番号 | 文献名1 | 文献名2 | 文献名3 | 著者 | 発表年 | 詳細 | 本文内のヒット件数 | プレビュー(最大 8 件まで表示) | 番号 |
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7001 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >3 護教 | 信仰の護持 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 347 件/ノ=347 | ... 第一審の判決によって、「国賊」「非国民」......の烙印をおされた信者......の前途は、さらに暗く非情......のも......のとなった。しかし信仰に生きる信者らはくじ......じけなかった。ここで事件をめぐる一般信者の態度と、動向をふりかえってまとめてみよう......とめてみよう。そこには教団をささえた信仰のエネルギーが渦まいている。大検挙がはじま......いている。大検挙がはじまるとともに、弾圧の嵐は本編の二章でのべたように実にすさまじ... | 7001 |
7002 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >3 護教 | 弁護活動への献金 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 277 件/ノ=277 | ... 弁護活動への準備は、大検挙......の直後からすでにはじまっていた(二章)。昭......いた(二章)。昭和一一年には、ほぼ弁護団の陣容もとと......のい、準備公判......のはじまった一九三八(昭和一三)年以降、そ......はじまった一九三八(昭和一三)年以降、その活動は本格的となった。公判は第一審で一〇......間にわたり、清瀬・林・田代・前田・高山らの有力な弁護士一八人が活発な弁護活動をおこ......弁護士一八人が活発な弁護活動をおこなったのであるから、裁判に要した費用はばくだいな... | 7002 |
7003 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >3 護教 | 出口家の動静 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 177 件/ノ=177 | ... ここで、その後......の出口家関係......の動静をみることにしよう。三代......の出口直日は前にもすこしふれたように、一九......こしふれたように、一九三七(昭和一二)年の九月に、綾部......の雑草居(藤山)から亀岡......の中矢田農園に転居した。こ......のとき直日は三五才であった。この農園は一九... | 7003 |
7004 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >3 護教 | 宗教弾圧の強化 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 151 件/ノ=151 | ... 日中戦争の拡大とともに、宗教にたいする取締りもつぎ......締りもつぎつぎと強化されていった。宗教への弾圧は昭和一二年以降一段とはげしさをくわ......えるようになる。昭和一二年四月には、前年の九月に弾圧をうけたひと......のみち教団がさらに神宮不敬罪で追起訴された......らに神宮不敬罪で追起訴された。そして教団の設立許可を取消されたうえ、二八日には結社......四年六月一日には天理三輪講(大阪府)などの天理教関係......の各団体が、さらに六月二一日にはキリスト教......団体が、さらに六月二一日にはキリスト教系の日本燈台社(東京)がというように、つぎつ... | 7004 |
7005 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 | 第四章 第二次大本事件の第二審 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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7006 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >1 第二次世界大戦の進行 | 1 第二次世界大戦の進行 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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7007 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >1 第二次世界大戦の進行 | 戦時統制の強化 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 116 件/ノ=116 | ... まず当時の社会情勢を一べつしておこう。第一審から第......ら第二審へうつされた第二次大本事件は、このきびしい社会的条件......のなかで、朦朧と弁護......の活動をすすめねばならなかった......のである。 一九三七(昭和一二)年七月七日......契機として起こった日中戦争は、大本営発表の「輝かしい戦果」にもかかわらず、事態は日......態は日ましに悪化し、ねばりづよい中国民衆の抵抗によって、戦争は解決......のない泥沼へと追いこまれていった。国民生活... | 7007 |
7008 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >1 第二次世界大戦の進行 | 治安維持法の「改正」 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 259 件/ノ=259 | ...、三月一日には貴族院で可決するという審議の強行により、三月一〇日にはこれを公布した......を公布した。司法大臣柳川平助は、議会でその提案理由についてつぎ......のように説明している。「現行治安維持法ハ…......維持法ハ……大正末期ヨリ昭和初年ニ掛ケテノ思想運動情勢ヲ背景トシテ規定セラレマシタ......タル関係上、共産主義運動、殊ニ日本共産党ノ活動ヲ主タル対象トシテ規定セラレテ居ル......ノデアリマス。然ルニ運動情勢......ノ変化ニ順応シ、治安維持......ノ目的ヲ達スルガ為ニハ……無政府主義運動、... | 7008 |
7009 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >1 第二次世界大戦の進行 | 日米の開戦 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 91 件/ノ=91 | ... 一九四一(昭和一六)年一一月五日の御前会議ではすでに一二月初旬......の開戦が決定されていた。そして一二月一日......の御前会議で開戦を最終的に決定し、一二月八......戦争は勃発した。 ここでしばらく開戦当初の戦績をいちべつしてみよう。一二月八日には......してみよう。一二月八日にはハワイ島真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を攻撃するとともに、マ......ングーン(ビルマ)を占領し、六月には北海の果てアリューシャン列島......のアッツ島に上陸した。こ......の間海軍も、マレー沖・スラバヤ沖・バタビア... | 7009 |
7010 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >2 第二審の公判(大阪控訴院) | 2 第二審の公判(大阪控訴院) | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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7011 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >2 第二審の公判(大阪控訴院) | 土地返還請求の提訴 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 110 件/ノ=110 | ... 当局によって強制破却された綾部の大本神苑......のあとは、何鹿郡設......のグランドとなり、そ......の他......の荒地は綾部町壮年団が、当時次第にくるしく......四〇(昭和一五)年六月から開墾した。亀岡の神苑あと......の天恩郷は、亀岡町役場および商工会でそ......の利用方法が協議されて、工場の誘致や立命館... | 7011 |
7012 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >2 第二審の公判(大阪控訴院) | 第二審 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 200 件/ノ=200 | ... 第一審判決後の第二次大本事件は、被告人全員による控訴に......によって、大阪控訴院にうつることになったので、弁護事務所は嵯峨保二......の配慮によって、一九四〇(昭和一五)年......の六月八日に、京都から大阪市北区中......の島二丁目(渡辺橋詰)......の北国毎日新聞社(......のち北国新聞社と合併)大阪支局内にうつった......担当となり、差入れにも従事した。 第一審の有罪の判決によって、公訴事実の問題点があ... | 7012 |
