番号 | 文献名1 | 文献名2 | 文献名3 | 著者 | 発表年 | 詳細 | 本文内のヒット件数 | プレビュー(最大 8 件まで表示) | 番号 |
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7201 | 東京朝日新聞 | 昭和11年3月13日 夕刊(14日付) | 1936刊 | DB・ RMN |
全 83 件/ノ=83 | ...司法内務の大鉄槌大本教殲滅さる王仁三郎等八名を起訴......訴し断乎結社禁止を命ず大本教に対する最後の鉄槌は遂に下つた、既報......の如く十三日午前十時半を期し司法省では京都......では京都検事正に対し出口王仁三郎以下八名の起訴命令を発し一方内務省では内務大臣......の名を以て『皇道大本』を始め八団体所在地......の警視総監及び京都兵庫両府県知事に対し八団......視総監及び京都兵庫両府県知事に対し八団体の結社禁止命令を電話で発しそれと同時にそ......の他の府県知事に対しても右結社禁止発令の旨... | 7201 | ||
7202 | 東京朝日新聞 | 昭和11年3月14日 朝刊 | 1936刊 | DB・ RMN |
全 62 件/ノ=62 | ...等七名けふ愈々収容中村純一だけは財産処分の決定まで強制留置【京都電話】京都地方検事......野主任検事宛『同日午前十時三十分司法大臣の起訴認可ありたり』と......の通達に接した、検事局ではあわただしい空気......午後二時過に至り大阪控訴院吉益検事長よりの『起訴命令』に接した......ので鈴木(上席)小野他各係検事は堀部次席検......を遂げた後王仁三郎以下八名に対して第一次の処分を断行正式に起訴同時に予審を請求した......村純一を除く王仁三郎等七名は西川予審判事の拘引状執行により身柄は同夜警察署預けとし......ることになつた、中村純一は大本教会計課長の任に在り今後大本教の財産処分や被疑者への... | 7202 | ||
7203 | 東京朝日新聞 | 昭和11年3月14日 夕刊(15日付) | 1936刊 | DB・ RMN |
全 23 件/ノ=23 | ...王仁さんスタコラカメラの襲撃に取り乱すけふ刑務所へ転居【京都電話......郎はまづ午前八時過ぎ武内五条署長から収容の旨を伝へられると署長を始め係員に「色々お......、王仁三郎に対して解散命令を伝達した、この時分から五条署......の前は非常な混雑を呈し午前十時護送......の自動車が用意せられ衆人注視......の裡に重々しく開かれた留置場から......ノソリと出て来た王仁三郎は普段着......のままで鉄無地紬黒無地羽二重の羽織を引掛け... | 7203 | ||
7204 | 東京朝日新聞 | 昭和11年3月15日 朝刊 | 1936刊 | DB・ RMN |
全 3 件/ノ=3 | ...に同日朝京都府綾部町大本教明光閣に禁足中の二代目教祖出口澄を綾部署に検挙、同夕京都......と出口伊佐男(34)に対する起訴命令に接しので同人を治安維持法違反で起訴し身柄は当分......立売署預けとし十六日に中京刑務支所へ収容のはづ... | 7204 | ||
7205 | 東京朝日新聞 | 昭和11年3月18日 夕刊(19日付) | 1936刊 | DB・ RMN |
全 13 件/ノ=13 | ...せけふ王仁三郎が請書【京都電話】結社禁止の大鉄槌を下されて潰滅し去つた不敬大本......の亀岡天恩郷綾部総本部......の建造物取壊し指令を内務省より受けた京都府......午前二時過まで協議を重ね十八日朝鈴木知事の決裁を経て午前十一時府令第二百十五号を以......郡木津町城南別院、加佐郡新舞鶴町昭和分院の五ケ所は法令に基き昭和十一年五月十五日迄......五ケ所は法令に基き昭和十一年五月十五日迄の期限を附し地上一物も留めぬ迄に破却を命ず......くて同日午後一時半中京刑務所支所に収容中の王仁三郎に鈴木知事......の名を以て破却命令書を伝達した王仁三郎は予... | 7205 | ||
7206 | 東京朝日新聞 | 昭和11年3月19日 朝刊 | 1936刊 | DB・ RMN |
全 6 件/ノ=6 | ...話】亀岡天恩郷、綾部総本部等大本教建築物の破却命令は中京刑務支所に収容中......の王仁三郎および五条署留置中......の出口澄に伝達されたが王仁三郎も自発的に取......も自発的に取壊しを誓約し中立売署に留置中の会計課長中村純一に委任状を作成した、破却......村純一に委任状を作成した、破却は当局監視の下に早くも四月中旬着手......の筈... | 7206 | ||
7207 | 東京朝日新聞 | 昭和11年4月14日 夕刊(15日付) | 1936刊 | DB・ RMN |
全 5 件/ノ=5 | ...お筆先押収大本教支部手入れ豊島区池袋六ノ一、一九九皇道大本教池袋支部は十四日早朝......員総動員で同支部に至りお筆先、神鏡、支部の旗、団服数十着、烏帽子、装束、三宝そ......の他教書等数十点を同署に押収した尚同支部所......教書等数十点を同署に押収した尚同支部所属の昭和青年会板橋支部、昭和坤生会板橋支部、......らもそれぞれ器具印刷物等を押収した、個人の布教所八ケ所に対して処断を行つたが警視庁... | 7207 | ||
7208 | 東京朝日新聞 | 昭和11年4月22日 朝刊 | 1936刊 | DB・ RMN |
全 10 件/ノ=10 | ...京都電話】京都地方検事局では二十一日までの間に総統出口王仁三郎(66)始め内事課長岩......総理高木鉄男(63)東洋部長出口五十麿(27の六幹部そ......の他二十三名を不敬罪又は治安維持法違反とし......際は「……神霊現象……」と称して犯罪事実の総てを極力否認し通した......のであつたが今回は真実誤つた思想を抱いて居......想を抱いて居た事に気付き翻然と覚り係検事の対して改悛を誓ひ出口宇知麿、同五十麿そ......の他目下収容中......の大幹部連はいづれも申合せたやうに検事に向... | 7208 | ||
7209 | 東京朝日新聞 | 昭和11年5月1日 朝刊 | 1936刊 | DB・ RMN |
全 6 件/ノ=6 | ...【ニユース縮刷版】【京都電話】大本教の綾部総本部と亀岡天恩郷......の敷地が売られた、綾部......の方は二万五千余坪を坪十四銭強で亀岡......の方は二万四千坪を坪八銭で、それぞれ町で買......、それぞれ町で買とり登記も完了した、双方の豪壮な建物は廿日から清水組......の手で取毀しにかかる... | 7209 | ||
7210 | 東京朝日新聞 | 昭和11年5月17日 号外 | 1936刊 | DB・ RMN |
全 5 件/ノ=5 | ...妖殿の取壊しけふから開始さる【京都電話】大本教......しけふから開始さる【京都電話】大本教亀岡の妖殿潰滅準備全く成り愈十七日午前七時を期......に終了、解体と同時に直に域外に搬出するもので物凄い鉄槌......の音は広袤たる天恩郷に谺して凄壮......の気が満ち満ちて居る... | 7210 | ||
7211 | 東京朝日新聞 | 昭和11年5月18日 夕刊(19日付) | 1936刊 | DB・ RMN |
全 13 件/ノ=13 | ...怪教の殿堂潰滅【京都電話】綾部大本教総本部......の建造物破棄......の鉄槌は十八日遂に下された、綾部署では去る......下された、綾部署では去る九日以来宝物什器の搬出金具類......の取毀し、神棚書籍書類そ......の他雑品焼却等......の万般......の準備は十六日を以て終り十八日朝京都から乗... | 7211 | ||
7212 | 東京朝日新聞 | 昭和11年6月2日 夕刊(3日付) | 1936刊 | DB・ RMN |
全 8 件/ノ=8 | ...教別院毀却【横浜電話】横浜市中区根岸町滝ノ上に豪壮な社殿を誇る邪教大本教......の黒門御殿関東別院は民事訴訟......の結果破産管財人......の手に帰し毀却......の準備を進めてゐたが、愈二日から多数......の人夫を雇ひ取壊し作業を開始した、十日迄に......ひ取壊し作業を開始した、十日迄に全部終了の見込で尚多数......の押収物件は証拠品を除き横浜市営塵埃処理所... | 7212 | ||
7213 | 東京朝日新聞 | 昭和11年7月15日 朝刊 | 1936刊 | DB・ RMN |
全 3 件/ノ=3 | ...麿も起訴【京都電話】大本教不敬事件糾明中の京都地方検事局では出口王仁三郎......の婿養子で大本教総理兼総統補日出麿こと出口......請求、中京刑務支所へ収容したこれで同事件の起訴者五十二名に達した... | 7213 | ||
7214 | 東京朝日新聞 | 昭和11年8月15日 朝刊 | 1936刊 | DB・ RMN |
全 30 件/ノ=30 | ...言語に絶す皇道大本教は昨年末内務省警保局の指揮......のもとに全国的大検挙が行はれ、出口王仁三郎......三郎以下幹部を全部起訴し、断乎として同教の解散を命じ邪教......の根絶を期したが、東京地方は同教......の狂信者多く、社会情勢......の動揺に乗じ同教......の再建を企て中には当局......の弾圧下を潜つて〝月並祭〟まで励行してゐる... | 7214 | ||
