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6701 大本七十年史 上巻 第1編 >第2章 >4 広前成立 外国行き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 28 件/ノ=28 ...日)には、「から(唐)へ行ってくれい」と神示があった。唐(中国)がどんなに遠いか......がどんなに遠いか開祖にはわからない。「ほぼ......と出て行けば心さびしく思うなよ。力になる......なる人、用意がしてあるぞよ」と筆先が出たで、出て行けば、だれか外国へつれて行って......へつれて行ってくれるだろうと思い、わずか路銀を用意して、ただ一人綾部を出発した。......だ一人綾部を出発した。八木に着くと、戸倉吉五郎......妻ときから、天竺(インド)まででもおとも......ら、天竺(インド)まででもおともしたいと申し出があったので、ときの来るのを待つう... 6701
6702 大本七十年史 上巻 第1編 >第2章 >4 広前成立 広前はじまり 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 50 件/ノ=50 ... 日清戦争予言が実現したときから、「不思議な婆さん......ら、精神病でひきこもっていた西村文右衛門平癒祈願をた......まれた。開祖は神に祈り、右手を病人......腹に、左手を背中におき、そ......あと身体をさすり「鬼門......金神を唱えて一心にた......みなさい」とおしえた。それから一〇日ほど......神さまにお礼参りをさしてもらいたい」とたんだが、開祖は「家なしでまだおまつりして... 6702
6703 大本七十年史 上巻 第1編 >第2章 >4 広前成立 広前移転 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 119 件/ノ=119 ...・金とお供物が多くなり、経済的には世話人負担は軽くなった。まもなく大島......裏座敷では狭くなり、一八九五(明治二八)......一月一八日(旧一二月二三日)に四方源之助養蚕室八畳二間を借りて広前を移した。そ......年......春をむかえたある朝、開祖は参拝にきた平蔵......は読めないところもあったが、しだいに開祖言葉と照合して読めるようになった。これが......と照合して読めるようになった。これが筆先読みはじめである。 こ......当時の入信者に竹原房太郎があった。竹原は... 6703
6704 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 第三章 聖師おいたち 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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6705 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >1 幼少ころ 1 幼少ころ 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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6706 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >1 幼少ころ 出生 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 93 件/ノ=93 ... 西は半国、東は愛宕、北帝釈、山......屏風を引きまわし、中......穴太で牛を飼う。これは......ちに、出口聖師が、故郷を回想してうたった......に、出口聖師が、故郷を回想してうたった歌一節である。山陰道......入口に所在する亀岡盆地......中心地亀岡町、そこから西方約四キロに、も......心地亀岡町、そこから西方約四キロに、もと穴太村(現在、亀岡市曽我部町穴太)があっ... 6706
6707 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >1 幼少ころ 幼年期 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 78 件/ノ=78 ... はじめて男児......誕生であっただけに、そ......誕生後六ヶ月目、祖父吉松は、喜三郎......両親を枕辺によんで、遺言し、一八七一(明......四)年一二月二七日、五八歳で帰幽した。そ遺言は「こ......上田家は、古来七代目ごとに偉人があらわれ......古来七代目ごとに偉人があらわれている。あ有名な画家......円山応挙は、本名を上田主水といって五代前... 6707
6708 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >2 小学校生活 2 小学校生活 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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6709 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >2 小学校生活 偕行小学校 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 77 件/ノ=77 ... 一八八〇(明治一三)年春、喜三郎はようやく健康になり、偕行小学......等第八級(最下級)に入学した。校長は亀山旧藩士出口直道であった。当時......小学校は、整った設備もなく、穴太寺......念仏堂などを改造して、四間......教室をつくり、大きな木製......ついたてで仕切った教室に、各学年......生徒を収容していた。校長と、やはり亀山旧......と、やはり亀山旧藩士で吉田有年という先生二人が、こちらの教室で読本の一節をおしえ... 6709
6710 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >2 小学校生活 代用教員 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 28 件/ノ=28 ...当時としても珍しい例であった。普通小学校教員養成......ためには、すでに師範学校が設けられていて......は、すでに師範学校が設けられていて、教員資格については、小学校教員は年齢二〇才以......格については、小学校教員は年齢二〇才以上師範学校又は中学校卒業......者、中学校教員は二五才以上......大学卒業者をもってあてることが規定されて......。喜三郎はもちろん正式な教員ではなかっただが、たとい助教員としてでも、わずか一二......が、たとい助教員としてでも、わずか一二才若さで一年余り教鞭をとったことは、その才... 6710
6711 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >2 小学校生活 神道へ関心 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 27 件/ノ=27 ... 喜三郎は、小学校代用教員を一年あまり勤めたが、僧侶出身......山本という教員と、神道......ことについて衝突した......が原因となって辞職した。穴太は仏教......さかんな所だけあって、神道に心をよせてい......、周囲からせめたてられていたようである。ちに、聖師は『本教創世記』(明治37・1......1・11自筆本)で「余が一三才(数え年)春......ことであったが、妙霊教会の布教師岸本とい... 6711
6712 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >3 最初反抗 3 最初反抗 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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6713 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >3 最初反抗 久兵衛池事件 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 115 件/ノ=115 ... 僧侶あがり同僚と激論して、とうとう月給二円......教職を棒にふった喜三郎は、一八八五(明治......喜三郎は、一八八五(明治一八)年、一四才秋から、隣り......家......斎藤源治という豪農......家に奉公をした。当時......地価割・戸数割村費負担額についてみると、......戸数割村費負担額についてみると、上田吉松家の負担額七銭四厘(半年分)であったのに... 6713
