番号 | 文献名1 | 文献名2 | 文献名3 | 著者 | 発表年 | 詳細 | 本文内のヒット件数 | プレビュー(最大 8 件まで表示) | 番号 |
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6701 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第2章 >4 広前の成立 | 外国行き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 28 件/ノ=28 | ...日)には、「から(唐)へ行ってくれい」との神示があった。唐(中国)がどんなに遠いか......がどんなに遠いか開祖にはわからない。「ほのぼ......のと出て行けば心さびしく思うなよ。力になる......なる人、用意がしてあるぞよ」と筆先が出たので、出て行けば、だれか外国へつれて行って......へつれて行ってくれるだろうと思い、わずかの路銀を用意して、ただ一人綾部を出発した。......だ一人綾部を出発した。八木に着くと、戸倉の吉五郎......の妻ときから、天竺(インド)まででもおとも......ら、天竺(インド)まででもおともしたいとの申し出があったので、ときの来るのを待つう... | 6701 |
6702 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第2章 >4 広前の成立 | 広前のはじまり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 50 件/ノ=50 | ... 日清戦争の予言が実現したときから、「不思議な婆さん......ら、精神病でひきこもっていた西村文右衛門の平癒祈願をた......のまれた。開祖は神に祈り、右手を病人......の腹に、左手を背中におき、そ......のあと身体をさすり「鬼門......の金神を唱えて一心にた......のみなさい」とおしえた。それから一〇日ほど......神さまにお礼参りをさしてもらいたい」とたのんだが、開祖は「家なしでまだおまつりして... | 6702 |
6703 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第2章 >4 広前の成立 | 広前の移転 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 119 件/ノ=119 | ...・金とお供物が多くなり、経済的には世話人の負担は軽くなった。まもなく大島......の裏座敷では狭くなり、一八九五(明治二八)......一月一八日(旧一二月二三日)に四方源之助の養蚕室八畳二間を借りて広前を移した。そ......の年......の春をむかえたある朝、開祖は参拝にきた平蔵......は読めないところもあったが、しだいに開祖の言葉と照合して読めるようになった。これが......と照合して読めるようになった。これが筆先の読みはじめである。 こ......の当時の入信者に竹原房太郎があった。竹原は... | 6703 |
6704 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 | 第三章 聖師のおいたち | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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6705 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >1 幼少のころ | 1 幼少のころ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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6706 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >1 幼少のころ | 出生 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 93 件/ノ=93 | ... 西は半国、東は愛宕、北帝釈の、山......の屏風を引きまわし、中......の穴太で牛を飼う。これは......のちに、出口聖師が、故郷を回想してうたった......に、出口聖師が、故郷を回想してうたった歌の一節である。山陰道......の入口に所在する亀岡盆地......の中心地亀岡町、そこから西方約四キロに、も......心地亀岡町、そこから西方約四キロに、もとの穴太村(現在、亀岡市曽我部町穴太)があっ... | 6706 |
6707 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >1 幼少のころ | 幼年期 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 78 件/ノ=78 | ... はじめての男児......の誕生であっただけに、そ......の誕生後六ヶ月目、祖父吉松は、喜三郎......の両親を枕辺によんで、遺言し、一八七一(明......四)年一二月二七日、五八歳で帰幽した。その遺言は「こ......の上田家は、古来七代目ごとに偉人があらわれ......古来七代目ごとに偉人があらわれている。あの有名な画家......の円山応挙は、本名を上田主水といって五代前... | 6707 |
6708 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >2 小学校の生活 | 2 小学校の生活 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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6709 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >2 小学校の生活 | 偕行小学校 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 77 件/ノ=77 | ... 一八八〇(明治一三)年の春、喜三郎はようやく健康になり、偕行小学......等第八級(最下級)に入学した。校長は亀山の旧藩士出口直道であった。当時......の小学校は、整った設備もなく、穴太寺......の念仏堂などを改造して、四間......の教室をつくり、大きな木製......のついたてで仕切った教室に、各学年......の生徒を収容していた。校長と、やはり亀山旧......と、やはり亀山旧藩士で吉田有年という先生の二人が、こちらの教室で読本の一節をおしえ... | 6709 |
6710 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >2 小学校の生活 | 代用教員 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 28 件/ノ=28 | ...当時としても珍しい例であった。普通小学校の教員養成......のためには、すでに師範学校が設けられていて......は、すでに師範学校が設けられていて、教員の資格については、小学校教員は年齢二〇才以......格については、小学校教員は年齢二〇才以上の師範学校又は中学校卒業......の者、中学校教員は二五才以上......の大学卒業者をもってあてることが規定されて......。喜三郎はもちろん正式な教員ではなかったのだが、たとい助教員としてでも、わずか一二......が、たとい助教員としてでも、わずか一二才の若さで一年余り教鞭をとったことは、その才... | 6710 |
6711 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >2 小学校の生活 | 神道への関心 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 27 件/ノ=27 | ... 喜三郎は、小学校の代用教員を一年あまり勤めたが、僧侶出身......の山本という教員と、神道......のことについて衝突した......のが原因となって辞職した。穴太は仏教......のさかんな所だけあって、神道に心をよせてい......、周囲からせめたてられていたようである。のちに、聖師は『本教創世記』(明治37・1......1・11自筆本)で「余が一三才(数え年)の春......のことであったが、妙霊教会の布教師岸本とい... | 6711 |
6712 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >3 最初の反抗 | 3 最初の反抗 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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6713 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >3 最初の反抗 | 久兵衛池事件 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 115 件/ノ=115 | ... 僧侶あがりの同僚と激論して、とうとう月給二円......の教職を棒にふった喜三郎は、一八八五(明治......喜三郎は、一八八五(明治一八)年、一四才の秋から、隣り......の家......の斎藤源治という豪農......の家に奉公をした。当時......の地価割・戸数割村費負担額についてみると、......戸数割村費負担額についてみると、上田吉松の家の負担額七銭四厘(半年分)であったのに... | 6713 |
