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文献名1霊界物語 第76巻 天祥地瑞 卯の巻
文献名2第3篇 孤軍奮闘よみ(新仮名遣い)こぐんふんとう
文献名3第15章 御舟巌〔1932〕よみ(新仮名遣い)みふねいわ
著者出口王仁三郎
概要
備考
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あらすじ
八十曲津神たちは、沼に変じて朝香比女を待ち伏せていたが、あべこべに比女の言霊に固められて、本物の沼となって大野ケ原に永遠に横たわることになってしまった。また、曲津見の本体であった巨巌も、比女の沼渡りに逆に使われた挙句、御舟巌と固められてしまった。

その他の悪神たちは沼底の貝と変じて、わずかに命脈を保つことを許されたのみであった。

朝香比女は沼と巌に、魚貝を育てて国津神たちにを養う糧を生み育てることを命じて、東南方を指して進んで行った。

程なくして、国津神たちが住む集落にたどり着いた。国津神の長、狭野比古(さぬひこ)は、比女の前にひざまずき笑みをたたえ、高天原より降り来た女神に、飢えに悩む国津神を救ってくれるよう懇願した。

朝香比女は、湖水の魚を食べるように諭すが、狭野比古は、国津神は木の実を食べて生きるもので、魚は食べられない、と答えた。そこで比女は彼らに火を与え、魚貝を焼いて食べることを教えた。

国津神たちは、その美味さに先を争って魚貝を食べた。狭野比古は、湖水に豊富に生息する魚貝を食料にできるならば、もう飢えに悩むことはないと喜び、感謝の歌をささげた。

朝香比女は、御舟巌の回りだけは漁をすることを禁じ、また必ず湖水の魚貝に火を通してから食べることを教えた。

すると狭野比古は次に、この近辺は水が悪いために、病気になり命を落とすものまでいることを訴えた。朝香比女は土を練って瓶を焼き、水を満たして沸騰させることを教えた。以後、国津神たちは白湯を飲んで水あたりすることはなくなった。これが、火食の道の始まりである。

狭野比古は感謝の歌を歌い、また真賀の湖水の湖辺に新しい宮居を造り、主の神の神霊を祀り、相殿に朝香比女の神霊を祀り、国津神がかわるがわる奉仕することとなった。

朝香比女は狭野の郷を発って、さらに西方の国に進むことになった。狭野比古は別れ惜しさに、比女の逗留を懇願するが、比女の心は固かった。そこで、狭野比古はせめて曲津神の多くなる先の道中を守るため、比女の共を申し出た。

朝香比女は快諾し、かくして比女は狭野比古を従えて大野ケ原を進んでいくこととなった。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年12月08日(旧10月21日) 口述場所水明閣 筆録者谷前清子 校正日 校正場所 初版発行日1934(昭和9)年3月23日 愛善世界社版 八幡書店版第13輯 574頁 修補版 校定版446頁 普及版 初版 ページ備考
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本文  八十曲津見は朝香比女の神の行手を遮らむとして、広大なる沼と体を変じ、女神を悩まし奉らむとして待ち構へ居たりしが、女神の生言霊に固められて、忽ち真の沼となり、永久に大野ケ原の真中に横はる事となりにける。又巨巌は八十曲津見の本体なりけるを、言霊の幸はひによりて水上に浮ぶ磐楠舟となり、比女神を彼岸に渡す御用に逆しまに使はれ、再び汀辺に万世不動の御舟巌と固められければ、八十曲津見は如何とも詮すべなく、その率ゐたる百の曲津見は、いづれも沼底の貝と変じて、わづかに生命を保つ事を許されにける。
 朝香比女の神は、この態を見て御歌詠ませ給ふ。

