番号 | 文献名1 | 文献名2 | 文献名3 | 著者 | 発表年 | 詳細 | 本文内のヒット件数 | プレビュー(最大 8 件まで表示) | 番号 |
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6801 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第2章 >3 道統の継承 | 世継ぎ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 99 件/ノ=99 | ... 一九一〇(明治四三)年の旧四月一五日・同月一八日・旧八月七日・旧......日・旧八月七日・旧九月一〇日・同月二八日の各日にかかれた筆先は、一つ......の箱......のなかに秘められていた。これは側近に不仕し......た四方与平にわたされていたが、開祖は昇天の日まで、そ......の拝読を許さなかった。四方はそ......のあいだ鍵をかけて大切に保管していだが、開......いだ鍵をかけて大切に保管していだが、開祖の昇天によって、開祖の「つぎの教主にわたせ... | 6801 |
6802 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第2章 >3 道統の継承 | 信者への影響 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 125 件/ノ=125 | ... 開祖の昇天......の前日、梅田信之が京都へ帰ろうとしたとき、......が京都へ帰ろうとしたとき、教主から、開祖の容態が気づかわれる......ので延期してほしいととめられたが、梅田は、......められたが、梅田は、開祖を生伸と信じ、世の立替えをせられるお役であるから、立替えが......役であるから、立替えがおわるまでは、万一のことは絶対にないと、そ......の引きとめを振りきって帰ってしまった。翌日......とめを振りきって帰ってしまった。翌日開祖の昇天を聞かされたが、最初は笑って信じなか... | 6802 |
6803 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 | 第三章 宣教の活性化 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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6804 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 | 予言の強調 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 291 件/ノ=291 | ... 大本の全国的宣教活動が、強力に展開されだした......のは、一九一八(大正七)年からである。それ......八(大正七)年からである。それは、「時節の切迫」という予言に裏づけされたはげしい宣......裏づけされたはげしい宣教活動であった。その口火は、月刊「綾部新聞」......の大正七年八月号によってきられた。そ......の号には、当時「神霊界」......の編集を担当していた友清天行(九吾)が、「......友清天行(九吾)が、「一葉落ちて知る天下の秋」と題する論説を発表した。それは全頁に... | 6804 |
6805 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 | 情勢の深刻化 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 86 件/ノ=86 | ... 第一次世界大戦の勃発は、政治的・経済的にゆきづまっていた......は、政治的・経済的にゆきづまっていた当時の日本にとって、天佑とうけとられもした。た......それにひきつづく山東出兵や対支二十一カ条の要求など......の一連......の過程は、日本......の対外的発展としていちおう成功であるかにみ......がうずめ、対外輸出も一九一五(大正四)年の下半期からにわかに躍進した。産業別による......一四(大正三)年から一九一九(大正八)年の間に、三倍以上に増大したほどである。とく... | 6805 |
6806 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >1 予言と宣伝 | 地方宣教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 449 件/ノ=449 | ... 宣教の方法は、座談会や各地における公開講演など......頭演説によってなされ、はげしい口調で大本の主張が強く大衆に訴えられた......のである。東北・北陸・関東・東海・近畿・山......・近畿・山陽・山陰・四国・九州などと、その範囲も全国的ひろがりをみせる。そして、二......三人が一組となり、宣伝班を組織して、地方の信者と連絡をとりながら、都市といわず農村......、活発な宣教活動をくりひろげた。 それらの宣伝班が宣教したところ......の宣教内容という......のは、前記に要約したところの内容を、各自が... | 6806 |
6807 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 | 2 教勢の発展 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6807 | |
6808 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 | 修業者の激増 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 178 件/ノ=178 | ... 大本の宣伝が各地に普及するにしたがって、大本を......て、大本を研究しようとする人々や、修業者の数もふえ、それら......の人々が綾部へ綾部へと参集してきた。 大正......部へと参集してきた。 大正八年七月一日号の神霊界は「金竜殿雑記」......の欄で修業者について「新聞......の悪口......の如きは何処を吹くかという有様、毎日五、六......様、毎日五、六十より七、八十を算し、昨年の今時分よりは常に三、四倍の多きを示してい... | 6808 |
6809 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 | 本部の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 198 件/ノ=198 | ... 修業者の急増とともに、地方から綾部へ移住するも......のもますますふえてきた。そ......のために大正八年から大正九年にかけては、綾......ら大正九年にかけては、綾部にあっては信者の住宅に困るようになった。したがって、思惑......うになった。したがって、思惑的な土地住宅の斡旋業者が暗躍するようになった......ので、本部......の庶務局は「公告」をだし、「近来信者にして......るるも有之やに聞き及び候処、かくては競争の結果御神慮にも背き、又射利を目的とする人... | 6809 |
6810 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 | 綾部神苑の拡張と整備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 115 件/ノ=115 | ... 宣教が活発化するにつれて、神苑の拡張整備も一段とすすんだ。一九一九(大正......だ。一九一九(大正八)年に入ると、二階建の建物がつくられて、修斎会本部がおかれ、出......つくられて、修斎会本部がおかれ、出版印刷の工場が増築されて、九月六日には教主殿が竣......よりなる。こうして設備態勢もいちおうととのった。 一九一九年中に買収された土地は総......た土地は総計二万三四〇坪あまりであり、そのうち......の一万八二一二坪は二月二五日に入手された本......月二五日に入手された本宮山である。本宮山のいわれについては、王仁三郎によって、「丹......いては、王仁三郎によって、「丹波は昔丹波の泥海といって全部が湖水であり、綾部も亀岡... | 6810 |
6811 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 | 亀岡大道場 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 136 件/ノ=136 | ... 一九一九(大正八)年の一一月一八日、大本は亀岡町大字荒塚小字内......亀岡町大字荒塚小字内丸(現亀岡市内丸町)の亀岡城址......の一万三五〇〇坪......の土地に関する買収契約をなし、一二月六日に...... 亀岡はもと亀山といっていたが、廃藩置県のとき、亀岡と改称されている。 太古は亀岡......はおおきな湖水となっていたようで、亀山城のあたりはそ......の丘陵地であった。口碑......のつたえるところでは、大国主命が保津川を掘... | 6811 |
6812 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >2 教勢の発展 | 祭事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 143 件/ノ=143 | ... 大本に入信したものは、まづ「神体」......の授与を願い、各自......の家にそれを奉斎した。また「肌守」をうけて......夜肌身から放さないようにした。さらに祖霊の祭祀を大本式にあらため、祖先......の崇敬につとめた。そしてそ......のうえに各自......の守護神を奉斎した......のである。守護神の奉斎理由は「神霊界」誌に... | 6812 |
