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文献名1霊界物語 入蒙記 山河草木 特別篇
文献名2第2篇 奉天より洮南へよみ(新仮名遣い)ほうてんよりとうなんへ
文献名3第12章 焦頭爛額よみ(新仮名遣い)しょうとうらんがく
著者出口王仁三郎
概要
備考2024/1/11出口王仁三郎全集第6巻を底本として校正。
タグ データ凡例 データ最終更新日2024-01-12 20:48:29
あらすじ
昌図府で役人からいらぬ詮索を受けたため、日出雄と岡崎は、先に大四家子まで進んだ。

その間に奉天から、故障した自動車の修理部品が届いたので修理にかかっていたが、破損がはなはだしいために、時間がかかっていた。

ちょうど自動車の修理を終わったところへ、日本領事館員が官憲をつれて、宿に臨検に来たところであったので、残りの者は急いで荷物を積み込むと、逃げるように大四家子まで自動車を駆って来た。

大四家子で王昌紳氏宅に一泊して饗応を受けた。次の日には一行はまた自動車で茫漠たる大平原を疾走した。

途中、支那兵の一隊にであったり、またもや自動車が故障して修理にかかったりなどして道を進んでいった。道なき道を行く道中は苦労の連続で、車の動揺のたびに頭を打ち、尻を打ち、後の車が前の車に衝突したりした。守高は車体のガラスが破壊して破片を浴び、眼のあたりを負傷した。

ようやく旧四平街に到着したのは、午後三時半ごろであった。自動車は再び大破損し、もはや動くことができなくなったので、やむを得ず荷馬車二台を雇った。

新四平街の貿易商・奥村幹造氏宅に到着したのは午後五時三十分ごろであった。一行はここで久しぶりに日本食を供せられ、日本風呂を振舞われた。この後は四平街駅から列車で鄭家屯に向かうことに決まった。

