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番号 文献名1 文献名2 文献名3 著者 発表年 詳細 本文内のヒット件数 プレビュー(最大 8 件まで表示) 番号
1701 新月の光   出口聖師お歌日記 昭和二十一年の巻 木庭次守・編 1988刊 DB
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全 8 件/海=8 ... 丹後2 停車場2 並2 松江2 顔2 但馬竹田2 障子2 2 鉢伏2 流2 大石2 画筆2 窓2 記2 生2 多2 訪問客......死者1 慰1 七月二十五日1 汽車室1 六時間車中1南1 広1 新宮勝浦1 応接室1 七月二十六日1 旧......一時難波1 自動車馳1 有志者1 三輪崎1 送迎1 原1 白波立1 出見1 蚊張1 七月二十日1 輝1 大陸...... 七月二十四日1 十曜1 神旗見1 七月二十二日1 山1 越1 風致1 七月二十三日1 旧六月二十五日1...... 新宮市快山峡1 温泉旅館立1 舟1 十分間勝浦1 岸1 右1 林1 数十人若人1 快山峡1 梅松館1 七月......1 身苦1 他出1 止1 終日休1 中河幹子氏京阪1 外1 弟子1 吉田若野氏両人1 来亀1 七月十六日1 ......船行1 植松1 五月十九日1 和田山駅1 洗1 石山1 外1 四月十日1 厚生車午後一時1 走1 四月十一... 1701
1702 新月の光   歌集『愛善の道』 木庭次守・編 1988刊 DB
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全 2 件/海=2 ...聖師6 大本4 読4 道3 愛善3 愛善苑3 事2 繰2 際2 2 喜2 返2 御染筆1 彗星1 出1 選1 五百二首1 中1 ... 1702
1703 新月の光   有栖川宮熾仁親王書お歌 木庭次守・編 1988刊 DB
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全 3 件/海=3 ...霞3 松3 色2 霜2 世2 鶴2 契2 空2 雪2 駒2 菊2 千2 辺2 霧2 面2 立2 年2 千鳥2 行末2 山野井人家2 ......狩1 賀茂臨時祭社頭儀式上御社1 十月1 寒芦1 人垣1 代1 嶋1 外1 此1 江沢辺1 毛衣1 通路1 十... 1703
1704 新月の光   聖師の歌集十一巻 木庭次守・編 1988刊 DB
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全 2 件/海=2 ...2 聖師1 第八歌集1 光1 第六歌集1 霧1 第七歌集... 1704
1705 新月の光   歌集『百千鳥』 木庭次守・編 1988刊 DB
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全 1 件/海=1 ...光1 真如1 大本第二次事件1 音1 自伝1 浪1 青嵐1 霧1 夢1 故山1 歌集1 和歌1 謄写製本1 タイプ1... 1705
1706 新月の光   歌日記全四十五巻 木庭次守・編 1988刊 DB
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全 1 件/海=1 ...年九月1 昭和八年三月九日1 歌集第十一巻1 山1 霊界物語1 三九四頁参照1 ... 1706
1707 新月の光   出口王仁三郎著『惟神の道』 木庭次守・編 1988刊 DB
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全 2 件/海=2 ...3 道3 済3 際2 裁判2 貸2 木庭次守2 献上2 人2 内氏1 誰1 弁論1 準備1 必要1 返却1 私1 本1 昭和...... 創立1 命1 実行1 横浜1 三千人1 仲士1 親分1 内健朗氏1 出口王仁三郎著1 三千六百個1 昭和二... 1707
1708 大本七十年史 上巻 第1編 >第1章 >3 出口家入りと結婚 生活の変貌 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...・大阪からはじまって、畿内はもとより、東道一帯と江戸・神奈川・甲府・松本・伊勢・... 1708
1709 大本七十年史 上巻 第1編 >第2章 >3 大本出現の意義 世の立替え立直し 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...の発展とともに、政府は、市場の開拓拡大を外にもとめ、軍事力を背景に大陸への侵略の... 1709
1710 大本七十年史 上巻 第1編 >第2章 >4 広前の成立 外国行き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/海=2 ...原町二条下ル) p98○日清戦争はじまる(黄......戦) p99... 1710
1711 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 喜楽天狗 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...夏は褐色で、冬になると全身純白になる。北道・青森県に産し、人家附近にすむ。管狐は... 1711
1712 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 開祖との対面 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...した。そのときの経緯を、聖師は歌集『霧の』のなかで、つぎのように詠んでいる。〝今... 1712
1713 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 霊学指導 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...めていたからであろう。 山城の稲荷には真という霊術者がいて、ランプのホヤをパリパ... 1713
1714 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみの結婚 日清戦争の社会 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...と軍需工業の発展にあてた。また、あらたな外市場をえて、紡績業と製糸業とは急速に発... 1714
1715 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き 冠島と沓島 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 7 件/海=7 ...沓島(雌島・女島)とともに、舞鶴沖約二〇里のあたりに浮かぶ小島である。丹後府中一......る。丹後府中一の宮と称されていた籠神社の部宮司の話によれば、男島・女島は吉佐の宮......のっていたと伝えられる。沓島は冠島から二里はなれた地点にある。沓島は冠島よりさら......よりさらに狭く、灌木ばかりの全島は、日本のうちよせる荒浪のため土塊は流出し、周囲......冠島には鯖鳥(おほみずなぎ鳥)、沓島には猫がそれぞれ数万羽棲息している(近......は京都府告第三一九号-明治四二・六・二二......金を集めたとも称する孤島である。 両島近の漁業権は、東・西大浦村の野原・三浜・小... 1715