6714 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >3 最初反抗 亀山城あと 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 74 件/ノ=74 ... 上田家生活は、そ............ちも少しも豊かにならず、小作田......一部も人手にわたり、そ......日......米にも困るような、どん底......生活がつづいた。喜三郎......人間形成のあとをたどってみると、このころ... 6714
6715 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 新事業失敗 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 66 件/ノ=66 ... 喜三郎青年期は、日本......社会そ......も......が、資本主義......渦......なかで大きく揺すぶられ、底辺......民衆たちは、いっそう......窮迫に追いこまれつつある時代であった。 ... 6715
6716 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 「喜楽はん」と冠句 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 38 件/ノ=38 ...く学んだ。けれども、それはけっしてゆとりないも......ではなかった。時には大いに村人と遊んだこ......る。青年時代は、体は比較的弱い方であったで、徴兵検査(二〇才)は身長一・六一メー......九一(明治二四)年には、偕行社という冠句サークルをつくり、村上信太郎を社長とし、......、自分は幹事をつとめたりしていたが、冠句会に出句して天位をもらい、三年間引つづい......句して天位をもらい、三年間引つづいて冠句巻を四八冊とったという。こ......ころから「喜楽」という号を用いるようにな......「喜楽」という号を用いるようになり、村でよび名にも「喜楽はん」が使われるようにな... 6716
6717 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 牧夫生活 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 146 件/ノ=146 ... 一八九三(明治二六)年七月、二二才喜三郎は父母......許しをえて、獣医学を勉強することになり、......部町(京都府船井郡)で獣医をしている従兄井上直吉......もとに、書生として住みこんだ。 園部......南陽寺わき......牧畜場で、喜三郎はまず牛乳......搾取から修練させられた。牧夫三人、乳牛七......させられた。牧夫三人、乳牛七、八頭ばかり搾取場であったが、園部と周辺の村落へ毎日... 6717
6718 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 書画と信心 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 38 件/ノ=38 ... 喜三郎は、搾乳仕事......かたわら、俳句・和歌など......文芸をはじめ、絵画・書道にも趣味をもって......、絵画・書道にも趣味をもっていたから、そ研鑽にもはげんだ。絵画はおもに墨絵だった......んだ。絵画はおもに墨絵だったらしいが、そ時代......作品と思われるも......が、いまもいくつか残っている。技法は、南......いまもいくつか残っている。技法は、南陽寺天井絵を描いた画家春嶺について習ったとい... 6718
6719 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 ラムネとマンガン礦 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 27 件/ノ=27 ...るよう井上にしきりにすすめられ、農商務省第一九回獣医学試験を京都府庁で受けた。受......庁で受けた。受験生は五四人であったが、そうち学術試験合格者は五人で、喜三郎は二番......うち学術試験合格者は五人で、喜三郎は二番成績で合格した。ところが、蹄鉄術を習って......した。ところが、蹄鉄術を習っていなかったで、蹄鉄術......実地試験には及第できなかった。つぎに、京......試験には及第できなかった。つぎに、京都府巡査採用試験を受け、京都監獄署......看守......試験もつづけて受けた。両方とも合格通知が... 6719
6720 大本七十年史 上巻 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 精乳館・上田牧牛場 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 60 件/ノ=60 ... つぎには、喜三郎は船井郡桐庄村垣内......上仲儀太郎......宅で搾乳販売業をいとなむ計画をたて、資本......搾乳販売業をいとなむ計画をたて、資本調達ため有志に説いてまわったところ、意外には......く賛同者をうることができた。しかし、父母すすめもあり、桐......庄......方は、上仲にまかせることにして、一八九六......て、一八九六(明治二九)年一月一日、穴太生家の近くに牛乳処理と牧畜をかねた精乳館... 6720
6721 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 第四章 高熊山修業と幽斎 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 0 件/ノ=0   6721
6722 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >1 入山にいたるまで 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 97 件/ノ=97 ... 喜三郎は精乳館仕事で多忙をきわめ、したがって、農事は病......多忙をきわめ、したがって、農事は病気がち父吉松、それに母と弟がうけもっていた。と......いた。ところが、主なはたらき手であった弟由松が突然家出をしてしまった......で、家には、薪一束すら刈りに行くも......もいなくなってしまった。吉松は困って「屋......いなくなってしまった。吉松は困って「屋敷椋......木は鬼門に当たるが、今......世にたたりなどということもあるまいから、... 6722
6723 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >1 入山にいたるまで 入山動機 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 70 件/ノ=70 ... 喜三郎は父死後、わずか......間に前後九回も、土地......侠客を相手に衝突をおこし、無頼漢から恨み......こし、無頼漢から恨みを買ってしまった。そ九回目......出会いは、一八九八(明治三一)年二月二八......八(明治三一)年二月二八日(旧二月八日)夜におこった。二七才......喜三郎は、大石某......家で開かれた浄瑠璃の温習会に加わり、かみ... 6723
6724 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >2 高熊山修業 2 高熊山修業 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 0 件/ノ=0   6724
6725 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >2 高熊山修業 高熊山 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 31 件/ノ=31 ... 高熊山は亀岡市曽我部町穴太区奥山、そ......中......高台である。一八九八(明治三一)年三月一......三一)年三月一日(旧二月九日)、聖師がこ山にこもり、一週間......修業をおこなったことを記念して、大本では......業をおこなったことを記念して、大本ではそ山を霊場としている。喜三郎......修業当時は山頂は小松林であり、中腹から麓......した老樹につつまれていた。 『霊界物語』第一巻第一章には、この山の由緒について「... 6725