6813 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >3 積極的宣教 | 台湾の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 133 件/ノ=133 | ... 宣教の積極化は、台湾における教線......の拡大にもうかがわれる。台湾......の開発は、日清戦争後日本......の資本によって意欲的に進められ、内地と......の交流も頻繁であったが、大本......の信者は、台北・台南・嘉義などにわずかに点......かに点在していたにすぎなかった。だが台湾の名士であった高木鉄男・岩田久太郎ら......の入信を期として、一九一九(大正八)年の末... | 6813 |
6814 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >3 積極的宣教 | 内地宣教の展開 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 217 件/ノ=217 | ...は名古屋に到着、同夜名古屋を出発して東上の途についた。四日には鎌倉に着き、鎌倉御殿......は鎌倉に着き、鎌倉御殿とよばれる枝吉熊彦の別邸に入った。翌五日にはこ......の御殿を「瑞祥閣」と名づけることになり、そ......御殿を「瑞祥閣」と名づけることになり、その周辺......の圏内を「瑞竜園」と命名することになった。......と命名することになった。六日には高橋是清の子息である新八男爵夫妻に面会し、七日には......幡宮に参拝して、九日に東京へ出向した。このときは中村純也が随行している。ただちに銀......きは中村純也が随行している。ただちに銀座の枝吉の本邸、千駄ケ谷の山田春三邸を訪問一... | 6814 |
6815 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >4 文書宣教 | 教説の刊行と「大本時報」 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 132 件/ノ=132 | ... 当時の教団......の文書宣教についてみると、雑誌や新聞など......の定期刊行物以外にも、数おおく......の書籍が出版されている。手もとに印刷施設を......る。手もとに印刷施設をもっていたことがそのことを可能にし、少年奉仕者たち......の献身的な奉仕意欲でそれらはささえられてい......大正七)年から一九二〇(大正九)年末までの刊行物は約三種に......のぼっている。そのおもなものをあげるとつぎ... | 6815 |
6816 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >4 文書宣教 | 教内の論争 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 231 件/ノ=231 | ... 一九一九~二〇(大正八~九)年の間に教勢はいちじるしく拡大していったが、......に教勢はいちじるしく拡大していったが、その反面、教内にもさまざまな対立がおこってき......まざまな対立がおこってきた。それは分派へのきざしでもあった。そしてまた第一次大本事......そしてまた第一次大本事件を誘発するひとつの内因ともなっている。それら......の帰結は、結果的に教学......の整備をうながすことにもなり、第一次大本事......もなり、第一次大本事件をさかいとして、その動きが表面化し、逆に整理されていくことに......化し、逆に整理されていくことにもなったものである。そうした経過を明確にするためにも... | 6816 |
6817 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >4 文書宣教 | 社会の反応 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 267 件/ノ=267 | ... 宣教の活発化とともに、当局は大本にたいする警戒......くわえるようになっていった。こうした当局の動向にもっとも大きな影響をおよぼしたと伝......とも大きな影響をおよぼしたと伝えられるものに、一九二〇(大正九)年......の八月に刊行された中村古峡著『大本教......の解剖』がある。中村は東京警察学校......の教官で『変態心理......の研究』という著書があるように、かねがね心......あるように、かねがね心理学とくに変態心理の研究をおこなっていた。したがってかれは、... | 6817 |
6818 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >5 大正日日新聞 | 日刊新聞の経営 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 158 件/ノ=158 | ... 大本の宣教が、社会におおきな波紋をよびおこし問......よびおこし問題化しているとき、さらに世人の注目をあつめて驚異......の目をみはらしめたも......のに、大本による大正日日新聞社......の買収ならびにそ......の経営があった。 大正日日新聞社は、米騒動......経営があった。 大正日日新聞社は、米騒動の翌年にあたる、一九一九(大正八)年一一月......日、大阪梅田に創立された新聞社である。その規模と内容は「大阪朝日新聞」・「大阪毎日... | 6818 |
6819 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >5 大正日日新聞 | 新聞の論調 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 200 件/ノ=200 | ...時事新聞として新聞を発行するということにのみある......のではなく、むしろ大本......の主張を天下に宣布するという......のが主たるねらいであった。したがってそ......のありかたは「大本時報」を拡大した観があっ......予言と警告とを時事問題とつきあわせて一般の人々に理解しやすく解説し、立替え立直し......の神意を宣伝して、社会......の革正をうながさんする主張が当初から内包さ... | 6819 |
6820 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >5 大正日日新聞 | 新聞と信者の立場 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 55 件/ノ=55 | ... 大本の講師によるはげしい講演内容と、一般読者を......内容と、一般読者をも予想してかかれる新聞の論評や主張と......の間には、お......のずからひらきがあった。ところが前者......の論調を支持するおおく......の信者にとっては、新聞......の論陣は手ぬるいも......のとうけとられた。立替え立直しが目前にせま... | 6820 |
6821 | 大本七十年史 上巻 | 第2編 >第3章 >5 大正日日新聞 | 抵抗と閉社 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 106 件/ノ=106 | ...郎社長が拘引されると、副社長高木鉄男以下の幹部はそ......の後綾部へ引きあげてきた。残留していた旧社......員も動揺して、退社しはじめ、地方から奉仕のために学校を中退したり、あるいは休校した......中退したり、あるいは休校したりして、新聞の発刊に協力していた少年隊(約四〇人)も帰......人)も帰郷しだした。しかし第一次大本事件の記事は、当局によって掲載禁止にされていた......記事は、当局によって掲載禁止にされていたので、新聞は従前通り発行されていた。地方......の信者は大本事件に関する真相がわからないた......が殺到し、またわざわざ本社をおとずれるものもおおくなった。立替えの時期いたる、その... | 6821 |
6822 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 | 第一章 第一次大本事件の背景と原因 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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6823 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >1 事件の背景 | 1 事件の背景 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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6824 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >1 事件の背景 | 事件のあらまし | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 101 件/ノ=101 | ... 大正初年における大本の信者数は干人にみたない綾部......の一地方教団にすぎなかった。しかし、第一次......にすぎなかった。しかし、第一次世界大戦後の変動期において、大本は異常なまで......の成長をとげた。一九一七(大正六)年......の一月に機関誌「神霊界」を発刊していらい、......・警告にもとづく強力な宣伝を展開した数年の間に、大本はめざましい躍進をとげ、そ......の発展ぶりには目をみはるも......のがあった。綾部の本宮山に神殿を造営し、亀... | 6824 |
