番号 | 文献名1 | 文献名2 | 文献名3 | 著者 | 発表年 | 詳細 | 本文内のヒット件数 | プレビュー(最大 8 件まで表示) | 番号 |
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1901 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >2 教団の充実 | 本部での動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...園とし、日曜学校をもあわせて開設した。最初の入園児は一〇〇余人であった。昭和八年七... | 1901 |
1902 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >2 教団の充実 | 神苑の造営と祭事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...こなわれた。大本会館は建坪二五〇坪で、最初昭和青年会館として企画されたが、その後芸... | 1902 |
1903 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 | 諸団体の活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...なわれた歌祭りが、地方における歌祭りの最初で、ついで一二月八日島根別院でもおこなわ... | 1903 |
1904 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 | 海外での発展 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...響があった。愛善会員の安部忠夫中佐は九月初旬、一八万三〇〇〇人の匪賊を麾下におさめ......を学びたいもののために開講されたもので、初級・中級・高級にわけ、三ヵ月の速成教育で... | 1904 |
1905 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 | 昭和神聖会と国家改造運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...省警保局の秘密報告書には、「本問題はその初発形態は一、二個人の言説に対する排撃にあ... | 1905 |
1906 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 | 国家改造請願運動の流言 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...ないとさへ言はれてゐる。之れがためか、最初にこの運動に参加して来た愛国団体も、該運... | 1906 |
1907 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >2 検挙への準備 | 検挙の理由 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...のですね。現役将校の出入りが多い。……最初私達が調べなければならないと思ったのは、......ない」(「古賀談話」)として、内務省は最初昭和神聖会に注目していたが、その母体であ... | 1907 |
1908 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >2 検挙への準備 | 大津会議 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...わえた。 この会議については古賀は、「当初は単なる不敬に目標をおいていたが、これは... | 1908 |
1909 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >2 検挙への準備 | 閣議決定 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...違反という罪名が、宗教団体に適用された最初の事例であるということも重要である。従来... | 1909 |
1910 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >1 昭和一〇年一二月八日 | 出口聖師と幹部らの検挙 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...対する大検挙に当り 貴台特高課長としての初陣として御参加御協力ありたるは さぞかし......の大見出しほどは見ることが出来る。ここで初めて聖師も松江で検挙を受けられたこと、大... | 1910 |
1911 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >1 昭和一〇年一二月八日 | 「邪教」との断定 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ... 大本検挙への動きを最初にキャッチした「大阪毎日新聞」は、はやく... | 1911 |
1912 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >2 警察の強圧と取調べ | 信者の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...常に倍し、本部からあずかっていたご神体が初修業者などに全部下付されたとき、解散とな... | 1912 |
1913 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >2 警察の強圧と取調べ | 暴行と「自白」の強要 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/初=3 | ...特高課員二六人)の三者が合同して事件以後初の大規模な打合わせをおこなった。そして(......こととす。(一月二十五日)彼等は何れも最初神霊の説話、又は宗教乃至精神的問題等に仮......て検討しておく必要があろう。 第一は、最初に自白したのが東尾であるかのように記述さ... | 1913 |
1914 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >3 大本抹殺の命令 | くずれゆく教団 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...至第二次送局の中に入るべきであったが、最初妖教の内容其他機微、不敬にわたる一切を極......にかんがみ慎重を期した。司法省には事件当初から大本にたいする治安維持法適用について... | 1914 |
1915 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >3 大本抹殺の命令 | 土地の不法処分 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...く、教団財産一切の処分を強行する方針を当初からたてていた。弾圧直後いちはやく中村と... | 1915 |
