番号 | 文献名1 | 文献名2 | 文献名3 | 著者 | 発表年 | 詳細 | 本文内のヒット件数 | プレビュー(最大 8 件まで表示) | 番号 |
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1301 | 暁の烏 | (二)三代教主の御役 | 井上留五郎 | 1925刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...いのである。霊山高熊山の所在地たる穴太の里に、聖観世音を祭られたるも、神界における... | 1301 | |
1302 | 暁の烏 | (一)霊眼(以前と現時との比較) | 井上留五郎 | 1925刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...家庭における状況霊視の即時証明。一、二百里も隔たりたる某信者の状況霊視ならびにこれ... | 1302 | |
1303 | 暁の烏 | (五)綾部及び亀岡における大本の新事業 | 井上留五郎 | 1925刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...会の設立及び人類愛善新聞の発刊一、仏国巴里市に人類愛善会欧洲本部及び支部、瑞西ゼネ... | 1303 | |
1304 | 暁の烏 | (二)引掛戻の仕組 | 井上留五郎 | 1925刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...ら、誰も慢心のないものはないから、九分九里まで取違いを致して、結構な御用を取外すか... | 1304 | |
1305 | 暁の烏 | (三)神罰と御気付 | 井上留五郎 | 1925刊 | DB・ RMN |
全 3 件/里=3 | ...である。つくものならば愛というものは、千里ほど向こうに行ってしまっている。また神様......れば、神そのもののご神格というものは、千里ほど向こうに脱出してしまっているのである......うしようかと考えておっても仕方がない。千里の路を行くのにも、左の足から右の足という... | 1305 | |
1306 | 暁の烏 | (五)官憲及び世間に対する心得 | 井上留五郎 | 1925刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...十四号十頁) 霊界物語第二十八巻、海洋万里、卯の巻の跋文暗闇を参照すべしであります... | 1306 | |
1307 | 暁の烏 | 附録索引 | 井上留五郎 | 1925刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ... 如=は如意宝珠の略 海=は海洋万里の略 舎=は舎身活躍の略 真=は... | 1307 | |
1308 | 道之大本 | 第1章 | 出口瑞月 | 1927刊 | DB・ RMN |
全 10 件/里=10 | ...れば、地球と月との距離は九万七千八百五十里、太陽との距離は三千八百四万......里、海王星との距離は十一億九千万......里である。海王星は太陽系の最も遠きものであ......より他に存在する恒星に至りてはその距離億里兆々......里をもつて数へねばならぬ。恒星の最も太陽系......近き者といえへども、その距離は二十二兆英里も在る。ゆゑに恒星の最も遠きものに至つて......に恒星の最も遠きものに至つては、億々兆々里の距離ありて数ふべからざる無限のものであ......である。三、光線の速力は一秒間に七万六千里である。太陽の光線は三千八百四万里の距離... | 1308 | |
1309 | 道之大本 | 第33章 | 出口瑞月 | 1927刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...通機関の完備し坤与を縮少せしめたる事幾千里、実に便利極まる聖代とはなりぬ。二、され... | 1309 | |
1310 | 道之大本 | 第34章 | 出口瑞月 | 1927刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...も忽になすことなかれ。小さき蟻の穴より千里の堤も崩るることあり、恐るべし。六、善な... | 1310 | |
1311 | 二名日記 | 昭和3年5月6日 | 月の家(出口王仁三郎) | 1928刊 | DB・ RMN |
全 3 件/里=3 | ...行きて青々と莢のみ重くかたむく野辺かな。里川の流れも清く田の中に二筋三筋見えて凉し......瀬戸の海波も静かによこたはる見ゆ。住吉の里かは知らねど余りにも黒き家のみ並ぶ駅かな......ねど余りにも黒き家のみ並ぶ駅かな。住吉の里も生存競争の疲れにいたくさびれけるかな。... | 1311 | |
1312 | 二名日記 | 5月7日 於高知市足立家 | 月の家(出口王仁三郎) | 1928刊 | DB・ RMN |
