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キーワード: 開祖 で王仁三郎文献を検索した結果を表示しています。
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番号 文献名1 文献名2 文献名3 著者 発表年 詳細 本文内のヒット件数 プレビュー(最大 8 件まで表示) 番号
201 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >3 上谷の修業 吉崎仙人のこと 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/開祖=2 ...返さなくてはならぬ」という意味のことや、開祖の神代からの因縁により、この世一さいの神......おう服従した。また、修業の経験によって、開祖の帰神の偉大なことが、ますます明らかにな... 201
202 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみの結婚 神定の結婚 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 4 件/開祖=4 ...こうして、上田会長は参綾後わずか半年で、開祖の婿養子として迎えられ、出口家の人となっ......となった。二大教祖の提携がここに実現し、開祖をたすけて、喜三郎が宣教に専心することと......とはいうまでもない。大本教義においては、開祖は機の経糸の役、聖師は機の緯糸の役であっ......展となった。〔写真〕○左より 出口すみ 開祖 上田喜三郎(結婚のころ) p199... 202
203 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみの結婚 「われよし」への警鐘 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...られる素朴な民衆の「世直し」への要求は、開祖の筆先において、当時最高の到達点を表現し... 203
204 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き 冠島と沓島 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/開祖=2 ...いて、冠島に参りてくだされよ」との神示が開祖にあった。......開祖は、冠島という島については、ほとんどなに... 204
205 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き 冠島開き・沓島開き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 10 件/開祖=10 ...ぼわかったので、七月四日(旧六月八日)、開祖は上田会長・すみ・四方平蔵・木下慶太郎(......は上田会長・すみ・四方平蔵・木下慶太郎(開祖の四女りょうの女婿)とともに、ござ・笠・......べられてあって、きつい荒れ模様となった。開祖は「竜宮様がお迎えにみえるので少しは荒れ......。夜十時船を漕ぎだし博奕ガ崎までくると、開祖が話したとおりに、さしもの雨風もやんで星......四一才)・橋本六蔵(三四才)であったが、開祖の厚い信仰と数々の神徳を見聞して感激し、......であるという。 八月二日(旧七月八日)、開祖は綾部をたち、会長・すみほか一行九人、大......を冠島に残して、境内の掃除を命じておき、開祖は会長・すみ・四方平蔵・福島寅之助ととも......、舟を漕ぎよせる場所が見当たらなかった。開祖はぜひとも釣鐘岩へ舟を着けよと命じた。そ... 205
206 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き 会長排斥と内部の対立 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 15 件/開祖=15 ... 上田会長をともなっての開祖の冠島・沓島開きは、会長排斥をつづけてい......島・沓島の参拝にでかけた。出発にあたり、開祖は会長にたいして、今度の参拝はよく神様に......しかし、この日は陸上も強風であったので、開祖はその行路を心配して、四方平蔵・四方春三......助をよんで委細をたずねてみると、役員らが開祖に無断で、会長を追いかえして、四方春三(......本を自由にしようとする野心家や、いわゆる開祖派で、会長をみとめない者たちが一つになっ......るというのが、上田の大本入り以前における開祖の立場であった。だが金光教側は実際は......開祖を利用しただけで、大本の神について少しも......の神を世にだそうとしていないことを知った開祖は、前述したように、一八九八(明治三一)... 206
207 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き 鞍馬山まいり 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 15 件/開祖=15 ...の実地の神の仕組みておる所は、変性男子(開祖)と女子(上田会長)より行かれんぞよ。す......から、お供はおことわりするといいだした。開祖の言葉では、ご都合もあることだし、旅支度......ったので、会長はようやく承認した。すると開祖は、会長に「ちょっと裏口を開けてご覧なさ......事で、上には上があるものと驚いておると、開祖は「これで何事もわかったでしょう」とみん......、だれもその真の意味は悟れないでいた。 開祖は会長・すみ・四方春三の三人とともに旅立......、行先もわからぬままに、ござと笠をもち、開祖は梅の杖をつき、会長は雄松、すみは雌松、......ちうけて、供にくわえてほしいと歎願した。開祖は福林の決心をみぬき、会長の口ぞえもあっ......方に休息していると、田中仙吉・辻ふでらが開祖をたずねてきた。その人らが上仲をののしっ... 207
208 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 元伊勢お水のご用 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 7 件/開祖=7 ...一(明治三四)年旧二月六日神示があって、開祖は四月二六日(旧三月八日)に元伊勢へ参拝......であることをたしかめてきた。四月二六日、開祖は会長・すみをはじめ三六人で、一二キロの......り六人参加)は夕食の最中であった。木下は開祖にご用をはたしてきたことを報告し、朽木の......てきたことを報告し、朽木のことを話すと、開祖はよろこんで、その朽木が竜神であることを......。 くんできた水は神前に供え、そのあと、開祖のいいつけで、木下が、大島と杉井角助と四......るぞよ」(明治36・9・21)とあって、開祖が手伝われて掘ったものである。四方源之助......いて深い神慮があったことの神示がでた。 開祖は「今に京都・大阪あたりからこの御水をい... 208
209 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 出雲の火のご用 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 11 件/開祖=11 ...示によって、一九〇一(明治三四)年七月、開祖は上田会長(海潮)・すみ・四方平蔵・福島......行が無理であったから参拝をことわったが、開祖はこれを許さず、ぜひとも一家そろって参詣......浅黄のかみしもを着用して綾部を出発した。開祖は六十五才の老齢であったが、二〇〇キロの......五銭)、ここでは宿屋荒しにねらわれたが、開祖のけい眼で難をのがれることができた。四日......将が日本海岸視察にきて同宿していたので、開祖は伊藤に紙の話をし、筆先を一枚わたした。......一一日は小蒸気船で平田へ向った。そのとき開祖は、海上で梅の杖をもって一行に指示し、「......けて没落するなど、大騒ぎの最中であった。開祖は一ヵ月前預金をしていた二〇〇円を引出し......よう番人をつけて見守っていたが、その後、開祖に相談したところ、天に預けることにせよと... 209
