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文献名1霊界物語 第75巻 天祥地瑞 寅の巻
文献名2第4篇 千山万水よみ(新仮名遣い)せんざんばんすい
文献名3第22章 清浄潔白〔1916〕よみ(新仮名遣い)せいじょうけっぱく
著者出口王仁三郎
概要
備考
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あらすじ
顕津男の神は、霊と肉とが円満に合致しているため、礼儀、慈愛、風雅それぞれ全く兼ね備えていた。だから、至るところ、物に接し事に感じては御歌を詠むのであった。

いま、顕津男の神は日南河を渡り、悪魔のはびこる西方の国を作り固めようとして心を悩ませ、また高地秀の宮に残してきた八柱の比女神たちや八十比女神たちの身の上を思い起こし、悲嘆の涙にくれながら、述懐歌を歌った。

その歌は、道のためとはいえ、置き去りにしてきた妻子の寂しさを思って悩む思いと、その悩みに負けず心を立て直す自分の決意を詠んだものであった。

そして顕津男の神は、日南河の流れに下り立って禊の神事を修した。すると、出迎えの八柱の神々も早瀬に飛び込んで、浮きつ沈みつ、天津祝詞を奏上して、禊の神事を修した。

一同は、ようやく心地がすがすがしくなった、と言上げて、各々心静かに歌を詠んだ。

身も心も軽くなり、曲津神に対する勇気に満ちた禊のいさおしをたたえつつ、顕津男の神に従い、柏木の森を目当てに、意気揚揚と出発した。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年11月30日(旧10月13日) 口述場所水明閣 筆録者内崎照代 校正日 校正場所 初版発行日1934(昭和9)年2月3日 愛善世界社版 八幡書店版第13輯 400頁 修補版 校定版413頁 普及版 初版 ページ備考
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本文  円満にして霊肉の合致したる顕津男の神は、礼儀に富み、慈愛に富み、風雅の道に富み給へば、到る処物に接し事に感じて、御歌詠ませ給へり。顕津男の神は今や日南河を渡り、悪魔のはびこれる西方の国土を造り固めむとして神心を悩ませ給ひ、高地秀の宮にまします八柱の比女神や、八十比女神の身の上を追懐し、しばし悲歎の涙にくれ給ひつつ、御歌詠ませ給ふ。

『若草の妻をやもめに生れし子を
  父なしとするわが旅淋しき

 空閨に泣く妻の身をおもひやり
  我は日に夜に血を吐くおもひすも

 国魂の御子を生めども永久に
  あひみることのかなはぬ父なり

 斯くの如苦しき神業に仕ふるも
  世のため道のためなればなり

 スウヤトゴルの峰は遥かの野の奥に
  よこたはりつつ邪気を吐くなり

 今よりは心の駒を立て直し
  スウヤトゴルの曲津言向けむ

 国土生みと御子生みの神業に仕へ来て
  わが身はいたく疲れたりけり

 この疲れ休めむとする暇もなく
  また立ち向ふ曲津のすみかへ

 巌となり山河となりて曲神は
  わが行く先きにさやらむとすも

 澄み渡る日南の河に禊して
  いざや進まむ曲津の在所に』

 茲に顕津男の神は、日南河の流れに下り立ちて禊の神事を修し給へば、八柱の神々も吾後れじと速瀬に飛び込み、浮きつ沈みつ天津祝詞を奏上しながら、禊の神事を修し給ひける。
 顕津男の神はじめ八柱神は、漸く岸辺に立ち上り『わが心地清々しくなりし』と宣らせ給ひて心静に御歌詠ませ給ふ。
 顕津男の神の御歌。

『高照の山より落つる河水に
  心すがしく禊せしはや

 気魂にかかれる罪や穢れまで
  洗ひおとしぬ速河の瀬に

 水底をかい潜りつつ気魂の
  汚れを全くはらひし清しさ

 村肝の心清しも真清水の
  流れに禊をはりしわれは

 水底も明るきまでに光りたり
  わが気魂の清らかにして

 かくの如光りかがやく気魂を
  八十比女の前に見せたくぞ思ふ

 我ながら驚きにけり何時の間にか
  わが気魂は光となれる

 身も霊も光り輝き水底の
  魚族までも歓ぎつどひ来

 我こそは生言霊の幸ひて
  光の神となりにけらしな

 眺むればわが身は骨まで透き徹り
  まさしく瑞の御霊となりぬ

 水晶の如くに骨まで透き徹る
  わが身は少しの曇りだになき

 斯の如光となりし我なれば
  伊行かむ道に夜はなからむ

 天伝ふ月の光もかくまでに
  光らざるべし照れるわが身よ

 四方山の百花千花にいや増して
  美しきかなわが気魂は』

 美波志比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『わが岐美の後に従ひ速河の
  瀬々の流れに禊せしはや