1916 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 海外へも波及 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...べは内地同様きびしかった。昭和一一年二月初めには、台湾法院の書記か京都にきて、特高... | 1916 |
1917 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 起訴と起訴猶予 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...誠二 野崎斌 鈴木恒男 鈴木喜久男 戸部初太郎 三浦要 添田藤右衛門 加藤利七 日... | 1917 |
1918 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 弁護活動への準備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/初=4 | ...なかで法廷闘争への準備がはじめられた。当初から、姑息な手段による事件解決への道をす......積極的な道がえらばれたのである。 事件当初、〝かくのみの陥穽ありともしらずして正は......にしなければならないというつよい信念を当初からかためていたのである。また赤塚は第一......を借りてそこへうつされた。差入事務には当初から手伝っていた信者の山下八郎が主として... | 1918 |
1919 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 宗教への弾圧 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...保安課長、局長まで進言して宗教係が出来、初代の主任が私になったわけです。大本事件で......の一二月一〇日には、宗教制度調査委員会が初の総会をひらいて大本検挙問題について審議... | 1919 |
1920 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >1 予審 | 未決の生活 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 5 件/初=5 | ...所)に入るや衣服を一通り検べられ、生れて初めて、かの不快な網笠を冠むらされ、看守の......安な孤独感に襲はれるのでありました。全く初めの一、二週回は孤独感とガタンピシヤリの......屈の精神をよみがえらせたものであろう。当初の衝撃からいちはやく立直り、灰色の牢獄さ......吾はますます心かたまる〟〝風にさえも漸く初夏の声ありて更生の気は天地にあふるる〟〝......夏の声ありて更生の気は天地にあふるる〟〝初夏の風青垣山を清めつつ渡り行くかも心すが... | 1920 |
1921 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >1 予審 | 予審での取調べ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...然御判リ下サルト存ジマスル昭和一二年八月初旬病ヲ冒シテ予審廷へ出頭致シマシタラ 劈......した。譬へて言ふなら、警察、検事局では最初足枷をはめて、自由を失はしめはするが、そ... | 1921 |
1922 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >1 予審 | 弁護団の構成 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...事件の内容が、まず弁護人に伝えられた。最初に配布された出口伊佐男の予審調書の写しを......った。 しかしこれよりさき、清瀬が直日に初めて面会したとき、清瀬は「この事件は死刑... | 1922 |
1923 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) | 準備公判 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...公判廷には、父や母や最高幹部よりも私を最初に出してもらひたい。まず私の予審調書の作... | 1923 |
1924 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) | 事実審理 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...…拘留執行に対する抗告は日本ではこれが最初だ』と述べてをり、学界にも注意を喚起して... | 1924 |
1925 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) | 弁護人の弁論 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...それぞれ弁論を分担した。しかし、事件の当初から終始一貫して被告人たちを鞭撻激励し、... | 1925 |
1926 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) | 第一審の判決 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...の間国内政局の変転ははげしく、日中戦争当初の第一次近衛内閣から平沼内閣(昭和14・... | 1926 |
1927 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >3 護教 | 弁護活動への献金 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...状況は本編二章でのべたとおりであるが、当初は田代・清瀬・林ら東京側弁護士の動きが主... | 1927 |
1928 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >1 第二次世界大戦の進行 | 治安維持法の「改正」 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...。「現行治安維持法ハ……大正末期ヨリ昭和初年ニ掛ケテノ思想運動情勢ヲ背景トシテ規定... | 1928 |
1929 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >1 第二次世界大戦の進行 | 日米の開戦 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/初=3 | ...)年一一月五日の御前会議ではすでに一二月初旬の開戦が決定されていた。そして一二月一......洋戦争は勃発した。 ここでしばらく開戦当初の戦績をいちべつしてみよう。一二月八日に......の検挙は「文部省公認の基督教団に対する最初の検挙として、又永年外国教会の指導を受け... | 1929 |
1930 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >2 第二審の公判(大阪控訴院) | 土地返還請求の提訴 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...迫ニ因ル真意ニアラサルモノナルヲ以テ 当初ヨリ無効ニアラサレハ取消シ得ヘキモノニ属......トヲ得 (第百二十一条)取消シタル行為ハ初ヨリ無効ナリシモノト看做ス 諸新聞はこの... | 1930 |
