番号 | 文献名1 | 文献名2 | 文献名3 | 著者 | 発表年 | 詳細 | 本文内のヒット件数 | プレビュー(最大 8 件まで表示) | 番号 |
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1101 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第1章 >4 維新の時世と生活苦 | 維新の風 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...どをもとめて蜂起したものであった。星原・里・小呂・有岡・上原・下八田・広瀬その他の......域の農民約二〇〇〇人が熊野神社・鳥ヶ坪・里の河原などに集まって右の要求を志太。これ... | 1101 |
1102 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第1章 >4 維新の時世と生活苦 | 生活の流転 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...かけていた。暇さえあれば、今日は吉美村の里、明日は位田の河原、つぎは福知山へと芝居... | 1102 |
1103 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第2章 >4 広前の成立 | 広前のはじまり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...教の信者となり、一八九三(明治二六)年郷里に帰っていた。その他の役員は農業をいとな... | 1103 |
1104 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >1 幼少のころ | 出生 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/里=3 | ...たところ、みごとな瑞穂をみのらせたので、里の人々は神の許しをえて、良田にその種子を......えひろめた。それから、このあたりを穴穂の里といい、やがて穴太(あなお)の......里に改められたと伝えるのである。村の伝承に... | 1104 |
1105 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >1 入山にいたるまで | 父の死 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...かと探して歩いたという。〔写真〕○穴太の里 p138○神教をこうた小幡神社本殿 p140○父... | 1105 |
1106 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >2 高熊山の修業 | 高熊山 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...おいた』昔から時々名も知れぬ鳥が鳴いて、里人に告げたということである」とのべられて... | 1106 |
1107 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >2 高熊山の修業 | 岩窟の修業 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ... 喜三郎は、人里はなれた高熊山の岩窟に静座していたが、こ... | 1107 |
1108 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 稲荷講社と本田親徳 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...のとき、静岡県安倍郡不二見村下清水、月見里神社に附属する稲荷講社総本部の役員三矢喜......官であった。幼時に霊学を学び、一八才で郷里を去って水戸に行き、会沢正志の門に遊ぶこ... | 1108 |
1109 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 | 初参綾への道 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...と、「お前さんは、印地(現亀岡市旭町)の里の狐でも調べとる人かね」と声をかけるもの... | 1109 |
1110 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 | 霊学指導 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...可をもらって会合所をつくり、黒田や若森の里にも指導所をもつようになった。 一八九八... | 1110 |
1111 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >3 上谷の修業 | 神々の登場 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...、静岡県の稲荷講社に長沢雄楯を訪ね、月見里神社に参拝した。長沢は四方にたいして、神... | 1111 |
1112 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き | 冠島と沓島 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...島(雌島・女島)とともに、舞鶴沖約二〇海里のあたりに浮かぶ小島である。丹後府中一の......っていたと伝えられる。沓島は冠島から二海里はなれた地点にある。沓島は冠島よりさらに... | 1112 |
1113 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 岩戸がくれ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...静岡へ出発した。会長の立場としては、月見里神社には因縁ある素盞嗚尊と、霊学の祖であ... | 1113 |
1114 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊 | 海軍関係・知識層等の参綾 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...は飯森の母が帰幽したために、二月二〇日郷里石川県輪島に引揚げた。※飯森は大本入信前... | 1114 |
