番号 | 文献名1 | 文献名2 | 文献名3 | 著者 | 発表年 | 詳細 | 本文内のヒット件数 | プレビュー(最大 8 件まで表示) | 番号 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1801 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | 奉天での準備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...王敏明、佐々木は王昌輝、そして矢野は王天海をそれぞれに名のったのである。また王仁三... | 1801 |
1802 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | 蒙古へ出発 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...る。 二四日には奉天軍洮南府第二七師長張海鵬の副官が、二二人の騎馬隊とともに武器を... | 1802 |
1803 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >1 各宗教との提携 | 普天教と回教徒との関係 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...開 〝愛の善信の真をば真向にかざして進め海の外まで〟 1930─昭和5年 英国オッ... | 1803 |
1804 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >1 各宗教との提携 | 万国信教愛善会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...連合会・黄檗宗慶端寺・真宗本派西方寺・上海時報・阪神駐在中華民国領事館・中華会館・... | 1804 |
1805 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >2 人類愛善会の創立 | 発会と主旨 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/海=2 | ...五(大正一四)年の五月二八日には、とくに海外諸国の人々をひろく包含する団体をつくる......なり、国内各地に講師を派遣し、あわせて、海外宣伝のために西村光月を欧州に派遣するこ... | 1805 |
1806 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >2 人類愛善会の創立 | 規約改正と組織・活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...、マニラにも支部が設置された。そのほか、海外への発展にも注目すべきものがある(次節... | 1806 |
1807 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >3 海外への発展 | 3 海外への発展 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/海=0 | 1807 | |
1808 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >3 海外への発展 | 文書による海外宣伝 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 17 件/海=17 | ... 大本がはじめて、海外にひろくしられるきっかけになったのは、......紹介されだすのも、この時期である。大本が海外の人々から注目をあび、ふかい興味を示さ......で、一九二四(大正一三)年の九月一日には海外宣伝部が設置されて金竜池畔の神武館で事......神武館で事務をとりあつかうことになった。海外宣伝部はこれをエス語部・英語部及び支那......礎」とそのパンフレットが刊行されている。海外宣伝への活躍を示す第一声ともいうべきも......大本」。”Oomoto la Nova Movado”がある。これは海外宣伝部から一九二四(大正一三)年一二月......ふたたび入獄中であった王仁三郎にとって、海外におけるこうした反響は、おおいなるよろ......よっても推察されよう。大本の為記念すべき海外宣伝部の設置を聞き、枯木春に遇って花発... | 1808 |
1809 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >3 海外への発展 | 宣伝使の欧州派遣 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/海=6 | ... 文書による海外宣伝は、それなりの成果をあげたが、人類......ためと、あわせて人類愛善の趣旨にもとづく海外宣伝にあった。西村は渡欧のために、京都......。西村は渡欧のために、京都府庁にたいして海外渡航の手つづきを申請したが許可されなか......介記事をよんでいたし、シュミットから大本海外宣伝課にあてた一九二五年七月一日附での......ベリア経由で帰国した。〔写真〕○神武館に海外宣伝部がもうけられた p785○欧州宣教の......エスペラント中央委員会 左端が西村 p789海外でも大本の宣伝パンフレットが自費出版さ... | 1809 |
1810 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 | 王仁三郎の指示 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/海=3 | ...の提携、つづいて人類愛善会の創立、さらに海外宣伝の活発化とはなやかな活動が展開され......ってしまっていた。それはこの支部がとくに海軍関係の影響下にあり、長官から大本信仰の......いてもらひたい。今後は霊界物語の拝読と、海外宣伝に力を入れたい(大正13・11)。... | 1810 |
1811 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 | 機構の改革と人事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/海=2 | ...藤康仁・出版課長御田村竜吉・次長河津雄・海外宣伝課長西村光月・次長北村隆光・庶務課......命した。 五月二九日には、天声社の一部と海外宣伝課とを、亀岡の大道場内にうつし、六... | 1811 |
1812 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 | 債務の整理 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...、その内一五〇〇円は天恩郷費、五〇〇円が海外宣伝費にあてられている。これにたいし、... | 1812 |
1813 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 | 国内宣教と造営 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/海=2 | ...によって積極的な施策がうちだされ、大本の海外宣伝による反響のおおきさが、信者を勇気......州一巡の中途で宇知丸は、九月一四日から東海道・関東・東北および信州を一巡し、一ヵ月... | 1813 |
1814 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ | みろく大祭 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/海=3 | ...つとめ、ヨーロッパには宣伝使を派遣して、海外宣教に力をそそいだ。また事件による責付......であったが、一九二三(大正一二)年には北海道・長野・神奈川・愛知・京都・大阪・兵庫...... だか、その期待はむなしかった。それは大海原京都府知事が「神道大本教創設許可願」の... | 1814 |