6726 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >2 高熊山修業 岩窟修業 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 96 件/ノ=96 ... 喜三郎は、人里はなれた高熊山岩窟に静座していたが、ころは旧二月、寒空......岩窟に静座していたが、ころは旧二月、寒空もとで襦袢一枚となり、しかも、飲まず食わ......とで襦袢一枚となり、しかも、飲まず食わず無言......苦行を一週間にわたってつづけた。喜三郎は......を一週間にわたってつづけた。喜三郎は、こ七日間......修業において、神人感合......境地に達し、そ......精霊は現幽神三界をめぐり、宇宙の真相を体... 6726
6727 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >2 高熊山修業 家族心配 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 45 件/ノ=45 ... 母や弟たちは、喜三郎姿がみえなくなった......で、どこかへうさばらしに遊びに行った......か、あるいは亀岡あたりへ散在に行った......だろうぐらいに思って、はじめは気にもとめ......なかった。しかし二日たっても帰って来ないで、牧場......経営にも困り、近所......株内(同族内部)......大騒ぎとなった。そこで、手わけして各方面... 6727
6728 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >3 幽斎研究と稲荷講社 3 幽斎研究と稲荷講社 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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6729 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >3 幽斎研究と稲荷講社 喜楽天狗 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 90 件/ノ=90 ... 高熊山から帰った喜三郎は、これまで牧畜業をやめて、幽斎......修業と布教に専念することにきめた。以前か......ることにきめた。以前から、さまざまな宗教教会に行ったり、産土神社にこもったりして......行ったり、産土神社にこもったりして、信仰問題は強く喜三郎......心をとらえてはいたが、こ......高熊山で......神秘的な体験を機会に、救世......使命を自覚するようになり、こののち、喜三... 6729
6730 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >3 幽斎研究と稲荷講社 布教活動と警察干渉 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 72 件/ノ=72 ... 喜三郎目的は、精神上......病者を救済することにあって、ただ......病人相手ではなかった。喜三郎は多数......信者を集めて一つ......団体を組織し、会場を設けて立教......主旨を発表することを目標に、会員......結集に力をそそいだ。ある日、斎藤が「幽斎......いだ。ある日、斎藤が「幽斎ばかり研究するもよいが、惟神の大道をひろめるには演説を... 6730
6731 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >3 幽斎研究と稲荷講社 幽斎修業 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 29 件/ノ=29 ...て、産土神社に参詣して祈願をこめ、高熊山洞穴でしばらく感合法......練習をし、園部......天満宮で神霊感合......状態にはいった。さらに丹後......元伊勢に行こうとしたが、観音峠より引きか......こうとしたが、観音峠より引きかえし、園部親しい菓子商内藤半吾をたずねて五日間滞在......修研究したうえで、穴太に帰ってきた。今回出修で、はじめて帰神術......大略を体得したので、さらに幽斎の修業をす... 6731
6732 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >3 幽斎研究と稲荷講社 稲荷講社と本田親徳 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 156 件/ノ=156 ...三一)年四月初旬、喜三郎は御嶽教太元教会中教正松山昇......あっせんで、御嶽教......教師になる目的で家をでようとした。そ......とき、静岡県安倍郡不二見村下清水、月見里......清水、月見里神社に附属する稲荷講社総本部役員三矢喜右衛門がたずねてきた。三矢は、......稲荷講社に加入するようにとすすめた。三矢話は不得要領であったが、規約......主旨には賛成できる......で、一応、総本部に総理長沢雄楯を訪問しよ... 6732
6733 大本七十年史 上巻 第1編 >第4章 >3 幽斎研究と稲荷講社 鎮魂帰神 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 34 件/ノ=34 ... 大本鎮魂帰神は、聖師によって体系化された神人......帰神は、聖師によって体系化された神人感合法である。『本教創世記』によって、そ......概要を本章......おわりに......べておこう。大本では、感合法には無形と有......合法には無形と有形とあって、それぞれ正邪区別があり、神感・自感・多感法と分かれて......としている。巫女(いちこ・くちよせ)など感法は下級に属するも......で、邪神界との感合が多いとみている。大本... 6733
6734 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >1 喜三郎参綾 1 喜三郎参綾 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 0 件/ノ=0   6734
6735 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >1 喜三郎参綾 初参綾へ 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 100 件/ノ=100 ...九八(明治三一)年五月、喜三郎は、第二回駿河行きをおえて丹波に帰ってきた。すでに......河行きをおえて丹波に帰ってきた。すでにそ頃には、園部と亀岡に、霊学を修業するため......頃には、園部と亀岡に、霊学を修業するため支所が設けられていた......で、それら......支所を中心に信者をあつめていった。だが、......を中心に信者をあつめていった。だが、周囲人たち......反対はかえって強まり、そ......うえに、稲荷講社へ行く手引きをした三矢は... 6735
6736 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >1 喜三郎参綾 開祖と対面 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 104 件/ノ=104 ... 一〇月八日(旧八月二三日)、綾部裏町(現在......若松町)で、喜三郎は、はじめて大本開祖と......、喜三郎は、はじめて大本開祖とあった。そ日......喜三郎......姿は、陣羽織をきて、口にはおはぐろをぬり......はコウモリ傘とバスケットをもつという、念いったいでたちであった。当時......様子について、開祖......「経歴の神諭」(明治35・旧8・9)には... 6736
6737 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >1 喜三郎参綾 霊学指導 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 107 件/ノ=107 ...は、とうぶん園部に落ちつくことにし、黒田西田卯之助......座敷を借り、霊学会......名で舩井・北桑田にかけて布教活動を開始し......教活動を開始した。まず最初に、園部上本町奥村徳次郎が熱心な信者となった。また、菓......信者となった。また、菓子屋をしていた友人内藤半吾が、だんだんと霊学に興味をもちは......をもちはじめ熱心に通ってきた。 北桑田郡方では、小林貞蔵......憑霊を退散させたり、井戸掘......人足が埋まっているのを助けたりした。また... 6737
