番号 | 文献名1 | 文献名2 | 文献名3 | 著者 | 発表年 | 詳細 | 本文内のヒット件数 | プレビュー(最大 8 件まで表示) | 番号 |
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3201 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き | 会長排斥と内部の対立 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...から西田元教(一八七二-明治五年八月和歌山県に生まれ、鍛冶職西田の養子となり、会長... | 3201 |
3202 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き | 鞍馬山まいり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 15 件/山=15 | ...を肩にかついで供に加わることになった。桧山の坂原味之助方に小憩ののち、木崎の川原町......きをうかがうと、〝世の中の人の心はくらま山 神の霊火に開くこの道〟と歌で神示があり......くこの道〟と歌で神示があり、目的地が鞍馬山であることがわかった。八木から花園まで汽......から花園まで汽車に乗り、あとは徒歩で鞍馬山に登ることになったが、途中北野天満宮にさ......ばならん、と一行の人々にかたった。 鞍馬山(五七〇メートル)は京都市の北郊にある。......、毘沙門天・千手観世音菩薩と、昔からこの山に住むという魔王尊(サラト・クラマ)を、......もって筆先を書いた。 筆先によって、鞍馬山まいりの出修の意味がしだいに明らかにされ......4)とあり、鞍馬より帰ってからも、「鞍馬山なんでもないように思うておるが、結構な恐... | 3202 |
3203 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 | 元伊勢お水のご用 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...。『霊界物語』(第一六巻)によれば、剣先山のふもとを流れる宮川(五十鈴川)の上流に... | 3203 |
3204 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 | 出雲の火のご用 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 10 件/山=10 | ...も一行の先頭にあった。まずその日は、福知山市竜原の大勝旅館で宿泊(宿泊料一人三五銭......・鋳物師町をへて千代川を泥舟で下り、当時山陰一の漁港・加露の船問屋・雲井旅館に投宿......お仕組をされている」といったが、そののち山陰地方で大本の教が早く開けたのは、この松......、ついで村岡、八鹿の宮田(二七銭)、福知山(三五銭)と旅を重ねて、七月一九日には福......三五銭)と旅を重ねて、七月一九日には福知山で役員・信者二百数十人の出迎えをうけ、二......残りの一本が大切に保管されていたが、福知山で竜神の巻きついた火鉢(三円五〇銭)を売......、大本から和知川に沿って上流に上り、本宮山側田野川をのぼり、安場から四ツ尾......山を一周して中筋をへて帰ってきた。第三班は... | 3204 |
3205 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 3 弥仙山ごもり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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3206 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 岩戸がくれ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/山=2 | ...立腹して、一〇月一九日(旧九月八日)弥仙山の中腹にある彦火々出見命の社殿の内へこも......ましめた。〔写真〕○中の宮社殿 p235○弥山 p236... | 3206 |
3207 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 弥仙山 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 26 件/山=26 | ... 弥仙山(標高五九九メートル)は丹波富士ともいわ......田村字於与岐(現綾部市東八田区)にある霊山である。『於与岐区史』によると、一八七二......であって、地元二又部落の婦人は現在でも登山しない。......山頂の金峰神社は木花咲耶姫命をまつり、中腹......まつり、中腹の於成神社には彦火々出見命、山麓の三十八社には水分の神がまつってあり、......ている。奈良時代には、役の小角・行基が入山したという伝説があり、両部......山と称されて修行者がよく参詣していたが、一......本事件のさい、神職嵯峨根久左衛門が、弥仙山は大本と因縁の深いところであったから、そ... | 3207 |
3208 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 大本神諭の展開 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 7 件/山=7 | ...求め、大本の立替え立直しをすること(鞍馬山参りと弥仙......山ごもり)の型を示したものであって、いずれ......元伊勢神宮(丹後加佐郡)・一宮神社(福知山)・塩釜神などである。 明治三三年旧七月......部の神苑を根本聖地とし、沓島・冠島・弥仙山・高熊......山などは、大本神縁の霊場としている。現在、......年記念参拝や遙拝をおこなっているが、鞍馬山・元伊勢・出雲については、とくに定まった......定まった参拝をおこなっていない。なお弥仙山は、一九〇八(明治四一)年の節分から翌年... | 3208 |
3209 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 開祖と会長との対立 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/山=2 | ...体系がぜひ必要だと考えたのである。 弥仙山ごもりは、開祖と会長の対立の決定的な局面......ったから、こののち役員たちは、開祖が弥仙山へこもったのは会長の改心ができぬからだ、... | 3209 |
3210 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 岩戸開き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 14 件/山=14 | ...ていた。開祖はおなじく前年の一〇月、弥仙山にこもっているとき、「このたびは木の花咲......でき、世継ぎをさずかったお礼をかね、弥仙山にお参りせよとの神命で、その一行は、開祖......、八幡社にまいり三十八社に拝礼して、弥仙山にかかり、そのなかほどにある不動の滝で水......、そのなかほどにある不動の滝で水行しをし山頂のお宮にいたった。 筆先によれば、一昨......一昨年の明治三四年旧九月八日、開祖が弥仙山にこもったときから岩戸がしまり、それから......護であったが、このたび四魂そろっての弥仙山まいりによって、岩戸が開いて明けの烏の日......月二十八日、変性男子と女子と於与岐みせん山に天の岩戸を開くとき、上田あさ野、木の花......型になる」と交渉したが相手にされず、福知山の検事局まで押しかけて係の者を困らせたと... | 3210 |
3211 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >4 沓島ごもり | 4 沓島ごもり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/山=4 | ...者に送られて綾部駅(一九〇四年一一月福知山-舞鶴間の鉄道が開通し綾部駅が設置された......になった。近年は日本海に面する舞鶴の国見山※から、毎年六月八日に遙拝をおこなってい......年六月八日に遙拝をおこなっている。※国見山(舞鶴市瀬崎小字芦谷八三番地)は、一九四......教主が大丹生支部(舞鶴市)巡教の際、この山に登り、沓島・冠島を遙拝して以来、遙拝所... | 3211 |