1716 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き 冠島開き・沓島開き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 6 件/海=6 ...た。当日の日和りは、ここ数年にない静穏な上であったから、船頭らは島の神様のご守護......頭らは島の神様のご守護だとよろこび、途中上で、魚釣りをしていた舟から神饌にするた......ともに沓島へ渡った。 船が島に近づくと、猫が騒がしく鳴きたて、おだやかな......上だというのに大きなうねりで、舟を漕ぎよ......く冠島は竜宮の入口で、冠島と沓島の間の荒が竜宮の乙姫のすまいであったとされている......るかみついてをちてをいでたぞよ p209○日にうかぶ孤島 冠島・沓島 p210○船頭の田... 1716
1717 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 元伊勢お水のご用 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/海=2 ...(旧三月一六日)、沓島・冠島の中間の竜宮へ注入した(竜宮......へ注入した年月日は、年表および大本略史と... 1717
1718 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 出雲の火のご用 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 6 件/海=6 ...〇一(明治三四)年七月、開祖は上田会長(潮)・すみ・四方平蔵・福島寅之助・木下慶......旅館に投宿(三五銭)した。 ここからは、路をとる予定だったが、荒天のために八日ま......。おりから日露戦争前のこととて、伊藤祐亨軍中将が日本......岸視察にきて同宿していたので、開祖は伊藤......小蒸気船で平田へ向った。そのとき開祖は、上で梅の杖をもって一行に指示し、「このあ......その他の信者ら六八人が沓島参拝をし、竜宮へ注いだ。 出雲のご用は、火と水と土のご... 1718
1719 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >4 沓島ごもり 4 沓島ごもり 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 5 件/海=5 ...につれて、食糧がすくないため空腹を感じ、岸にでて若布や貝類をとって食べていた。し......を折り束ねて下に投げおろすと、あやまって中に落ち、沈んでしまった。後野はこれをと......が沓島より帰って二日目の五月二七日、日本大......戦があり、バルチック艦隊は全滅して日本の......・冠島へ参拝することになった。近年は日本に面する舞鶴の国見山※から、毎年六月八日... 1719
1720 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >1 会長の教説 悪の世批判 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...ても貧者の手を握る医者はなく」、「陸軍、軍はよく人殺しをけいこして世界の人民を屠... 1720
1721 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 明治の晩期 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...・「呼吸静座法」・「何鹿郡案内」・「薩の軍・長の陸軍」・「漢籍同字解」・「二十一... 1721
1722 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >2 大正の初期 大本教の教規と信条 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...五条 我等は毎年一回以上高峰峻嶺に登り荒を渡航し、大教主の御足跡を践みて無人島に... 1722
1723 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >2 大正の初期 「敷島新報」と直霊軍部隊 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 5 件/海=5 ...れた。 これと並行して、神苑内には「金竜」を掘ることとし、八月八日には、地鎮祭を......作業がすすめられて、九月二六日には、金竜のなかの沓島・冠島ができ、小さいながらも......にわたり一三筆買収し、五月一〇日には金竜の第二期工事を竣工した。そして、九月一五......讃を目的としたもので、その学長飯森正芳(軍予備機関中佐)は、顧問の福中鉄三郎(同......事中の金竜殿正面と統務閣(右) p332○金第一期工事竣成 冠島・沓島の鎮座祭 p333... 1723
1724 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >3 皇道大本 浅野の入信 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 10 件/海=10 ...年茨城県に生まれ、一高-東大のコースから軍機関学校の教官となっていた人である。英......部を出発、二九日横須賀の浅野の宅につき、軍機関学校長・木佐木少将夫妻ほか数人に面......泊して、そののちふたたび浅野宅に滞在し、軍将校や......軍機関学校の教官たちに、宣教とともに鎮魂......おもむき、浅野の宅に滞在した。その間に、軍の将校その他多数の人たちが連日参集して......いる。 この時期における入信者のなかに、軍関係の人々が目立って多いことが注意をう......って多いことが注意をうながす。まず福中(軍機関中佐)にはじまり、飯森(同)から浅......浅野和三郎、ついで浅野の実兄である正恭(軍中将)の入信となり、浅野が綾部に移住す... 1724
1725 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >3 皇道大本 神島開き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 6 件/海=6 ...と、王仁三郎の霊眼に、坤の方面の沖あいののなかに、ほうらくを伏せたような一つ島が......おさまり一行は三隻の船に分乗して出帆した上では、出発時と中程と着島前との三回にわ......け方のころ島の頂上にのぼり、山をくだって岸の岩の洞穴で、王仁三郎は神宝をうけ離島......阪の谷前宅に立ちよって帰綾し、神宝を金竜の大八洲の岩戸のなかに仮遷座した。九月一......棟がゆずりうけられ、同年三月一九日に金竜第三期工事が竣工して、神苑の繋備が同時に......姿は開祖 p349○神島から奉迎した神霊を金の神島に鎮祭 p350... 1725
