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文献名1霊界物語 入蒙記 山河草木 特別篇
文献名2第1篇 日本より奉天までよみ(新仮名遣い)にっぽんよりほうてんまで
文献名3第7章 奉天の夕よみ(新仮名遣い)ほうてんのゆうべ
著者出口王仁三郎
概要
備考2024/1/1出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。
タグ データ凡例 データ最終更新日2024-01-05 16:05:54
あらすじ
日出雄は真澄別とただ二人、二月十三日午前三時二十八分の綾部発列車の車上の人となった。見送りは湯浅研三、奥村某のただ二人のみであった。

亀岡で名田彦、守高の両人が合流し、四人連れとなって京都に着いた。ここで唐国別と合流し、西行き列車に乗り込んだ。

十三日午後八時、関釜連絡線に登場した。十四日の午前八時、釜山に上陸し、十時発の朝鮮鉄道にて奉天に向かった。

二月十五日午後六時三十分、奉天平安通りの水也商会に入った。そこでは先発していた隆光彦をはじめ、萩原敏明、岡崎鉄首、佐々木弥市、大倉伍一ら水也商会の店員が迎え出た。

岡崎鉄首はとうとうと、中国を押さえるためには蒙古に進出する以外にない、と自説を開陳した。そして、何とか日出雄を盧占魁に同道させて蒙古に展開させようとした。

日出雄は蒙古入りの意思を一同に明らかにし、盧占魁との面会に同意した。その夜の八時半に二台の自動車を連ねて奉天郊外の盧占魁公館へ乗りつけた。
主な人物【セ】源日出雄、岡崎鉄首、隆光彦(北村隆光)【場】真澄別、湯浅研三、奥村某、名田彦、守高、米倉嘉兵衛、米倉範治、唐国別、唐国別夫人、本荘少将、萩原敏明、佐々木弥市、大倉伍一、揚萃廷、【名】聖徳太子、犬飼先生(犬養毅)、頭山先生(頭山満)、内田先生(内田良平)、末永節、侯延爽、盧占魁、伊藤博文、マホメット 舞台 口述日1925(大正14)年08月15日(旧06月26日) 口述場所 筆録者 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年2月14日 愛善世界社版57頁 八幡書店版第14輯 569頁 修補版 校定版58頁 普及版 初版 ページ備考
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本文  東魚来つて西海を呑む。日西天に没すること三百七十余日、西鳥来りて東魚を喰む。
 右の言葉は、聖徳太子の当初百王治天の安危を鑒考されて我が日本一洲の未来記を書きおかれたのだと称せられ、我国古来聖哲が千古の疑問として此解決に苦みて居たのである。日出雄は右の言葉に対し我国家の前途に横たはれる或物を認めて、之が対応策を講ぜねばならぬことを深く慮つた。
 彼は真澄別と唯二人、二月十三日の午前三時二十八分聖地発列車上の人となつた。駅に見送るものは湯浅研三、奥村某の二人のみであつた。いつも彼が旅行には大本の役員信徒数十人或は数百人の送り迎へのあるのを常として居た。然るに此日は唯二人の信徒に送られて行つた事は、此計画の暫時他に漏れむ事を躊躇したからであらう。列車は容赦なく亀岡駅に着いた。前日から亀岡の大道場瑞祥閣に出張し諸般の準備を調へて居た名田彦、守高の両氏は、此処に搭乗して同行四人相携へて京都駅に着いた。而して米倉嘉兵衛、米倉範治が列車に乗込んで居た。京都駅に着いて朝飯を喫し、吹雪に曝されて一時間余り西行列車を待つた。茲には唐国別夫妻が先着して居た。各望遠鏡を一個宛携帯し、手荷物を大トランクに納め、茲に一行五人は唐国別夫人や、米倉嘉兵衛、範治に袂を分ち、汽笛の声も勇ましく西下する事となつた。
 十三日午後八時関釜連絡船昌慶丸に搭乗した。天地の神明はこの一行の壮図を擁護するものの如く、関釜間の航海は極めて平穏であつた。翌十四日午前八時釜山港に無事上陸し、十時発朝鮮鉄道の一等室に納まりかへつて奉天に向ふ事となつた。車中には本荘少将及び日出雄、真澄別、唐国別の三人であつた。而して名田彦、守高の両人は二等室の客となつた。二月十五日安東県の税関も無事通過して、午後六時三十分奉天平安通りの水也商会に入る事を得た。彼が車中に於ける和歌の一二首を紹介する。