6738 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >1 喜三郎参綾 開祖使者 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 152 件/ノ=152 ... そころ綾部では、開祖と、足立ら金光教側と......対立がますます強まってきた。当時は、開祖......開祖にひきつけられてきた信者たちも、日頃信仰生活......うえでは、足立ら......説く金光教......教義をきき、金光教......神も拝んでいた。足立らは開祖......筆先を完全に無視していたから、実説的には... 6738
6739 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 金明会発足 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 44 件/ノ=44 ... 上田喜三郎大本入りにたいしては、金光教......足立はもとより、開祖側......役員......なかにも反対者はあったが、こ......たび......ことは、開祖......神が命じたところでもあり、それに四方平蔵......神が命じたところでもあり、それに四方平蔵、上田の偉大さについての説得もあって、し... 6739
6740 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 十曜神紋 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 37 件/ノ=37 ...一八九九(明治三二)年七月五日には、本町中村竹蔵......家を借りて、そこを金明会......広前とし、裏町......土蔵......二階から移転した。同月一〇日(旧六月三日......がってくると、これまで用いられていた九曜紋に指定したはず......神紋が、十曜......紋になっていた。役員は当惑したが、これに... 6740
6741 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 金明霊学会 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 156 件/ノ=156 ... 本町広前に移転してから、開祖......筆先に、上田にかんするも......がつぎつぎとあらわれた。上田殿にたいもう......さすぞよ。小さいことを申してをりては、こたいもうがある......に物ごとがおそくなるから、こ......ことは、みな神が一つであるから、稲荷でも......(明治32・7・23) ここに稲荷とあるは稲荷講社......ことである。こうして、上田がこれまでおこ... 6741
6742 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 祭典と行事 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 80 件/ノ=80 ... 金明霊学会祭典にかんする資料はきわめて少ない......で、詳細なことは不明であるが、一九〇〇(......とは不明であるが、一九〇〇(明治三三)年頃から祭典もだいぶん整備されたも......となり、引きつづいて、毎月陰暦......三・一五・二三......日は月次祭がおこなわれていた。そして毎年......こなわれていた。そして毎年、節分と春・秋三回に大祭が執行された。そ......祭式・祝詞などには神道の形式が用いられた... 6742
6743 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >3 上谷修業 3 上谷修業 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 0 件/ノ=0   6743
6744 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >3 上谷修業 神々登場 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 122 件/ノ=122 ... 上田会長は、中村家......広間時代、あるいは、修業場を東四辻に移し......も、幽斎修業をつづけていた。これは、開祖承認をえたところでもあり、役員......希望によるも......でもあった。中村......家では、参拝者......目......前で、修業者が発動して広前をさわがす場合... 6744
6745 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >3 上谷修業 霊憑り発動 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 28 件/ノ=28 ... 上田会長留守中に、上谷......修業場は、霊憑り......発動で、修業者二〇余人......うち大部分が妖魅に憑かれて大騒ぎとなった......に憑かれて大騒ぎとなった。なかでも、福島霊憑りははげしかった。「丑......年に生まれた寅之助で、丑寅......金神だ」と叫んで、裸になり、開祖......筆先の言葉をまねて、のべつまくなしにどな... 6745
6746 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >3 上谷修業 吉崎仙人こと 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 63 件/ノ=63 ... 上谷修業中に、吉崎仙人(別名・九十九仙人)......霊が、一七才......四方春三にかかって筆をとらせた。「今日ま......方春三にかかって筆をとらせた。「今日まで世界はわれわれ邪神......自由自在に跳梁する世界であったが、いよい......いよいよ天運循環して、われわれ大自在天派世界はすんでしまった。これからは綾部......大本へ世を渡して、神界......一切の権利を艮の金神に返さなくてはならぬ... 6746
6747 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみ結婚 4 上田喜三郎と出口すみ結婚 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 0 件/ノ=0   6747
6748 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみ結婚 神定結婚 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 97 件/ノ=97 ...継ぎは、すみであることが示されると、すみ婿......座をねらうも......があいついで出てきた。四方春三・中村ら......野心もそれで、かれらは、共同......敵として、上谷......修業以来、上田会長......排斥に力を集中した。しかし、上田会長は、......うまでもなく、筆先による神示によって、そ女婿に選ばれて、結婚することになった。お... 6748
6749 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみ結婚 日清戦争社会 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 55 件/ノ=55 ...(明治二七)年にはじまった日清戦争は、そ翌年、いちおう日本......勝利に終わり、日本は台湾・澎湖諸島......植民地を領有し、あわせて三億五千万円......償金を獲得した。こ......戦争によって、日本は欧米列強諸国......仲間入りをし、大陸進出......足場をかためるとともに、償金......大部分を軍備と軍需工業の発展にあてた。ま... 6749
6750 大本七十年史 上巻 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみ結婚 「われよし」へ警鐘 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 111 件/ノ=111 ... こような社会......動きについて、筆先には「日本......国もとは神......分け身魂をこ......ように曇らして、内地雑居などを致して此結......外国人に自由にさして神はくやしきぞ。天地御神様は大変な御気障りざぞよ」(明治33......気障りざぞよ」(明治33・旧2・20)とべられており、「外国人に自由にしられた......は、日本の大将に位がなくなりたんざぞ」(... 6750