3212 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >1 会長の教説 | 著作と布教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/山=6 | ...物は残らず乱世の根本なりと誤解し、一所に山の如く集め、火を放ちて焼却したるを以て、......五(昭和一〇)年の第二次大本事件まで、鶴山穹天閣の二階に保存されていた。 当時の役......く内藤の宅に引きあげたが、そのころ会長は山田とともに、園部と京都市を中心に人造製乳......会長もいたし方なく、内で子守りをしたり、山に薪をとりにいったりして、こっそり勉強を......りに行こうかい』と言って、私たち二人は質山へ薪刈りに出かけました。今から思い返して......しい思い出となっていますのは、そのころ質山で、先生と薪刈りをして働いたことでありま... | 3212 |
3213 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 皇典講究分所入学 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/山=5 | ...明治三八)年三月二八日、綾部をとびだし桧山の坂東宅・園部の浅井宅・南陽寺・木崎・亀......浅井宅・南陽寺・木崎・亀岡をへて王子の栗山宅へと転々とし、四月二日には王子から老ノ......って京都に上られました。そのとき私は須知山峠まで、直日ともう一人の子を連れて見送り......ころに燃えたぎっていた。 同学であった尾山神社の厚見は、当時の会長について「『古事......一二月建勲神社を辞任した。〔写真〕○須知山峠をこえて会長は研鑽の途についた p277○... | 3213 |
3214 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 御嶽教に勤務 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...ほどなく、その年の一二月一八日、伏見稲荷山の御嶽教西部教庁の主事となった。会長の治... | 3214 |
3215 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 金明霊学会の苦況 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...方与平・田中善吉・竹原房太郎・森津由松・山本作次郎・時田金太郎・福林安之助・四方甚... | 3215 |
3216 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 祭事の継承 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/山=4 | ...祭などが定期にとりおこなわれている。弥仙山への参拝も、沓島への参拝もできるかぎりの......旧四月二八日)にも、四方与平ら五人が弥仙山に参拝し、同年の八月一六日(旧七月八日)......五日の節分の翌日には、神様が沓島より弥仙山へお上りになったというので、四方平蔵ら六......ので、四方平蔵ら六人の役員が代表して弥仙山に参拝した。 明治四一年には、これまで広... | 3216 |
3217 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 王仁三郎の帰綾 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/山=4 | ...三郎は、前にものべたとおり、亀岡から福知山へかけての丹波路では、かなり早くから霊術......となった。その湯浅にたいして、居住地の周山警察署から「辞令、雑誌、供金持来り五日に......不義を敢行し、所謂羊頭を掲げて狗肉を売る山師の巣窟なり」(「直霊軍」)と、憤激した......にて袂別以来京都大木庁(註、御獄教)へ帰山、文学博士井上先生、宮内省掌典長宮地先生... | 3217 |
3218 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 「直霊軍」の創刊 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...あった。発行所は綾錦社で、その印刷は福知山下柳の小宮活版所でなされている。 「直霊... | 3218 |
3219 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 造営と宣教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 7 件/山=7 | ...てきたから、明治四十一年の節分の夜に弥仙山まであがりておるから、お仮屋では何かの便......一一月二一日(旧一〇月九日)の深夜、弥仙山の頂上にまいり、神霊を迎えて翌朝綾部に帰......、かんじんの神の教を忘れておる取次ぎが沢山あるが、いままでのようなことはさしておか......設と六百有余坪の敷地を購入したる位が関の山にて、未だ驚天動地の活動を為すに致らず。......二月の末には、西原や上谷など、綾部郊外の山間部にある村落の熱心な信者たちから、連日......る。 一九一〇(明治四三)年八月に、国鉄山陰線の京都綾部間が開通したことも、教団づ......者らが綾部にくるためには、大阪経由で福知山に下車し、人力車か徒歩で綾部に向わざるを... | 3219 |
3220 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 明治の晩期 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...信者ら一二四人の一行は、綾部を出発して、山田市におもむき、翌二五日、伊勢の内宮と外... | 3220 |
3221 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >2 大正の初期 | 大本教の教規と信条 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/山=2 | ...。そのさいの石工は信者の西垣孫八(兵庫県山南町)であった。 これよりさき三月七日に......日、開祖は役員・信者二〇〇人とともに弥仙山に参拝した。五月一七日には、吉田竜治郎の... | 3221 |
3222 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >2 大正の初期 | 「敷島新報」と直霊軍部隊 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/山=5 | ...)年一月御獄教大本庁に勤めているころ、周山(京北町)の吉田竜治郎にあて、「茲に看過......も四軒あらたに購入した。そのうちには本宮山西ふもとの二一〇〇余坪がふくまれている。......した。ついで同月二八日には、直霊軍は大江山に向かい、さらに播但地方、府下の園部・菟......江八幡から行程二時間を要して琵琶湖畔の岡山につき、湖面の水茎文字「ア、オ、イ、エ」......う(「敷島新報」12号)。〔写真〕○弥仙山参拝のとき開祖の使用された人力車 p329○... | 3222 |
3223 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >3 皇道大本 | 改称の理由 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...二〇余人をともない、橿原神宮および大和三山の畝傍の社に参拝した。四月一一日には、根... | 3223 |
3224 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >3 皇道大本 | 浅野の入信 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/山=2 | ...)の入信となり、浅野が綾部に移住すると秋山真之(海軍少将)がまっさきに参綾した。秋......真之(海軍少将)がまっさきに参綾した。秋山は日露戦争当時の参謀として有名であった。... | 3224 |
3225 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >3 皇道大本 | 神島開き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/山=3 | ...坤の金神)の鎮祭をし、その神祠を捧持して山をくだり、記念の撮影をして離島した。午後......浦に安着し、王仁三郎の一行は神戸三ノ宮の山口旅館に一泊、ついで大阪の谷前宅に二泊、......到着した。明け方のころ島の頂上にのぼり、山をくだって海岸の岩の洞穴で、王仁三郎は神... | 3225 |