7215 | 東京朝日新聞 | 昭和11年8月31日 夕刊(9月1日付) | 1936刊 | DB・ RMN |
全 10 件/ノ=10 | ...邪教で送局海軍予備将校二名警視庁の邪教摘発......の槍玉に上り今春来特高第二課......の取調べを受けてゐた目黒区清水町四七二、イ......矢野祐太郎(48)同予備少佐加世田哲彦(52の両名は調べが一段落付いた......ので近く『不敬罪』で送局されることとなつた......局されることとなつた、同人等は元皇道大本の信者であつたが同教が大正十年に当局......の弾圧を受けた直後幹部と意見衝突兵庫県川辺......末吉(56)等と共に脱退して神政龍神会なるのを設立信者の獲得に狂奔してゐたものである... | 7215 | ||
7216 | 東京朝日新聞 | 昭和11年11月19日 朝刊 | 1936刊 | DB・ RMN |
全 25 件/ノ=25 | ...近く送局【既報】目黒区清水町に神政龍神会の看板を掲げ信者獲得に狂奔してゐた同町四七......6)同町四七一予備海軍中佐加世田哲彦(40)の両名を大井署から近く不敬罪で送局する事と......署から近く不敬罪で送局する事となつた同署の調によると矢野は欧洲大戦直前海外武官とし......海外武官としてロンドンに駐在中「火星からの使」といふドラマを見て刺激され、更に大本......て宗教に興味を持ち任を終へて帰国、退官後の大正七年一家をあげて大本教......の本拠京都府下綾部町に居を移し昭和四年迄十......熱心な信者として信仰生活を送つてゐた、その間出口王仁三郎が蒙古に神国建設を唱へた際......仁三郎が蒙古に神国建設を唱へた際軍事顧問の名目で王天海と名乗り馬賊三百数十名を従へ... | 7216 | ||
7217 | 東京朝日新聞 | 昭和12年8月7日 夕刊(8日付) | 1937刊 | DB・ RMN |
全 4 件/ノ=4 | ...潟署に留置取調べてゐる、同人は「大本教」の結社禁止後も依然信仰を改めず、自宅に設け......めず、自宅に設けた祭壇を秘かに残し十数名の旧信者宅に出入りして「大本教」......の再建をはかつてゐた嫌疑によるも......のといはれる... | 7217 | ||
7218 | 東京朝日新聞 | 昭和20年9月9日 朝刊 | 1945刊 | DB・ RMN |
全 2 件/ノ=2 | ...大本教の上告棄却昭和十一年京都府で検挙された大本......八日、事件発生以来十年目に何れも上告棄却の判決言渡しがあり、王仁三郎は原審刑懲役五... | 7218 | ||
7219 | 東京朝日新聞 | 昭和20年11月2日 朝刊 | 1945刊 | DB・ RMN |
全 11 件/ノ=11 | ...大本教の地所亀岡、綾部両市から返還昭和十年十二月......王仁三郎統管以下数万名が全国で検挙されその中六十六名が不敬罪並に治安維持法違反にと......維持法違反にとはれた事件につき治維法違反の分は去る九月八日大審院において無罪......の判決言渡を受け不敬罪も去る十七日......の大赦によつて白日......の身となつた、かくて世人に騒がれた大事件も......た、かくて世人に騒がれた大事件も刑事事件の方は解決を見、残るは綾部、亀岡における五......る五十万坪に上る厖大な「土地所有権回復」の民事訴訟のみとなつたが、これも所在地町民... | 7219 | ||
7220 | 東京朝日新聞 | 昭和23年1月20日 朝刊 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 2 件/ノ=2 | ...祖)十九日午前七時四十七分京都府下亀岡町の自宅で脳内出血......のため死去、七十八歳... | 7220 | ||
7221 | 東京日日新聞 | 昭和10年12月8日 号外 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 135 件/ノ=135 | ...全国に大本教検挙の大旋風内務省が総指揮しけふ払暁を期し雪崩......間に亘り慎重に内偵検挙されし者数百大本教の大検挙は朝刊(または号外)既報......の如く、八日払暁午前五時を期し全国一斉に行......暁午前五時を期し全国一斉に行はれた、検挙の中心京都におゐては京都地方検事局並に府警......ては京都地方検事局並に府警察部が京都市内の精鋭三百余名......の非常召集を行ひ、大本教......の大本山─綾部町......の皇道大本教本部並に亀岡町大本天恩郷を襲ひ... | 7221 | ||
7222 | 東京日日新聞 | 昭和10年12月8日 号外 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 119 件/ノ=119 | ...十名東京地方検事局と警視庁は京都府警察部の大検挙と相呼応し八日払暁を期し一斉検挙に......検挙に着手し戸沢、木内、芳賀、吉江、栗谷の五検事が予審判事と共に四隊に分れて警視庁......谷区愛住町昭和神聖会総本部、麹町区麹町一の一〇同会東京地方支部、同派......の支所杉並区方南町皇道大本紫雲郷別院など六......子息宇知麿氏も検挙したが四谷区愛住町七六の昭和神聖会総本部には午前四時ごろオーバー......昭和神聖会総本部には午前四時ごろオーバーの襟を立てた戸沢検事をはじめ私服......の警官五十名が円タクでポツリポツリと繰り込......でポツリポツリと繰り込み、四時半千速係長の合図でドツとばかりに邸内に雪崩れ込んだ、... | 7222 | ||
7223 | 東京日日新聞 | 昭和10年12月9日 附録 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 248 件/ノ=248 | ...大本教第二次大弾圧の跡綾部本部と天恩郷に果然・封鎖......の厳命下る今後信徒......の出入を禁止近く旅費を与へて帰郷さす【京都......に際し綾部署に検挙された信徒は百四十余名のうちなほ引続き留置取調べ......の必要ある六十七名(男四十四名、女卅三名)......十七名(男四十四名、女卅三名)を除ゐた他の者は八日夕刻永岡京都府保安課長、五十嵐綾......た、警保局保安課警務官補古賀強氏は亀岡署の検挙状態を視察した後八日午後一時綾部に来......態を視察した後八日午後一時綾部に来り同夜の検挙状況を視察して京都に向つた、なほ京都... | 7223 | ||
7224 | 東京日日新聞 | 昭和10年12月9日 附録 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 338 件/ノ=338 | ...〝弾圧の嵐〟をゆく天恩郷車窓に教主、万感......の涙!十五年ぶりに留置場へ護送......の列車に訪ふ【京都発】綾部......の教主出口王仁三郎氏を訪ふべく記者は松江発......車に兵庫県豊岡駅から乗車した、たつた一輌の二等車......のドアを拝して入ると車......の中央に写真で見馴れた王仁三郎氏が茶羽二重......中央に写真で見馴れた王仁三郎氏が茶羽二重の下着に例の特徴ある帽子をかぶつたまま巨躯... | 7224 | ||
7225 | 東京日日新聞 | 昭和10年12月9日 夕刊(10日付) | 1935刊 | DB・ RMN |
全 35 件/ノ=35 | ...綾部を首都に統治者を僭称する治維法適用説の根拠はこれ大本教不敬......の確証大本教......の内容に不敬......の事実を突き止めた内務省は、検挙に慎重を期......めた内務省は、検挙に慎重を期するため係りの事務官を左翼専任......の永野事務官に変更し、一ケ月前同事務官は京......に琵琶湖畔にアヂトを設けて専心大本教関係の文章を精査した結果、いよいよ最小範囲内に......を持ち一方大審院と交渉して急に京都検事正の更迭を行つて大本教大検挙陣を編隊したもの... | 7225 | ||
7226 | 東京日日新聞 | 昭和10年12月10日 朝刊 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 58 件/ノ=58 | ...【社説】邪教の跳梁 速かに掃蕩せよ 今次、大本教が弾圧......に掃蕩せよ 今次、大本教が弾圧された直接の原因は不敬事件に絡むも......のと伝へられてゐる。不敬事件そ......のも......のが糾弾さるべきはいふまでもないとして、わ......るべきはいふまでもないとして、われらはこの際、当局が進一歩、無数......の良民を惑はしてゐる一切......の淫祠邪教に対して、徹底的な弾圧と撲滅の鉄... | 7226 | ||
