番号 | 文献名1 | 文献名2 | 文献名3 | 著者 | 発表年 | 詳細 | 本文内のヒット件数 | プレビュー(最大 8 件まで表示) | 番号 |
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6901 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 | 機構の改革と人事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 81 件/ノ=81 | ... 一九二五(大正一四)年の初頭から、一五年......の節分にかけて、三次にわたる機構ならびに人......分にかけて、三次にわたる機構ならびに人事の改革が、やつぎばやにとりおこなわれた。 ......一月二〇日になされ、大本および大本瑞祥会の規約があらためて制定された。こ......の時期は、あらたな大本......の黎明期であったといえよう。王仁三郎はみず......みずから大本総裁に就任し、統一・進展主義の陣頭にたって、亀岡におかれていた瑞祥会本......れた。制定された条文をみると、役員と職員の区別を明瞭にし、「神教伝達使」(後の信教... | 6901 |
6902 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 | 債務の整理 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 186 件/ノ=186 | ...いたころから、もっとも切実な問題となってのこされていたも......のに、大正日日新聞社......の社債四九万九四〇〇円(別に借入金一三万九......〇〇円(別に借入金一三万九六一九円)償還のことがあった。かねがねこ......の償還整理......の問題については、幹部会議がたびたびひらか......は、幹部会議がたびたびひらかれており、その整理に奔走努力されていた......のであるが、一九二四(大正一三)年の八月二... | 6902 |
6903 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 | 国内宣教と造営 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 213 件/ノ=213 | ... 一九二五(大正一四)年の節分大祭を期として、旧亀岡城址......の整備が着手された。そしてこれまでここを万......。そしてこれまでここを万寿苑とよんでいたのを、正式に天恩郷と命名した。 天恩郷建設......を、正式に天恩郷と命名した。 天恩郷建設の陣頭指揮は聖師みずからによってとられ、一......らによってとられ、一木一石にいたるまでその配置に心がくわえられた。旧城址には、これ......址には、これまでに、一九二〇(大正九)年の八月に大道場としてバラックだて......の一棟がたち、一九二一(大正一〇)年......の七月一〇日に、聖師の居室兼事務所として瑞... | 6903 |
6904 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 | 大審院の判決 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 54 件/ノ=54 | ... 一九二四(大正一三)年の七月二一日に、大阪控訴院で判決された第一......た第一次大本事件は、被告側が即日上告したので、審理は大審院にうつされた。 大審院に......ついで六月一二日に開廷され、花井弁護人らの弁論があって、矢追検事が意見を......のべた。こうして七月一日には、大審院でつぎ......べた。こうして七月一日には、大審院でつぎのような決定をみた。一件記録ヲ審案スルニ被......ルニ被告人王仁三郎ニ対スル原判決ニハ事実ノ誤認ヲ疑フニ足ルベキ顕著ナル事由存スルコ......トヲ認ムルヲ以テ同判決ハ之ヲ破毀スベキモノトス 有罪......の原判決が破毀されたので、この事件はあらた... | 6904 |
6905 | 大本七十年史 上巻 | 第4編 >第4章 >4 あらたな建設譜 | 暁天の機運 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1964刊 | DB・ RMN |
全 165 件/ノ=165 | ... 八月九日(旧七月一二日)、聖師の五七回誕生祭が五六七殿でおこなわれたが、......七回誕生祭が五六七殿でおこなわれたが、このときには約一〇〇〇人......の参拝者があり、聖地ははればれとしたよろこ......ればれとしたよろこびにみちあふれた。聖師の開窟をいわう歌句集『暁天』(和歌・俳句・......・俳句・冠句・漢詩・雑歌)が湯川貫一ほかの選者によってえらばれたが、それが浄書され......てえらばれたが、それが浄書されて、一〇冊の和製綴帙入として、聖師......の手もとにとどけられた。そして印刷製本され......ことになり、一九二一(大正一〇)年以来その機会がえられなかった聖師と、二代教主のと... | 6905 |
6906 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 | 第一章 宣教の積極化 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6906 | |
6907 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ | みろく大祭 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 315 件/ノ=315 | ...明治二五)年、「三千世界いちどにひらく梅の花、艮......の金神......の世になりたぞよ。梅で開いて松でおさめる神......になりたぞよ。梅で開いて松でおさめる神国の世になりたぞよ。こ......の世は神がかまわなゆけぬ世であるぞよ。……......るぞよ。……神が表にあらわれて、三千世界の立替え立直しをいたすぞよ」と、艮......の金神......の名によって、国常立尊のかみがかりが、突如... | 6907 |
6908 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ | 大祭後の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 212 件/ノ=212 | ... みろく大祭後の本部は、宣教活動が活発となり、また教団......の組織体制も軌道に......のって、聖師......の統制......のもとに順調な発展をみるにいたった。そこで......るにいたった。そこで一九二八(昭和三)年の八月には、聖師......の誕生祭を機として、総裁を井上留五郎・瑞祥......雄・天恩郷主事に御田村竜吉を任命し、綾部の第一天声社(本社)社長には岩田久太郎、亀... | 6908 |