6714 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >3 最初の反抗 | 亀山城のあと | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 74 件/ノ=74 | ... 上田家の生活は、そ......の......のちも少しも豊かにならず、小作田......の一部も人手にわたり、そ......の日......の米にも困るような、どん底......の生活がつづいた。喜三郎......の人間形成のあとをたどってみると、このころ... | 6714 |
6715 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 | 新事業の失敗 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 66 件/ノ=66 | ... 喜三郎の青年期は、日本......の社会そ......のも......のが、資本主義......の渦......のなかで大きく揺すぶられ、底辺......の民衆たちは、いっそう......の窮迫に追いこまれつつある時代であった。 ... | 6715 |
6716 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 | 「喜楽はん」と冠句 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 38 件/ノ=38 | ...く学んだ。けれども、それはけっしてゆとりのないも......のではなかった。時には大いに村人と遊んだこ......る。青年時代は、体は比較的弱い方であったので、徴兵検査(二〇才)は身長一・六一メー......九一(明治二四)年には、偕行社という冠句のサークルをつくり、村上信太郎を社長とし、......、自分は幹事をつとめたりしていたが、冠句の会に出句して天位をもらい、三年間引つづい......句して天位をもらい、三年間引つづいて冠句の巻を四八冊とったという。こ......のころから「喜楽」という号を用いるようにな......「喜楽」という号を用いるようになり、村でのよび名にも「喜楽はん」が使われるようにな... | 6716 |
6717 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 | 牧夫の生活 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 146 件/ノ=146 | ... 一八九三(明治二六)年七月、二二才の喜三郎は父母......の許しをえて、獣医学を勉強することになり、......部町(京都府船井郡)で獣医をしている従兄の井上直吉......のもとに、書生として住みこんだ。 園部......の南陽寺わき......の牧畜場で、喜三郎はまず牛乳......の搾取から修練させられた。牧夫三人、乳牛七......させられた。牧夫三人、乳牛七、八頭ばかりの搾取場であったが、園部と周辺の村落へ毎日... | 6717 |
6718 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 | 書画と信心 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 38 件/ノ=38 | ... 喜三郎は、搾乳の仕事......のかたわら、俳句・和歌など......の文芸をはじめ、絵画・書道にも趣味をもって......、絵画・書道にも趣味をもっていたから、その研鑽にもはげんだ。絵画はおもに墨絵だった......んだ。絵画はおもに墨絵だったらしいが、その時代......の作品と思われるも......のが、いまもいくつか残っている。技法は、南......いまもいくつか残っている。技法は、南陽寺の天井絵を描いた画家春嶺について習ったとい... | 6718 |
6719 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 | ラムネとマンガン礦 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 27 件/ノ=27 | ...るよう井上にしきりにすすめられ、農商務省の第一九回獣医学試験を京都府庁で受けた。受......庁で受けた。受験生は五四人であったが、そのうち学術試験合格者は五人で、喜三郎は二番......うち学術試験合格者は五人で、喜三郎は二番の成績で合格した。ところが、蹄鉄術を習って......した。ところが、蹄鉄術を習っていなかったので、蹄鉄術......の実地試験には及第できなかった。つぎに、京......試験には及第できなかった。つぎに、京都府の巡査採用試験を受け、京都監獄署......の看守......の試験もつづけて受けた。両方とも合格通知が... | 6719 |
6720 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第3章 >4 労働と勉学 | 精乳館・上田牧牛場 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 60 件/ノ=60 | ... つぎには、喜三郎は船井郡桐の庄村垣内......の上仲儀太郎......の宅で搾乳販売業をいとなむ計画をたて、資本......搾乳販売業をいとなむ計画をたて、資本調達のため有志に説いてまわったところ、意外には......く賛同者をうることができた。しかし、父母のすすめもあり、桐......の庄......の方は、上仲にまかせることにして、一八九六......て、一八九六(明治二九)年一月一日、穴太の生家の近くに牛乳処理と牧畜をかねた精乳館... | 6720 |
6721 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 | 第四章 高熊山の修業と幽斎 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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6722 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >1 入山にいたるまで | 父の死 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 97 件/ノ=97 | ... 喜三郎は精乳館の仕事で多忙をきわめ、したがって、農事は病......多忙をきわめ、したがって、農事は病気がちの父吉松、それに母と弟がうけもっていた。と......いた。ところが、主なはたらき手であった弟の由松が突然家出をしてしまった......ので、家には、薪一束すら刈りに行くも......のもいなくなってしまった。吉松は困って「屋......いなくなってしまった。吉松は困って「屋敷の椋......の木は鬼門に当たるが、今......の世にたたりなどということもあるまいから、... | 6722 |
6723 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >1 入山にいたるまで | 入山の動機 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 70 件/ノ=70 | ... 喜三郎は父の死後、わずか......の間に前後九回も、土地......の侠客を相手に衝突をおこし、無頼漢から恨み......こし、無頼漢から恨みを買ってしまった。その九回目......の出会いは、一八九八(明治三一)年二月二八......八(明治三一)年二月二八日(旧二月八日)の夜におこった。二七才......の喜三郎は、大石某......の家で開かれた浄瑠璃の温習会に加わり、かみ... | 6723 |
6724 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >2 高熊山の修業 | 2 高熊山の修業 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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6725 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >2 高熊山の修業 | 高熊山 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 31 件/ノ=31 | ... 高熊山は亀岡市曽我部町穴太区の奥山、そ......の中......の高台である。一八九八(明治三一)年三月一......三一)年三月一日(旧二月九日)、聖師がこの山にこもり、一週間......の修業をおこなったことを記念して、大本では......業をおこなったことを記念して、大本ではその山を霊場としている。喜三郎......の修業当時は山頂は小松林であり、中腹から麓......した老樹につつまれていた。 『霊界物語』の第一巻第一章には、この山の由緒について「... | 6725 |