1815 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ | 大祭後の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...」のなかにはブラジルやメキシコ、そのほか海外からも送られてきて、さしもに広い郷内は... | 1815 |
1816 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ | 聖師巡教の旅へ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 13 件/海=13 | ...教においてもつづけられている。〈東北・北海等の巡教〉 昭和三年の七月一一日に聖師は......った。 その後、聖師の一行は八月五日に北海道にわたり、函館に二泊したが、その第一夜......類愛善会の文部が設置された。なお樺太や北海道では、聖師がかつて大阪の刑務所に収容さ......語っている。 あけて九月三日にふたたび北海道にかえり、瀬戸牛・池田・帯広・根室・千......、九月一二日には山部に到着した。山部は北海道の中心部にあたる芦別山のふもとの村であ......あるとされた。そのゆかりによって山部を北海道の霊場とし、堤喜吉邸に大本北......海別院が新設された。山部については、〝北......海道の要と神の定めたる山部の国魂美はしきか... | 1816 |
1817 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 | 巡教活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/海=3 | ...吉原亨ほか明光社員ら一行一〇人で、瀬戸内海島々の宣伝に使用する瑞祥丸の進水をかねて......部をめぐり、五月一六日には愛知県稲沢の東海別院開院式におもむいた。 五月二六日から......院・分所・支部にたちよった。この巡教中、海軍中将伊藤乙次郎その他の軍人・医師・教育... | 1817 |
1818 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 | 満州巡教と世界紅卍字会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 7 件/海=7 | ...ている。尋仁(聖師)は誠に衆生の光明、濁海の導師なり。其誠に因て能く其道を成す。其......阪道院の開院式にのぞみ、さらに五日には東海別院の桜井邸におもむき、世界紅卍字会の一......をはじめ、さらにみろく大祭後は東北から北海道にわたり、内地の各地はいうまでもなく、......総統補は、九月一〇日に山口利隆の随行で北海道にかかい、函館から室蘭・旭川・稚内など......から室蘭・旭川・稚内などへおもむいた。北海別院では宣伝使大会と地方分会がひらかれ、......ており、小樽はこのときに分院となった。北海道は聖師の巡教後、田中省三特派宣伝使の活......祭にのぞんだ。支部長は野沢で、伴淳三郎・海江田譲二・衣笠淳子・鳥羽陽之助・葛木香一... | 1818 |
1819 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 | 海外の宣教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 13 件/海=13 | ...の四編四章でのべたので、ここではその他の海外各地域の宣教状況からみてみよう。〈満州......道支線の奥地に活動していた南が、一面坡・海林方面に活躍し、高木は沿......海方面に中山と協力して活動した。一九二八(......井町吉三が会長として活躍した。〈華北と上海〉 一九二一(大正一〇)年の夏、吉見清子......亜細亜民族会議(第一回は長崎で開催)が上海で開催されたとき、北村がこの会合にオブザ......ついで世界紅卍字会・道院を訪問した。当時海洋社の宮田信一と富士公司の前沢次三郎は、......の一一月一五日にいたって昆明路二三号に上海支部が設置され、河野さみが支部長に、石田......れ就任し、瀬浪専平が宣伝使に任命されて上海における活動も活発化していった。〈ブラジ... | 1819 |
1820 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き | 宗教と芸術 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/海=2 | ...歌については月明会がつくられ、第一回は「海上静波」の題で募集された。 そして一二月......にもつぎのように評されている。「大本教の海外進出の状況は一般世人の夢想せざりしとこ... | 1820 |
1821 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き | 梅花運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 5 件/海=5 | ...・藤原義男、山陰=藤原勇造・松田盛政、東海=桜井信太郎・神谷光太郎、北信=嵯峨保二......御田村竜吉、奥羽=村松山寿・中鉢玄策、北海=田中省三・斎藤長治、四国=山口恒彦・上......れてきたが、このたびの更生祝についても、海外から多数の祝文・祝詩がおくられてきた。......宣教では、奄美大島・沖縄へは山口利隆、北海道へは田中省三、台湾へは河津雄と石丸順太......、こうして大本は国内ばかりでなく、ひろく海外にも雄飛して、更生祭後もさらに、全教団... | 1821 |
1822 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 人類愛善と青年の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...あげる決議をおこなって気勢をあげた。一方海外では、ドイツのフランクフルト大学に、日... | 1822 |
1823 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 宣統帝問題 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/海=3 | ...ハルピンの張景恵・熱河の湯玉鱗・洮南の張海鵬らのグループは「明光国」建国を計画して......意をそそいでいたことは、入蒙の行動や、青海王(中国青......海省)との提携、あるいは世界宗教連合のため... | 1823 |
1824 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 一九三一年(いくさのはじめ) | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...盛んに発行して農作物を買ひとり、これを上海や日本筋に金票で売りさばき、タダ儲けを続... | 1824 |
1825 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 非常時と愛国運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...、一九三二(昭和七)年の一月二八日に、上海事変が起った。そして国際的に孤立していた... | 1825 |
1826 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 多彩な大本 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/海=3 | ...実現した。これを地方別にみると、樺太・北海道三万八三三二、東北五万六〇八九、関東二......五万六六三三、信越・北陸七万六七八〇、東海八万四五七三、近畿一九万七八四三、山陰四......、四国三万五六二一、九州一一万四一二五、海外四万二二〇二、合計一〇四万〇三九〇部と... | 1826 |