1931 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >2 第二審の公判(大阪控訴院) | 第二審 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...ぶ補充訊問の申請をした。それは第二審の当初に提出した「大本教義上の歴史的叙述」のな... | 1931 |
1932 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >2 第二審の公判(大阪控訴院) | 判決 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...は二時間半にわたる判決文を読みあげた。最初に判決主文が読みあげられ、治安維持法違反... | 1932 |
1933 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >1 再建への動き | 暗黒の世 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...未と申とが腹を減らして惨たらしい酉やいが初まるぞよ』(大正7・12・22)とあるが... | 1933 |
1934 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >1 再建への動き | 荊棘をこえて | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...相ついで検挙され、そのうち小原寅吉・門野初蔵・宮西豊蔵・岩戸安吉らはそれぞれ「略式... | 1934 |
1935 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >2 事件の解決 | 戦争の終結 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...たのである。 八月六日には、広島に世界最初の原子爆弾か投下された。九日には長崎にも......は崩壊した。二二日アメリカ政府ははやくも初期の対日占領方針を発表し、日本の民主化、... | 1935 |
1936 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >2 事件の解決 | 大審院の判決 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...審の判決をつたえた新聞 その報道は事件当初にくらべてきわめてちいさくなおも有罪を強... | 1936 |
1937 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >3 新生への準備 | 3 新生への準備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...のではなかった。 一一月五日、天恩郷に最初に建設する建物として瑞祥館が決定した。大... | 1937 |
1938 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >4 大本事件の性格とその意義 | 第二次大本事件 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...はわからぬと談話を発表しているように、当初から政府・司法部内においても相当に疑義が... | 1938 |
1939 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >4 大本事件の性格とその意義 | 事件の意味するもの | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...代つづく神国の世にいたすぞよ。……」との初発の神諭(明治25・1、上巻九四頁)にも... | 1939 |
1940 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >1 信教自由の実現 | 日本の敗戦 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...日広島に、つづいて九日長崎に、人類史上最初の原子爆弾攻撃がおこなわれ、ソ連が参戦す... | 1940 |
1941 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >1 信教自由の実現 | 占領下の日本民主化 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...うして、占領軍による日本民主化は、占領当初には、日本における民主主義の前進におおき... | 1941 |
1942 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >1 信教自由の実現 | 国家神道の禁止と信教の自由 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ... 占領軍は、占領当初の一九四五(昭和二〇)年一〇月四日に、「... | 1942 |
1943 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >1 信教自由の実現 | 戦後の宗教界 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...たいする無関心の風潮をつよめ、反面、昭和初期とはことなった形で、宗教と唯物主義の問......特権の座から追放された神社神道は、占領当初から占領軍当局の意向を打診し、その示唆に... | 1943 |
1944 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >3 愛善苑の発足 | 愛善苑の設立 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...れていたところであった。そこには、占領当初のはげしく変転する情勢への配慮があったが...... p737○はじめての愛善苑設立趣意書 p738○初の愛善苑本部 昭和21年2月~11月 亀... | 1944 |
1945 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 | 本部と地方のうごき | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...台で盛大に祭典をおこなうことになった。当初本部からは「喜寿慶祝祭」として発表された... | 1945 |
1946 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 | 青少年の組織化 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...二日には綾部で本部・地方の青年一二〇人が初会合して青年運動の展開について懇談をおこ... | 1946 |
1947 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 | 生産増強運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...ことを基本方針の一つとした。愛善苑創立当初から本部には厚生部がおかれ、出口新衛が主... | 1947 |