1726 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊 軍関係・知識層等の参綾 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 19 件/海=19 ...った知識層に波紋をなげかけていった。まず軍関係からの入信者が前述のように表面化し......は存続していたようである。前年の暮以来、軍大佐桑島省三・同大佐四元賢助・同機関中......助・同機関中佐松尾雅三・進藤同少佐・松本軍少佐・立花同少佐・糸満機関大尉そのほか......花同少佐・糸満機関大尉そのほかの尉官級の軍軍人が多数参綾していたが、一九一七(大......たが、一九一七(大正六)年に入っても桧貝軍機関大佐・篠崎......軍大佐・大沼......軍機関大佐らがつぎつぎに参綾し、皇道大本......主義者・社会主義者とも交わり、約三年間上にのがれ、帰国後「赤化中佐」として騒がれ... 1726
1727 大本七十年史 上巻 第2編 >第2章 >3 道統の継承 信者への影響 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/海=2 ...は、「出口に実際を書かすから、それを上田潮が写して、細こう説いて聞かせる御役なり......き四室と一〇畳じき二室とよりなり、西金竜のなかにたてられた。百日祭をおわった二月... 1727
1728 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 予言の強調 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 6 件/海=6 ...たる神力の大発現がありまして、大地震、大嘯、大暴風雨、火の雨等によって解決される......…今の世界の国々は、御国に勝りて軍器を、の底にも大空も、地上地中の選み無く、備へ......、金道具、釣鐘までも鋳潰して、御国を守る陸の、軍の備へに充つる世は、今眼のあたり......れる。また大地の隆起するところもあれば、中に陥没するところもある。一、日本と世界......び、多数の信者や共鳴者が協力した。とくに軍々人に浸透しており、その事実を裏づける......るが、匿名によるものも相当多数あった。 軍に熱心な共鳴者があったように陸軍にも賛... 1728
1729 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 情勢の深刻化 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...して、一九一八(大正七)年の下半期には、軍一九一・六%、造船一六六・六%、綿紡業... 1729
1730 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 地方宣教 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/海=2 ...訴えられたのである。東北・北陸・関東・東・近畿・山陽・山陰・四国・九州などと、そ......におおく、入信者も山陰地方のみならず、北道・宮城・関東・京都・岡山・愛媛・熊本・... 1730
1731 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 修業者の激増 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...り発生、人間は胎生、立替には地軸の転動、中に陸面露出する、世界統一の警告、国土の... 1731
1732 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 綾部神苑の拡張と整備 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 4 件/海=4 ...は、王仁三郎によって、「丹波は昔丹波の泥といって全部が湖水であり、綾部も亀岡も勿......全部が湖水であり、綾部も亀岡も勿論その泥のやうな湖水の中にあった。本宮山もその湖......四日には落成祭がおこなわれた。周辺に金竜の水をたたえてそびえ立つ黄金閣のたたずま......天地の先祖の経綸通りに致すぞよ。……金竜の神島に御宮を建て下さりて、三体の大神様... 1732
1733 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >3 積極的宣教 内地宣教の展開 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/海=2 ...如月が関係している)・「茨城新聞」・「北タイムス」などの地方新聞は、好意的な大本......数も八〇ヵ所に急増し、その範囲も、北は北道から南は熊本にいたる二六の道府県にまた... 1733
1734 大本七十年史 上巻 第2編 >第3章 >4 文書宣教 社会の反応 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...芥川竜之介も「神諭」をよんでいた。浅野が軍機関学校をやめて間もなく、その後任とし... 1734
1735 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >2 最初の警告 言論界の攻撃 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...大混乱の最中に、神力の発現で、大地震、大嘯、大暴風雨、火の雨等が起って解決される... 1735
1736 大本七十年史 上巻 第3編 >第1章 >3 検挙への動向 告発 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...上には新聞記者のほかに、中村古峡や河口慧などが出席しており、警察官も陪席していた... 1736
1737 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >1 検挙 第一回家宅捜査 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...ろんなにも発見されなかった。 さらに金竜・大八洲神社・六合大神社・蛙声園を捜査し... 1737
1738 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >1 検挙 第二回家宅捜査 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/海=2 ...箇所はみいだされなかった。 ついで、金竜の厚さ二寸にもおよぶ氷をわって舟をすすめ......に関係書類を押収した。〔写真〕○雪の金竜附近 p574○機織場 p575... 1738
1739 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >2 事件の影響 予審決定 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...三郎ハ直ノ筆先及右教義ニ対シ大イニ共鳴シ軍機関学校ノ職ヲ辞シ大正五年十二月綾部ニ... 1739
1740 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >2 事件の影響 信者への迫害 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/海=3 ...官が突然大阪に出張してきたと同時に、陸・軍大臣は「不敬思想を持つ大本信者は軍隊内......るだらう」と新聞に発表した。ついで、「陸軍当局も当初の声明通り、軍人の信者に対し......べての回答が共通に記入している。しかも北道・宮城・山形・茨城・静岡・愛知・富山・... 1740