6825 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >1 事件の背景 | 事件の背景 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 195 件/ノ=195 | ... 事件の真因を理解するためには、事件勃発にいたる......、事件勃発にいたる過程をたどるまえに、その前提として、事件......の背後によこたわっている、当時......の歴史的な状況をみておく必要がある。 大本......九一六~一七(大正五~六)年頃から、事件の発生した一九二一(大正一〇)年頃まで......の数年間は、いったいど......のような時期であった......のか。この期間は、日露戦争後の入超継続と外... | 6825 |
6826 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >1 事件の背景 | 民間諸宗教への政策 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 118 件/ノ=118 | ... つぎに政府の宗教政策、とりわけ民間諸宗教にたいする政......祖が逮捕されたり、祭壇が破壊されたりするのは、明治以来......の新興諸宗教......の歴史においては、なんら特殊なできごとでは......・金光・蓮門・丸山各教や、本門仏立講などの諸教団もまた、大本と同様に、淫祀邪教とし......圧された歴史をもっている。たとえば天理教の場合は、一八七三(明治六)年に「梓坐市子......(明治六)年に「梓坐市子竝憑祈祷狐下げ等ノ所業禁止」(教部省達第二号)にもとづいて......禁止」(教部省達第二号)にもとづいて最初の弾圧をうけ、つづいて一八七四(明治七)年... | 6826 |
6827 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >2 最初の警告 | 2 最初の警告 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6827 | |
6828 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >2 最初の警告 | 第一回調査 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 205 件/ノ=205 | ... 事件の勃発を予想させるようなさまざま......の兆候があらわれはじめる......のは、一九一九(大正八)年にはいってからで......てからであった。もちろん、それ以前に事件の前兆がなかったわけではない。たとえば......のちに大本にたいする攻撃......の立役者となった中村古峡......のいうところによると、早くも一九一八(大正......年には東京地方裁判所が、古峡に、「大本教の鎮魂帰神と催眠術との関係如何」という鑑定... | 6828 |
6829 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >2 最初の警告 | 第二回調査 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 108 件/ノ=108 | ... しかしながら、この第一回調査ではなお不充分な点があるとして......ではなお不充分な点があるとして、藤沼はその約三週間後......の三月一八日から二一日まで、四日間にわたっ......王仁三郎と浅野を京都府庁に召喚し、第二回の調査をおこなった。 大正八年三月一九日付......所は改める」という見出しで、藤沼警察部長の尋問をうけた後......の王仁三郎......の談話が、つぎ......のように掲載されている。十八日警察本部に召... | 6829 |
6830 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >2 最初の警告 | 最初の警告 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 93 件/ノ=93 | ... ところで、王仁三郎はこのように三週間......の後には、第一回調査......の回答を根本的に否定して、筆先......の解釈に誤りがあると答えた......のであるが、それはすでにこ......の当時から、筆先にたいする幹部ら......の独断的な解釈を是正したいと考えていたこと......を是正したいと考えていたことにもとづくものとおもわれる。しかし、いずれにしても、誤... | 6830 |
6831 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >2 最初の警告 | 言論界の攻撃 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 171 件/ノ=171 | ... このような警察......の圧迫に呼応するか......のように、こ......のころから、大本にたいする批判と攻撃がはげ......する批判と攻撃がはげしくなっていった。その点についてはすでにそ......の一部を......のべてきたが、それら......の批判と攻撃のほとんどは、大本は邪教である... | 6831 |
6832 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >3 検挙への動向 | 3 検挙への動向 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6832 | |
6833 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >3 検挙への動向 | 日米戦争の予言 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 141 件/ノ=141 | ...る大本をとりまく。情勢はきわめて深刻なものがあった。京都府警......の二回にわたる調査と警告、さらには各方面か......回にわたる調査と警告、さらには各方面からの集中的な批判などと、いわば四面楚歌にかこ......況にあった。だが大本は屈しなかった。前にのべたように、そ......のなかでなおかつ勢力的に教線を......のばし、同年......の末には台湾布教さえ開始していた。また最初......末には台湾布教さえ開始していた。また最初の警告によって、一時後退したかにみえた鎮魂... | 6833 |
6834 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >3 検挙への動向 | 第二の警告 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 246 件/ノ=246 | ... 一九二〇(大正九)年の五月ごろになると、大本にたいして再調査が......ると、大本にたいして再調査がおこなわれるのではないかという噂が流れはじめる。大本......の内外には緊迫した空気がただよい、京都府警......内外には緊迫した空気がただよい、京都府警のわずかな動きもそれと......の関連でうけとめられた。たとえば、京都府警......、京都府警務課長歌川警視が、警察事務視察のために丹波方面へ出張中に綾部......の大本を参観したが、それもなんらか......の内命をおびた行動ではないかと観測された。... | 6834 |
6835 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第1章 >3 検挙への動向 | 告発 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 264 件/ノ=264 | ... 第二の警告がおこなわれたそ......の日より数えて四日後......の一九二〇(大正九)年八月二一日に、加藤確......六月には、大本をおとずれたことがある。その動機は不明であるけれども、いまをときめい......まをときめいている大本教団内において相当の地位を占めたいために、入信をよそおった......のだといわれている。ところが思うようになら......いわれている。ところが思うようにならないので、教団......の悪口を吹聴するようになったらしい。その加... | 6835 |
6836 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 | 第二章 第一次大本事件の勃発と影響 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6836 | |
6837 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >1 検挙 | 第一回家宅捜査 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 142 件/ノ=142 | ...ねてきた藤沼京都府警察部長は、大正一〇年の一月、平沼検事総長から最終的な命令をうけ......から最終的な命令をうけると、ただちに検挙の準備にかかった。不敬罪ならびに新聞紙法違......備にかかった。不敬罪ならびに新聞紙法違反の容疑で検挙する方針がたてられ、主任検事が......主任検事が決定された。そして、二月一二日の早朝を期して、大本本部ほか数ヵ所を家宅捜......ら三幹部を検挙することがきめられた。検挙のため......の準備は、すべては極秘裡におこなわれた。こ......準備は、すべては極秘裡におこなわれた。この事件......のいわばもっとも強力な推進者であった藤沼に... | 6837 |