210 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり 岩戸がくれ 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 4 件/開祖=4 ...静岡へおもむき、長沢雄楯に相談しようと、開祖に申しでたが、......開祖は神様にうかがいをたて「たとえ警察からな......ほっておくわけにはいかなくなった。会長は開祖に無断で、一九〇一(明治三四)年一〇月一......る必要を感じて静岡へ出かけたのであった。開祖はあとでこのことをきき、非常に立腹して、... 210
211 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり 弥仙山 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 30 件/開祖=30 ...最近頂上の一部を残して樹木を伐採したが、開祖のこもった当時は、うっそうとして白昼も薄......うっそうとして白昼も薄暗かったという。 開祖はにわかに弥仙山にこもることに決意したの......えて、一〇月一九日(旧九月八日)午後三時開祖は綾部を出発した。山まで後野市太郎と中村......したが、「だれもくることはならぬ」という開祖のかたいいいつけで二人は下山した。木下亀......と、さっそく藁で菰をあみ夜中にとどけた。開祖はこの両人の真心を喜び、記念にと直筆の半......もいってはならぬとのいいつけであったが、開祖の老体を案じて、内々に大石村から様子をう......村から様子をうかがっていた。 四方平蔵は開祖が山へこもったとき不在であったが、あとか......き「たとえどんな事情があろうとも、老体の開祖お一人を弥仙山においておくわけにはゆかぬ... 211
212 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり 大本神諭の展開 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/開祖=3 ...あらわしていた。それまでは、大本の神は、開祖と、それに心服しているごく少数の信者によ......的な教団活動が進められることになった。 開祖がはじめに礼拝していた神々は、艮の金神(......大本入り、ついでおこなわれた出修により、開祖が朝夕神前でとなえる神名も、つぎつぎに多... 212
213 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり 開祖と会長との対立 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 12 件/開祖=12 ...のべたように、出修のはじまりのころには、開祖は、会長を排斥しようとする信者たちの間に......対立の直接の原因は、公認教問題で、会長が開祖の反対をおしきって稲荷講社の傘下にはいろ......ちついてからも、ますます強まってくる。 開祖の立場からすれば、会長が大本を稲荷講社の......とは、まったく納得できないことであった。開祖は、はじめ金光教から独立して大本独自の神......も結びついていた。勤倹実直の典型のような開祖からすれば、自由奔放な会長の行動は、神に......仕えるものにふさわしくないものにみえた。開祖は、大根の赤葉一枚も粗末にもせず、極寒の......要だと考えたのである。 弥仙山ごもりは、開祖と会長の対立の決定的な局面を示す行動であ......す行動であったから、こののち役員たちは、開祖が弥仙山へこもったのは会長の改心ができぬ... 213
214 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり 岩戸開き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 15 件/開祖=15 ...った。このときすでにすみは懐胎していた。開祖はおなじく前年の一〇月、弥仙山にこもって......子をと期待していた。しかし生まれた子は、開祖のいったように女の子であったので、さきの......なる。 一九〇三(明治三六)年になって、開祖と会長の対立もしだいにしずまり、「これか......神・竜宮の乙姫のことである。 変性男子(開祖)と変性女子(会長)との和合ができ、世継......仙山にお参りせよとの神命で、その一行は、開祖・会長・すみ・直日のほかに四方平蔵・中村......によれば、一昨年の明治三四年旧九月八日、開祖が弥仙山にこもったときから岩戸がしまり、......われる(「おほもと」昭和37・3・1) 開祖は直日について「この子は水晶のたねになる......(旧五月五日)には一七年間居所不明だった開祖の長男竹造が帰ってきたので、竹造に出口の... 214
215 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >4 沓島ごもり 4 沓島ごもり 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 25 件/開祖=25 ... 一九〇五(明治三八)年五月、開祖は沓島ごもりをおこなった。日露戦争の最中......争の最中のこの行は、とどめの行、すなわち開祖にとっての最後の出修であった。 この出修......後野市太郎(二三才)と大槻伝吉(二八才-開祖の三男)の二人とされた。それらの相談を会......た。それらの相談を会長が知って、六八才の開祖の老いた身を案じ、......開祖にたずねたところ「若い者二人を連れて行く......の出修を心ひそかに案じていたのである。 開祖は五月一四日(旧四月一〇日)大槻と後野の......三郎が真倉から舞鶴へ届けたものである。 開祖は船中で船頭にむかい「たいへんご苦労でし......一夜も寝ることはできません」といったが、開祖は「神様が四〇日とおっしゃるから、どうし... 215
216 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >1 会長の教説 悪の世批判 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...会長の教説にはくいちがいがあったために、開祖の筆先を絶対とした役員・信者には会長の教... 216
217 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >1 会長の教説 日本主義 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...にしていたことはいうまでもない。しかし、開祖にとっても、会長にとっても、いわれるとこ... 217
218 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 皇典講究分所入学 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...にしたいと日夜苦慮を重ねた。 そのころ、開祖や役員たちと対立しながら、忍苦の生活をつ... 218
219 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 金明霊学会の苦況 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 4 件/開祖=4 ...ら、経営をつづけなければならなかった。 開祖は筆先を書きつづけているので、三銭の墨と......11・10)と語っているが、二人の子供と開祖、さらに穴太の会長の家が焼けたりして寄住......かにあって、一切を忘れて神事に仕えている開祖には心配をかけまい、勉学中の会長に気苦労......もいで』の中ですみが回想しているように、開祖をたすけ、役員たちから会長をかばい、そし... 219