1741 大本七十年史 上巻 第3編 >第2章 >3 公判 第一審 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...意義あるべき筈がない。「大将」といへば陸軍の大将で、これが「天皇」の意義にはなら... 1741
1742 大本七十年史 上巻 第4編 >第1章 >1 霊界物語の口述 物語の発表 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...、あるいは「出口は将来のことを知らす役、潮(王仁三郎)は、それを説いて聞かせて世... 1742
1743 大本七十年史 上巻 第4編 >第1章 >1 霊界物語の口述 口述の由来 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...をされてきたことがおおかった。そこで、「潮はそれを説いて聞かせる役」としてのつと... 1743
1744 大本七十年史 上巻 第4編 >第1章 >2 霊界物語の内容 あらすじ 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/海=2 ...野尊が神格化して顕現化した素盞嗚尊には大原(地球)の主宰をまかすことになった。 ......じて三五教の聖場をひらき、その教勢は遠く外までおよんだ。 一方、ウラル彦は常世の... 1744
1745 大本七十年史 上巻 第4編 >第1章 >2 霊界物語の内容 神観と宇宙観 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...いても、独特の解明をしている。〔写真〕○洋万里 第25~36巻 p661... 1745
1746 大本七十年史 上巻 第4編 >第1章 >2 霊界物語の内容 神の経綸 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...の日本の地である。それまでは、いまの日本はなく、支那も朝鮮も、日本に陸地で連続し... 1746
1747 大本七十年史 上巻 第4編 >第1章 >3 霊界物語発表の影響 発表の影響 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...霊界物語』の精神によって指導され、ひろく外にも活動がひろがっていった。 一九二五... 1747
1748 大本七十年史 上巻 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 バハイ教徒の来綾 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/海=2 ...中であった二代教主は、教主を来訪してきた南新聞社の記者にたいして、つぎのようにの......がしだいに表面化してくる。そしてそれは、外の宗教その他の諸国体との積極的な交流の... 1748
1749 大本七十年史 上巻 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 エスペラントとローマ字の採用 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...ッパに知られ、そこからヨーロッパ各国への外宣教がはじまってゆくのであるが、エスペ... 1749
1750 大本七十年史 上巻 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 新機運の動向 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/海=3 ...し、関東・東北の各地をへて五月二日には北道にわたり、全道各地を巡教して五月二四日......の信者に語られた。 エスペラントの採用と外の各宗教との提携などにみられる一連の動......すみ子(中央左) 三代直日(右) p712○道巡教の二代すみ子(馬上左) p713○大阪... 1750
1751 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >1 蒙古へ 入蒙の目的 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...る。また鋼鉄や綿などが一朝有事のさいに、外からの供給がとだえたならどうなるのか。... 1751
1752 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >2 満蒙をめぐる政治情勢 中国の政治情勢 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...張家口方面から北京をうつなら、張作霖は山関から進撃することが可能となる。こうして... 1752
1753 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >2 満蒙をめぐる政治情勢 下工作 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/海=2 ...めに活躍した中心人物が矢野祐太郎である。軍大佐矢野はかなりまえからの大本信者であ......者であった。退職ののち大陸にわたって、上で商館をひらいていたが、のちに張作霖とし... 1753
1754 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり 奉天での準備 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...王敏明、佐々木は王昌輝、そして矢野は王天をそれぞれに名のったのである。また王仁三... 1754
1755 大本七十年史 上巻 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり 蒙古へ出発 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...る。 二四日には奉天軍洮南府第二七師長張鵬の副官が、二二人の騎馬隊とともに武器を... 1755
1756 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >1 各宗教との提携 普天教と回教徒との関係 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...開 〝愛の善信の真をば真向にかざして進めの外まで〟 1930─昭和5年 英国オッ... 1756
1757 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >1 各宗教との提携 万国信教愛善会 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...連合会・黄檗宗慶端寺・真宗本派西方寺・上時報・阪神駐在中華民国領事館・中華会館・... 1757
1758 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >2 人類愛善会の創立 発会と主旨 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/海=2 ...五(大正一四)年の五月二八日には、とくに外諸国の人々をひろく包含する団体をつくる......なり、国内各地に講師を派遣し、あわせて、外宣伝のために西村光月を欧州に派遣するこ... 1758