6838 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >1 検挙 | 検挙 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 50 件/ノ=50 | ... 本隊が本部を捜査している間に、同日の午前九時ごろ、石井判事代理・中田検事以下......前九時ごろ、石井判事代理・中田検事以下八の一隊が浅野和三郎......の自宅をおそった。当日浅野は、舞子方面へ講......、神前で礼拝している最中であった。ここでの捜査は厳重をきわめ、夜具、箪笥ほか火鉢......の灰......のなかや玩具箱までを点検し、神体・軸物(五......た。そして浅野は綾部署に連行された。 この日綾部では、浅野......のほかに湯川貫一・井上留五郎・石井弥四郎・... | 6838 |
6839 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >1 検挙 | 第二回家宅捜査 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 80 件/ノ=80 | ... このようにして大本首脳......の検挙はおわった......のであるが、こ......の第一回捜査は綾部......のほか、京都市内では梅田信之(常次郎)、亀......之助宅など一二ヵ所におよんだ。だが、当局の追求はそ......の後も続行された。事件が勃発してから一〇日......も続行された。事件が勃発してから一〇日後の二月二二日には大本本部は再度の家宅捜査を... | 6839 |
6840 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >1 検挙 | 検挙の目的 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 48 件/ノ=48 | ... この第一次大本事件において、当局は、戒厳令さ......局は、戒厳令さながらに武装警官二〇〇人もの人々によって、も......のも......のしい捜査をおこなったが、治安当局はなん......のために、これほど......の陣容で三幹部......の検挙をなすにいたったであろうか。警保局局......たであろうか。警保局局長川村竹治は、当局の検挙目的についてつぎのように語っている。... | 6840 |
6841 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 2 事件の影響 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6841 | |
6842 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 事件直後の大本 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 115 件/ノ=115 | ... おおがかりな家宅捜査と、王仁三郎ら幹部の検挙は、大本教団にとっては、やはり痛手で......なかった。それは、大正七年旧一二月二二日の神諭において、すでに大正八年......の節分が過ぎたら、変性女子を神が御用に連れ......が御用に連れ参るから、微躯ともせずに平常の通り、大本......の中......の御用を役員は勤めて居りて下されよ。今迄は......用を役員は勤めて居りて下されよ。今迄は誠の役員が揃はなんだから、女子......の御用を命す所へは行かなんだので、神界の経... | 6842 |
6843 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 予審決定 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 326 件/ノ=326 | ... 五月一日の午前九時、予審......の終結と同時に、大本事件......の記事掲載......の禁がとかれた。そこで全国......の各新聞は、四頁ないし二頁大......の号外を発行して、大本は表面皇室中心主義標......大本は表面皇室中心主義標傍しているが、その正体は、国家転覆......の意図をいだいた団体であり、内乱を準備し、... | 6843 |
6844 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 大本教改良の意見 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 135 件/ノ=135 | ...事件にたいする記事が解禁となり、予審決定の発表によって、大本教団が不敬不逞......の大陰謀団であると、各新聞が極端な捏造と悪......三郎が予審に差しだしたという「大本教改良の意見」を、五月一二日午後三時、非公式で発......五月一二日午後三時、非公式で発表した。その内容はつぎ......のとおりである。一、大本信条......の改正右は第五条、第六条、第七条、第八条、......除すべき必要ありと自覚致し候一、大本誓約の改正右は第三条......の「神を敬する如く人を敬し身を敬すべし」と... | 6844 |
6845 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 内訌と凋落 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 86 件/ノ=86 | ... 五月一四日、公判にそなえて弁護士選定のため......の役員会がひらかれた。すでに三月一一日、信......員会がひらかれた。すでに三月一一日、信者の弁護士である松岡帰豊を介して京都......の渡辺昭と契約が結ばれ、五月一〇日には森田......には森田茂が弁護士に決定されていたが、この役員会は、弁護陣をさらに強化するためにひ......弁護陣をさらに強化するためにひらかれたものであった。そ......の結果、二五日には、江木衷・足立進三郎・渡......五日には、江木衷・足立進三郎・渡辺・松岡の四名が公判弁護士に決定し、後に控訴訴から... | 6845 |
6846 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 信者の態度 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 156 件/ノ=156 | ...局はやつぎばやに「予審決定」「大本教改良の意見」等を発表して、各新聞にかきたてさせ......せ、大本壊滅へ攻撃態勢をとったが、信仰心のあつい大本......の幹部は冷静に事態......の推移をみまもっていた。 二代教主すみ子は......ていた。 二代教主すみ子は、「大阪毎日」の紙上につぎ......のような談話を発表しているが、そ......の当時......の状況の一斑を有力に物語っている。これも皆... | 6846 |
6847 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 記事解禁と批判 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 213 件/ノ=213 | ... 大本事件についての記事が解禁となって、各新聞が報道した記事......た記事は、前にもふれたようにほとんど友清のいう大本攻撃や、中村古峡......の『大本教......の解剖』、さらに加藤確治......の「大本教......の真相」などを面白くかきなおしたも......のであった。「戦燥すべき大陰謀を企てた大本......奇怪な正体を暴露した」とか、「命懸で地下の秘密室を探る、動かぬ黒い影は死人か? 咄... | 6847 |
6848 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 信者への迫害 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 105 件/ノ=105 | ... 新聞の誇大な事実無根......の報道を、真実と信じた一般社会は、信者にた......なかでももっとも苦しい立場においこまれたのは軍人......の信者であった。 当時全国に散在する軍人信......た。そこで憲兵隊では、はやくも第二回警告の直前(大正九年七月)に、全国......の軍人信者......の調査を開始し、一〇月にはそ......のリストの作製をおわっていたが、事件が発生... | 6848 |
6849 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >2 事件の影響 | 責付出獄 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 126 件/ノ=126 | ... 当局は記事解禁にともなう新聞の攻撃、「予審決定」・「大本教改良......の意見」......の発表などによって、大本教団は、社会より......の非難と、内部......の紛争によって自然に崩壊し、信者も離反して......よって自然に崩壊し、信者も離反してゆくものとみていた。しかし一部に脱落はあったが、......ていた。しかし一部に脱落はあったが、信者の動揺と離反はすくなく、教団はいぜんとして......んとして活動していた。これをみかねた事件の責任者でもあった藤沼は、すでに大阪府の警... | 6849 |