220 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 祭事の継承 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 4 件/開祖=4 ...おなま五ぜん」一台が必ず供えられており、開祖の夫政五郎の二〇年祭・月次の祭典・みたま......拝し、同年の八月一六日(旧七月八日)には開祖以下一三人が沓島に参拝している。また、一......神をあわせて鎮祭することになった。これは開祖と会長との対立がおわり、会長がいよいよ表......ったのである。 一八九二(明治二五)年、開祖出口なおの帰神によって発端した大本は、一... 220
221 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 創立の状況 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...概して神道の行事に準じている。とのほか、開祖出口なおを会祖・総長とし、王仁三郎を会長... 221
222 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 王仁三郎の帰綾 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/開祖=3 ...役割はますます重要となってきた。とくに、開祖からは「今後他出相成らぬ、綾部に居るよう......、日時の経過とともに切迫してきた。当時、開祖は、大本が他の教団の下部教会となることに......表したしと仰せられ候得共、肝心の教長殿(開祖は教長ともよばれていた)より尚早なれば見... 222
223 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 「直霊軍」の創刊 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 6 件/開祖=6 ...そういうところから思いついたのであろう。開祖の教示にもとづき、直霊のみたまによって、......あった。 王仁三郎が最初に着手したのは、開祖の筆先の中で、とくにそのうちの社会にたい......張した。大予言者の言とは、いうまでもなく開祖の筆先のことであった。......開祖の筆先は、「天の真奈井」と題して、その一......いうのである。しかも、その道は、我教長(開祖)が「神の命の随に筆を取りて皇道の大本を......果、皇道の上に一大発明せられたる神霊学の開祖故従五位上出羽守本田九郎親徳先生の直授と... 223
224 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 造営と宣教 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 5 件/開祖=5 ...た。ひとすじに「立替え立直し」を主張し、開祖を通じて示された神の教によって、改心をも......し霊験をうけている。おひねりというのは、開祖が祈念して神名をかいた紙片をおりたたみ、......み、それをひねってまるめたもので、これを開祖みずからが与えたりもした。 たとえば、福......しや霊の発動をなすためのものとみられて、開祖にはひどく気にいらなかった。近松光二郎は......板は大日本修斎会本部とかかれている p311開祖直筆のおひねり p312○直霊軍に掲載された... 224
225 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 明治の晩期 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 6 件/開祖=6 ...三郎の大社訪問は一九〇一(明治三四)年の開祖ら一行との大社詣りについで二度目のもので......あったからでもある。 二月二三日、当主の開祖なおは隠居して、王仁三郎がいよいよ家督を......の周辺の畑地六反が、七月になると、かねて開祖はじめ信者たちに待望されていた、出口家元......治四五)年四月二四日(旧三月八日)には、開祖なお・王仁三郎・すみ・長女直日をはじめ役......いりたのでありたぞよ」と示されている。 開祖はこの参拝がおわったのち、神命のままに水......。この年の旧三月一五日の伊勢参拝の直後の開祖の筆先には「世の変わり目の金輪際のおり」... 225
226 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >2 大正の初期 大本教の教規と信条 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 9 件/開祖=9 ... 大正期に入ると、大本では、開祖の世の立替え立直しについてのはげしい筆先......三郎のことであり、このころから筆先では、開祖は「大出口の大守」とよばれてくる。そのた......よばれてくる。そのために役員・信者らは、開祖のことを「おおかみさま」とよび、王仁三郎......王仁三郎は坤の金神のご用として確認され、開祖も王仁三郎をいっそう重視して、教団の運営......」とあるのを「大本教」とし、「会祖」を「開祖」とあらためた。筆先には、早くから「この......)であった。 これよりさき三月七日には、開祖の四女りょう(三二才)が出口を分家し、同......ゆるの義務ある事を信ず第四条 我等は本教開祖の世界の大教主にして亦宇内の大予言者たる......れている。前にかかげた「大本教信条」は、開祖の筆先の精神を根幹としてまとめているが、... 226
227 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >2 大正の初期 「敷島新報」と直霊軍部隊 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 4 件/開祖=4 ...廃刊された「直霊軍」にかわるものである。開祖の筆先には、すでに一九〇〇(明治三三)年......の四室に仕切り、その一室に神床をもうけ、開祖は晩年までその部屋で筆先を書き次の間を居......に直霊軍の旗上式がはじまると、福島ひさ(開祖の三女)とともに各地に出張し、年末には横......報」12号)。〔写真〕○弥仙山参拝のとき開祖の使用された人力車 p329○敷島新報 第5... 227
228 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >3 皇道大本 浅野の入信 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/開祖=2 ...間中に鎮魂帰神による神霊の実在を確認し、開祖の筆先をかなり精密に調べた結果、「世の立......。青竜隊は「皇道大本を宇内に宣揚」し、「開祖の神示を宣伝」することを目的とし、二〇才... 228
229 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >3 皇道大本 神島開き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 8 件/開祖=8 ...金神と坤の金神との対面にあると解されて、開祖と王仁三郎との間にお祝の盃があった。 九......の岩戸のなかに仮遷座した。九月一二日に、開祖はこの岩戸に参拝した。このとき、二代すみ...... 一〇月四日(旧九月八日)には、七九才の開祖をはじめ、王仁三郎夫妻・直日ほか出口家全......い相生の松をながめて、大阪まで帰着した。開祖ほか出口家一同は谷前宅に宿泊し、七日の夜......とうけとめられている。 神島まいりのとき開祖は、王仁三郎の霊魂がみろくの神のみたまで......れたのである。一九一五(大正四)年以来、開祖の筆先に「みろく様」という文字が非常に多......ろうがな」(大正5・7・28)とあって、開祖自身にも「みろくの神の御霊」については、...... 1916-大正5年旧9月9日 白髪姿は開祖 p349○神島から奉迎した神霊を金竜海の神... 229
