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キーワード: で王仁三郎文献を検索した結果を表示しています。
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番号 文献名1 文献名2 文献名3 著者 発表年 詳細 本文内のヒット件数 プレビュー(最大 8 件まで表示) 番号
1801 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >3 最の反抗 久兵衛池事件 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...、はからずも、社会にたいする批判精神の最の爆発ともいうべき事件がおこった。 上田... 1801
1802 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >3 最の反抗 亀山城のあと 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 0 件/初=0   1802
1803 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 新事業の失敗 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/初=2 ...夢は、はてしなくひろがっていった。 明治年の穴太周辺は、米と麦を主要な産物とする......なっていたろうという村の古老もある。 最に手がけたのは米搗機であった。後年の歌に... 1803
1804 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 牧夫の生活 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...に問いてもわからなかったが、二二才のときめて歌を学んだ岡田惟平に、歌垣の作り方か... 1804
1805 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 書画と信心 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...(上)電車内風景─明治28年京都で日本最の市街電車が開通した(下)人情の風刺画 ... 1805
1806 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 精乳館・上田牧牛場 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...た喜三郎の搾乳事業は、成功をおさめた。最はごく少なかった牛乳の需要者も、だんだん... 1806
1807 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 喜楽天狗 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 4 件/初=4 ...神がかりや術者・祈祷者がおり、喜三郎は最そのようなものの一人とみられていたのであ......治療するようにと申し入れた。喜三郎は、最「医者が目的ではないから」とことわったが......。これが、喜三郎が鎮魂で病気をなおした最であった。喜三郎の鎮魂は良くきいたので、......った。これらの人々や、やがて、喜三郎の最の幽斎修業の集まりに参加した人々について... 1807
1808 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 幽斎の修業 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...がよく、男子は一五、六才が適齢である。最多田琴(喜三郎を養子に望んだ侠客多田亀の... 1808
1809 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 稲荷講社と本田親徳 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/初=2 ... 一八九八(明治三一)年四月旬、喜三郎は御嶽教太元教会の中教正松山昇......った。喜三郎の信者としては、この大石が最の者だといわれる。 しかし、八人の幽斎修... 1809
1810 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 参綾への道 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...った。 下司は博奕打ちであったらしく、最の幽斎修業に参加した斎藤静子(斎藤仲一の... 1810
1811 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 開祖との対面 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/初=3 ...して、それがかかりでありたのざ 喜三郎の参綾当時、開祖は、金光教側が大本の神をな......くおこなわれていた稲荷下げを予想して、最は、喜三郎にたいしてあまり好意的ではなか......○大広前-裏町の伊助の倉(開祖と喜三郎の対面の場所) p169... 1811
1812 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 霊学指導 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...北桑田にかけて布教活動を開始した。まず最に、園部上本町の奥村徳次郎が熱心な信者と... 1812
1813 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 祭典と行事 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...の大祭は、もっとも意義ぶかい祭典として当よりおこなわれていた。世間でおこなわれて... 1813
1814 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみの結婚 神定の結婚 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...の姿の貞任にそっくりの感じでした。これがめて会ったときの印象でした。先生(上田)... 1814
1815 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き 冠島と沓島 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...て男子としての取扱いをうけた。女子は明治年まで参拝できなかった。古くは社前にいつ... 1815
1816 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き 鞍馬山まいり 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...改心すべきであり、これが「広前の立替えの発」(旧9・6)であるとされた。鞍馬山参... 1816
1817 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 元伊勢お水のご用 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...ける水の信仰は、綾部市田町の区民が、明治年まで毎年四月二三日若宮下の清水をくんで... 1817
1818 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり 岩戸がくれ 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...。小松林(素盞嗚尊の分霊)のやり方では最にはうまいやり方結構なげなが、尻すぼまり... 1818
1819 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり 開祖と会長との対立 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...性を欠くと心痛していた。 会長のもっとも期の著作と考えられる『玉の礎』(明治33... 1819
1820 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >4 沓島ごもり 4 沓島ごもり 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...結構なことばかりである。あのお光りは世のまりの結構なお光りでありたぞよ」(明治4... 1820