3226 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊 | 海軍関係・知識層等の参綾 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/山=6 | ...井機関少佐が、ついで六月九日には海軍大佐山本英輔が参綾して鎮魂を実修した。同一四日......して鎮魂を実修した。同一四日、海軍少将秋山真之がふたたび参綾して三日間の修業をして......業をしている。 海軍関係以外としては、秋山少将の紹介で二月一九日に豊本景介が参綾し......木に泊り、二六日吉野川ぞいにのぼって吉野山の八幡の社にいたり、神前に礼拝した後、一......開祖・王仁三郎・役員・信者数百人が、福知山の八幡宮および一宮神社に参拝し、五月二五......大阪)・車末吉(肝川)はじめ、綾部・福知山・大阪などから数人が出動して、肝川の金鉱... | 3226 |
3227 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第2章 >1 昇天 | 昇天の前後 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/山=5 | ...事し、九月には鳥取支部が設置された。まず山陰地方の支部設立を契機として、本部からの......は神務その他の執筆なども中止した。 本宮山・世継王......山のあたりにかけて秋の色が深み、神苑は建設......た p373○全国的宣教の開始 (上)王仁三山陰へ 松江 (中)松江での案内状 (下)......はふかみ神苑の建設はすすむ (上)世継王山 (下)黄金閣の基礎工事 p375○金竜殿の... | 3227 |
3228 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第2章 >1 昇天 | 葬儀 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 8 件/山=8 | ...よび三、通称「天王平一の瀬」とよんでいた山腹の地点がそれである。開祖と因縁の深い弥......の地点がそれである。開祖と因縁の深い弥仙山を真正面はるかにあおぎ、本宮......山と相対する崇高静寂の場所である。 一一月......。 一一月一二日、役員・信者の手によって山開きをなし、玉砂利を敷きつめて奥都城を築......沢雄楯の弔詞、何鹿郡神職代表の献歌、福知山一宮神社社司の弔詞などがあった。開祖の昇......がおこなわれた。〔写真〕○奥都城から本宮山(中央)と弥仙......山(右前方のとがった......山)をのぞむ p379○本葬式 霊璽は金竜殿か... | 3228 |
3229 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第2章 >2 開祖の人柄 | 2 開祖の人柄 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...すものであった。開祖の日々は、筆先の「奥山の烏のなく声たよりにて、かごんでおるよう... | 3229 |
3230 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第2章 >3 道統の継承 | 世継ぎ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...男子の後の御世継は、明治二五年に初発に、山口直の筆先に一度かかしたことは違いはいた... | 3230 |
3231 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 | 予言の強調 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/山=4 | ...振る雨里迦の一時雨、木枯さへも加はりて、山の尾の上の紅葉も、果敢なく散りて小男鹿の......果敢なく散りて小男鹿の、泣く声四方に竜田山……おちこちの寺の金仏、金道具、釣鐘まで......今眼のあたり迫り来て、多具理に成ります金山の、彦の命の御代と化り、下国民の持物も、......められていた。しかも、日清戦争後における山東省還付をめぐる三国干渉によった屈辱感が... | 3231 |
3232 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 | 情勢の深刻化 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...した。たしかに対独宣戦、それにひきつづく山東出兵や対支二十一カ条の要求などの一連の... | 3232 |
3233 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 | 地方宣教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 19 件/山=19 | ...のである。東北・北陸・関東・東海・近畿・山陽・......山陰・四国・九州などと、その範囲も全国的ひ......の当時、東京・長野・京都・熊本の四市、富山・三重・......山形・千葉・愛知・岩手・佐賀の七県にあり、......江であり、その論説は、地元だけに、とくに山陰地域における影響には注目すべきものがあ......える。こうした心霊主義者の動きもあって、山陰地方における大本の信者ば急激にふえ教勢......について活躍した人に小原禎次郎(朝日新聞山陰営業部)がある。これらの人々についで奥......て入信した人々が圧倒的におおく、入信者も山陰地方のみならず、北海道・宮城・関東・京... | 3233 |
3234 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 | 修業者の激増 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/山=3 | ...ぶりを示している。一月の内訳をみると、岡山県から一〇三人とあるのをはじめとして、四......神の因縁」・「肝川竜神と土米の話、大和三山巡り、雨の竜神、竜体は土中より発生、人間......花 艮の金神の世になりたぞよ。しゆみせん山にこしをかけ、うしとらの金神まもるぞよ。... | 3234 |
3235 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 | 本部の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 11 件/山=11 | ...致さず、金竜殿へ修行に参る守護神人民は沢山に火鉢を並べて賛沢な今の行り方、ソンナ事......ら一行二二人が、穴太の小幡神社および高熊山に参拝した。教主・役員・信者の一行は、同......拝し、五月二〇日に元伊勢、同二七日に福知山の一宮・金比羅・庵我の中村八幡宮の各神社......役員・信者の一行をひきいて、綾部の世継王山第二峰の頂上にのぼり言霊の実習をした。そ......くわわって一行一〇人が、一〇月二日に伊吹山の......山頂にのぼり、第三隊は小笠原義之をはじめ一......本にむかった。さらにそのほかの一行は弥仙山および肝川の割岩......山などにのぼった。 一九二〇(大正九)年度... | 3235 |
3236 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 | 綾部神苑の拡張と整備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 15 件/山=15 | ...万八二一二坪は二月二五日に入手された本宮山である。本宮......山のいわれについては、王仁三郎によって、「......論その泥海のやうな湖水の中にあった。本宮山もその湖水の水面に頂上だけが出ていて、太......嗚尊が出雲から出て来られた時に、この本宮山の上に素盞嗚尊の母神であらせられる伊邪那......ふ熊野三社をお祀りになったのである。本宮山は桧のよく育つところで、明治維新当時はこ......桧のよく育つところで、明治維新当時はこの山の樹といふ樹は凡て桧ばかりであったが、大......(大正八)年の九月一六日には、大本で本宮山の......山開きがされ、山口祭がおこなわれ、雑木の伐... | 3236 |
3237 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 | 亀岡大道場 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 16 件/山=16 | ...一二月六日に登記をおえた。 亀岡はもと亀山といっていたが、廃藩置県のとき、亀岡と改......地方はおおきな湖水となっていたようで、亀山城のあたりはその丘陵地であった。口碑のつ......さらにきり開いてその流通をはかった。 亀山城は明智光秀の築城になるもので、当時は天......めに何かゆかりのある如くなつかしかりし亀山城趾よ〟〝ひまあれば亀......山城趾にしのびゆきて無言の銀杏といつも語れ......つも語れり〟とよんでいるが、ありし日の亀山城の雄姿が、いつも王仁三郎の心をひきつけ......の用意をさせ、古くから謡われていた「福知山出て長田野こえて駒を早めて亀......山へ」の民謡そのままに、福知山から長田野を... | 3237 |