6850 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >3 公判 | 教団の改革 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 140 件/ノ=140 | ...った。 六月一九日、出獄後における第一回の役員会が招集された。今後......の宣伝方針については、極力治安当局を刺激し......ついては、自発的に改修するという六月五日の決定をかえ、あくまでも改修には反対する方......原白嶺らが陳情訴願することに決定した。その陳情訴願......の内容は、出口すみ子名儀で提出され、「……......は、出口すみ子名儀で提出され、「……右側の一端が官憲......の指示せらるる通りとするも、既に四年前に於......らるる通りとするも、既に四年前に於て制規の手続の下に建設致したるものに有之候、幸に... | 6850 |
6851 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >3 公判 | 第一審 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 150 件/ノ=150 | ... 九月にはいると各新聞は連日、王仁三郎の予審調書を連載しだした。公判を目前に、有......した。公判を目前に、有罪が確定的であるかのような雰囲気をお......のずとつくっていった......のである。 九月一六日第一回......の公判がおこなわれることになった。関係裁判......陪席判事であり、立会検事は事件発生いらいの主任であった中田および栗田検事であった。......あった中田および栗田検事であった。大本側の弁護人は、江木・足立・松岡・渡辺......の四名がなり、特別弁護人として、湯川・篠原... | 6851 |
6852 | 大本七十年史 上巻 | 第3編 >第2章 >3 公判 | 本宮山神殿破壊 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 284 件/ノ=284 | ... 有罪の判決は信者にとってはこ......のうえもない不満であった。一〇月一一日、す......天になり、高い鼻をますます高くしては、神の教はまるつぶれになってしまいます。苦労な......れになってしまいます。苦労なしで三千世界の立替えができる道理はありません。ここをこ......道理はありません。ここをこばりぬいて苦労のかたまり......の花が咲く......のです」といって信者を激励したが、信者をさ......に苦悩へとおいこむ事件がおこった。というのは、その一一日にいたって、王仁三郎と湯川... | 6852 |
6853 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 | 第一章 霊界物語の発表 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6853 | |
6854 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >1 霊界物語の口述 | 1 霊界物語の口述 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6854 | |
6855 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >1 霊界物語の口述 | 物語の発表 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 171 件/ノ=171 | ...本事件発生後におけるもっとも注目すべきものは、『霊界物語』......の口述とそ......の発表にあった。これは大本における「大本......の立替え立直し」を、教義的にあらたに具体化......立直し」を、教義的にあらたに具体化したものであったといってよい。 一九二一(大正一......たといってよい。 一九二一(大正一〇)年の一〇月八日(旧九月八日)、王仁三郎にたい......十一年旧二月に、神より開示しておいた霊界の消息を発表せよ」と......の神示があった(『物語』2巻総説)。さらに... | 6855 |
6856 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >1 霊界物語の口述 | 口述の由来 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 201 件/ノ=201 | ... 『霊界物語』の口述発表がなされた由来は、高熊山における......ある。すなわち『霊界物語』と高熊山修業との関係については、つぎ......のように......のべられている。本書は瑞月(王仁三郎)が、......旧二月九日より同月十五日に至る前後一週間の荒行を神界より命ぜられ、帰宅後亦一週間床......神界より命ぜられ、帰宅後亦一週間床しばりの修業を命ぜられ、そ......の間に瑞月......の霊魂は霊界に遊び、種々と幽界、神界の消息... | 6856 |
6857 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >2 霊界物語の内容 | 2 霊界物語の内容 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6857 | |
6858 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >2 霊界物語の内容 | あらすじ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 172 件/ノ=172 | ...〈国祖国常立尊の神政〉大宇宙......の大元霊神たる大国常立大神(天之御中主大神......元霊神たる大国常立大神(天之御中主大神)の無限絶対無始無終......の神力によって宇宙は創造され、そ......の分霊神たる国祖国常立尊は妻神豊雲野尊とと......る国祖国常立尊は妻神豊雲野尊とともに地球の世界を修理固成した。国祖は地......の高天原を神都とし、地球上一体として......の祭政一致の神政をひらいた。まず天地の律法... | 6858 |
6859 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >2 霊界物語の内容 | 神観と宇宙観 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 120 件/ノ=120 | ... 『霊界物語』のとくところによると、宇宙......の大元霊神は唯一絶対......の神であり、「主神」または「主......の神」ともとなえる。大元霊......のはたらきは火(霊)と水(体)とにわかれ、......たらきは火(霊)と水(体)とにわかれ、その本体を火水(神─霊)といい、水火......のはたらき(用)を水火(息─生命力......のあらわれ)という。イキによって言霊を生じ... | 6859 |
6860 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >2 霊界物語の内容 | 人生観 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 121 件/ノ=121 | ...人は神意を実行する機関としてつくられたものである。そ......の精霊はすべて神......の分霊であるから、「人は神......の子」であり、またそ......の肉体は神......のすがた......の映像でもあって、「神......の生き宮」である。だからして人は神意を体し... | 6860 |
6861 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >2 霊界物語の内容 | 神の経綸 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 300 件/ノ=300 | ... 神の経綸について......の『霊界物語』......の叙述は、有史以前にさか......のぼっており、筆先にある「言いおきにも書き......ある「言いおきにも書きおきにもない」神々の因縁に根ざすも......のである。そ......の大要は「あらすじ」......の項でのべたが、ここではとくにふれておかね... | 6861 |
6862 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >3 霊界物語発表の影響 | 3 霊界物語発表の影響 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6862 | |
6863 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >3 霊界物語発表の影響 | 発表の経過 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 122 件/ノ=122 | ... だが、『霊界物語』の発表は、なん......の抵抗もなしにおこなわれた......のではなかった。 『霊界物語』......の口述を筆録した原稿は、これをかならずみろ......かならずみろく殿において音読し、綾部在住の役員や信者にきかしたうえで印刷にまわされ......員や信者にきかしたうえで印刷にまわされたのであるが、そ......の発表直前に、とくに問題になったひとつは、......、とくに問題になったひとつは、第一巻総説のなかにみえるつぎの点である。神諭にも「斯... | 6863 |