6751 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き 冠島と沓島 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 49 件/ノ=49 ...明治三三)年旧六月、とつぜん「こんど二ど世......立替えについて、冠島に参りてくだされよ」......替えについて、冠島に参りてくだされよ」と神示が開祖にあった。開祖は、冠島という島......島については、ほとんどなにも知らなかったで、みんなに調べさせた。すると、綾部......人で建部という者が、そ......島に行ったことがあるということであった。......ことがあるということであった。建部は、こ島......鳥糞を売って一儲けしようと計画して、かつ... 6751
6752 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き 冠島開き・沓島開き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 88 件/ノ=88 ... 冠島様子が建部など......話でほぼわかった......で、七月四日(旧六月八日)、開祖は上田会......田会長・すみ・四方平蔵・木下慶太郎(開祖四女りょう......女婿)とともに、ござ・笠・木綿......着物に紙まき草履で舞鶴をさして出発した。......舞鶴をさして出発した。 途中東八田村大石木下慶太郎方へ立ち寄り、午後五時ごろ舞鶴......木下慶太郎方へ立ち寄り、午後五時ごろ舞鶴船宿大丹生屋へ到着し、冠島へ行ってもらい... 6752
6753 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き 会長排斥と内部対立 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 140 件/ノ=140 ... 上田会長をともなって開祖......冠島・沓島開きは、会長排斥をつづけていた......会長排斥をつづけていた役員たちに、かなり衝撃をあたえた。かれらは、冠島まいりはで......してくるに相違ないと、たかをくくっていたである。そこで、老人や若い娘......行けるところへ自分らが行けぬはずはないと......ないと力みだし、むりやりに会長に案内をたんだ。会長はじぶんを攻撃するたくらみ......あることを察してはいたが、ことわる......は卑怯だとおもい、神の加護を祈って、八月... 6753
6754 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き 鞍馬山まいり 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 182 件/ノ=182 ... 沓島開きにつづく次出修は、はじめから、行先が示されていなか......じめから、行先が示されていなかった。出発前に出た筆先には「こんど......実地......神......仕組みておる所は、変性男子(開祖)と女子......んぞよ。すみ子と春一(春三)と二人は修行ためじゃ」(明治33・閏8・5)とあって......て、一行は四人と定まり、同じ筆先に「皆々ために神が連れまいる......じゃ。それを見て改心なされよ。世界のかが... 6754
6755 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >2 水と火ご用 2 水と火ご用 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 0 件/ノ=0   6755
6756 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >2 水と火ご用 元伊勢お水ご用 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 111 件/ノ=111 ... 「今年は絶命世......立替えになりたから、丹後......元伊勢に参拝を致してくれぬばならんぞよ」......って、天照皇大神を祭る社である。崇神天皇ころ、大和国笠縫から遷幸した吉佐......宮......旧跡であるといわれているが、つまびらかで......『霊界物語』(第一六巻)によれば、剣先山ふもとを流れる宮川(五十鈴川)......上流に英子姫(素盞嗚尊の娘)が神殿を造営... 6756
6757 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >2 水と火ご用 出雲ご用 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 163 件/ノ=163 ... 「もう一ど出雲へ行て下されたら、出雲ご用を出来さして、天も地も世界を平均すぞ......出来さして、天も地も世界を平均すぞよ。こご用をすまして下さらんと、こんど......大もうなご用はわかりかけがいたさんぞよ。......けたら速いぞよ」(明治34・旧3・7)と神示によって、一九〇一(明治三四)年七月......万吉・内藤半吾・村上房之助・四方甚之丞ら一行一五人で、出雲大社へ参拝することとな......拝することとなった。筆先に「三十四年に世立替えをいたして、世界には火と水とで不思......と水とで不思議があるぞよ」とあって、前年末以来、立替え立直し......切迫を信じこんでいた多くの役員たちは、こ... 6757
6758 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >2 水と火ご用 立替え立直し切迫 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 104 件/ノ=104 ... 一九〇〇(明治三三)年を世切り替え......時期とする筆先がでた......につづいて、翌一九〇一(明治三四)年......末には「明治三十四年でさっぱり世......立替えになるぞよ」(明治33・旧9・24......ざ」(同・旧10・19-新12・10)と筆先があった、こ......年を立替え立直し......年とされていた。すなわち、切迫感はいっそ... 6758
6759 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり 岩戸がくれ 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 41 件/ノ=41 ... 一九〇一(明治三四)年ころは、祭壇が元大島......二階にあった。警察からは毎日......ようにやってきて、宗教として府......認可を正式に受けなければ布教は許さないと......教は許さないという。大本では「明治二二年憲法発布により、信教......自由が許されているから、そんなはずはない......どうしても承知しない。しまいには巡査を家前に張り番させるありさまで、そ......ため信者のなかにはそれをいやがって参拝に... 6759
6760 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり 弥仙山 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 129 件/ノ=129 ...)年までは女人禁制であって、地元二又部落婦人は現在でも登山しない。山頂......金峰神社は木花咲耶姫命をまつり、中腹......於成神社には彦火々出見命、山麓......三十八社には水分......神がまつってあり、近村......者はこれら......神々を子授け......神として崇敬している。奈良時代には、役の... 6760
6761 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり 大本神諭展開 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 85 件/ノ=85 ...大本では一八九二(明治二五)年旧正月元旦開教......ときから、艮......金神......もとに八百万神がつどい、救世......神業が神定としてひらかれていた......であるが、一九〇〇(明治三三)年にはじま......九〇〇(明治三三)年にはじまる出修は、そ後......大本が独自の教義と活動を展開してゆく過程... 6761
6762 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり 開祖と会長と対立 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 161 件/ノ=161 ... すでにべたように、出修......はじまり......ころには、開祖は、会長を排斥しようとする......、開祖は、会長を排斥しようとする信者たち間にあって会長を擁護してきたが、出雲参拝......先を出し、会長もこれに対立して争った。こ対立......直接......原因は、公認教問題で、会長が開祖......反対をおしきって稲荷講社の傘下にはいろう... 6762