1948 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >3 宗教提携のうごき | 愛善苑にたいする社会の反響 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...会・宗教連盟・神社新報・カトリックなどと初の共回記者会見がおこなわれ、また各地で「... | 1948 |
1949 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >4 平和憲法と愛善精神 | 4 平和憲法と愛善精神 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...「憲法改正草案要綱」を発表した。それは最初の政府原案と本質的におもむきを異にするも... | 1949 |
1950 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 >1 昇天 | 1 昇天 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...は、感激をあらたにした。 秋のおわりから初冬にかけて、医師たちは、容態は順調で急に... | 1950 |
1951 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 >1 昇天 | 招魂祭と通夜 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...義があった。 この年正月の、すみ子夫人の初夢には、「お月様が聖師さまのお部屋からあ... | 1951 |
1952 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 >2 葬儀 | 告別式と遷柩 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...如聖師の霊柩を綾部へ移動するについて、最初汽車輸送の交渉をしたが、その方法はとれな... | 1952 |
1953 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 >3 人間 出口王仁三郎 | 3 人間 出口王仁三郎 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/初=3 | ...。二代苑主による思いでのなかに、綾部で最初に聖師にあったときは、茫洋として阿呆のご......は、茫洋として阿呆のごとき人であったと最初の印象がかたられているが、聖師には時とし......にふれている。 なお作家矢田挿雲は、聖師初対面の印象を信書でつぎのように記している... | 1953 |
1954 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >1 道統の継承 | 二代の継承 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...で緊急委員会議が開催された。そこで愛善苑初代苑主出口王仁三郎聖師の昇天による教統継......気持ですか。第一肩書きが嫌いですし、……初めは固くお断わりしたのですが、みんなから... | 1954 |
1955 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >2 教団体制の確立 | 大本愛善苑 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...して愛善苑の活動がすすむにしたがって、当初つくられた愛善苑会則は、だんだん実情にそ......る」とのべられていたように、新発足した当初からの一貫した方向でもあった。この改称の... | 1955 |
1956 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >2 教団体制の確立 | 造営と祭事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/初=4 | ...楽焼や神具などが出土した。八月一四日には初水を汲み、以後神前の給仕にもちいられてい......み」がきざまれている。〈祭事〉 新発足当初は簡素な祭祀形態がとられていた。しかし、......、「惟神霊幸倍坐世」を二回ずつ奉唱し、最初と最後に四拍手する。「惟神真道弥広大出口......の鎮祭がおこなわれ、四月二九日、新発足後初の宣霊大祭が執行された。 昭和二四年一〇... | 1956 |
1957 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 | 梅花運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/初=4 | ...全信徒の一〇・三%にあたり、前年と同じく初修行者が八四%を占め、教勢があたらしい層......からは、講座は二部制をとり、従来の講座を初修行者向の一般講座として、あらたに毎月一......一回の特別講座が開設された。特別講座は当初三日間であったが、三月からは四日間とし、......、文部大臣の諮問機関である宗教法人審議会初回の委員として出口総長が選出された。〔写... | 1957 |
1958 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 | 社会福祉事業 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...げた 東光苑で遊ぶ園児と保育園 手前が当初の園舎 亀岡天恩郷 p878... | 1958 |
1959 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >4 人類愛善会の再出発 | 4 人類愛善会の再出発 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...大正一四)年六月九日、人類愛善会の創立当初において発表されたものをそのまま採用して......は突如武装警官数百名を動員して、総本部を初め全国各地の支部等を襲い、総裁出口玉仁三... | 1959 |
1960 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >4 人類愛善会の再出発 | 「人類愛善新聞」の再刊と運動の展開 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...愛善会は「一つの世界」実現の理想を発会当初から伝統的に持っており、その意味において... | 1960 |
1961 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >5 農事と芸術 | 楽天社の発足宣言とその活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 5 件/初=5 | ...裸の作品が茶の衣をつけて年代がたった時、初めて真実のわびさびが出現するであろう。作......月窯(楽焼窯)は、二月三日夜丑寅の時刻に初窯の火入れがなされた。これは大本楽天社「......作品の頒布をはじめた。なお一一月二日には初窯をいわって窯芸祭がにぎやかにおこなわれ......方の隅々に送りこむべく」、昭和二五年には初の地方巡回公演がおこなわれた。四月二五日......長田健・神戸ただえの一行は、熊本公会堂で初公演し、一五〇〇人の観衆があった。つづい... | 1961 |
