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文献名1霊界物語 第78巻 天祥地瑞 巳の巻
文献名2第3篇 葦原新国よみ(新仮名遣い)あしはらしんこく
文献名3第13章 春野の進行〔1969〕よみ(新仮名遣い)はるののしんこう
著者出口王仁三郎
概要
備考
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あらすじ
中野河より西の大高原は、朝香比女の神が放った真火の力によって黒こげとなり、晴れ晴れしくなっていた。

しかし中野河以東は草ぼうぼうの原野で、あちこちに大蛇や異様な動物が生息し、深夜になれば作物に害を与えたり、国津神の老人子供を傷つけたりと、まだ平安とはいえない状態であった。

葦原比女は、鷹巣の山の麓にある桜ケ丘という小山に瑞の御舎を造り、邪神の襲来を防ぐために丘の周囲に濠をめぐらし、付近一帯の国津神を守っていた。

だから、五千方里もの広大なこの島も、御樋代神の恵みに浴すことができるのは、わずか四、五方里にすぎなかったのである。御樋代神の権威の及ぶところは、全島のわずか千分の一ほどであった。

常盤の松が生い茂る森に一夜を明かした十二柱の神々一行は、夜が明けるとともに桜ケ丘の聖所さして進んでいった。

真以比古は馬上にこれまでの経緯を読み込んだ述懐の歌を歌った。そして、葦原の新しい国土をこれから開いて行く楽しみを歌いこんだ。

葦原比女の神は、朝香比女の神のいさおしによって、この国が豊葦原の国と開けて行くことを感謝する歌を歌った。そして、顕津男の神が天降りますまでに、この国を開こうと決意を歌った。

朝香比女の神は、勝手に島を焼き払ったことをわび、国津神が住んでいるのを見て、ここに御樋代神が居ることを知ったのだ、と歌った。そして、葦原比女に、国魂神を生むよき日を共に待とう、と歌いかけた。

