番号 | 文献名1 | 文献名2 | 文献名3 | 著者 | 発表年 | 詳細 | 本文内のヒット件数 | プレビュー(最大 8 件まで表示) | 番号 |
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2001 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第2章 >4 広前の成立 | 外国行き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2002 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第2章 >4 広前の成立 | 広前のはじまり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/大本=2 | ...た。 このなかで四方平蔵は、当時三四才、大本草創当時の中心人物であった。こののち七五......った。こののち七五才の生涯をおわるまで、大本の神業に終始奉仕した人である。四方平蔵は... | 2002 |
2003 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第2章 >4 広前の成立 | 広前の移転 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2004 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 | 第三章 聖師のおいたち | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2005 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >1 幼少のころ | 1 幼少のころ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2006 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >1 幼少のころ | 出生 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/大本=1 | ...声をあげた初産の男の子喜三郎こそ、後年の大本聖師出口王仁三郎である。 喜三郎の生家上... | 2006 |
2007 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >1 幼少のころ | 幼年期 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2008 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >2 小学校の生活 | 2 小学校の生活 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2009 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >2 小学校の生活 | 偕行小学校 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2010 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >2 小学校の生活 | 代用教員 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/大本=1 | ...まかすことをしなかったのである。のちに、大本教義のなかで教育の本義を論じているが、そ... | 2010 |
2011 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >2 小学校の生活 | 神道への関心 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2012 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >3 最初の反抗 | 3 最初の反抗 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2013 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >3 最初の反抗 | 久兵衛池事件 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2014 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >3 最初の反抗 | 亀山城のあと | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2015 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 | 4 労働と勉学 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2016 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 | 新事業の失敗 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2017 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 | 「喜楽はん」と冠句 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2018 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 | 牧夫の生活 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/大本=1 | ...枝寮の跡に惟平の歌碑を建立したが、第二次大本事件で破壊された。大原野には摂津の門弟達... | 2018 |
2019 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 | 書画と信心 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2020 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 | ラムネとマンガン礦 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2021 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 | 精乳館・上田牧牛場 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2022 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 | 第四章 高熊山の修業と幽斎 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2023 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >1 入山にいたるまで | 1 入山にいたるまで | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2024 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >1 入山にいたるまで | 父の死 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2025 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >1 入山にいたるまで | 入山の動機 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2026 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >2 高熊山の修業 | 2 高熊山の修業 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2027 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >2 高熊山の修業 | 高熊山 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/大本=1 | ...