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文献名1霊界物語 入蒙記 山河草木 特別篇
文献名2第1篇 日本より奉天までよみ(新仮名遣い)にっぽんよりほうてんまで
文献名3第4章 微燈の影よみ(新仮名遣い)びとうのかげ
著者出口王仁三郎
概要
備考
タグ データ凡例 データ最終更新日2017-12-11 18:50:44
あらすじ大正十三年新暦二月四日は、大本の年中行事の節分祭に相当した。中国暦でいうと、正月元日に当たる。そして本年は甲子に当たり、中国暦によると、十二万年に一度循環するという稀有の日柄であった。甲子は音が「更始」に通じている。二月五日の早朝より元朝祭を行い、各国各地より集まってきた役員信徒は、日出雄を囲んで夜のふけるまで神界の経綸談を聞いていた。やがて皆おいおい帰国の途につき、広い教主殿も洪水の引いた後のように閑寂の気が漂っていた。午後八時ごろ、教主殿の奥の間、ランプの光がかすかな一室に、日出雄は真澄別、隆光彦、唐国別の三人と共に海外宣伝の評議を行っていた。まず、真澄別が朝鮮普天教との提携や、北京行きの結果を総括した。朝鮮には唯夫別と共に普天教教主を訪ね、日出雄教主の来鮮と教主会談を要請された。唯夫別は普天教の役員各として残留することとなった。また隆光彦はシナの道院との連携と、中国各地での道院訪問の様子を述べた。日出雄は、現在は監察の身ながら一度シナ、朝鮮を旅行してその道の人々と語り合い、世界宗教統一の第一歩を踏み出してみたいと、意を現した。その際、真澄別、隆光彦両人の同道を乞うた。日出雄は唐国別からは、奉天の水也商会という武器屋を通じたシナ事情を聞いた。すると、河南督軍の軍事顧問を務めている岡崎鉄首という者が、張作霖とのつながりを利用して、蒙古の大荒野を開拓して日本の大植民地を作りたい、そのためには宗教で人心を収攬する策が一番だが、大本の日出雄聖師にその役をお願いできないか、と打診してきた話を語りだした。そして、盧占魁という馬賊の大巨頭が内外蒙古に勢力を保っているので、聖師と引き合わせたい、という計画を打ち明けた。
主な人物【セ】源日出雄、真澄別、唐国別(矢野祐太郎)【場】-【名】隆光彦、唐国別、唯夫別(金仁沢)、金勝玟、田炳徳、金正坤、車潤洪、大国常立尊、宋秉駿、侯延爽、銭能訓、江朝宗、王芝祥、袁華瀛、張作霖、趙倜、岡崎鉄首、犬飼先生、頭山先生、内田先生、末永節、大谷光瑞、盧占魁 舞台 口述日1925(大正14)年08月15日(旧06月26日) 口述場所 筆録者北村隆光 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年2月14日 愛善世界社版29頁 八幡書店版第14輯 558頁 修補版 校定版29頁 普及版 初版 ページ備考
OBC rmnm04
本文の文字数4683
本文のヒット件数全 1 件/国常立尊=1
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本文  大正十三年新二月四日は大本の年中行事の一なる節分祭に相当し、翌五日は旧暦甲子の正月元日に相当する吉辰である。然し中国暦に従へば二月四日が正月元日となつてゐる、この方が正当らしい。そして本年の甲子は中国暦によれば十二万年に只一度循環し来ると云ふ稀有の日柄であつた。二月五日即ち旧正月元日早朝より元朝祭を行ひ、天地四方を拝し、聖天子の仁徳を感謝するのを恒例としてゐる。そして甲子は即ち更始に国音相通じ、百度維れ新なる年だと云はれてゐる。