1759 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >2 人類愛善会の創立 規約改正と組織・活動 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...、マニラにも支部が設置された。そのほか、外への発展にも注目すべきものがある(次節... 1759
1760 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >3 外への発展 外への発展 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 0 件/海=0   1760
1761 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >3 外への発展 文書による外宣伝 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 17 件/海=17 ... 大本がはじめて、外にひろくしられるきっかけになったのは、......紹介されだすのも、この時期である。大本が外の人々から注目をあび、ふかい興味を示さ......で、一九二四(大正一三)年の九月一日には外宣伝部が設置されて金竜池畔の神武館で事......神武館で事務をとりあつかうことになった。外宣伝部はこれをエス語部・英語部及び支那......礎」とそのパンフレットが刊行されている。外宣伝への活躍を示す第一声ともいうべきも......大本」。”Oomoto la Nova Movado”がある。これは外宣伝部から一九二四(大正一三)年一二月......ふたたび入獄中であった王仁三郎にとって、外におけるこうした反響は、おおいなるよろ......よっても推察されよう。大本の為記念すべき外宣伝部の設置を聞き、枯木春に遇って花発... 1761
1762 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >3 外への発展 宣伝使の欧州派遣 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 6 件/海=6 ... 文書による外宣伝は、それなりの成果をあげたが、人類......ためと、あわせて人類愛善の趣旨にもとづく外宣伝にあった。西村は渡欧のために、京都......。西村は渡欧のために、京都府庁にたいして外渡航の手つづきを申請したが許可されなか......介記事をよんでいたし、シュミットから大本外宣伝課にあてた一九二五年七月一日附での......ベリア経由で帰国した。〔写真〕○神武館に外宣伝部がもうけられた p785○欧州宣教の......エスペラント中央委員会 左端が西村 p789外でも大本の宣伝パンフレットが自費出版さ... 1762
1763 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 王仁三郎の指示 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 3 件/海=3 ...の提携、つづいて人類愛善会の創立、さらに外宣伝の活発化とはなやかな活動が展開され......ってしまっていた。それはこの支部がとくに軍関係の影響下にあり、長官から大本信仰の......いてもらひたい。今後は霊界物語の拝読と、外宣伝に力を入れたい(大正13・11)。... 1763
1764 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 機構の改革と人事 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/海=2 ...藤康仁・出版課長御田村竜吉・次長河津雄・外宣伝課長西村光月・次長北村隆光・庶務課......命した。 五月二九日には、天声社の一部と外宣伝課とを、亀岡の大道場内にうつし、六... 1764
1765 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 債務の整理 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 1 件/海=1 ...、その内一五〇〇円は天恩郷費、五〇〇円が外宣伝費にあてられている。これにたいし、... 1765
1766 大本七十年史 上巻 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 国内宣教と造営 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 2 件/海=2 ...によって積極的な施策がうちだされ、大本の外宣伝による反響のおおきさが、信者を勇気......州一巡の中途で宇知丸は、九月一四日から東道・関東・東北および信州を一巡し、一ヵ月... 1766
1767 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ みろく大祭 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/海=3 ...つとめ、ヨーロッパには宣伝使を派遣して、外宣教に力をそそいだ。また事件による責付......であったが、一九二三(大正一二)年には北道・長野・神奈川・愛知・京都・大阪・兵庫...... だか、その期待はむなしかった。それは大原京都府知事が「神道大本教創設許可願」の... 1767
1768 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ 大祭後の動き 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/海=1 ...」のなかにはブラジルやメキシコ、そのほか外からも送られてきて、さしもに広い郷内は... 1768
1769 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ 聖師巡教の旅へ 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 13 件/海=13 ...教においてもつづけられている。〈東北・北等の巡教〉 昭和三年の七月一一日に聖師は......った。 その後、聖師の一行は八月五日に北道にわたり、函館に二泊したが、その第一夜......類愛善会の文部が設置された。なお樺太や北道では、聖師がかつて大阪の刑務所に収容さ......語っている。 あけて九月三日にふたたび北道にかえり、瀬戸牛・池田・帯広・根室・千......、九月一二日には山部に到着した。山部は北道の中心部にあたる芦別山のふもとの村であ......あるとされた。そのゆかりによって山部を北道の霊場とし、堤喜吉邸に大本北......別院が新設された。山部については、〝北......道の要と神の定めたる山部の国魂美はしきか... 1769
1770 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 巡教活動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/海=3 ...吉原亨ほか明光社員ら一行一〇人で、瀬戸内島々の宣伝に使用する瑞祥丸の進水をかねて......部をめぐり、五月一六日には愛知県稲沢の東別院開院式におもむいた。 五月二六日から......院・分所・支部にたちよった。この巡教中、軍中将伊藤乙次郎その他の軍人・医師・教育... 1770