全 3 件/里=3 | ...にさへ描けず。砂利あさる舟もいつきて鏡川里の童の小魚とり遊べる。浦戸湾そそぐ鏡の川......しるさんと筆持てば紀貫之の偲ばるるかな。里人がたななし小舟に棹さしてかがみの川の浅......の凹みに雨の溜りけり。幼児を背に負ひつつ里の女が土堤行く姿の詩的なるかな。次々に新... | 1312 | |
1313 | 二名日記 | 5月9日 於香長支部 | 月の家(出口王仁三郎) | 1928刊 | DB・ RMN |
全 3 件/里=3 | ...擦り乍ら、四台の自動車に分乗して、約三十里の海岸線を疾駆する事となつた。夜来の雨は......に暉き初めて吹く風凉し。勇猛な土佐闘犬を里人の連れ行く姿の勇ましく見ゆ。貫之の歌に......し。土佐日記鳴津の浦と記したる硯ケ浦は一里の海浜其昔奈良志津の浦と云ひしも鳴津浜も... | 1313 | |
1314 | 二名日記 | 5月11日 於阿波徳島支部 | 月の家(出口王仁三郎) | 1928刊 | DB・ RMN |
全 4 件/里=4 | ...石、大歩危、小歩危なぞ山路を走りて二十五里を突破し、鉄路の通ふ池田の駅につく。此処......いよ上り坂となりけり。樹々茂る根曳峠を二里上り峠に立てば雨雲低し。降る雨に煙れる雲......いと珍らしく水車の廻ふ見ゆ。三名村下名の里に来て見れば小さき狭き学校建ちけり。吉野......夢に過ぎけり。古の土佐の街道見え初めて三里半行きや池田駅とふ。銅山川橋を渡れば渓深... | 1314 | |
1315 | 二名日記 | 5月13日 於沖ノ洲支部 | 月の家(出口王仁三郎) | 1928刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...わたり吉野川長大橋を進む愉快さ。徳島ゆ三里隔てし撫養の町に正午十二時着きにけるかな......の建築はあたりに見られぬ壮観なりけり。三里余の道を苦もなく乗り越えて吉野川なる大橋... | 1315 | |
1316 | 二名日記 | 5月14日 於栲機支部(棚野支部改称) | 月の家(出口王仁三郎) | 1928刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...す青く繁く、渓流ますます清く美はしく、六里の行程も何の退屈も覚えず、地方の信者に迎......る遣り水の音清く響きて、仙境を偲ばしむ。里の童は所狭きまで集まり来たりて、吾面を一... | 1316 | |
1317 | 二名日記 | 5月15日 於徳島中央支部 | 月の家(出口王仁三郎) | 1928刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...の枕は依然として深淵の中に現存せりとて、里人は是を永久の謎として伝へ居れりと云ふ。......浦堤を馳せ行く凉しさ。一時間半を要して七里路越えて徳島公園に着く。 ○明光社第二十... | 1317 | |
1318 | 二名日記 | 5月16日 於高松市新港町嶋中氏方 | 月の家(出口王仁三郎) | 1928刊 | DB・ RMN |
全 4 件/里=4 | ...もとに進む。左手なる八坂神社を後にして四里の上下の坂にかかりぬ。面白く葛のからみし......副守護神を満足させたる其翌日高知より卅数里を隔てたる、日本新八景の第一位室戸岬に案......残りて自動車、馬車の通ふ事となりぬ。廿数里の渓路は大部分川沿ひにして、風光殊に麗し......百枚蓆の大紙鳶なぞ物珍らし。 此処より一里にして有名なる鳴戸あり、案内すべければ、... | 1318 | |
1319 | 二名日記 | 5月17日 於高松市嶋中家 | 月の家(出口王仁三郎) | 1928刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...茂りたる亀命の山姿見るも目出度し。亀岡の里の清けき牛窪氏館に宿る瑞月一行。... | 1319 | |
1320 | 二名日記 | 5月18日 於高松市亀岡牛窪家 | 月の家(出口王仁三郎) | 1928刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...り選み初めけり。紫雲山青葉に暮れて亀岡の里に凉しき風吹きわたる。山も野も若葉の衣き... | 1320 | |
1321 | 二名日記 | 5月20日 於高松市紫雲閣 | 月の家(出口王仁三郎) | 1928刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...。蛙なく田の面の稲を照らしつつ蛍飛び交ふ里の夕暮。並松の小溝を通れば赤々と水草の根... | 1321 | |