6763 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり 岩戸開き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 175 件/ノ=175 ...月七日(旧一月二八日)、上田会長とすみと間に長女が生まれた。そ......人こそが現三代教主である。ときに会長は三......である。ときに会長は三〇才、すみは一八才若さであった。 そ......前年七月に出雲大社まいりがおこなわれたが......七月に出雲大社まいりがおこなわれたが、そ途中因幡......加露......宿で、天候......回復をまって逗留しているとき、会長は霊夢... 6763
6764 大本七十年史 上巻 第1編 >第6章 >4 沓島ごもり 4 沓島ごもり 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 171 件/ノ=171 ...、開祖は沓島ごもりをおこなった。日露戦争最中......こ......行は、とどめ......行、すなわち開祖にとって......最後......出修であった。 こ......出修......目的については、筆先に「こんど変性男子が... 6764
6765 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 第七章 発展へ胎動 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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6766 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >1 会長教説 1 会長教説 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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6767 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >1 会長教説 著作と布教 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 240 件/ノ=240 ... 上田会長ご用については、筆先に「上田は是から筆先......事が判らんぞよ。上田には霊学が授けてあるざぞよ。筆先と霊学とで世界......事を説いて聞かせば、皆改心がちっと出来る......」(明治35・旧8・13)とあって、筆先精神を霊学からといて教義をひろめる役とさ......ていた。しかし、筆先ではまた小松林(会長守護神)にたいする警告がしきりにでる......で、役員たちは、会長が漢字まじり......教義を書いている......をみては、外国のやりかたであるとして、会... 6767
6768 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >1 会長教説 救い教義 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 136 件/ノ=136 ... 明治三〇年代における会長教説は、前記......各著作によって、ほぼそ......内容をうかがうことができる。会長......役割とそ......真意を理解できなかった役員ら......圧迫によって、内外......活動を大きく制約されながらも、そ......なかで心血をそそいで書きつづられた会長の... 6768
6769 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >1 会長教説 世批判 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 131 件/ノ=131 ... つぎに、会長現実社会にたいする態度はどうであったか。......実社会にたいする態度はどうであったか。そことをみておこう。『本教創世記』に......べている社会観......片鱗は、筆先に示されたも......と、解釈......しかたによっては矛盾するごとくうけとられ......たによっては矛盾するごとくうけとられるもがあった。そこにも、役員らと争いがおこっ......会長は『本教創世記』において、「今や世界文明は日に月に進歩する一方にある。所謂物... 6769
6770 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >1 会長教説 日本主義 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 85 件/ノ=85 ... 「物質文明」と、利己心世界である現実......社会にたいする会長......批判が、神教すなわち「天地......道」=惟神......大道をよりどころにしていたことはいうまで......とっても、会長にとっても、いわれるところ惟神......道は、国家主義的な神道とはまったく内容を......主義的な神道とはまったく内容を異にするもであった。 『道の栞』には「日本は日本魂... 6770
6771 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >1 会長教説 戦争観 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 75 件/ノ=75 ...ながら、会長は、戦争を積極的に肯定したもではなかった。むしろ戦争そ......も......は悪としており、戦争がおこる......は人間が欲心をもっているからであり、また......た軍備があるために他国をうばおうとする欲心がおこる......であると力説した。「世界中、兵あるが為め......界中、兵あるが為めに、欲も起り戦ひもあるである。世界......戦ひは運不運を嫌い給ふ天帝の大御心に叶は... 6771
6772 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >2 会長研鑽と綾部苦況 2 会長研鑽と綾部苦況 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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6773 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >2 会長研鑽と綾部苦況 皇典講究分所入学 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 91 件/ノ=91 ... これまで上田会長は、行政干渉にたいして、信仰......自由を楯に活動をつづけてきたが、公認をえ......。そこで会長は、なんとかして公認教として法人組織をつくり、官憲......圧迫を......がれて、自由に布教活動ができるようにした......きるようにしたいと日夜苦慮を重ねた。 そころ、開祖や役員たちと対立しながら、忍苦......ころ、開祖や役員たちと対立しながら、忍苦生活をつづけていた会長は、とうとう一九〇......治三八)年三月二八日、綾部をとびだし桧山坂東宅・園部の浅井宅・南陽寺・木崎・亀岡... 6773
6774 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >2 会長研鑽と綾部苦況 御嶽教に勤務 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 42 件/ノ=42 ... 会長は建勲神社を去ってほどなく、そ年......一二月一八日、伏見稲荷山......御嶽教西部教庁......主事となった。会長......治病活動と説教......評判はいつともなく御嶽教......知るところとなって、御嶽教......方から会長を招き入れたのである。会長とし... 6774
6775 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >2 会長研鑽と綾部苦況 金明霊学会苦況 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 90 件/ノ=90 ... 日露戦争前後にあたる数年間は、せっかくできた教会......あたる数年間は、せっかくできた教会も警察圧迫を受け、布教活動は困難におちいり、世......なかった。 開祖は筆先を書きつづけているで、三銭......墨と六銭......筆......用意、さらに一貫目(三・七五キログラム)......、さらに一貫目(三・七五キログラム)二円紙もすぐに使いはたすため、そ......費用がたいへんであった。一九〇六(明治三... 6775