3238 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 | 祭事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...神様。禁闕金の大神……大地の金神様。弥仙山の木の花咲耶姫命様。中の御宮の彦火々出見... | 3238 |
3239 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >3 積極的宣教 | 台湾の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/山=3 | ...する。高木鉄男は一八七四(明治七)年に岡山市に生まれ、一九○二(明治三五)年に東大......引きをしていた桜井信太郎や、三井物産の中山勇次郎はじめ、物産・製糖会社の幹部社員、......を初め新設の台北、嘉義支部からも綾部の本山へ寄附金少なからず、人心惑乱を惧れた総督... | 3239 |
3240 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >3 積極的宣教 | 内地宣教の展開 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/山=3 | ...る。ただちに銀座の枝吉の本邸、千駄ケ谷の山田春三邸を訪問一泊し、一〇日は離京した。......説をなし、七日には新舞鶴へ、八日には福知山へと進出して、馬上での大獅子吼をなした。...... 王仁三郎・浅野・井上・高木・栗原・岩田山陰へ─鳥取 篠原・木島・谷村・深町九州へ... | 3240 |
3241 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >4 文書宣教 | 社会の反応 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 7 件/山=7 | ...取囲んだパラノイア、妄想性痴呆、迷信者、山師連の集団」ときめつけた。学会・言論界の......のなかに特色あるものがあった。たとえば小山内薫が、「問題の新宗教・大本教の批判」の......詞が叶けやう。私は先づこれに驚いた。 小山内はさらにこのあと、幾つかの筆先を引用し......を覚えずには置くまい」と結んでいる。 小山内は一九二〇(大正九)年一一月一九日、松......をした。ついで久邇宮家の宮務監督であった山田春三(宮中顧問官)も、王仁三郎のみちび......ちびきで一九一九(大正八)年に入信した。山田は成婚以前の久邇宮良子妃(現皇后)の養......83○大本を批判・攻撃した雑誌広告 p485○小山内薫 p486○芥川竜之介 p487○明治座で上映... | 3241 |
3242 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >5 大正日日新聞 | 日刊新聞の経営 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/山=2 | ...ており、大朝の退社組である花田大五郎・丸山幹治・宗伏高信・青野季吉・鈴木茂三郎ら、......なければならぬ。今日大正日日の本社から沢山社員が見えられまして……丁度広く華き胄を... | 3242 |
3243 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >5 大正日日新聞 | 抵抗と閉社 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...東京確信会所属の東大生月足昴・大島豊・小山昇や慶大生嵯峨保二らは、通学のかたわら新... | 3243 |
3244 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >1 事件の背景 | 事件のあらまし | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/山=2 | ...りには目をみはるものがあった。綾部の本宮山に神殿を造営し、亀岡城址を購入して大道場......は、改修させられ、一〇月一一日には、本宮山神殿にたいし、一八七二(明治五)年の無願... | 3244 |
3245 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >1 事件の背景 | 事件の背景 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/山=2 | ...本労働総同盟友愛会の指導のもとに、足尾銅山・川崎造船所・東京市電などのストライキが......る論議に対し起訴せしめたりと告げたるに、山県適当の処置なりと賛成したり。なお余は我... | 3245 |
3246 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >1 事件の背景 | 民間諸宗教への政策 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/山=2 | ...った。大本に先行する天理・金光・蓮門・丸山各教や、本門仏立講などの諸教団もまた、大......一八七五(明治八)年には同じ理由で教祖中山みき以下、信者までが警察に留置された。一... | 3246 |
3247 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >2 最初の警告 | 第二回調査 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...ひは蚕都(綾部)とか、あるひは神都(宇治山田市)とか指称するのと同様であります。つ... | 3247 |
3248 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >3 検挙への動向 | 日米戦争の予言 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/山=3 | ...露骨に示されている。その内容は、ドイツの山東省における利権を日本にゆずり、さらに同......軍部内蒙古での日本人の土地所有・営業・鉱山採掘権をみとめ、吉長鉄道の管理経営を九九......国の猛烈な反対にあった。日本はその結果、山東半島の経済的利権と青島の居留地を獲得し... | 3248 |
3249 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >3 検挙への動向 | 第二の警告 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/山=3 | ...た。そして不敬罪の理由は、なおの墓地を桃山御陵ににせてきずいていること、また宣教書......め、その連絡をとった。 藤沼は、平沼と小山松吉次席検事の二人に、これまでおこなった......れまでおこなった調査の結果を報告した。小山検事は、すでに藤沼の報告をよんでだいたい... | 3249 |
3250 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >3 検挙への動向 | 告発 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/山=2 | ...かたわら、二〇日には、「大本教祖の墓が桃山御陵に彷彿たる構造にして人心を惑はすもの......61○検挙直前の京都府警察部の動き p563○桃山御陵 京都市外 p564○大本検挙の直接関係... | 3250 |
3251 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >1 検挙 | 第一回家宅捜査 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/山=2 | ...ある。午前八時、綾部駅に到着、そこで福知山署や綾部暑の巡査約一〇〇人と合流した。京......も人間の心を破壊することはできない 本宮山神殿破壊直後の警察関係者 p567○検挙時の... | 3251 |
3252 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >1 検挙 | 検挙 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/山=2 | ...かに湯川貫一・井上留五郎・石井弥四郎・外山豊二・深町泰資(泰仁)・牧寛次郎・四方平......たことはいうまでもない。このようにして、山とつまれた押収物品は綾部署および公会堂に... | 3252 |
