顕津男の神は、霊と肉とが円満に合致しているため、礼儀、慈愛、風雅それぞれ全く兼ね備えていた。だから、至るところ、物に接し事に感じては御歌を詠むのであった。
いま、顕津男の神は日南河を渡り、悪魔のはびこる西方の国を作り固めようとして心を悩ませ、また高地秀の宮に残してきた八柱の比女神たちや八十比女神たちの身の上を思い起こし、悲嘆の涙にくれながら、述懐歌を歌った。
その歌は、道のためとはいえ、置き去りにしてきた妻子の寂しさを思って悩む思いと、その悩みに負けず心を立て直す自分の決意を詠んだものであった。
そして顕津男の神は、日南河の流れに下り立って禊の神事を修した。すると、出迎えの八柱の神々も早瀬に飛び込んで、浮きつ沈みつ、天津祝詞を奏上して、禊の神事を修した。
一同は、ようやく心地がすがすがしくなった、と言上げて、各々心静かに歌を詠んだ。
身も心も軽くなり、曲津神に対する勇気に満ちた禊のいさおしをたたえつつ、顕津男の神に従い、柏木の森を目当てに、意気揚揚と出発した。