7013 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >2 第二審の公判(大阪控訴院) | 判決 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 512 件/ノ=512 | ... 一九四二(昭和一七)年七月三一日。この日は、「空前......の大不祥事件」として社会に衝撃をあたえた第......裁断がくだされた日である。教団は「塵一つのこさじ」と破壊され、しつような当局......の圧迫や、冷酷な社会......の非難に耐えて、こ......の日......の来る......のをまちにまっていた全国の信者たちは、人目... | 7013 |
7014 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >3 王仁三郎らの保釈 | 3 王仁三郎らの保釈 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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7015 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >3 王仁三郎らの保釈 | 保釈にいたるまで | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 112 件/ノ=112 | ...宮守子や頭山満をはじめとする、各方面からの保釈運動も結局実現しなかった。しかし八月......五〇〇円、すみと伊佐男には各三〇〇円ずつの保釈金て、保釈を決定した。ところが検事は......て、保釈を決定した。ところが検事は被告らの保釈はみとめられないとして、大審院検事総......られないとして、大審院検事総長あてに抗告の手続きをとった。保釈にたいする検事抗告は......とった。保釈にたいする検事抗告は「稀有」のできごとであった。そこで六日に、林・清瀬......とであった。そこで六日に、林・清瀬・富沢の三弁護人は、司法大臣岩村通世・松坂検事総......した。 八月七日に高野裁判長は田村・土井の両陪席判事と協議し、ついに三人を保釈出所......月八日に検挙されてから満六年八ヵ月ぶりでの出所である。大阪拘置所(昭和16・11・... | 7015 |
7016 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第4章 >3 王仁三郎らの保釈 | 中矢田農園 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 138 件/ノ=138 | ... 保釈出所後の聖師は中矢田農園で、大検挙以来......の第二次大本事件に関する回想......の歌や、随想......の歌などを詠み、読書にもしたしんだ。また孫......読書にもしたしんだ。また孫たちを相手にたのしんで、家族的生活......のなかで悠々自適......の日々をおくった。しかし、聖師ら......の帰った中矢田農園にたいする警察の監視は依... | 7016 |
7017 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 | 第五章 第二次大本事件の解決 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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7018 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >1 再建への動き | 1 再建への動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 56 件/ノ=56 | ...後、出口聖師は中矢田農園における悠々自適の日々......のなかで、数おおく......の随想......の歌をよまれている。 そ......の随想......の歌......のなかには、〝高山......の頂き見ればまのあたり十重に二十重に雲のつ... | 7018 |
7019 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >1 再建への動き | 戦局の転回 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 111 件/ノ=111 | ... たしかに聖師らの保釈出所は、大本にとって画期的な出来事で......な出来事であった。これによって大本再建への飛躍的転換がおこなわれつつあった......のである。しかもこ......の時期はまた、戦局......の推移にあっても重要な大転換......の時点にあたっていた。昭和一七年......のなかばごろには、太平洋戦局における日本軍......なかばごろには、太平洋戦局における日本軍の補給路はすでにのびきり、連合軍の対日総反... | 7019 |
7020 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >1 再建への動き | 暗黒の世 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 305 件/ノ=305 | ...昭和一七)年から昭和一八年にかけて、国内の諸体制もおおきな転換期をむかえていた。 ......体制もおおきな転換期をむかえていた。 このころ軍需優先......の戦争経済は頭うちとなり、そ......の破綻が深刻になってきた。原材料や基礎資材......破綻が深刻になってきた。原材料や基礎資材の生産はゆきづまり、生活必需物資は極度に不......り、生活必需物資は極度に不足して、労働者の勤労意欲も低下した。昭和一七年後半からは......和一七年後半からは、アメリカ空軍と潜水艦の出動によって、南方や大陸から......の海上輸送がおびやかされ、原材料の不足はさ... | 7020 |
7021 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >1 再建への動き | 荊棘をこえて | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 190 件/ノ=190 | ... ここで当時の信者......の動向にふれておこう。第一審判決が全員有罪......審判決が全員有罪と判定されたことは、信者の期待をうらぎった。しかし、これによって事......待をうらぎった。しかし、これによって事件の全貌がだんだんとあきらかになったため、暴......、暴圧的権力にたいするあらたな憤りを信者のおおくが感じとった。そしてかえって信者......の動きは活発となっていった......のである。ことにそ......の後における国内外の情勢は、大本神の予言の... | 7021 |
7022 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >1 再建への動き | 海外の信者 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 218 件/ノ=218 | ... 教団の壊滅によって、海外信者と......の連絡は杜絶した。そ......のため海外における大本......の諸機関は機能を停止し、表面上......の組織活動はおこなわれなくなった。とくに日......入してからは、事態はさらに悪化した。海外の事情は地域によってことなるが、あらゆる苦......情は地域によってことなるが、あらゆる苦難のなかで、海外......のおおくの信者は信仰をまもりつづけた。なか... | 7022 |
7023 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >2 事件の解決 | 2 事件の解決 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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7024 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >2 事件の解決 | 戦争の終結 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 140 件/ノ=140 | ... ついに一九四五(昭和二〇)年の酉年、戦争終結......の年をむかえた。「鬼畜米英」・「打ちてし止......かえた。「鬼畜米英」・「打ちてし止まん」のかけごえにもかかわらず、日本......の敗北は日ましに顕著となってきた。国民......の内部にも軍部へ......の不満がたかまり、東条内閣は一九四四(昭和......かまり、東条内閣は一九四四(昭和一九)年の七月一八日に総辞職した。東条内閣から小磯......四月五日にこれまた総辞職した。そしてさきの侍従長であった鈴木貫太郎が内閣を組織した... | 7024 |
7025 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >2 事件の解決 | 大審院の判決 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 380 件/ノ=380 | ...れ、検事局側よりは治安維持法違反についての上告がなされた......ので、事件は大審院※にうつった。昭和一八年......側では九月に弁護人選任届を提出し、第二審のまま......の陣容で......のぞむこととした。一〇月になって上告審......の裁判長は沼義雄、陪席判事は駒田重義・日下......沼義雄、陪席判事は駒田重義・日下巌(審理の途中退職)・斎藤悠輔・吉田常次郎、主任判......事は平野利があたることになった。※ 当時の刑事訴訟法によれば、上告裁判所は原判決に... | 7025 |