1771 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 満州巡教と世界紅卍字会 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 7 件/海=7 ...ている。尋仁(聖師)は誠に衆生の光明、濁の導師なり。其誠に因て能く其道を成す。其......阪道院の開院式にのぞみ、さらに五日には東別院の桜井邸におもむき、世界紅卍字会の一......をはじめ、さらにみろく大祭後は東北から北道にわたり、内地の各地はいうまでもなく、......総統補は、九月一〇日に山口利隆の随行で北道にかかい、函館から室蘭・旭川・稚内など......から室蘭・旭川・稚内などへおもむいた。北別院では宣伝使大会と地方分会がひらかれ、......ており、小樽はこのときに分院となった。北道は聖師の巡教後、田中省三特派宣伝使の活......祭にのぞんだ。支部長は野沢で、伴淳三郎・江田譲二・衣笠淳子・鳥羽陽之助・葛木香一... 1771
1772 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 外の宣教 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 13 件/海=13 ...の四編四章でのべたので、ここではその他の外各地域の宣教状況からみてみよう。〈満州......道支線の奥地に活動していた南が、一面坡・林方面に活躍し、高木は沿......方面に中山と協力して活動した。一九二八(......井町吉三が会長として活躍した。〈華北と上〉 一九二一(大正一〇)年の夏、吉見清子......亜細亜民族会議(第一回は長崎で開催)が上で開催されたとき、北村がこの会合にオブザ......ついで世界紅卍字会・道院を訪問した。当時洋社の宮田信一と富士公司の前沢次三郎は、......の一一月一五日にいたって昆明路二三号に上支部が設置され、河野さみが支部長に、石田......れ就任し、瀬浪専平が宣伝使に任命されて上における活動も活発化していった。〈ブラジ... 1772
1773 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き 宗教と芸術 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/海=2 ...歌については月明会がつくられ、第一回は「上静波」の題で募集された。 そして一二月......にもつぎのように評されている。「大本教の外進出の状況は一般世人の夢想せざりしとこ... 1773
1774 大本七十年史 下巻 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き 梅花運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 5 件/海=5 ...・藤原義男、山陰=藤原勇造・松田盛政、東=桜井信太郎・神谷光太郎、北信=嵯峨保二......御田村竜吉、奥羽=村松山寿・中鉢玄策、北=田中省三・斎藤長治、四国=山口恒彦・上......れてきたが、このたびの更生祝についても、外から多数の祝文・祝詩がおくられてきた。......宣教では、奄美大島・沖縄へは山口利隆、北道へは田中省三、台湾へは河津雄と石丸順太......、こうして大本は国内ばかりでなく、ひろく外にも雄飛して、更生祭後もさらに、全教団... 1774
1775 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 人類愛善と青年の動き 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/海=1 ...あげる決議をおこなって気勢をあげた。一方外では、ドイツのフランクフルト大学に、日... 1775
1776 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 宣統帝問題 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/海=3 ...ハルピンの張景恵・熱河の湯玉鱗・洮南の張鵬らのグループは「明光国」建国を計画して......意をそそいでいたことは、入蒙の行動や、青王(中国青......省)との提携、あるいは世界宗教連合のため... 1776
1777 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 一九三一年(いくさのはじめ) 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/海=1 ...盛んに発行して農作物を買ひとり、これを上や日本筋に金票で売りさばき、タダ儲けを続... 1777
1778 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 非常時と愛国運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/海=1 ...、一九三二(昭和七)年の一月二八日に、上事変が起った。そして国際的に孤立していた... 1778
1779 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 多彩な大本 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/海=3 ...実現した。これを地方別にみると、樺太・北道三万八三三二、東北五万六〇八九、関東二......五万六六三三、信越・北陸七万六七八〇、東八万四五七三、近畿一九万七八四三、山陰四......、四国三万五六二一、九州一一万四一二五、外四万二二〇二、合計一〇四万〇三九〇部と... 1779
1780 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 挙国更生運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/海=4 ...きた。とくに冷害に見舞われた東北地方や北道の農民生活はひどかった。ある東北地方の......くなかった。一方国家財政は、満州事変・上事変による軍事費の支出が膨張し、財閥の産......りません」とよびかけた。またこのころ大本外宣伝課は、人類愛善会の名義でエスペラン......愛善会の名義でエスペラント文で『満州・上事変の真相』と題したパンフレットを発行し... 1780
1781 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 昭和青年会と防空運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 7 件/海=7 ...や在郷軍入会も後援をおしまず、のちには陸軍当局までがその援助をおしまなかった。こ......九年秋までの一年三ヵ月間に、北は樺太・北道から南は琉球・台湾、さらに朝鮮・満州に......あげたのである。地域別にみると樺太二、北道八、東北一〇、関東八、甲信越七、東......一二、北陸三、近辮五四、山陽一六、山陰一......。我国の航空界も大いに近来発展したものの外某々国に比し到底敵すべからざるの情勢で......そしてみずからも兵庫県城崎町にあった日本航空会社の水上機に搭乗し、同航空会社と昭......年同盟・政友会・民政党・京都在郷軍人会・軍義会等である。大国以都雄が開会を宣し、... 1781