230 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊 創刊の辞と檄 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...かわりはないが、「信条」のなかで、大本の開祖は「宇内の大予言者」とあるのを「宇内の救... 230
231 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊 神諭の発表 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ... 開祖の平がなばかりの筆先を、王仁三郎が漢字を... 231
232 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊 海軍関係・知識層等の参綾 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...いずこでも衆目をひいた。 四月二八日には開祖・王仁三郎・役員・信者数百人が、福知山の... 232
233 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >5 大正維新の主張 大正維新論 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/開祖=3 ...るを許されない事は、これ祖先の御遺訓と、開祖帰神の神諭に換々として垂示し給ふ所である......の吾人に明示する所であるのみならず、大本開祖変性男子の垂示に因りて、確固たる事実を証......ねばならぬのであります。日本神典及び大本開祖の示し給ふ所によれば、神代とは万有万神が... 233
234 大本七十年史 上巻 第2編 >第2章 第二章 開祖の昇天と道統 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 0 件/開祖=0   234
235 大本七十年史 上巻 第2編 >第2章 >1 昇天 昇天の前後 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 35 件/開祖=35 ...基礎工事は一〇月下旬に開始されている。 開祖は、前年の九月一九日に綾部上町の出口慶太......入って、にわかに筆先がだされなくなった。開祖に役員がその理由をたずねると、どういうわ......拡張されて美しくなってゆく神苑の情況を、開祖にみていただきたいと進言したが、いっこう......こで王仁三郎は、老齢の身を案じ、みずから開祖を背に負って巡覧してもらった。このとき王......て巡覧してもらった。このとき王仁三郎に、開祖から「結構でした。ご苦労でした」と、なん......のべて、その労をなぐさめた。居室に帰った開祖は、しみじみと側近の者に、「神苑が広くな......たったが、統務閣はいよいよ静まりかえり、開祖の銀髪は神々しいまでに色をましかがやいて......璃語りの名人が参拝してきた。春子太夫は、開祖に浄瑠璃をぜひとも聞いていただきたいと懇... 235
236 大本七十年史 上巻 第2編 >第2章 >1 昇天 葬儀 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 6 件/開祖=6 ...九日の午後二時から金竜殿へ遷柩し、「神政開祖(惟神真道弥広)大出口国直霊主命」の諡名......瀬」とよんでいた山腹の地点がそれである。開祖と因縁の深い弥仙山を真正面はるかにあおぎ......とどこおりなく埋葬をおわった。 本葬は、開祖昇天一ヵ月後の一二月六日(旧一一月三日)......、福知山一宮神社社司の弔詞などがあった。開祖の昇天をいたみ、大いなる......開祖の足どりをしのぶ人々の胸には、ありし日の......の足どりをしのぶ人々の胸には、ありし日の開祖の清々しい姿がくっきりと想いおこされた。... 236
237 大本七十年史 上巻 第2編 >第2章 >2 開祖の人柄 開祖の人柄 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 29 件/開祖=29 ...二(明治二五)年に、国祖国常立命の神霊が開祖に帰神されてから、一九一八(大正七)年の......一九一八(大正七)年の昇天にいたるまで、開祖はひたすら二七年の間筆先を手記し、世界の......員・信者に一貫して示してきたのである。 開祖の生活態度は、道義的にもきびしいものがあ......深く、その情操はまことに清純であった。 開祖は、神がかりの状態でないときも、おのずか......感化をうけて、いつとはなく、大本の教風が開祖の人柄によってつくられてきたのである。 ......の人柄によってつくられてきたのである。 開祖は、いつも未明に起きて水行をし、神前で礼......なくてよい」との神示があってからのちも、開祖は「お水」を額のうえにそそぎ、水ごりにか......るというように潔斎を怠らなかった。神前で開祖の奏上される祝詞の声は、いつもみずみずし... 237
238 大本七十年史 上巻 第2編 >第2章 >3 道統の継承 世継ぎ 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 10 件/開祖=10 ...不仕していた四方与平にわたされていたが、開祖は昇天の日まで、その拝読を許さなかった。......のあいだ鍵をかけて大切に保管していだが、開祖の昇天によって、......開祖の「つぎの教主にわたせよ」との遺言にした......。 王仁三郎は、坤の金神のご用をつとめて開祖をたすけ、裏の神諭を発表し、実質的には教......教主として一切を統理していたが、しかし、開祖と教主とは神業に経緯の別があって、......開祖在世中は、......開祖が表で、教主は裏であり、......開祖が主であって教主は副の地位にあった。教主... 238
239 大本七十年史 上巻 第2編 >第2章 >3 道統の継承 信者への影響 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 25 件/開祖=25 ... 開祖の昇天の前日、梅田信之が京都へ帰ろうとし......信之が京都へ帰ろうとしたとき、教主から、開祖の容態が気づかわれるので延期してほしいと......で延期してほしいととめられたが、梅田は、開祖を生伸と信じ、世の立替えをせられるお役で......引きとめを振りきって帰ってしまった。翌日開祖の昇天を聞かされたが、最初は笑って信じな......者のほとんどが保持していたものであって、開祖を大神様と信じ、立替えのご用は......開祖であって、教主は立直しの役であると固く信......いたのである。こうした動静のなかにおける開祖の昇天は、当時の役員・信者にとってはまこ......ご用を理解しており、また「神霊界」には、開祖の筆先を表の神諭とし、教主のものを裏の神... 239
240 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 予言の強調 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...である。と、立替え立直しの時期を断定し、開祖の昇天も、時節の切迫による神界における「... 240