1821 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >1 会長の教説 著作と布教 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...の神諭」には「変性女子の御魂に坤の金神をめ数多の神霊憑り玉ひて、予言なり、警告な... 1821
1822 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >1 会長の教説 救いの教義 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...りてあめより茲に明治三十七年四月の八日、めて瑞の宮居と定められ、世界を救ふ為に千... 1822
1823 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 「直霊軍」の創刊 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/初=2 ...あつめるのに効果があった。 王仁三郎が最に着手したのは、開祖の筆先の中で、とくに......教団づくりはまだはじまったばかりである。期の布教は、とくに慎重でなければならない... 1823
1824 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 造営と宣教 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/初=2 ...召問屋をいとなむ。一九〇〇(明治三三)年参綾、一九〇九(明治四二)年再参続、主と......であったし、梅田常次郎にしても、京都で最に大本の支部を設立した近松政之助が、鎮魂... 1824
1825 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >2 大正の 2 大正の 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 0 件/初=0   1825
1826 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >2 大正の 大本教の教規と信条 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 0 件/初=0   1826
1827 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >2 大正の 「敷島新報」と直霊軍部隊 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/初=3 ...同時に、ちょうど町の通水路ができ、その最の水が流入して池に満水した。それは、水も......(大正四)年一月八日には「京都分営直霊軍出陣」とあり、九月二五日には本部で旗上式......知識人の入信としては、福中がこのころの最の一人といえる。一九一五(大正四)年の春... 1827
1828 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >3 皇道大本 浅野の入信 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...だんだんと浅野は大本に興味を感じ、やがて参綾となったのである。 王仁三郎は四月二... 1828
1829 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊 創刊の辞と檄 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...、世界の為に一身一家を顧る暇無く大活動をめました。たとひ世の人々から狂と嘲られ、... 1829
1830 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊 神諭の発表 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/初=2 ...がその都度選択して発表したものである。最に発表された神諭を左に抄出しておこう。み......浅野の「立替え立直し」観を知るには、入信期における代表的なものとして『大本神諭略... 1830
1831 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >5 大正維新の主張 皇道論 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/初=2 ...言霊」については「我国は天地開闢の時に最に造られたる真正無比の国土にして、地球の......皇ということになる。 古事記中巻に「是にめて男の弓端之調、女の手末之調を貢らしめ... 1831
1832 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >5 大正維新の主張 大正維新論 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...問はず、一切之を至尊に奉還すること、明治年に諸大名の競うて藩籍領地を奉還せし時と... 1832
1833 大本七十年史 上巻 第2編 >第2章 >1 昇天 昇天の前後 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...分からぬかと思っていたが、浄瑠璃でさえ、めて聞くと分からんのだから、神さまの教が... 1833
1834 大本七十年史 上巻 第2編 >第2章 >3 道統の継承 世継ぎ 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...。「変性男子の後の御世継は、明治二五年に発に、山口直の筆先に一度かかしたことは違... 1834
1835 大本七十年史 上巻 第2編 >第2章 >3 道統の継承 信者への影響 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...まった。翌日開祖の昇天を聞かされたが、最は笑って信じなかったという。こういう信仰... 1835
1836 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 予言の強調 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/初=2 ...の世界改造運動」と改題されて出版された。版を発行して一九一八(大正七)年一二月か......虎相打つ戊の、午の年より本舞台、いよいよ段と相成れば、西伯利亜線を花道と、定めて... 1836
1837 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 情勢の深刻化 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...ついに寺内内閣の崩壊をもたらし、わが国最の政党内閣が出現するにいたっている。 こ... 1837
1838 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 地方宣教 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/初=3 ...聞くの光栄を得た。私の学校には木原君が最で、受川、浜田、山田の諸君等は既にこの頃......共に柔道の有段者、今は二段揃ひの上に、最の程は鼻息は荒いし、怖ろしい妙な眼をして......高の大本信者』として前記四人の生活振りをめて新聞に連載されたのもこの頃であった」... 1838
1839 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 修業者の激増 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...ことになった。それまでにも、明治から大正期にかけて、地元の綾部警察署がたびたび干... 1839
1840 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 本部の動き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...あがっていった。本部へきた人々は、まず最に世間からかけ離れたふんいきを肌に感じ、... 1840