一週間の修業をおこなったことを記念して、大本ではその山を霊場としている。喜三郎の修業... | 2027 |
2028 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >2 高熊山の修業 | 岩窟の修業 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/大本=2 | ...謝を自覚することができたという。 なお、大本で信奉されている三大学則、一、天地の真象......35(昭和10)年ころの高熊山岩窟 p147大本教碑 p148... | 2028 |
2029 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >2 高熊山の修業 | 家族の心配 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2030 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 3 幽斎の研究と稲荷講社 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2031 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 喜楽天狗 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2032 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 布教活動と警察の干渉 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2033 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 幽斎の修業 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2034 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 稲荷講社と本田親徳 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2035 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 鎮魂帰神 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/大本=4 | ... 大本の鎮魂帰神は、聖師によって体系化された神......、その概要を本章のおわりにのべておこう。大本では、感合法には無形と有形とあって、それ......もので、邪神界との感合が多いとみている。大本でおこなう感合法は鎮魂と帰神の二法を霊学......おこなう感合法は鎮魂と帰神の二法を霊学の大本とし、これは天授の神法で、治国修身斎家の... | 2035 |
2036 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 | 第五章 開祖と聖師 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2037 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 | 1 喜三郎の参綾 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2038 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 | 初参綾への道 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2039 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 | 開祖との対面 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/大本=5 | ...町(現在の若松町)で、喜三郎は、はじめて大本開祖とあった。その日の喜三郎の姿は、陣羽...... 喜三郎の初参綾当時、開祖は、金光教側が大本の神をなかなか世にだしてくれないことを残......喜三郎も足立も、「我」を出さず協力して、大本の神を世に出すようにつとめてほしかったの......たのである。開祖には、自分にかかっている大本の神の偉大な神性を、まだ、だれも理解して......れないという意識がきわめて強かったから、大本の神が世に出るためには、そうした神格を理... | 2039 |
2040 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 | 霊学指導 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/大本=1 | ...というが、この金光教との争いが、喜三郎の大本入りの後における、幹部・信者との対立抗争... | 2040 |
2041 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 | 開祖の使者 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/大本=2 | ...きた。開祖の方では、金光教側と対立しても大本独自の主張をしようと、なみなみならぬ決心......才、上田は二七才であった。いよいよ聖師の大本入りが実現したのである。 上田が綾部につ... | 2041 |
2042 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 | 2 金明霊学会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2043 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 | 金明会の発足 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/大本=1 | ... 上田喜三郎の大本入りにたいしては、金光教の足立はもとより... | 2043 |
2044 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 | 十曜の神紋 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/大本=3 | ...をいたして下さるのざぞよ。 この時から、大本の神紋は十曜の紋と定まった。そして、のち......は、綾部藩主の九鬼家の家紋でもあったが、大本でいつごろから用いられたかは、いまのとこ......の紋、九つが十曜に開いてしほれん花の咲く大本であるから、ちとむつかしきぞよ」とあって... | 2044 |
