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文献名1霊界物語 第77巻 天祥地瑞 辰の巻
文献名2第1篇 万里の海原よみ(新仮名遣い)までのうなばら
文献名3第1章 天馬行空〔1933〕よみ(新仮名遣い)てんばこうくう
著者出口王仁三郎
概要
備考
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あらすじ
八十曲津の神たちは、真賀の湖水の計略を朝香比女に破られ、あべこべにその多くが魚貝に姿を変えられてしまい、国津神たちの食料と定められてしまった。そのため何としても比女を陥れようと、高地秀山の峰より流れる東河の岸辺に、無数の大蛇となって、比女を待ち構えていた。

朝香比女はつらつらと透かして見れば、東河の水面一帯に大蛇が横たわり、その鱗に月光が輝いているのが見えた。

従者の狭野彦は、そうとは気づかず、麗しき河の流れと思って歎美の歌を歌い、瀬踏みをしようとした。

朝香比女はそれを厳しく押し止め、言霊歌によってその危険を明らかにし、知らせた。すると、四方八方よりウーウーウーとウ声の言霊が響き渡り、川面に群がり塞いでいた幾千万の大蛇は、次第次第に姿を細め、消えてしまった。

狭野彦は驚いて、朝香比女の言霊の威力をたたえる歌を歌った。

朝香比女はそれに答えて、大河の水が強く馬では渡りかねるので、大空を駆けて河を渡ろう、と歌った。

狭野彦は驚いて、国津神である自分が、どうやって空を飛べるのですか、と歌で問うた。すると、空中に歌で答える神があり、鋭敏鳴出(うなりづ)の神であると名乗り現れた。

高地秀宮の神司である鋭敏鳴出の神は、ひそかに朝香比女に随行してその行く手を守っていたのであった。朝香比女は感謝の歌で迎えた。鋭敏鳴出の神は、曲津神の砦が多くあることを注意すると、再び姿を消した。

朝香比女は、タトツテチの言霊によって自分と狭野彦の馬に翼を生じさせ、いとも簡単に広河の激流を渡った。狭野彦は天津神の活動を目の当たりにし、驚嘆の歌を歌った。

朝香比女は鋭敏鳴出の神の加護を感謝し、一方狭野彦は、天津神の功徳に心を勇み立たせ、二人は霞が立ち込める国稚原を進んで行った。
主な人物 舞台東河の岸辺 口述日1933(昭和8)年12月12日(旧10月25日) 口述場所大阪分院蒼雲閣 筆録者加藤明子 校正日 校正場所 初版発行日1934(昭和9)年3月30日 愛善世界社版 八幡書店版第13輯 587頁 修補版 校定版3頁 普及版 初版 ページ備考
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本文  高地秀山の聖場に  八柱神と仕へたる
 朝香の比女は唯一騎  諸神等の諫言を
 耳にもかけず雄々しくも  曲津の猛る大野原
 果しもしらに縹渺と  雲霧わけて種々の
 艱みの坂を越えながら  由緒の深き栄城山
 尾の上に登り顕津男の  神の遺跡を追懐し
 主の大神の大宮に  神言宣らせやうやうに
 栄城の山に仕へたる  諸神等に暇乞ひ
 又もや独り大野原  駒に鞭うち出でたまふ
 日も黄昏になりし時  八十の曲津見驚きて
 比女の前途をさやらむと  曲の力のありたけを
 尽して広き沼となり  横はれるぞ忌はしき
 朝香の比女はこれを見て  天津祝詞を奏上し
 生言霊を発射して  沼と変りし曲津見を
 永遠無窮に封じこめ  曲の化身の大巌を
 忽ち舟と変ぜしめ  駒諸共に悠々と
 月照りかがよふ夜の湖  彼方の岸に着きたまひ
 再び御舟は巌となり  名さへ目出度き御舟巌
 南の岸辺にそばだてり  頃しもあれや東の
 空はやうやく東雲めて  遠く聞ゆる家鶏の声
 国津神等の住む家の  近づきけりと勇み立ち
 沼を変じて湖となし  真賀の湖水と名づけつつ
 岸辺を鞭うち進みます  雄姿水面にさかさまに
 駒諸共に写らひて  其雅なる御姿は
 名画もかくやと思はれぬ  朝香の比女は勇み立ち
 大野の奥に霞みたる  丘の麓に駒打たせ
 急ぎたまへば狭野の里  ここに住まへる諸々の
 国津神等諸共に  天津空より比女神の
 降らせたまふと喜びて  誠の限りを尽しつつ
 いと懇に迎へけり  朝香の比女は駿馬の
 背より下らせたまひつつ  国津神等に生活の
 道伝へまし火を切りて  すべてのものを焼きて食ふ
 火食の道を伝へまし  国津神等の酋長なる
 狭野彦一人を伴ひて  再び広き荒野原
 雲霧わけて出でませば  前途を擁して横はる
 東の河の河岸に  黄昏るる頃やすやすと
 辿りたまへば新月の  光は空にきらりきらり
 輝きわたり比女神の  前途を守らせたまふなり
 ああ惟神々々  恩頼こそ畏けれ。
 八十曲津見は、真賀の湖水の計略に破れ、部下の曲津見は、朝香比女の神の生言霊に封じ込められて、大部分魚貝と身を変じ、永遠に湖底の住所を与へられ、国津神等の日常の食物と定められければ、八十曲津見は憤慨の極、無念骨髄に徹し、如何にもして比女神の前途に遮り、災禍を加へむと千思万慮の結果、高地秀山の峰より落つる東河の岸辺より、無数の大蛇となりて比女神を艱ましまつるべく、手具脛ひいて待ち居たるなりけり。
 東河の激流は折から輝く新月の光に照らされて数多の星を流せしごとく、浪頭はキララキララと光り輝き渡る美しき流れなり。
 比女神はつらつら透かし見給へば、東河の水面一帯に大蛇横はり、浪頭に星の輝くよと見えしは何れも大蛇の鱗なりける。鱗の一枚々々に月光輝き得も言はれぬ美しき光の流れなりけり。狭野彦は大蛇の横はり鱗の光れりとは夢にも知らず、さも美しき流れやと歎美しながら歌を詠む。

