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文献名1霊界物語 第77巻 天祥地瑞 辰の巻
文献名2第3篇 善戦善闘よみ(新仮名遣い)ぜんせんぜんとう
文献名3第18章 国津女神〔1950〕よみ(新仮名遣い)くにつめがみ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ
一方、進軍歌を歌いつつ進んで行く直道比古の神は、とつぜんすさまじい猪の群れに取り囲まれてしまった。直道比古は臍下丹田に息を凝らして端然として座し、言霊歌を歌った。

すると、あたりの雲きりは次第に薄らいで、日の光がほのぼのと谷間を照らし始めた。直道比古の神は、苦境を救った御樋代神・三柱女神の言霊の霊威に感謝の歌を歌った。

すると、大巌のかげから、泣き沈みながら降って来る女神があった。女神は直道比古の前に進んで来ると、両手を合わせてうずくまり、泣き崩れた。

直道比古が問うと、女神は、白馬ケ岳の国津神であると名乗り、曲津神に攻められ苦しんでいたところ、天津神が曲津神征伐にやってきたと聞いて、助けを求めてきたのだ、と答えた。

そして、大巌のかげの庵に直道比古を導き、庵に招きいれようとした。直道比古は、すぐさま曲津神の計略と悟り、天之数歌を歌えば、女神はたちまち長大な蛇神と化し、黒雲を起こして魔棲ケ谷へと逃げていった。

庵の片の大巌は、直道比古が再度天之数歌を唱え終わらぬうちに、枯れ木が倒れるように谷間に向かって転落し、ものすごい音を立てて砕け散って渓流に流されてしまった。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年12月16日(旧10月29日) 口述場所大阪分院蒼雲閣 筆録者内崎照代 校正日 校正場所 初版発行日1934(昭和9)年3月30日 愛善世界社版 八幡書店版第13輯 669頁 修補版 校定版305頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rm7718
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本文 『永久に動かぬ万里ケ丘
 下津岩根に立たせます
 御樋代神の大御前
 仕へ奉りて荒野原
 駒に跨りとうとうと
 泉の森に立ち向ひ
 ここにやうやく黄昏れて
 月下の清水に禊しつ
 一夜の露の雨宿り
 魔棲ケ谷の曲神を
 征服すべく事謀り
 御樋代神はこの森を
 大本営と定めまし
 輪守の比古神左守とし
 若春比古を右守とし
 五男三女の吾々は
 白馬ケ岳の曲津見を
 征服せむと勇み立ち
 駒の手綱を引きしぼり
 馬背に鞭を当てながら
 果しも知らぬ萱野原
 一目散に馳せ渡り
 小笹ケ原の楠の森
 此処に一行相会し
 いよいよ作戦計略を
 定めて各一条の
 道をたどりて攻めのぼる
 今日の生日は御空晴れ
 吹き来る風もさはやかに
 谷間を落つる滝津瀬の
 音淙々と聞ゆなり
 吾はヰ声の言霊に
 鳴り出で茲に神となり
 御樋代神に従ひて
 万里の島根に仇をなす
 八十曲津見の禍を
 残る隈なく払はむと
 生言霊の力もて
 岩石崎嶇たる近道を
 岩の根木の根踏みさくみ
 登り行くこそ楽しけれ
 今まで晴れし大空は
 忽ち黒雲ふさがりて
 天日光を失ひつ
 谷間に湧き立つ深霧は
 ふくれ拡ごり次ぎ次ぎに
 あやしき形をあらはして
 煙の如く燃え上り
 わが行く道をさへぎりぬ
 ああ惟神々々
 生言霊の御光に
 醜の曲津見の曲業を
 退け散らし元の如
 清くさやけき天津日の
 光を照らさせ給へかし
 わが身辺を包みたる
 雲と霧とにひそみたる
 曲津見の邪気はものすごく
 吾に迫りて息さへも
 全く苦しくなりにけり
 ああ惟神々々
 わが言霊に命あれよ
 生言霊に幸あれよ』
 斯く歌はせたまひつつ、谷川の難路を攀ぢのぼりたまふ折しもあれ、前後左右より飛び出したる凄じき猪の群は、直道比古の神の前後左右を取り巻き、鳥のごとく頭上を飛び交ひ、鋭利なる爪をとがらせ、比古神の両眼を掻きやぶらむと迫り来るにぞ、今はこれまでなりと、直道比古の神は臍下丹田に息をこらし、芝生の上に端坐しながら、天に向つて両手をあはせ、
『一二三四五六七八
 九十百千万の神よ
 集まりましまして
 曲津見の征途に立ち向ふ
 わが行く道にさやりたる
 曲津見の群をことごとく
 追ひそけ給へ惟神
 主の大神の御前に
 赤き清けき村肝の
 心照らして願ぎ奉る
 ああ惟神言霊の
 水火の力に光あれ』
 斯く歌はせ給ふや、四辺を包みし雲霧は次第々々にうすらぎて、天津日の光はほのぼのと谷間を照らし給ひければ、直道比古の神は神徳の宏大なるに感泣しつつ、道の傍の巌の上に端坐して息を休め、且つ御歌詠ませ給ふ。

