大正六年旧二月九日
九分九厘の御霊が天地の御恩が判ってきたら現世はこんな惨い事にはならないのであけれど、今の守護神と人民は岩戸開きの手伝いをするどころか、大きな邪魔を致している。悪の方から見れば、誠の方が悪に見えて、悪の方が善く見えるので何事も逆さましかできないである。
霊の本の国と言っても惨い事になっていることを知っている守護神も人民もなさけないほど少ない。神国魂の性来はちょっとも無いようになってしまっている。
世界を一つに丸めて神国の世に致すには、この世をこしらえた天と地の根本の真で治める時節が参ってきたから、明治二十五年から知らせてあるのだ。何ほど邪神に神力・知恵・学があったとても、九分九厘で掌を返して万古末代潰れぬ守護を致して仁愛神(みろく)の神世といたす時節が近くなっている。
ここに成って悪神の頭が充分改信を致して善に立ち帰り、善の働きをなさないと、世界中の何も知らない人民がこの先、ひどい苦しみを致すことになる。この大本の中にも悪の身霊の守護神が化けてきているが、もう化けを現して皆に見せてやるぞよ。
大正七年旧正月十二日
今度の二度目の天の岩戸開きは悪の身魂が毛筋の横幅でも混じっていたら成就しない。昔のミロク様の純粋の何時になっても変わらぬ秘密の経綸の凝結で、末代動かない巌に松の仕組、どの神にも解らない善一つの誠の道であるから、途中に精神が変わるような身魂ではできない。
神国の人民はよほど魂を磨いて、水晶魂を元に光を出しておかないと、万古末代邪神の自由にされてしまう。
昔から露国へ上がっていた悪神の頭目が、もう一つ向こうの国へ渡って人民の頭を自由自在に吾の思惑どおりに悪を働き、世界中の大困難をかまわずどこまでも暴れて暴れまわして世界を苦しめ、また露国を自由にして吾の手下に附けて、今に神国に出てくる経綸をしている。
邪神は悪を執念深くやり通すが、九分九厘というところまできたときに、三千年の神の経綸の奥の手を出して邪神を往生させるから大丈夫である。罪穢の深いところは今のうちに改信を致さないと神国にも厳しい懲罰が天地からある。
今度は善と悪との力比べである。勝った方に末代従わなければならない。それで神界はここまで練りに練ったのである。善と悪との境界の大峠である。
一の番頭の守護神が改信できたら、肉体に胴が据わるなれど、とうてい難しいから、今に番頭が取り替えられる。悪い頭から取り払いに致すのである。
悪は昇るの速いが降るのもまた早い。善が分かるのは手間が要るが善の道が開けたのは万古末代の栄えである。この極悪の世の岩戸を開いて、末代争いがないように大神様の善一つの世に立直さなければいつまでたっても国の取り合いばかりで治まらない。
神の国は誠に穏やかであったが、世が逆さまになって今の状態である。神国に悪神が渡ってきて、上から下まで見苦しいことは天地の誠の神からは見ていられないほどである。しかし見苦しき世がいったん出てくるということは、地球を創造する折りからよくわかっていたのである。
どれほどの悪の頭でも、これからの世は到底今までのやり方では行かないということに気づいて、綾部の大本へ今のうちに願いに来る守護神であったら、善一つの道へ乗りかえさせて、結構な神代に助けてやる。
今の人民は悪のやり方が良く見えるのだから、助けてやりようがない。これももう少し先になったら、大きな取違を致していたという事が、上にあがって覇の利いていた神から自然に判ってくる。
神道を守護する誠のところは綾部の大本より外にはない。綾部は三千年余、昔から神の経綸が致してある結構なところであるから、大本の教えを聞いている守護神は充分に覚悟をいたして、まさかの時の御用を勤めてくだされ。
変性男子の書いた筆先を、坤金神が変性女子と現れて説いて聞かせて、守護神人民に改信を致さす御役である。世界の人民よ、綾部の大本へ参ってこまごまと聞かせてもらったら、世界の事が心相応に解ってきて、世界に何事があっても驚きはしないようになる。
昔からの極悪神の頭が、神国の人民を一人も無いようにいたす仕組をしているが、神国にも根本から動かない経綸が致してある。神力と学力との力比べの大戦いである。今までは物資の世で学がここまではびこって学力でどんな事でも九分九厘成就したが、もう往生しなければならないようになってきた。
こうなるまで、悪の守護神を改信させて助けてやりたいと思って明治二十五年から知らさせたが、吾ほどえらい者はないように思って、ちょっとも改信のできない罪人ばかりである。世界の大洗濯を致して、天地の大神の教えどおりの世に致して、天の御三体の大神様に御目にかけなければならない御役である。
肝心の悪の性来を改信いたしてもらわないとこの世は水晶にならないから、世界には代えられないからこの先の規則通りに成敗を致さねばならない。二度目の天の岩戸開きをしたら、悪の性来は微塵もないように洗い替えをして巌に松の動かない世にいたす。
世界の大橋となる尊い所であるから、あまりいつまでも疑っていると、天地の大神様へ大きな御無礼になるから、今一度気を附けておく。素直にいたすが徳である。