『面白し八十曲津見は大野原の
  中に動かぬ沼となりしよ

 曲津見の沼となりける水の上を
  磐楠舟に乗りて渡りし

 今日よりは弥永久に沼となりて
  所を変へな世の終るまで

 もろもろの曲津神等は沼底の
  貝となりつつ生命をたもて

 貝は皆吾乗り来りし楠舟の
  形となりて沼にひそめよ

 天津日は真賀の湖水の面照し
  狭霧もやもや立ち昇りつつ

 わが為に謀らひたりし醜の沼は
  またわが為に謀らはれける

 水底に青くうつろふ山影は
  栄城の山か波にさゆれつ

 月読の光を浮べしこの沼は
  曲津の化身と思はれざりしよ

 何事も善意に解せばもの皆は
  わが為によきものとなるかも

 曲津神も愛と善には勝ち難く
  大地に伏して沼と溢れつ

 国津神の日毎々々の餌を生みて
  魚貝を育てよ真賀の湖

 沼水はいやつぎつぎに澄みきりて
  深き湖水となりにけらしな

 御舟巌の側に集まる魚族は
  いや永久に生命たもたむ

 御舟巌は吾を助けし神なれば
  幾千代までも滅びざるべし

 巌ケ根に住み魚族も諸貝も
  われを助けし功に生きむ

 いざさらば吾は進まむ湖よ
  国津神等を永久に養へ』

 斯く歌ひ給ひつつ駒にひらりと跨り、東南方の野辺をさして進み給へば、程近き野辺の真中に余り高からぬ丘陵ありて、国津神等の住家幾十となく建ち並び居たりければ、朝香比女の神は国津神の住へる村を訪はむとして進ませ給ふ。
 国津神の長たる狭野比古は、比女神の御前に跪きながら満面に笑をたたへて、

『汝こそは高天原ゆ降ります
  女神にますか面かがやける

 この郷に国津神等守りつつ
  住へる吾は狭野比古にこそ

 願はくばこの村里に止まりて
  国津神等を救はせたまへ

 国津神は日毎の餌に苦しみつ
  飢ゑ渇きたり安きをたまへ

 気魂をたしに保てる国津神は
  餌なく飢に渇きゐるなり』

 朝香比女の神は狭野比古に答へて、

『国津神の日々の糧をば与ふべし
  真賀の湖水の魚族とらせよ』

 狭野比古は答へて、

『ありがたし忝なしと思へども
  木の実に生くる国津神なるよ

 魚族をくひて生くべき生命なれば
  吾等は飢にせまらざるべし』

 朝香比女の神は、

『木の実また生命の為によけれども
  魚族喰へば生命ながけむ

 われは今国津神等に魚族を
  焼きて喰ふべき真火を与へむ』

 斯く宣らせ給ひて朝香比女の神は、この村里の小川に満てる魚貝等を漁らせ給ひ、燧により火を切り出して、木草に燃えつかせ、魚貝をその中にほりくべ、加減よく焙り給へば、芳ばしき香り四辺に満ちぬる。
 国津神等は、この香りにそそられて、先を争ひ、貪る如くに喰ひ始めたり。狭野比古は喜びて、

『比女神の恵畏し魚族の
  よき味はひを教へ給ひぬ

 今日よりはこの村里の国津神
  飢に歎かむ恐れはあらじ

 比女神のきり出で給ひし真火こそは
  神の御霊か光りかがよふ

 この真火を吾に賜はば永久に
  国津神等は滅びざるべし』

 朝香比女の神は懐中より控への燧を取り出で、狭野比古に与へ給へば、狭野比古は感謝措く能はず、カチリカチリと火を切り出でながら、喜びの余り俗謡を歌ひて、国津神等と共に月の輪を造りて踊り舞ひ狂ひける。
『天津比女神この郷に
 降りましまし永久の
 光りを与へ給ひけり
 吾等は今迄木の実のみ
 喰ひて生きたる国津神
 夏と秋とはよけれども
 冬さり春の来むかへば
 飢にくるしみ悩みたり
 今日は如何なる吉き日ぞや
 湖水池水川底に
 ところせきまで満ち足らふ
 魚族喰ひて永久に
 生命保つと教へまし
 燧を吾に与へまし
 焼きて喰ふべく教へます
 大御恵のありがたや
 今日より吾等国津神は
 生命の糧を得たりけり
 ああたのもしやたのもしや
 天より降りし比女神の
 恵は千代に忘れまじ
 ああありがたやありがたや
 祝へよ祝へよ国津神
 踊れよ舞へよ国津神
 御空は碧く地広く
 月日は清く輝きて
 吹き来る風もおだやかに
 天津神国はまのあたり
 生れ出でたり惟神
 神の御前に感謝言
 白さむ言葉もあら尊と
 千代も八千代も永久に
 女神の恵は忘れまじ
 祝へよ祝へよ踊れよ踊れよ
 大地の底のぬけるまで
 竜宮の釜の割るるまで』
 狭野比古の音頭につれて、国津神等は次ぎ次ぎに集り来り、天地を震動させながら、踊り狂ひ給ひける。朝香比女の神は、諸神に向ひ御歌もて宣らせ給ふ。