7227 | 東京日日新聞 | 昭和10年12月10日 朝刊 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 17 件/ノ=17 | ...落【京都発】大本教不敬事件に対する大検挙の手は漸く終りをつげ綾部町......の大本教総本部や亀岡町......の天恩郷......の家宅捜索を行つた判検事一行は九日午後五時......三分亀岡駅発列車で京都に引揚げたが、綾部の総本部で押収した証拠物件は日本刀約三百口......てをり、これ等に一々封印を施して処分、その一部たる千余点......の問題......の書籍、秘密文書類は九日午後五時半三台の自... | 7227 | ||
7228 | 東京日日新聞 | 昭和10年12月10日 夕刊(11日付) | 1935刊 | DB・ RMN |
全 83 件/ノ=83 | ...これでも〝生神様〟ただれた私生活留置中の王仁......の健康診断に係官もあきれ返る八日午前松江よ......ゐるが朝夕うら若き近侍に囲まれながら王侯の如き豪奢な生活を送つた身体は保温設備も十......送つた身体は保温設備も十分でない一警察署の保護室に留置されてすつかり健康を害し、時......に留置されてすつかり健康を害し、時々乳児の如く不潔な行為を繰返す......ので同署幹部も非常に心配し九日午後付近......の医師を呼んで王仁三郎......の健康診断をして見ると生神様王仁三郎は意外... | 7228 | ||
7229 | 東京日日新聞 | 昭和10年12月11日 夕刊(12日付) | 1935刊 | DB・ RMN |
全 62 件/ノ=62 | ...判所検事局から大審院光行検事総長あてにその後......の検索状況と取調べ......の経過が逐次報告されて来てゐるが、大不敬と......、大不敬と認める根本は出口王仁三郎等同教の幹部が唱へる「世......の建直し」なるも......のは、わが国建国創業......の大理想を批判し、共産主義者......のいはゆる国体変革の思想とその軌をおなじう... | 7229 | ||
7230 | 東京日日新聞 | 昭和10年12月12日 夕刊(13日付) | 1935刊 | DB・ RMN |
全 69 件/ノ=69 | ...俎上の大本教(4)怪奇......の〝言霊学〟デツチあげた王仁......の霊界物語かくして奈落......の底へ大本教がエス語......の普及に力を入れるに至つた......のは第一次不敬事件でわが国民に容れられなく......れなくなつた苦しまぎれに海外へ延びる一つの手段であつた「エス語独習......の手引」を出したり人類愛善のエス語宣伝文を... | 7230 | ||
7231 | 東京日日新聞 | 昭和10年12月16日 朝刊 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 5 件/ノ=5 | ...六名検挙大本教関係で【京都発】大本教検挙の証拠品中から浜松、豊橋両大本教支部......の役員は本部......の枢機に参与してゐたことがわかつた......ので京都府特高課員は十三日夜両署に出張し浜......日町八六大本教支部長武田仙造(40)及び支の幹部藤原章〓(43)竹原弘(42)井口太郎吉... | 7231 | ||
7232 | 東京日日新聞 | 昭和10年12月20日 夕刊(21日付) | 1935刊 | DB・ RMN |
全 2 件/ノ=2 | ...係り多数が自動車五台に分乗し横浜市中区滝ノ上六大本教関東別院を襲つて厳重な家宅捜査......同別院で印刷した印刷物及び関係書籍書類その他を押収した... | 7232 | ||
7233 | 東京読売新聞 | 昭和10年12月8日 号外 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 189 件/ノ=189 | ...大本教再び邪教の本体暴露不敬事件......の確証あがり断乎!内務省が弾圧......の命本部・支部を襲ひ二百余名検挙最近社会不......本部・支部を襲ひ二百余名検挙最近社会不安の濃化に伴い邪教......の跋扈いよいよ激しく良民を欺罔すること甚だ......いよいよ激しく良民を欺罔すること甚だしいのでこれが取締......の任にある内務司法両当局では過般来これが内......皇道大本教に尊厳冒涜および重大な不敬事実の確証を握りここに断乎鉄槌を下すべく決意し... | 7233 | ||
7234 | 東京読売新聞 | 昭和10年12月8日 号外 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 151 件/ノ=151 | ...右翼団体と結んで国体変革の思想宣伝別働隊昭和神聖会活躍大本教は大正......宣伝別働隊昭和神聖会活躍大本教は大正十年の大弾圧後教主王仁三郎が恩赦に浴してより再......関紙愛善新聞を発行し忽ちにして全国に多数の信者を獲得し中央舞台進出へ......の足場をつくるに成功、続ゐて東京進出に全力......和坤生会(婦人活動)を創立、同時に大本教の市内に於けるこれら......の活動統帥機関として杉並区方南町に昭和八年......(京都検挙)次長に米倉嘉平が就任して教義の宣伝組織活動......の采配を振ふにゐたつた、この結果東京に於け... | 7234 | ||
7235 | 東京読売新聞 | 昭和10年12月9日 朝刊 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 176 件/ノ=176 | ...不穏計画洋行を前に疾風的検挙大本教大検挙の嵐は八日早暁......の手入れで一段落を告げ検挙された教主出口王......げ検挙された教主出口王仁三郎以下幹部卅名の身柄は全部押収......の証拠物件とともに京都地方検事局に集中して......容につき取調べを進めることになつたが今回の検挙につゐて検察首脳部は同教が大正十年......の大弾圧......のあと依然として類似宗教......の名にかくれ、公称六十万(事実卅万)の信者... | 7235 | ||
7236 | 東京読売新聞 | 昭和10年12月9日 夕刊(10日付) | 1935刊 | DB・ RMN |
全 36 件/ノ=36 | ...出口王仁三郎室伏高信 大本教への手入れがど......のやうな法律的根拠からなされたかは私......のまだ詳かにしないことである。もしも新聞紙......まだ詳かにしないことである。もしも新聞紙の伝ふる如くに不敬......の疑ひもしくは証拠が挙げられたとしたなら、......られたとしたなら、人はここに現代日本風景の最も基本的な特徴を見るべきである。 大本......標榜する一宗教或ひは一邪教であることは人のよく知つてゐることである。そしてこ......のことはひとり大本教に限らない。ひとの道、... | 7236 | ||
7237 | 東京読売新聞 | 昭和10年12月9日 夕刊(10日付) | 1935刊 | DB・ RMN |
全 101 件/ノ=101 | ...白日に曝出された驚くべき不敬の数々大本教総本山、天恩郷は取毀し邪教大本......決意した不敬罪に該当する点は教主王仁三郎の言動をはじめ秘密宣伝文書等に掲載されてゐ......掲載されてゐるなど無数にあるが、当局今回の内偵並びに検挙押収によつて白日下に暴露さ......れた教主王仁三郎をめぐる恐るべき不敬動向の主なるも......のは次......の通りである一、王仁三郎は大本教によつて日......三郎は大本教によつて日本が統治され、皇道の大本は自己にあり、従つて日本......の統治者たることを自認してゐる二、不敬にも... | 7237 | ||
7238 | 東京読売新聞 | 昭和10年12月10日 朝刊 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 76 件/ノ=76 | ...【社説】淫祠邪教の掃蕩を期せ 大本教......の検挙は疾風迅雷的に行はれて、多大......のセンセイションを与へたが、われ等は此......の機会に於て、昨今特に蔓延流行......の兆あるいかがはしき類似宗教に対し、徹底的......兆あるいかがはしき類似宗教に対し、徹底的の掃蕩を敢て試みられんことを切に希望するも......掃蕩を敢て試みられんことを切に希望するものである。 今回検挙......の衝に当つた検察当局の言によれば、教義宣布... | 7238 | ||
7239 | 東京読売新聞 | 昭和10年12月10日 朝刊 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 20 件/ノ=20 | ...査【京都電話】大本教検索隊本部では内務省の最高方針に基き刑法第七十四条「皇室に対す......ることになつたが更に同教を邪教と断定しその根絶を期して敢然治安維持法を発動、大本教......根絶を期して敢然治安維持法を発動、大本教の解散、禁止断行......のため新たなる傍証固めを行ふこととなつた即......こととなつた即ち九日夜半に至るまで綾部町の同教本部及び亀岡天恩郷......の家宅捜査を行ひ不敬事実......の証拠品たる書類、教書、武器など多数押収更......を見ることとなつた今回は去る大正十年二月の不敬事件における如く単に同教一部首脳部の... | 7239 | ||