7026 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >2 事件の解決 | 土地返還訴訟の解決 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 107 件/ノ=107 | ... 一九四〇(昭和一五)年の六月一五日に、京都地方裁判所民事部あて、......部・亀岡における出口王仁三郎・すみ子名義の土地返還請求......の訴状を提出した民事事件は、第二審・上告審......すすめられていた。昭和一六年八月に第九回の準備手続きをおわり(四章一節)、同年一〇......(四章一節)、同年一〇月一日から、第一回の口頭弁論(公判)が開始された。公判は京都......公判)が開始された。公判は京都地方裁判所の第一民事部法廷でひらかれ、裁判長は第一回......原田左近、第一一回より終結までは中治武二の各判事があたった。 第二回......の公判から証人の取調べとなり、中村純也・福... | 7026 |
7027 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >3 新生への準備 | 3 新生への準備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 335 件/ノ=335 | ...にとって苦難にみちた年であった。しかしそのなかで大本新生......の準備はつづけられていった。元旦には、二代......洽維法違反)さらになしこころもちよきけさのかちくり〟〝おうそらにふさかるくもをふき......ふきはらいかちくりゆわ(祝)うとり(酉)のがんちょう(元朝)〟と染筆された色紙が信......された色紙が信者にあたえられているが、その歌には新生......の意気込みが躍動しているといってよい。 大......気込みが躍動しているといってよい。 大本の新生にあたってまず注目すべきことは、聖師......ってまず注目すべきことは、聖師による楽焼の手造りであろう。聖師が精魂をこめたその強... | 7027 |
7028 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >4 大本事件の性格とその意義 | 4 大本事件の性格とその意義 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 15 件/ノ=15 | ... 第一次・第二次大本事件の原因および経過とそ......の結末については、上巻および本巻に既述した......および本巻に既述したが、大本事件は、周知のように宗教弾圧としては、日本歴史上まれに......圧としては、日本歴史上まれにみる苛酷なものであった。そこにあらわされた権力......の本質と、そ......の嵐......のなかに発揮された信仰......のかがやきは、日本近代史上に注目すべき事件... | 7028 |
7029 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >4 大本事件の性格とその意義 | 第一次大本事件 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 152 件/ノ=152 | ...事件は、一九二一(大正一〇)年二月一二日の未明、当局が武装警官二〇〇人を動員して大......おきく報道された。しかし当局による大本への干渉は、そ......の以前よりすでに開始されていた。 一八九二......九二(明治二五)年に発祥した大本は、丹波の地域的な宗教として......の形成......の歩みをつづけていたが、一九一七(大正六)......みをつづけていたが、一九一七(大正六)年のころからは、丹波......の大本から日本の大本へと全国的に飛躍して、... | 7029 |
7030 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >4 大本事件の性格とその意義 | 第二次大本事件 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 296 件/ノ=296 | ...三五(昭和一〇)年一二月八日におきた。この事件......の直接......の動機は、満州事変後における大本......の外郭団体......の動き......のなかに、革新諸団体とともに非常時国家を刺......が注目しだしたことにはじまる。ことに大本の昭和青年会は、軍部......の革新派と連繋があるとみなされていた。昭和... | 7030 |
7031 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第5章 >4 大本事件の性格とその意義 | 事件の意味するもの | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 240 件/ノ=240 | ...あおがれるようになった天照大神を国家神道の頂点において、天皇......の神格化を促進した明治......の政府は、国民教育・国民道徳......の淵源を国家神道にもとめた。したがって国家......もとめた。したがって国家による神道国教化の方向に多少でも抵触し、あるいは異質......のも......のをふくむ宗教は、爾来つねに排除し抑圧され......は、爾来つねに排除し抑圧されてきた。戦前の宗教行政政策は、国体の淵源にそわない神観... | 7031 |
7032 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 | 第一章 敗戦日本と大本の新生 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 7032 | |
7033 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >1 信教自由の実現 | 1 信教自由の実現 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 7033 | |
7034 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >1 信教自由の実現 | 日本の敗戦 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 63 件/ノ=63 | ...国に無条件降伏した。第二次世界大戦は、この年五月......のドイツ......の崩壊につづく日本......の敗北によって、ここに終結をみた。 日本は......って、ここに終結をみた。 日本は、前にものべたように、一九三七(昭和一二)年七月、......昭和一二)年七月、日中戦争によって中国への本格的な軍事侵略を開始し、一九四一(昭和......一九四一(昭和一六)年一二月には、(ワイの真珠湾を奇襲攻撃して太平洋戦争に突入した......た。日中戦争から終戦にいたる八年間、日本の軍部・政府は、国民から、思想・言論・信教... | 7034 |
7035 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >1 信教自由の実現 | 占領下の日本民主化 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 101 件/ノ=101 | ... 連合国軍は、日本の降伏直後から進駐を開始し、降伏文書が調印......軍総司令部(GHQ)を設置した。連合国軍の日本占領は、実質的には、マッカーサーを最......マッカーサーを最高司令官とするアメリカ軍の単独占領であり、天皇および日本政府......の権限は、最高司令官に従属するも......のとされた。占領軍は軍政による直接支配を避......直接支配を避け、日本政府をつうじて、占領の目的たる軍国主義......の除去と民主化を実施する形をとった。アメリ......た。アメリカは、すでに戦争末期から、戦後の国際政治の主導権をめぐって、ソ連との対立... | 7035 |
7036 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >1 信教自由の実現 | 国家神道の禁止と信教の自由 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 108 件/ノ=108 | ... 占領軍は、占領当初の一九四五(昭和二〇)年一〇月四日に、「政......〇)年一〇月四日に、「政治、信教並に民権の自由に対する制限......の除去」......の指令を発して、信教......の自由を保障し、宗教弾圧による被検挙者......の釈放を命じた。つづいて一二月一五日、日本......して、「国家神道、神社神道にたいする政府の保障、支援、保全、監督及び弘布......の廃止に関する件」の覚書(神道指令)を発し... | 7036 |
7037 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >1 信教自由の実現 | 戦後の宗教界 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 115 件/ノ=115 | ... 敗戦後の国民生活......の荒廃と窮乏、占領軍による民主化政策、そ......のなかから成長した民主主義運動......の高揚は、占領下......の宗教界にはげしい変動とあらたな展開をもた......い変動とあらたな展開をもたらした。「家」の解体と科学的なも......の......の見方の浸透、民主主義運動の高揚は、国民の... | 7037 |