1115 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >5 大正維新の主張 | 大正維新論 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...神国の中心なる下津磐根の丹波国綾部本宮の里に出せしは、実に太古よりの神誓神約の在し... | 1115 |
1116 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 | 予言の強調 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...だ心許されぬ、一つの国の御空より、振る雨里迦の一時雨、木枯さへも加はりて、山の尾の... | 1116 |
1117 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >4 文書宣教 | 教内の論争 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...間違った宣伝をしてゐますが、それは悪事千里を走るのたとへで、人の耳に入りやすいやう... | 1117 |
1118 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >2 最初の警告 | 第一回調査 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...筆先には綾部は「みやこ」となる。又は「十里四方は宮の内」とあるを以て、神諭によりあ... | 1118 |
1119 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >2 霊界物語の内容 | 神観と宇宙観 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...、独特の解明をしている。〔写真〕○海洋万里 第25~36巻 p661... | 1119 |
1120 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >2 霊界物語の内容 | 神の経綸 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...、現代の日本の南方、太平洋面にはまだ数百里の大陸がつづいていたが、この地球の大変動... | 1120 |
1121 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 | エスペラントとローマ字の採用 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...・レヴォ・オリエンタ」の編集員であった由里忠勝が来綾した。由......里は当時東京商科大学に在学中で、京都府下加... | 1121 |
1122 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 | 道院・世界紅卍字会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...支した。 山東省の首府済南から東北約三余里のところに浜県という地がある。一九一六(... | 1122 |
1123 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 | 新機運の動向 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...入し、或は北欧の広野に孤影を曳き、或は万里の波濤を越え、或は雲山霞壑を踏み破る宣伝......は、大衆文化のひろがりにも見出される。中里介山の「大菩薩峠」が大衆小説として多数の... | 1123 |
1124 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >1 蒙古へ | 入蒙の決意 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...もうかがわれる。全身の智勇を推倒して 万里の荒野を開拓す 神竜淵に潜むと難もいずく... | 1124 |
1125 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | 蒙古へ出発 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...は王爺府についた。一行はラマ僧三〇〇人や里人にでむかえられて老印君の館にはいった。... | 1125 |
1126 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >3 海外への発展 | 文書による海外宣伝 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...丸があたることとなった。 これよりさき由里忠勝に委嘱されていた「霊の礎」のエス訳は... | 1126 |
1127 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 | 巡教活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...隆から台北・草山・台中・二水・日月潭・埔里・嘉義・台南・鳳山・河東などの各地に巡教... | 1127 |
1128 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 | 満州巡教と世界紅卍字会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...三〇〇人であった。六日には嘉義へむかい阿里山にのぼり、日月潭では支部の設置を命じた......鞍山・公主嶺・長春・古林・ハルピン・満州里・ハイラル・昂々渓・洮南・四平街(四平)... | 1128 |
1129 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 | 海外の宣教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...部が設置され、鈴木六一郎が特派として満州里方面へも活動した。この月の一四日に人類愛... | 1129 |
1130 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き | 宗教と芸術 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...を中心とする文化団体の日本歴史会(理事長里見新三郎―京都市議)が主催し、後援には京... | 1130 |