1827 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 挙国更生運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/海=4 | ...きた。とくに冷害に見舞われた東北地方や北海道の農民生活はひどかった。ある東北地方の......くなかった。一方国家財政は、満州事変・上海事変による軍事費の支出が膨張し、財閥の産......りません」とよびかけた。またこのころ大本海外宣伝課は、人類愛善会の名義でエスペラン......愛善会の名義でエスペラント文で『満州・上海事変の真相』と題したパンフレットを発行し... | 1827 |
1828 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 昭和青年会と防空運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 7 件/海=7 | ...や在郷軍入会も後援をおしまず、のちには陸海軍当局までがその援助をおしまなかった。こ......九年秋までの一年三ヵ月間に、北は樺太・北海道から南は琉球・台湾、さらに朝鮮・満州に......あげたのである。地域別にみると樺太二、北海道八、東北一〇、関東八、甲信越七、東......海一二、北陸三、近辮五四、山陽一六、山陰一......。我国の航空界も大いに近来発展したものの海外某々国に比し到底敵すべからざるの情勢で......そしてみずからも兵庫県城崎町にあった日本海航空会社の水上機に搭乗し、同航空会社と昭......年同盟・政友会・民政党・京都在郷軍人会・海軍義会等である。大国以都雄が開会を宣し、... | 1828 |
1829 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 満蒙博覧会に大本館特設 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/海=4 | ...は両国橋畔で、その後援は拓務省・陸軍省・海軍省・満州国政府・東京市・読売新聞社で、......があった。七月二二日から米子市の主催、陸海軍・大阪朝日新聞社・大阪毎日新聞社・人類......示した。展覧会による活動は国内のみならず海外にもおよんでいるのである。 昭和八年の......会が神戸で開催されたが、この博覧会には陸海軍省・第四師団・第十師団・呉鎮守府および... | 1829 |
1830 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 諸運動の展開 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 5 件/海=5 | ...。……戦争に対しては我々は幸に帝国には陸海軍があつて戦争はそれ等の方にお任せしてい......虎伏城と称されていた城の址にある。城址は海抜三〇〇メートル、南北四三五メートル、東......が暗殺され(血盟団事件)、五月一五日に、海軍将校らと民間右翼が、犬養首相を暗殺した......和八)年八月五日の聖師生誕祭において、「海外列強の情勢は表に人道平和を高唱して、裡......、裡、軍備の拡張と装備の改善を急ぎ、或は海軍、或は陸軍、或は空軍を増設強化し、或は... | 1830 |
1831 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 内外多事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 6 件/海=6 | ...日、日出麿総統補は伊藤栄蔵をともなって上海の巡教に出発したが、上......海事変がおこった直後には東島猪之吉・小高英......、その後さらに深水静か派遣されていた。上海においても大本の名は注目されはじめたので......一八日には、京都市岡﨑公会堂で、満州・上海両事変戦没者慰霊祭が、昭和青年会本部主催......慰霊祭が、昭和青年会本部主催のもとに、陸海軍・各関係団体・遺族などを招待して盛大に......構を是正し以て皇道維新を断行し、皇威を四海に発揚せん事を期す」。 このころの昭和青... | 1831 |
1832 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 創立にいたるまで | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/海=2 | ...の他の有志と、そのころ聖師の側近にいた内海健郎・国分義一・岡本霊祥・深町霊陽・林英......国を、専任委員には河津・深町・富沢効・内海・国分がそれぞれ委嘱された。そして七月六... | 1832 |
1833 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 声明・主義・綱領 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/海=4 | ...三浦真・斎藤瀏、陸軍軍医総監芳賀栄次郎、海軍中将山下巍一郎・大橋省・佐藤皐蔵、......海軍少将南郷次郎・末次幸二郎・江口金馬、......海軍大佐関根群平、法大教授板橋菊松、日大教......粋会梅津勘兵衛、日本新聞主筆若宮卯之助、海軍協会主筆野間久治郎(昭和神聖会発行の名... | 1833 |
1834 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 海軍軍縮条約廃止運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 11 件/海=11 | ...ていった。 時も時、重大問題となっていた海軍軍縮問題における日本側の主張は全然うけ......ちいたることが濃厚になってきた。そこで、海軍省からの要望もあって、昭和神聖会は、発......なった。大日本皇国天賦の使命に鑑み、華府海軍々備条約廃止通告の即時断行を望む。右決......乎決意を示すべき秋は来た」と題して来年の海軍々縮会議に臨むに当って……廃棄通告をな......当って……廃棄通告をなすべしとの主張は、海軍側はもとより、愛国諸団体、憂国志士の間......る……とのべ、昭和神聖会によるワシントン海軍軍縮条約廃止通告の即時断行運動を報道し......正一一)年二月六日調印され、米・英・日の海軍主力艦の比率は五・五・三ときめられた。......約は失効となった。 ついで、昭和神聖会は海軍省よりの資料をもとに「華府条約を即時廃... | 1834 |
1835 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 地方組織の拡大 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/海=3 | ...ついで発会式は講演会にきりかえられて、「海軍軍縮問題と国難に直面せる国民の覚悟」と......る。このわずか四ヵ月の間に東北・関東・東海・北陸・近畿・中国の各地方五九ヵ所の発会......すべきである。発会式は式後ただちに「華府海軍々縮条約廃止」の講演会にきりかえられ、... | 1835 |
1836 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 内外の反響 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...れていたころ、三代直日は、夫の日出麿と北海道・東北地方へでかけたことがある。そのこ... | 1836 |
1837 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 指導精神の統一 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/海=2 | ...丸亀・一四日新居浜・一五日今治をまわり、海路大分県別府へむかった。一六日には別府で...... 会場の大阪偕行社と自動車宣伝隊 来場の海軍軍人と説明をする昭和坤生会員 p192○活... | 1837 |