1962 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第5章 >2 二代苑主の昇天 | 招魂祭と遷柩 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ... 一九四八(昭和二三)年一月、初代愛善苑主瑞霊真如聖師の昇天があり、いま... | 1962 |
1963 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第5章 >3 二代教主の面影 | 3 二代教主の面影 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...欧米各国の同志に呼びかけている大本立教当初よりの国際的気分を、充分身につけておらる......すが、人の生きる道をよく教えてくれます。初めの一本の糸道がちがうと、それこそどれも... | 1963 |
1964 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >1 教主 出口直日 | 道統の継承 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...。変性男子の後のお世継は、明治二十五年に初発に、出口直の筆先に一度かかしたことは違... | 1964 |
1965 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >1 教主 出口直日 | 三代教主の人となり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...家松野奏風は、「直日さまの仕舞について最初に私に噂さを聴かせてくれたのは、先代の金... | 1965 |
1966 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >2 「大本」の名称復活 | 2 「大本」の名称復活 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...められた教主が選任する。 この規則施行当初の代表役員は出口伊佐男、責任役員は出口栄......天声社⑯梅園⑰くるみ園⑱旧製本場(一番最初の建物)⑲愛善診療所 p964-965○梅 桃 さ... | 1966 |
1967 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >3 教主補 出口日出麿 | おいたち | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...宿して通学するようになる。学業成績は、最初の学期をのぞいてあとは一〇番以内より下が... | 1967 |
1968 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >3 教主補 出口日出麿 | 大本入信 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/初=3 | ...へとんでいって二度目の岩戸修業をした。最初の修業では尿が真黄色になり、口からはたえ......九年四月には広瀬義邦にともなわれて紀州へ初宣伝の旅をし、熊野三山に参拝した。このこ......中央) 岡山市後楽園 p973○大正8年3月初参綾し9月からは奉仕作業にいそしんだ 大... | 1968 |
1969 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >3 教主補 出口日出麿 | 結婚とその後 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...れたのが縁で、一二三のところで会ったのが初めてであったように記憶しています。……つ... | 1969 |
1970 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >3 教主補 出口日出麿 | 神仙の世界 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/初=3 | ...からは兵庫県但馬の竹田別院にうつった。最初神前の間にむかえられてしばらくいたが、の......で、その中に天地の運行が示されています。初めの第一局は陰に陽がおおわれている相で終......て、肉がついている。先生は、欧陽詢(中国初唐の書家)の世界から、甲骨文の世界までゆ... | 1970 |
1971 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >4 信徒の指導と巡教 | 信徒の指導 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...側面をのべてみたにすぎないが、そこには「初心忘るべからず」がつねに強調されるととも... | 1971 |
1972 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >4 信徒の指導と巡教 | 巡教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/初=4 | ...〈出雲・伯耆へ〉 教主就任後における初の巡教は島根・鳥取への旅であった。一九五......が、一九四六(昭和二一)年聖師夫妻の全国初巡教をむかえた五月八日(新暦)を記念して......山というところは、神代において素盞嗚尊が初めてヒラカを焼かれた処で、焼ものの発祥地...... 教主は一九五二(昭和二七)年五月の山陰初巡教以来、全国各地へおもむき、大祭にのぞ... | 1972 |
1973 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第2章 >1 みろくの世建設運動 | 信行一致 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...東京本苑」が設立され(四月一日公告)、当初の代表役員には出口伊佐男、責任役員には野......主出 口直日 綾部 みろく殿 p1011○開設初の大本東京本苑 昭和29年 右は新築の道... | 1973 |
1974 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第2章 >1 みろくの世建設運動 | 信徒の新生 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...昭和31・3)とのべられ、また「信仰には初心の─素直さと真剣味─これが一ばん大切で... | 1974 |
1975 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第2章 >1 みろくの世建設運動 | 信徒一〇万 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...送り出し八一%、信徒倍増七六%で、年度当初の目標達成まであと一息という運動のもりあ... | 1975 |