6909 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >1 現界的活動へ | 聖師巡教の旅へ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 236 件/ノ=236 | ... みろく大祭後の聖師は、一九二八(昭和三)年......の五月から巡教......の旅にたった。これもまた現界的活動を積極化......れもまた現界的活動を積極化せんとする動きのあらわれであった。〈四国......の巡教〉 聖師は岩田久太郎・栗原白嶺ほか二......、神戸から浦戸丸で高知に到着した。高知市の足立卓子邸・香長文部に宿泊し、大歩危・小......大歩危・小歩危を自動車でこえて、徳島・神ノ洲・栲機・徳島中央......の各分所・支部などを巡教した。しかしその巡... | 6909 |
6910 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 | 2 教線の拡充 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6910 | |
6911 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 | 巡教活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 95 件/ノ=95 | ... 聖師の巡教に呼応して、出口日出麿教主補......の巡教や、各宣伝使による講演会・座談会など......国各地であいついで開催され、教団をあげての宣教活動がすすめられた。 日出麿教主補......の一行は、一九二八(昭和三)年......の五月に、浜松・用宗・湯ヶ島・西駿河・名古......一・分所一・支部二四ヵ所をまわって、各地の信者大会に出席したり、座談会をもよおした......会をもよおしたりした。教主補によって信仰のあり方が平易にとかれ、また多く......の短冊や額などにも揮毫されたりした。また鎮... | 6911 |
6912 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 | 満州巡教と世界紅卍字会 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 334 件/ノ=334 | ...〈世界紅卍字会赴日団〉 道慈宣揚の目的で中国......の世界紅卍字会から訪日した赴日団......の一行一八人は、一九二九(昭和四)年九月二......こで二三日に聖師は道院におもむいて、団長の王性真や侯延爽(大正一二年にも来日)ら......の挨拶をうけ、翌二四日に帰綾した。一行は二......二八日に綾部に参拝して、聖師に道院儀式用の道服を献じた。二九日には、一行は、聖師・......には、一行は、聖師・二代教主とともに亀岡の天恩郷につき、三〇日......の夜、大祥殿の神前で開壇され、さらに翌一〇... | 6912 |
6913 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >2 教線の拡充 | 海外の宣教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 408 件/ノ=408 | ... ヨーロッパ宣教がどのようにして軌道に......のっていったかについては、すでに上巻......の四編四章で......のべた......ので、ここではそ......の他......の海外各地域......の宣教状況からみてみよう。〈満州〉 満州(... | 6913 |
6914 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き | 3 教団発展への動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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6915 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き | 宗教と芸術 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 314 件/ノ=314 | ... 宗教と芸術との関係については、一九二三(大正一二)年......の七月に、聖師によって、『霊界物語』(65......って、『霊界物語』(65巻・総説)につぎのように......のべられている。「芸術と宗教とは兄弟姉妹......のごとく、親子......のごとく、夫婦......のごときも......ので、二つながら、人心の至情に根底をかため... | 6915 |
6916 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き | 本部の体制 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 280 件/ノ=280 | ...〈組織と人事〉 このようにして、教団はめざましい発展......の機運をむかえた。それは、第三者からも「何......それは、第三者からも「何しろ大本教は破竹の勢をもって発達してゐるらしい。将来恐るべ......。 こうしたなかで、一九二九(昭和四)年の七月三〇日には、三代直日に長女がうまれ、......れ、聖師によって「直美」と命名された。女の世継ができた......ので、出口家一族や信者......のよろこびは一方ならぬも......のがあった。 発展に対応して、教団組織もさ... | 6916 |
6917 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第1章 >3 教団発展への動き | 梅花運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 266 件/ノ=266 | ... 一九三一(昭和六)年の二月四日、例年......のとおり綾部......の五六七殿で節分祭がとりおこなわれたが、こ......五六七殿で節分祭がとりおこなわれたが、このとき......の参拝者は殿内りっすい......の余地なく、八万に......のぼる人型......の大祓行事がおごそかにとりおこなわれた。 ... | 6917 |
6918 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 1 満州事変と大本 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 20 件/ノ=20 | ... 一九二八(昭和三)年三月三日のみろく大祭後......の大本には、第一次大本事件......の暗い影は一掃された。活気にみちみちた宣教......に展開され、聖師をはじめとする教団首脳部の巡教は、全国......の信者......の信仰意欲をもりあげた。『霊界物語』......の拝読を通して国際性がつちかわれ、また文芸......ようになり、一九三一(昭和六)年ころまでの大本には、まことに順調で明朗なふんい気が... | 6918 |