1838 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 天皇機関説と人類愛善新聞 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/海=2 | ...衆両院議長以下議員、司法裁判所検事局、陸海軍・在郷軍人、学者、教育家、教化運動者、......司法大臣・後藤内務大臣・林陸軍大臣・大角海軍大臣外全閣僚などに提出した質問状の全文... | 1838 |
1839 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 創立一周年 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 6 件/海=6 | ...麿にまかされるようになった。 そのころ北海道では昭和神聖会の地方組織を拡大するため......かわって宇知麿が、下位・深町を同伴して北海道へむかった。四月二九日東京を出発し、五......し、五月一日札幌市公会堂での昭和神聖会北海道地方本部の発会を最初として、三日旭川・......川・四日小樽・六日帯広・七日山部の大本北海別院・九日函館の順で地方組織拡充のための......神運動、神社参拝奨励運動、国防運動、華府海軍軍縮条約廃棄運動、天皇機関説絶滅運動、......衆両院各正副議長等へ提出した決議文(華府海軍軍縮問題一八〇、反国体学説問題一五六、... | 1839 |
1840 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >1 巡教 | 聖師の巡教と歌碑 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 17 件/海=17 | ...、寿賀麿・岩田久太郎を随行として山形県飽海郡西遊佐村の東北別院開院式にのぞんだ。こ......と命名された。ついで一〇月五日、一行は北海道山部の北......海別院道場びらきの祭典にのぞみ、ここでも別......山分所・新居浜分院・清風分所から高松の南海別院・富田分所、さらに高知分所を巡教して......院式にのぞんだ。それより愛知県稲沢町の東海別院・玉野支部・名古屋分所、三重県の桑名......大社・日御碕神社に代表参拝した。二三日に海潮支部にむかい八雲山に登山した。この八雲......歌碑完成式がおこなわれた。歌碑には、〝北海の旅路遙けしわれは今出羽の大野の雨聴きて......。 そのとき聖師は「神代の昔国常立尊は北海道の芦別山に、豊雲野尊は鬼界島の宮原山に... | 1840 |
1841 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >1 巡教 | 日出麿師の宣教と教化 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 11 件/海=11 | ...子の家族を同伴し、田中特派を随行として北海道に出発、三〇日に北......海別院につき、三一日より九月二日まで別院で......部を巡教して信者に教説し、九月四日には北海道を辞して一〇日に亀岡に帰着した。 一〇......七日、総統補は伊藤・深水静を随行として上海に出発した。上......海では「上......海日日新聞」・「上......海毎日新聞」などが大きく報道した。二四日ま......会などのためその日程は多忙をきわめた。上海はエスペラントがさかんであったので、伊藤... | 1841 |
1842 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >2 教団の充実 | 神苑の造営と祭事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...一九三四(昭和九)年三月一日、綾部の金竜海の大八洲神社の下に奉祭してあった岩戸神社... | 1842 |
1843 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >2 教団の充実 | 文書宣伝 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/海=3 | ...主体従第一巻~一二・如意宝珠一三~二四・海洋万里二五~三六・舎身活躍三七~四八・真......山・彗星・故山の夢・霞の奥・東の光・霧の海・白童子・青嵐・公孫樹・浪の音・山と......海)、歌日記(二名日記一巻・東北日記八巻・... | 1843 |
1844 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 | 諸団体の活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 23 件/海=23 | ...精神においては大本運動であり、この運動は海外により多く活動することとし、大本の諸運...... 一九三二(昭和七)年一一月六日には、張海鵬(当時「満州国」待従武官長・世界紅卍字...... 一九三四(昭和九)年四月一日、総本部に海外宣伝局を新設、局長に西村光月を任命して......ローマ字普及の業務を吸収し、実質的に大本海外宣伝課をうつしたかたちとなった。 同年......た調査局を東京にうつし、総本部は事務局と海外宣伝局の二局とし、大本本部にあった道慈......周年を迎へましたのを契機としまして、更に海外に向つてこの運動には今より以上に力を加......に歩を進めて行くことになつてをります」と海外への活動方針を指示した。聖師も「この人......。 一九三一(昭和六)年一二月、東北・北海道の冷害による食糧窮乏にたいし、大本本部... | 1844 |
1845 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 | 海外での発展 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 13 件/海=13 | ...(昭和一〇)年一月には通化・興京・清原・海竜・撫順・東豊の各県を行脚宣伝した。また......朝鮮主会長を兼務した。そのころ大田では鴛海真彦、竜山では猪口金一、京城では西川健次......のもので、目鮮合邦につくした朝鮮の志士李海天が、内田良平を通じて大本および人類愛善......であった。しかも同本部は京城府敦義洞の李海天方におかれたが、事務所には神殿をつくっ......ほかに北京西城支部にももうけられた。〈上海〉 一九三二(昭和七)年一月上......海事変が勃発すると、人類愛善会では三月六日......まで日出麿総統補が巡教し、五月七日には上海別院が設置された。別院管事には深水静、管......民党総裁ナイ・チャロン・バングチャング、海軍大将ヒヤ・マハー・ヨターが大本に入信し... | 1845 |
1846 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 | 大本記事の報道 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 7 件/海=7 | ...り、日本内地の宣教活動はもちろんのこと、海外で大本が活動した諸地域についても言及し......新聞・報知新聞・東京日日新聞。(樺太・北海道)樺太日日新聞・北......海タイムス・旭川新聞・函館新聞・函館毎日新......国新報・日本・日本評論新聞ほか二社。(東海)新愛知・名古屋新聞・浜松新聞ほか四社。......芸備日日新聞ほか三社。(四国)愛媛新聞・海南新報・香川新報・徳島日日新聞・徳島毎日......七社。(中国)天津日報・山東毎日新聞・上海日日新聞ほか二社。(特殊雑誌)中外日報・......いので、その全内容は明らかにしえないが、海外宣教の項でものべたように、その反響には... | 1846 |
1847 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 | 軍部・右翼との関係 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 5 件/海=5 | ...五月一五日には、五・一五事件がおこった。海軍将校と陸軍士官学校の生徒の一団が、犬養......後、発行のたびごとに多数の送達をうけた。海軍省普及部のパンフレットもまた同様であっ......戦重砲連隊長に赴任した橋本欣五郎大佐が、海員組合委員長の浜田国太郎としばしば沼津で......ため北満に第二の柳条溝事件を起し、それと海員組合がゼネストをやって軍隊輸送を妨害し......その他愛国団体の有志と、大本信者である内海健郎の関係料亭でいくどとなく会談がおこな... | 1847 |