1131 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 多彩な大本 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...日様には昨年の師走、あの極寒のみぎり、数里の道を自ら愛善新聞の一部売りを遊ばし、そ... | 1131 |
1132 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 内外多事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...康平県は、当時人口三二万、面積東西二五〇里(九七五キロ)・南北一六〇......里(六二四キロ)で北は内蒙古につらなる重要... | 1132 |
1133 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >2 教団の充実 | 文書宣伝 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...第一巻~一二・如意宝珠一三~二四・海洋万里二五~三六・舎身活躍三七~四八・真善美愛... | 1133 |
1134 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 | 諸団体の活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...てきた。記念式典は医学博士八木日出雄・由里忠勝・重松太喜三らの挨拶や、世界二〇ヵ国... | 1134 |
1135 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 | 海外での発展 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...三(昭和八)年一月一八日天津市須磨街適安里に皇道大本天津分院・人類愛善会華北分会が... | 1135 |
1136 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 | 昭和神聖会と国家改造運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...学的に検討し発表する」ことを目的として、里見岸雄主宰の国体科学連盟を脱退した船囗万... | 1136 |
1137 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 | 国家改造請願運動の流言 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/里=3 | ...成するに至ったものであるが、最近に於ては里見岸雄氏主宰の国体主義同盟から離脱した一......』の一月二七日の項には、「午後九時半、今里勝雄、河田弘、小野永雄氏同道来訪、広瀬応......せるデマ放送者跳梁し、各方面の情報子も五里霧中に彷徨せるものゝ如し」とものべられて... | 1137 |
1138 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 起訴と起訴猶予 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...伊東貫一 小野今吉 小笠原茂 (熊本)北里利義 木庭次守 なお昭和一二年に起訴猶予... | 1138 |
1139 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >3 護教 | 信仰の護持 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...利隆とあるのは、起訴留保の処分をうけて郷里の鳥取県大篠津にかえり、知友の同県西伯郡... | 1139 |
1140 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >1 第二次世界大戦の進行 | 日米の開戦 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...本とカラ国(中国)との戦争から、さらに雨里迦(アメリカ)との戦争へ発展するとの予言......谷まりて、……一つの国の御空より、降る雨里迦の一時雨、木枯さへも加はりて、山の尾の... | 1140 |
1141 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >2 第二審の公判(大阪控訴院) | 土地返還請求の提訴 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...てのこされた榎木と柳 p592○孤影寂然…人里のうたかたをよそに神苑はかわらぬ自然のい... | 1141 |
1142 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >2 第二審の公判(大阪控訴院) | 第二審 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...て、大阪天満署の巡査二人の監視つきで、郷里愛媛県の大洲にかえり、葬儀に参列して三〇... | 1142 |
1143 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >1 再建への動き | 荊棘をこえて | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...示をもとめた。そしてその感激と教示を、郷里の信者や縁者・近所・知己などできるだけお... | 1143 |
1144 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >3 愛善苑の発足 | 両聖地の整備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...の数十人の信徒と葦谷山にのぼり、はるか六里(二四キロメートル)の海上にうかぶ冠島・... | 1144 |
1145 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 >1 昇天 | 1 昇天 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...後の報告となった。その夜半の二時ころ、郷里の穴太からとどけられたボタ餅を少量摂取さ... | 1145 |
1146 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 >2 葬儀 | 告別式と遷柩 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...することになった。しかし約六〇キロ(一五里)の丹波高原を、寒中に徒歩することは容易... | 1146 |