 蓬来の島をやうやく立出でて見なれぬ国の旅をなすかな

 水也商会に到着すると、先着の隆光彦、萩原敏明及び数名の店員が停車場に出迎へた。待設けて居た満州浪人の岡崎鉄首や佐々木弥市、大倉伍一の三名と、揚萃廷と云ふ人が訪ねて来た。三人は日出雄に対し、先づ初対面の挨拶を了はり、十年の知己の如き打ち解けた態度にて、満蒙の現状や、肇国会の主意や蒙古事情などを滔々と弁じ立てたのである。
岡崎『私は日露戦争に従軍したきり支那に留まつて、第一革命から引続き東亜の為に、革命事業にのみ熱中して居る者です。併し支那人は個人としては生活して行くだけの力は持つて居るが、国家とか国体とかとして生存する資質が具はつて居りませぬ。それ故に幾度革命を行つても、骨折損の疲労儲けとなつて了ひ、実効を収むる事が出来ないのであります。支那と云ふ国は頭から日本を馬鹿にして居る、さうして自分に利益のある事業と見れば喉を鳴らして飛びつくが、其利益と相反する場合は義理も人情も捨てて直ぐ離れ去つて了ひます。併しながら日本と支那は唇歯輔車の関係があり、何うしても互に手を携へて国運の発展を図らねばならないのです。日本の為政者の中では日支親善とか、共存共栄とか種々の支那の御機嫌取りの文句を並べて居るものがありますが、支那人は却つて此言葉に対し嫌忌の情を抱き且つ侮辱するやうな傾向を持つて居ります。何うしても支那人の目を醒まし、日本と相提携して行かねばならぬと云ふ理由を徹底的に悟らしむるには、普通の計画では駄目です。東三省の張作霖だつて、直隷の呉佩孚だつて、表に親日派を標榜して居るが、其内心は決して然うではない、政治上の便宜の為に或時機迄親日を装うて居るのです。現に張作霖の顧問となつて居る日本人も沢山ありますが、肝腎の相談事は日本人以外の顧問と密議し、義理一遍の報告を日本の顧問にする位のものであります。是を見ても癪に触るのは支那の日本に対する遣り方であります。
 それだから支那人を心底より我帝国に倚らしむるには、彼の最も難治として居る蒙古に於て一大新王国を建設し日本の威力を現はしてからでなくては、何時までかかつても支那は日本に信頼しないだらうと思ひます。
 それ故自分等は犬養先生や、頭山先生、内田先生、末永節等の国士と計つて、肇国会なるものを創立し、肇国会の徽章を二十万個許り朝鮮、満州、西比利亜方面にバラ撒いて大に画策して居るのです。大体日本政府殊に外務省の腰が弱いものだから到底吾々の計画は成功しない。そこで何うしても東亜の聯盟を計るには蒙古に根拠を置かねばならぬ。蒙古は最も古い国で喇嘛教の盛んな土地です。而して蒙古人は支那人や露西亜人を非常に嫌つて居る。彼等は日本人と何うかして完全な提携をなし、殆んど亡国に瀕せる蒙古を再興せむと焦慮して居るのです。吾々満州浪人の生命とする所は蒙古の大平野に新王国を建設するにあるのです。慓悍なる蒙古人を心服させるには何うしても宗教で無くては駄目です。何うか先生済南行きも結構でせうが、それは後に廻して兎も角蒙古の一部なりとも探検して貰ふ訳には行きますまいか。決して之は一個人の為めではない、我同胞一般の安全の為め、東亜の民衆の為めですから』
日出雄『お説を承はつて私は益々入蒙の決心が固まつたやうです。併し乍ら五大教道院紅卍字会や、悟善社から迎ひに来て居ますので、隆光彦さんに一歩先へ行つて貰ひ、準備の整つた上先づ北京済南に出張したいのです。而して何うしても神戸道院の開院式には帰らなくてはなりません。僅か半月斗りの間に蒙古にも行き、北京、済南にも行くと云ふ事は到底出来ますまい。今回は蒙古のお話を聞いただけに止めておいて、最初の目的たる北京、済南に旅行したいと思ひます』