6726 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >2 高熊山の修業 | 岩窟の修業 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 96 件/ノ=96 | ... 喜三郎は、人里はなれた高熊山の岩窟に静座していたが、ころは旧二月、寒空......岩窟に静座していたが、ころは旧二月、寒空のもとで襦袢一枚となり、しかも、飲まず食わ......とで襦袢一枚となり、しかも、飲まず食わずの無言......の苦行を一週間にわたってつづけた。喜三郎は......を一週間にわたってつづけた。喜三郎は、この七日間......の修業において、神人感合......の境地に達し、そ......の精霊は現幽神三界をめぐり、宇宙の真相を体... | 6726 |
6727 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >2 高熊山の修業 | 家族の心配 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 45 件/ノ=45 | ... 母や弟たちは、喜三郎の姿がみえなくなった......ので、どこかへうさばらしに遊びに行った......のか、あるいは亀岡あたりへ散在に行った......のだろうぐらいに思って、はじめは気にもとめ......なかった。しかし二日たっても帰って来ないので、牧場......の経営にも困り、近所......の株内(同族内部)......の大騒ぎとなった。そこで、手わけして各方面... | 6727 |
6728 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 3 幽斎の研究と稲荷講社 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6728 | |
6729 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 喜楽天狗 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 90 件/ノ=90 | ... 高熊山から帰った喜三郎は、これまでの牧畜業をやめて、幽斎......の修業と布教に専念することにきめた。以前か......ることにきめた。以前から、さまざまな宗教の教会に行ったり、産土神社にこもったりして......行ったり、産土神社にこもったりして、信仰の問題は強く喜三郎......の心をとらえてはいたが、こ......の高熊山で......の神秘的な体験を機会に、救世......の使命を自覚するようになり、こののち、喜三... | 6729 |
6730 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 布教活動と警察の干渉 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 72 件/ノ=72 | ... 喜三郎の目的は、精神上......の病者を救済することにあって、ただ......の病人相手ではなかった。喜三郎は多数......の信者を集めて一つ......の団体を組織し、会場を設けて立教......の主旨を発表することを目標に、会員......の結集に力をそそいだ。ある日、斎藤が「幽斎......いだ。ある日、斎藤が「幽斎ばかり研究するのもよいが、惟神の大道をひろめるには演説を... | 6730 |
6731 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 幽斎の修業 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 29 件/ノ=29 | ...て、産土神社に参詣して祈願をこめ、高熊山の洞穴でしばらく感合法......の練習をし、園部......の天満宮で神霊感合......の状態にはいった。さらに丹後......の元伊勢に行こうとしたが、観音峠より引きか......こうとしたが、観音峠より引きかえし、園部の親しい菓子商内藤半吾をたずねて五日間滞在......修研究したうえで、穴太に帰ってきた。今回の出修で、はじめて帰神術......の大略を体得したので、さらに幽斎の修業をす... | 6731 |
6732 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 稲荷講社と本田親徳 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 156 件/ノ=156 | ...三一)年四月初旬、喜三郎は御嶽教太元教会の中教正松山昇......のあっせんで、御嶽教......の教師になる目的で家をでようとした。そ......のとき、静岡県安倍郡不二見村下清水、月見里......清水、月見里神社に附属する稲荷講社総本部の役員三矢喜右衛門がたずねてきた。三矢は、......稲荷講社に加入するようにとすすめた。三矢の話は不得要領であったが、規約......の主旨には賛成できる......ので、一応、総本部に総理長沢雄楯を訪問しよ... | 6732 |
6733 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第4章 >3 幽斎の研究と稲荷講社 | 鎮魂帰神 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 34 件/ノ=34 | ... 大本の鎮魂帰神は、聖師によって体系化された神人......帰神は、聖師によって体系化された神人感合の法である。『本教創世記』によって、そ......の概要を本章......のおわりに......のべておこう。大本では、感合法には無形と有......合法には無形と有形とあって、それぞれ正邪の区別があり、神感・自感・多感法と分かれて......としている。巫女(いちこ・くちよせ)などの感法は下級に属するも......ので、邪神界との感合が多いとみている。大本... | 6733 |
6734 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 | 1 喜三郎の参綾 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6734 | |
6735 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 | 初参綾への道 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 100 件/ノ=100 | ...九八(明治三一)年五月、喜三郎は、第二回の駿河行きをおえて丹波に帰ってきた。すでに......河行きをおえて丹波に帰ってきた。すでにその頃には、園部と亀岡に、霊学を修業するため......頃には、園部と亀岡に、霊学を修業するための支所が設けられていた......ので、それら......の支所を中心に信者をあつめていった。だが、......を中心に信者をあつめていった。だが、周囲の人たち......の反対はかえって強まり、そ......のうえに、稲荷講社へ行く手引きをした三矢は... | 6735 |
6736 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 | 開祖との対面 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 104 件/ノ=104 | ... 一〇月八日(旧八月二三日)、綾部の裏町(現在......の若松町)で、喜三郎は、はじめて大本開祖と......、喜三郎は、はじめて大本開祖とあった。その日......の喜三郎......の姿は、陣羽織をきて、口にはおはぐろをぬり......はコウモリ傘とバスケットをもつという、念のいったいでたちであった。当時......の様子について、開祖......の「経歴の神諭」(明治35・旧8・9)には... | 6736 |
6737 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 | 霊学指導 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 107 件/ノ=107 | ...は、とうぶん園部に落ちつくことにし、黒田の西田卯之助......の座敷を借り、霊学会......の名で舩井・北桑田にかけて布教活動を開始し......教活動を開始した。まず最初に、園部上本町の奥村徳次郎が熱心な信者となった。また、菓......信者となった。また、菓子屋をしていた友人の内藤半吾が、だんだんと霊学に興味をもちは......をもちはじめ熱心に通ってきた。 北桑田郡の方では、小林貞蔵......の憑霊を退散させたり、井戸掘......の人足が埋まっているのを助けたりした。また... | 6737 |