6776 大本七十年史 上巻 第1編 >第7章 >2 会長研鑽と綾部苦況 祭事継承 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 65 件/ノ=65 ... 『道大本』には、祭事について顕斎と幽斎......ことが大別されており、「顕斎は天つ神国つ......にして、宮殿あり、祝詞あり、幣帛ありて神広慈大徳を報謝し、且つ敬虔......意を表する道なり」、「幽斎は真神をい......る道にして、宮社もなく、祭文もなく、幣帛......文もなく、幣帛もなし、唯願望する所を吾人霊を以て祈祷し奉る......法式なり」と記述されているが、こうした財......式なり」と記述されているが、こうした財政窮乏にもかかわらず、祭事は継続されていた... 6776
6777 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 第一章 全国宣教はじまり 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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6778 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 創立状況 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 122 件/ノ=122 ...あらたな段階を迎えた。すなわち、これまで金明霊学会を、大日本修斎会に改めた再編成......改めた再編成がそれである。王仁三郎は、そ年......一月......末ごろより、すでに帰郷......決意をしていたと伝えられるが、それ以来着......られるが、それ以来着々と、金明霊学会改組ため......準備も進められていた。そ......ことは、その年一月二五日の御嶽教大本庁か... 6778
6779 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 王仁三郎帰綾 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 146 件/ノ=146 ... 大日本修斎会本格的活動......開始にともなって、王仁三郎......役割はますます重要となってきた。とくに、......渡され、会活動にとって、王仁三郎は不可欠存在となった。王仁三郎......帰綾......必要性は、日時......経過とともに切迫してきた。当時、開祖は、......もに切迫してきた。当時、開祖は、大本が他教団の下部教会となることについては、当局... 6779
6780 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 「直霊軍」創刊 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 203 件/ノ=203 ...二)年をむかえると、綾部に帰った王仁三郎直接指導によって、大本......動きはとみに活発となってきた。二月二五日......)。それまでにも機関誌はあったが、それらほとんどは、まだ雑誌として......体裁をとと......えてはいなかった。それにくらべて「直霊軍......。それにくらべて「直霊軍」ば、B5版八頁小さなも......ではあったが、当時としてはかなり充実した......した機関誌であった。発行所は綾錦社で、そ印刷は福知山下柳の小宮活版所でなされてい... 6780
6781 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 造営と宣教 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 254 件/ノ=254 ...治四一)年六月一日(旧五月二日)に、「元活神が沓島へ落ちておりたなれど、何か......時節が参りてきたから、明治四十一年......節分......夜に弥仙山まであがりておるから、お仮屋で......仙山まであがりておるから、お仮屋では何か便利がわるいから、雑......お宮でよいから、早くしてもらいたい」と......筆先がでた......で、京都の梅田常次郎※より金五〇〇円の献... 6781
6782 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 明治晩期 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 164 件/ノ=164 ...日、王仁三郎は、竹原房太郎をつれて島根県出雲大社教を訪問した。警察......圧迫が引きつづきはげしい......で、大本......祖霊社を、合法的に大社教霊社......分社にしようとする手続き......ためであった。 大社教から、祖霊分社......許可書がきた......は同月二六日で、表向きには大社教本宮教会... 6782
6783 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >2 大正初期 2 大正初期 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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6784 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >2 大正初期 大本教教規と信条 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 160 件/ノ=160 ... 大正期に入ると、大本では、開祖世......立替え立直しについて......はげしい筆先が相ついで公にされてくる。そ......はげしい筆先が相ついで公にされてくる。そなかに「こ......先きは神がかりはもういらんから、鎮魂もい......ういらんから、鎮魂もいらんぞよ。管長が坤金神で、手を合わしてた......みたら、何事もかなえてやるぞよ。坤......金神は奥であるから、世界中の人民はみな子... 6784
6785 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >2 大正初期 「敷島新報」と直霊軍部隊 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 201 件/ノ=201 ...三日には日本はドイツ国と国交断絶し、宣戦詔書がだされて、こ......大戦に参加することになった。大本院では、......ことになった。大本院では、戦勝と世界平和到来を朝夕祈願するように、祈願詞を一定し......、各分所・支部などにこれを指示した。 こようななかで、八月一五日には、「敷島新報......創刊された。「敷島新報」は、はじめB4版月刊であったが、......ちこれをB5版で月二回とし、さらに旬刊と......は、さきに廃刊された「直霊軍」にかわるもである。開祖......筆先には、すでに一九〇〇(明治三三)年こ... 6785
6786 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >3 皇道大本 改称理由 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 48 件/ノ=48 ... 直霊軍軍規が公表されて、いよいよ本格的宣教体制......公表されて、いよいよ本格的宣教体制をととえた大本は、翌一九一六(大正五)年になる......年になると、皇道大本と改称した。綾部在住大本役員・信者は、当時出口家関係......一一人をはじめとして総計八九人に......ぼっていたが、これら......人々は大本所有......家屋一三ヵ所に分宿し、食事は三食とも大本......家屋一三ヵ所に分宿し、食事は三食とも大本食堂に集まって食事をすることになった。い... 6786
6787 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >3 皇道大本 浅野入信 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 68 件/ノ=68 ...さき、大本に入信した飯森正芳らは、横須賀浅野......宅を訪れて、大本へ......入信をすすめていたが、一九一六(大正五)......正五)年四月四日には、浅野和三郎・多慶子夫妻が、横須賀からはじめて綾部へやってき......三(明治六)年茨城県に生まれ、一高-東大コースから海軍機関学校......教官となっていた人である。英文学を専攻し......いた人である。英文学を専攻し、在職一七年あいだに同僚といっしょに「英和辞典」......編纂に着手し、英文学方面でも名をなしてい... 6787
