旅に疲れた諸神たちは各々眠りにつき、高地秀の宮居の広庭は水を打ったように静まり、小鳥のさえずる声のみが聞こえていた。
胎別男の神は神駒の疲れを休ませようと、外苑の庭に放して遊ばせていた。春風は花の香りを四辺に送り、いたるところおぼろのもやが立ち込めて、のどかな晩春の景色となっていた。
そんな中、ひとり朝香比女の神は、長閑な春の日に眠るのは惜しいと、清庭に立ち居で、心静かに歌を歌っていた。
晩春の景色を述懐していた朝香比女だが、その歌は次第に、旅立っていった顕津男の神への思慕に変わっていった。そして御樋代の神として顕津男の神をどこまでも探し追い求めて行こう、高地秀の宮居を旅立とう、という思いにまでなっていった。
その歌を耳にした胎別神は、大いに驚いて宮居に急ぎ帰り、他の御樋代神と鋭敏鳴出神、天津女雄の神に報告した。一同は驚いて外苑に出てきてみれば、朝香比女はすでに駒の背に倉を置き、片手に手綱を取ってまさにあぶみに足を掛けて乗り出でようとするところだった。
高野比女は急ぎ馳せよって駒のくつわを固く握って押さえ、出立をいさめる歌を歌った。
朝香比女は右手に手綱を取りながら、返答歌にて、顕津男の神への恋しさに、道にそむくと知りながらも、旅立つ心を押さえられない気持ちを伝えた。
高野比女は厳然として諭しの歌を歌うが、朝香比女はさらに強い自分の思いを返答歌にして返すのみであった。
朝香比女の神の勢いに驚いたその他の神々も、比女を思い止めようとさまざまに諭しの歌を歌うが、朝香比女はそのたびに自分の強い決意を歌にして返した。
最後に天津女雄の神がいさめの歌を歌うが、朝香比女は決然として別れの歌を歌い、駒に一鞭あてると、まっしぐらに夕闇の中へ旅立っていってしまった。