『美しき東の河の流れかな
  浪のまにまに月かがよへり

 比女神の御共に仕へまつりてゆ
  かく美しき夜河を見るも

 たうたうと流るる東の大河の
  夜の眺めはまたと世になし

 駿馬の背に跨りてこの流れ
  渡ると思へば心清しも』

 「いざさらば、狭野彦瀬踏みを致さむ」と駒に鞭うち出で立たむとするを、朝香比女の神は厳しく止めて、御歌もて知らせ給ふ。

『狭野彦の眼は広き河浪の
  月にさゆると見ゆるなるらむ

 河浪と見ゆるは何れも曲津見の
  変化の蛇の鱗なるぞや

 数限りなき蛇の鱗に大空の
  月のかがやく光と知らずや

 此河に駒を入るれば忽ちに
  大蛇の餌食となりて亡びむ

 一二三四五六七八九十
 百千万千万の
 神等ここに出でまして
 八十の曲津の曲業を
 科戸の風に吹き散らし
 追ひやらひませ惟神
 朝香の比女が誠心を
 捧げて祈り奉る』
 かく歌はせ給ふや、四方八方より、ウーウーウーとウ声の言霊響き渡り、大河の面を群がり塞ぎたる幾千万の大蛇は次第々々に姿を細め、見る見る影も形も消えうせて、青みだちたる水滔々と月に照らされ深く広く流れゐる。狭野彦は驚きて、

『朝香比女神の神言の珍しき
  智慧に大蛇は看破られける

 かくのごと尊き神とは知らずして
  御供に仕へし吾恥づかしも

 曲津見は数万の大蛇と身を変じ
  禍せむと待ち居たるはや

 吾は今この河岸に黄昏れて
  八十の曲津の曲業を見し

 曲神の八十のたくみは賢しくも
  真言の神には叶はざりける

 大河の流れと見しは曲津見の
  大蛇に化けし姿なりける

 かくならば吾は恐れじ朝香比女の
  神にしたがひ河渡るとも

 駿馬の勢如何に強くとも
  御稜威ならではこの河渡れじ』

 朝香比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『高地秀の峰より落つる東河の
  水瀬は強く駒は進まず

 神力はいかに強くも東の
  この大河は駒なやむなり

 吾は今生言霊の光にて
  大空かけり河渡らむと思ふ』

 狭野彦は歌ふ。

『如何にして御空をかけり渡りますか
  吾国津神は詮術なしも

 公こそは天津神なり大空を
  渡らせたまふはさぞ安からむ

 国津神狭野彦われは肉体の
  重きを如何に空渡るべき』

『朝香比女神の御尾前守りつつ
  しのびしのびて御供につかへぬ

 今宣りしウ声の清き言霊は
  鋭敏鳴出の神のすさびなりしよ』

と空中に御声聞えて間もあらず、霧の中より白馬に跨り、朝香比女の神の御前に悠々と下り給ひし神あり。よくよく見れば御言霊にたがはず、高地秀の宮の神司と任けられし英雄神鋭敏鳴出の神の雄姿なりける。
 朝香比女の神は一目見るより、