1848 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 | 昭和神聖会と国家改造運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 7 件/海=7 | ...に、発会してまだ下部組繖もできぬうちに、海軍省の要請にこたえて華府......海軍軍縮条約廃棄の急先鋒となり、世論の喚起......成の資金として準備され居れり(近畿並に東海某府県等より)」などであった。こういう情......根県に於ける大本の決死動員計画、および北海道における動員計画がおこなわれた」との報......べし等の主張」をしたので、川島陸相・大角海相も強硬態度で閣議につめよった。そこで政......て、内閣は風前の灯の状態であった。すでに海軍軍縮条約は廃棄され、国際連盟からも脱退......内務当局は、国際連盟脱退の世論をあふり、海軍軍縮条約廃棄の世論の導火線をつくり、い... | 1848 |
1849 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 | 国家改造請願運動の流言 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/海=2 | ...、大宮守子(鶴殿男爵夫人)の関係から、熱海の米倉別邸において皇族と数回会見し、国家......した怪文書さへ飛ぶに至った。尚該運動には海軍予備佐官を以て構成されてゐる大洋会及び... | 1849 |
1850 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >2 検挙への準備 | 閣議決定 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 5 件/海=5 | ...て天上の主宰神とし、その弟素盞嗚尊には大海原、つまり地球を授けて地上の主宰神とした......を治らせ」、建速須佐之男命には「汝が命は海原を治らせ」と「事依さしたまひき」とある......ない。ちなみに『古事記』では、素盞嗚尊が海原を治すことを放棄したので、伊邪那岐大神......り給ひて乃ち神やらひ賜ひき」とあって、「海原を治らせ」との勅はのちに撤回されること......直 p364○天国の香ただよう綾部の神苑 金海にうかぶ教祖殿と言霊閣 p367○開祖の奥都... | 1850 |
1851 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >1 昭和一〇年一二月八日 | 綾部と亀岡を急襲 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...殿④祖霊社⑤元屋敷⑥神光社(機場)⑦金龍海⑧大八洲神社⑨五六七殿⑩至聖殿⑪穹天閣⑫... | 1851 |
1852 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >2 警察の強圧と取調べ | 信者の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/海=4 | ...。これらに準じて、樺太主会長広富潤哉・北海主会長石田卓次・青森主会長佐藤雄蔵・波上......っても、……聊も狼狽等は致しません。 北海別院(主会長・特派石田卓次)では解散命令......ヵ所・愛知県下六ヵ所・福井県下一ヵ所・北海道内一一ヵ所など、一道七府県七二ヵ所にわ......屈せず活動はつづけられていた 協議する北海別浣の役員たち p409○亀岡綾部の神苑は完... | 1852 |
1853 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >3 大本抹殺の命令 | 建造物破却の命令 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 6 件/海=6 | ...なっている霊石などは、「水上署の船で日本海の真ん中に捨て」られたり地中に埋められた......余棟」のすべての破却がおわり、綾部の金龍海はうずめて地ならしされ、亀岡では石垣や石......が利用されていることが注目させる。北は北海道山部の神生歌碑から、南は喜界島宮原山に......にまで強い干渉をくわえたのである。 日本海にうかぶ孤島の沓島や播州沖の神島にまつっ......あった神祠も、信者のしらぬ間に破壊され、海中になげこまれてしまった。〔写真〕○命令......ら 樹木を切りはらい神殿をうちこわし金龍海は埋めたてられた 石垣 根石 石段もすべ... | 1853 |
1854 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 徹底的掃滅へ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/海=2 | ...岡・兵庫・福岡・広島、その他関係府県で内海健郎・中野与之助ら四〇余人が、さらに一八......のであったかがあきらかになるであろう。北海道(一八)青森(五)岩手(六)宮城(一二... | 1854 |
1855 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 海外へも波及 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/海=4 | ... 大本弾圧の嵐は海外へも波及した。当時、樺太・台湾・朝鮮・......おり愛善日語学校をつづけることにした。上海ではご神体の焼却が命じられ、その一部が押......後日本内地からおくられてきた石田卓次(北海主会長)の手紙によって、事件のおよそを知......中止するのやむなきにいたった。〔写真〕○海外でも家族の写真から神床を切りとるほどき... | 1855 |
1856 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 冷たい社会の風 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...じみ来〟とかきとめられている。〔写真〕○海外でも家族の写真から神床を切りとるほどき... | 1856 |
1857 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 起訴と起訴猶予 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...勝夫 岡部善平 志田富雄 黒田正幸 (北海道)石田卓次 (青森)立花新四郎 (岩手... | 1857 |
1858 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 宗教への弾圧 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...祖殿跡②教主殿 祖霊社跡③神光社跡④金龍海跡⑤五六七殿跡⑥本宮山 綾部 p488-489... | 1858 |
1859 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >1 予審 | 予審終結決定 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/海=2 | ...ハ高天原即チ太陽界ノ主宰神 素盞嗚尊ハ大海原即チ地球ノ主宰神ト神定マリ 天津神ト国......ハ高天原即チ太陽界ノ主宰神 素盞嗚尊ハ大海原即チ地球ノ主宰神ト定マリ 天津神ト国津... | 1859 |