3253 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >1 検挙 | 第二回家宅捜査 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/山=3 | ...こなった。食後その一隊は、みろく殿・本宮山神殿・......山麓の金明亭などを一巡し、他の一隊は天王平......。その翌二八日には、名古屋市外西春日井郡山田村小田井字南出の水谷清(名古屋市立第九... | 3253 |
3254 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 事件直後の大本 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/山=3 | ...のようににぎわった。また五月一五日の弥仙山参拝・六月一三日の沓島・冠島参拝なども例...... さらに、大正八年以来着手されていた本宮山神殿造営工事は、依然としてすすめられてい......次大本事件直後の王仁三郎の揮毫 p578○弥山参拝(中央右)二代すみ子(左)三代直日 ... | 3254 |
3255 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 予審決定 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/山=2 | ...いうのは、「……○○○の行状を見れば、奥山の谷の奥深き人民の能ふ行かぬ所で、四ツ足......下を指したものであります。第二事実は、秋山(真之)中将や私の事を書いたものと申上げ... | 3255 |
3256 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 信者の態度 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...ったのである。教団外の論評の一部にも「泰山鳴動してネズミ一疋」だと論ずるものがあっ... | 3256 |
3257 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 記事解禁と批判 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...がそうであったのではない。たとえば、高野山大学教授であった長谷部隆諦は、「大本教は... | 3257 |
3258 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 信者への迫害 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 7 件/山=7 | ...じめた。大正一〇年の五月一三日には、福知山憲兵隊が調査にのりだし、それと前後して、......(大佐)・池中(中佐)・馬場(中佐)・外山(少佐)・篠原(大尉)・江上(大尉)など......た例は、千葉・愛知・福井・京都・鳥取・岡山・......山口各県などにおいてとくにめだっており、教......共通に記入している。しかも北海道・宮城・山形・茨城・静岡・愛知・富......山・福井・京都・大阪・兵庫・和歌......山・鳥取・島根・広島・福岡・大分の各府県の... | 3258 |
3259 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 責付出獄 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 5 件/山=5 | ...、今回発表された予審調書内容くらいが関の山で、万事が開放的な大本内部なるにかかはら......大本は、天王平とよばれていた出口家所有の山林(旧綾部町字才ケ首丘陵)に壮大な墓をき......れを認可した。ところがやがてその墓地が桃山御陵に類似しているとの風説がたかまってき......大正八年いらい工事がすすめられていた本宮山神殿にたいする干渉がはじまったのである。......ては当職としては、折角墓地取毀問題や本宮山の社殿問題などが起って来た矢先であるし、... | 3259 |
3260 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >3 公判 | 教団の改革 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/山=3 | ...れ、二八日旧社殿は焼却された。これは本宮山神殿の完成をまって、国常立尊の神霊と合体......いった。八月一〇日、七夕祭において、本宮山に参拝して神様から聞いたことをお話しする......)夏期講習会の参加者 後方は建設前の月照山と竣工した瑞祥閣 p623○(下)月宮殿造営... | 3260 |
3261 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >3 公判 | 第一審 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...たりしているというありさまであって、本宮山神殿は、公判の決定をまってとりとわされる... | 3261 |
3262 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >3 公判 | 本宮山神殿破壊 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 21 件/山=21 | ...され、高橋内務部長・宮脇警察部長から本宮山神殿のとりこわしを命じられたからである。......物は公認する能はざるを以つて、大本教本宮山の神殿は本月三十一日迄に全部取毀すべきを......懲役五年を宣告されたばかりか、ついで本宮山神殿のとりこわしを命じられるにいたって、......の立替えについて当面している事態は、本宮山神殿のとりこわしであった。本宮......山上の本殿は神明造りで、すべて最良の飛州桧......綾部在住の役員・信者のみが参列して、本宮山神殿告別式と昇神祭が、感慨ふかくとりおこ......は、三代直日のおろがむも今しばしぞと本宮山の峰をあほげば月はくまなき天地のしじまの......なしみのうちに、一〇月二〇日、ついに本宮山神殿の破壊がはじめられた。京都府警察部か... | 3262 |
3263 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >1 霊界物語の口述 | 物語の発表 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 4 件/山=4 | ...のうえ口述のなされたときは、あたかも本宮山の神殿が、当局の破却命令によって破壊され......きをむかえる。 第一巻の口述筆録者は、外山豊二・加藤明子・桜井重雄・谷口正治の四人......のぞく)松村真澄・加藤明子・北村隆光・外山豊二・谷村真友・桜井重雄・井上留五郎・藤......藤晴夫方)・皆生漏泉(浜屋旅館)・伊予(山口恒彦邸)・丹後由良(秋田別荘)・天の橋... | 3263 |
3264 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >1 霊界物語の口述 | 口述の由来 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/山=6 | ...界物語』の口述発表がなされた由来は、高熊山における修業と密接なつながりがある。すな......ながりがある。すなわち『霊界物語』と高熊山修業との関係については、つぎのようにのべ......」は、瑞月が明治三十一年の五月、再び高熊山に神勅を奉じて二週間の修業を試み、霊眼に......一八九八(明治三一)年の二度にわたる高熊山修業の体験が、『霊界物語』の内容の基本と......(『物語』38巻1章)とあるごとく、高熊山修業を起点とする道の究明や体験がくわわっ......れており、王仁三郎はその入獄中から、高熊山における霊的体験を回想し、『霊界物語』の... | 3264 |
3265 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >2 霊界物語の内容 | あらすじ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 12 件/山=12 | ...。国祖艮の金神は野立彦命と名をかえて天教山(富士......山)にあらわれ、坤の金神は野立姫命と名をか......われ、坤の金神は野立姫命と名をかえて地教山(ヒマラヤ......山)にあらわれ、正しき神人を集めて宣伝神と......伊邪那美尊が地上の神政の中心となり、天教山の木花咲耶姫命は神の経綸をつかさどり、日......めに活動をつづけられた。 その後ロッキー山で伊邪那美尊と偽称した大自在天神一派の魔......し、ついにその魔軍を言向けやわして、天教山にがいせんした。(『物語』6~10巻)〈......嗚尊の神業〉神やらわれた素盞嗚尊は、地教山における母神伊邪那尊の神勅により、贖罪神... | 3265 |