隆光彦『先生是非北京済南の方から片附けて貰ひたいものです。侯延爽に先生のお出になる事を、前以て発電しておきました、此処で貴方を取り逃がし蒙古にやつては紅卍字会の諸氏に対し私の顔が立ちませぬから、蒙古は後に廻して貰ひたいものです。道院の開院式には先生が帰つて居られねば遠近の信者が非常に力を落しますから』
日出雄『それもさうだな。乩示によつて神戸道院の責任統掌に任ぜられて居るのだから、此方を後にする事は出来ないだらう』
岡崎『それもさうでせうが、北村さまは副統掌ぢやありませぬか、統掌に差支のあつた時事務を代弁するための副統掌でせう。国家の一大事には代へられますまい。まげて蒙古入を願ひたいのです。そして蒙古の英雄、馬賊の大頭目たる盧占魁が、もう既に既に先生のお出を待つて居ますから、是非共今晩の中に面会して頂きたいものです。此処に居られる揚萃廷氏は旧は某県の知事を勤めて居た人で、今は某新聞記者です。此人が盧占魁の代理として見えたのですから、盧氏の心も酌み取つて抂げて入蒙して頂きたいものです』
日出雄『盧は蒙古の英雄だと云ふ事は予ねて聞いて居ますが、満蒙に於ける盧の勢力は何んなものでせうか』
岡崎『盧の位置は日本人で云へば伊藤博文の様な名望家です。そして蒙古の王族や、住民や、馬賊などは盧占魁を救世主の如く尊敬して居ます。子供が泣いた時、盧が来ると云へば子供が泣きやむと云ふ如き勢力で、沢山の部下を有し、其部下は盧の為めには一つよりない命を捨てても構はないと云ふ位ですから、彼をお使ひになつて、マホメツト式に蒙古に大本王国を建設し、帝国の新植民地を拓く事に努力せられたならば屹度成功するでせう。肇国会に於ても此事業に付いては全力を傾注して居ますが、何分中堅となつて蒙古に進出する人物が無いので困つて居るのです』
日出雄『私は単なる宗教家であつて政治に疎く、且つ軍隊に関する智識はゼロですから駄目だらうと思ひます』
岡崎『先生そんな御心配はいりますまい。何と云つても数万の部下を有する蒙古の英雄を従がへて行くのですから、屹度目的は成就するでせう。先づ大庫倫を根拠とし新彊を手に入れ赤軍を言向け和はすには、盧占魁位適当な人物はありますまい。ナア佐々木、大倉さうぢやないか』
と二人の満州浪人を顧みた。
 佐々木、大倉の両人は、
『成程君の云ふ通りだ。是非共先生と盧占魁との提携を願ひたいものだ。世間の奴は吾々が先生と共に行動するのを見て満州浪人が又日本の宗教家を喰物にしよると云ふ連中があるかも知れないが、吾々は決して左様な人物ではありませぬ。其処等にゴロついて居る満州ゴロとは些し違つた考へを持つて居ます。何うか岡崎の説に賛成して貰へますまいか』
 日出雄は暫く考へた後、面を輝かし乍ら、
『実は私も日本の官憲や有識階級及び日本人の大多数から、大本事件の突発によつて大なる誤解を受け且つ圧迫を加へられて居るのです。夫れ故是非共私は此際一つ国家の為めになる大事業を完成して、日頃主張せる愛神、勤王、報国の至誠を天下に発表し、今迄の疑惑を解くべき必要に迫られて居ります。現代の内憂外患交々到り、国難来の声喧びすしき我皇国の為め、東亜の平和的聯盟を実現する為め、神様の御経綸を遂行せなくてはならないのです。今の時に当つて帝国の為め、一身一家を賭して大経綸を行はねば、我国家の前途は実に憂ふべき運命に見舞はれはしないかと憂慮して居るのです。兎に角其盧占魁の宅に参り同氏の意見を聞いた上で決定する事に致しませう』
 一行は同夜八時半二台の自動車を連ねて奉天城小南辺門外、盧の公館へと馳せつけた。
(大正一四、八、一五、筆録)
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