1147 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 >2 葬儀 | 一般的反響と信徒の動向 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...た。 『朝日グラフ』は「喪服の山越え十八里」と題して遷柩の写真を特集したし、朝日・... | 1147 |
1148 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >2 教団体制の確立 | 造営と祭事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...神籬が完成した。この神域を瑞泉苑、穴太の里を瑞泉郷とよぶこととし、同年八月二五日に... | 1148 |
1149 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >3 教主補 出口日出麿 | 大本入信 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...る新聞記者生活におわりをつげた。その後郷里の親戚一同からのしいてのすすめで、分家の... | 1149 |
1150 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >4 信徒の指導と巡教 | 巡教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...者は五〇〇余人で、教主の献詠歌、〝赤山の里にふたたび歌祭仕へまつると集ふ神の子ら〟... | 1150 |
1151 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第2章 >3 諸団体の活動 | 社団法人愛善みずほ会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...をむすんで、優良肥料(窒素六・燐酸九・加里七に有機質肥料を複合)の委託製造・斡旋を... | 1151 |
1152 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第5章 >1 楽天社と芸術 | 明光社から楽天社へ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...音を聞く人である。一句、一歌にして江山万里を髣髴せしむる大詩客である。紹鴎や利休は... | 1152 |
1153 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第5章 >1 楽天社と芸術 | 木の花帯と鶴山織 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...よばれている。これはもともと、洛北大原の里の女性らがしめていたものであったが、それ... | 1153 |
1154 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第5章 >1 楽天社と芸術 | 大本の武道 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...が一九一八(大正七)年、父の危篤にあい郷里田辺にかえる途次、綾部に参拝して大本に入... | 1154 |
1155 | 東京朝日新聞 | 昭和10年12月8日 号外 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...、所沢、川島、松山、野本、行田、江面、大里、藤田、仁手物凄い勢力で海外にも蔓る全土... | 1155 | ||
1156 | 東京日日新聞 | 昭和10年12月8日 号外 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...、しかも国道筋ばかりでなく府道、村道から里道畦道まで警官が頑張つてゐて自動車は勿論... | 1156 | ||
1157 | 東京日日新聞 | 昭和10年12月10日 朝刊 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...本教側から旅費を支出せしめて一時も早く郷里に帰らしめることに決定、旅費支出につゐて... | 1157 | ||
1158 | 東京日日新聞 | 昭和10年12月10日 夕刊(11日付) | 1935刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...岡に移したか? 大本の人達は王仁三郎の郷里が南桑田郡曽我部村穴太であるから、一には... | 1158 | ||
1159 | 東京日日新聞 | 昭和10年12月12日 夕刊(13日付) | 1935刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...がまた頗る振つてゐる、何でも王仁三郎が郷里の丹後高熊山で一週間の修行中、王仁三郎の......中心に綾部大本がある、大本を中心として十里四方の面積が延喜式の祝詞にある下津岩根で... | 1159 | ||
1160 | 幼ながたり | 幼ながたり | 1 父のこと | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...てないころでしたが、そのころ、綾部近在十里四方で父の名を知らない人はなかったという... | 1160 |
1161 | 幼ながたり | 幼ながたり | 4 石臼と粉引きの意味 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 3 件/里=3 | ...を待っていました。 教祖さまは綾部から三里、五......里も離れたところまで商売に行かれることがあ......も遠く出られたらしく、その帰り綾部から三里ほど先の普甲峠まで帰ってこられますと、夕... | 1161 |
1162 | 幼ながたり | 幼ながたり | 7 奉公 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...くことになりました。福知山へは綾部から三里半もあるので、母さんは私を福知山までつれ... | 1162 |
1163 | 幼ながたり | 幼ながたり | 8 幼なき姉妹 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...がこく身にしみるころ、色こまやかな綾部の里に、私はふたたび帰ってきました。 そのこ......れても、そのことを詩に作りました。 故里なつかし幼な時 母はその日の生計に ... | 1163 |