1782 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 満蒙博覧会に大本館特設 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/海=4 ...は両国橋畔で、その後援は拓務省・陸軍省・軍省・満州国政府・東京市・読売新聞社で、......があった。七月二二日から米子市の主催、陸軍・大阪朝日新聞社・大阪毎日新聞社・人類......示した。展覧会による活動は国内のみならず外にもおよんでいるのである。 昭和八年の......会が神戸で開催されたが、この博覧会には陸軍省・第四師団・第十師団・呉鎮守府および... 1782
1783 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 諸運動の展開 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 5 件/海=5 ...。……戦争に対しては我々は幸に帝国には陸軍があつて戦争はそれ等の方にお任せしてい......虎伏城と称されていた城の址にある。城址は抜三〇〇メートル、南北四三五メートル、東......が暗殺され(血盟団事件)、五月一五日に、軍将校らと民間右翼が、犬養首相を暗殺した......和八)年八月五日の聖師生誕祭において、「外列強の情勢は表に人道平和を高唱して、裡......、裡、軍備の拡張と装備の改善を急ぎ、或は軍、或は陸軍、或は空軍を増設強化し、或は... 1783
1784 大本七十年史 下巻 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 内外多事 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 6 件/海=6 ...日、日出麿総統補は伊藤栄蔵をともなって上の巡教に出発したが、上......事変がおこった直後には東島猪之吉・小高英......、その後さらに深水静か派遣されていた。上においても大本の名は注目されはじめたので......一八日には、京都市岡﨑公会堂で、満州・上両事変戦没者慰霊祭が、昭和青年会本部主催......慰霊祭が、昭和青年会本部主催のもとに、陸軍・各関係団体・遺族などを招待して盛大に......構を是正し以て皇道維新を断行し、皇威を四に発揚せん事を期す」。 このころの昭和青... 1784
1785 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 創立にいたるまで 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/海=2 ...の他の有志と、そのころ聖師の側近にいた内健郎・国分義一・岡本霊祥・深町霊陽・林英......国を、専任委員には河津・深町・富沢効・内・国分がそれぞれ委嘱された。そして七月六... 1785
1786 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 声明・主義・綱領 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 4 件/海=4 ...三浦真・斎藤瀏、陸軍軍医総監芳賀栄次郎、軍中将山下巍一郎・大橋省・佐藤皐蔵、......軍少将南郷次郎・末次幸二郎・江口金馬、......軍大佐関根群平、法大教授板橋菊松、日大教......粋会梅津勘兵衛、日本新聞主筆若宮卯之助、軍協会主筆野間久治郎(昭和神聖会発行の名... 1786
1787 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 軍軍縮条約廃止運動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 11 件/海=11 ...ていった。 時も時、重大問題となっていた軍軍縮問題における日本側の主張は全然うけ......ちいたることが濃厚になってきた。そこで、軍省からの要望もあって、昭和神聖会は、発......なった。大日本皇国天賦の使命に鑑み、華府軍々備条約廃止通告の即時断行を望む。右決......乎決意を示すべき秋は来た」と題して来年の軍々縮会議に臨むに当って……廃棄通告をな......当って……廃棄通告をなすべしとの主張は、軍側はもとより、愛国諸団体、憂国志士の間......る……とのべ、昭和神聖会によるワシントン軍軍縮条約廃止通告の即時断行運動を報道し......正一一)年二月六日調印され、米・英・日の軍主力艦の比率は五・五・三ときめられた。......約は失効となった。 ついで、昭和神聖会は軍省よりの資料をもとに「華府条約を即時廃... 1787
1788 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 地方組織の拡大 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/海=3 ...ついで発会式は講演会にきりかえられて、「軍軍縮問題と国難に直面せる国民の覚悟」と......る。このわずか四ヵ月の間に東北・関東・東・北陸・近畿・中国の各地方五九ヵ所の発会......すべきである。発会式は式後ただちに「華府軍々縮条約廃止」の講演会にきりかえられ、... 1788
1789 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 内外の反響 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/海=1 ...れていたころ、三代直日は、夫の日出麿と北道・東北地方へでかけたことがある。そのこ... 1789
1790 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 指導精神の統一 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/海=2 ...丸亀・一四日新居浜・一五日今治をまわり、路大分県別府へむかった。一六日には別府で...... 会場の大阪偕行社と自動車宣伝隊 来場の軍軍人と説明をする昭和坤生会員 p192○活... 1790
1791 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 天皇機関説と人類愛善新聞 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 2 件/海=2 ...衆両院議長以下議員、司法裁判所検事局、陸軍・在郷軍人、学者、教育家、教化運動者、......司法大臣・後藤内務大臣・林陸軍大臣・大角軍大臣外全閣僚などに提出した質問状の全文... 1791
1792 大本七十年史 下巻 第5編 >第3章 創立一周年 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 6 件/海=6 ...麿にまかされるようになった。 そのころ北道では昭和神聖会の地方組織を拡大するため......かわって宇知麿が、下位・深町を同伴して北道へむかった。四月二九日東京を出発し、五......し、五月一日札幌市公会堂での昭和神聖会北道地方本部の発会を最初として、三日旭川・......川・四日小樽・六日帯広・七日山部の大本北別院・九日函館の順で地方組織拡充のための......神運動、神社参拝奨励運動、国防運動、華府軍軍縮条約廃棄運動、天皇機関説絶滅運動、......衆両院各正副議長等へ提出した決議文(華府軍軍縮問題一八〇、反国体学説問題一五六、... 1792