7240 | 東京読売新聞 | 昭和10年12月11日 朝刊 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 19 件/ノ=19 | ...不敬罪で正式起訴司法当局の〝断〟決る大本教清掃 治安法適用は慎重大......〟決る大本教清掃 治安法適用は慎重大本教の大弾圧後司法部としては該問題......の処分につゐては慎重を期して居るが十日午後......が十日午後三時より司法部長官会同で上京中の吉益大阪検事長は大臣官舎に小原法相を訪ね......へて午後五時まで重大なる協議を為し大本教の専恣横暴極り無き状態につゐて吉益検事長よ......検事長より詳細なる報告あり、司法部としての今後......の対策等につき万遺策無きを期することとなり......を不敬罪をもつて近く正式起訴し、ついで他の被疑者をも容赦無く断乎たる処分を為すこと... | 7240 | ||
7241 | 東京読売新聞 | 昭和10年12月13日 朝刊 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 47 件/ノ=47 | ...検挙秘聞王仁三郎は奥院に一人で寝て居りその隣......の部屋には細君......のお澄婆さん更に別室には近侍と自称させてゐ......さん更に別室には近侍と自称させてゐる妙齢の美女が六人一緒に寝てゐた、先づ目ざす王仁......が六人一緒に寝てゐた、先づ目ざす王仁三郎の寝てゐる部屋に工藤特高課長が単身飛込んで......て下さい」と云ふとびつくりした様子で蒲団の上に起上るところを、どかどかと警官がふみ......ころを、どかどかと警官がふみ込み王仁三郎のぐるりを包囲した、何しろ前日王仁が松江に......た時にはわざわざ松江署長が出迎へたほどなので、それこそほんとの寝耳に水の驚きやう、... | 7241 | ||
7242 | 東京読売新聞 | 昭和10年12月15日 朝刊 | 1935刊 | DB・ RMN |
全 10 件/ノ=10 | ...)方外一ケ所を襲ひ武田及び徳島県生れ霊界の大家石田覚(30)静岡県磐田郡袋井町支部長......うへ家宅捜索を行ひ証拠物件多数を押収五名の身柄を一旦浜松署に留置......の後同日午後四時五十八分浜松駅発列車で京都......十八分浜松駅発列車で京都へ護送した一方この日早朝京都川端署特高係長飯田警部補は見付......早朝京都川端署特高係長飯田警部補は見付署の応援を求め磐田郡中泉町石原大本教昭和青年......道宣揚会は常に急進的な意見を持つ大本教内の行動前衛隊で昭和五年春兵庫県朝来郡竹田町......武館と称して顧問に荒木大将をはじめ軍部その他名士多数を祭りあげ浜松支部は植芝会長を......に護身術を教へ、一朝事あるときは暴動鎮圧の任に当ることをスローガンとしてゐたもので... | 7242 | ||
7243 | 幼ながたり | まえがき | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 39 件/ノ=39 | ... 幼い頃の思い出、 そこには、垂乳根......の母がおられます。 父が、幼いきょうだいが......おられます。 父が、幼いきょうだいが、瞼の中に生き生きと去来してきます。 それは、......来してきます。 それは、遠く過ぎ去ったものであろうと、誰にとっても懐しい大切なも......のであります。 私......の生まれました......のは、明治......の十六年、 後に大本教祖となった母の、末女... | 7243 | |
7244 | 幼ながたり | 幼ながたり | 1 父のこと | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 205 件/ノ=205 | ... 父のことや、母......のむかし......のことは、母......の口から直接に私が聞かされたも......のです。私は、母......のそばに一番多くおりましたから、私はいつも......たから、私はいつも、母に抱かれながら本当のことを話して聞かされました。 私......の母、大本教祖に関していろいろとまことしや... | 7244 |
7245 | 幼ながたり | 幼ながたり | 2 母の生いたち | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 207 件/ノ=207 | ...母が、石臼をまわされて、粉をひかれましたのは、私......の生まれます前から始められていた......のであります。 あるときは、おりょうさんを......入れて粉ひきをされましたそうで、私は、母のまわされる石臼......のたえまなく動く音をどんなに心地よく聞いて......よく聞いていたことでしょう。不思議にもその時......の記憶がかすかに虹......のように美しく残っています。 母はこの世を... | 7245 |
7246 | 幼ながたり | 幼ながたり | 3 因果応報ばなし | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 175 件/ノ=175 | ... 明治はじめのころ......の、冬......の暮し......の楽しさば炉ばたで火を焚くことでありました......などをくべると、ばちばちと音をたてて、眼のあたりを淡紫に染めて部屋にこもり、少し渋......たりを淡紫に染めて部屋にこもり、少し渋味のある、ほろ甘い空気......の好ましい味わいは、檜葉をたいた時が一番で......、檜葉をたいた時が一番でしょう。 私はこの冬、要荘にいましても炭火はほんの手あぶり... | 7246 |
7247 | 幼ながたり | 幼ながたり | 4 石臼と粉引きの意味 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 267 件/ノ=267 | ...っと過ぎこしかたを振り返ってみますと、人の一生というも......のは本当に夢......のようであります。幼ないころ......のことが一度に浮かんできまして、あれも書い......も書き残しておきたいと思って、ときには筆のはこびが後先を違えて走っていることを、書......えて走っていることを、書いたあとで気づくのです。 私......の父は一生......の間に三百軒の棟上げをやったと言いますが、... | 7247 |
7248 | 幼ながたり | 幼ながたり | 5 父の死 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 36 件/ノ=36 | ...手伝えるようにしていました。 明治二十年の正月がすぎてあるとき、父は「もう一ペん、......がすぎてあるとき、父は「もう一ペん、一杯の酒を心ゆくまで飲んでみたいなア」と、しみ......ましたが、本当は酒を買われるどころか、その日は一文もありませんでした。母はいつでも......ずっと無理をされていましたが、とうとうその日は大切な商売道具......の秤を売り払う決心をされました。しかし質屋......心をされました。しかし質屋では、そんなものは質種にならぬと断わられ、屑屋仲間......の一人から、二銭を貸してもらわれ、酒を求め......酒を求められることができました。 父は母のまごころのこもったお酒を飲みほしますと「... | 7248 |
7249 | 幼ながたり | 幼ながたり | 6 わたしのこと | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 206 件/ノ=206 | ... わたしの思い出にあります。そ......の頃......の家は長い貧乏でひどくいたんでおりました。......屋根には大きな穴があいておりました。 雨の降る日には雨が流れるように洩れました。雨......降る日には雨が流れるように洩れました。雨の降るたびに家......の中......の土間がだんだん掘れて、いつかそこに小池が......そこに小池ができるようになりました。 あの凡帳面な母にとりまして、それはどれだけ気... | 7249 |
7250 | 幼ながたり | 幼ながたり | 7 奉公 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 88 件/ノ=88 | ... 私は七才の時に福知山へ奉公に行くことになりました。......りました。福知山へは綾部から三里半もあるので、母さんは私を福知山までつれて行けば一......、母さんは私を福知山までつれて行けば一日の仕事を休まねばならぬ......ので、私......の行先を手紙に代書してもらわれて、そ......の手紙を私......の手首にくくりつけて下さいました。 「これ......。 「これを持ってな、おすみや、八幡さまの馬場を通ってずっと行くと、福知へ着くから... | 7250 |
