。宇宙の万物は神の生成以来幾万年間同一体にして幾万年の未来に至るも変るものでは無い。吾人は神が生成し玉ひし祖先来の肉体にして幾万年の未来までも之を伝承し得るものである。凡て生物に死の関門があるのは神様が進化の手段として施し玉ふ所の神の御慈愛である。死無きものは固着して変ることが無い。若し人生に死の関門なき時は人間も無く子孫も無いものとなる。生物は死あるを以て生殖の機能を有するのである。故に死なるものは生物の最も悲哀とする所なれども是また惟神の摂理である。併し人間は他の動物と異なり死後始めて霊界に入り復活して天国の生涯を営むものなれば、人間の現肉体の生命は只その準備に外ならない事を知らねばならぬ。人間社会に於て往古より今日に至るまで霊魂の帰着に就いて迷ふこと久しく、或は天国を説き或は幽冥を説き三界を説く宗教家は今日迄幾万あつたか知れない。然し未だ一として徹底的に宇宙の真相、人生の本義を説いたものは無い。……弥勒出現成就して始めて苦集滅道を説き三界を照破し道法礼節を開示す……とは先聖既に言ふ所である。人は天地経綸の奉仕者にして所謂天地の花、神の生宮たる以上は単に他の動物の如く卑劣なるものでは無い。神に代つて天地の為に活動すべきものである。王仁がこの物語を口述する趣旨も亦人生の本義を世人に覚悟せしめ、三五教の真相を天下に照会し、時代の悪弊を祓ひ清め地上に天国を建て、人間の死後は直ちに天界に復活し人生の大本分を尽さしめ、神の御目的に叶はしめむとするの微意に外ならないのであります。

   附言

 金剛不壊の如意宝珠、大本教の宣伝使、湯浅仁斎氏の紹介に由つて、鳥取県気高郡海徳村大字徳尾宮東菜種田に於て種苅り中鎌に当り拾得したる天降石にして明治廿三年四月廿四日森岡直衛氏の所有なりしが、本日その息直次郎氏より大本に献納されたり。霊界物語(霊主体従)第一巻に記載せるシオン山より出でたる金剛不壊の如意宝珠なる顕国魂は即ち之である。この宝玉の履歴書あり、今左に転載す。
『一、鳥取県気高郡海徳村大字徳尾、森岡直衛、宮東、菜種田に於て種苅中鎌に当り拾得す。明治廿三年四月二十四日朝
一、鳥取警察に届出す、警察より県庁に出す。其後中学校等にて験せ共無名石にて帰来せり。
一、此玉拾得前弐拾壱日より弐拾参日迄参日間鶏夜叫せり。家内の者近所の人心配なし判定者に問ふ。判定者の言に依れば善事の知らせなりと云ふ。其翌日この玉を拾得せり』
 右は原文の儘也 以上
   大正十二年三月七日 旧正月二十一日
      於竜宮館
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