1164 | 幼ながたり | 幼ながたり | 15 ひさ子姉さん | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...どは持って来てはくれまい。綾部までは十何里もあることだし、今のように汽車はないころ... | 1164 |
1165 | 幼ながたり | 幼ながたり | 18 おこと姉さんの幼時 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...した。それから、亀岡から京都街道を東へ一里程いったところにある王子というところの猟... | 1165 |
1166 | 幼ながたり | 幼ながたり | 24 ねぐら | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...ていた、おしもさんの手伝いや、綾部から二里程ある大原でお茶よりの仕事というように、... | 1166 |
1167 | 幼ながたり | 幼ながたり | 25 不思議な人 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...えていましたが、あの人は眼をつぶると、十里先、百......里先の出来ごとでも、手にとるようにわかると... | 1167 |
1168 | 開祖伝 | 22 聖師綾部へ | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...れ、平蔵氏を園部に待たせて置いて、往復八里の夜道を郷......里穴太に帰り、老祖母や母上にその旨を伝えら... | 1168 | |
1169 | 開祖伝 | 24 冠島開き | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 3 件/里=3 | ...舞鶴からも、また宮津からもちょうど海上十里あるという日本海の一つ島・冠島は俗に大島......今晩の船出は見合せましょう。まして海上十里もある荒い沖中の一つ島へ、こんな小さい釣......の船頭に向かい、「それでは海上一町でも半里でも行けるところまで行ってもらえば冠島ま... | 1169 | |
1170 | 開祖伝 | 28 出雲大社お火の御用 | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...十七日は養父堀畑、十八日は但馬村の岡と十里ほど歩いては泊まり泊まり、ようやく十九日......加露ヶ浜を出発して、またもや磯端伝いに十里ばかり西に進んで御来屋に一泊の上、翌朝船... | 1170 | |
1171 | 開祖伝 | 29 弥仙山お籠もり | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...四年旧九月八日に開祖様は綾部から西北約三里、於与岐にある丹波の高峰・弥仙の神山にお... | 1171 | |
1172 | 開祖伝 | 34 御日常 | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...に行く幼な子を、わずか綾部から福知山へ三里余りの道を先方まで送り届けることができず... | 1172 | |
1173 | 聖師伝 | 1 御誕生 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...陰道のノド首、亀岡町を西南に去ること約一里、丹波国曽我部村大字穴太の農家・上田吉松... | 1173 | |
1174 | 聖師伝 | 2 穴太の里 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...その稲に美しい瑞穂を結びましたから、時の里庄が正しく神の大御心と仰ぎまつって方々の......う名をつけて植えひろめたところから穴穂の里といったのであります。それが後に穴生とな... | 1174 | |
1175 | 聖師伝 | 9 青年時代 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...計を助けられました。穴太の田舎から六、七里もある京都へ出られるのですから、その苦労... | 1175 | |
1176 | 聖師伝 | 13 高熊山出修の動機 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...れ 喜三郎さんは翌朝になって、御自分が郷里の高熊山の岩窟の上に坐っていることに気づ... | 1176 | |
1177 | 聖師伝 | 16 幽斎の修業 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...心霊学の話をし、静岡県安部郡富士見村月見里稲荷神社附属、稲荷講社総本部の総長・長沢... | 1177 | |
1178 | 聖師伝 | 25 霊界物語の口述 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...になりました。 聖師は二十八歳のとき、郷里の高熊山で御修行中に見聞されたことを、記......二巻)、「如意宝珠」(十二巻)、「海洋万里」(十二巻)、「舎身活躍」(十二巻)、「... | 1178 | |
1179 | 聖師伝 | 27 世界紅卍字会との提携 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...を出した山東省の首府・済南から東北約七十里のところに浜県というところがあります。大... | 1179 | |
1180 | 聖師伝 | 36 御昇天 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...三十日の深更午前一時天恩郷を出発して十五里の道を役員信者たちによって綾部へお移しさ... | 1180 | |
1181 | 聖師伝 | 【附録】 出口王仁三郎聖師年譜 | 大本教学院・編 | 1953刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...敷島の道を学ぶ。●明治29年(1896年)26歳 里穴太に牛乳搾取場精乳館を設置。●明治30年......治31年(1898年)28歳 旧2月9日より一週間、里高熊山にて修行をなす。 旧8月23日、参綾。... | 1181 | |