7038 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >2 大本事件解決報告祭 | 新生のまつり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 170 件/ノ=170 | ... 第二次大本事件のはじまった一九三五(昭和一〇)年から、満......た一九三五(昭和一〇)年から、満一〇年目の一九四五(昭和二〇)年一二月八日、綾部に......予想しえなかったところである。だが、世人の思惑をよそに、大本は敗戦直後における国内......思惑をよそに、大本は敗戦直後における国内の混乱......のさなかに、力づよく、かつ着実にたちあがっ......極度に欠乏し、国民は命をつなぐために、木の実も、草や木......の皮も、食べられるも......のはことごとく刈りとるというありさまであっ... | 7038 |
7039 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >2 大本事件解決報告祭 | 「世界平和の先駆者」 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 64 件/ノ=64 | ... 奉告祭をおえた翌々日の一二月一〇日、聖師は鳥取......の吉岡温泉に清遊した。二女むめ......の・内海健三、ほか四人が随行し、逗留した吉......健三、ほか四人が随行し、逗留した吉岡温泉の高田貞治宅には、付近......の信徒筧守蔵・田中道臣・網沢義秀・山本石太......筧守蔵・田中道臣・網沢義秀・山本石太郎その他があつまって奉仕した。聖師によって色紙......聖師によって色紙や短冊、屏風や半折などへの揮毫がなされ、一〇数本......のみ手代も染筆して、面会の信徒たちにわたさ... | 7039 |
7040 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >3 愛善苑の発足 | 3 愛善苑の発足 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 7040 | |
7041 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >3 愛善苑の発足 | 愛善苑の設立 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 206 件/ノ=206 | ... 新生の大本が、「愛善苑」という名称......のもとに新発足することは、すでに事件解決奉......ていたところであった。そこには、占領当初のはげしく変転する情勢へ......の配慮があったが、より本質的には、第二次大......ったが、より本質的には、第二次大本事件前の旧大本......のありかたへ......のふかい反省から、こ......の新発足をもって、名実のともなった大本の新... | 7041 |
7042 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >3 愛善苑の発足 | 両聖地の整備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 120 件/ノ=120 | ... 綾部・亀岡の両聖地では、信徒......の奉仕によって、まず破壊......の跡......のとりかたづけと清掃とがすすめられた。〈綾......清掃とがすすめられた。〈綾部〉 綾部鶴山の山上では聖師......の指揮......のもとに、破壊された長生殿......の基礎の上に、穹天閣その他の破壊された礎石... | 7042 |
7043 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第1章 >3 愛善苑の発足 | 宗教法人「愛善苑」 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 81 件/ノ=81 | ... 時日の経過とともに、信教......の自由と政教分離を原則とする宗教法人令......の主旨とそ......の実態があきらかになってきた......ので、愛善苑を宗教法人とすることになった。......ことになった。そこで、教団が新生した記念の日ともいうべき第一年目(昭和二一年)......の一二月八日に、第一回全国代表者会議を道場......らためて「愛善苑主意書」を発表した。 その「主意書」にはつぎのようにのべられている... | 7043 |
7044 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 | 第二章 愛善苑の活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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7045 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >1 出口聖師夫妻の巡教 | 1 出口聖師夫妻の巡教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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7046 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >1 出口聖師夫妻の巡教 | 出雲路の旅と鉢伏山 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 56 件/ノ=56 | ... 愛善苑の組織化かすすみ、そ......の態勢がしだいに整備されていくなかで、一九......和二一)年には、山陰と紀州へ出口聖師夫妻の巡教......の旅がおこなわれた。夫妻は五月八日綾部を出......は五月八日綾部を出発し、松江につき、もとの島根別院に入った。ここを松楽苑と命名し、......に新築された居館が新静館と命名された。このとき聖師によって、〝別院は見るかげもなく......院は見るかげもなく壊たれて後に残るは諸木のみなる〟〝上段......の十二本松伸びたちて十年昔をしのばれにけり... | 7046 |
7047 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >1 出口聖師夫妻の巡教 | 紀州路の旅 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 69 件/ノ=69 | ...師夫妻は出口委員長・森慶三郎・松浦くに子の随行で、昭和二一年七月一六日早朝、中矢田......月一六日早朝、中矢田農園を出発して紀州路の巡教......の旅に......のぼった。自動車で大阪にゆき、尻無川......の川崎橋南詰から、新造したばかり......の山見所有......の捕鯨船大黒丸(四一トン)に乗船し、多数......の信徒に見送られて午前六時半に出帆した。戦... | 7047 |
7048 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 | 2 宗教活動の進展 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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7049 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 | 本部と地方のうごき | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 270 件/ノ=270 | ... 一九四六(昭和二一)年二月、愛善苑の発足とともに、本部講師......の地方派遣も積極的におこなわれ、宣教活動は......れ、宣教活動は各地で活発に進展した。宣教の方向としては、敗戦直後......の混乱した世相に対応して、「宗教......の実践即ち信仰と実生活......の一体化に力点をおき、こ......の線にそって講話を行なう」必要性がとくに強......調され、講師には「信仰心を根底におき、そのうえにたって、あらゆる分野にわたっての広... | 7049 |
7050 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 | 青少年の組織化 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 35 件/ノ=35 | ... 青年の動きはまず地元からはじまった。一九四六(......元からはじまった。一九四六(昭和二一)年の節分には、青年......の有志が綾部......の愛善寮にあつまって青年......の組織化がはかられ、綾部青年部として......の活動がはじまった。そしてそ......の年......の一〇月二日には亀岡でも在住信徒により亀岡... | 7050 |
7051 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 | 生産増強運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 60 件/ノ=60 | ...に寄与するために力をつくすことを基本方針の一つとした。愛善苑創立当初から本部には厚......本部には厚生部がおかれ、出口新衛が主任(のち部長)となった。 「愛善苑」誌には毎号......ら四日間にわたって、本部で、荒廃した農村の立直し......のためはじめて......の農事講習会が開催され、全国各地から一一〇......「有畜経営農業」「甘藷増収法」「日本農業の過去と将来」などで、講習会では信農一如......の精神が強調され、配給肥料がわずか硫安二貫......れ、配給肥料がわずか硫安二貫匁という当時の乏しい状況下で、多大の反響をよんだ。 第... | 7051 |