従者神たち一同も、それぞれ馬上の日長の退屈さに述懐の歌を交わしつつ、日のたそがれるころ、ようやく桜ケ丘の聖所に着いた。迎える多数の国津神たちの敬礼を受け、新しく築かれた八尋殿に上り、月を誉め夜桜をたたえながら、短い春の一夜を過ごした。
主な人物 舞台 口述日1933(昭和8)年12月22日(旧11月6日) 口述場所大阪分院蒼雲閣 筆録者加藤明子 校正日 校正場所 初版発行日1934(昭和9)年5月5日 愛善世界社版 八幡書店版第14輯 86頁 修補版 校定版219頁 普及版 初版 ページ備考
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本文  中野河以西の大高原は、朝香比女の神が放ち給へる真火の力によりて黒焦となり、地上一片の枯葉も留めず、晴々しくなりけれども、中野河を劃して以東は草莽々の原野にして彼方此方に大蛇棲息し又は異様の動物潜伏して、深夜になれば総ての作物に害を与へ或は国津神の老幼を傷つけるなど、未だ全く平安の域に達せざりける。
 茲に御樋代の神とまします葦原比女の神は、鷹巣の山の麓なる桜ケ丘と言へる小山に瑞の御舎を造り給ひ、邪神の襲来を防ぐために丘の周囲に濠を繞らし、附近一帯の国津神を守り給ひつつありける。故に五千方里の広袤を有する此島ケ根も、御樋代神の恵に浴し其生を安んずる国津神及び諸々の生物は約四五方里に過ぎず。要するに御樋代神の権威の及ぶところは全島の千分の一位のものなり。
 常磐の松生ひ繁る野中の森に月を愛でながら、一夜を明し給ひたる女男十一柱の神及び国津神の長野槌彦の一行は、夜の明くると共に各自馬上にて遥か東方なる桜ケ丘の聖所を指して一目散に進む事となりけり。
 真以比古の神は真先に立ち、馬上ながら歌はせ給ふ。
『今日は如何なる吉き日ぞや
 紫微天界の真秀良場と
 其名も高き高地秀の
 宮居をはろばろ立ち出でし
 八柱神と現れませる
 朝香の比女の神司
 厳の雄心振り起し
 万里の山野を打ち渉り
 万里の海原横ぎりつ
 地まだ稚き葦原の
 これの島根に天降りまし
 世にも珍し燧石
 切り出でたまへばピカピカと
 四方に飛び散る火の光り
 忽ち荒野の草の根に
 パツと燃えつく折もあれ
 海原渡る潮風に
 吹きあふられて忽ちに
 荒野ケ原の叢を
 一潟千里に焼き尽し
 グロノス、ゴロスの曲津見は
 煙にまかれ火に焼かれ
 何とせむ術なきままに
 永久の棲処のグロス沼
 水底深く忍びけり
 朝香の比女は悠々と
 焼野ケ原を打ち渉り
 忍ケ丘に夕暮を
 着かせたまひつ一夜の
 露の宿りをなしたまひ
 明くるを待ちて四柱の
 神に曲津の征服を
 依さしたまへば四柱は
 勇み進んで出でたまひ
 さしもに深き沼底に
 潜める曲津に向はせて
 天津祝詞を奏上し
 生言霊を宣りつれば
 遉の曲津も辟易し
 苦しみながらも執拗に
 立ち退かむとはせざりしが
 忽ち聞ゆる唸り声
 ウウウーと天地も
 さけなむばかり鋭敏鳴出の
 神の功に曲津見は
 雲をば起し雨降らし
 竜蛇の正体現はして
 鷹巣の山の谷の間を
 目ざして霞と逃げさりぬ
 茲に四柱神々は
 忍ケ丘におはします
 朝香の比女の御前に
 一伍一什の物語
 宣らせたまへば比女神は
 其功績を嘉しまし
 野槌の彦と諸共に
 桜ケ丘の清庭に
 進みゆかむと密やかに
 経綸の糸を繰りたまふ
 道に当りし中野河の
 広き流れを言霊の
 光に陸地となしたまひ
 河の東に渡らむと
 思ほす折しも吾々は
 葦原比女神に従ひて
 謹み出迎奉り
 此島ケ根の曲津見を
 罰めたまひし鴻恩を
 心の限り感謝しつ
 はや黄昏に近づけば
 野中の森の松かげに
 月の一夜を明かしつつ
 思ひ思ひに語り合ひ
 歓ぎ楽しむ其状は
 天の岩戸の開けたる
 嬉しき楽しき思ひなり
 東の空は茜さし
 紫雲をわけて天津日は
 豊栄昇りたまひける
 百鳥千鳥のなく声は
 常世の春をうたひつつ
 処々に咲き香ふ
 白梅の花美はしく
 迦陵頻伽に送られて
 真鶴うたふ大野原を
 十一柱の神々は
 野槌の彦を従へて
 荒野ケ原を渉りつつ
 桜ケ丘の御舎を
 さして進むぞ勇ましき
 ああ惟神々々
 神の真言の御経綸
 吾等は謹み敬ひて
 朝な夕なを禊しつ
 生言霊の幸はひに
 豊葦原の新国土を
 開きゆくこそ楽しけれ
 桜ケ丘も近づきて
 吹き来る風も芳ばしく
 遠野の奥に燃え立てる
 陽炎豊に花の香を
 野辺一面に送るなり
 ああ惟神言霊の
 厳の御水火に光あれ
 わが言霊に生命あれ』
 葦原比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『天晴れ天晴れ光の神はあれましぬ
  葦原の雲吹き払ひつつ

 二十年を忍び忍びて守りてし
  この葦原の国土は生きたり

 朝香比女神の神言の功績に
  豊葦原と開けゆくなり

 葦原の中津神国は曲津見の
  朝夕荒ぶ醜処なりける

 醜国も豊葦原の安国と
  開け行くかも生言霊に

 顕津男の神の天降らす朝迄に
  開きおくべしこの葦原を

 朝香比女神の賜ひし燧石こそ
  葦原を開く光なりける

 此燧石二十年前に吾もたば
  この葦原は栄えしものを

 国津神数多あれども曲津見の
  醜の奸計に滅されける

 桜ケ丘宮の近くの国津神は
  纔に命保ちけるはも

 今日よりは国津神等大空の
  星のごとくに生み育つべし

 国津神よ御子を生め生め栄えよ栄え
  この葦原は今日より安けし

 四柱の神を率ゐて天降らしし
  八柱比女神を迎ふる今日かな』

 朝香比女の神は馬上豊に御歌詠ませ給ふ。

『葦原比女神の領有ぐこの島を
  吾恣に焼き払ひけり

 主なき島と思ひて曲津見を
  払ひ退ふと真火を放ちし

 進み来れば国津神等の住めるを見て
  葦原比女のおはすと悟りし

 顕津男の神の御許に侍らふと
  吾は旅行く道すがらにて

 由縁ある此島ケ根に立寄りて
  御樋代神に会ひにけらしな

 非時の香具の木の実ゆ生れませる
  葦原比女の神の清しさ

 主の神の永久にまします高宮ゆ
  天降りし公は八十比女の神

 国々に八十比女神を配りおきて
  国魂生ます主の神天晴れ

 御樋代の神は何れも主の神の
  水火に生れし神柱なる

 かくのごと尊き御樋代神をもて
  国魂生ますと瑞霊たまひぬ

 大家族国をつくると主の神は
  顕津男の神独りを依させり

 御樋代は主の神の御子国魂は
  瑞の御霊の御子なりにけり

 葦原比女神よ吉き日を待たせつつ
  瑞の御霊と国魂生みませ

 吾も亦顕津男の神の御許に
  進みて国魂生まむとぞ思ふ

 遥々と曲神の荒ぶ西方の
  国土に進まむ吾なやみつつ』

 初頭比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『初夏の野も春弥生の心地して
  大原の奥に陽炎立つも