241 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 地方宣教 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/開祖=3 ...の発言内容を確定し証明づけるものとして、開祖の筆先や、あるいはまた出口王仁三郎の随筆......ったようである。したがって、同年一一月、開祖の昇天をきくと、「立替え立直しをされるは......霊主義的な霊的関心のみで入信した人々は、開祖の昇天と第一次大本事件という大正期後半の... 241
242 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 修業者の激増 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...り早く二柱御降臨の話」・「沓島開きの話、開祖様御修業の話」・「竜のお話」「厳の魂─天... 242
243 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 本部の動き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...に移住してきた信者は、謹厳・清楚であった開祖をかがみとして、信仰的な内修につとめ、勤... 243
244 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 綾部神苑の拡張と整備 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...神社が建立されており、さらに天王平にある開祖の奥都城も、神域が拡張され、改築工事や玉... 244
245 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 祭事 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 5 件/開祖=5 ...皇大神守り給へ幸へ玉へ・惟神霊幸倍坐世 開祖は胸のあたりで、しずかに手を合わして、礼......のであるが、一九二一(大正一〇)年からは開祖の姿にならって、両手をあわすことにあらた......。 天王平に信者の奥津城がつくられたのは開祖の兄清兵衛が、一九〇四(明治三七)年六月......きがはじめてで、一九一八(大正七)年には開祖の奥都城が築かれた。毎年八月一五日には、......の行事は間もなく廃止されている。こうして開祖昇天以来のきびしい教風のなかで、本部をは... 245
246 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >1 事件の背景 事件のあらまし 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...、信者の歎願もむなしく、綾部天王平にある開祖出口なおの墓は、改修させられ、一〇月一一... 246
247 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >2 最初の警告 第一回調査 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/開祖=3 ...教主等の名称は宗教上のものであって、寧ろ開祖、会長といふのが至当でありますが、唯通俗......術が鎮魂法の進歩したものかは知りませぬ。開祖はこれを非難し、反対し、『稲荷下げなどと......て中止する計画にしたいのであります。なお開祖は、『早く廃止せぬと神が役人の口を藉りて... 247
248 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >2 最初の警告 言論界の攻撃 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...は邪教であるという前提にたつものであり、開祖なおの出身や生涯にたいしても、「くずひろ... 248
249 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >2 事件の影響 事件直後の大本 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...ことにほかならないと解釈したのである。 開祖の神諭には、つぎのようにものべられていた... 249
250 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >2 事件の影響 予審決定 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...出口直(天保七年生大正七年十一月死亡)ヲ開祖トセル皇道大本ノ首脳者ニシテ直ハ明治二十... 250
251 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >2 事件の影響 内訌と凋落 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/開祖=2 ...つあった。すなわち、明治時代に入信した「開祖派」と称する筆先にたいする素朴な信仰によ......主導権をにぎろうとしていた福島ひさは、「開祖の教には、お直はなんぼ出世しても木綿着物... 251
252 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >2 事件の影響 責付出獄 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 7 件/開祖=7 ...た。 当局のこうした態度は、天王平にある開祖の墓地の改築問題をとりあげたところにも明......りあげたところにも明瞭である。大正七年、開祖なおが昇天すると大本は、天王平とよばれて......五月二〇日、綾部町長西村源之助を通じて、開祖の墓地の一部をとりのぞくように厳命した。......奏上したとかと報道しているが、じっさいに開祖の墓をとりこわすことは、幹部はもちろん信......たが、社殿は伊勢神宮を模したとみなされ、開祖の奥都城と同じ運命をたどることが予想され...... 大正日日新聞 p615○1920─大正9年開祖の奥都城は改築を命じられた p616○第1回......城は改築を命じられた p616○第1回改築後開祖奥都城 p617○責付出獄後の王仁三郎 大阪... 252
253 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >3 公判 教団の改革 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/開祖=3 ...さ八尺に縮少され、石垣で囲われた。しかし開祖の遺骸には全然手はつけられなかった。 な......」の胎動が開始されるのである。〔写真〕○開祖奥都城取毀ち命令にたいする訴願 代筆 p62...... p621○神の国 創刊号 p621○第2回改築後開祖奥都城 p622○(上)夏期講習会の参加者 ... 253
254 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >3 公判 本宮山神殿破壊 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...新聞 p637○のこされていた本宮山神殿破壊開祖墳墓発掘質問演説の草稿 p638○事件はまた... 254
255 大本七十年史 上巻 第4編 >第1章 >1 霊界物語の口述 物語の発表 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 7 件/開祖=7 ...語』2巻総説)。さらに一〇月一六日には、開祖の神霊から、その発表についてのきびしい督......とされている。そして厳霊の肉の官であった開祖は、一八九二(明治二五)年から筆先によっ......たがって、瑞霊の肉の宮である王仁三郎は、開祖昇天の後にあっては、......開祖の神業をもうけつぐとともに、瑞霊の神業を......都能売の神の神業をくりひろげるのである。開祖在世中の王仁三郎のつとめについては、筆先......12・13)などとのべられていた。つまり開祖は神・幽・顕三界すなわち三千世界の立替え......三郎は筆先の真解ということばかりでなく、開祖の期待していた「みろく」の教説についても... 255