6738 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >1 喜三郎の参綾 | 開祖の使者 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 152 件/ノ=152 | ... そのころ綾部では、開祖と、足立ら金光教側と......の対立がますます強まってきた。当時は、開祖......開祖にひきつけられてきた信者たちも、日頃の信仰生活......のうえでは、足立ら......の説く金光教......の教義をきき、金光教......の神も拝んでいた。足立らは開祖......の筆先を完全に無視していたから、実説的には... | 6738 |
6739 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 | 金明会の発足 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 44 件/ノ=44 | ... 上田喜三郎の大本入りにたいしては、金光教......の足立はもとより、開祖側......の役員......のなかにも反対者はあったが、こ......のたび......のことは、開祖......の神が命じたところでもあり、それに四方平蔵......神が命じたところでもあり、それに四方平蔵の、上田の偉大さについての説得もあって、し... | 6739 |
6740 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 | 十曜の神紋 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 37 件/ノ=37 | ...一八九九(明治三二)年七月五日には、本町の中村竹蔵......の家を借りて、そこを金明会......の広前とし、裏町......の土蔵......の二階から移転した。同月一〇日(旧六月三日......がってくると、これまで用いられていた九曜の紋に指定したはず......の神紋が、十曜......の紋になっていた。役員は当惑したが、これに... | 6740 |
6741 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 | 金明霊学会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 156 件/ノ=156 | ... 本町の広前に移転してから、開祖......の筆先に、上田にかんするも......のがつぎつぎとあらわれた。上田殿にたいもう......さすぞよ。小さいことを申してをりては、このたいもうがある......のに物ごとがおそくなるから、こ......のことは、みな神が一つであるから、稲荷でも......(明治32・7・23) ここに稲荷とあるのは稲荷講社......のことである。こうして、上田がこれまでおこ... | 6741 |
6742 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >2 金明霊学会 | 祭典と行事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 80 件/ノ=80 | ... 金明霊学会の祭典にかんする資料はきわめて少ない......ので、詳細なことは不明であるが、一九〇〇(......とは不明であるが、一九〇〇(明治三三)年の頃から祭典もだいぶん整備されたも......のとなり、引きつづいて、毎月陰暦......の三・一五・二三......の日は月次祭がおこなわれていた。そして毎年......こなわれていた。そして毎年、節分と春・秋の三回に大祭が執行された。そ......の祭式・祝詞などには神道の形式が用いられた... | 6742 |
6743 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >3 上谷の修業 | 3 上谷の修業 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6743 | |
6744 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >3 上谷の修業 | 神々の登場 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 122 件/ノ=122 | ... 上田会長は、中村の家......の広間時代、あるいは、修業場を東四辻に移し......も、幽斎修業をつづけていた。これは、開祖の承認をえたところでもあり、役員......の希望によるも......のでもあった。中村......の家では、参拝者......の目......の前で、修業者が発動して広前をさわがす場合... | 6744 |
6745 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >3 上谷の修業 | 霊憑りの発動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 28 件/ノ=28 | ... 上田会長の留守中に、上谷......の修業場は、霊憑り......の発動で、修業者二〇余人......のうち大部分が妖魅に憑かれて大騒ぎとなった......に憑かれて大騒ぎとなった。なかでも、福島の霊憑りははげしかった。「丑......の年に生まれた寅之助で、丑寅......の金神だ」と叫んで、裸になり、開祖......の筆先の言葉をまねて、のべつまくなしにどな... | 6745 |
6746 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >3 上谷の修業 | 吉崎仙人のこと | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 63 件/ノ=63 | ... 上谷の修業中に、吉崎仙人(別名・九十九仙人)......の霊が、一七才......の四方春三にかかって筆をとらせた。「今日ま......方春三にかかって筆をとらせた。「今日までの世界はわれわれ邪神......の自由自在に跳梁する世界であったが、いよい......いよいよ天運循環して、われわれ大自在天派の世界はすんでしまった。これからは綾部......の大本へ世を渡して、神界......の一切の権利を艮の金神に返さなくてはならぬ... | 6746 |
6747 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみの結婚 | 4 上田喜三郎と出口すみの結婚 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6747 | |
6748 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみの結婚 | 神定の結婚 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 97 件/ノ=97 | ...継ぎは、すみであることが示されると、すみの婿......の座をねらうも......のがあいついで出てきた。四方春三・中村ら......の野心もそれで、かれらは、共同......の敵として、上谷......の修業以来、上田会長......の排斥に力を集中した。しかし、上田会長は、......うまでもなく、筆先による神示によって、その女婿に選ばれて、結婚することになった。お... | 6748 |
6749 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみの結婚 | 日清戦争の社会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 55 件/ノ=55 | ...(明治二七)年にはじまった日清戦争は、その翌年、いちおう日本......の勝利に終わり、日本は台湾・澎湖諸島......の植民地を領有し、あわせて三億五千万円......の償金を獲得した。こ......の戦争によって、日本は欧米列強諸国......の仲間入りをし、大陸進出......の足場をかためるとともに、償金......の大部分を軍備と軍需工業の発展にあてた。ま... | 6749 |
6750 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第5章 >4 上田喜三郎と出口すみの結婚 | 「われよし」への警鐘 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 111 件/ノ=111 | ... このような社会......の動きについて、筆先には「日本......の国もとは神......の分け身魂をこ......のように曇らして、内地雑居などを致して此結......外国人に自由にさして神はくやしきぞ。天地の御神様は大変な御気障りざぞよ」(明治33......気障りざぞよ」(明治33・旧2・20)とのべられており、「外国人に自由にしられた......のは、日本の大将に位がなくなりたんざぞ」(... | 6750 |