7251 | 幼ながたり | 幼ながたり | 8 幼なき姉妹 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 170 件/ノ=170 | ...風がこく身にしみるころ、色こまやかな綾部の里に、私はふたたび帰ってきました。 そ......のころ綾部には、まだ郡是製糸もなく、他に女......ころ綾部には、まだ郡是製糸もなく、他に女の仕事がなかった......ので、母は遠くまでも仕事に出かけられました......柿を食べていても、私はグワッグワッと自分の持っている柿を急いで食べてしまう......のに、おりょう姉さんは静かにチビチビ食べて......ビ食べているといった調子でした。私は自分の分を食べてしまうと「おりょうさんお前......の柿くれい」とねだりました。姉は「いやでよ... | 7251 |
7252 | 幼ながたり | 幼ながたり | 9 母は栗柄へ | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 65 件/ノ=65 | ... そのうちにおりょうさんは子守り奉公にゆき、私......おりょうさんは子守り奉公にゆき、私は西町の大槻鹿造さん......のところにあずけられました。そうして母は栗......れました。 西町にあずけられた私は、自分の生まれた新宮......の家が恋しくて、家を見にかえりました。母さ......には鍵がかかっていました。それでも私は家の囲りをぐるぐる廻って楽しみました。家......のぐるりには母さん......の植えてゆかれたナンバ(唐黍)が背高く伸び... | 7252 |
7253 | 幼ながたり | 幼ながたり | 10 母の背 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 46 件/ノ=46 | ... 母は栗柄の糸ひきがすむと、綾部に帰ってきてください......うして屑買いをつづけられました。 私はそのころ上町......のひょうじさんという茶......の製造をしているところにいって働きました。......撰りをさしてもらって、いくらもらっていたのかは忘れましたが、日当をもらってかえりま......を背におんぶして歩いて下さいました。近所の人に、「昼は茶撰りにやらします......ので、夜にこうして負うてやりますんじゃ」と......てやりますんじゃ」と言われていました。そのころは母さんと私の二人暮らしでしたし、私... | 7253 |
7254 | 幼ながたり | 幼ながたり | 11 屑紙集めと紙漉きのこと | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 124 件/ノ=124 | ...買いをされましたと言うことも、これはただの暮し向き......のためという......のでなく、神界からさせられていなさった......ので、こういうわけが分からなければ、本当に......、こういうわけが分からなければ、本当にものははっきりとせん......のであります。 教祖さま......の実家が桐村家という......のは、もと園部の桐の庄に住んでおられました... | 7254 |
7255 | 幼ながたり | 幼ながたり | 12 清吉兄さん | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 111 件/ノ=111 | ... 元来私の八人......の兄姉......のうち、清吉兄さんとひさ子姉さんと私......の三人は新宮......の政五郎さん......の暴れん坊といわれて有名なも......のでした。ほか......の兄姉は皆おとなしかったが、この人のうちで... | 7255 |
7256 | 幼ながたり | 幼ながたり | 13 蘿竜の話 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 105 件/ノ=105 | ... 先生は蒙古で清吉兄さんの娘であるという蘿竜という人に会われたとい......であるという蘿竜という人に会われたというのです。 お筆先では、清吉兄さんは死んでい......んは死んでいないと言うことになってましたので、これは死んでしまってもう居ないという......りましたが、私は清吉兄さんはお筆先で、日の出......のご守護となっていましたから、なにか深いご......護となっていましたから、なにか深いご守護のもとに、お仕組......のことで支那に渡られたように思えてならなか......で支那に渡られたように思えてならなかったので、私は先生からラリョウの話を聞いたとき... | 7256 |
7257 | 幼ながたり | 幼ながたり | 14 およね姉さん | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 169 件/ノ=169 | ... およね姉さんは教祖さまの長女として生まれました。生まれてから死ぬ......生まれました。生まれてから死ぬるまで、この姉も一生涯ひどい行がつづきました。 およ......い行がつづきました。 およね姉さんは七つのころから餅まぜをしていたそうです。これは......ぜをしていたそうです。これは貧しかった私の家では手伝い......のため餅まぜをして働いた......のです。私......の七つ......のときには、もう餅饅頭作りはやめていました... | 7257 |
7258 | 幼ながたり | 幼ながたり | 15 ひさ子姉さん | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 107 件/ノ=107 | ... およね姉さんの神がかりより一年早い明治二十三年に、八木......ひさ子姉さんが神がかりになっています。この姉は教祖さま......の三女で、これまでにも書いていますように、......までにも書いていますように、小さい時は岡の父......の実家に奉公にやられ、父が病気になって床に......られた後、私とおりょうさんではたよりないので、家に呼び戻され父......の看病をしました。少女......のころから教祖さまの手助けをして、難じゅう... | 7258 |
7259 | 幼ながたり | 幼ながたり | 16 不思議な道づれ | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 133 件/ノ=133 | ... 八木の虎之助さんから──ひさが大病になりたゆえ......、すぐにお越し下され──という手紙が綾部の教祖さま......のところへ参りた......のは、明治二十三年七月十八日でありました......ので、明けて十九日、暁立ちで教祖さまは八木......だけで詳しいことは分からず、教祖さまは人の子......の母として産着も届けてやれなかったこと、産......として産着も届けてやれなかったこと、産後の病いの恐いことを想われながら、心を痛めつ... | 7259 |
7260 | 幼ながたり | 幼ながたり | 17 仕組まれている | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 30 件/ノ=30 | ... 私の兄姉は、それぞれ神様......の大もうなお仕組をさせられております。人間......ます。人間心でみますと、悪性なことも多いのですが、こ......の大本は霊界を根本から立替え立直しするとこ......立替え立直しするところでありますから、この世、あ......の世......のありとあらゆる一切......の、本の型がこの大本の神業に仕組まれて、さ... | 7260 |
7261 | 幼ながたり | 幼ながたり | 18 おこと姉さんの幼時 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 250 件/ノ=250 | ... 私の姉......のおこと姉さんも悪役に仕組まれた一人です。......んも悪役に仕組まれた一人です。 教祖さまの次女として文久二年......の六月八日に生まれ、幼名はおみとと言いまし......れ、幼名はおみとと言いましたが、これは父の若いころ......の恋人へ......の温い心から付けられたという......のですが、この姉は六ツの時に畑の中の肥つぼ... | 7261 |
7262 | 幼ながたり | 幼ながたり | 19 王子のくらし | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 237 件/ノ=237 | ...王子というところは、今は亀岡から京都行きのバスが通る......ので、あ......のトンネル......のある老......の坂を越えられた方もあるでしょう。 老......の坂は、ずっと昔は大江......の坂と言ったそうで、酒呑童子......の住んでいた丹波の大江山はここのことであり... | 7262 |