 わが魂は大曲津見の水火うけて
  墨の如くに穢れゐたりき

 河水の色変るまで気魂の
  垢ながれける禊の神事に

 斯の如わが気魂は清まりぬ
  いざや進まむ曲の征途に

 村肝の心くもれば忽ちに
  曲津見の罠に落さるるなり

 肝向ふ心くもりて美波志比古
  われは曲津見にをかされにけり

 斯くの如光らす岐美を知らずして
  先行きしわれの愚さを悔ゆ

 日南河に御橋かけむと進み来て
  曲津見の巣に迷ひ入りけり

 雄健びの禊の神事にわが神魂
  真清水のごと清まりにけり』

 内津豊日の神は御歌詠ませ給ふ。

『瑞御霊迎へ奉ると此処に来て
  禊の神事に仕へけるかも

 身も魂も清しくなりぬ今よりは
  岐美に仕へて雄健びせむとす

 曲津見の御空をふさぐ世の中に
  光の神は現れましにけり

 顕津男の神の御霊の御光に
  わが気魂は清まりにけり

 気魂も神魂も神の御光に
  けがれなきまでに照り渡りつつ

 内津豊日の神の御名まで負ひながら
  心のくもり晴れざりにけり

 わが岐美に従ひ流れに禊して
  はじめて内津豊日となりぬる

 曲津見の所得顔にすさび居る
  西方の国土今日より生れむ

 非時に黒雲湧き立つ西方の
  国土照らさばや禊を重ねて

 スウヤトゴル峰の曲津見は荒ぶとも
  今はおそれじ岐美ましませば

 国津神ゑらぎ栄えむ水晶の
  神の光に照らされにつつ

 草も木も月日の御光あびずして
  如何で繁らむ地稚き国土は

 高照の峰より落つる日南河に
  今日をはじめと禊せしはや

 主の神のウ声に生れし吾ながら
  禊のたふとささとらざりけり

 朝夕に禊の神事に仕へつつ
  西方の国土を生かさむと思ふ』

 大道知男の神は御歌詠ませ給ふ。

『大道を知男の神の吾にして
  禊の神事を怠りしかも

 惟神神のひらきし大道は
  禊の神事ぞ要なりける

 禊してわが身わが魂清まりぬ
  醜の曲津見もはやをかさじ

 国土を生み御子を生ますと出で給ふ
  瑞の御霊は光なりしはや

 仰ぎ見るさへもまぶしくなりにけり
  瑞の御霊の光の神を

 斯くの如光りかがやく生神の
  現れましし上は何をなげかむ

 日に夜に嘆きつづけし西方の
  国津神等よみがへるべし

 吾もまた朝な夕なに大道を
  さとしつつなほ禊知らざりき

 天界にいともたふとき神業は
  禊のわざにしくものはなし

 西方の国土の御空を包みたる
  雲も禊の神事に散るべし

 斯くの如禊の神事の尊さを
  吾は今まで覚らざりけり

 気魂も神魂も清くなりにけり
  速河の瀬に禊せしより』

 宇志波岐の神は御歌詠ませ給ふ。

『このあたり吾はうしはぎゐたりしが
  曲津見のため曇らされつつ

 惟神禊の神事知らずして
  治めむとせし吾の愚さよ

 禊して生言霊を宣る身には
  醜の曲津見もをかす術なし

 今日よりは国津神等に惟神
  禊の神事を教へ伝へむ

 近山は早くも緑となりにけり
  岐美が禊の光の徳に

 曲津見は青山となり沼となり
  巌となりてひそみ居るかも

 久方の天津高宮ゆ降りましし
  光の神はここにいますも

 くもりたる心抱きて瑞御霊の
  光の前にあるは苦しき

 山に野に百花千花匂へども
  曲のすさびに色あせにつつ

 虫の音も次第々々に細りけり
  曲津見の水火に苦しめられつつ

 今日よりは鳥の鳴く音も虫の音も
  風のひびきも澄み渡るらむ

 迦陵頻伽非時歌へど西方の
  国土には亡びの響きなりけり

 今日よりは迦陵頻伽の歌ふ声も
  冴えに冴えつつよみがへるべし

 天渡る月日のかげの見えわかぬ
  西方の国土は風の冷ゆるも

 ひえびえと吹く山風にあふられて
  百の草木はなかばしをれつ

 今日よりは草の片葉に至るまで
  岐美の光によみがへるべし

 月読の恵の露も今日よりは
  豊にくだらむ草木の上にも』

 臼造男の神は御歌詠ませ給ふ。