6788 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >3 皇道大本 神島開き 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 196 件/ノ=196 ... 一九一六(大正五)年ある春......夜......こと、王仁三郎......霊眼に、坤......方面......沖あい......海......なかに、ほうらくを伏せたような一つ島がみ... 6788
6789 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >4 「神霊界」発刊 4 「神霊界」発刊 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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6790 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >4 「神霊界」発刊 創刊辞と檄 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 109 件/ノ=109 ...一九一七(大正六)年一月、「敷島新報・こみち」は改題されて、「神霊界」が発刊され......て、「神霊界」が発刊された。「敷島新報」号数をうけついでいる......で、「神霊界」......一月号は第四三号となっている。B5版......大きさで三〇頁から四〇頁......内容をなし、はじめは月刊であったが、翌一......八年から旬刊として、六〇頁~八〇頁くらいも......となった。 「神霊界」を発刊して全国的宣... 6790
6791 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >4 「神霊界」発刊 神諭発表 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 133 件/ノ=133 ... 開祖平がなばかり......筆先を、王仁三郎が漢字をあててそ......真意をわかりやすく発表したも......を、大本では「大本神論」とよんでいる。王......)年ころから「神論」を用意していたが、そ発表はひかえていた。これまでも、筆先......言葉を抜萃して、「直霊軍」誌および「こ......みち」誌にわずかに掲載したことはあるが、......二〇(大正九)年九月号まで、毎号全ページ五分の一から三分の一におよぶ分量で発表さ... 6791
6792 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >4 「神霊界」発刊 海軍関係・知識層等参綾 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 94 件/ノ=94 ... 第一次世界大戦によって、世界および日本情勢がおおきく変動してきているとき、立替......おきく変動してきているとき、立替え立直し「神諭」を発表したことと、あわせて鎮魂帰......を発表したことと、あわせて鎮魂帰神や浅野言説などは、危機意識をもった知識層に波紋......波紋をなげかけていった。まず海軍関係から入信者が前述......ように表面化してきたが、さらにひろく知識......一九一七(大正六)年一月一五日、金竜池畔社務所は竣工したが、未完工ながら神武館で......がら神武館では開場式を挙行し、剣道・弓術型をおこない、二月四日には武術大会を開催......こない、二月四日には武術大会を開催し、そあと王仁三郎と浅野が大本講演をした。参集... 6792
6793 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >5 大正維新主張 5 大正維新主張 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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6794 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >5 大正維新主張 皇道論 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 154 件/ノ=154 ... 「神諭」発表とともに、社会......注目をあつめたも......に、王仁三郎......「大正維新」......主張がある。王仁三郎は年来研究していた皇......た。 大正期において「皇道」を主唱したもはきわめてまれで、世間に公刊された皇道論......間に公刊された皇道論はあまりなかった。そために、とかく皇道と神道とは同一視されや......三郎は、「世俗往々にして我が大日本修斎会宣伝する皇道を目して、現代の所謂十三派の... 6794
6795 大本七十年史 上巻 第2編 >第1章 >5 大正維新主張 大正維新論 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 143 件/ノ=143 ... それなら、ミロク神世を成就する皇道......実行方策は、いかなるも......であったか。そ......一つは国教......樹立であり、他......一つは金銀為本経済......撤廃であり、さらにもう一つは世界......大家族制の実施であって、これが大正維新・... 6795
6796 大本七十年史 上巻 第2編 >第2章 第二章 開祖昇天と道統 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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6797 大本七十年史 上巻 第2編 >第2章 >1 昇天 昇天前後 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 151 件/ノ=151 ... 王仁三郎によって、教理現代化と組織......整備をみた大本は、いよいよ全国的宣教へ......りだした。一九一七(大正六)年......一二月二一日に創刊された旬刊紙「綾部新聞......日に創刊された旬刊紙「綾部新聞」は、全国市町村役場や、大・中・小学校ならびに実業......役場や、大・中・小学校ならびに実業家など各方面に毎号贈呈をつづけ、月刊誌「神霊界......、月刊誌「神霊界」も一九一八(大正七)年三月から月二回発行とあらためられた。こう......められた。こうした機関誌・新聞による宣教活発化にともなって、その年の春ころから、... 6797
6798 大本七十年史 上巻 第2編 >第2章 >1 昇天 葬儀 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 56 件/ノ=56 ... 昇天後あわただしいさなか、深夜......一二時、金竜殿で厳粛な昇天奉告祭が執行さ......天奉告祭が執行された。翌七日には、産土神熊野新宮社へ昇天奏上......使いがだされた。葬儀については牧寛仁が葬......祭長に任じられ、墓地(奥都城)は天王平一瀬と決記した。八日深更に舟入式があり、九......と決記した。八日深更に舟入式があり、九日午後二時から金竜殿へ遷柩し、「神政開祖(......政開祖(惟神真道弥広)大出口国直霊主命」諡名がおくられた。 舟入式調度品として、......・太刀・曲玉・唐櫃・針鋏類・紙・墨・筆そ他の手回り品が納められ、衣装は、うちかけ... 6798
6799 大本七十年史 上巻 第2編 >第2章 >2 開祖人柄 2 開祖人柄 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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全 178 件/ノ=178 ... 一八九二(明治二五)年に、国祖国常立命神霊が開祖に帰神されてから、一九一八(大......祖に帰神されてから、一九一八(大正七)年昇天にいたるまで、開祖はひたすら二七年......間筆先を手記し、世界......大難を小離に、小難を無難にと、一身をささ......に、小難を無難にと、一身をささげて、世界平安と人類......幸福を朝に夕に祈りつづけてきた。それはけ......なかった。あらゆる苦難にうちかち、水晶魂清らかな輝きをもって発揮し、神......ご用のきびしさを役員・信者に一貫して示し... 6799
6800 大本七十年史 上巻 第2編 >第2章 >3 道統継承 3 道統継承 大本七十年史編纂会・編集 1964刊 DB
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