7263 | 幼ながたり | 幼ながたり | 20 ご開祖の帰神 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 105 件/ノ=105 | ... ご開祖の帰神は、明治二十五年旧正月......の十日ということになっております。しかし私......ことになっております。しかし私には、教祖のご帰神......の月日についてハッキリした記憶はありません......リした記憶はありません。 何しろ私は、そのころ、三日一年......の九つでありますから、人......のこころ......の中におこったことが分かったり、こまかいこ... | 7263 |
7264 | 幼ながたり | 幼ながたり | 21 霊夢 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 200 件/ノ=200 | ... 明治二十五年、正月、そのころは旧であります。元旦......の夜......のこと。 近所......の賑わいもしずまったことでありますから、だ......でありますから、だいぶんと夜も更けていたのでしょう。 教祖は茅屋......の壁ぎわに端坐して、西町......の姉......のこと、八木の姉のこと、長男の竹蔵さんのこ... | 7264 |
7265 | 幼ながたり | 幼ながたり | 22 教祖と大槻鹿造 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 40 件/ノ=40 | ... ご開祖の一代に常に教祖を攻めた男が居ります。初め......くでさらっていった大槻鹿造であります。この男は侠客......のような男で、弁舌は達者で今でいう弁護士......のような話術......の達者なも......のでした。 教祖は特別、こ......の西町がきらいで、ことに西町に集まる三人......の町の顔役は一番きらいでした。それは教祖は... | 7265 |
7266 | 幼ながたり | 幼ながたり | 23 牛飼い | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 445 件/ノ=445 | ... これは明治二十九年頃のことです。私はキサイチというところへ奉公......公にゆくこととなりました。キサイチというのは今......の何鹿郡作賀村......の私市です。明治......の中頃はこ......の村は非常によく働く所でした。山も耕地も少......ないところで、男衆は灘とか伏見へ、酒造りの蔵男になって働き、また宇治......の茶どころへ茶もみに雇われてゆき、村の百姓... | 7266 |
7267 | 幼ながたり | 幼ながたり | 24 ねぐら | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 62 件/ノ=62 | ...来ました。教祖さまにお蔭をいただいた人達の手で倉を手入れした、ささやかなお住まいが......住まいが出来ていました。 家がなくなったのは確か九ツ......の時でありますから、七年も......の間、私達母子が一緒に暮らすことはなかった......とはなかったわけです。私は教祖さまと、このままズッと一緒に暮らせたら、どんなに幸せ......、どれほど念じたかわかりません。しかし私の私市で......の患いもあっけなく癒り、再び奉公先に帰って......らい、また綾部に帰って来ました。そしてこの時は西町の鹿造のところで治療しました。病... | 7267 |
7268 | 幼ながたり | 幼ながたり | 25 不思議な人 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 72 件/ノ=72 | ... 明治三十二年の梅雨もそろそろあけかける頃......のことでありました。私は大原......のお茶より......の仕事がすんで、裏町......の教祖さま......のもとに帰ってきました。 そ......のおり私は、不思議な人を見ました。そ......の人は年齢は二十七、八ぐらい、男のくせに歯... | 7268 |
7269 | 幼ながたり | 思い出の記 | 思い出の記 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 7269 | |
7270 | 幼ながたり | 思い出の記 | 1 料亭づとめ | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 96 件/ノ=96 | ... 私市から帰って間もない頃、月見町の「花月」という料亭に手伝いに行ったことも......れが初め本町に小さな料理屋を開いていた頃のことであります。 ここ......の主人......の大槻......の熊さんと言う人......のこと、お内儀さん......のお松さんについては、先にちょっと書きまし......先にちょっと書きましたが、お松さんは、私の子供のころ、隣にあった研屋の娘さんで、大... | 7270 |
7271 | 幼ながたり | 思い出の記 | 2 神火 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 107 件/ノ=107 | ... 明治三十二年の節分頃、平蔵さんは永らく御無沙汰していた......、平蔵さんは永らく御無沙汰していたというので、久し振りで鷹......ノ栖......の自宅を出て、そ......のころ裏町......の土蔵に住んでおられた教祖さまを訪ねて来ら......られた教祖さまを訪ねて来られました。 そのころ、教祖さま......の書かれる筆先には、しきりに先生のことが出... | 7271 |
7272 | 幼ながたり | 思い出の記 | 3 天眼通 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 76 件/ノ=76 | ... 先生が、四方平蔵さんに迎えられて、裏町の教祖さま......の許に来られた......のは、明治三十二年......の旧五月二十六日だということでありますが、......十六日だということでありますが、私は大原のお茶より......の手伝いから帰って、初めて先生が来ていられ......伝いから帰って、初めて先生が来ていられるのを知った......のでありまして、初夏の頃という記憶しかあり... | 7272 |
7273 | 幼ながたり | 思い出の記 | 4 直日のこと | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 250 件/ノ=250 | ... 教祖さまが弥仙山におこもり中、このたびは木......の花咲耶姫......の御霊......の宿られる女......の子が産まれると言伝がありまして、産まれた......子が産まれると言伝がありまして、産まれたのが“直日”でした。仰せ......の通り、まことに変わり者ができた......のであります。 直日をみごもったのは出雲参... | 7273 |
7274 | 幼ながたり | 思い出の記 | 5 夫婦らしい暮しの日 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 72 件/ノ=72 | ... 人の一生というも......のは、それぞれ、みんな苦労......の多いことですが、先生と私と......の一生も、苦労続きでありました。わたくした......した。わたくしたち夫婦は世間で言うところの、夫婦で芝居を観にいって楽しむという、そ......って楽しむという、そういう悦びを長い一生の間にも味わうことが出来ませんでした。 私......来ませんでした。 私が先生と結婚しましたのは明治三十三年で、私は十八、そ......のころはこの道の役員には物分かりの悪い人が... | 7274 |
7275 | 幼ながたり | 思い出の記 | 6 尉と姥 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 282 件/ノ=282 | ... 私もこのごろは、すっかりとタバコを止めまして、タ......は、すっかりとタバコを止めまして、タバコの代わりにお水を頂いとりますんじゃ。これは......おかげがありまして、まことにけっこうなものです。だいたい私はいぜんからお水が好きで......らお水が好きでして、冬でも夏でも汲みたてのお水を、どんぶり鉢にまけん大きなコップで......きなコップでしじゅうに頂いております。この大本は、月日と土......の恩を実地に教えるところであります。人は月......恩を実地に教えるところであります。人は月の神様......のご恩でありますお水を頂いておれば、よいお... | 7275 |