6751 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き | 冠島と沓島 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 49 件/ノ=49 | ...明治三三)年旧六月、とつぜん「こんど二どの世......の立替えについて、冠島に参りてくだされよ」......替えについて、冠島に参りてくだされよ」との神示が開祖にあった。開祖は、冠島という島......島については、ほとんどなにも知らなかったので、みんなに調べさせた。すると、綾部......の人で建部という者が、そ......の島に行ったことがあるということであった。......ことがあるということであった。建部は、この島......の鳥糞を売って一儲けしようと計画して、かつ... | 6751 |
6752 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き | 冠島開き・沓島開き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 88 件/ノ=88 | ... 冠島の様子が建部など......の話でほぼわかった......ので、七月四日(旧六月八日)、開祖は上田会......田会長・すみ・四方平蔵・木下慶太郎(開祖の四女りょう......の女婿)とともに、ござ・笠・木綿......の着物に紙まき草履で舞鶴をさして出発した。......舞鶴をさして出発した。 途中東八田村大石の木下慶太郎方へ立ち寄り、午後五時ごろ舞鶴......木下慶太郎方へ立ち寄り、午後五時ごろ舞鶴の船宿大丹生屋へ到着し、冠島へ行ってもらい... | 6752 |
6753 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き | 会長排斥と内部の対立 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 140 件/ノ=140 | ... 上田会長をともなっての開祖......の冠島・沓島開きは、会長排斥をつづけていた......会長排斥をつづけていた役員たちに、かなりの衝撃をあたえた。かれらは、冠島まいりはで......してくるに相違ないと、たかをくくっていたのである。そこで、老人や若い娘......の行けるところへ自分らが行けぬはずはないと......ないと力みだし、むりやりに会長に案内をたのんだ。会長はじぶんを攻撃するたくらみ......のあることを察してはいたが、ことわる......のは卑怯だとおもい、神の加護を祈って、八月... | 6753 |
6754 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >1 冠島・沓島開き | 鞍馬山まいり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 182 件/ノ=182 | ... 沓島開きにつづく次の出修は、はじめから、行先が示されていなか......じめから、行先が示されていなかった。出発の前に出た筆先には「こんど......の実地......の神......の仕組みておる所は、変性男子(開祖)と女子......んぞよ。すみ子と春一(春三)と二人は修行のためじゃ」(明治33・閏8・5)とあって......て、一行は四人と定まり、同じ筆先に「皆々のために神が連れまいる......のじゃ。それを見て改心なされよ。世界のかが... | 6754 |
6755 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 | 2 水と火のご用 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6755 | |
6756 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 | 元伊勢お水のご用 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 111 件/ノ=111 | ... 「今年は絶命の世......の立替えになりたから、丹後......の元伊勢に参拝を致してくれぬばならんぞよ」......って、天照皇大神を祭る社である。崇神天皇のころ、大和国笠縫から遷幸した吉佐......の宮......の旧跡であるといわれているが、つまびらかで......『霊界物語』(第一六巻)によれば、剣先山のふもとを流れる宮川(五十鈴川)......の上流に英子姫(素盞嗚尊の娘)が神殿を造営... | 6756 |
6757 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 | 出雲の火のご用 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 163 件/ノ=163 | ... 「もう一ど出雲へ行て下されたら、出雲のご用を出来さして、天も地も世界を平均すぞ......出来さして、天も地も世界を平均すぞよ。このご用をすまして下さらんと、こんど......の大もうなご用はわかりかけがいたさんぞよ。......けたら速いぞよ」(明治34・旧3・7)との神示によって、一九〇一(明治三四)年七月......万吉・内藤半吾・村上房之助・四方甚之丞らの一行一五人で、出雲大社へ参拝することとな......拝することとなった。筆先に「三十四年に世の立替えをいたして、世界には火と水とで不思......と水とで不思議があるぞよ」とあって、前年の末以来、立替え立直し......の切迫を信じこんでいた多くの役員たちは、こ... | 6757 |
6758 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >2 水と火のご用 | 立替え立直しの切迫 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 104 件/ノ=104 | ... 一九〇〇(明治三三)年を世の切り替え......の時期とする筆先がでた......のにつづいて、翌一九〇一(明治三四)年......の末には「明治三十四年でさっぱり世......の立替えになるぞよ」(明治33・旧9・24......ざ」(同・旧10・19-新12・10)との筆先があった、こ......の年を立替え立直し......の年とされていた。すなわち、切迫感はいっそ... | 6758 |
6759 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 岩戸がくれ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 41 件/ノ=41 | ... 一九〇一(明治三四)年ころは、祭壇が元の大島......の二階にあった。警察からは毎日......のようにやってきて、宗教として府......の認可を正式に受けなければ布教は許さないと......教は許さないという。大本では「明治二二年の憲法発布により、信教......の自由が許されているから、そんなはずはない......どうしても承知しない。しまいには巡査を家の前に張り番させるありさまで、そ......のため信者のなかにはそれをいやがって参拝に... | 6759 |
6760 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 弥仙山 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 129 件/ノ=129 | ...)年までは女人禁制であって、地元二又部落の婦人は現在でも登山しない。山頂......の金峰神社は木花咲耶姫命をまつり、中腹......の於成神社には彦火々出見命、山麓......の三十八社には水分......の神がまつってあり、近村......の者はこれら......の神々を子授け......の神として崇敬している。奈良時代には、役の... | 6760 |
6761 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 大本神諭の展開 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 85 件/ノ=85 | ...大本では一八九二(明治二五)年旧正月元旦の開教......のときから、艮......の金神......のもとに八百万神がつどい、救世......の神業が神定としてひらかれていた......のであるが、一九〇〇(明治三三)年にはじま......九〇〇(明治三三)年にはじまる出修は、その後......の大本が独自の教義と活動を展開してゆく過程... | 6761 |
6762 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 開祖と会長との対立 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 161 件/ノ=161 | ... すでにのべたように、出修......のはじまり......のころには、開祖は、会長を排斥しようとする......、開祖は、会長を排斥しようとする信者たちの間にあって会長を擁護してきたが、出雲参拝......先を出し、会長もこれに対立して争った。この対立......の直接......の原因は、公認教問題で、会長が開祖......の反対をおしきって稲荷講社の傘下にはいろう... | 6762 |