この日各国各地より集まり来つた役員信徒は元朝祭を終へ、殆ど人に対し障壁のない日出雄の身辺を、夜の更くる迄取りかこんで神界の経綸談を聞いて居た。下つて正月五日信者も追々と帰国し、さしもに広き教主殿も洪水のひいた跡のやうに閑寂の気が漂うた。午後八時頃、教主殿の奥の間、ランプの光り幽かなる一室に金泰籃の机をとりまいて真澄別、隆光彦、唐国別の三人と共にヒソヒソと海外宣伝の評議をやつてゐた。明晃々たる三日月は四尾山の頂に沈んで、何処ともなく膚寒い風が裸木の立ち並んだ神苑を吹き渡つて居る。唐国別は且て海軍に奉仕し、その官は大佐であつた。日出雄は陶器の火鉢に手をあぶり乍ら、
『真澄別さん、朝鮮普天教の方や北京行の結果は、どうなりましたか聞かして貰ひたいものですな』
真澄別『ハイ、御命令を頂きまして唯夫別を伴ひ先ず朝鮮へ神の使節として往来せる金勝玟、田炳徳その他二三の普天教信徒に迎へられ、朝鮮鉄道に乗つて大田駅につき、ここにて普天教幹部金正坤氏と布教伝道の件につき懇々と談じ、金、田二氏の案内にて井邑なる同教本部に参着、教主車潤洪氏と徹夜快談致しましたが、車氏は、かねて聞き及びしに違はざる立派な神柱で、同教の動機や教理等は、その活動舞台を朝鮮においた迄で、全く大国常立尊様の御経綸に奉仕してゐる人ですから、その教理や事情に於ては今改めて御報告申上げる迄もなく、貴方は御存じの事と思ひます。ただ車氏は神界の御都合により因縁上の関係とでも申すものか、あつぱれ表面に立つて社会的に活動するは甲子の年と同教の神示に定められてあるさうですが、之と同時に日出雄先生にお目にかかり御意見を聞いた上でなくては、公然神業の完成に向つて進まれる訳には行かない事になつてゐるさうです。その筋の誤解や俗人の中傷等もあつて、朝鮮独立の陰謀団のやうに見做され、聖地の如く数多の警官に踏み込まれ、非常な迷惑を感じた経緯もあり、それ故車氏は時節の到来する迄多数の信者にでも顔を見せないやうに、山深く分け入り、世間にかくれて神界の経綸を進めつつあると云ふ状態でありますが、右の次第で兎に角当分の処、大本と云ひ普天と云ふのも、各その出現地に於ての称へであつて畢竟同一の神の教でありますから、相互間の諒解も十分に出来たので精神的、内分的に提携聯合して帰国しました。又北京では主として大学教授やその他の思想家達と交遊し、互に意見の交換をなし大本の教理を詳細に述べた所、彼等も非常に感服し、再会を約して一旦袂を別つて帰りました。五大教道院、悟善社その他の宗教団体は隆光彦さまが交渉の任に当つて居られるので、私は手をつけないで置きました。只将来の参考に資するために、北京の宮城や万寿山ラマ寺等を興味を以て調べて参りましたが、実に立派なものでありました。又唯夫別は車教主と相談の上普天教の役員格として姓名を金仁沢と改めて残留させる事と致し、当分金氏指導のもとに朝鮮語を修得し、交換的にエスペラントを教ふる事に取計つておきました。申しおくれましたが、普天教々主の方から日本の方へ伺ひますのが神様の経綸から云つても本意ですけれども、当分は前陳の通りの事情でございますから、恐入りますが日出雄先生に何とか御都合をつけて、一度お越しを願はれますやう、頼んでは下さいませぬか。さうせなくては表立つて活動するを許されませぬですからと云つて、鶴首して待つてゐます』