1841 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 祭事 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/初=2 ...。各自に守護神名がさげられたのは、大正の期からであったが、正式に奉斎するようにな......者の数は約一万人におよんでいる。 大正の期以来、大祭は、節分と春・秋の二季におこ... 1841
1842 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >3 積極的宣教 台湾の動き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...湾に大本教の宣伝を試みし以来、台南支部をめ新設の台北、嘉義支部からも綾部の本山へ... 1842
1843 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >3 積極的宣教 内地宣教の展開 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/初=3 ...には発会式がとりおこなわれた。そしてその代会長には浅野正恭が就任した。この確信会......には東京駿河台の明治大学大講堂で、東京最の大講演会が昼夜二回にわたって開催されて......。 大本の信者数は、一九二〇(大正九)年期のころは「信徒十万」といわれていたが、... 1843
1844 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >4 文書宣教 教説の刊行と「大本時報」 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...話』などがあり、それらの目ざすところは、信者や大本研究者を対象とする啓蒙であった... 1844
1845 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >4 文書宣教 教内の論争 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...の道は……世の立替え立直しの遂行に依り、めて貫徹し得……故に本団は之を確信して実... 1845
1846 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >4 文書宣教 社会の反応 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...の人たちは一九一七(大正六)年四月ごろ最の参綾をした。ついで久邇宮家の宮務監督で... 1846
1847 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >5 大正日日新聞 日刊新聞の経営 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...説明をこころみた。 「大正日日新聞」の最の主脳人事は、およそつぎのとおりである。... 1847
1848 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >5 大正日日新聞 新聞の論調 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...して、社会の革正をうながさんする主張が当から内包されていたので、その編集態度もは... 1848
1849 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >5 大正日日新聞 新聞と信者の立場 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...っているのに、新聞の論評はなまぬるい、最の発刊目的に反するものだという不満がおこ... 1849
1850 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >5 大正日日新聞 抵抗と閉社 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...言はれているが、古来新宗教の起るや、其説に於ては必ず迷信邪教視され、世間より大迫... 1850
1851 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >1 事件の背景 事件のあらまし 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ... 大正年における大本の信者数は干人にみたない綾... 1851
1852 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >1 事件の背景 事件の背景 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/初=2 ...げしくなっていった時期でもあった。その最の爆発が米騒動である。 米騒動の最中に寺......なった。一九二〇(大正九)年にはわが国最のメーデーが実施され一万人が参加している... 1852
1853 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >1 事件の背景 民間諸宗教への政策 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/初=3 ...業禁止」(教部省達第二号)にもとづいて最の弾圧をうけ、つづいて一八七四(明治七)......一八七〇(明治三)年、明治政府が、まず最に施政方針として、天皇を中心とした「祭政......視されてきた。神がかりや祈祷を禁じる明治年の法令は依然として効力をもっていた。ま... 1853
1854 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >2 最の警告 2 最の警告 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
RMN
全 0 件/初=0   1854
1855 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >2 最の警告 第一回調査 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...しかし、具体的に当局が調査にのりだし、最の干渉を大本にたいしてくわえたのは、一九... 1855
1856 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >2 最の警告 第二回調査 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 0 件/初=0   1856
1857 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >2 最の警告 の警告 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...省の通牒にもとづいて王仁三郎を召喚し、最の警告をだした。と同時に、第一回および第... 1857
1858 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >2 最の警告 言論界の攻撃 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 0 件/初=0   1858
1859 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >3 検挙への動向 日米戦争の予言 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...の末には台湾布教さえ開始していた。また最の警告によって、一時後退したかにみえた鎮... 1859
1860 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >3 検挙への動向 第二の警告 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/初=2 ...教の解剖』が出版されたのもこの頃である(版は大正9・8・5、10月には増補版をだ......成之を行はざること この第二の警告は、最のそれとちがって、不敬の問題・日米戦争の... 1860
1861 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >2 事件の影響 事件直後の大本 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...れ参るぞよ。女子の誠実地の御用は是からがまりであるぞよ。何時まで神が経綸の所へ連... 1861
