艶男と燕子花は、夏の初めに、大井川の淵に新しい舟を浮かべて、半日清遊を試みた。
艶男と燕子花は歌を歌いあったが、艶男は最近、藤ケ丘にあやしい煙が立っているのを不審に思っており、誰か人がいるのではないか、と思いを語った。
燕子花は驚きの色を浮かべて、藤が丘の煙を見るたびになぜか魂がおののき、朝夕に雲霧が立つのは、藤ケ丘に竜神が住んでいるのではないか、と懸念を歌った。
艶男は妻が嫌がる丘には近づかないようにしよう、と誓い、みぎわ辺に舟をつないで館に帰って行った。
二人が夕飯をすませて話しにふける折しも、燕子花はにわかに産気づき、陣痛が激しくなったので、かねてから設けてあった産屋にはいって戸を固く閉じた。
山神彦・川神姫はこのことを知るととても喜び、直ちに神殿に詣でて祈りの言葉をささげ祀った。
山神彦・川神姫が艶男の居間に来てみると、息子は腕を組み、黙ったまま青ざめた顔をしていた。山神彦夫婦がわけを尋ねると、艶男は妻の容態が心配でもあり、また生まれてくる子がもしや竜神ではないかと思うと、心が苦しいのだ、とわけを打ち明けた。
川神姫は、神の恵みを信じて心配しないように息子に諭した。そうするうちに、子供が無事に生まれたという知らせが一同に届いた。山神彦は、産婦は姿を見られるのを嫌うので、七日七夜、産屋に近づかないように厳命し、ふたたび神殿に額づいて、燕子花の安産の感謝をささげ、川神姫とともに寝殿に入っていった。
艶男は、父の厳しい戒めにも関わらず、妻や子を一目見ようと、月の照る庭を忍び忍び産屋に近づき、戸の外からすかし見れば、燕子花は竜の体となって、玉の子を抱いて眠っていた。
艶男は肝をつぶし、あっと叫んで逃げていったが、燕子花を目を覚まし、この姿を夫に見られたかと思うと恥じらいのあまり、戸を押し開けてまっしぐらに大井ケ淵の底深く飛び込んでしまった。
生まれた御子は、竜彦と名づけられた。