6763 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >3 弥仙山ごもり | 岩戸開き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 175 件/ノ=175 | ...月七日(旧一月二八日)、上田会長とすみとの間に長女が生まれた。そ......の人こそが現三代教主である。ときに会長は三......である。ときに会長は三〇才、すみは一八才の若さであった。 そ......の前年七月に出雲大社まいりがおこなわれたが......七月に出雲大社まいりがおこなわれたが、その途中因幡......の加露......の宿で、天候......の回復をまって逗留しているとき、会長は霊夢... | 6763 |
6764 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第6章 >4 沓島ごもり | 4 沓島ごもり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 171 件/ノ=171 | ...、開祖は沓島ごもりをおこなった。日露戦争の最中......のこ......の行は、とどめ......の行、すなわち開祖にとって......の最後......の出修であった。 こ......の出修......の目的については、筆先に「こんど変性男子が... | 6764 |
6765 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 | 第七章 発展への胎動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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6766 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >1 会長の教説 | 1 会長の教説 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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6767 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >1 会長の教説 | 著作と布教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 240 件/ノ=240 | ... 上田会長のご用については、筆先に「上田は是から筆先......事が判らんぞよ。上田には霊学が授けてあるのざぞよ。筆先と霊学とで世界......の事を説いて聞かせば、皆改心がちっと出来る......」(明治35・旧8・13)とあって、筆先の精神を霊学からといて教義をひろめる役とさ......ていた。しかし、筆先ではまた小松林(会長の守護神)にたいする警告がしきりにでる......ので、役員たちは、会長が漢字まじり......の教義を書いている......のをみては、外国のやりかたであるとして、会... | 6767 |
6768 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >1 会長の教説 | 救いの教義 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 136 件/ノ=136 | ... 明治三〇年代における会長の教説は、前記......の各著作によって、ほぼそ......の内容をうかがうことができる。会長......の役割とそ......の真意を理解できなかった役員ら......の圧迫によって、内外......の活動を大きく制約されながらも、そ......のなかで心血をそそいで書きつづられた会長の... | 6768 |
6769 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >1 会長の教説 | 悪の世批判 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 131 件/ノ=131 | ... つぎに、会長の現実社会にたいする態度はどうであったか。......実社会にたいする態度はどうであったか。そのことをみておこう。『本教創世記』に......のべている社会観......の片鱗は、筆先に示されたも......のと、解釈......のしかたによっては矛盾するごとくうけとられ......たによっては矛盾するごとくうけとられるものがあった。そこにも、役員らと争いがおこっ......会長は『本教創世記』において、「今や世界の文明は日に月に進歩する一方にある。所謂物... | 6769 |
6770 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >1 会長の教説 | 日本主義 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 85 件/ノ=85 | ... 「物質文明」と、利己心の世界である現実......の社会にたいする会長......の批判が、神教すなわち「天地......の道」=惟神......の大道をよりどころにしていたことはいうまで......とっても、会長にとっても、いわれるところの惟神......の道は、国家主義的な神道とはまったく内容を......主義的な神道とはまったく内容を異にするものであった。 『道の栞』には「日本は日本魂... | 6770 |
6771 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >1 会長の教説 | 戦争観 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 75 件/ノ=75 | ...ながら、会長は、戦争を積極的に肯定したものではなかった。むしろ戦争そ......のも......のは悪としており、戦争がおこる......のは人間が欲心をもっているからであり、また......た軍備があるために他国をうばおうとする欲の心がおこる......のであると力説した。「世界中、兵あるが為め......界中、兵あるが為めに、欲も起り戦ひもあるのである。世界......の戦ひは運不運を嫌い給ふ天帝の大御心に叶は... | 6771 |
6772 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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6773 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 皇典講究分所入学 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 91 件/ノ=91 | ... これまで上田会長は、行政の干渉にたいして、信仰......の自由を楯に活動をつづけてきたが、公認をえ......。そこで会長は、なんとかして公認教としての法人組織をつくり、官憲......の圧迫を......のがれて、自由に布教活動ができるようにした......きるようにしたいと日夜苦慮を重ねた。 そのころ、開祖や役員たちと対立しながら、忍苦......ころ、開祖や役員たちと対立しながら、忍苦の生活をつづけていた会長は、とうとう一九〇......治三八)年三月二八日、綾部をとびだし桧山の坂東宅・園部の浅井宅・南陽寺・木崎・亀岡... | 6773 |
6774 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 御嶽教に勤務 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 42 件/ノ=42 | ... 会長は建勲神社を去ってほどなく、その年......の一二月一八日、伏見稲荷山......の御嶽教西部教庁......の主事となった。会長......の治病活動と説教......の評判はいつともなく御嶽教......の知るところとなって、御嶽教......の方から会長を招き入れたのである。会長とし... | 6774 |
6775 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 金明霊学会の苦況 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 90 件/ノ=90 | ... 日露戦争の前後にあたる数年間は、せっかくできた教会......あたる数年間は、せっかくできた教会も警察の圧迫を受け、布教活動は困難におちいり、世......なかった。 開祖は筆先を書きつづけているので、三銭......の墨と六銭......の筆......の用意、さらに一貫目(三・七五キログラム)......、さらに一貫目(三・七五キログラム)二円の紙もすぐに使いはたすため、そ......の費用がたいへんであった。一九〇六(明治三... | 6775 |