256 大本七十年史 上巻 第4編 >第1章 >1 霊界物語の口述 口述の由来 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...大きな契機となったことはあきらかである。開祖の筆先は、表現の辞句も素朴直截であり、か... 256
257 大本七十年史 上巻 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 新機運の動向 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...諭の蒐集・大本教祖伝・神諭の年代順整理・開祖の生誕(天保七年)より大正一二年までの大... 257
258 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 機構の改革と人事 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...となった。王仁三郎はそのことを〝地の上に開祖は天国ひらきましわれ霊国をひらきて道とく... 258
259 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 債務の整理 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...債権による強制競売をなし、本宮山・天王平開祖奥都城・教祖殿・黄金閣の四敷地のさしおさ... 259
260 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 国内宣教と造営 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...坪ばかりの建物に、大本皇大神ならびに大本開祖・天理教教祖の神霊を奉斎することになり、... 260
261 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 暁天の機運 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...々が随行した。この日天恩郷では、綾部より開祖の神霊をおむかえし、大祥殿に鎮祭している... 261
262 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ みろく大祭 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/開祖=4 ...って、国常立尊のかみがかりが、突如として開祖出口なおにはじまってから、丹波の国綾部の......けていたのである。それはともかくとして、開祖の筆先には、明治三〇年代から「みろくのよ......の人々は、信者一同とともに綾部の天王平の開祖奥都城に参拝した。そののち、五六七殿に集......ミロクの三身とよび、主として法身ミロクは開祖、応身ミロクは聖師、報身ミロクは三代直日... 262
263 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き 本部の体制 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/開祖=3 ...和六)年七月には、新聞に連載された『大本開祖伝』が単行本として出版されている。 その......支部や各家庭に奉斎するご神体は、主として開祖染筆のご神号、または筆先をさげられたもの......もの、三代直日染筆のものなどであったが、開祖昇天後は、ご神体・おひねりなどの神務は、... 263
264 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き 梅花運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/開祖=2 ...霊に就て・霊界の真相。大本教旨(二回)。開祖略伝・聖師略伝。四大綱領・四大主義。信仰......それを拡大美化したものであった。内部には開祖の遺品や聖師の作品をはじめ、一見して大本... 264
265 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 皇道大本への改称 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/開祖=2 ...ことになり、皇道大本の信条が発表された。開祖の開教の明治二五年から数えて満四一年目、......稚姫君命の精霊に御神格を充たし、皇道大本開祖を御霊代として、至純至粋の神諭を降し、天... 265
266 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >1 巡教 聖師の巡教と歌碑 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...歌碑の歌は、〝八雲立つ出雲の旅の帰り路を開祖と宿りし由良はなつかし〟とあり、ついで二... 266
267 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >2 教団の充実 本部での動き 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...とし、そのうちの二日間を予備講座として「開祖伝・聖師伝・筆先と物語」などの講座をもう... 267
268 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >2 教団の充実 神苑の造営と祭事 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...なってとりおこなわれている。ついで翌日の開祖祭も聖師が斎主となられたが、聖師が斎主と... 268
269 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >2 教団の充実 文書宣伝 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/開祖=2 ...詞、おかげばなし、讃美歌、大本略史、大本開祖伝、大本の出現とそのあかし、道院世界紅卍......布会は会員制とし、大本の月々のできごと、開祖・聖師・教主の作品の複製、肖像の写真等が... 269
270 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >2 教団の充実 二代教主と鶴山織 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/開祖=3 ...・1)と語っているが、大本での機の歴史は開祖にはじまっている。そして一九三一(昭和六......て機の仕事に従事した。湯浅は十曜の神旗・開祖の使用する布団の生地や縞の着尺地を織って......つなぎ合せたり、織模様をさしずした。また開祖も、「大本といふ所は、型の出るところやで... 270
271 大本七十年史 下巻 第6編 >第1章 >2 検挙への準備 閣議決定 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...神苑 金龍海にうかぶ教祖殿と言霊閣 p367開祖の奥都城には参拝者のたえることがなかった... 271
272 大本七十年史 下巻 第6編 >第1章 >2 検挙への準備 その前日 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...つものごとく神苑内を見てまわり、天王平の開祖奥都城に参拝して、同所の開墾地を奥畑と命... 272