1976 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第2章 >2 教団活動の確立 | あらたな展開 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/初=3 | ...して一応の体制をととのえた教団は、年度当初にうちだされた宣信徒の指導育成、信徒増加......事・家庭の諸問題や病気など、一般求道者の初歩的指導にあてるため、一日修行「座談会」......かり、八月からは二部制を採用して第一部は初修行者、第二部は再修行者を対象とし、各四... | 1976 |
1977 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第2章 >2 教団活動の確立 | 特別宣教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...ふくめた都市世帯の増加がめだち、新発足当初から課題となっていた都市宣教も、着実に成... | 1977 |
1978 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第2章 >3 諸団体の活動 | 社団法人愛善みずほ会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...五(昭和三〇)年二月の大本開祖大祭からお初穂献納の受付が正式にはじまり、また翌昭和... | 1978 |
1979 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第2章 >3 諸団体の活動 | 社会福祉法人信光会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...をえて、一一月一日から業務を開始した。当初は定員三〇人であったが、たちまち満員とな......室 乳児保育室と調理室 手前は遊戯室(最初の建物)中央は屋外遊戯場 建物にはすべて... | 1979 |
1980 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第2章 >4 神苑造営と祭儀 | 造営 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/初=3 | ...だくことにいたしました。万祥殿は私として初めて建てさせて頂きますので、立派なそして......月五日には万祥殿前に完成した万祥橋の渡り初め式がおこなわれた。 昭和三三年には、浄......日金龍海にかけられた、きんりゅう橋の渡り初めがなされた。 翌一九五四(昭和二九)年... | 1980 |
1981 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第2章 >4 神苑造営と祭儀 | 祭儀 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...なわれている。 祖霊の霊璽については、最初は麻紙垂手は使用していなかったが、二代教... | 1981 |
1982 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第3章 >1 世界連邦運動 | 世界連邦運動のおこり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...苑として発足後に、外国人からよせられた最初の書簡であり、それには、「自分は今、世界... | 1982 |
1983 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第3章 >1 世界連邦運動 | 世界連邦都市宣言運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...ひらかれた。この第一回協議会はわが国で最初の都市宣言をした綾部市と、人類愛善会との......世界連邦都市連絡協議会が正式に結成され、初代会長には、長岡綾部市長が選出された。会... | 1983 |
1984 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第3章 >1 世界連邦運動 | 第一回世界連邦アジア会議 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...(昭和二七)年一一月三日から六日まで、最初の世界連邦アジア会議か広島市でひらかれる......スのボイド・オア卿夫妻(世界連邦世界運動初代の会長)、インドのS・チョウドリ(弁護... | 1984 |
1985 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第3章 >1 世界連邦運動 | 第二回世界連邦アジア会議 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...ぞんだ。 出口会長が開会を宣言し、その当初に出口直日三代教主からこの会議に寄せられ......ろもろの国境のぞき天が下一家の春はきざし初めけり〟が発表されて、満場の拍手をあびた... | 1985 |
1986 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第3章 >2 原水爆禁止運動 | 原水爆禁止緊急会員大会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...ための現地座談会をおこなった。被爆者を最初に診察した協立焼津病院外科部長大井俊亮を... | 1986 |
1987 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第3章 >2 原水爆禁止運動 | 全国各地の署名運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 7 件/初=7 | ...さらに街頭署名を戸別訪問にきりかえて、当初の予定一〇万目標をはるかにこえ、二〇万人......簿を増刷し、月の半ばで五万を突破した。最初の原爆被災地であるだけに反響もつよく、署......発な署名運動が展開された。香川県では、当初の目標数の名簿ではたりなくなり、臨時の追......をおこなった。新潟県でも、街頭にでて、最初の日だけでも五二〇〇余人の署名を獲得した......日一〇〇〇~三〇〇〇におよぶ署名をえ、当初割当の二万五〇〇〇をかるく突破し三倍ちか......止運動は、東京杉並区の家庭婦人によって最初の口火がきられ、全国的に拡大したとつたえ......類愛善会の原水爆反対署名運動が、日本で最初の、しかも全国的規模をもつ組織的な運動で... | 1987 |
1988 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第3章 >3 宗教世界会議 | 出口伊佐男のベトナム訪問 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...いた。 中国滞在中、中国仏教会副会長趙樸初・北京神学院主席王梓仲・道教協会会長岳崇... | 1988 |