6919 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 人類愛善と青年の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 159 件/ノ=159 | ... 一九三一(昭和六)年五月一八日、東京の日本青年館で、日本宗教平和会議が開催され......年館で、日本宗教平和会議が開催された。この会議は翌年ワシントンで開かれる世界宗教平......で開かれる世界宗教平和会議にたいする日本の提案議題を決定するため......のも......のであった。そ......の議案は、「如何にせば宗教が人類に奉仕し得......人類社会から悲惨な戦争を絶滅せしめて、この地上に永遠......の平和が招来されるであらうか」であった。大... | 6919 |
6920 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 桶伏山の建碑 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 96 件/ノ=96 | ... 一九三一(昭和六)年の八月、出口聖師......の更生......の祝が盛大におこなわれ、教団をあげて躍進的......こなわれ、教団をあげて躍進的活動に入る旨の指示があった。そ......の指示にたいして、諸会議で一致して協力しよ......おこなわれた。地方においてもようやく、そのため......の本格的活動がなされようとするときもとき、......的活動がなされようとするときもとき、九月の八日には、綾部の本宮山(桶伏山─鶴山)の... | 6920 |
6921 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 満州事変の突発 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 143 件/ノ=143 | ...(昭和六)年九月一八日、満鉄柳条溝で鉄道の爆破事件が突発した。これが満州事変......の発端となる。 中国大陸と日本と......の歴史的なつながりは古く、かつ、すこぶる深......つながりは古く、かつ、すこぶる深い。昭和の年代にはいってからも、昭和二年三月二四日......年代にはいってからも、昭和二年三月二四日の南京事件・七月八日第一次山東出兵、昭和三......でおこっており、紛争がたえなかった。日本の中国大陸にたいする国策は、中国......の内紛や内政にまで干渉する結果となって、激......政にまで干渉する結果となって、激しい排日の運動がことあるごとにもりあがり、加うるに... | 6921 |
6922 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 大本本部の指導態度 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 158 件/ノ=158 | ... 一九三一(昭和六)年の一一月一一日から五日間にわたって、綾部に......、綾部において大本大祭がおこなわれた。そのころさかんになっていた明光社......の文芸活動は、信者......の各層にもひろがっていた......ので、大祭を期しておこなわれた歌句など......の応募は、きわめて多数に......のぼり、秀逸......のものは発表されて神苑内に掲示された。また... | 6922 |
6923 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 昭和青年会の改組 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 67 件/ノ=67 | ...ことである。 従来各地にできていた各地区の昭和青年会は、一〇月一八日(旧九月八日)......部・武術部・代理部をおき「本会は人類愛善の大精神にもとづき、昭和......の大神業......のため献身的活動奉仕をなすを以て目的」とす......とを明らかにした。そして会員は一五才以上の男女で、壮年・老年......の人たちまでも会員となることができるとした......これは全信者が会員になることを意味したものである。会長には聖師みずからがたち、宇知......り、統務部主任に伊藤栄蔵が就任した。本部の通達によると「旧九月八日に聖師様が昭和青... | 6923 |
6924 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 宣統帝問題 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 254 件/ノ=254 | ...一回総会において、会長補が「会長はいつどの方面にご出動になるか知れない状態になって......るか知れない状態になっております……」とのべたことである。 聖師は満州事変がおこる......日に、突如東上して秘密裡に軍人・政治家その他要路......の人々と会談して二七日に亀岡に帰り、翌二八......に亀岡に帰り、翌二八日には川島浪速と、その娘芳子らと面談した。川島と......の会談では側近......のも......のを遠ざけ、川島が耳が遠かったので筆談して... | 6924 |
6925 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >1 満州事変と大本 | 一九三一年(いくさのはじめ) | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 67 件/ノ=67 | ... 聖師の代理として渡満し活動をつづけていた日出麿......年一月一三日満州から帰国した。そして綾部の波多野記念館で「満蒙五ヶ月」という題でつ......多野記念館で「満蒙五ヶ月」という題でつぎのような報告講演をおこなった。 まず講演......の前半は、満州......の後進性を説き、いくつか......の実例をあげてくわしく説明した......のち、結論として「日本が軍閥を駆逐しなくと......として「日本が軍閥を駆逐しなくとも、長年の軍閥に対する人民の憎悪が凝り固まって一騒... | 6925 |
6926 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 非常時と愛国運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 77 件/ノ=77 | ... 満州事変によって大本の諸活動は、時局に対応する愛国運動......の様相を呈してきた。しかしそ......のために大本本来......の宗教的活動が停滞していた......のではない。時局に対応して表面上活発な動き......。時局に対応して表面上活発な動きをみせたのは人類愛善会・昭和青年会であって、大本......の宣教活動はいぜんとじみちにつづけられてい......はいぜんとじみちにつづけられていた。教団の宣教史上からみれば、駐在・特派宣伝使の活... | 6926 |