『汝こそは高地秀の宮の神司
  われを守りし功をよろこぶ

 狭葦河の曲津のなやみを言向けし
  著き功は汝が神守りけむ

 曲神の醜の奸計は破れけり
  鋭敏鳴出汝の生言霊に

 いざさらば此広河を向つ岸に
  進みて月の下びをすすまむ』

 鋭敏鳴出の神は御歌詠ませ給ふ。

『朝香比女神の神言の危さを
  悟りて吾は追ひしきにけり

 主の神の神言畏み御尾前を
  かくれて吾は守り居しはや

 西方の国土は遥けしこの前に
  曲津の砦は許々多ありつつ

 曲神の醜の砦を悉く
  はふり行きませ西方の国土へ

 いざさらば吾は姿を隠すべし
  道の隈手もやすくましませ』

 かく歌ひ給ふと見るや、鋭敏鳴出の神の御姿は、忽ち煙となりて消え失せにける。
 狭野彦は驚きて、

『天界は怪しき事の重なれる
  国土と思へど驚きにけり

 久方の天津神等の活動を
  見つつ吾魂ゆるぎ初めけり』

 朝香比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『狭野彦の驚きうべなり国津神の
  夢にも知らぬ神業の国土は

 国土を生み国魂神を生みてゆく
  神の神業はことさら怪しき

 国津神の眼ゆ見れば吾も亦
  怪しき神の群にぞありける』

 かく歌ひ終り、
『吾乗れる駒よ狭野彦の駒よ
 翼生せよ大なる翼を
 生えよ生えよ大なる翼
 此駿馬の天馬となりて
 空をゆくまで』
と幾度も繰り返したまひ、

『タトツテチ、ハホフヘヒ』

と声爽やかに宣らせたまへば、不思議やこの駒は大なる翼を生しける。
 比女神は狭野彦と共に駒に跨り給へば、天馬は巨大なる翼を空中に摶ちながら、見も届かぬ広河の激流を遥か眼下に眺めつつ、月の光は翼をキラキラと光らし、得も言はれぬ愉快さに満されて、向つ岸辺に難なく着かせ給ひける。狭野彦は驚歎措く能はず、

『吾駒は翼生せて鳥となり
  御空を翔けて河わたりせり

 比女神の生言霊の功績に
  わが乗る駒は鳥となりけり

 比女神の駒は天馬となりかはり
  御空に清くかがやきたまひし

 天国の旅なる吾の楽しさを
  語り伝へむ国津神等に

 鋭敏鳴出の神現れまして河の瀬に
  満つる大蛇を退けたまへり

 比女神の影につき添ふ鋭敏鳴出の
  神の功の尊きろかも』

 朝香比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『鋭敏鳴出の神の功に守られて
  吾つつがなく此処に来しはや

 吾駒に翼生ひしも鋭敏鳴出の
  神のかくれし功なりける

 鋭敏鳴出の神の功を今更に
  われは悟りて恥づかしみ思ふ

 今よりは主の大神の神宣
  力と頼みて荒野を進まむ

 国津神狭野彦伴ひ吾伊行く
  旅の行手を案じつつ居る

 天津神は御空をゆけど国津神は
  荒金の地ふみゆく身なれば

 吾駒の翼はいつか消え失せて
  野辺の草葉に嘶き初めたり

 狭野彦の駒も翼をひそめつつ
  息をやすめて草はみて居り

 東の河は漸く渡りぬれど
  わが行くさきに海原横たふ

 この海は魔の大海とたたへられ
  八十曲津見の群がれると聞く

 吾伊行く道の曲津見悉く
  言向け和して岐美許進まむ

 初夏の風は吹けどもどことなく
  この国原はうすら寒きも』

 狭野彦は歌ふ。

『どこまでも比女神の御供に仕へむと
  心の駒の勇みたつかも

 いかならむ曲津見の禍さやるとも
  吾は恐れじ比女神の功に』

 かく狭野彦は、朝香比女の神の神徳を讃美しながら、駒に跨り御後より果しなく霞立ち籠むる稚国原を進み行く。

(昭和八・一二・一二 旧一〇・二五 於大阪分院蒼雲閣 加藤明子謹録)
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