日出雄『自分も一度侍天教の教主宋秉駿伯と大正六年の夏提携して以来、会ふてゐないから機会を得たら一度会ふて今後の宗教的活動方法につき懇々と相談して見たいと、かねて思つてゐた矢先、朝鮮普天教と提携の出来たのを幸ひ、万障を繰合して渡鮮して見たいと思つてゐるが、何分御承知の通りの身の上だからその機を得ず今までグヅグヅしてゐたのだ。乍然人間には一日も暇と云ふ事がないものだから、思ひきつて渡鮮しようかとも考へてゐる。支那の五大教との提携が完成した暁だから、済南母院の参拝をかね悟善社へも行つて見たいと考へてゐる。幸ひ隆光彦さんが帰つて来たから同教の内情も聞いた上、断行してもいい』
隆光彦『節分祭をあてに倉皇として支那から帰つて以来、節分祭のため各地信徒の来訪で寸暇を得ず復命をおくれてゐました。昨冬十一月参綾した五大教の代表者侯延爽氏と一緒に支那に渡り、先づ北京道院を訪ねました。道院のすぐ近くのガーデンホテルで盛大な歓迎会を開いて呉れ、その席で侯氏は大本と開祖様の事から、相共に思想善導の大道に相握手するに至つた経緯を語り、私も亦大本の歴史から聖師様の事を語り、日支親善や共存共栄の根本義は精神的に両国民の結合を見なければならぬと答辞をかねて述べておきました。道院は御存じの通り仏教、儒教、道教、基督教、回回教の五大教の統一親和を図るもので、その宗旨の教義は我大本と全然相似たものでありますから、要するに同じ主の神様の御経綸になつたものと考へます。前国務総理たりし銭能訓氏や陸軍元帥、国務総理代理江朝宗氏、王芝祥氏等の高官を始め、各方面人士の歓迎を受け、又悟善総社の幹部や万教大同会の袁華瀛氏とも会見した処、何れも皆是非一度聖師様に渡支を願はれますまいか、幸にお越を願ふ事を得れば道院は勿論悟善社の建物を提供し度いからと云つて、やみませぬでした。どうか綾部の御都合さへつきますれば、一度お越しになれば、嘸、皆が満足される事と存じます。お待ちしてゐるのは五大教計りぢやありませぬ。済南、南京、上海と私の通過した処どこも聖師の名を聞いて御渡支を渇望して居ります。私は主として北京と済南本部に滞在し、支那五大霊山の一たる泰山に登り、曲阜の孔子廟に詣でて帰国致しました。北京道院の乩示によりますれば来る旧二月朔日に神戸市外六甲村で開院式を開く事になつてゐますから、その前に聖師様のお供をして再び支那へ行き度いと思つてゐます』
日出雄『それは非常に好都合だつた。支那、朝鮮を、それでは一度旅行してその道の主なる人々と世界平和のため、人類愛のため、深き御神慮のある処を語り合ひ、世界宗教統一の第一歩を踏み出すことにしよう、その時は是非真澄別、隆光彦両氏も同道して欲しいものだ』
真澄別『普天教の話もあり、又私も一度道院の幹部連と熟議を凝らして見たいから是非同行を願ひませう』
日出雄『これで教主輔に法学士、支那語学者と三拍子揃つた、鬼に鉄棒だ。あゝ前途の光明は確に輝いてゐる。時に唐国別さん、奉天に水也商会と云ふ軍器店を出してゐられるさうですが、支那の事情は余程詳しいでせうな』
唐国別『海軍を退職してから何でも支那大陸で一儲をしようと思ひ、先づ上海に商館を開いて見た処、いろいろの事情があつて百万円の金を儲け損ひ、間もなく上海の商店を閉鎖し、張作霖の眤懇者と称する者よりすすめられ、張作霖の軍隊に武器を供給するため奉天平安通りに水也商会を開設する事になりました。然し之も、どうやら自分の技術を盗まれる位が落かも知れませぬ。ついては聖師がいよいよ渡支されるとなれば一つここに面白い事業が横たはつてゐますが、一応聞いて下さいますまいか、今晩伺つたのはこの件につき御意見を承り度いと思つたからです』
日出雄『臍の緒きつて初めての海外旅行であり、奉天市街も日本人が行つてから非常に開けたやうに聞いても居るし、同地の支部へも立寄つて見たいとも思つてゐる。丁度よい都合だ。そして貴下の話と云ふのは、どう云ふことですか』