3266 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >2 霊界物語の内容 | 神の経綸 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/山=3 | ...た(『物語』2巻45章)。 国祖はシオン山(小アジア)に鎮祭せる一二個の玉を国魂の......の変動については、つぎのようにのべられて山いる。大国常立の大神の「雄たけびによって......ているのは、注目にあたいする。〔写真〕○山河草木 第61~72巻 p667○霊界物語全... | 3266 |
3267 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 | エスペラントとローマ字の採用 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/山=6 | ...第一三回日本エスペラント大会の第二日に、山口会館で講演をなし、また一九二七(昭和二......九二三(大正一二)年一〇月三日、本部の外山豊二が大阪の大黒実から、ローマ字に関する......綾部ローマ字会が組織され、出口宇知丸・外山豊二・......山口利隆・辻勝英・安達尊国・小高英雄の六人......日からもローマ字講習会がひらかれ、イ組は山口利降、ロ組は外......山豊二がうけもった。 こうして「神の国」誌... | 3267 |
3268 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 | 道院・世界紅卍字会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...光は、侯延爽の帰国をおくって渡支した。 山東省の首府済南から東北約三余里のところに... | 3268 |
3269 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 | 新機運の動向 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 11 件/山=11 | ...リオル湖の湖畔に教を垂れ、或は南米智利の山地に教義を説く。或は亜弗利加の蕃地に進入......孤影を曳き、或は万里の波濤を越え、或は雲山霞壑を踏み破る宣伝使の活動は、真に伝道師......大衆文化のひろがりにも見出される。中里介山の「大菩薩峠」が大衆小説として多数の読者......行は、熊本市の奥村宅に二泊、九月一日には山鹿に投宿し、翌二日、三玉村の観音堂と不動......日とともに、北陸・東北の各地を巡教し、白山・月......山・塩釜神社などにも参拝した。随行は岩田久......て台北・嘉義・台南・図南・高雄・屏東・火山廟・日月潭・二水などを歴訪巡教し、一二月......宇知丸が就任し、年譜を横尾敬義、伝記を外山豊二が担当することになった。翌一九二四(... | 3269 |
3270 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >1 蒙古へ | 入蒙の決意 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...天地に代り鴻業を樹立す ああ北蒙の仙境 山河草木盛装をこらし 歓呼して我神軍の至る... | 3270 |
3271 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >2 満蒙をめぐる政治情勢 | 中国の政治情勢 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/山=3 | ...た。このほか奉天の張作霖・雲南の唐継堯・山西の閻錫......山らが各地に独裁をほしいままにしていた。こ......が張家口方面から北京をうつなら、張作霖は山海関から進撃することが可能となる。こうし... | 3271 |
3272 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | 奉天での準備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/山=3 | ...司令トナリ、外蒙古ニ出動セヨ、タダシ索倫山ニ司令部ヲ設ケ、シカル後ニ募兵ヲオコナウ......経文というのは、弥勒如来の精霊、印度霊鷲山に下生し、成長して東誠天教......山に顕現す。将に五拾二才、衆生に対し苦集滅... | 3272 |
3273 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | 蒙古へ出発 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...いにあがった。翌日、西北自治軍本営を索倫山におくために、マンダハンの指揮で本軍は進... | 3273 |
3274 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | 索倫山 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/山=6 | ...さらに外蒙古との連鎖点にあり、別名を索倫山という。黒竜江省に属するところの要害の地...... マンダハン中将 副司令 楊崇山少将 副司令兼旅長 鄒秀明少将 副......長 何全孝少将 副司令兼旅長 包金山(具勒) このほか、軍法処長・秘書・副官......もとどかず、交渉にあたっているはずの楊崇山からの連絡もない。すでに、一一日に王仁三......印君の本宅 中央は老印君と家族 p739○索山─下木局子司令部での記念撮影 前列右より......長仮営での記念撮影 p740○吁盛哉神軍陣形山河草木靡威風 左より何 松村 中央が王仁... | 3274 |
3275 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >4 入蒙の影響 | 再入監 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...送のために広島県の大竹署に一泊、二六日岡山県笠岡署で少憩、同夜兵庫県上郡署で一泊、... | 3275 |
3276 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >4 入蒙の影響 | 社会的反響 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/山=2 | ...ある。大本教の王仁某の人格や思想や、その山師的野心などについては別問題として、彼が......年一一月一日に、矢野祐太郎は、政友本党鳩山一郎・向井忠晴にあって、王仁三郎の入蒙事... | 3276 |
3277 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >4 入蒙の影響 | 保釈後の動向 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ... 右前方に黄金閣がみえる 破壊された本宮山神殿の材料がつかわれている p759○王仁三... | 3277 |
3278 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >1 各宗教との提携 | 普天教と回教徒との関係 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 8 件/山=8 | ...によって出世するむねを宣示し、その教祖甑山大法天師の正式の葬祭式典とあわせて、一九......一九二五(大正一四)年の三月三日には、釜山青年会の主催で普天教反対の市民大会がもよ......にあつまった約八〇〇〇の大衆は、普天教釜山正教部をおそい、「普天教は親日派なれば、......し、器具をこわし、投石した。当日普天教釜山の聖殿に参拝した六二人のうち五八人までが......に翻りまして、信徒の行きて為す事は総て常山蛇勢を以て成就すると信じます。不肖マホメ......年の一月二〇日には、中国研究家であった石山福治と、その友人の回教徒の田中逸平が公文......サレムに足をのばして、いずれは中国の五台山で世界宗教会議をひらいて、各宗教の連合を......代直日 釈顕蔭 公文直太郎 王仁三郎 石山福治 田中逸平 二代すみ子 p765... | 3278 |
3279 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >1 各宗教との提携 | 世界宗教連合会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/山=3 | ...松村のほかに、北村隆光・岡崎鉄首そして頭山満と内田良平との代理である岡貞吉らが中国......をつらねている。出口宇知丸・岡崎鉄首・頭山満・内田良平・箕浦勝人・秋......山定輔・田中義一陸軍大将らがくわわっており... | 3279 |