『曲津見の醜のすさびを退はむと
  われは燧を汝等に与へし

 今日よりは真賀の湖に棲む魚族を
  汝等がかてに与へおくべし

 御舟巌のまはりに棲める魚族は
  いやとこしへに漁るなゆめ

 御舟巌は吾を助けし神なれば
  近くの魚族は助け置くべし

 過ちて巌根に棲まむ魚貝喰はば
  忽ち汝等が生命は失せむ

 いや広き湖なれば到るところ
  汝等が喰ふべき魚貝は満てり

 魚族は火にて焙りて喰ふべし
  生きたるままにて必ず喰すな』

 狭野比古は御歌もて喜び答ふ。

『久方の天より降りし比女神の
  神言かしこみ千代に守らむ

 今日よりは国津神等安らかに
  喜びいさみ恵みに浸らむ

 魚族は数限りなし年普く
  湖に満てれば飢ゆる事なし

 願はくば吾等に水を与へかし
  小川に流るるこの真清水を

 国津神真清水飲みて腹痛め
  生命をおとす憂ひありせば』

 ここに朝香の比女神は、真土を水にて練り、瓶を造り、暫くの間を天津日の光に干し乾かせ、土をもて窯を築き、火をおこして瓶を焼き、𪫧怜にかたらに造り上げ、之に水を満して窯を造り火をもて焼かせ給へば、忽ち瓶の水は沸騰して美はしき白湯となりにける。比女神はこの白湯を国津神等に与へ、飲む事を教へ給ひければ、国津神は喜び勇みて之より白湯を飲む事となしければ、生水の如く腹を痛むることなく、各々その天寿を保ちけるこそ目出度けれ。之より火食の道始まりにける。
 狭野比古は喜びの余り感謝の歌を詠む。

『比女神の恵の露にうるほひて
  吾等は白湯の味はひ悟りぬ

 火に焼きし魚族の味芳ばしく
  吾等が生命もよみがへるなり

 土を練りて瓶を造らせその瓶を
  又火に焼かす神業尊し

 焼き上げし瓶に真清水盛り満し
  薪燃せば白湯は沸くかも

 火の力始めて悟りし吾々は
  今日より飢に泣く事なからむ

 永久の生命保ちてこの郷に
  われは栄えむ国津神等と

 曲津見の襲ひ来らば真火もちて
  放り退はむ力おぼえし

 比女神の神言畏み御舟巌の
  あたりの魚族永久にとらさじ

 空は晴れ地上は夏の風吹きて
  心清しも比女の出でまし

 比女神の教へたまひし御恵を
  四方の神等に分ちよろこばむ

 この国土は葦原の国と昔より
  たたへ来りし常闇なりけり

 常闇のこの葦原も今日よりは
  真火の力によみがへるべし

 火と水を与へ給ひし比女神の
  恵は永久に忘れざるべし

 比女神の恵を永久に忘れじと
  宮居を造り斎ひまつらむ』

 斯く宣り終へて、狭野比古は数多の国津神を率ゐて、真賀の湖辺に新しき清しき宮居を造り、朝香比女の神の幸を祈るべく、主の神の神霊を祀り、相殿に朝香比女の神の神魂を合せ祀りて、朝な夕な国津神は交る交る奉仕する事となりぬ。
 朝香比女の神は再び駒に跨り、この部落を立ち出でむとして御歌詠ませ給ふ。

『いざさらば狭野の小郷に住み給ふ
  国津神等に暇を告げむ

 これよりは吾西方の稚国土を
  さして進まむすこやかにあれよ』

 狭野比古は別れを惜しみて歌を宣る。

『比女神の功たふとしせめて今
  一日をここに止まり給はれ

 国津神の生命の糧をたまひたる
  女神に別ると思へばかなし

 国津神諸々ここに集まりて
  公の旅立ち惜しみて泣くも

 狭野の郷の救ひの神と現れましし
  比女神の旅を止めたく思ふ

 とこしへに主の大神と諸共に
  公が神魂をいつきまつらむ』

 朝香比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『国津神の心は悟らぬにあらねども
  御子生みのため止まるべしやは

 気魂をもたせる汝等国津神よ
  いたづきもなくまめやかにあれ

 吾こそは主の大神の御水火より
  生れし神ぞ身にさはりなし

 いざさらば愛ぐしき国津神等よ
  われは進まむ永久に栄えよ』

 狭野比古は別れ惜しさに又歌ふ。

『かくならば止めむ術もなかりけり
  国津神等と神霊に仕へむ

 願はくば御供を許し給へかし
  この行先の曲津しげければ

 玉の緒の生きの生命をすつるとも
  比女のためには惜しからざるべし

 今日よりは御供の神と仕へつつ
  比女神のために従ひ行かむ』

 朝香比女の神は微笑みながら、

『やさしかる狭野比古の心うべなひて
  今日よりわれの供を許さむ』

 狭野比古は喜びに堪へず、

『比女神の許しありけり国津神よ
  神の宮居に清く仕へませ

 いざさらば御供仕へむ朝香比女の
  神よ御馬に鞭うたせませ』

 朝香比女の神はここに狭野比古を従へ、晴れたる大野ケ原を、駒を並べて勇ましく進ませ給ひける。
(昭和八・一二・八 旧一〇・二一 於水明閣 谷前清子謹録)
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