273 大本七十年史 下巻 第6編 >第2章 >2 警察の強圧と取調べ 暴行と「自白」の強要 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...立尊、豊雲野尊の顕現者は王仁三郎もしくは開祖直、であることを示す資料および、(ハ)盤... 273
274 大本七十年史 下巻 第6編 >第2章 >3 大本抹殺の命令 建造物破却の命令 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/開祖=3 ...して共同墓地とし、そのうちの三畝二一歩を開祖の奥都城にあてていたのであるが、当局の指......れにくわえられたのである。まず、天王平の開祖の奥都城を掘りおこして、柩をその近くにあ......三代出口直日の書簡より p436○この暴虐!開祖の奥都城はうつされ玉垣はくずされ樹木はひ... 274
275 大本七十年史 下巻 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) 事実審理 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...松光二郎らの案内説明により、綾部天王平の開祖や一般信者の墓地、ついで鶴山(本宮山)や... 275
276 大本七十年史 下巻 第6編 >第3章 >3 護教 信仰の護持 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/開祖=3 ...尽力によって伐採をまぬがれまた熊野神社の開祖手植の白藤も、町有志の機転によってのこさ......たずみ、さらに天王平共同墓地のささやかな開祖の墓標の前にぬかずいた。そしてありし日の......かの信者が雪をふみかけて神饌物をはこび、開祖の墓前にもうでて毎年祭りをかかすことがな... 276
277 大本七十年史 下巻 第6編 >第3章 >3 護教 出口家の動静 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/開祖=3 ...じみと、暴言のつめあとをながめ、天王平の開祖の墓前にまいったこともあった。そのころつ......神床をこしらえ、たまたま他から手に入った開祖直筆のご神体が神床にまつられたが、この年......この年の一二月には、近親の者があつまって開祖の年祭がしめやかにおこなかれた。 農園で... 277
278 大本七十年史 下巻 第6編 >第4章 >3 王仁三郎らの保釈 中矢田農園 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/開祖=2 ...、徒歩で天王平の共同墓地にうつされていた開祖の墓前にもうでた。これは聖師にとって保釈......夫妻 p623○感無量……共同墓地にうつされ開祖の墓前にぬかづく聖師夫妻 綾部天王平 p62... 278
279 大本七十年史 下巻 第6編 >第5章 >4 大本事件の性格とその意義 第一次大本事件 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/開祖=2 ...祐定の三人は拘引され、本宮山神殿は破却、開祖の墓地は改築させられた。 第一次大本事件......としてこれを破却し、京都府の認可した大本開祖の墓地が御陵に類似したものであるとして改... 279
280 大本七十年史 下巻 第6編 >第5章 >4 大本事件の性格とその意義 事件の意味するもの 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...主たる根源になった。神諭は厳の神霊による開祖の神業であり、『霊界物語』は瑞の神霊によ... 280
281 大本七十年史 下巻 第7編 >第1章 >3 愛善苑の発足 両聖地の整備 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/開祖=2 ...三日)には、綾部天王平一の瀬の奥都城で、開祖二十八周年の祭が、秋雨そぼふるなかでおこ......みにうつされていた、わずか二坪にもたらぬ開祖の墓前にぬかずいて、参拝者一同の感慨はひ... 281
282 大本七十年史 下巻 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 本部と地方のうごき 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 5 件/開祖=5 ...月七日(旧一二月一六日)には綾部と亀岡で開祖生誕祭がおこなわれ、ついで二月四日の節分......ら世界中に愛善が広まる」と語られている。開祖がはじめて神饌された鏡餅を、「あられ」と......二三年度の大祭行事として綾部で節分大祭・開祖三十年祭・祖霊大祭を、中祭行事として亀岡......また北側の増築工事も完成した。六月からは開祖三十年祭を翌年にひかえ、地元信徒によって......三十年祭を翌年にひかえ、地元信徒によって開祖奥都城跡の清掃がはじめられ、一一月一五日... 282
283 大本七十年史 下巻 第7編 >第3章 >1 昇天 招魂祭と通夜 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...と甦って下さっています。われわれは今こそ開祖さま、聖師さまの教統を厳粛に承け継がれた... 283
284 大本七十年史 下巻 第7編 >第3章 >2 葬儀 告別式と遷柩 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/開祖=2 ...つしたものと、万一を考慮して、三〇年前、開祖の葬祭の時にもちいたという火縄が用意され......らいていたとき、聖師と対面ができ、綾部の開祖と面会することが約束されたゆかりの地であ... 284
285 大本七十年史 下巻 第7編 >第3章 >2 葬儀 埋葬祭 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 7 件/開祖=7 ... 綾部の天王平一ノ瀬にあった開祖の奥都城は、第二次大本事件によってとりこ......は、第二次大本事件によってとりこわされ、開祖の霊柩は共同墓地にうつされていた(六編二......いた(六編二章)。聖師の奥都城としては、開祖の奥都城跡にのこっていた根石を基点にして......ていた根石を基点にしてその左側に、もとの開祖の奥都城と同型のものをつくることになった......ただぢに築造に着手した。外まわりの石は、開祖の奥都城が破壊されたとき、その前方の池に......件以来共同墓地のかたわらにうつされていた開祖の墓前に参拝がなされた。綾部在住の信徒や......、すみ子夫人の儀式の食膳のものをつくり、開祖昇天のとき、聖師が道統をひきつがれた行事... 285
286 大本七十年史 下巻 第7編 >第3章 >3 人間 出口王仁三郎 3 人間 出口王仁三郎 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/開祖=2 ...れていたかを記述することにしよう。 大本開祖の人柄(二編二章)については、信徒・未信......二章)については、信徒・未信徒をとわず、開祖に接した人はいちように、神々しい清純さと... 286
287 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >1 道統の継承 二代の継承 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/開祖=2 ...つぎのように決定された。「第三条 本会は開祖・聖師の教統の継承者を以て苑主とする。第......苑主の御意志にもとづき、第二代の苑主には開祖・聖師の教統の継承者たる出口すみ子氏が御... 287