3280 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >3 海外への発展 | 宣伝使の欧州派遣 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 3 件/山=3 | ...二五(大正一四)年の六月一一日に、郵船白山丸で神戸港を出発した。その目的は、八月一......この両人とも霊感者であって、王仁三郎氏は山中で神より「人類の救済」を告げられたとい......部がもうけられた p785○欧州宣教の開始 山丸船上での西村 p786○紋付羽織袴は注目を... | 3280 |
3281 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 | 機構の改革と人事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 6 件/山=6 | ...宣伝課長西村光月・次長北村隆光・庶務課長山口利隆・次長前田満稲・会計課長東尾吉雄・......島祠官出口慶太郎・神島祠官谷前貞義・天明山祠官豊本景介、このほかに係員三六〇名を任......高橋常祥・大国以都雄・河津雄・横尾敬義・山口利隆・橋本亮輔・筧守蔵・前田満稲・字城......ひらきましわれ霊国をひらきて道とく〟〝鶴山と亀......山二つの聖場に朝夕ひらく月日のをしへを〟と......口大二は、一九二四(大正一三)年一月福知山連隊に入営し、翌年の一二月には除隊したが... | 3281 |
3282 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 | 債務の整理 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 2 件/山=2 | ...た。 そのうち九月一〇日にいたって、福知山区裁判所から、黒田祝の債権による強制競売......、黒田祝の債権による強制競売をなし、本宮山・天王平開祖奥都城・教祖殿・黄金閣の四敷... | 3282 |
3283 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 | 国内宣教と造営 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 11 件/山=11 | ...輪台がつくられた。これは霊国における月照山に相応するものとされ、四月二五日には、そ......るものとされ、四月二五日には、そこに月照山の神体としてみろく塔が建設された。この塔......洲にある宇知丸の実家につき、ふたな支部の山口恒彦邸・松......山・新居浜の白石宅をへて、五日には土居の八......日には土居の八雲神社に参拝し、八雲琴の中山元祖の墓にもうでた。そとで田中緒琴による......伝行脚していった。さらに聖師の命をうけた山口利隆夫妻も、向島にわたって宣伝をつづけ......一二日に帰着した。そして一一月二八日から山陰地方を一二日間にわたって巡回した。 第......九二六(大正一五)年の一月九日には、月照山に宣霊社をたてた。ここに昇天した宣伝使の... | 3283 |
3284 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 | 暁天の機運 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 13 件/山=13 | ...は宇知丸らをしたがえて、亀岡を出発し、岡山分所・呉支部・広島分所などを巡行し、福岡......いで鹿島分所・有国の久富二六邸・佐世保・山県猛彦邸・島原などをへて二〇日には九州別......二四日には大洲に到着した。さらに郡中・松山・道後をへて高浜を出港し、二六日には神戸......一行は米子の藤田武寿宅・皆生温泉・鳥取の山川石太郎宅をへて加露神社に参拝し、由良の......大島に着いた。この地方は、特派されていた山口利隆夫妻の努力によって、教勢の発展もめ......に面会し、一月一四日にいたって聖師は宮原山に登......山した。宮原......山は坂嶺小学校背後の小山で、ふるくから神山... | 3284 |
3285 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ | みろく大祭 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 6 件/山=6 | ...倉時代にも、この信仰はうけつがれてゆき、山嶽信仰とも結合していった。とくに富士にた......浦浄心はその著『慶長見聞集』のなかで、桃山の時代を「さてもさても目出度き御時代かな......らにここでも直会があった。翌四日には高熊山参拝があって、みろく大祭に関するいっさい......に供えた玉串料は総計五六七円であり、高熊山へ参拝したものもくしくも五六七人であった......内閣か組閣(昭和2・4・20)されたが、山東派兵がなされ、そのため排日運動も激しく......・長野・神奈川・愛知・京都・大阪・兵庫・山口・福岡・長崎の一道二府七県に設置された... | 3285 |
3286 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ | 大祭後の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 6 件/山=6 | ...石でうすめられた。 月宮殿の敷地は、高熊山辺りからつらなっているチャート(Chert)質......のである。 すなわち聖師にあっては、高熊山修業以来約三〇年のあいだ、月宮宝座を築造......は、一九〇九(明治四二)年の一一月、弥仙山から神霊をむかえたときに使用されたもので......さねた。地方における活動の一例として、岡山県下の場合をあげておこう。栗原は連日活動......いては日蒙親善のたちばから、田中義一・頭山満・小川平吉・望月圭介・鈴木喜三郎・平沼......真〕○国魂石が全国からおくられてきた 富山 p14○完成した月宮殿 天恩郷の高台にそそ... | 3286 |
3287 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ | 聖師巡教の旅へ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 29 件/山=29 | ...る。福井県武生の米倉邸・石川県の大聖寺・山代・粟津・御幸・苗代・小松をへて七月一五......所の浜中邸に二泊し、七月二〇日には船で富山県の雨晴へむかった。そして太美......山・三五・月光宮・新川などの分所・支部をめ......所・支部などにもたちより、七月三一日には山形県にはいった。酒田・月光川・藤ヶ崎・日......森では支部のほかに東北分所が新設された。山形県でも青森県でも寺の住職が聖師に面会を......こに至る途中、チンボクビラと土人の呼ぶ霊山を高倉......山と命名し、オシマツクリービラととなえる霊......と命名し、オシマツクリービラととなえる霊山には角高山と命名した。八月二六日、この日... | 3287 |
3288 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 | 巡教活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 24 件/山=24 | ...内各分所・文部で宣教がおこなわれ、さらに山陰に出張して神刕別院はじめ島根・鳥取両県......随行で東北へ出張し、東京からはじまって郡山・米沢・漆......山・赤湯・......山形・青野・大寺・大谷・酒田・鶴岡・仙台な......ずれも好意的な記事をのせている。 一方、山陰地方には井上留五郎・湯川貫一・西村光月......月一三日には、別院建設敷地検分のため和歌山比井分所へ、三月二八日から四月一一日まで......石邸につき、さらに大洲(宇知麿実家)・松山・高松・徳島・高知(足立卓子邸)というよ......の巡教中、六月三日に、長野県松代町の皆神山の登山がなされた。この山はのぼり二キロ(... | 3288 |
3289 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 | 満州巡教と世界紅卍字会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 26 件/山=26 | ...都から同行した。 関釜連絡船で一四日に釜山に到着し、普天教李花元ほか二人の幹部らの......一一月一四日、大国以都雄らをしたがえて、山陰の神刕別院におもむいた。ここで大崎正吉......。ここで大崎正吉の連絡によって、別院に頭山満・内田良平らの一行をむかえることになる......平らの一行をむかえることになる。聖師と頭山の一行は出雲大社に参拝し、一九日には松江......らきたい」とのべている。聖師は二〇日、頭山・内田の一行とともに綾部に帰着し、さらに......月中旬には紀伊別院開院式にのぞんで、和歌山県下の各分所・支部を巡教した。 島根では......支部を巡教した。 島根では松江市北堀町赤山のバックストン(英国貴族・キリスト教宣教......・佐賀・福岡・戸畑(桜井愛三邸)・豊田(山口県)・岡山などを巡教して、五月二〇日に... | 3289 |