7276 | 幼ながたり | 獄中記 | 監房へ | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 23 件/ノ=23 | ... 私の獄中生活は、昭和十一年五月三日から、昭和......年五月三日から、昭和十七年八月十三日までのことでありますが、京都......の五条署......の留置場から裁判所(京都地方)......の未決監房に護送されるところから書き出して......監房に護送されるところから書き出して、私の獄中でもっとも感銘......の深かった友達......のことを述べてみたいと思います。 昔から無... | 7276 |
7277 | 幼ながたり | 獄中記 | 一ぱいの水 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 71 件/ノ=71 | ... 京都の五条署に留置されていた私......の記憶は、百日ばかりでありますが、約百日目......日ばかりでありますが、約百日目、大本事件の記録では、八月......の七日......のことです。 小川警部がとつぜん私に「こち......た。ここで大本事件についてよく知らない人のために言うておきますが、私達は日本人とし......としては最も重い罪人として取扱われていたのであります。もちろん私はすべて身におぼえ......であります。もちろん私はすべて身におぼえのないことで、なんで自分がこんな目に遭うて... | 7277 |
7278 | 幼ながたり | 獄中記 | 青い囚人服 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 37 件/ノ=37 | ... 京都地方裁判所の未決監房は、竹屋町通柳馬場にいまもある赤......監房は、竹屋町通柳馬場にいまもある赤煉瓦の高い塀......のあるところがそれであります。そこ......の××号室に入ることになりましたが、どうも......死刑になるような様子はありません。 警察の留置場におる間は、人......の顔も見られるし、それがいろいろ......の意味で心......の慰めにもなりましたが、未決に入ってしまう... | 7278 |
7279 | 幼ながたり | 獄中記 | 一本の桐の木と蝉 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 77 件/ノ=77 | ... こうして明け暮れを達磨のように面壁して、念うこともなく未決監房に......く未決監房に馴れ染めようとした何日目、私の瞳に、一本......の桐......の木がうつり初めました。 それは、かつて丹......がうつり初めました。 それは、かつて丹波の山野に眺めたような、すくすくと伸びた樹......の姿ではありませんが、監房......のかたい庭......の一隅に、年々秋には枝をきられながらいたい... | 7279 |
7280 | 幼ながたり | 獄中記 | 風の中の雀 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 130 件/ノ=130 | ... そのころ、私......の心を慰めてくれ、楽しませてくれた友達......の、桐......の木や蝉......のほかに、もう一つ、より身近な隣人に雀がお......人に雀がおります。わたしが雀を初めてみたのは、桐......の木などより後になっております、それまで私......雀を見る機会がありませんでした。食べるものもない監房に雀が訪ねてくるとは不思議なこ... | 7280 |
7281 | 幼ながたり | 獄中記 | ぼっかぶりの夫婦 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 156 件/ノ=156 | ... 未決では洗面も排便も監房の中ですますことになっています。 狭い監房......中ですますことになっています。 狭い監房の部屋......のすみに水道......のセンをひねって水を出し、暗い光......の中で朝......の顔を洗う......のです。 それは、しばらく経ってから......のある朝、顔を洗うところに、黒いものがチョ... | 7281 |
7282 | 幼ながたり | 獄中記 | オツルさん | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 87 件/ノ=87 | ...が、一人は優しい人が居りました。優しい女の人で初めから私に好意をよせてくれ、「わし......て仕様がありません。こういう気持ちを担当の私が、今あなたに抱いてはいけないことです......が、私はおさえようとしてもおさえ切れないのです。私はあなた......のそばに来ると、何かあなたにしてさし上げた......う心がこみ上げてきます。しかしこれは担当の私には許されていないことです。それでも私......に何かしらぬ懐かしい慕わしい気持ちがわくので、止めることが出来ず苦しみます」という......こんな長い言葉が伝えられる迄には、かなりの日数がかかっている......のであります。それは、もう一人の担当の人の... | 7282 |
7283 | 幼ながたり | 獄中記 | 孫の絵便り | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 146 件/ノ=146 | ... 京都の未決に四年いて今度は大阪に移されることに......年いて今度は大阪に移されることになった時のことです。四年と一口で言えば短いようです......て行かれました。お互いに話したくても警護の役人......の監視がきびしくてそれもならず、時々先生......の方を案じて見る......のが関......の山でした。京都ではよかったが大阪はつらい......られゆられ思っておりました。大阪に着いたのは確か冬の日の出頃でありました。 大阪の... | 7283 |
7284 | 幼ながたり | 獄中記 | 獄中の歌 | 出口澄子 | 1955刊 | DB・ RMN |
全 67 件/ノ=67 | ... ひとやのすまひ うき世 はなれし ひとや......の すまひ ねるも おきるも あゆむも た......ろは ひろく けふも いちにち 良寛さまの ほんを読んだり お話したり かわい雀を......りや いけた菖蒲が いとしほらしく けふの ひとひ......の よき友よ 明日は娘がくると......の便り あれも いひたい これ きゝたいと......くくりや 二つ三つ四つ五つ六つ むつかしのよに うきよ はなれし ひとや......の すまひ ねるも おきるも あゆむも た... | 7284 |
7285 | 開祖伝 | はしがき | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 39 件/ノ=39 | ... 本書は開祖・出口直子刀自の人なりと、そ......の御生涯......の事跡......のあらましを略述したも......のである。略述ではあるが、史実......の正確を期するためには出来る限り......の検討をなし、かつ事実を事実として率直に伝......ることに意が注がれてある。従って従来諸種の刊行物に掲載されたものの中からも、誤りは... | 7285 | |
7286 | 開祖伝 | (歌) | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 8 件/ノ=8 | ... 開祖様のお歌ひぐらし......のなく声きけば月......のよに なるはさびしき日......の出を待つぞよともしび......の消ゆる世......の中今なるぞ さしぞえいたすたねぞ恋しき...... 出口王仁三郎三千世界一度に開く梅の花と 宣らせたまいし開祖かしこし何もか......せたまいし開祖かしこし小夜ふけて世を丸山の頂きに 覚めよと来鳴く山郭公... | 7286 | |
7287 | 開祖伝 | 1 誕生 | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 49 件/ノ=49 | ... 天保七年・八年という年は大飢饉の年であって、連日......の土砂降り雨で作物はことごとく水浸しとなり......いう悲惨な状態で、およそ食べられそうなものはみな食い尽くされて、しまいには畳......の表までも煮て喰ったほどです。金銭を持って......す。金銭を持っていても買うべき食物がないので、みすみす小判をくわえたり、千両箱を枕......わえたり、千両箱を枕にしたまま餓死するものがあったということです。 こ......の大飢饉は日本全国にわたったも......ので、ために諸方の農民が蜂起し、大阪では、... | 7287 | |
7288 | 開祖伝 | 2 幼女の頃 | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 32 件/ノ=32 | ... 桐村家のひっそく......の最中、殊に稀有......の飢饉年に危うく堕胎を免れて生まれられた開......饉年に危うく堕胎を免れて生まれられた開祖の前途には、悲惨なる運命と申しますか、大い......は、悲惨なる運命と申しますか、大いなる神の試練と申しますか、幾多......の艱難苦労が黒い手を広げて待っていました。......い手を広げて待っていました。 元来開祖様の父・桐村五郎三郎さんは一徹短慮......の気質で、酒をたしなまれると妻子に対しても... | 7288 | |