6864 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第1章 >3 霊界物語発表の影響 | 発表の影響 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 80 件/ノ=80 | ... 『霊界物語』の発表に抵抗した一部......の幹部は、そ......の後つぎつぎに大本を去った。そ......のために、いよいよ王仁三郎......の意図は教団......の運営に強力に反映されることになった。これ......に強力に反映されることになった。これまでのいわゆる日本主義的思潮は、世界性に発展し......義的思潮は、世界性に発展して「人類愛善」の強調となり、あわせて「万教同根」の宗教観... | 6864 |
6865 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 | 第二章 教団の推移 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6865 | |
6866 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >1 一部の離反 | 1 一部の離反 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6866 | |
6867 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >1 一部の離反 | 社会への復帰 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 60 件/ノ=60 | ... 第一次大本事件のあたえた影響は、教団内部にもあらわれてく......団内部にもあらわれてくる。それは、知識層の信者......のなかから、大本を離脱するも......のがでてきたことにもうかがわれる。知識層......の信者にめだった信仰......の動揺が明瞭にあらわれてくる最初......の徴候は、一九二一(大正一〇年)七月二九日......徴候は、一九二一(大正一〇年)七月二九日の「大正日日新聞」に掲載された、浅野和三郎... | 6867 |
6868 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >1 一部の離反 | 浅野和三郎 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 176 件/ノ=176 | ... 浅野和三郎は、多言するまでもなく、この時期......の教団......の実力者......の一人として、宣教や教団運営に活躍していた......教や教団運営に活躍していた人である。浅野の入信は一九一六(大正五)年であるが、当時......(大正五)年であるが、当時から鎮魂帰神への異常な熱意を示し、彼なり......の立替え立直し観を保持していた。彼......の理想とする世界像は、天皇による世界の統一... | 6868 |
6869 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >1 一部の離反 | 谷口正治 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 165 件/ノ=165 | ... 谷口正治(雅春)は、現在の生長......の家......の主宰者である。谷口......の大本入信は一九一八(大正七)年......のことであり、翌年......の春に綾部に移住した。大本時代......の谷口は、きわめて特異な存在をとり、とくに......、きわめて特異な存在をとり、とくに「大本の聖フランシス」と自称して、薄衣に荒縄とい... | 6869 |
6870 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 | バハイ教徒の来綾 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 136 件/ノ=136 | ... 判決によって不敬の刻印をおされ、大本......の再出発は一頓挫したかにみえた。しかも、前......出発は一頓挫したかにみえた。しかも、前述のように知名......の人士が、つぎつぎに大本を離反してゆく。こ......ゆく。こうしたなかで、王仁三郎は不眠不休の熱意と努力とをもって、連日『霊界物語』......の口述をつづけた......のである。そ......の結果、王仁三郎によるあたらしい指導原理の... | 6870 |
6871 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 | エスペラントとローマ字の採用 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 155 件/ノ=155 | ... 一九二三(大正一二)年の五月二七日、こ......の日はまことに意義ある日となった。という......のは、王仁三郎から国際語エスペラントを学習......れたからである。エスペラントはポーランドの、ザメンホフ博士が、人類愛......の精神にねざして、一八八七年に大成したも......のである。それから三六年をへて、そ......の使用者は世界各国にゆきわたり、エスペラン......用者は世界各国にゆきわたり、エスペラントの図書はすでに五、六千種も発行されていると... | 6871 |
6872 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 | 道院・世界紅卍字会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 48 件/ノ=48 | ... 他方、あらたな展開をみせたものに、中国......の新宗教団体(信仰修養団体)といわれる道院......教団体(信仰修養団体)といわれる道院(その慈善事業......の活動団体を世界紅卍字会という)と......の提携がある。道院では「扶乩」による壇訓(......いて世界紅卍字会中華総会は、ただちに幹部の侯延爽ほか二人......の一行を東京に派遣して、白米二千石と銀二万......すべき教団がある」とあり、かねて南京駐在の日本領事林出賢次郎からの紹介もあったので... | 6872 |
6873 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第2章 >2 あらたな胎動 | 新機運の動向 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 290 件/ノ=290 | ...本事件後にあたらしい機運がみなぎってきたのは、さきにも......のべたように、『霊界物語』......の口述とそ......の発表によるところがきわめておおきかった。......めておおきかった。王仁三郎は『霊界物語』の口述に日夜精魂をうちこんだが、そ......の刊行は非常に急がれ、天声社......の全力をそ......の出版に集中せしめた。そのために、機関誌「... | 6873 |
6874 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 | 第三章 王仁三郎の入蒙 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6874 | |
6875 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >1 蒙古へ | 入蒙の決意 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 73 件/ノ=73 | ...口王仁三郎は、極秘裡に日本を脱出し、数人の部下とともに蒙古にむかった。 こ......の「入蒙」は張作霜......のもとにいた軍閥盧占魁将軍をひきい、洮南を......府・公爺府・索倫・札魯特旗・白音太拉などの各地をめぐった約四ヵ月間にわたる、当時と......た約四ヵ月間にわたる、当時としては破天荒の冒険であった。そして「パインタラ遭難」で......であった。そして「パインタラ遭難」で入蒙の終止符がうたれる。 それは第一次大本事件......終止符がうたれる。 それは第一次大本事件の勃発からかぞえてちょうど三年目にあたって......ていた。事件は控訴中であり、『霊界物語』の口述はその大半をおわっており、教団はふた... | 6875 |
6876 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >1 蒙古へ | 入蒙の目的 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 163 件/ノ=163 | ... 入蒙の目的は精神的・宗教的世界統一を第一とし、......・宗教的世界統一を第一とし、第二に、当時の世界......の思想的昏迷や国際的な不目入蒙......の的安動揺にたいして、世界平和......のために真献しようとする先駆者として......の意気ごみがもりこまれていた。そして、そ......の第一歩が「日支親善」として把握される。王......上・商工業上などからいっても「密着不離」の間柄にあり、したがって、「心の底より真の... | 6876 |