列車は途中で何度も故障し、修理に何時間も費やしながらゆっくりと進んでいった。その間に、奉天から列車で出発していた真澄別一行は、三月六日の午前零時二十分ごろに洮南駅に到着していた。
主な人物【セ】源日出雄、岡崎鉄首、支那の商人、守高【場】王樹棠、王昌紳、日本領事館員、奥村幹造、平馬慎太郎、山本熊之、王元祺【名】真澄別 舞台 口述日1925(大正14)年08月 口述場所 筆録者 校正日 校正場所 初版発行日1925(大正14)年2月14日 愛善世界社版105頁 八幡書店版第14輯 586頁 修補版 校定版106頁 普及版 初版 ページ備考
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本文  翌五日の午前三時頃奉天から機械を持つて帰つて来たので、直様自動車の修繕に着手した。何分破損が甚だしいので容易に修繕が出来なかつた。日出雄と岡崎とは七時半一台の自動車を王樹棠に操縦させ乍ら、二十支里の地点なる昌図の北、大四家子の王昌紳の宅に安着し、自動車を門内深く入れおき、守高等の自動車を一時間許り待つてゐた。あまり遅いので自動車の荷物を全部下し、王樹棠は一名の運転手をつれて再び昌図三号の木賃ホテルに引返した。恰度大破損した自動車の修繕を全く終り、荷物を積み込んだ所へ日本領事館員が警官を二三名引連れて臨検に来た。そして王樹棠の自動車と共に三号店の門へ這入つた。日本官吏は直ちに三号店内に進み入り、調査して居る間に、王樹棠は全速力を出して自動車を駆け出し、日出雄が待つてゐる大四家子の館を指して驀地に二台ともやつて来た。
 王昌紳の宅は十数人の大家族で何処となく気品の高い風貌をしてゐた。此処の家族は日本の救世主来れりと云つて、大いに歓待し、高粱や支那米のお粥や鶏卵等を煮て饗応した。一同は互に無事を喜び当家に別れを告げ、茫漠たる大荒原を十支里許り疾走すると二百名許りの支那兵の一隊に出会した。王樹棠は一切構はず兵隊の列を目あてに、一目散に駆り行く。殆んど三十分許り駆け出した時に、又もや機械の損傷を来し、一時間許り時間を費して修繕に取掛つた。
 丘陵や畑や川の区別なく、西北の空を目あてに難路を進み行く豪胆不敵の行動に、旅行く人馬が驚いて右往左往に逃げ廻る。大車を曳いてゐる馬の群は驚いて溝の中に顛倒する。其中に次から次へ来る牛車や馬車が折重なつて顛倒する有様は、実に可笑しくもあれば気の毒でもある。車の動揺につれて日出雄等は幾度となく頭を打ち臀を打ち、時々後の自動車が、前の自動車に衝突したり、車体のガラスが破壊して守高は破片の雨を全面に浴び、眼辺に負傷し、ダラダラと血を流してゐる。かくして漸く旧四平街に安着したのは午後三時半頃であつた。自動車が再び大破損を為し、最早や動く事が出来ぬので、止むを得ず荷馬車二台を雇ひ寒風に曝され乍ら新四平街の貿易商奥村幹造氏の宅に安着したのは午後五時三十分頃であつた。
 此処の宅で日出雄等は久し振りで日本食を饗せられ、鶏肉の鍋を囲んで舌鼓を打つた。途中開原で朝飯を食つたきり今日まで日出雄一行も車掌四人も昼夜の区別なく、碌に飯も食はなかつたが元気は益々旺盛であつた。当夜は奥村方に一泊し洮南府の日本居留民会長平馬慎太郎氏の案内で、四平街駅から鄭家屯に向ふ事と決つた。当家にて久々にて日本風呂に入浴し、汗や垢を落し翌早朝四平街より列車の客となつた。此日は非常に陽気暖かく支那服の上着を一枚二枚と次々に脱ぎ、窓を開けて茫々たる大原野の風に当りつつ進んで行く。午後六時五十分鄭家屯駅下車、山本熊之氏方に一泊する事となつた。岡崎、平馬、守高、王元祺の四人は、日本の東屋と云ふ料理店に於て牛飲馬食会を開き大変なメートルを上げ、お多福仲居や、豚芸者が盃盤の間を斡旋し、大いに豪傑振りを発揮したが、翌早朝日出雄が泊つて居る山本方に入り来り直ちに停車場へと駆けつけた。正に午前六時三十分である。
 臥虎屯駅の西北の方に土饅頭形の宝裏山が、大原野の寂寞を破つて端然として立つて居る。饅頭を伏せた様な山で蒙古七山の一なりと云ふ事である。此洮南鉄道は去る一月初めて試運転を行ひ漸く鉄路が固まつた所で、殊にその汽車は満鉄の古物許りで途中機関に損傷を来たし、茂林駅の手前で七時間許りも立往生をした。岡崎は支那の将校四人を相手に談論風発盛んにメートルを挙げ、三蔵法師について行つた猪八戒式を発揮し、日出雄を煙に巻いた。蒙古名物の黄塵万丈も岡崎の鼻息には跣足で逃げ出しさうであつた。
 汽車の途中停車を怪しんで、附近の村落より蒙古人の老若男女が数十人許り物珍らしさうに集まつて来た。そして呑気さうに長い煙管で煙草をパクついて居た。之を見ても日本の神代は斯くの如く呑気であつたらう等と、歴史を遡つて日出雄は冥想に耽つた。日出雄は車中に於て数十首の和歌を詠じた。その内の一部を左に録する。