1862 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >2 事件の影響 予審決定 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/初=3 ...ノ大将迄モ云々」というのは世界の大洗濯がまると、上ミが一旦は破れるし、下モも砕げ......ていた。大本教義が剽窃であるといって、最に攻撃をこころみたのは友清九吾であったが......も、○○でも国家でも、神界の認許を受けてめて存在を許されるので、神界で一旦つぶす... 1862
1863 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >2 事件の影響 大本教改良の意見 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/初=2 ...考へられ候今まで私は明治三十二年頃筆先をて見て、半信半疑なりしところ日露戦争あり......畏れ多く且つ愧しさに堪へ兼て居ります。最は極めて冷静なる態度を以て筆先に臨み古い... 1863
1864 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >2 事件の影響 信者の態度 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...ただしい数量にたっしこそしたが、当局が最にみこんでいた反逆の陰謀や、国家紊乱の不... 1864
1865 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >2 事件の影響 信者への迫害 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...新聞に発表した。ついで、「陸海軍当局も当の声明通り、軍人の信者に対し相当の処置を... 1865
1866 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >3 公判 教団の改革 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ... 責付出獄してきた王仁三郎が最にぶっつかった難関は、墓地問題であった。... 1866
1867 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >3 公判 本宮山神殿破壊 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ... 拝殿(左)本殿(右) p631○本宮山神応の月次祭 p632○憤!信者の悲しみのうちに... 1867
1868 大本七十年史 上巻 第4編 >第1章 >2 霊界物語の内容 あらすじ 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...治国別の宣伝使、最後に稚姫君命の再来たる稚姫の宣伝使をイソ館からつぎつぎに進発せ... 1868
1869 大本七十年史 上巻 第4編 >第1章 >3 霊界物語発表の影響 発表の経過 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/初=2 ...出したら、何辺でも後戻りを致すぞよ。今は発であるから、成る様に致して、御用聞いて......いとの意向も切実であったとおもわれる。当は、『霊界物物語』も五巻でその大要がのべ... 1869
1870 大本七十年史 上巻 第4編 >第1章 >3 霊界物語発表の影響 発表の影響 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...いし五〇〇〇部の発行と推定される(当時、版はおおむね三〇〇〇部以上発行している)... 1870
1871 大本七十年史 上巻 第4編 >第2章 >1 一部の離反 社会への復帰 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...だった信仰の動揺が明瞭にあらわれてくる最の徴候は、一九二一(大正一〇年)七月二九... 1871
1872 大本七十年史 上巻 第4編 >第2章 >1 一部の離反 浅野和三郎 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...ないというのである。「欧州大戦の真最中にめて信仰生活に入りましたので、今が邦家の... 1872
1873 大本七十年史 上巻 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 バハイ教徒の来綾 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/初=2 ...的組織の改善がはかられていった。瑞祥会の代会長には修斎会会長であった湯川貫一が就......化してくる。 大本とバハイ教との関係が最にできたのは、一九二二(大正一一)年七月... 1873
1874 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり 奉天での準備 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...である。 この日、王仁三郎と盧占魁との最の会見がおこなわれたのは、夜の八時三〇分... 1874
1875 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり 索倫山 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...五民族がよろしく宗教を奉じて潜心懺悔してめて未来の塗炭を免れることができ、また実... 1875
1876 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >4 入蒙の影響 社会的反響 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...しやうとした大胆な試みであつた。開闢以来めての企てである。而も徒手空拳を以てそれ... 1876
1877 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >3 海外への発展 文書による海外宣伝 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/初=2 ...が到るでせう」と記述するものもあった。最はこれらの手紙にたいして、ひとつひとつ手......序言 一、大本歴史の概要 起源・神諭─最の神意のひらめき・神の文章─霊界物語・重... 1877
1878 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >3 海外への発展 宣伝使の欧州派遣 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 4 件/初=4 ...外の外国語に大本関係の文献が翻訳された最のものであり、これを契機として、ひきつづ......精神運動大本」(菊判三四頁)を発刊した。版は一万八〇〇〇部印刷された。そのうち一......えもって各々エス語と日本語に訳しておき最にその自国語と日訳文を放送して、どのよう......のぞくほかは全世界にゆきわたっていた。最は英文・仏文・独文などを挿入していたが、... 1878
1879 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 機構の改革と人事 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ... 一九二五(大正一四)年の頭から、一五年の節分にかけて、三次にわた... 1879
1880 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 債務の整理 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/初=1 ...まのもので、信者方の誠心の結晶であり、最の方針を実行するよう、代表者によって処分... 1880
1881 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ みろく大祭 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/初=3 ...、〝すみわたる五十六億七千万明けし昭和の日の出かな〟とよみ、『水鏡』にも「今年即......水鏡』にも「今年即ち昭和三年辰年は、此世まつてから、五十六億七千万年目に相当する......た。政治面では昭和三年の二月に、わが国最の普通選挙による衆議院議員総選挙がおこな... 1881