3290 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 | 海外の宣教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 20 件/山=20 | ...一日長春支部を設置し、ついでハルビンで中山長蔵が支部を設置した。大連(旅大)では昭......た。大連(旅大)では昭和三年四月三〇日村山盛吉が支部を設置し、長春駅長蓼沼泰一、ハ......坡・海林方面に活躍し、高木は沿海方面に中山と協力して活動した。一九二八(昭和三)年......年の一一月には、筧守蔵が派遣され、川村釜山支部長をたずねて講演と病気お取次をし、さ......聖師・二代教主の一行が満州巡教の途次、釜山・京城・平壌・鎮南浦などにたちよったが、......)年に深水静か駐在してからは、新義州・蔚山に支部が新設され、平壌に分院がおかれて松......じめに宇城特派は、平壌・鎮南浦・仁川・釜山・清津・木浦・元......山などで聖師の作品展を開催している。その後... | 3290 |
3291 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き | 宗教と芸術 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 5 件/山=5 | ...ものを集録したもので、第一集として『花明山』が一九三一(昭和六)年の五月に刊行され......これは聖師の書や画(神像・観音・だるま・山水・諷刺画・戯画)ならびに楽焼、さらに大......・藤枝・焼津・伊豆・甲府・上田・姫路・岡山・津......山・倉敷・福......山・広島・園部・八木の二〇ヵ所であった。そ... | 3291 |
3292 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き | 本部の体制 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 16 件/山=16 | ...』七巻までが刊行され、歌集としては『花明山』・『彗星』・『故......山の夢』が刊行された。そのほかの単行本とし......祭まじかになったとき聖師は二代教主に、鶴山の機場で長旗を織りあげるよう委嘱され、吉......曜の紋をいれたものである。その後、別に鶴山つづれ織で、黄色の生地に青五本・赤六本・......九二八(昭和三)年の一一月一三日に、本宮山において長生殿の地鎮祭がおこなわれた。ま......た一九二九(昭和四)年の四月一四日に本宮山で地鎮祭をとりおこなった穹天閣は、一九三......次大本事件のさい取り壊された、もとの本宮山神殿の材料を用いてたてられた記念の建物で......九月二四日には、東石の宮のご神体が、本宮山上に移築された石の宮に遷座された。一〇月... | 3292 |
3293 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き | 梅花運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 10 件/山=10 | ...梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。須弥仙山に腰を掛け鬼門の金神守るぞよ』かう言はれ......辻忠造、近畿第二=古市宣三・木村次之助、山陽=木下愛隣・藤原義男、......山陰=藤原勇造・松田盛政、東海=桜井信太郎......関東=出口日出麿・御田村竜吉、奥羽=村松山寿・中鉢玄策、北海=田中省三・斎藤長治、......鉢玄策、北海=田中省三・斎藤長治、四国=山口恒彦・上野善蔵、九州=......山県猛彦・松浦教友、台湾=石丸順太郎・木下......座談会・個人宣伝などによるものが多いが、山陰地区では、大国特派の指導によっていくつ......が組織されていたが、梅花運動がおこると、山陰では天幕自炊の宣伝隊がつくられたりして... | 3293 |
3294 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 人類愛善と青年の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/山=3 | ...〇余人の聴衆が集まった。講師は大谷大学の山辺習学・臨済宗大学の奥江順徳・大本宣伝使......れたのをきっかけに、松江・東京・綾部・松山・京都など、つぎつぎとその地名を冠した青......た。〔写真〕○昭和6年9月8日教碑が本宮山に建てられた p89○日本宗教平和会議 東京... | 3294 |
3295 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 桶伏山の建碑 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 15 件/山=15 | ...るときもとき、九月の八日には、綾部の本宮山(桶伏......山─鶴......山)の......山頂に三基の碑石が建てられた。 中央の碑石......側の碑には、〝盛なりしみやゐのあとのつる山にやまほととぎす昼よるを啼く〟〝よしやみ......)年、第一次大本事件のとき破壊された本宮山神殿のあとに関するものであり、あとの一首......ったものを、大正一二年一二月九日に、本宮山に建立するため、......山頂に引きあげられていたものである。しかし... | 3295 |
3296 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 満州事変の突発 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 4 件/山=4 | ...二年三月二四日の南京事件・七月八日第一次山東出兵、昭和三年四月一九日第二次......山東出兵・五月八日第三次......山東出兵・六月四日張作霖爆殺事件、昭和六年......二七日中村大尉殺害事件・七月二日には万宝山事件などがあいついでおこっており、紛争が... | 3296 |
3297 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 昭和青年会の改組 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...のとなってゆく。ちなみに昭和青年会旗は鶴山織で、縦七四センチ、横九一センチで、中央... | 3297 |
3298 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 宣統帝問題 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 3 件/山=3 | ...庄繁・台湾軍司令官真崎甚三郎・陸軍次官杉山元・軍務局長小磯国昭・軍事課長永田鉄......山・参謀本部次長二宮治重・作戦部長建川美次......、あるいは世界宗教連合のために中国の五台山に松村らを特派したこと、また満蒙の布教に... | 3298 |
3299 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 一九三一年(いくさのはじめ) | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 1 件/山=1 | ...ようとするものであった。 大本では、本宮山に教碑が建設されたときから「時節」到来が... | 3299 |
3300 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 多彩な大本 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 6 件/山=6 | ...方各支部は支社または取次販売所を設置し、山間僻地にいたるまで、徒歩、または自転車隊......う指示された。昭青・坤生の会員によって、山間僻地にいたるまで配布されることになった......、東海八万四五七三、近畿一九万七八四三、山陰四万八九一〇、......山陽五万三二八三、四国三万五六二一、九州一......会本部は、とくに綾部工芸課に注文して、鶴山織の一二尺五寸に九尺(三七五×二七〇セン......稲の特色は「旱・湿・冷害によくたえうる。山上・桑園・果樹園の間作・混作が可能であり... | 3300 |