7052 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 | 出版活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 113 件/ノ=113 | ...は伝統的に文書宣伝に力をいれることが特色の一つであった。愛善苑......の発足にあたっても、出版活動を宣教企画......の第一に取りあげた。まず機関誌を発行するこ......げた。まず機関誌を発行することにし、教団の名称が愛善苑と決定されるとともに、機関誌......誌も「愛善苑」とすることに決めた。創刊号の編集会議は事件解決後まもない一九四五(昭......た。これよりさき中外日報社主真渓涙骨からの申出によって、一一月一四日中外日報社......の印刷所をゆずりうけることとなった(六編五......中外日報社と教団は密接なつながりがあったので、「中外日報」はその年の一二月ころから... | 7052 |
7053 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >2 宗教活動の進展 | 芸術への精進 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 39 件/ノ=39 | ... 中矢田農園では、愛善苑の新発足前から出口家を中心として歌会がおこ......生流)は中野岩太(茗水)、茶道は裏干家流の川那辺宗貴......の指導をうけて、稽古がつづけられていた。一......つづけられていた。一九四五(昭和二〇)年の春からは、聖師によって「楽天社」......の名をあたえられ、さらに芸術へ......の道に精進することになった(「愛善時報」昭......一年四月二五日、中矢田農園で楽天社第一回の謡曲・仕舞......の会をもよおし、五月二九日には短歌会をひら... | 7053 |
7054 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >3 宗教提携のうごき | 3 宗教提携のうごき | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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7055 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >3 宗教提携のうごき | 愛善苑にたいする社会の反響 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 80 件/ノ=80 | ... 一九四五(昭和二〇)年愛善苑発足のうごきにたいし、いちはやく大々的に写真入......し、いちはやく大々的に写真入りで報道したのは「大阪新聞」であったが、ついで「大阪毎......には「京都日日新聞」が、つぎつぎに愛善苑のことを報道した。六月下旬には「大阪朝日新......た。六月下旬には「大阪朝日新聞」が、聖師の田植・麦刈りなどを写真で紹介し、同月二六......し、同月二六日には、西本願寺大谷光照法主の来苑を報じた。八月には「大正日日新聞」「......日・毎日・京都・夕刊京都・新日本・都などの諸新聞が報道した。ことに一二月八日......の道場......の完成式には、これに前後して朝日・毎日・京... | 7055 |
7056 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >3 宗教提携のうごき | 国際宗教懇談会の開催 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 109 件/ノ=109 | ...昭和二一)年一〇月一二日、京都西本願寺鴻の間で国際宗教懇談会が開催された。主催者は......所長藤沢親雄、理事長荘野忠徳)で、「内外の宗教家が一堂に相会し、正義に立脚せる平和......義に立脚せる平和と真理にもとづく人類文化の発展に関して懇談し、且つそ......の実現......の方策を考究したい」と......の趣旨によるも......のであった。 司会者......の荘野忠徳は開会の辞において「敬虔なる宗教... | 7056 |
7057 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >3 宗教提携のうごき | 国際宗教同志会の結成 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 55 件/ノ=55 | ... 国際宗教懇談会で委託された委員の第一回会合は、一一月三〇日東本願寺枳殻邸......一一月三〇日東本願寺枳殻邸でひらかれ、その後委員会と常任委員会によって成案を得、一......つ超宗派的に同志が協力し、宗教的平和日本の建設と世界......の平和に貢献しようというも......のであった。そ......のため、国際宗教懇談会を開催し、関係諸機関......め、国際宗教懇談会を開催し、関係諸機関との連絡そ......の他適切な事業をおこなうこととした。二五人... | 7057 |
7058 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第2章 >4 平和憲法と愛善精神 | 4 平和憲法と愛善精神 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 212 件/ノ=212 | ... ポツダム宣言の受諾に関する日本政府......の申入れにたいして、連合国側は、「日本国国......入れにたいして、連合国側は、「日本国国民の自由に表明せる意志により」、新しい日本......の政府......の形態を決定すべきことを要求した。そして一......を要求した。そして一九四五(昭和二〇)年の一〇月に、連合国軍総司令部(GHQ)最高......部(GHQ)最高司令官マッカーサーは、時の幣原首相にたいして「明治憲法」(「大日本......いして「明治憲法」(「大日本帝国憲法」)の自由主義化を指示した。民間でも憲法論議が... | 7058 |
7059 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 | 第三章 出口王仁三郎聖師の昇天 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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7060 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 >1 昇天 | 1 昇天 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 182 件/ノ=182 | ... 一九四六(昭和二一)年の春から夏にかけて、前述......のように、第二次大本事件で徹底的に破壊され......次大本事件で徹底的に破壊された綾部・亀岡の両聖地......のとりかたずけや、あらたな構想による築造整......りかたずけや、あらたな構想による築造整備の作業が、全国......の信徒......の勤労奉仕によって順調に進捗していた。 聖......によって順調に進捗していた。 聖師は毎日のごとく、中矢田農園から更生車で天恩郷に出... | 7060 |
7061 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 >1 昇天 | 招魂祭と通夜 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 125 件/ノ=125 | ... 聖師昇天のしらせは、全国......の信徒に深刻な衝撃をあたえた。大本事件によ......衝撃をあたえた。大本事件によって一〇年間の苦難をし......のぎ、まちにまっていた聖師......の指導で敗戦国家......の多難を......のりきり、みろく......の世完成へ前進する大きな期待と希望をいだい... | 7061 |
7062 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 >2 葬儀 | 告別式と遷柩 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 151 件/ノ=151 | ... 一月二八日は聖師の十日祭当日である。霊枢を綾部へ移動しなく......ある。霊枢を綾部へ移動しなくてはならないので、天恩郷で......の告別式をかねて、瑞祥館で祭典が厳粛にとり......厳粛にとりおこなわれた。午後三時、八雲琴の音が胸にしみわたるころ、館......の内外は参列した人でうずまった。斎場には聖......参列した人でうずまった。斎場には聖師昇天の部屋があてられた。亀岡町からよせられた大......栄木が門前に立てられ、国際宗教同志会からの花輪、各宗教団体および各界名士から......の盛花が、ところせまくならべられた。白衣の... | 7062 |
7063 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 >2 葬儀 | 埋葬祭 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 131 件/ノ=131 | ... 綾部の天王平一......ノ瀬にあった開祖......の奥都城は、第二次大本事件によってとりこわ......第二次大本事件によってとりこわされ、開祖の霊柩は共同墓地にうつされていた(六編二章......同墓地にうつされていた(六編二章)。聖師の奥都城としては、開祖......の奥都城跡に......のこっていた根石を基点にしてそ......の左側に、もとの開祖の奥都城と同型のものを... | 7063 |