2045 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 | 金明霊学会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/大本=0 | 2045 | |
2046 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 | 祭典と行事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/大本=2 | ...めて生大豆を献饌されることになった。後に大本でさかんとなる人型行事は、まだこのころに......八九八(明治三一)年閏三月六日の筆先に「大本をひろめるのは、雌松とおひねりでひろめて... | 2046 |
2047 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >3 上谷の修業 | 3 上谷の修業 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2048 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >3 上谷の修業 | 神々の登場 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/大本=3 | ...世にお上がりなさる」ためのものであった。大本の教義によれば、国祖国常立命の隠退以来、......ている上田会長は、正しい神々を世にだし、大本独自の神々を明確にする役割をになうものと......えられ、上田会長のみでなく、稲荷講社も、大本の神を世にだす仲介者として大きな期待をか... | 2048 |
2049 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >3 上谷の修業 | 霊憑りの発動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2050 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >3 上谷の修業 | 吉崎仙人のこと | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/大本=2 | ...の世界はすんでしまった。これからは綾部の大本へ世を渡して、神界の一切の権利を艮の金神......により、この世一さいの神界のことを綾部の大本へ引きつがねばならぬから、霊学の先生と、... | 2050 |
2051 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみの結婚 | 4 上田喜三郎と出口すみの結婚 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2052 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみの結婚 | 神定の結婚 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 11 件/大本=11 | ...らくは下火になったことはいうまでもない。大本教義においては、開祖は機の経糸の役、聖師......の役であって、ここに、両教祖の提携による大本の本質的基礎がなりたったとしている。 上......礎がなりたったとしている。 上田喜三郎が大本入りをした意義は、「......大本の神」を世に出すこと、つまり......大本独自の活動をはじめることにあった。このこ......をはじめることにあった。このことはまた、大本の思想が、当時の日本の諸思想や諸宗教と接......することでもあった。上田が参加するまでの大本にとって、対決の相手は、この地方で発展し......の諸宗教であったが、上田会長をつうじて、大本は、ひろく諸宗教や諸思想とふれあい、その... | 2052 |
2053 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみの結婚 | 日清戦争の社会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/大本=1 | ...の道が強く説かれることとなった。 上田が大本入りをした前後は、国の内外ともに、多難の... | 2053 |
2054 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみの結婚 | 「われよし」への警鐘 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/大本=0 | 2054 | |
2055 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 | 第六章 出修 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2056 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き | 1 冠島・沓島開き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/大本=0 | 2056 | |
2057 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き | 冠島と沓島 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2058 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き | 冠島開き・沓島開き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/大本=2 | ...このまことの元の神を世にだすことこそが、大本の使命であったから、「冠島・沓島開き」は......使命であったから、「冠島・沓島開き」は、大本そのものの独自な展開の出発点をなすきわめ... | 2058 |
2059 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き | 会長排斥と内部の対立 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 17 件/大本=17 | ...は信仰の道に入るようになり、会長とともに大本の宣伝に従事することとなった。 会長が綾......ついたが、依然として、自分が大将となって大本を自由にしようとする野心家や、いわゆる開......った古い信仰を維持しようとする信者層と、大本独自の思想を全面的に展開しようとする立場......に展開しようとする立場との争いがあった。大本は表面的には金光教会の一支部として出発し......表面的には金光教会の一支部として出発し、大本の神は、金光教とその布教師や信者たちの手......世にだされるものであるというのが、上田の大本入り以前における開祖の立場であった。だが......が金光教側は実際は開祖を利用しただけで、大本の神について少しも理解しておらず、......大本の神を世にだそうとしていないことを知った... | 2059 |