6776 | 大本七十年史 上巻 | 第1編 >第7章 >2 会長の研鑽と綾部の苦況 | 祭事の継承 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 65 件/ノ=65 | ... 『道の大本』には、祭事について顕斎と幽斎......のことが大別されており、「顕斎は天つ神国つ......にして、宮殿あり、祝詞あり、幣帛ありて神の広慈大徳を報謝し、且つ敬虔......の意を表する道なり」、「幽斎は真神をい......のる道にして、宮社もなく、祭文もなく、幣帛......文もなく、幣帛もなし、唯願望する所を吾人の霊を以て祈祷し奉る......の法式なり」と記述されているが、こうした財......式なり」と記述されているが、こうした財政の窮乏にもかかわらず、祭事は継続されていた... | 6776 |
6777 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 | 第一章 全国宣教のはじまり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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6778 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 創立の状況 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 122 件/ノ=122 | ...あらたな段階を迎えた。すなわち、これまでの金明霊学会を、大日本修斎会に改めた再編成......改めた再編成がそれである。王仁三郎は、その年......の一月......の末ごろより、すでに帰郷......の決意をしていたと伝えられるが、それ以来着......られるが、それ以来着々と、金明霊学会改組のため......の準備も進められていた。そ......のことは、その年一月二五日の御嶽教大本庁か... | 6778 |
6779 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 王仁三郎の帰綾 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 146 件/ノ=146 | ... 大日本修斎会の本格的活動......の開始にともなって、王仁三郎......の役割はますます重要となってきた。とくに、......渡され、会活動にとって、王仁三郎は不可欠の存在となった。王仁三郎......の帰綾......の必要性は、日時......の経過とともに切迫してきた。当時、開祖は、......もに切迫してきた。当時、開祖は、大本が他の教団の下部教会となることについては、当局... | 6779 |
6780 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 「直霊軍」の創刊 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 203 件/ノ=203 | ...二)年をむかえると、綾部に帰った王仁三郎の直接指導によって、大本......の動きはとみに活発となってきた。二月二五日......)。それまでにも機関誌はあったが、それらのほとんどは、まだ雑誌として......の体裁をとと......のえてはいなかった。それにくらべて「直霊軍......。それにくらべて「直霊軍」ば、B5版八頁の小さなも......のではあったが、当時としてはかなり充実した......した機関誌であった。発行所は綾錦社で、その印刷は福知山下柳の小宮活版所でなされてい... | 6780 |
6781 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 造営と宣教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 254 件/ノ=254 | ...治四一)年六月一日(旧五月二日)に、「元の活神が沓島へ落ちておりたなれど、何か......の時節が参りてきたから、明治四十一年......の節分......の夜に弥仙山まであがりておるから、お仮屋で......仙山まであがりておるから、お仮屋では何かの便利がわるいから、雑......のお宮でよいから、早くしてもらいたい」と......の筆先がでた......ので、京都の梅田常次郎※より金五〇〇円の献... | 6781 |
6782 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >1 大日本修斎会 | 明治の晩期 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 164 件/ノ=164 | ...日、王仁三郎は、竹原房太郎をつれて島根県の出雲大社教を訪問した。警察......の圧迫が引きつづきはげしい......ので、大本......の祖霊社を、合法的に大社教霊社......の分社にしようとする手続き......のためであった。 大社教から、祖霊分社......の許可書がきた......のは同月二六日で、表向きには大社教本宮教会... | 6782 |
6783 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >2 大正の初期 | 2 大正の初期 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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6784 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >2 大正の初期 | 大本教の教規と信条 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 160 件/ノ=160 | ... 大正期に入ると、大本では、開祖の世......の立替え立直しについて......のはげしい筆先が相ついで公にされてくる。そ......はげしい筆先が相ついで公にされてくる。そのなかに「こ......の先きは神がかりはもういらんから、鎮魂もい......ういらんから、鎮魂もいらんぞよ。管長が坤の金神で、手を合わしてた......のみたら、何事もかなえてやるぞよ。坤......の金神は奥であるから、世界中の人民はみな子... | 6784 |
6785 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >2 大正の初期 | 「敷島新報」と直霊軍部隊 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 201 件/ノ=201 | ...三日には日本はドイツ国と国交断絶し、宣戦の詔書がだされて、こ......の大戦に参加することになった。大本院では、......ことになった。大本院では、戦勝と世界平和の到来を朝夕祈願するように、祈願詞を一定し......、各分所・支部などにこれを指示した。 このようななかで、八月一五日には、「敷島新報......創刊された。「敷島新報」は、はじめB4版の月刊であったが、......のちこれをB5版で月二回とし、さらに旬刊と......は、さきに廃刊された「直霊軍」にかわるものである。開祖......の筆先には、すでに一九〇〇(明治三三)年こ... | 6785 |
6786 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >3 皇道大本 | 改称の理由 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 48 件/ノ=48 | ... 直霊軍の軍規が公表されて、いよいよ本格的宣教体制......公表されて、いよいよ本格的宣教体制をととのえた大本は、翌一九一六(大正五)年になる......年になると、皇道大本と改称した。綾部在住の大本役員・信者は、当時出口家関係......の一一人をはじめとして総計八九人に......のぼっていたが、これら......の人々は大本所有......の家屋一三ヵ所に分宿し、食事は三食とも大本......家屋一三ヵ所に分宿し、食事は三食とも大本の食堂に集まって食事をすることになった。い... | 6786 |
6787 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >3 皇道大本 | 浅野の入信 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 68 件/ノ=68 | ...さき、大本に入信した飯森正芳らは、横須賀の浅野......の宅を訪れて、大本へ......の入信をすすめていたが、一九一六(大正五)......正五)年四月四日には、浅野和三郎・多慶子の夫妻が、横須賀からはじめて綾部へやってき......三(明治六)年茨城県に生まれ、一高-東大のコースから海軍機関学校......の教官となっていた人である。英文学を専攻し......いた人である。英文学を専攻し、在職一七年のあいだに同僚といっしょに「英和辞典」......の編纂に着手し、英文学方面でも名をなしてい... | 6787 |