1322 | 二名日記 | 5月25日 於道後鮒屋旅館 | 月の家(出口王仁三郎) | 1928刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...。小丘を残らず開き梨の畑處狭きまで作れる里かな。雉の住む怪島の山は海中にかすみの幕......瓦焼く松の枯葉を山の如浜辺に積める菊間の里かな。清々し海原見れば遠近と青き小島の浮... | 1322 | |
1323 | 二名日記 | 5月28日 於二名洲支部 | 月の家(出口王仁三郎) | 1928刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...して清々しくも神言を宣る。大友山ふもとの里の恵原支部さして自動車三台馳せ行く。恵原... | 1323 | |
1324 | 二名日記 | 5月30日 於郡中支部 | 月の家(出口王仁三郎) | 1928刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...左手の原野に横たはるを見つつ車は早くも三里の路を突破して郡中町に入りぬ。此間僅に三... | 1324 | |
1325 | 二名日記 | 5月31日 於大洲支部 | 月の家(出口王仁三郎) | 1928刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...らしかりけり。海岸は神代樹木の化石のみ数里続きてながめ美はし。豊田村老松一本樹つ下... | 1325 | |
1326 | 二名日記 | 6月1日 於大洲佐賀家 | 月の家(出口王仁三郎) | 1928刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...西へ西へと向日町上る山崎高槻や客も吹田の里越えてよしもあしきも浪花江の大阪駅に着き......の流れに沿ひ乍ら雨降りしきる大野原二十数里の鉄路をば無事に漸く徳島の分所の庭につき... | 1326 | |
1327 | 二名日記 | 6月4日 於神集殿 | 月の家(出口王仁三郎) | 1928刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...宣使まめ人の面会続々いそがしきかな。綾の里天恩郷を旅立ちて二名の洲の愛媛見しかな。... | 1327 | |
1328 | 民謡 波の上 | 対馬 | 月の家和歌麿(出口王仁三郎) | 1930刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...お顔見るまで寝られない○浪の花咲く龍宮の里に君は今頃和多津島○私や和多津美お宮の鳥... | 1328 | |
1329 | 民謡 月の都 | 花明山 | 月の家和歌麿(出口王仁三郎) | 1931刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...いつも穴太が気にかかる私や穴太出て綾部の里にひらく三五の道の主忠と孝との二つの道を... | 1329 | |
1330 | 民謡 月の都 | 情歌 | 月の家和歌麿(出口王仁三郎) | 1931刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...と水くさい私の心を汲まぬ君私や恋ひしい千里の君の秋の長夜に夢を見る君の姿は月雪花か... | 1330 | |
1331 | 民謡 月の都 | 鳥づくし | 月の家和歌麿(出口王仁三郎) | 1931刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...の若後家さんの家に巣をくむ若つばめ鷲は千里の山坂こえて君に逢ひたさ来たば雁うかと鸚... | 1331 | |
1332 | 民謡 月の都 | 台湾 | 月の家和歌麿(出口王仁三郎) | 1931刊 | DB・ RMN |
全 5 件/里=5 | ...国見する高砂人種が十字路駅に邦人迎ふる阿里の山ほんにあやふい阿......里山鉄道くねりくねりて崖走る君が千歳を寿山......港口官舎一夜の宿借る尉と姥雲の上に浮く阿里山高峰七五三の縄はる御神木一万岼ゆ雲海み......とのやうだといはれ赤い顔する猩々木主と千里の波涛を渡り円満清朗の月をみるあつい二人......乗つて出て来た蓬莱丸で帰る海中よしの丸千里へだてた高砂島で故郷思はぬ二人づれ恋の花... | 1332 | |
1333 | 大本の道 | 第一三章 神業と宣教 | 出口王仁三郎 | 1947刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...救ひゆけかし愛善の道植ゑてみよ花の開かぬ里はなし誠の道の開けざらめやいり豆に花咲く... | 1333 | |
1334 | 大本の道 | 第一六章 みろくの世へ | 出口王仁三郎 | 1947刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...綾部は神の現れませる聖地てるたへの綾部の里はかしこくも神の本宮国の真秀良場にしき織... | 1334 | |