2060 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き | 鞍馬山まいり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/大本=5 | ...8・30)から「我」を出して対立し、まだ大本の神を世にだす能力を持ちえないと示され、......いるのは、世の人一般の改心の問題ではなく大本内部の問題であり、四方春三をはじめとする......なぞよ。これから世の立替えにかかるから、大本の立替えいたすぞよ」(9・16)とあって......立替えいたすぞよ」(9・16)とあって、大本内部の立替えがくりかえし強調された。 鞍......護しておれた守護神も、間に合う神は綾部の大本に引寄せるから」(明治33・閏8・21)... | 2060 |
2061 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 | 2 水と火のご用 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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2062 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 | 元伊勢お水のご用 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/大本=5 | ...れど、こんどの世の建替えについて、綾部の大本から因縁のある身魂に大望な御用をさして、......た(竜宮海へ注入した年月日は、年表および大本略史と相違しておるが、ここでは『霊界物語......されていた。大島の井戸というのは、現在の大本神苑にある井戸で、このときからこの水が金......井戸は統務閣のそばにあったが、みな第二次大本事件のときに埋められ、後日、金明水と銀明......伊勢の水を三つの井戸に差し終わったころ、大本では広前のランプが落ちたり、風呂場から火... | 2062 |
2063 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 | 出雲の火のご用 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/大本=5 | ...れている」といったが、そののち山陰地方で大本の教が早く開けたのは、この松江附近であっ......をした。第一班は木下慶太郎・中村竹蔵が、大本から和知川に沿って下流位田渡場まで撒き、......てきた。第二班は四方平蔵・村上房之助で、大本から和知川に沿って上流に上り、本宮山側田......治二十五年から、神界の経綸で、世界一切の大本と相定まりたから、八百万の神を集めて、世......していたが、明治二五年の神定以来、綾部の大本で集会するさだめになっていたといわれてい... | 2063 |
2064 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 | 立替え立直しの切迫 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/大本=5 | ...心の問題に結合されてゆく点に、この時期の大本思想のひとつの特質がみられよう。この結合......出雲火のご用は、世の立替え立直しのための大本のいわゆる「型」として示されたものであり......いわゆる「型」として示されたものであり、大本史上重要な意義をになうものであった。そし......なかに登場してくるのも、神を表にあらわす大本のしぐみよりいって、わが国の宗教史上に注......不足をいうものがでてきた。会長は参拝後の大本を〝神界の経綸漸く完了し綾の聖地に神気漲... | 2064 |
2065 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 3 弥仙山ごもり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/大本=0 | 2065 | |
2066 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 岩戸がくれ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/大本=4 | ...正式に受けなければ布教は許さないという。大本では「明治二二年の憲法発布により、信教の......へこもってしまった。のちに筆先で「綾部の大本は世界の......大本になるところであるから、どこの下にもなら......あるから、どこの下にもならん、この綾部の大本を下にいたして、稲荷講社でやろうとは、え... | 2066 |
2067 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 弥仙山 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 7 件/大本=7 | ...和三一)年九月二八日には地元民の懇請で、大本が協力し現在の社殿を新築した。また現在の......現在の中の宮の神殿は、大正一〇年の第一次大本事件のさい、神職嵯峨根久左衛門が、弥仙山......件のさい、神職嵯峨根久左衛門が、弥仙山は大本と因縁の深いところであったから、その累が......然お宮がこわれたというものである。その後大本へ新築をたのみ、第一次......大本事件のときに官憲が破壊した本宮山の神殿の......きに官憲が破壊した本宮山の神殿の材料で、大本があらたにつくりなおしたものである。最近......状態がつづいた。〔写真〕○中の宮 第一次大本事件で破壊された本宮山神殿の材料でつくら... | 2067 |
2068 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 大本神諭の展開 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 13 件/大本=13 | ... 大本では一八九二(明治二五)年旧正月元旦の開......(明治三三)年にはじまる出修は、その後の大本が独自の教義と活動を展開してゆく過程でも......)、善と悪とを立てわけ神々の改心を求め、大本の立替え立直しをすること(鞍馬山参りと弥......もり)の型を示したものであって、いずれも大本独自の主張をあらわしていた。それまでは、......独自の主張をあらわしていた。それまでは、大本の神は、開祖と、それに心服しているごく少......されていただけであったが、出修をつうじて大本独自の神々が表面に登場し、神格や役割がし......の熊野神社の神などであったが、上田会長の大本入り、ついでおこなわれた出修により、開祖......られてくる神名はまったくでてこないから、大本の主要な神々の神格と役割が、さらに明らか... | 2068 |
2069 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 開祖と会長との対立 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 13 件/大本=13 | ...ってくる。 開祖の立場からすれば、会長が大本を稲荷講社の下部組織にしようとしているか......あった。開祖は、はじめ金光教から独立して大本独自の神を世にだすために、稲荷講社に大き......出修が進むにつれて、しだいに「この綾部の大本を下に致して、稲荷講社でやろうとはえらい......このような批判の根拠には、いうまでもなく大本の神の独自な偉大さにたいする信仰があった......るが、世界を根本から立替え立直そうとする大本の教には、ふさわしくないものにみえたので......顧して、後年の聖師は〝開教十年綾部本宮の大本は迷信頑愚の集ひなりけり〟〝大勢を知らず......も要るなり〟(『浪の音』)と詠んでおり、大本の社会的進出のためには、当時の時代思潮と......のは会長の改心ができぬからだ、変性女子は大本の中でご用してもらわなならんお役とあるか... | 2069 |