唐国別『私は此大晦日の夜に聖師に書いて頂いた、

 日地月合せて作る串団子星の胡麻かけ喰ふ王仁口

と云ふ半折の書を表装して商会の床の間にかけておいた所、河南督軍趙倜の軍事顧問をつとめてゐた岡崎鉄首と云ふ日本人がやつて来て、その掛物に目をつけ、大変に喜び、こんな大きな事を書く人はよほど変つてゐる。この歌が大変気に入つた。今私は張作霖の内意で裕東印刷所を開設しその技師長となつて勤めてゐるが、印刷所の開設された動機は、実に注意深い酢にも蒟蒻にも行かない張作霖の大秘密に属するもので、やがて雪解けともなれば奉直戦が再び起る形勢だから、その時に必要なる軍票を三千万円ばかり印刷するためです。然し吾々は奉直戦などは如何でもいいです。日本の国威が上り満蒙に流浪してゐる不逞鮮人を安気に生活させてやりさへすればいいのです。犬養先生や頭山先生、内田先生、末永節その他の名士連と謀り肇国会と云ふ高麗国の建設を図り、末永は東京方面での事務をとり、私は満州に渡つて内密にその準備をやつてゐるのです。此際蒙古の大広野を開拓し日本の大植民地を作つたら国家の為になるだらうと思ひます。こんな大事業は吾々凡夫が何程よつても到底着手することも出来ない。そして最も人心を収攪するものは宗教より外ないと考へ、内地の既成宗教家の頭を説いたが、何奴も此奴も口先ばかりで実行する勇気のない糞坊主や偽キリストばかりだ。大谷光瑞でも内地では豪僧のやうに云はれてゐるが、南洋へ行つては失敗し、印度からは追払はれ、本願寺を追出され、船を作つて天津と上海の間を往復してゐるが、それも在留日本人の一部に信用を保つて居る丈で、評判程の事もない憐れ至極の状態です。どうです唐国別さま、貴下は大本信徒の一人でもあり幹部の方でもあるやうですから、私の意図を日出雄聖師に会つて相談しては呉れませぬか等と、いろいろの面白い計画を話しました。さて聖師様、兎も角も今度渡支されたら水也商会に立寄つて鉄首に会つて貰へますまいか』
日出雄『ヤア兎も角も鉄首は面白い事を云ふ男だ。自分も実は紅卍字会へ行くとはホンのつけたりだ。広袤千里に連なる蒙古の大原野に一大王国を建設し度いと思つてゐるのだ。乍然表面は紅卍字会、普天教行としておかう』
唐国別『鉄首も今のお言葉を聞いたら喜ぶでせう。蒙古の大原野に新王国を建設するについては、今から十年以前に七万の精兵をつれて内外蒙古に進出し、庫倫をついて一時驍名を馳せた盧占魁と云ふ大英雄が一度聖師に会見し、意見が合ふたら天下のために大活動をやつて貰ひ度いものだと渇望してゐます。大神の御経綸の一端を実行するには実に絶好の機会と思ひますが、聖師のお考へは如何でせうかな』
日出雄『盧占魁は蒙古の英雄、馬賊の大巨頭と云ふ事は世間周知の事実だ。乍然大本の教主輔、しかも無抵抗主義を標榜して万有愛の実行を天下に示さむとする自分としては、馬賊の大巨頭と提携するのは考へ物だと思ふ。小胆なる大本信者の誤解を受け、教団の破壊者と睨まれるかも知れない。なるべくはそんな危険な方法を採らずに精神方面のみでやつて見ようと思ふ。第一馬賊と云ふ名が大変面白くない感じを与へるぢやないか』
(大正一四・八・一五 北村隆光筆録)
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【霊界物語誕生百周年】
大正10年(1921年)10月18日に王仁三郎が霊界物語の著述を開始してから
令和3年(2021年)10月18日で百年目を迎えます。
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