1989 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第3章 >4 憲法擁護と軍備撤廃 | 世界宗教者平和会議への参加 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/初=3 | ...セイロン=A・テロ比丘 ○中国=団長趙樸初(中国仏教会副会長) ○チェコスロバキア......教者平和会議に中国代表として出席した趙樸初中国仏教会副会長一行五人は、七月三一日天......参拝し、朝陽館での歓迎会にのぞんだ。趙樸初は一行を代表して、つぎのようにのべた。「... | 1989 |
1990 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第3章 >4 憲法擁護と軍備撤廃 | 人類愛善会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/初=2 | ...一 中濃教篤 中村武彦 庭野日敬 野々宮初枝 林屋亀次郎 藤懸静也 藤森成吉 堀江......なく、人間性の確立、人類愛の自覚にまって初めて真の世界の平和、人類の幸福がもたらさ... | 1990 |
1991 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第4章 >1 文書による海外宣教 | 1 文書による海外宣教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/初=3 | ...、A5判一六頁で一〇〇〇部発行された。当初の内容は、大本愛善苑の主義・主張のほか、......せんするようになった。編集については、当初の綜合的かつ客観的性格をつらぬき、大本の......の編集がとられている。編集の責任には、当初療養中の中村陽宇があたったが、一九六一(... | 1991 |
1992 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第4章 >2 海外における宣教活動 | 中南米における宣教活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/初=4 | ...ンディアに田中幸男・田中幾太がいたが、当初の宣教はこれらの人々を中心に、人類愛善運......計部長に早野弥作がそれぞれ任命された。当初の会員はブラジル人をふくめて一〇〇人くら......上陸した。同日、文字はブラジルについて最初にサンパウロ支部をおとずれたが、将来の発......い丘陵の中心に建てられることになった。最初は一五〇万円ぐらいの予算であったが、二〇... | 1992 |
1993 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第5章 >1 楽天社と芸術 | 明光社から楽天社へ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...教主補 昭和14年 亀岡中矢田農園 p1225初窯の茶盌に絵付をされる出口すみ子二代教主... | 1993 |
1994 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第5章 >1 楽天社と芸術 | 木の花花壇 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...はまことの歌は湧いて来ません。いつもこの初心の気持を持ちつづけて、そしていつも童心... | 1994 |
1995 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第5章 >1 楽天社と芸術 | 茶道の展開 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...茶碗にでも茶は飲めるものにて候─という、初期の茶の精神は、今も変わりないはずですか... | 1995 |
1996 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第5章 >1 楽天社と芸術 | 大本能の歩み | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 8 件/初=8 | ...謡いましたのが、私の謡曲をきいて頂いた最初です。それより謡の趣味を持たれたと承りま......は写天閣の二階で『熊野』をお教えしたのが初めです。直日さんに私の『能』を見て頂いた......井舞台で根岸能会の『草紙洗』を勤めた時が初めです」と記録されており、またそのけいこ......一(明治四)年四国高松に生まれた。明治の初期東京商工会議所の会頭などをつとめた父武......の活動を発揮せず。此無我の境に入り、茲に初めて神人合致し、所謂入神の技と称し得べし......年記念能がおこなわれたさい、能「猿々」の初舞台をふむにおよんで、能楽界の人々の注目......、自然と備った気品、堂々たる態度、少しも初舞台らしい危なげがありません。一芸一道に......梅松苑みろく殿 p1246○教主による能「猩々初舞台後の歓談 正面右 出口直日 右端から... | 1996 |
1997 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第5章 >1 楽天社と芸術 | 陶芸 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/初=4 | ...信州皆神山)で比良加を焼かれたのが陶器の初めである。私も帰ると、これを記念に新しい......幸いなことに、私は石黒(宗麿)先生から最初の手ほどきをうけたので、何か安心した気持......自らの魂をゆだね得たわけです。そのうち、初心を忘れて、手なれることを戒めえたのは、......なったら、こんな形になりましょう。……最初手に取って見たときの良さが、茶を飲み終っ... | 1997 |
1998 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第5章 >1 楽天社と芸術 | 大本の武道 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...産びにあるもので、その故に私は親和体道を初めより楽天社の芸術部門に入れておいたので... | 1998 |
1999 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第5章 >1 楽天社と芸術 | 八雲琴と大本 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/初=1 | ...神殿(旧本殿)が完成したときであって、最初の弾奏者は梅田やすであった(上巻三〇九頁... | 1999 |
2000 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第5章 >2 エスペラント運動 | エスペラント普及活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/初=3 | ...うごきに対処するため三月に、エスペラント初等講習書(B6判三二頁)三〇〇〇部が、愛......きた。四月には綾部文化協会後援で一週間の初等講習会が開催され、八月の瑞生大祭時にも......宿訓練をおこなうことになった。この訓練は初等講習と中等講習の二部制にわけられ、中等... | 2000 |