7064 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 >2 葬儀 | 一般的反響と信徒の動向 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 129 件/ノ=129 | ... 終戦による社会情勢の変化によって、大本にたいするマスコミ......の態度は好転し、新発足以来しばしば大本......の活動状況が報道されるようになった。とくに......うになった。とくに関西においては、愛善苑の提唱した国際宗教同志会が発足して、各宗各......唱した国際宗教同志会が発足して、各宗各派の協力提携ができていたし、またこ......の会を代表する牧野虎次(同志社大学総長)や......牧野虎次(同志社大学総長)や、日本宗教界の唯一......の日刊新聞「中外日報」の社主真渓涙骨が、愛... | 7064 |
7065 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第3章 >3 人間 出口王仁三郎 | 3 人間 出口王仁三郎 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 166 件/ノ=166 | ... 瑞霊真如聖師に神がかりをみた神の因縁や神格、そ......の使命については、大本教団......のうけとめる大本神諭、裏......の神諭および『霊界物語』等によって、つまび......ここでは、主として人間出口王仁三郎としての人柄が、どうみられていたかを記述すること......いたかを記述することにしよう。 大本開祖の人柄(二編二章)については、信徒・未信徒......いちように、神々しい清純さとうつくしい心の大柄にうたれたとかたっていたが、出口王仁......郎にたいしては、じつに千差万別な各人各様の見かたがなされていた。神諭には聖師のこと... | 7065 |
7066 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 | 第四章 大本愛善苑の発展 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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7067 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >1 道統の継承 | 1 道統の継承 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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7068 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >1 道統の継承 | 二代の継承 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 110 件/ノ=110 | ...た。そこで愛善苑初代苑主出口王仁三郎聖師の昇天による教統継承規定について......の協議がおこなわれた。そ......の結果、一月二七日には、亀岡天恩郷において......会が招集されることになった。そして、会則の一部変更と教統......の継承に関する規定がつぎ......のように決定された。「第三条 本会は開祖・......に決定された。「第三条 本会は開祖・聖師の教統......の継承者を以て苑主とする。第三条の二 本会... | 7068 |
7069 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >1 道統の継承 | 二代苑主の指導精神 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 129 件/ノ=129 | ... 二代苑主時代における教団の指導精神と宣教活動をみるためには、二代苑......導精神と宣教活動をみるためには、二代苑主の宗教理念をかえりみる必要があろう。そ......の意味で当時発表された二代苑主......の言説にはきわめて示唆にとんだも......のがある。〈感謝......の生活とお土......のご恩〉 「今日という日は、後にも先にも、......いう今、今日という今日は二度と来ない。この一日感謝に満ちた喜こびの生活をつづけてこ... | 7069 |
7070 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >2 教団体制の確立 | 2 教団体制の確立 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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7071 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >2 教団体制の確立 | 大本愛善苑 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 165 件/ノ=165 | ...が新発足してから、わずか二年たらずで聖師の昇天をむかえ、ここに二代苑主......の時代となった。一九四八(昭和二三)年二月......がふたたび副委員長となった。委員には従来の伊佐男・東尾・貞四郎・新衛・栄二・光平に......を出口に改姓)をくわえて七人となった。この段階に入って教団......の組織機構はいっそう充実した。 六月には、......はいっそう充実した。 六月には、本部機構の一部があらためられて、亀岡天恩郷には総務......建設)、教務部(教修・国際・芸術・史実)の二部八課と瑞光社(出版・編集・経理......の三課と中外印刷所・工業所など)が設けられ... | 7071 |
7072 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >2 教団体制の確立 | 造営と祭事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 251 件/ノ=251 | ...〈造営〉 一方、聖地の整備もすすんだ。亀岡天恩郷では一九四八(......昭和二三)年八月一五日、月宮山・月宮宝座の築造計画が発表され、翌一六日には月宮宝座......座起工式がおこなわれた。これは「綾部は日の大神様......の聖地で、亀岡は月......の大神様......の聖地であるから、月に型どった円形......の聖壇を設ける」と......の聖師の意志にそって造築にかかったものであ... | 7072 |
7073 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 | 3 教勢の飛躍 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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7074 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 | 委員長の全国遊説 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 93 件/ノ=93 | ... 一九四七(昭和二二)年五月の北九州を皮切りに、出口伊佐男委員長は「新......づけ各地でおおきな反響をよんでいた。 この遊説......の目的には、主としてつぎ......の三つ......のねらいがあった。そ......の第一は敗戦後......の日本人がなすところをしらず、虚脱状態にあ......をしらず、虚脱状態にあるときに、「新日本の建設は如何にあるべきか」「これについて愛... | 7074 |
7075 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 | 梅花運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 355 件/ノ=355 | ... 委員長の全国遊説とともに、本部講師もまた各地に出......会を開催した。これに相呼応して、地方在住の講師や信徒たちも精力的な活動を展開してい......八(昭和二三)年一月一九日には、聖師昇天の悲運にみまわれたが、幹部・信徒は二代苑主......悲運にみまわれたが、幹部・信徒は二代苑主の力強い指導......のもとに、全教団あげて結束をかため、かえっ......団あげて結束をかため、かえって本部修行者の数は増加をみるにいたった。こ......のころは食糧事情......の困難なときであったので、修行者は米や副食... | 7075 |
7076 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 | 青年会・婦人会組織の確立 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 138 件/ノ=138 | ...〈青年会〉 宣教の第一線にたって活動をつづけてきた基本青年......きた基本青年会は、一九四八(昭和二三)年の九月には全国で九一ヵ所結成され、全国組織......には全国で九一ヵ所結成され、全国組織化への機運が急速にもりあがってきた。そこで九月......で九月一五日に「愛善青年組織要綱」を改正のうえ発表し、一一月二日には亀岡天恩郷で第......郷で第一回愛善青年全国会議を開催した。この会議によって愛善青年会......の全国組織が確立された。運営はすべて会議制......青年会員より選出することとした。全国会議の企画・実践機関として、本部に全国会議事務......全国会議事務局をもうけ、総務・研修・実践の三部と、出版活動を担当する「青年の友社」... | 7076 |