7289 | 開祖伝 | 3 子守奉公 | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 36 件/ノ=36 | ... これがため間もなく開祖様は、同じ福知山の米久呉服店へ子守奉公をされることになりま......なりました。 物堅い御気質で、乱雑なことのお嫌いな開祖様......の慎み深い身だしなみと、骨身を惜しまず陰日......まず陰日向なく働かれる行いはスッカリ主人の気に入り、奉公人一同......の褒められ者になられました。 開祖様......の主人に対する御奉公振りが模範的であった......のみならず、御生母おソヨさんに対してはまこ......てはまことに至れり尽せりで、毎年半期々々の仕着せの着物のごときは、一枚も御自分の手... | 7289 | |
7290 | 開祖伝 | 4 出口家へ入籍 | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 25 件/ノ=25 | ...て生家へお帰りになりました頃、福知山近在の筈巻......の儀右衛門さんという人から、ぜひお嫁に来て......という人から、ぜひお嫁に来てもらいたいとの懇望があり、開祖様もお気が進んでいた......のですが、そこへ......ノッピキならぬも一つ......の養子談が持ち上がりました。 綾部......の本宮村坪......ノ内というところに、出口政五郎さんという方... | 7290 | |
7291 | 開祖伝 | 5 夫・政五郎さん | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 13 件/ノ=13 | ... 婿養子の豊助さんは大工さんで、入婿と同時に出口家......豊助さんは大工さんで、入婿と同時に出口家の通り名である政五郎を襲名されました。当年......を襲名されました。当年二十九才、一貫五百の借銭と三人......の弟子大工をおみやげとして婿に来られた......のでした。 こ......の花婿......の政五郎さんは非常に気......の軽い面白い方で、お酒が大好き、一日に一升... | 7291 | |
7292 | 開祖伝 | 6 八人の子宝 | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 20 件/ノ=20 | ... このようにして資産はだんだん少なくなりました......して資産はだんだん少なくなりましたが、その代わり殖えたも......のは子宝です。結婚......の翌年には長女......の米子さんが生まれ、続いて三人......のお子さんが生まれましたがいずれも早死をさ......たがいずれも早死をされました。ついで次女の琴子さん、長男......の竹蔵さん、三女の久子さん、二男・清吉さん... | 7292 | |
7293 | 開祖伝 | 7 浮かれ節 | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 22 件/ノ=22 | ... 御結婚当時の出口家は相当な暮らしで、結婚早々新築まで......婚早々新築までされたくらいでしたが、前述のように政五郎さん......の極めて無頓着な性格......のために、家計は追々ひっそくいたしまして、......はそれはそれは一方ならぬ御苦心をなさったのです。借金はますます増えるし、ついには住......がて小さな飲食店を開業され、かたわら饅頭の内職をはじめられましたが、夜分には四女・......夜分には四女・竜子さんを背中に負い、末女の二代様をふところに入れて、四升......の米を石臼で粉に挽かれるのが毎日のお仕事で... | 7293 | |
7294 | 開祖伝 | 8 病床の夫 | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 31 件/ノ=31 | ... 明治十八年、開祖様五十才の時、夫・政五郎さんは中風症にかかられ身体......骨をしたたか打ちました。それがもとで慢性の酒毒も手伝って中風が益々ひどくなり、三年......人となられました。 悪いときには悪いことの重なるも......ので、長男......の竹蔵さんが当時興村......の吉蔵さんという大工......の所へ見習いに行って居ましたが、大工......の仕事が嫌になって自殺を計り大騒ぎとなりま... | 7294 | |
7295 | 開祖伝 | 9 紙屑買い | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 41 件/ノ=41 | ... 開祖様はこれまでのようなやり方では、到底一家......の糊口をし......のいでゆくことはむずかしい......ので、比較的資本が要らずに利益......の多い商売をお考えになった。それが紙屑買い......です。 紙屑ボロ買いという商売は、御承知の通り外へ出て働かねばならぬ商売ですから、......何でも買って参りますから」と云われて、夫の望まれる品はどんな無理をしてでもきっと買......げになりました。ですから、ついにはさすがの無頓着な政五郎さんも、開祖様の情けがしみ... | 7295 | |
7296 | 開祖伝 | 10 身だしなみ | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 53 件/ノ=53 | ... このように貧乏......のどん底にあって、仕事はボロ買いという汚い......には継ぎをあて、小ざっぱりと洗濯をして、のり......の落ちたようなも......のを着ることは、かつてなかった......のであります。「お直さんが糊つけを着ている......であります。「お直さんが糊つけを着ているのは、他......の人がおこそを着ているより立派に見える」と... | 7296 | |
7297 | 開祖伝 | 11 政五郎さんの帰幽 | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 24 件/ノ=24 | ... 明治二十年の正月元旦が過ぎて一ヶ月ばかり経った頃から......ぎて一ヶ月ばかり経った頃から、政五郎さんの病状があらたまり、手足に浮きがでてきまし......状があらたまり、手足に浮きがでてきましたので、今度はとてもお助かりになるまいと考え......れたが、私はもう助からぬかも知れんで、この世......の名残りにもう一杯酒を飲んで死にたい」と云......買ってまいりますが、死ぬなんてそんな縁起の悪いことを云わずしっかりして居て下さい。......門口までお出かけになりました。ところがこの日はあいにく開祖様......のお手もとには、びた一文のお金もなかったの... | 7297 | |
7298 | 開祖伝 | 12 重なる災厄 | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 20 件/ノ=20 | ... 政五郎さん帰幽後の開祖様......の家計はいよいよ窮乏......の極に達し、よそ......の見る目も哀れな状態でした。 長女......の米子さんは綾部西町......の大槻鹿造という者に誘拐されて、一時親子絶......状態になっておられましたが、明治二十四年の暮、神がかりというか、発狂......の状態となりました。長男の竹蔵さんの傷は幸... | 7298 | |
7299 | 開祖伝 | 13 霊夢 | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 44 件/ノ=44 | ... 明治二十五年旧正月元旦の夜、開祖様五十七才......の時、不思議な霊夢を見られた......のです。開祖様御自身......のお体が突然、神境へ入ったと思われますと、......麗というか、いまだかつて御覧になったことのない立派な宮殿楼閣が、幾層とも知れず開祖......い立派な宮殿楼閣が、幾層とも知れず開祖様の目前に建ちならんで、大小......の間取りが整然として連なって見えました。 ......こには容貌とうとく麗しく、八束に余るひげのある神様が端然と正坐しておられました。開... | 7299 | |
7300 | 開祖伝 | 14 帰神の発端 | 愛善苑宣教部・編 | 1948刊 | DB・ RMN |
全 120 件/ノ=120 | ... 明治二十五年旧正月の十日、まだお正月......の鏡餅......のある時であります。開祖様は西町......の大槻鹿造......のところへ、神がかりになっている長女・米子......ろへ、神がかりになっている長女・米子さんのお見舞いにお出でになりました。 そ......の留守番をして居られた当時十三才......の竜子さんと十一才の澄子さんとが、さびしい... | 7300 |