2070 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 岩戸開き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 10 件/大本=10 | ...(旧四月二八日)丑の刻に、綾部の竜宮館(大本)を出発し、列を正して粛々と進み、午前三......ざぞよ」(明治36・旧1・30)とあり、大本では、このたびの和合は、木花咲耶姫命のご......た。その後稲荷講社との関係もたち切って、大本は艮の金神の教ひとすじでゆくことになる。......いう。係の者が「帰らぬと軍隊を差し向けて大本を取潰すぞ」とおどかすと、四方平蔵は「面......で、竹造に出口の跡をつがし、開祖はすみを大本の世継ぎとした。筆先に「変性男子のお世継......変性男子のお世継は末子のすみ子なり、この大本は代々女のお世継ぎと相定めるぞよ。肉体が......(明治36・旧4・30)とでて、これより大本の世継ぎは代々女系と神定された。 その後......であった。一九三五(昭和一〇)年の第二次大本事件のときに取り除かれ、改森仙吉がひそか... | 2070 |
2071 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >4 沓島ごもり | 4 沓島ごもり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/大本=3 | ...欲しい」という答えであった。会長は『道の大本』に「国家のために生神に面会とやら、大望......汽車でその日の夕刻無事帰綾した。 『道の大本』によると「漁師どもは三人を露探とみあや......所一〇四二坪を管財局から払下げをうけて、大本へ寄附をし、一九五七(昭和三二)年四月一... | 2071 |
2072 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 | 第七章 発展への胎動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/大本=0 | 2072 | |
2073 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >1 会長の教説 | 1 会長の教説 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/大本=0 | 2073 | |
2074 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >1 会長の教説 | 著作と布教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 9 件/大本=9 | ...明治三十六年と同三十八年の二回に渡りて、大本の役員、変性女子の書きし物は残らず乱世の......箱に入れ、一九三五(昭和一〇)年の第二次大本事件まで、鶴山穹天閣の二階に保存されてい......林の改心をせまる筆先がでると、役員らは、大本を去ってもらいたいと会長をせめるので、会......ってもらいたいと会長をせめるので、会長が大本からでてゆこうとすると、小松林には去って......の神符をあつめて一枚の紙につつみ、表に「大本皇大神」とかいて祀ったり、市内三〇〇余の......ていた。〝知識階級入信したるは溝口氏わが大本の濫觴となす〟(『百千鳥』)とあるように......は、『玉の礎』『筆の雫』『道の栞』『道の大本』『本教創世記』などが残っているにすぎな......は除かれて、改訂されている。正しき信仰・大本の教旨・神と人の関係・その他が詳細にとか... | 2074 |
2075 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >1 会長の教説 | 救いの教義 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 9 件/大本=9 | ...いで書きつづられた会長の教説には、のちの大本の発展に、多大の寄与をなすものがあった。......神業-救世の神の教義づけなどには、とくに大本の独自性がよりよく発揮されている。 これ......おきどをおひてたゑしのびたりき」(『道の大本』)という瑞霊の自覚にたって、その罪をあ......ばが、しだいに多く用いられてくる。宇宙の大本神が父神・母神としてあらわれ、父神のはた......同上』)のである。こうした教理は、『道の大本』にも随所にとかれており、「みづのみたま......んよりおほいなるはあらざるなり」(『道の大本』2)とか、「みづのみたまの大神あめより......めんとてあまつ神のみむねのまにまに、この大本教をひらきはじめ玉へるなり」(『同上』8......にわかにたかまってくる。このことは『道の大本』の第六巻に「王仁、神の愛によりて生れく... | 2075 |
2076 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >1 会長の教説 | 悪の世批判 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/大本=2 | ...要な方法であったとしている。そこで『道の大本』の写本には「曰く、財産家は天下の罪人な......。 また会長は、実業の問題について『道の大本』のなかで、つぎのような興味ある主張をし... | 2076 |
2077 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >1 会長の教説 | 日本主義 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/大本=2 | ...は、みなてんていのみこなるべし」(『道の大本』)などというのである。 会長によれば、......、異国人の後えに落つるに至れり」(『道の大本』)ともいわれるのである。 「世界の各国... | 2077 |
2078 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >1 会長の教説 | 戦争観 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/大本=0 | 2078 | |
2079 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/大本=0 | 2079 | |
2080 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 皇典講究分所入学 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/大本=1 | ...三〇円給与の通知がきた。会長は、在職中も大本の信者と連絡をつづけ、たえず教団組織の発... | 2080 |
2081 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 御嶽教に勤務 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/大本=4 | ...会長の念頭にあって、そのため、こころある大本の信者との連絡をたもっている。 会長は御......ている。 さらに六月二一日には、御嶽教の大本教会を設立し、御嶽教の理事に任ぜられた。......ぜられた。このさい、京都の中村保次郎を、大本教会の受持教師とした。こうして......大本は、稲荷講社・御嶽教・大成教などと、公認... | 2081 |
