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文献名1霊界物語 第78巻 天祥地瑞 巳の巻
文献名2第2篇 焼野ケ原よみ(新仮名遣い)やけのがはら
文献名3第10章 地異天変〔1966〕よみ(新仮名遣い)ちいてんぺん
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日----
あらすじ
一行は忍ケ丘を後にし、鷹巣の山の麓に葦原比女の神が守るという聖所に急ぎ進んでいく。

中野河の濁流がいたく濁っていることに朝香比女は驚くが、初頭比古の神は天の数歌を歌い、言霊歌を歌い始めた。すると、中野河の濁流も次第次第に色あせ始めた。

朝香比女はさらに、初頭比古の言霊によって、中野河を陸にしようと歌い、御樋代の葦原比女の神が、自分たちを迎えに出立したのがわかる、と歌った。

起立比古は、葦原比女の姿が見えないのに、朝香比女の歌を不思議に思うが、朝香比女は、葦原比女が共を伴って確かにやってくる、と歌った。そして、中野河の水が引き始め、川底が陸地となって向こう岸に渡るときに、葦原比女はやってくるだろう、と予言した。

立世比女は中野河の河水が引くように歌を歌い、天晴比女は河水が引いた後の魚の命を心配する歌を歌った。

朝香比女は、魚たちは上流に逃げて広い清沼に行くように歌を歌った。そして天の数歌と言霊歌を歌うと、河底は大音響とともに地底からふくれあがり、少しの高低もない平地と変わってしまった。

一行は新しく生まれた河跡の陸地を、駒を進めて渡ろうとすると、萱草の野に見え隠れしつつ、駒に乗って現れた神々があった。これは、朝香比女の神一行を迎えに鷹巣山の麓の鷹巣宮居からやってきた、御樋代神・葦原比女の神一行であった。

葦原比女の神を先頭に、真以(まさもち)比古の神、成山(なりやま)比古の神、栄春(さかはる)比女の神、八栄(やさか)比女の神、霊生(たまなり)比古の神の三男三女の天津神々であった。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年12月21日(旧11月5日) 口述場所大阪分院蒼雲閣 筆録者林弥生 校正日 校正場所 初版発行日1934(昭和9)年5月5日 愛善世界社版 八幡書店版第14輯 73頁 修補版 校定版170頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rm7810
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本文  御樋代神と生れませる  朝香の比女神諸神を
 従へ給ひ松茂る  忍ケ丘をあとにして
 鷹巣の山の麓なる  葦原比女の神います
 聖所に急ぎ進まむと  駒の轡を並べつつ
 大野ケ原をすくすくと  進ませ給ふ勇ましさ
 彼方此方の野の面は  春風薫り鳥うたひ
 陽炎燃えたつ長閑さを  嘉し給ひつやうやうに
 グロスの島を横ぎれる  中野の河の河岸に
 黄昏るる頃着き給ふ。
 国津神野槌彦は河の流れを指さしながら、

『上つ瀬は瀬速し下つ瀬は
  ぬるくて深し中津瀬ゆきませ

 河水はひた濁りつつ水底は
  いや深くして渡るに難し

 向つ岸に渡らふ術も無きままに
  御樋代神の御姿知らずも』

 朝香比女の神は馬上より、中野河の濁流を打見やりながら、御歌詠ませ給ふ。

『曲津見の息の雫のしたたりか
  この河水はいたく濁れり

 駒の脚入るるもきたなきこの河を
  ただに渡らむ事のうたてき』

 初頭比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『東の河の流れに比ぶれば
  濁りたれども河幅狭し