6788 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >3 皇道大本 | 神島開き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 196 件/ノ=196 | ... 一九一六(大正五)年のある春......の夜......のこと、王仁三郎......の霊眼に、坤......の方面......の沖あい......の海......のなかに、ほうらくを伏せたような一つ島がみ... | 6788 |
6789 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊 | 4 「神霊界」の発刊 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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6790 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊 | 創刊の辞と檄 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 109 件/ノ=109 | ...一九一七(大正六)年一月、「敷島新報・このみち」は改題されて、「神霊界」が発刊され......て、「神霊界」が発刊された。「敷島新報」の号数をうけついでいる......ので、「神霊界」......の一月号は第四三号となっている。B5版......の大きさで三〇頁から四〇頁......の内容をなし、はじめは月刊であったが、翌一......八年から旬刊として、六〇頁~八〇頁くらいのも......のとなった。 「神霊界」を発刊して全国的宣... | 6790 |
6791 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊 | 神諭の発表 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 133 件/ノ=133 | ... 開祖の平がなばかり......の筆先を、王仁三郎が漢字をあててそ......の真意をわかりやすく発表したも......のを、大本では「大本神論」とよんでいる。王......)年ころから「神論」を用意していたが、その発表はひかえていた。これまでも、筆先......の言葉を抜萃して、「直霊軍」誌および「こ......のみち」誌にわずかに掲載したことはあるが、......二〇(大正九)年九月号まで、毎号全ページの五分の一から三分の一におよぶ分量で発表さ... | 6791 |
6792 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >4 「神霊界」の発刊 | 海軍関係・知識層等の参綾 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 94 件/ノ=94 | ... 第一次世界大戦によって、世界および日本の情勢がおおきく変動してきているとき、立替......おきく変動してきているとき、立替え立直しの「神諭」を発表したことと、あわせて鎮魂帰......を発表したことと、あわせて鎮魂帰神や浅野の言説などは、危機意識をもった知識層に波紋......波紋をなげかけていった。まず海軍関係からの入信者が前述......のように表面化してきたが、さらにひろく知識......一九一七(大正六)年一月一五日、金竜池畔の社務所は竣工したが、未完工ながら神武館で......がら神武館では開場式を挙行し、剣道・弓術の型をおこない、二月四日には武術大会を開催......こない、二月四日には武術大会を開催し、そのあと王仁三郎と浅野が大本講演をした。参集... | 6792 |
6793 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >5 大正維新の主張 | 5 大正維新の主張 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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6794 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >5 大正維新の主張 | 皇道論 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 154 件/ノ=154 | ... 「神諭」の発表とともに、社会......の注目をあつめたも......のに、王仁三郎......の「大正維新」......の主張がある。王仁三郎は年来研究していた皇......た。 大正期において「皇道」を主唱したものはきわめてまれで、世間に公刊された皇道論......間に公刊された皇道論はあまりなかった。そのために、とかく皇道と神道とは同一視されや......三郎は、「世俗往々にして我が大日本修斎会の宣伝する皇道を目して、現代の所謂十三派の... | 6794 |
6795 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第1章 >5 大正維新の主張 | 大正維新論 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 143 件/ノ=143 | ... それなら、ミロクの神世を成就する皇道......の実行方策は、いかなるも......のであったか。そ......の一つは国教......の樹立であり、他......の一つは金銀為本経済......の撤廃であり、さらにもう一つは世界......の大家族制の実施であって、これが大正維新・... | 6795 |
6796 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第2章 | 第二章 開祖の昇天と道統 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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6797 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第2章 >1 昇天 | 昇天の前後 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 151 件/ノ=151 | ... 王仁三郎によって、教理の現代化と組織......の整備をみた大本は、いよいよ全国的宣教へ......のりだした。一九一七(大正六)年......の一二月二一日に創刊された旬刊紙「綾部新聞......日に創刊された旬刊紙「綾部新聞」は、全国の市町村役場や、大・中・小学校ならびに実業......役場や、大・中・小学校ならびに実業家などの各方面に毎号贈呈をつづけ、月刊誌「神霊界......、月刊誌「神霊界」も一九一八(大正七)年の三月から月二回発行とあらためられた。こう......められた。こうした機関誌・新聞による宣教の活発化にともなって、その年の春ころから、... | 6797 |
6798 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第2章 >1 昇天 | 葬儀 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 56 件/ノ=56 | ... 昇天後のあわただしいさなか、深夜......の一二時、金竜殿で厳粛な昇天奉告祭が執行さ......天奉告祭が執行された。翌七日には、産土神の熊野新宮社へ昇天奏上......の使いがだされた。葬儀については牧寛仁が葬......祭長に任じられ、墓地(奥都城)は天王平一の瀬と決記した。八日深更に舟入式があり、九......と決記した。八日深更に舟入式があり、九日の午後二時から金竜殿へ遷柩し、「神政開祖(......政開祖(惟神真道弥広)大出口国直霊主命」の諡名がおくられた。 舟入式調度品として、......・太刀・曲玉・唐櫃・針鋏類・紙・墨・筆その他の手回り品が納められ、衣装は、うちかけ... | 6798 |
6799 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第2章 >2 開祖の人柄 | 2 開祖の人柄 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 178 件/ノ=178 | ... 一八九二(明治二五)年に、国祖国常立命の神霊が開祖に帰神されてから、一九一八(大......祖に帰神されてから、一九一八(大正七)年の昇天にいたるまで、開祖はひたすら二七年......の間筆先を手記し、世界......の大難を小離に、小難を無難にと、一身をささ......に、小難を無難にと、一身をささげて、世界の平安と人類......の幸福を朝に夕に祈りつづけてきた。それはけ......なかった。あらゆる苦難にうちかち、水晶魂の清らかな輝きをもって発揮し、神......のご用のきびしさを役員・信者に一貫して示し... | 6799 |
6800 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第2章 >3 道統の継承 | 3 道統の継承 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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