1182 | 霧の海 | 牧場の夢 | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 4 件/里=4 | ...南おもては恋ふる人のうからやからの住める里なり獣医学修業せんとて園部ゆく途中を彼女......汲みて目を洗ひふくれ面して家に帰れリ約五里を隔てし和知より病牛の往診たのみ百姓来れ......を棚に飼養してをり急電によりてわが伯母郷里なる高屋の......里にいそぎ帰れり井上の母はわがため伯母なり... | 1182 | ||
1183 | 霧の海 | 満俺鉄 | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...も知らさずに馬鹿らしいとて家に帰れり約五里の夜道を村上てくてくと知らぬ顔して穴太に......ればいらだちて杖つきながら帰り路につく五里の道帰りてみれば足腫れて十日余りもうち伏... | 1183 | ||
1184 | 霧の海 | 浪花の空 | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...巌道話を説きし村といふ東掛のさとは山深き里むかしより山賊出づると伝へたる長首峠は淋......出づると伝へたる長首峠は淋しかりけり十三里山坂道を茨木の駅にやうやう着きしゆうぐれ... | 1184 | ||
1185 | 霧の海 | 膝栗毛 | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...やぢの茶店にひさぐ蒸芋は 栗より甘い十三里道程一歩又一歩 茨木町を北に取り丹波をさ... | 1185 | ||
1186 | 霧の海 | 麦の秋晴 | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...五月田の風にそよげる田圃路を辿りて小林の里に着きたり小林の井筒屋旅館に休憩し一行五......けり 狸の憑依八木町の大橋渡り印地の里にやうやくつけば午後三時なり岩田家の狭き... | 1186 | ||
1187 | 霧の海 | 田舎の小雀 | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 10 件/里=10 | ...どろいて小丑は稲田にもぐり込みたり小林の里まで送ると云ひながら前後にこころ配りて従...... 御夢想の湯観音峠西にくだれば水戸の里数十本ののぼりたちをりよく見れば下司熊様......どる柴を負ふをんなに綾部の道問へば山坂三里と答へ坂下る榎峠くだればまたも枯木峠この......坂道をえちえちくだる道に会へる杣に綾部の里程問へば三......里半よと意外の事いふ三......里の道一......里歩みてまだ三......里半と聞きたるわれの失望大原や台頭を越えて... | 1187 | ||
1188 | 霧の海 | 初会開祖 | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...り行きたり 小呂の病婦折もあれ小呂の里より小室しか子開祖の家に詣で来たりぬこの......つつ山坂いくつ以久田野に出づ川添の位田の里に夜は明けてかたへの茶店に息やすめたりこ... | 1188 | ||
1189 | 霧の海 | 園部大橋 | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 13 件/里=13 | ...座敷を借りて移り住みたり七十余戸の黒田の里人悉くわが説く道をうべなひにけりこの......里に臨時会合所をひらき神を斎きて人をみちび......ね来てその応接に忙殺されたり 若森の里宇之助の妹わさ子が嫁入れる若森の......里にたのまれてゆく若森の中井太一氏の家に入......げければ中井家はありがた迷惑の姿なりけり里人は集ひにつどひ相はかり竹村かたに会合所......まぬ今日よりは直ぐに帰るときつぱり答ふる里人の意見を聞いたその上で帰つてくれよと袖......た家には半時も私は居らぬと無理にたち出づ里人は次ぎつぎ吾を訪ね来てなだめつすかしつ......出で中井忠次氏の家に到りてしばしを休らふ里びとは竹村の言を憤ほり吾をなだめて止めむ... | 1189 | ||
1190 | 霧の海 | 東上の旅 | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 6 件/里=6 | ...の三保の神社に詣でてぞゆく真夜中に若森の里立ち出でて下駄うがちつつ凍道をゆく芦の山......車降りて下清水なる富士見橋渡る 月見里神社師の君の居ませる月見......里神社御前に正午十二時詣でし大前に祝詞を宣......たたせり夕暮をまた舟に乗り師の君と清水の里にやすく帰れり 帰国師の母はわが子に......二十五日の夕暮にわれ若森のさとにかへれり里びとは吾を迎へて慇懃に長途の旅をねぎらひ......りかへりし御神璽を村人つどひ会合所に祭る里人は夜の明けし如き心地すとよろこび勇み祭... | 1190 | ||
1191 | 大地の母 | 第1巻「青春の詩」 | 深山の草 | 出口和明 | 1993刊 | DB・ RMN |
全 6 件/里=6 | 1191 | |
1192 | 大地の母 | 第1巻「青春の詩」 | 波濤の図 | 出口和明 | 1993刊 | DB・ RMN |
全 3 件/里=3 | 1192 | |
1193 | 大地の母 | 第1巻「青春の詩」 | 久兵衛池事件 | 出口和明 | 1993刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | 1193 | |
1194 | 大地の母 | 第1巻「青春の詩」 | 多情多恨 | 出口和明 | 1993刊 | DB・ RMN |
全 3 件/里=3 | 1194 | |
1195 | 大地の母 | 第1巻「青春の詩」 | 安閑坊喜楽 | 出口和明 | 1993刊 | DB・ RMN |
全 9 件/里=9 | 1195 | |
1196 | 大地の母 | 第1巻「青春の詩」 | 亀山城 | 出口和明 | 1993刊 | DB・ RMN |
全 3 件/里=3 | 1196 | |
1197 | 大地の母 | 第1巻「青春の詩」 | 園部殖牛社 | 出口和明 | 1993刊 | DB・ RMN |
全 4 件/里=4 | 1197 | |
1198 | 大地の母 | 第1巻「青春の詩」 | 愛おとめ | 出口和明 | 1993刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | 1198 | |
1199 | 大地の母 | 第2巻「霊山の秘」 | 借り猫 | 出口和明 | 1993刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | 1199 | |
1200 | 大地の母 | 第2巻「霊山の秘」 | ラムネの泡 | 出口和明 | 1993刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | 1200 |