 朝香比女神の神言の言霊に
  天馬となして渡らまほしけれ

 大いなる翼はやして東の
  河を渡りし吾駒なるも

 駒よ駒生言霊の幸はひに
  二つの翼を直に生やせよ。

 一二三四五六七八九十
 百千万千万の
 生言霊の幸はひに
 駒は変じて鷲となり
 河は変じて土となれ
 これの流れは深くとも
 河の面は濁るとも
 主の大神の賜ひてし
 澄みきらひたる言霊に
 山河野辺もことごとに
 帰順ひ来べき国土なるよ
 地稚く未だ国土稚く定まらぬ
 この島ケ根は言霊の
 水火のままなり言霊の
 光に総ては固まりて
 紫微天界の真秀良場と
 茂れよ栄えよ永久に
 御樋代神は二柱まで
 この島ケ根に天降りましぬ
 ああ惟神々々
 神は愛なり力なり
 如何なる曲津も山河も
 愛と善との力にて
 蘇るべき国柄よ
 わが駒の翼生えずば止むを得ず
 この広河を荒金の
 土と固めつ向つ岸に
 雄々しく進まむわが首途
 守らせ給へと主の神の
 御前に謹み願ぎまつる
 天津日は照る月は盈
 この浮島に春さりて
 百草千草は花開き
 小鳥は歌ひ蝶は舞ふ
 かかる目出度き国中に
 公の出でまし妨ぐる
 濁りも深き広河は
 八十曲神の雄猛びか
 醜の曲津の奸計か
 引けよ引け引け中野河
 水も凍りて土となれ
 高地秀山より天降りませし
 御樋代神の出でましよ
 グロノス、ゴロスの醜神も
 公の光に怖ぢ恐れ
 雲を霞と逃げ去りぬ
 かかる尊きわが公の
 御行に障る広河を
 わが言霊の幸はひに
 陸地と為して進むべし
 いろはにほへとちりぬるを
 わかよたれそつねならむ
 うゐのおくやまけふこえて
 あさきゆめみしゑひもせす
 今日のよき日のよき時は
 この天地の開けしゆ
 例もあらぬ御光の
 朝香の比女の御行ぞや
 河よ引け引け陸となれ
 吾は神の子神の宮
 神とともなる神の子の
 生言霊に帰順はぬ
 山河草木もあらざらめ
 悟れよ悟れ言霊の
 生きの生命の功績を
 生きの生命の御光を』
 かく歌はせ給ふや、さしもに広き濁流漲る中野河も次第々々に水あせ始めける。
 朝香比女の神はこの有様を御覧して御歌詠ませ給ふ。

『初頭比古神の言霊幸はひて
  広河の水はあせ初めにけり

 わが伊行く道にさやれる広河を
  生言霊に陸と為さばや

 初頭比古の神の宣らせし言霊に
  中野の河は陸となるべし

 駿馬に翼生やせと今宣りし
  生言霊に光あらずも

 一度は翼を得れど二度の
  功績なきぞ駒の性なる

 わが駒は荒金の土をわたりゆく
  真言の貴の駒となりける

 御樋代の葦原比女の神司は
  吾迎へむと出で立たしける』

 起立比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『目路の限り吾眺むれど葦原比女の
  神の御姿見えず怪しも

 遠の野に春霞たちて吹く風も
  いと穏かに物のかげなし』

 朝香比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『汝が目にたしに見えねど葦原比女の
  神は御供を従へ来ませる

 時経れば此の河岸に葦原比女の
  神の御姿輝き給はむ

 さりながら中野の河の河水は
  いや次々に引きはじめけり

 河底を陸地ちとなして向つ岸に
  渡らむ時ゆ比女神来まさむ

 葦原比女貴の聖所は道遠み
  思はず知らず時移るべし

 駿馬の蹄急がせ給へども
  遠き広野はたどたどしもよ』

 立世比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『初頭比古神の宣らせる言霊に
  中野の河水あせにけらしな

 河水よ速に引けよ御樋代の
  光の神の御行なるぞや

 国土稚きこの浮島を照らさむと
  光の神は此処に立たせり

 醜神の水火よりなりし中野河は
  生言霊にかわかざらめや』

 天晴比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『次々に河水引きぬ河底の
  百津石村も姿現はしつ

 河底に数多棲まへる魚類の
  生きの生命を吾如何にせむ』

 朝香比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『河底に数多棲みてし魚類は
  上津瀬指して逃げ失せにけり

 上津瀬を辿りて広き清沼に
  総ての魚類逃げ入りにけり

 河底は真白く乾き果つるとも
  魚の命にかかはりもなし。

 一二三四五六七八九十
 百千万八千万の
 神の御水火を凝らしつつ
 安く渡らむこの河瀬
 ああ惟神々々
 生言霊に光あれ
 わが言霊に生命あれ』
 かく歌はせ給ふ折しも、河底は百雷の一時に轟く如き大音響とともに地底よりふくれ上り、少しの高低もなき平面地となり変りけるぞ不思議なれ。
 ここに、朝香比女の神の一行は、新しく生れたる河跡の陸地を駒並めて渡り給はむとする折しもあれ、萱草の野に見えつかくれつ、駒に乗りて現はれ給ふ神々おはしけり。この神々は、朝香比女の神一行を迎へ奉るべく鷹巣山の麓なる鷹巣の宮居を立ち出で、ここにやうやう着かせ給ひたる八十比女神の一柱なる葦原比女の神を先頭に真以比古の神、成山比古の神、栄春比女の神、八栄比女の神、霊生比古の神の三男三女の天津神に在しましける。
(昭和八・一二・二一 旧一一・五 於大阪分院蒼雲閣 林弥生録)
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