1335 | 大鏡 | 30 三六の数 | 出口王仁三郎 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...間をもつて一丁とし、六六三十六丁を以て一里と定められある如く、何れも皆三六の数を基... | 1335 | ||
1336 | 宣伝使の心得 | 力相応の御用 | 出口王仁三郎 | 1952刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...の前途はまだまだこれからでありまして、千里の道なら未だ一歩踏み出したばかりでありま... | 1336 | |
1337 | 宣伝使の心得 | マホメットの教訓 | 出口王仁三郎 | 1952刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...の如きものである。一本のマッチをもって千里の原野を焼く如くに、宣伝使一人が言葉をあ......分は救世主であるという事を知り、すぐに郷里へ帰って駱駝売りをやめてしまって、自分は... | 1337 | |
1338 | 宣伝使の心得 | 時代を順応指導せよ | 出口王仁三郎 | 1952刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...行けないかわからぬ。けれどもこうして、千里もへだたった人と一堂に会することが出来る......てが経綸ならざるはないのであって、一瀉千里の勢いで進展して居るのであります。それで... | 1338 | |
1339 | その他 | 錦の土産 | 出口王仁三郎 | 1924著 | DB・ RMN |
全 5 件/里=5 | ...以上 権倒全身之智勇 開拓里之荒原 神龍雖潜淵 苟非......月三日 瑞月 全身の智勇を権倒し 万里の荒野を開拓す 神竜淵に潜むと雖も ......即有青山 大正甲子正月五日夕身はたとへ千里の外に寄する共 いかで忘れん君の真心 ......有 神 音エス語の元勲重松太喜三氏及び由里忠勝氏を大切に遇す可し由......里氏は大本へ雇入れ 相当の手当てを支給可し... | 1339 | |
1340 | その他 | 入蒙の意図するもの(仮題) | 出口王仁三郎 | 1923刊 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...るいは北欧の広野に孤影をひき、あるいは万里の波涛を越え、あるいは雲山霞壑(雲かかる... | 1340 | |
1341 | その他 | 大本教に就いて | 中村古峡 | 1921刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...も斯う云ふ傾向があつた。日露戦争後には千里眼問題がやかましくなつて、彼方にも此方に......題がやかましくなつて、彼方にも此方にも千里眼が輩出した。殊に今日は欧洲戦争で非常に... | 1341 | |
1342 | その他 | 所謂世界的秘密結社の正体 | 吉野作造 | 1921刊 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...う云ふ演説の起りは西洋にあるので、恰度巴里講和会議のあつた頃、之に関する或本が西洋......つて居る(一二〇-一二三頁)。 次ぎに巴里の平和会議に於いても亦マツソンが大いに活... | 1342 | |
1343 | その他 | 筑紫潟 二代教主・三代教主補九州巡教随行記 | 加藤明子 | 1923発表 | DB・ RMN |
全 5 件/里=5 | ...がある。教え子たちが沢山にいる。聞けば一里ばかりの道を数十人の生徒たちが、今日も迎......ない有り難い一日を私 支部を東北に距る一里半ばかり。熊本県鹿本郡、三玉村大字龍泉に......日午前九時自動車にて大津駅に向かう。この里程約四......里。自動車がたいそうお好きな二代様は、「私......口も極めて小さくなっておるが、古は直径数里に亘っていたそうで、今の阿蘇郡は実に当時... | 1343 | |
1344 | その他 | 九鬼神伝全書(一部分) | 吾郷清彦 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | 1344 | |||
1345 | その他 | 大本教手入れの前後 | 唐沢俊樹 | DB・ RMN |
全 1 件/里=1 | ...れるまま、筆を執つてはみたものの、いま郷里にある身の、身辺になに一つ参考資料がある... | 1345 | ||
1346 | その他 | 蒙古人とエスペラント | 唐沢俊樹 | DB・ RMN |
全 2 件/里=2 | ...あるといふ事を知つて居る。秦の始皇帝が万里の長城を築いて防いだ位だから獰猛な奴に違......八人連れて他の味方はパインタラから五十清里後に置いといて行つた。左すると道に何千と... | 1346 |