2082 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 金明霊学会の苦況 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/大本=6 | ...先のでるのが、ごく僅かになっている。 「大本行事日記」によれば、一九〇六(明治三九)......わかる。 このころの教団財政について、「大本行事日記」や田中善吉の日記をみると、一九......〇キロ)につき一三円五〇銭であったから、大本の年間収入は米一石五斗(二二五キロ)に満......、二年前の筆先に「変性女子(会長)がこの大本を出たら、あとは火の消えたように、一人も......すけ、役員たちから会長をかばい、そして「大本は困っているそうやなァ、と世界からいわれ......かわらず、苦しい毎日がつづいた。これまで大本は農民や零細商工民に、病気なおしなどを媒... | 2082 |
2083 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 祭事の継承 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 7 件/大本=7 | ... 『道の大本』には、祭事について顕斎と幽斎のことが大......かわらず、祭事は継続されていた。そこにも大本の美しい教風がつらぬかれていた。素朴な祭......て厳修された。 神饌物についても、現在の大本祭式のような定まった形式はなく、まことの......、記録によれば葱なども供えられている。 大本祭式が定型化されるようになったのは、その......)年、開祖出口なおの帰神によって発端した大本は、一八九九(明治三二)年、上田喜三郎の......は、一八九九(明治三二)年、上田喜三郎の大本入りによって、金明霊学会の名のもとに、小......進捗した。生みのなやみの長い胎動期から、大本はここに全国的発展の機運がみなぎり、大日... | 2083 |
2084 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 | 第二編 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/大本=0 | 2084 | |
2085 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 | 第一章 全国宣教のはじまり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/大本=0 | 2085 | |
2086 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 1 大日本修斎会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/大本=0 | 2086 | |
2087 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 創立の状況 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/大本=6 | ...た。そのことは、その年一月二五日の御嶽教大本庁から上田喜三郎の名で、吉田竜治郎にあて......同年の五月六日の湯浅斎次郎あての書簡に「大本大神変性男子と現れ玉ひ十曜の神旗押立て」......実がはかられた。 王仁三郎はかねてより、大本をいち早く独立教団にしたいという願望をい......あった。御嶽教の方からは、九月二五日に、大本庁理事のほか西部教庁主事・大阪府教区庁長......「通常祝詞」が公にされ(『本教講習』)、大本祭式がしだいに形をととのえていった。王仁......形をととのえていった。王仁三郎は、御嶽教大本教会は綾部から宮津に移させ、一一月二三日... | 2087 |
2088 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 王仁三郎の帰綾 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 7 件/大本=7 | ...経過とともに切迫してきた。当時、開祖は、大本が他の教団の下部教会となることについては......て、大成教の祭壇は大島の家の階下に設け、大本の祭壇はこれを階上に設けて、......大本の神の祭壇が、直接官憲の目にふれないよう......直霊教会の開教披露式が挙行され、あわせて大本秋季大祭が執行された。当日の参拝者は「百......行された。当日の参拝者は「百名ばかり」(大本行事日記)と記されている。前(明治四〇)......常に喜び居り申候 天の時致るを待ち、直霊大本修斉等の会名にて満天下を動かす目的成就眼......られていたときで、他方、王仁三郎が御嶽教大本庁にまだ籍をおいていたころである。この書... | 2088 |
2089 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 「直霊軍」の創刊 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/大本=5 | ...綾部に帰った王仁三郎の直接指導によって、大本の動きはとみに活発となってきた。二月二五......教長は唯々神の命の随に筆を取りて、皇道の大本を講明せられて毫も私心私説を加へず、可惜......かにふくみこまれていた。そうした時代に、大本の神を「日本臣民たる以上は、神社に祭られ......った。そして同時に、このなかには、のちの大本の宗教思想の源泉となった「皇道」の主張が......(開祖)が「神の命の随に筆を取りて皇道の大本を講明せられて」いると説明し、皇道と筆先... | 2089 |
2090 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 造営と宣教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 9 件/大本=9 | ...仕した。このころから有力な信者が増加し、大本の発展に貢献することとなった。※ 梅田常......で、本部神前の給仕に一貫してあたった。 大本にとって神殿の造営ははじめてのことであっ......きはじめて八雲琴が用いられた。二三日には大本の秋季大祭をおこなったが、前日から、京阪......るが、さらに落成式後の一一月二六日には、大本の黒門および祖霊殿の新築を決定した。これ......と皇道の確立は望まれない。しかし、筆先に大本の経綸は病気なおしではないぞよ。この......大本は医者やあんまの真似はささんぞよ。取次ぎ......現世利益的な方法で教勢を拡大することは、大本の教線拡大の本旨にそわないものであった。......ったし、梅田常次郎にしても、京都で最初に大本の支部を設立した近松政之助が、鎮魂帰神を... | 2090 |
2091 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 明治の晩期 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 9 件/大本=9 | ...た。警察の圧迫が引きつづきはげしいので、大本の祖霊社を、合法的に大社教霊社の分社にし......がその主任となり、竹原房太郎が協力して、大本の祖霊祭祀は、祭式・機構と組織の面からも......で、一九四七(昭和二二)年に帰幽した。 大本が大社教と接近したことによって、......大本の教義がかえられたのではない。しかし大社......義がかえられたのではない。しかし大社教に大本がつながったということは、素盞嗚尊の神格......たということは、素盞嗚尊の神格を重視する大本の教理よりしても、意義の深いことであった......出雲大社教管長千家尊福が綾部をおとずれ、大本に一泊して、さらにそのつながりが深められ......名実ともに後継者が確定した。このことは、大本史上からいっても大きな意義をもつものであ... | 2091 |