1860 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) | 事実審理 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/海=2 | ...理由を説明したが、そのうち元京都府知事大海原重義ら二〇人が採用された。申請されてい......人を追加採用されて合計二三人となった。大海原元京都府知事・下位春吉らのほかに注目さ... | 1860 |
1861 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) | 弁護人の弁論 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...する機会でもあった。 第四は検挙の由来─海軍中将浅野正恭が「大本教の叛逆思想」を書... | 1861 |
1862 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) | 第一審の判決 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...その付近の要地を占領し、八月一三日には上海で戦闘が開始された。 一一月には杭州湾に... | 1862 |
1863 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >3 護教 | 信仰の護持 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/海=3 | ...ともなったのである。三代直日によって、〝海路陸路はるばるたづねきたまひし君をねぎら......ら、何鹿郡設グランドを移転するため、金龍海はさらに埋立てられ、その一帯は整地された......らず処分された 京都の六角会館 p553○金海をうずめつくして整地し何鹿郡設グランドが... | 1863 |
1864 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >3 護教 | 弁護活動への献金 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 8 件/海=8 | ...ある。これについで組織的であったのは、北海道・茨城県である。北......海道では宮本惇一郎であり、次城県では地元は......徳島・長崎・熊本の各府県下および中国の上海などにおいて、五、六人から一〇人前後のグ......九州と広範囲にまわる一方、満州・中国など海外の信者とも連絡をとり、五〇〇人以上の献......近として活躍している。また宮本惇一郎は北海道一円の献金を、大谷敬祐は主として近畿一......が、こうして結集されていったのである。 海外の状況はどうであったか。ブラジル、メキ......よる小口の献金がとどけられた。中国では上海において阿部多利吉・土屋弥広らを中心に七......少こそあれ、国内全道府県にわたり、とおく海外にもおよんでいる。〔写真〕○三代直日を... | 1864 |
1865 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >3 護教 | 宗教弾圧の強化 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...って「教義儀式行事は総て教典に依拠し、泥海古記に関聯ある一切の教説は之を行はず」な... | 1865 |
1866 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >1 第二次世界大戦の進行 | 戦時統制の強化 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...の期間における「文治費」(通常会計から陸海軍省費を差引いたもの)一三七億三三〇〇万... | 1866 |
1867 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >1 第二次世界大戦の進行 | 治安維持法の「改正」 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/海=2 | ...りが強化された。このほか宗教団体法や陸・海軍刑法がするどい目を光らせていた。こうし......にかけてつぎつぎと公布された。また電力や海運などの基幹産業にたいする国家管理が急激... | 1867 |
1868 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >1 第二次世界大戦の進行 | 日米の開戦 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 5 件/海=5 | ...した。翌昭和一七年一月にはマニラを占領、海軍落下傘部隊がセレベス島メナドに降下し、......ラングーン(ビルマ)を占領し、六月には北海の果てアリューシャン列島のアッツ島に上陸......ーシャン列島のアッツ島に上陸した。この間海軍も、マレー沖・スラバヤ沖・バタビア沖・......、マレー沖・スラバヤ沖・バタビア沖・珊瑚海などの......海戦で勝利をおさめた。日本軍の周到に計画し... | 1868 |
1869 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >2 第二審の公判(大阪控訴院) | 第二審 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...二(元京都府特高課長)を、一一月四日には海軍中将浅野正恭を証人として、それぞれ現地... | 1869 |
1870 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >2 第二審の公判(大阪控訴院) | 判決 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...雲〟〝言さやぐ君が御代こそ忌々しけれ山河海の神もなげきて〟というたぐいのものであっ... | 1870 |
1871 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >1 再建への動き | 戦局の転回 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 10 件/海=10 | ...われていった。 昭和一七年六月五日、日本海軍連合艦隊は主力をあげて、アメリカ太平洋......大敗北をきっした。つづいて八月のソロモン海戦においても敗れ、八月七日、聖師保釈出所......されていなかった。ミッドウェーやソロモン海戦の敗北も勝利のごとく報道され、ガダルカ......も、昭和一八年から一九年にかけて、北は北海道から南は沖縄にいたる国内はもちろんのこ......調査団の報告書によれば、爆撃目標の第一は海上輸送の攻撃、第二は、多数の庶民の住む都......拠点はすべて失われてしまった。 制空・制海権を掌握した連合軍の進攻はきわめて急速で......防衛圈」はくずれ去っていったのである。 海・空軍のうけた打撃はさらに深刻であった。......こなわれた、六次にわたるブーゲンビル島沖海空戦、昭和一九年六月のマリアナ沖海戦、一... | 1871 |
1872 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >1 再建への動き | 暗黒の世 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/海=4 | ...と潜水艦の出動によって、南方や大陸からの海上輸送がおびやかされ、原材料の不足はさら......湾にも徴兵制が実施された。戦争終了時の陸海軍兵員数は七二〇万人といわれ、老幼男女を......内の農・漁業生産はガタ落ちとなり制空・制海権の喪失とともに輸入物資も杜絶した。二合......挺身隊 p635○つぼみは花開かず空に…陸に海に散った 少年兵募集のポスター p636○表... | 1872 |