288 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >1 道統の継承 二代苑主の指導精神 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/開祖=4 ...来ないのです。……まず幹部の人や講師が、開祖さま、聖師さまの御精神を十分腹に入れてお......うところであるのに、大変おくれています。開祖さまの教が土台であるのに、さっぱりしみこ......かるように、二代苑主の指導精神の特徴は、開祖・聖師の道統を皮膚で感ぜしめるような生き......〔写真〕○不抜の信念 出口すみ子筆 p831開祖(右)と聖師の奥都城 昭和23年 綾部 ... 288
289 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >2 教団体制の確立 大本愛善苑 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/開祖=4 ...ぞれ任命された。 同年一〇月二八日には、開祖三十年祭を期して規約および事務規定の一部......学確立の重点としては、「神観の確立」と「開祖、聖師、二代教主の神格と使命を正しく明ら......したもうことを信奉する。第三条 われらは開祖が厳霊の神格に充たされ神諭を伝達して救世......る。第五条 われらは二代苑主が教御祖たる開祖、聖師の道統を継承し、救いとむすびの使命... 289
290 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >2 教団体制の確立 造営と祭事 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 9 件/開祖=9 ...の給仕にもちいられている。 天王平にある開祖奥都城跡の清掃工事は、昭和二二年六月一〇......、二月に聖師の奥都城が築造された。ついで開祖の奥都城をもとの位置に築造して、第二次大......大本事件中強制的に共同墓地に移されていた開祖の霊柩を、一三年ぶりの昭和二三年三月二二......間)、厚さ三〇センチ(一尺)の仙台石に、開祖の筆になる「うぶこえ」「三ぜんせかい一ど......惟神真道弥広大出口国直日主命」の中には、開祖・聖師がふくまれているのであるが、特に聖......ほかみ」を奉斎するとともに、「教御親たる開祖、聖師の神霊」および「宣伝使の霊および会......七月一二日)・大本大祭(旧一〇月二日)・開祖祭(旧一〇月三日)・秋季柤霊祭(旧一〇月......一〇月三日)・新生記念祭(一二月八日)・開祖誕生祭(旧一二月一六日)、月次祭毎月一五... 290
291 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 梅花運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/開祖=4 ...活動を展開した。七月には本部道場講座に「開祖と聖師、神について、まつりの本義、霊界と......、「大本愛善苑の信奉し宣布する教義は……開祖、聖師を教御祖とし、苑主の裁定された教典......として、連絡の迅速化をはかった。その他『開祖伝』(昭和24・8)宣伝用小冊子の『大本......になった。九月には本部道場の一般講座に「開祖伝」「聖師伝」「大本四大主義」、特別講座... 291
292 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 青年会・婦人会組織の確立 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...基本青年会を設置した。そして一一月四日、開祖三十年祭の第二日には、綾部梅松苑で、第一... 292
293 大本七十年史 下巻 第7編 >第4章 >4 人類愛善会の再出発 4 人類愛善会の再出発 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...しまうと申上げたのであります。六十年前に開祖さまがいわれた通りに、今日は九分九厘まで... 293
294 大本七十年史 下巻 第7編 >第5章 >1 巡教 1 巡教 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/開祖=3 ...拝者二三〇〇人にたいし、四九年前一八才で開祖・聖師とともに出雲参りした時の思い出話が......いた苑主はムックリとおきなおり、「かねて開祖様から聞かされていたことを、フトいま思い......、一度に多数の染筆が出来あがっていった。開祖によって「お前は墨一滴落してさえおけば、... 294
295 大本七十年史 下巻 第7編 >第5章 >2 二代苑主の昇天 発病 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...直日夫人とともに綾部へむかった。一二日は開祖聖誕祭に参列し、そして要荘で起居されてい... 295
296 大本七十年史 下巻 第7編 >第5章 >2 二代苑主の昇天 招魂祭と遷柩 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/開祖=3 ...ちも梅松苑につめかけた。その夕、天王平の開祖・聖師の奥都城および熊野神社へ昇天の奉告......ナヤ型模狼の白羽二重である。この着物は、開祖が在世中は木綿物を着用され、いっさい絹物......、愛善苑発足後、絹物を新調して二代教主が開祖の霊前にささげられたものであった。柩は、... 296
297 大本七十年史 下巻 第7編 >第5章 >2 二代苑主の昇天 埋葬 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/開祖=4 ...城を照らしていた。 二代教主の奥都城は、開祖・聖師の奥都城の中央後方に築かれた。昇天......で明確になっておりませんでしたが、それは開祖様、聖師様、二代様のお三方であるというこ......にもちいた。これは「火つぎの神事」として開祖から聖師、聖師から二代教主と伝承された神......神しずまりますご三体の奥都城 前列左から開祖 聖師 手前中央 二代教主 前方つきあた... 297
298 大本七十年史 下巻 第7編 >第5章 >3 二代教主の面影 3 二代教主の面影 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/開祖=3 ...、つぶさに辛酸をなめ、神懸り状態となった開祖の内助に血のにじむ思いをし、聖師と結婚し......いうことが本当に大切なことです。私の母(開祖)がつねづねハタの仕組ということを申しま......神しずまりますご三体の奥都城 前列左から開祖 聖師 手前中央 二代教主 前方つきあた... 298
299 大本七十年史 下巻 第8編 >第1章 >1 教主 出口直日 道統の継承 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/開祖=1 ...だ。そのとき三代教主はただちに、「教えは開祖さま、聖師さまにより至れり尽せりに示され... 299
300 大本七十年史 下巻 第8編 >第1章 >1 教主 出口直日 三代教主の人となり 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/開祖=4 ...両親と祖母の愛撫のうちに成育する。ことに開祖の気風をしたい、もっともふかくその感化を......五月)と一〇月(旧九月)の神島開きには、開祖・聖師・二代教主とともにこの神業にしたが......したがい、一九一七(大正六)年三月には、開祖の命により京都をひきあげて綾部にかえり、......詳述したように第一次大本事件がおこった。開祖奥都城の改築、本宮山神殿の破壊にくわえて... 300
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