2092 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >2 大正の初期 | 2 大正の初期 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/大本=0 | 2092 | |
2093 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >2 大正の初期 | 大本教の教規と信条 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 30 件/大本=30 | ... 大正期に入ると、大本では、開祖の世の立替え立直しについてのは......大日本修斎会の会則が訂正され、あらたに「大本教教則」として発表された。「本会」とある......」として発表された。「本会」とあるのを「大本教」とし、「会祖」を「開祖」とあらためた......」とあらためた。筆先には、早くから「この大本は云々」と......大本の名がつかわれていたが、「......大本教」という名称が、教団としてはじめて、規......ものと思われる。 また一〇月一日には、「大本教日拝式」(A6判一四頁)を発行している......)を発行している。 節分大祭や春秋二季の大本大祭・祖霊社大祭は毎年おこなわれてきてい... | 2093 |
2094 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >2 大正の初期 | 「敷島新報」と直霊軍部隊 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 18 件/大本=18 | ...されて、この大戦に参加することになった。大本院では、戦勝と世界平和の到来を朝夕祈願す......、すでに一九〇八(明治四一)年一月御獄教大本庁に勤めているころ、周山(京北町)の吉田......たが、その後に印刷設備が次第に充実して、大本の文献一切を印刷刊行する「天声社」へと発......代の傾向を洞察していたかが明らかとなる。大本はたんなる神信心のための人集めの宗教では......能力をもつ階層への布教が、社会を動かし、大本の教義を理解させるうえに役立つと達見され...... 一九一三~四(大正二~三)年におよび、大本院近隣の土地を、数回にわたり一六筆買収し......、大神様奉斎についで祖需の祭祀を重んじた大本信仰にもとづくものであった。 四月二九日......後の運営や成果については明らかでない。「大本年表」では、この合名会社は「大正七(一九... | 2094 |
2095 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >3 皇道大本 | 3 皇道大本 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/大本=0 | 2095 | |
2096 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >3 皇道大本 | 改称の理由 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 11 件/大本=11 | ...れて、いよいよ本格的宣教体制をととのえた大本は、翌一九一六(大正五)年になると、皇道......は、翌一九一六(大正五)年になると、皇道大本と改称した。綾部在住の......大本役員・信者は、当時出口家関係の一一人をは......計八九人にのぼっていたが、これらの人々は大本所有の家屋一三ヵ所に分宿し、食事は三食と......有の家屋一三ヵ所に分宿し、食事は三食とも大本の食堂に集まって食事をすることになった。......まって食事をすることになった。いわゆる「大本家族制度」の実施がそれである。それは一九......となった。 四月二二日には、これまでの「大本教」という名称を「皇道......大本」と改称した。「皇道大本」と改称された理... | 2096 |
2097 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >3 皇道大本 | 浅野の入信 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/大本=6 | ... これよりさき、大本に入信した飯森正芳らは、横須賀の浅野の宅......飯森正芳らは、横須賀の浅野の宅を訪れて、大本への入信をすすめていたが、一九一六(大正......、飯森と旧知の浅野と会ったのである。まず大本における「鎮魂帰神」の話がなされたが、そ......なされたが、そのことからだんだんと浅野は大本に興味を感じ、やがて初参綾となったのであ......れ、その規約が定められた。青竜隊は「皇道大本を宇内に宣揚」し、「開祖の神示を宣伝」す......呉・横須賀あたりからも参綾し、熱心に皇道大本の研究をはじめた。 一九一六(大正五)年... | 2097 |
2098 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >3 皇道大本 | 神島開き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/大本=5 | ...古くから崇敬の念のあついものがあった。 大本では、この島をその後に「神島」とよんでい......帰綾した。この三回にわたる神島まいりを、大本では「神島開き」といい、一九〇〇(明治三......辺の消息を示したものであろう。 ここで、大本としての神々の因縁や神観にたいする理解が......もわれる。 神島開きがおこなわれてのち、大本では、この神島を霊場として社殿を建て、毎......していたが、一九三五(昭和一〇)年第二次大本事件で、その神祠は、新官憲によって破壊さ... | 2098 |
2099 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊 | 4 「神霊界」の発刊 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/大本=0 | 2099 | |
2100 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊 | 創刊の辞と檄 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 14 件/大本=14 | ...て居られます」という一文が草されており、大本の予言の的中を強調して「我々直霊軍は慨世......育・宗教・実業などの諸問題を提起し、皇道大本は言霊学・神霊学のうえより皇祖皇宗の遺訓......つ、とよびかけられている。これらによって大本が時代相を反映し、時代とともに、急激に社......神霊界」の一月号をみると、それには、皇道大本の「学則」・「信条」・「誓約」が掲載され......までとかわりはないが、「信条」のなかで、大本の開祖は「宇内の大予言者」とあるのを「宇......マガハラ」を「タカアマハラ」としたり、「大本直日大神に祈らば」を「真の神に祈らば」な......め、東天を拝し次で神前に向ひ、天津祝詞及大本祝詞を奏上し、鎮魂を自修し、人生の天職を......可し。 なお「神霊界」の二月号には「皇道大本の鏡璽劔」として、「皇道大本の本質」につ... | 2100 |