1793 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >1 巡教 聖師の巡教と歌碑 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 17 件/海=17 ...、寿賀麿・岩田久太郎を随行として山形県飽郡西遊佐村の東北別院開院式にのぞんだ。こ......と命名された。ついで一〇月五日、一行は北道山部の北......別院道場びらきの祭典にのぞみ、ここでも別......山分所・新居浜分院・清風分所から高松の南別院・富田分所、さらに高知分所を巡教して......院式にのぞんだ。それより愛知県稲沢町の東別院・玉野支部・名古屋分所、三重県の桑名......大社・日御碕神社に代表参拝した。二三日に潮支部にむかい八雲山に登山した。この八雲......歌碑完成式がおこなわれた。歌碑には、〝北の旅路遙けしわれは今出羽の大野の雨聴きて......。 そのとき聖師は「神代の昔国常立尊は北道の芦別山に、豊雲野尊は鬼界島の宮原山に... 1793
1794 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >1 巡教 日出麿師の宣教と教化 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 11 件/海=11 ...子の家族を同伴し、田中特派を随行として北道に出発、三〇日に北......別院につき、三一日より九月二日まで別院で......部を巡教して信者に教説し、九月四日には北道を辞して一〇日に亀岡に帰着した。 一〇......七日、総統補は伊藤・深水静を随行として上に出発した。上......では「上......日日新聞」・「上......毎日新聞」などが大きく報道した。二四日ま......会などのためその日程は多忙をきわめた。上はエスペラントがさかんであったので、伊藤... 1794
1795 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >2 教団の充実 神苑の造営と祭事 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 1 件/海=1 ...一九三四(昭和九)年三月一日、綾部の金竜の大八洲神社の下に奉祭してあった岩戸神社... 1795
1796 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >2 教団の充実 文書宣伝 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 3 件/海=3 ...主体従第一巻~一二・如意宝珠一三~二四・洋万里二五~三六・舎身活躍三七~四八・真......山・彗星・故山の夢・霞の奥・東の光・霧の・白童子・青嵐・公孫樹・浪の音・山と......)、歌日記(二名日記一巻・東北日記八巻・... 1796
1797 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 諸団体の活動 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 23 件/海=23 ...精神においては大本運動であり、この運動は外により多く活動することとし、大本の諸運...... 一九三二(昭和七)年一一月六日には、張鵬(当時「満州国」待従武官長・世界紅卍字...... 一九三四(昭和九)年四月一日、総本部に外宣伝局を新設、局長に西村光月を任命して......ローマ字普及の業務を吸収し、実質的に大本外宣伝課をうつしたかたちとなった。 同年......た調査局を東京にうつし、総本部は事務局と外宣伝局の二局とし、大本本部にあった道慈......周年を迎へましたのを契機としまして、更に外に向つてこの運動には今より以上に力を加......に歩を進めて行くことになつてをります」と外への活動方針を指示した。聖師も「この人......。 一九三一(昭和六)年一二月、東北・北道の冷害による食糧窮乏にたいし、大本本部... 1797
1798 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 外での発展 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 13 件/海=13 ...(昭和一〇)年一月には通化・興京・清原・竜・撫順・東豊の各県を行脚宣伝した。また......朝鮮主会長を兼務した。そのころ大田では鴛真彦、竜山では猪口金一、京城では西川健次......のもので、目鮮合邦につくした朝鮮の志士李天が、内田良平を通じて大本および人類愛善......であった。しかも同本部は京城府敦義洞の李天方におかれたが、事務所には神殿をつくっ......ほかに北京西城支部にももうけられた。〈上〉 一九三二(昭和七)年一月上......事変が勃発すると、人類愛善会では三月六日......まで日出麿総統補が巡教し、五月七日には上別院が設置された。別院管事には深水静、管......民党総裁ナイ・チャロン・バングチャング、軍大将ヒヤ・マハー・ヨターが大本に入信し... 1798
1799 大本七十年史 下巻 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 大本記事の報道 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 7 件/海=7 ...り、日本内地の宣教活動はもちろんのこと、外で大本が活動した諸地域についても言及し......新聞・報知新聞・東京日日新聞。(樺太・北道)樺太日日新聞・北......タイムス・旭川新聞・函館新聞・函館毎日新......国新報・日本・日本評論新聞ほか二社。(東)新愛知・名古屋新聞・浜松新聞ほか四社。......芸備日日新聞ほか三社。(四国)愛媛新聞・南新報・香川新報・徳島日日新聞・徳島毎日......七社。(中国)天津日報・山東毎日新聞・上日日新聞ほか二社。(特殊雑誌)中外日報・......いので、その全内容は明らかにしえないが、外宣教の項でものべたように、その反響には... 1799
1800 大本七十年史 下巻 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 軍部・右翼との関係 大本七十年史編纂会・編集 1967刊 DB
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全 5 件/海=5 ...五月一五日には、五・一五事件がおこった。軍将校と陸軍士官学校の生徒の一団が、犬養......後、発行のたびごとに多数の送達をうけた。軍省普及部のパンフレットもまた同様であっ......戦重砲連隊長に赴任した橋本欣五郎大佐が、員組合委員長の浜田国太郎としばしば沼津で......ため北満に第二の柳条溝事件を起し、それと員組合がゼネストをやって軍隊輸送を妨害し......その他愛国団体の有志と、大本信者である内健郎の関係料亭でいくどとなく会談がおこな... 1800
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