7077 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >3 教勢の飛躍 | 社会福祉事業 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 52 件/ノ=52 | ...が社会福計事業に積極的にとりくみはじめたのは、昭和二三年六月からである。すなわち「......「社会事業に関する事項」がはじめて総務課の所管と規定され、さっそく係員を上京させて......管と規定され、さっそく係員を上京させてその研究にあたらせた。しかし当時は、教団自体......研究にあたらせた。しかし当時は、教団自体の再建に主力がむけられ、具体的な成果はみら......けられ、具体的な成果はみられなかった。そのなかで、まず愛善婦人会によって保育事業が......善婦人会によって保育事業がとりあげられたのである。 地元......の亀岡愛善婦人会では、町婦人会や戦争未亡人......亀岡愛善婦人会では、町婦人会や戦争未亡人のあつまりである「睦み母子会」などと密接な... | 7077 |
7078 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >4 人類愛善会の再出発 | 4 人類愛善会の再出発 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 147 件/ノ=147 | ...一方では団体等規正令・人事院規則(公務員の政治活動を制限)・公安条例(集団・結社......の集団行動を制限)がつぎつぎと制定され、大......を制限)がつぎつぎと制定され、大衆運動への抑圧がつよめられていた。また、二月には米......圧がつよめられていた。また、二月には米国のロイヤル陸軍長官が来日して日本......の警察隊......の武装を示唆し、九月にはソ連......の原爆所有が公表された。翌年一月には、マッ......年一月には、マッカーサーが年頭挨拶で日本の自衛権を強調し、来日したブラッドレー米統... | 7078 |
7079 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >4 人類愛善会の再出発 | 「人類愛善新聞」の再刊と運動の展開 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 183 件/ノ=183 | ... 人類愛善会の再発会とともに、機関紙「人類愛善新聞」(......行部数は二万部であった。ついで総本部講師の任命、研究資料『戦争はなぜ起る』『世界政......』『世界政府運動と出口王仁三郎』『平和への道』『人類愛善運動とは何か』(いずれもA......人類愛善運動とは何か』(いずれもA6判)の発行、地方支部......の結成、会員獲得......のよびかけをおこなって急速に態勢をとと......のえ、「戦争......の防止」と「世界平和の確立」にむかって精力... | 7079 |
7080 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >5 農事と芸術 | 愛善みずほ会の設立とその活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 122 件/ノ=122 | ... 愛善苑新発足の当時、本部機構......のなかに農事課をおき、「信農一如」をモット......き、「信農一如」をモットーとして、農作物の増産運動をおこなってきた。そ......の後、長野県で瑞穂会を主宰し米作り......の篤農家として知られた黒沢浄と、愛善苑......の農事面を担当していた出口新衛と......のあいだに協力提携......の話がまとまり、さらに梅村登・島本覚也・伊... | 7080 |
7081 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第4章 >5 農事と芸術 | 楽天社の発足宣言とその活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 371 件/ノ=371 | ... 大本の教義と信仰生活......のなかで、芸術......の尊重は、おおきな特徴をなすも......のである。大本......の芸術重視......の立場は、出口聖師によってはやくから具体化......やくから具体化されていたが、戦後とくにその価値が高く世間より評価されつつある。そ......の嚆矢は一九四九(昭和二四)年八月、「日本... | 7081 |
7082 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第5章 | 第五章 二代苑主の巡教と昇天 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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7083 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第5章 >1 巡教 | 1 巡教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 368 件/ノ=368 | ... 二代苑主の巡教は、一九四八(昭和二三)年......の五月......の山陰地方......の巡教をふりだしに、一九五一(昭和二六)年......巡教をふりだしに、一九五一(昭和二六)年の一二月における静岡地方......の巡教を最後として、北海道から、四国、九州......、九州、壱岐・対馬にいたるまで、交通事情のくるしいなかを前後一七回・約一四〇日にお......一七回・約一四〇日におよんでいる。 苑主の巡教は、地方信徒の懇請によっておこなわれ... | 7083 |
7084 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第5章 >2 二代苑主の昇天 | 2 二代苑主の昇天 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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7085 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第5章 >2 二代苑主の昇天 | 発病 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 83 件/ノ=83 | ...綾部梅松苑において大本愛善苑と人類愛善会の共同主催で、第二次世界大戦により犠牲者と......二次世界大戦により犠牲者となった世界各国の四〇〇〇万余柱......の慰霊祭が厳粛におこなわれた。二代苑主はこ......慰霊祭が厳粛におこなわれた。二代苑主はこの祭典後、「世界中......の霊がみな寄って来た......ので、私は身体がえらくて、えらくてしかたな......たんやな。みたまさんもよろこんだし、遺族の人たちも喜ばれていたようだし、こんなよい......こばれながら、またくるしそうであった。このころからとみに、苑主に疲労の色がみうけら... | 7085 |
7086 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第5章 >2 二代苑主の昇天 | 昇天 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 55 件/ノ=55 | ... その後......の経過は比較的順調であった。〝思ふことさわ......まにいつさいまかせて鳥とあそべり〟と小鳥の声に耳をかたむけたり、「庭先きに花を植え......も周囲にかたられていた。経過を案じて家族のも......のは別室にひかえていたが、「顔を見せぬにも......れ、直日夫人と出口伊佐男がうかがった。その時「私はもうご用が替った......ので、今まで......の仕事は直日さんにしてもらって、私は神様一... | 7086 |
7087 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第5章 >2 二代苑主の昇天 | 招魂祭と遷柩 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 145 件/ノ=145 | ...和二三)年一月、初代愛善苑主瑞霊真如聖師の昇天があり、いままたわずか四年にして、二......あり、いままたわずか四年にして、二代苑主の急な昇天にあった信徒......の衝撃はおおきかった。瑞祥館においてはただ......ひらかれ、道統を継承される三代教主(教則の改正により苑主を教主と改称)......の発表手続きを協議するとともに、葬祭執行に......四郎、同副委員長大国以都雄・嵯峨保二、その他......の執行委員が任命された。また午前九時半、本......緊急招集して東光館で、大国から苑主危篤とのみ一応の発表があった。さらに午後一時、在... | 7087 |
7088 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第5章 >2 二代苑主の昇天 | 本葬 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 43 件/ノ=43 | ...もカラリと晴れわたった四月一〇日は、埋葬の日である。到着......の列車ごとにくり込んでくる全国......の信徒や、遷枢......の日から滞在して通夜をつとめていた信徒で、......めていた信徒で、梅松苑は混雑した。新築中のみろく殿は苑内を圧してそそり立ち、こ......の日を待っていたか......のごとく桜は満開となった。 彰徳殿には、京......。午後一時、伊佐男斎主、栄二・土井・伊藤の三副斎主をはじめ多数の祭員によって祭典は... | 7088 |