6877 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >2 満蒙をめぐる政治情勢 | 蒙古の政治情勢 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 38 件/ノ=38 | ...外蒙にわかれる。前者は現在中華人民共和国の自治区であり、後者はモンゴル人民共和国と......モンゴル人民共和国となっている。一八世紀の最後半以後、こ......の地は清朝が支配していた。 一九二四(大正...... 一九二四(大正一三)年、つまり王仁三郎の入蒙......の挙がなされたそ......の年に、モンゴル人民共和国が成立するまでは......すびついていた。 一九一一(明治四四)年の辛亥革命は、こうした蒙古にもかなり......の影響をあたえている。辛亥革命がおこると、... | 6877 |
6878 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >2 満蒙をめぐる政治情勢 | 盧占魁の経歴 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 40 件/ノ=40 | ... 盧占魁は、チャハル省豊鎮のうまれで、当時三九才であった。彼が活躍し......、当時三九才であった。彼が活躍しはじめたのはかなりはやく、古く辛亥革命......のとき、盟友バブチャップ(巴布札布)ととも......)とともに庫倫によって清朝をたすけ、再興の軍をおこした。バブチャップは蒙古人であり......た。バブチャップは蒙古人であり、日露戦争の際には「義軍」をおこして日本軍に協力した......に協力したといわれている。しかし清朝再興のくわだては破れ、盧は帰化城にひいたが、政......どかすと、盧はふたたびこれに参加した。この軍事行動も清朝......の再興をめざしたものである。そしてその裏に... | 6878 |
6879 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >2 満蒙をめぐる政治情勢 | 中国の政治情勢 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 93 件/ノ=93 | ...界大戦をさかいにして、それまで中国に最大の利権を獲得していたイギリスにくわえて、す......国大陸に進出しはじめた。そして英米日三国の利権をめぐるあらそいは、いちだんとはげし......いは、いちだんとはげしさをくわえ、諸列強の動向は、中国内部にただちに反映していった......を利して政権についた哀世凱が、皇帝になるのを援助し、「対支二十一ヵ条」条約を承認さ......、「対支二十一ヵ条」条約を承認させた。この......のち、各地に諸軍閥......の反哀戦争がおこり、そ......の結果哀世凱政権は崩壊し、つづいて軍閥割拠... | 6879 |
6880 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >2 満蒙をめぐる政治情勢 | 下工作 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 53 件/ノ=53 | ... このように複雑な様相を内包し、また政治的な緊......うに複雑な様相を内包し、また政治的な緊張の極にある満蒙に、王仁三郎がそ......の挙を進めてゆくためには、慎重な下準備が必......ためには、慎重な下準備が必要であった。この下工作......のために活躍した中心人物が矢野祐太郎である......太郎である。海軍大佐矢野はかなりまえからの大本信者であった。退職......の......のち大陸にわたって、上海で商館をひらいてい... | 6880 |
6881 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | 3 王仁三郎一行の足どり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6881 | |
6882 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | 奉天での準備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 95 件/ノ=95 | ... 一九二四(大正一三)年の二月一二日、天空に楕円形......の月と太白星が白昼さんぜんとかがやいた。そ......んとかがやいた。それは第一次大本事件突発の日にかがやいたも......のと同じであった。王仁三郎は「満三ヵ年を経......った。王仁三郎は「満三ヵ年を経た同月同日の白昼に同様......の異変あるは、決して只事ではあるまい。愈々......はあるまい。愈々自分が神命を奉じ万民救済のため、人類愛実行......のため、天より我にその実行を促すもの」と決... | 6882 |
6883 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | 蒙古へ出発 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 86 件/ノ=86 | ... 王仁三郎の一行は、三月三日に奉天をたって洮南にむか......日に奉天をたって洮南にむかった。自動車にのりこんだ一行......の旅は、「護照」(通行証)なし......の冒険的旅行であった。同八日、東蒙古へ......の拠点である洮南に到着し、松村・名田・井上......列車で着洮した。 三月一二日、一行は城内の医師猪野敏夫宅と、日本人会会長平野慎太郎......本人会会長平野慎太郎方とに分宿し、中国人の家屋を王元棋......の名儀でかりうけ、貿易商長栄号の看板をかか... | 6883 |
6884 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | 索倫山 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 132 件/ノ=132 | ...三郎と松村は宗教家として武器をもたず、そのほか......のも......のはすべて銃をもつことになった。一行は四月......行は四月二八日に、下木局子に到着した。この地は黒竜江省と熱河省、さらに外蒙古と......の連鎖点にあり、別名を索倫山という。黒竜江......名を索倫山という。黒竜江省に属するところの要害......の地である。西北自治軍はここに仮本営をおい......ることになった。 ここでとくに注意されるのは、西北自治軍が、別に「内外蒙古独立軍」... | 6884 |
6885 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >3 王仁三郎一行の足どり | パインタラ事件 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 69 件/ノ=69 | ...は、部下とともについに脱退してしまった。のこったも......のは騎馬兵五〇〇と歩兵三〇〇とである。行軍......えられた。そして七日には、王仁三郎が途上の岩窟でにわかに神懸りとなった。 八日にい......神懸りとなった。 八日にいたって、盧占魁の命令はもう全軍に権威をうしなって、脱走者......ら東南にむかうことになったが、したがうものは、すでに騎馬兵五〇〇だけになっていた。......〇だけになっていた。 一六日、達頼汗王府の兵から狙撃をうけ、マンダハンが死んだ。事......して二〇日には、ついに奉天軍に包囲されたのである。翌日、盧にあてたパインタラ......の闞中将からの書翰がとどき、武装解除のうえ... | 6885 |
6886 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >4 入蒙の影響 | 4 入蒙の影響 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6886 | |
6887 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >4 入蒙の影響 | 再入監 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 84 件/ノ=84 | ... 王仁三郎が二月一三日の未明に綾部を出発したことを綾部警察署がし......に綾部を出発したことを綾部警察署がしったのは、三日後......の一六日である。行き先は中国......の済南道院であろうときいて、警察はまったく......察はまったくおどろいた。警察はあわててその手配をしたけれども、一ヵ月以上もそ......の行方をつきとめることができなかった。しか......つきとめることができなかった。しかし大本の本部へは、奉天からつぎつぎと連絡があり、......郎より宇知丸にたいして、二代及び三代教主の補佐を命ずるとの通達がとどけられていた。... | 6887 |
6888 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >4 入蒙の影響 | 社会的反響 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 85 件/ノ=85 | ... ところで王仁三郎の入蒙が成功であったか、失敗であったか。そ......簡単には評価しえない面を内包している。その計画が挫折したという意味では、あきらかに......あきらかに失敗であったが、反面日本国内への反響という点では、かなり成功したというこ......、かなり成功したということができる。 そのことは、ジャーナリズムにおける入蒙......のうけとめかたにも見出される。たとえば、雑......たにも見出される。たとえば、雑誌「太陽」の「夢......の蒙古王国」(四号にわたり連載、筆者黒頭巾......載、筆者黒頭巾)は、破天荒な壮挙としてその足どりをつぎのようにつたえている。此のお... | 6888 |