『わが行手閉ぢふさぎたる雲霧も
  宣る言霊に散り失せにけり

 曲神はわが行く先にさやりつつ
  力かぎりに刃向ひ来るも

 醜草を薙ぎて放りて進みゆかむ
  言霊剣ふりかざしつつ

 万里の島の曲津見悉集まりし
  魔棲ケ谷は清めでおくべき

 醜神を斬りて放りて万里の島の
  あらゆるものの水火を守らむ

 濁りたる水火に包まれ森羅万象は
  生気褪せつつ萎びゐるかも

 雨となり雲霧となり巌となりて
  曲津見は前途をさへぎらむとすも

 霊山比古保宗比古の二柱
  神の功を知りたくぞ思ふ

 谷べりの荊蕀分けて進み行く
  道の隈手を守らせたまへ

 仰ぎみれば魔棲ケ谷の空高み
  醜の黒雲しきりに湧き立つ

 百千谷飛び越え草むら分け登る
  わが行く道に恙あらすな

 御樋代の神の御稜威に守られて
  曲津のすみかを吾登り行くも

 尾の上吹く風の響もさやさやに
  わが踏む山路の草はなびけり

 雲霧となりてさやりし曲津見は
  魔棲ケ谷に逃げ去りにけむ

 曲津神の醜の奸計のあさければ
  またもや破れむ生言霊に

 五柱の神の打ち出す言霊に
  千万の曲津は遂に滅びむ

 御樋代神三柱比女神遠くより
  生言霊の光照らせり

 御樋代の神の御稜威の尊さを
  初めて知りぬおろかしき吾は

 遠くおもひ深く計りて御樋代の
  神は泉の森にいますか

 清水湧く泉の森は主の神の
  水火の凝りたる御舎ならむ

 夕されば曲津は猛ばむ天津日の
  ある間に進まむ魔棲ケ谷に』

 斯く歌ひ給ふ折しも、大いなる巌の蔭より、朱に染みたる布を抱へながら、両眼を腫らせ、泣き沈みつつ降り来る女神あり。この女神は直道比古の神の御前に近み来り、両手を合せ、うづくまり、嗚咽涕泣し、何事か訴ふるものの如く、全身に波を打たせゐる。
 直道比古の神は、こは様子あらむと女神の背を撫でさすり、言葉淑かに、

『何神におはしますかは知らねども
  名乗らせ給へ汝がありかを

 邪神棲むこの高山に如何にして
  一人いますかいぶかしみ思ふ』

女神『吾こそは白馬ケ岳の峡に住む
  尾上と申す国津神なり

 時じくに醜の曲津に攻められて
  吾は一人を苦しみつづくる

 天津神曲津の征途にのぼりますと
  聞くより吾は迎へ奉りぬ

 朝夕を涙に暮らす国津神の
  淋しき境遇を助けたまはれ

 御樋代の神に仕へし汝が神の
  力にすがると迎へ来つるも

 わが庵は千引の巌の片蔭よ
  いざや暫しを休ませたまへ

 いざさらばわが住む庵に導かむ
  続かせ給へ天津大神』

 斯く歌もて答へつつ静々と前に立ち、立居物腰も淑かに進むにぞ、直道比古の神は怪しき者御参なれと思召しつつ、さあらぬ体にて女神の後に従ひ、千引の巌蔭のささやかなる萱もて葺きたる庵の前に近づき、内にも入らず佇ませ給ひける。
 比女神は庵の内より、細き悲しき声を張り上げて、

『直道比古神の神言よみにくけれど
  わが家に入りて休ませ給へ

 願ひたきことの山々ありぬれば
  入らせ給へよ庵の内に

 父も母もわが同胞もことごとく
  ほろびてかなしき一人住居よ

 曲津の棲む魔棲ケ谷は道遠し
  しばしを休らひ出で立ちまさね

 雄々しかる神の助けに吾もまた
  邪神の棲処を知らせ奉らむ

 兎も角も曲津の奸計のことごとを
  さとりし吾をうべなひ給はれ』

 女神は小さき庵の内より細き優しき声を張り上げて、頻りに比古神を庵の内に入らせ給へと勧めたりけれども、直道比古の神は頭脳明敏にして容易に迷ひ給はず、万一この庵に吾入りなば、千引の巌は忽ちわが頭上に倒れ来り、身体を木端微塵に打ち砕くべき邪神の計略ならむと一歩も動き給はず、御歌詠ませ給ふ。

『くさぐさの甘き言葉に誘ふも
  吾は迷はず曲津見の罠には

 汝こそは大蛇の化身よ巌ケ根に
  永久にひそみて禍なせし神よ

 いざさらば汝が正体をあらはして
  神の力を照らして見むかも

 一二三四五六七八九十
  百千万千万の神よ
   生言霊の光り照らさせ給へ
    惟神御霊幸倍おはしませ』
と大音声に呼ばはり給へば、以前の女神は忽ちものすごき長大身と還元し、黒雲を起し、魔棲ケ谷の方面さして一瀉千里の勢をもつて逃げ出すこそ恐ろしき。

『醜神は奸計の裏を看破られ
  生言霊に逃げ失せにけり

 比女神となりてわが身をあざむきし
  大蛇の奸計は破れけるかも

 千引巌そよ吹く風にもゆらゆらと
  動き出せり邪神の化身か

 邪神ならばわが言霊に吹き散れよ
  一二三四五六七八九十』

百千万と皆まで宣らせ給はぬに、さしもに高き広き大いなる千引の巌ケ根は、枯木の倒れる如く谷間に向つて顛落し、百雷の落つるが如き声たてて百千万の破片となり、脆くも溪流に落ち入りにける。

『曲津見の醜の奸計のあさはかさ
  千引の巌も千々に砕けつ

 大空の雲もやうやく吹き散りて
  この山道に陽はかをるなり

 百千花道の左右に咲き満ちて
  吹きくる水火も芳ばしきかな

 澄みきらふ水火をくまなく呼吸して
  吾気魂はよみがへりたり

 今よりは天津祝詞を奏上し
  邪神の砦を粉砕せむかな』

(昭和八・一二・一六 旧一〇・二九 於大阪分院蒼雲閣 内崎照代謹録)
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