7089 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第5章 >2 二代苑主の昇天 | 埋葬 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 48 件/ノ=48 | ... よそめには王朝時代の絵巻物......のごとくみられた葬列が、午後五時天王平に到......到着し、ただちに埋葬祭がおこなわれた。春の日は暮れやすく、霊柩が埋葬されおわった六......たらしい奥都城を照らしていた。 二代教主の奥都城は、開祖・聖師......の奥都城......の中央後方に築かれた。昇天されたそ......の日......の夕、出口栄二らによって位置がはかられ、翌... | 7089 |
7090 | 大本七十年史 下巻 | 第7編 >第5章 >3 二代教主の面影 | 3 二代教主の面影 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 327 件/ノ=327 | ... 聖師昇天の後、道統を継承してまもない二代教主にたい......承してまもない二代教主にたいして、「大地の母」とか「人類......の母」という表現が、愛善苑......の内部よりも、むしろ外部......の人々からなされるようになった。これは愛善......々からなされるようになった。これは愛善苑の発展におおきな期待をもって来訪した各界......の人々が、直接二代教主に面接したとき、二代......が、直接二代教主に面接したとき、二代教主の風貌、態度、いつくしみのある言葉にふれて... | 7090 |
7091 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 | 第一章 三代教主の継承 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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7092 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >1 教主 出口直日 | 道統の継承 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 100 件/ノ=100 | ... 一九五二(昭和二七)年の二月、節分大祭をむかえるにあたって、教団......二月、節分大祭をむかえるにあたって、教団の規則が改正された。そして苑主補には、ふた......れた。そして苑主補には、ふたたび出口直日の就任をみた。二代苑主出口すみ子は静養中で......に、節分大祭をはじめとして、神務・諸祭事の先達など、苑主として......のつとめはすべて苑主補によって代行された。......主補によって代行された。したがって、道統の継承についても、お......のずからなる準備ができあかっていたというこ......たということができる。 他方、宗教法人法の実施にともなって、教団の諸規則を根本的に... | 7092 |
7093 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >1 教主 出口直日 | 三代教主の人となり | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 194 件/ノ=194 | ...は、出口王仁三郎聖師と二代教主出口すみ子の長女として、一九〇二(明治三五)年三月七......〓〓」)と命名されたが、翌年旧四月二八日の弥仙山......の岩戸びらき......のさいに、神示によって「直日」と改名された......六~二五〇頁)。こうして教主は両親と祖母の愛撫......のうちに成育する。ことに開祖......の気風をしたい、もっともふかくそ......の感化をうけられたという。 一九〇八(明治... | 7093 |
7094 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >2 「大本」の名称復活 | 2 「大本」の名称復活 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 215 件/ノ=215 | ...人法が施行され、それに準拠する教団諸規則の改訂が必要になった。そこで文部省宗務課長......になった。そこで文部省宗務課長篠原義雄らの協力をえて、昭和二六年秋から鋭意そ......の作業がすすめられた(七編四章)。方針とし......すめられた(七編四章)。方針としては教団の本質を純粋かつ明確にあらわすことを主眼と......「大本教則」をつくり、第三には宗教法人法の要求する事項にしたがってまとめた「宗教法......教法人大本規則」をつくることにした。 このとき本質を純粋・明確にあらわすには、まず......本質を純粋・明確にあらわすには、まず教団の名称を本来......の「大本」に復帰すべきであるとの考えがすで... | 7094 |
7095 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >3 教主補 出口日出麿 | おいたち | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 118 件/ノ=118 | ...月二八日、岡山県倉敷市阿知町に住む呉服商の仁科清吉(父)・同秀野(母)......の二男として出生した。しかし出生前から祖母......二男として出生した。しかし出生前から祖母の実家にあたる連島村西之浦......の高見和平次......の世嗣として約束されていた。高見家はもとも......。高見家はもともと子宝にめぐまれず、清吉の弟政平が高見家......の養子になっていたが、政平は妻世井を......のこして二一才で世を去った。政平と世井のあ... | 7095 |
7096 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >3 教主補 出口日出麿 | 大本入信 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 193 件/ノ=193 | ... 元男が大本に入信したのは、一九一九(大正八)年......の高等学校三年生......のときであった。二月......のある日、親友岩佐護一......の下宿で、同じ六高生で大本に入信した浜田有......浜田有一から、「大本時報」を見せられ、その説明をきいて参綾を決意した(上巻四二五頁......参綾を決意した(上巻四二五頁)。 二学期の試験がすんだ三月末(当時高等学校は九月か......てでかけ、三月三一日に綾部へついた。大本の受付をたずねると、受付子の背後から長髪・... | 7096 |
7097 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >3 教主補 出口日出麿 | 結婚とその後 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 103 件/ノ=103 | ... 掬水荘に住んでいた出口直日のところへもときおり出入していた元男は、一......男は、一九二七(昭和二)年七月から、本部の仕事......のかたわら、直日に国文学や東洋史......の講義をすることになった。そ......の以前に京都から「高見元男」......の名で『万葉集』がとどけられたこともあると......られたこともあるという。やがて純真な二つの魂は信頼と敬愛......の情にむすばれ、二代教主のすすめによって婚... | 7097 |
7098 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >3 教主補 出口日出麿 | 神仙の世界 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 171 件/ノ=171 | ... 一九三五(昭和一〇)年の一二月第二次大本事件が勃発し、大本教団は......権力によって徹底的に壊滅させられた。事件の核心が、大本......の教義思想にふれてくるにつれて、日出麿師に......れてくるにつれて、日出麿師にたいする警察の態度はきわめて苛酷なも......のになった。そ......の後における異常な行為と精神虚脱......の状態や経過については、六編......の第二次大本事件の章にのべられているが、一... | 7098 |
7099 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >4 信徒の指導と巡教 | 4 信徒の指導と巡教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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7100 | 大本七十年史 下巻 | 第8編 >第1章 >4 信徒の指導と巡教 | 信徒の指導 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 245 件/ノ=245 | ...すぐれた芸術的気質と、きわめて謙虚な天性の持主である。そ......のひたむきな精進そ......のままが、全信徒へ......のおおきな指導力となっている。またもとめら......たいして即座に明快な解答をあたえ、それらの言葉が「木......の花」誌や、......のちには「おほもと」誌などに掲載され、やが......」誌などに掲載され、やがて花明山新書『私の手帖』(昭和32・3)『続・私の手帖』(... | 7100 |