『禊すと水底くぐり身重さに
  おぼれむとして苦しみしはや

 つぎつぎに禊の力あらはれて
  わが身は軽く澄みきらひたる

 河水を濁して流るる気魂の
  垢の深さにあきれたりしよ

 斯くならば蚤や虱のすみどころ
  消えてあとなき水晶の気魂よ

 水晶の如くわが魂わが身まで
  照り輝けり禊終りて』

 内容居の神は御歌詠ませ給ふ。

『滔々と流るる水に内容居
  神の神魂は清まりにけり

 曲津見の水火に曇りし西方の
  国土に生れて吾くもりけり

 河底の砂利まで光る日南河の
  流れは清しも瑞の御霊か

 仰ぎ見る瑞の御霊の顔は
  月の面にまして光らすも

 月読の神の御霊と現れましし
  わが岐美なれば光らすもうべよ

 日南河向つ岸辺は真鶴の
  岐美の生ませし光の国土なる

 今日よりはおのもおのもが禊して
  西方の国土を照らさむとおもふ

 千引巌これより北の大野原に
  あちこち立てるも曲津見なるべし

 わが来る道にさやりし千引巌は
  八十曲津見の化身なりしよ

 わが魂はくもらひければ曲津見の
  化身の巌を知らず来つるも

 かへりみれば千引の巌ケ根わが行かむ
  道の行手をのみふさぎたる

 わが岐美の教へ給ひし禊の神事に
  わが魂線を輝かしゆかむ

 禊して岸にのぼれば気魂も
  神魂も軽さ強さを覚ゆる

 愛善のこの天界に生れ来て
  禊せざれば忽ち曇らむ

 神にある吾なりながら惟神
  禊の神事をなほざりにせしよ

 日南河の清き流れは国津神に
  禊をせよと教ふるものを

 愚なる吾なりにけり朝夕に
  この清流に居向ひながらも

 天も地も一度にひらく心地かな
  禊をはりしそのたまゆらは

 醜雲の四方に立ちたつ西方の
  国土はこれより月日照るらむ』

 初産霊の神は御歌詠ませ給ふ。

『わが心よみがへりたり気魂も
  軽くなりたり禊の神事に

 禊する神事を初めて覚りけり
  百の罪とが洗ふ神事と

 罪けがれ洗ひ清めて吾は今
  はじめて産霊の神業を知る

 禊すと水底くぐれば大魚小魚
  わが気魂をつつきめぐりぬ

 気魂の垢をつつくと大魚小魚
  わが身辺を取り巻きにけり

 苦しさをこらへ忍びて水底に
  神魂の罪を魚にとらせり

 わが肌は真白くなりぬ魚族の
  垢は餌食となりて失せぬる

 河底も明るきまでに瑞御霊
  光り給ひて禊ましける

 かくのごと光の神も惟神
  禊の神事に仕へますはや

 曇りたるわが身は非時禊して
  せめて神魂の垢洗はばや

 光なきわが身なれども朝夕の
  禊に神魂冴ゆるなるらむ』

 愛見男の神は御歌詠ませ給ふ。

『日南河水の底ひをくぐりつつ
  禊の神事ををさめけるかな

 天界の総ての穢れを洗ひ去る
  禊の神事ぞ尊かりける

 ウの声の生言霊に生れし吾も
  いつの間かは曇らひにける

 磨かずば忽ち曇る神魂よと
  吾は覚りぬ禊に仕へて

 わが眼清しくなりぬ山も河も
  今は雄々しく色冴えにけり

 わが耳はさとくなりけり虫の音も
  禊終りて清しく聞ゆる

 わが鼻も透き徹りけむ百花の
  薫り清しくなりにけるかも

 言霊の水火も清けくなりにけり
  禊の神事の貴の功に

 天も地も清しくなりぬ気魂と
  神魂の垢の洗はれしより

 いざさらば光の岐美に従ひて
  曲津見のすみかをさして進まむ

 神々を言向け和し光明に
  満ち足らひたる国土造らばや

 大空を包みし八重の黒雲も
  散りて失せなむ岐美の光に

 西方の国土はこれより輝きて
  曲津見の魂もまつろひぬべし』

 斯く神々は各自禊終り、其の功を讃美し乍ら、顕津男の神の御後に従ひ、柏木の森を目当に、スウヤトゴルの曲津見を征服すべく、意気揚々と轡を並べて立ち出で給ふ。
(昭和八・一一・三〇 旧一〇・一三 於水明閣 内崎照代謹録)
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