文献名1霊界物語 第74巻 天祥地瑞 丑の巻
文献名2第3篇 玉藻霊山よみ(新仮名遣い)たまもれいざん
文献名3第25章 感歎幽明〔1893〕よみ(新仮名遣い)かんたんゆうめい
著者出口王仁三郎
概要
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データ凡例
データ最終更新日----
あらすじ主の大神は、玉野森にご降臨したが、神々がまだ悟りを得ていなかったので、やむを得ず本津真言の神の姿を借りて、国造りの神業を助けていた。神々は主の大神であるとまったく気づかなかったが、力充男の神がついに気づき歌に明かしたため、再び天津高宮にお帰りになったのであった。玉野比女は、八十比女神に選ばれたものの、御子生みの資格が得られるほど悟りが深くなかった。そのため、神生みの神業はせず、国土生みの神業に仕えるように定められたのであった。また、顕津男の神は神業のはじめにあたって、周りの神々たちに遠慮したことが勇猛心を欠き、神業の期を逃してしまった。一方、真鶴山の御魂・生代比女は、八十比女神には入れなかったのだが、知恵と悟りに優れた賢女であったため、神生みの業をなすことを、大神はあえて許したのであった。生代比女の積極的な行動が、国生み・神生みの神策にかなったからである。あえて生代比女の小さな過ちよりも大きな功を取ったのも、時代相応の処置であったと思われる。本津真言の神が天に帰って行ったのを見て、神々はそれぞれ述懐の歌を歌い、国生みの神業への誓いを新たにする。すると最後に、力充男の神は、実は自分は紫微天界の高鋒の神であり、主の大神の霊(チ)と体(カラ)が結合して生まれた神である、と明かす。力充男の神は、国生みに従事する神々がそろった今、自分の役割は終わったと歌い、光となってあたりを照らしながら、紫の雲を呼び起こして天津高宮に帰って行った。
主な人物
舞台
口述日1933(昭和8)年10月31日(旧09月13日)
口述場所水明閣
筆録者森良仁
校正日
校正場所
初版発行日1934(昭和9)年1月5日
愛善世界社版
八幡書店版第13輯 275頁
修補版
校定版429頁
普及版
初版
ページ備考
OBC rm7425
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