1873 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >1 再建への動き | 荊棘をこえて | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 5 件/海=5 | ...な献金活動のさかんであった島根・茨城・北海道・石川・熊本などの各県をはじめとして、......また一九四二(昭和一七)年の八月には、北海道で数人が、また同年の暮には岡山県で三人......も妊娠の身であった。 昭和一八年には、北海道でもいたましい犠牲者をだした。北......海道別院の管事であった宮本惇一郎は、盲目で......盲目で不自由な身ではあったが、事件後も北海道における信者との連絡を密にし、直日のも... | 1873 |
1874 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >1 再建への動き | 海外の信者 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 12 件/海=12 | ... 教団の壊滅によって、海外信者との連絡は杜絶した。そのため......海外における大本の諸機関は機能を停止し、表......へ突入してからは、事態はさらに悪化した。海外の事情は地域によってことなるが、あらゆ......よってことなるが、あらゆる苦難のなかで、海外のおおくの信者は信仰をまもりつづけた。......いう意味の壇訓がしめされた。昭和一四年上海にうつってからも上......海道院と交流をつづけたが、上......海では阿部多利吉ら数人の信者が、大本神を奉......・ハルピン・天津・北京・済南をまわって上海にかえり、その役目をはたした。 昭和一八... | 1874 |
1875 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >2 事件の解決 | 戦争の終結 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/海=4 | ...いや」「東洋に一つおとしても、東洋が火の海となるような大きなものを考えている」とし......広島は戦争終末期に最大の被害をうけ、火の海と化す。……そのあと水で洗われるんや、き......来にたいする希望と勇気をあたえられた。 海外、ことに「外地」にのこされた信者の苦難......でにつたえられていた。空襲の激化によって海上輸送が杜絶し、敗戦によって在留邦人が孤... | 1875 |
1876 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >2 事件の解決 | 土地返還訴訟の解決 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...被告の亀岡町は広場三〇〇〇坪を町の名義で海軍に献納し、他は返却するとの申出であった... | 1876 |
1877 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >3 新生への準備 | 3 新生への準備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...については、松楽は土ねりと窯たきをし、内海健郎は七〇才をこえていたが、「神ながらた... | 1877 |
1878 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >4 大本事件の性格とその意義 | 第一次大本事件 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/海=2 | ...愛善会を発足させ、エスペラントを採用して海外に大本の教えをのばそうと努力した。やす......において邪教視された大本の教えは、むしろ海外において世人待望の宗教としてうけいれら... | 1878 |
1879 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >1 信教自由の実現 | 占領下の日本民主化 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...京では連日餓死者が続出した。敗戦によって海外にとりのこされた将兵・民間人は七三〇万... | 1879 |
1880 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >1 信教自由の実現 | 戦後の宗教界 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...療法と自然農法をつうじて教勢を拡大し、熱海・箱根の強羅を本拠に有数の新興教団に成長... | 1880 |
1881 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >2 大本事件解決報告祭 | 新生のまつり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...祝福しあった。あつまった信徒は、とおく北海道・九州・四国などにおよび、その数は一五... | 1881 |
1882 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >2 大本事件解決報告祭 | 「世界平和の先駆者」 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/海=2 | ...鳥取の吉岡温泉に清遊した。二女むめの・内海健三、ほか四人が随行し、逗留した吉岡温泉......聖師は、一月六日吉岡を出発、鳥取市外浦富海岸の旅館竹間義雄宅につき、信徒たちに面会... | 1882 |
1883 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >3 愛善苑の発足 | 愛善苑の設立 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...宗教心の涵養に努め、外人類の融和を期して海外各種の団体と結び、運動漸く世界的に発展... | 1883 |
1884 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >3 愛善苑の発足 | 両聖地の整備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...のぼり、はるか六里(二四キロメートル)の海上にうかぶ冠島・沓島を遥拝した。祝詞を斉... | 1884 |
1885 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >3 愛善苑の発足 | 宗教法人「愛善苑」 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/海=4 | ...ています。人類はひとしく神の子であり、四海は同胞であります。この本義に立ちかえり、......を審議することにした。協議員の選出区は北海道・東北・関東・北陸・東......海・近畿第一・近畿第二・山陽・山陰・四国・......あわせて、兵庫県竹田町・島根県松江市・北海道山部村・熊本県吉松村など旧別院の所在地... | 1885 |
1886 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >1 出口聖師夫妻の巡教 | 紀州路の旅 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/海=4 | ...たのである。この日は快晴であったが、紀淡海峡をてて、日ノ岬をすぎるころより波はしだ......はしだいにたかくなった。大潮ノ岬をめぐる海岸の眺望はことによく、聖師は興のつきぬ面......によく、聖師は興のつきぬ面もちであった。海路つつがなく、夕刻勝浦に到着した。 一七......二五日、聖師夫妻は早朝に快山峡を出発し、海南駅に下車、中野上村の山本恒次郎宅につい... | 1886 |