 際しなき大野ケ原を進み行く我魂の勇みけるかな
 天も地も一つになりて国津神広野の蓆敷きて我待つ
 漸くに安宅の関をくぐり抜け今は蒙古の広野を走る
 早や已に蒙古の国を握りたる如き心地し意気天を衝く
 風清く日はうららかに枯野原春めき立ちて陽炎燃ゆる
 事ならば我同胞を招き寄せ新楽園に救ひ助けむ
 五五と云ふ日数重ねて漸くに宝の国に入りし我かな
 際限も知らぬ原野の真中に蒙古の人家チラチラ見ゆる
 一点の曇りさへなき大空は地平線上に下りて見ゆる
 木も草も見る事を得ぬ蒙古人は空の月星花と見るらむ
 積む雪の凍れる上を日の照りて大野ケ原も大海と見ゆ
 海の潮光ると許り疑はる大野ケ原の雪に日は照り

 際限もなき大荒原の中に土室の如き人家がポツリポツリと建並び、車窓より眺れば陸の大洋に舟の浮んだ様である。遠く眼を放てば楊柳の立木が大原野の単調を破つて、コンモリと黒ずんだ森をなしてゐる。大平川駅にて又もや汽車は停車し、給水やなんかでゴテゴテと約一時間余を費した。岡崎は、
『エー、此ボロ汽車奴、まるで蛞蝓の江戸行見たやうだ』
と口角に泡を飛ばして怒り出した。日出雄は笑ひ乍ら、
『岡崎さん、汽車が動かなけりや仕方がないから気を利かして徒歩と出掛け、次の駅で汽車を待つて乗り換へたら、それ丈け早く洮南駅に着くだらう。アハヽヽヽ』
と馬鹿口をたたく、支那の商人が岡崎を見て、
『貴下は何処まで行かるるか、何の用があつて旅行されるのか』
と不思議さうに問ふ。
岡崎『馬鹿を云ふな、用のない者が汽車に乗つて旅をするか、余計な世話を焼くと張りとばすぞ、貴様のやうな俺は商人ではないぞ、金箔付の東三省の高等官だ』
とエライ馬力で叱り飛ばす。
『日本人は支那人に対し、凡てがこんな調子だから何程日支親善を叫んでも駄目だなア』
と日出雄は独語した。
 洮南着の時間は午後四時二十分である。然るに汽車はまだ大平川駅に焦げついてゐる。
『真澄別一行は寒い停車場に自分等を阿呆待ちしてゐるだらう。僕は洮南着で初めて三日月を見る積りだから一寸まじないをして汽車を止めてゐるのだ、アハヽヽヽ』
と阿呆口を云つてゐるのは守高であつた。
 通訳の王元祺は何処ともなく元気がない。青白い顔して横になり、鼻を掻き撫でてはウンウンと大声に唸り、暫くしては又キヨロリと目を開け、窓外を不足相な顔をして眺めてゐる。持病の睾丸炎が再発したからであつた。

 太陽は地平線上に近づけどまだ洮南は遥かなりけり
 ぐづ汽車に乗りて荒原馳せ行けば欠伸の玉の連発となる

     車上の懐古
 汽車破壊昌図街  危険刻々迫我隊
 巡警兵士日警官  窺間一行急遁晦
 因に真澄別一行は、三月三日午後十一時十分奉天駅発長春行列車に搭乗し、四日午前五時半四平街着、植半旅館にて朝餐を喫し、同日午前八時半四平街発正午前鄭家屯着、ホテルに投宿した。そして三月五日午前六時半発列車にて洮南に向つた。中途三林駅を発し間もなく、機関車に故障を起し列車は荒野の真中に立往生した。係員は東奔西走して遂に鄭家屯より救援機関車を引張つて来て漸く進行し始めた。時に午後四時、沿道の馬賊の襲来に対する警戒物々しき中を列車は遅々として運転し、夜十二時を過ぐる二十分洮南駅に到着した。一行は洮南旅館のボーイに迎へられ支那馬車二台に分乗し、銃剣をつけたる兵隊に護られつつ特に開かれたる城門を潜つて洮南旅館に投じた。
(大正一四、八、筆録)
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