 陽炎の燃え立つ野辺を駒並めて
  進むも楽し桜ケ丘へ

 ぼやぼやと吾面を吹く風のいきに
  吾目ねむたくなりにけらしな

 駿馬も歩みをゆるめて眠るごと
  大野の草を分けつつ進めり

 駒の背にゆるく揺られて知らず識らず
  ねむけ催す春野の旅なり』

 成山比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『久方の高地秀山ゆ天降りましし
  朝香の比女神迎ふる嬉しさ

 仰ぎ見れば鷹巣の山の頂は
  紫雲の衣をつけて迎ふる

 野路を吹くねむたき風の息づかひ
  聞きつつ進む駒の遅きも

 終夜眠りもやらず月舟の
  下びに遊びて睡気催す』

 栄春比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『葦原比女神の御供に仕へつつ
  朝香比女の神の出でまし迎へし

 仰ぎ見れば朝香の比女の御上に
  光らせたまへり鋭敏鳴出の神は

 鋭敏鳴出の神は御姿現はさず
  蔭にいそひて守らせたまへる

 吾公に守り神なし如何にして
  この葦原を拓きますらむ

 さりながら生言霊の天照らす
  国土にしあれば安く開けむ

 とつおひつ思案に暮れて二十年を
  功績もなく過ぎにけらしな』

 起立比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『狭野の島と万里の島ケ根造りをへし
  朝香の比女神ここに来ませり

 葦原比女神の神業を補ふと
  出でましにけむ朝香比女の神は

 朝香比女神に朝夕仕へつつ
  真言の光を悟り得ざるも

 奥底のわからぬ御稜威を保ちます
  朝香比女の神は御光なりけり』

 八栄比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『桜ケ丘の貴の宮居を立ち出でて
  朝香比女の神を野に迎へける

 朝香比女神の神言を仰ぎてゆ
  吾目眩しくなりにけらしな

 言霊の天照り渡す朝香比女の
  神は光にましましにけり

 初夏なれど葦原の国土は風寒く
  桜の花は真盛りなりけり

 白梅と桃と桜の一時に
  桜ケ丘の聖所に匂へり

 せめてもの旅を慰めまつるべく
  花咲きみつる聖所に導びかむ』

 立世比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『梅桜桃も一度に咲くと言ふ
  珍の景色を眺めまほしけれ

 吾公の御供に仕へて百花の
  薫る聖所に進む楽しさ

 もやもやと四方の山野に霞立ちて
  吹き来る風は花の香包めり

 草枕旅の宿りの楽しさは
  花の盛りの春にあふなり』

 天晴比女の神は御歌詠ませ給ふ。

『吾公は万里の荒野を渉りつつ
  国魂生まむと来りますかも

 国魂神あれますまでは御供に
  吾仕へむと従ひ来りし

 西方の国土は遥けしさりながら
  神の御稜威に進まむと思ふ

 葦原のこの浮島の風光を
  眺めて国土の栄を偲ぶも

 遠方の遠野の奥に輝ける
  眺めは雲かも山桜かも』

 霊生比古の神は御歌詠ませ給ふ。

『目路遠く雲か花かとまがふなる
  聖所に吾は導きゆかむ

 桜ケ丘の宮の聖所の美はしさを
  五柱神に見せたくぞ思ふ

 駿馬の脚を急げば黄昏に
  桜ケ丘に帰り得べけむ

 夕されど月の光のさやかなれば
  桜ケ丘にひたに進まむ』

 かく神々は馬上にて日長の退屈さに交々御歌詠ませつつ、其日の黄昏るる前、漸くにして桜ケ丘の聖所に着きたまひ、迎へまつる数多の国津神等の敬礼をうけ、新しく築かれし八尋殿に上りて、月を賞め夜桜を讃へながら、短き春の一夜を過させたまひける。
(昭和八・一二・二二 旧一一・六 於大阪分院蒼雲閣 加藤明子謹録)
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