6889 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第3章 >4 入蒙の影響 | 保釈後の動向 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 79 件/ノ=79 | ...には、教祖大祭・祖霊大祭が執行された。その日......の午後、分所・支部長会議がひらかれていた最......た最中に、「明後日瑞月先生保釈お帰り」との報がはいって、おもわず一同歓呼......の声をあげたことである。 一一月一日保釈......の決定にもとづいて、王仁三郎は九八日間......の獄中生活にわかれをつげ、午後一時一一分に......つげ、午後一時一一分に北区刑務所若松分監の門をでた。数名......の新聞記者に撮影され、多数の信者にむかえら... | 6889 |
6890 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >1 各宗教との提携 | 1 各宗教との提携 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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6891 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >1 各宗教との提携 | 普天教と回教徒との関係 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 136 件/ノ=136 | ... 蒙古の旅は、雄大な構想と冒険にみちみちていたが......、雄大な構想と冒険にみちみちていたが、そのくわだては、大本が世界へ雄飛してゆくおお......ばらく獄中にあった間においても、各宗教との提携はすすめられていった。それは一九二四......れていった。それは一九二四(大正二二)年の九月三日に、朝鮮......の普天教幹部金勝玟が大本を訪問した......のにも見出される。 普天教は朝鮮慶尚南道井......本部をもつ、あたらしい宗教団体である。この金勝玟が大本にきた......のを契機として、大本との関係はしだいに密接... | 6891 |
6892 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >1 各宗教との提携 | 世界宗教連合会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 90 件/ノ=90 | ... すでにのべたように、王仁三郎は一九二四(大正一三......大正一三)年一一月一日、九八日ぶりで保釈の身となって帰綾した。そしてただちに世界宗......した。そしてただちに世界宗教連盟(仮称)の結成に着手された。 ちょうど日本ではそ......のころ、ラジオ......の放送が開始されていたが、ある日、東京放送......始されていたが、ある日、東京放送は、つぎのように世界宗教連盟......のうごきを報道している。大本教......の出口王仁三郎は蒙古に入ったが、途中パイン... | 6892 |
6893 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >1 各宗教との提携 | 万国信教愛善会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 59 件/ノ=59 | ... 中国各宗教との連絡......のもとに、世界宗教連合会がつくられてゆく一......てゆく一方、日本国内でも同様な組織づくりの計画がすすめられていった。北京において世......られていった。北京において世界宗教連合会の発会式があげられた、ちょうどそ......の二日前......の五月一八日には、神戸道院......の中尾晃久が日本各宗教愛善会に関する要件を......岡に王仁三郎をおとずれ、日本各宗教愛善会の組織計画について報告した。その報告をきい... | 6893 |
6894 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >2 人類愛善会の創立 | 2 人類愛善会の創立 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6894 | |
6895 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >2 人類愛善会の創立 | 発会と主旨 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 130 件/ノ=130 | ... 万国信教愛善会は日本国内における諸宗教の提携にもとづく協力機関として発足したが、......したが、王仁三郎は一九二五(大正一四)年の五月二八日には、とくに海外諸国......の人々をひろく包含する団体をつくるように幹......含する団体をつくるように幹部に指令し、その団体......の会名は、六月五日にいたって、「人類愛善会......人類愛善会」と命名された。そして王仁三郎の指示にしたがって、人類愛善会......の趣意書が作成される。 こえて六月九日、い...... こえて六月九日、いよいよ発会準備もととのったので、その日のタ拝後に五六七殿で、出... | 6895 |
6896 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >2 人類愛善会の創立 | 規約改正と組織・活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 139 件/ノ=139 | ... 一九二六(大正一五)年の四月一八日、亀岡......の光照殿で人類愛善会第一回総会がひらかれた......れた。席上、王仁三郎によって、「人類愛善の真義」と題するつぎ......のような、人類愛善......の本質について......の講話がなされている。一寸聞くと人類愛善会......なされている。一寸聞くと人類愛善会といふのは、すべて......の人間を人間が愛するやうに聞へてをります。... | 6896 |
6897 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >3 海外への発展 | 3 海外への発展 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
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6898 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >3 海外への発展 | 文書による海外宣伝 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 122 件/ノ=122 | ...て、海外にひろくしられるきっかけになったのは、エスペラント......の採用がおこなわれた直後に、当時京都大学......の学生であったエスペランチスト......の八木日出雄が、スイス......の万国エスペラント協会機関誌「エスペラント......国エスペラント協会機関誌「エスペラント」の一九二四(大正一三)年三月号に、「日本に......と題した一文を寄稿し、大本を紹介してからのことであった。こ......の紹介記事はかなりの反響をよびおこし、やつ... | 6898 |
6899 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >3 海外への発展 | 宣伝使の欧州派遣 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 256 件/ノ=256 | ... 文書による海外宣伝は、それなりの成果をあげたが、人類愛善会......の各国支部が結成されるようになる直接的な理......ようになる直接的な理由としては、西村光月の欧州派遣とそ......の活動をあげねばならぬ。王仁三郎から、欧州......をあげねばならぬ。王仁三郎から、欧州派遣の命をうけた西村宣伝使は、人類愛善会が設立......た翌々日、すなわち一九二五(大正一四)年の六月一一日に、郵船白山丸で神戸港を出発し......一日に、郵船白山丸で神戸港を出発した。その目的は、八月一日より六日までジュネーブで......ト大会に出席するためと、あわせて人類愛善の趣旨にもとづく海外宣伝にあった。西村は渡... | 6899 |
6900 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 | 王仁三郎の指示 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 97 件/ノ=97 | ... 各宗教との提携、つづいて人類愛善会......の創立、さらに海外宣伝......の活発化とはなやかな活動が展開されるにいた......とはなやかな活動が展開されるにいたるまでの教団......のたち直りは、けっして安易なも......のであった......のではない。第一次弾圧......の傷手は教団の活動の前途にいくつかの壁をつ... | 6900 |