1882 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ 大祭後の動き 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/初=1 ...〇万部の発行をめざして活動をつづけた。最の発行部数は約一万部であったが、昭和三年... 1882
1883 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ 聖師巡教の旅へ 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/初=2 ...づけられ、千島ではただ一回の座談で千島最の人類愛善会支部が新設された。さらに、釧......耳にしていたが、親しく氏を見るのはこれがめてである。薄小豆色の派手な縮緬紋付の羽... 1883
1884 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 巡教活動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/初=1 ...字形をなす因縁のある山である。素盞嗚尊がめて素焼を作られた所である」とのべられて... 1884
1885 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 満州巡教と世界紅卍字会 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/初=1 ...主補の巡教〉 一九三〇(昭和五)年の一月めには二週間にわたって、北丹地方の分所・... 1885
1886 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 海外の宣教 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/初=2 ...次大本事件の悪評がつたわっていたので、最は同地区の日本人から宣伝を妨害された。ま......ブラジル人たちが毎日くるようになった。最のころは、お取次は週一回日曜日としていた... 1886
1887 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き 宗教と芸術 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/初=2 ...和四)年の四月三日から五日間、金沢市で最の作品展がひらかれた。これには、美術工芸......本館の活躍は実に目覚しきものありたり。当大本教は宗教界の惑星として斯界に於ても、... 1887
1888 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き 本部の体制 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/初=3 ...、その普及統一をはかることになり、その最に任命をうけたのは聖師の実弟小竹玖仁彦で......さげられた。 一九二二(大正一一)年から夏には水難よけとして和知川で修祓がおこな......とになった。 各家祖霊の霊璽には、大正の期に、鏡と五色の絹糸などをとりつけていた... 1888
1889 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き 梅花運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/初=1 ...たちあがってきた。一九二九(昭和四)年のめごろには、亀岡天恩郷内で昭和青年会が結... 1889
1890 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 人類愛善と青年の動き 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/初=4 ...青年会が成立したのは一九二九(昭和四)年めのことで、伊藤栄蔵・林英春・大崎勝夫・......師によって「昭和青年会」と命名された。当は、青年奉仕者の親睦と奉仕活動に力をそそ......五)年一一月二五日の大本秋季大祭を期しての全国大会がもたれ、地方の青年会からは五......しての雑誌の発行は昭和五年五月からで、最はガリ版刷りの粗末なものであったが、三号... 1890
1891 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 大本本部の指導態度 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/初=1 ...ち暗雲は直ちに払拭せられて東亜の光は輝きむるであろう」(昭和6・10・13)と論... 1891
1892 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 『天祥地瑞』の口述 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/初=4 ...有の言霊学の力をかりて、大虚空に於ける最の神々の御活動を謹写せむとして著はしたる......したる物語なり。又神生み国生みの物語も最の神々は幽の幽に坐しませば、現代人の如く......せて国を生み神を生み給ひしを知るべし。最の神々は何れも幽体隠神に坐すが故に、男神......明の気放射して、円形の圈を描きヽを包み、めて⦿の言霊生れ出でたり。此の⦿の言霊こ... 1892
1893 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 多彩な大本 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/初=1 ...助成会が主張したものである。恤兵財団は最から昭和坤生会に依存するところが多く、こ... 1893
1894 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 挙国更生運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/初=1 ...当局はこうした時局に直面して昭和七年九月めから「国民運動」をよびかけた。それは「... 1894
1895 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 昭和青年会と防空運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/初=1 ...大会をひらいた。これが昭和青年会による最の市中行進である。主催に加わった団体は、... 1895
1896 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 諸運動の指導理念 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/初=1 ...るのである。したがって聖師が「我国には太より教なくして教あり、道なくして道あり、... 1896
1897 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 指導精神の統一 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/初=1 ...民常識として不穏なる言動、又は既成宗団をめ各種団体及び個人に対し排撃的言動は之を... 1897
1898 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 天皇機関説と人類愛善新聞 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/初=1 ...と大見出しをつけ、中見出しには「御一新当より続く明暗の二大潮流、暗流に棹して蠢動... 1898
1899 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 創立一周年 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/初=1 ...堂での昭和神聖会北海道地方本部の発会を最として、三日旭川・四日小樽・六日帯広・七... 1899
1900 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >1 巡教 日出麿師の宣教と教化 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/初=1 ...会・世界紅卍字会連合の総会で、総統補は「等教育の普及を図ること、官民協力して道路... 1900
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