1887 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 | 本部と地方のうごき | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 5 件/海=5 | ...会が開催され、九月には四国、一〇月には北海道、一一月には九州その他で活動が活発とな......九ヵ月にして、会員(信徒)七八九九人(北海道一二五五・東北六一七・関東五八五・中部......「愛善苑」の発行部数も一万四六七九部(北海道四八三・東北一一六二・関東一七五二・中......出の地区を教区とあらためて、二〇教区(北海・奥羽・東北・北関東・南関東・北陸・静岡......羽・東北・北関東・南関東・北陸・静岡・東海・和歌山・近畿第一・近畿第二・三丹・鳥取... | 1887 |
1888 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 | 青少年の組織化 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/海=2 | ...年一月一八日には島根県青年会、つづいて北海道に進展会(青年会)、五月八日には福岡県......綾部で三日間にわたって開催された。北は北海道より南は九州にいたる各府県代表一一〇人... | 1888 |
1889 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 | 生産増強運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...三〇・山口八・兵庫八・京都七・静岡六・北海道五、その他)もの信徒が応援にかけつけ、... | 1889 |
1890 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >3 宗教提携のうごき | 愛善苑にたいする社会の反響 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...正日日新聞」「読売新聞」、一〇月には「東海毎日新聞」、一一月には朝日・毎日・京都・... | 1890 |
1891 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >3 宗教提携のうごき | 国際宗教懇談会の開催 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/海=2 | ...尽すべきこと。(2)、宗教本来の普遍性に基海外布教の自由を確立すること。(3)、宗教......の自由を確立すること。(3)、宗教団体の海外文通ならびにその用語として「エスペラン... | 1891 |
1892 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >4 平和憲法と愛善精神 | 4 平和憲法と愛善精神 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...たむきな努力をかさねていった 綾部の金龍海再掘作業 p791... | 1892 |
1893 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 >1 昇天 | 1 昇天 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/海=2 | ...からつきそっていた松浦くに子・牧原正子・海月テル子、また途中から内......海静江・三雲暉江・内崎昭代・坪内千栄子らが... | 1893 |
1894 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 >2 葬儀 | 埋葬祭 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...。この日全国からあつまった信徒、また、北海道の根室や釧路、壱岐・対馬などからかけつ... | 1894 |
1895 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 >2 葬儀 | 一般的反響と信徒の動向 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/海=1 | ...よって、大本の健在を知ったという。 なお海外では、ドイツの白旗団の機関紙、世界エス... | 1895 |
1896 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >2 教団体制の確立 | 大本愛善苑 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 2 件/海=2 | ...外の三課と瑞光社)・宣教部(宣伝・編集・海外宣伝・史実の四課)をもうけ、総本苑には......撤去された極楽橋 天恩郷 p835○第一期金海工事をおわった綾部の神苑 昭和25年 梅... | 1896 |
1897 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >2 教団体制の確立 | 造営と祭事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 6 件/海=6 | ...一九四八(昭和二三)年の一月一日に、金龍海再掘の起工式がおこなわれた。金龍......海・元屋敷のあった平地一帯は何鹿郡設のグラ......三〇日に鎮座祭がおこなわれた。この日金龍海拡張工事も完成し、大八洲神社参拝の竜宮丸......年八月一四日には鉱泉が再掘された。 金龍海工事と並行して元屋敷の整備もすすめられ、......拝であった。この日はグレイス台風の直後で海は荒れ、冠島の上陸はできず、沓島には苑主......七日大本塩釜月次祭(綾部)、旧二八日金龍海月次祭(綾部)、新三・一三・二三日祖霊社... | 1897 |
1898 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 | 委員長の全国遊説 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 5 件/海=5 | ...、九月に南関東、一〇月に山陽、一一月に東海、翌一九四八(昭和二三)年一月に神奈川・......。遊説はなおもつづけられ、六・七月には北海道、八・九月には新潟から秋田・青森へとく......た。この遊説における講演会入場者数を、北海道から東北における各地についてみると、一......、紋別町(紋別座)一五〇〇人・旭川市(北海ホテル)四〇〇人・秩父別(秩父座)四〇〇......り全国の各階層におおきな反響をよんだ 北海道の農村をゆく遊説隊と誠実卒直な論調にき... | 1898 |
1899 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 | 梅花運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 6 件/海=6 | ...地方における宣教の一拠点とし、年内には北海道(山部)・茨城(竜ケ崎)・石川(金沢)......徒との連絡指導を強化し、九月には月刊誌「海潮」を創刊した。また『愛善のしおり』(タ......エス文「OOMOTO」(月刊)を発行して海外宣教もしだいに本格化し(八編四章)、教......じり文)で発行された。九月からは月刊誌「海潮」を「神の国」(A5判)と改題、内容を......もたっし、ルーズベルト元大統領夫人はじめ海外からよせられたメッセージ、林衆議院議長......霊界物語を復刊し拝読が奨励された 中央は海潮を改題した神の国 p862○梅花運動の成果... | 1899 |
1900 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 | 青年会・婦人会組織の確立 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/海=3 | ...は原田芳衛(島根)、副議長に良知照通(北海道)・桑原憲爾(広島)が選出された。地方......開地宣教をおこなって成果をあげ、さらに北海道・山形・静岡・石川・和歌山・広島・岡山......修…… 第二回大学講座 綾部梅松苑 金龍海 p872○愛善少年の育成と組織化 中央は二... | 1900 |