6927 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 『天祥地瑞』の口述 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 175 件/ノ=175 | ... 一九三三(昭和八)年の一〇月四日(旧八月一五日)から霊界物語『......(旧八月一五日)から霊界物語『天祥地瑞』の口述か開始されることとなった。『霊界物語......)に詳記しておいたように、第一次大本事件のさなか、一九二一(大正一〇)年一〇月一八......〇)年一〇月一八日(旧九月八日)から綾部の松雲閣において口述され、一九二六(大正一......れていたが、それ以後口述が中絶していたものである。 『天祥地瑞』......の序文(七三巻)には「神務は年を逐ひますま......「神務は年を逐ひますます繁忙となり、口述の寸暇を見出す能はざりしが、非常時日本......の状態に鑑み、一切の雑事を放棄し、いよいよ... | 6927 |
6928 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 多彩な大本 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 165 件/ノ=165 | ... 一九三四(昭和九)年の一月二三日、第六五議会再開......の第一日に、衆議院において質疑......の第一陣に立った床次竹二郎は「吾々は神に仕......立った床次竹二郎は「吾々は神に仕へる敬虔の念と至誠とを以て行動せんとする......のである。これが即ち政機運用......の根本観念であり、同時に政局......の不安を除く所以であつて、こ......の非常時局に於て、上宸襟を安んじ奉る唯一の... | 6928 |
6929 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 挙国更生運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 106 件/ノ=106 | ...。犬養内閣が倒れて斎藤内閣になった。 このころ農村恐慌が大きく国内をゆさぶって経済......きく国内をゆさぶって経済界は萎縮し、農民の窮乏は言語に絶する状態で飢餓にあえぐも......のか続出した。一九三〇(昭和五)年......の九月に生糸相場か暴落し、総農家......の四割をしめる養蚕農家......の打撃は大きく、野菜......の値段も急速に下落した。「キヤベツ五十個で......価もまた四割ほど下ってしまった。工業製品の価格との格差がひどくなり、農民の生活は、... | 6929 |
6930 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 昭和青年会と防空運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 113 件/ノ=113 | ... 一九三二(昭和七)年八月の第六二回瑞霊真如聖師生誕祭には、全国より......、亀岡天恩郷東光苑において、はじめて聖師の査閲をうけた。八月二三日には青年会......の規約が改正され、総裁・総裁補を推戴、青任......した。そして航空部・訓練部が新設され今後の運動......の進展にそなえた。 さらに同年一一月......の大本大祭には、制服を着用した青年会全員が......自発的にきめた会服は、奉仕作業に適するものとして、一つは黒......のビロード地でルパシカまがいのもの、一つは... | 6930 |
6931 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 満蒙博覧会に大本館特設 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 108 件/ノ=108 | ... 満州事変の後......の「人類愛善新聞」は、毎号にわたって満蒙に......国民各層に訴えていった。そして「三千世界の梅開いて、実現する神......の経綸」「日支問題は此......のまま納まらず、東亜は更に難局へ」「世界は......」「世界はいま断末魔に喘ぐ、精神文明樹立の秋」「全日本に捲き起った空を護れ......の声」等々......の論文がつぎつぎに掲載されて、大本の神示警... | 6931 |
6932 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 昭青・坤生会等の諸体制 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 114 件/ノ=114 | ...旗)が鶴山織で制作されることになった。この神旗については、「こ......の度神示により『艮鬼門大金神』『坤鬼門大金......示により『艮鬼門大金神』『坤鬼門大金神』の両神旗を、本部を始め別院、分院、分所、支......つ如何なる場合に、どういふ御用にたちますのか、そ......のへん......の所は御神命によって通達させられるはずであ......って通達させられるはずでありますから、この際一日も早く思召通りにこれを備へておいて......れを備へておいて頂き度いと存じます。愈々の時になれば『艮の金神』『坤の金神』の名に... | 6932 |
6933 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 皇道大本への改称 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 78 件/ノ=78 | ... 一九三三(昭和八)年の旧一月一日(二月三日)には、節分祭を期し......という名称に復帰することになり、皇道大本の信条が発表された。開祖......の開教......の明治二五年から数えて満四一年目、聖師......の神教宣布奉仕......の年から数えて満三五年目にあたっている。皇......五年目にあたっている。皇道大本信条はつぎのように記されている。第一条 我等は天之御......等は天之御中主大神が、一霊四魂、三元八力の大元霊にして無限絶対無始無終に宇宙万有を... | 6933 |
6934 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 諸運動の展開 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 234 件/ノ=234 | ... 「皇道大本」に復帰した節分大祭の行事中、二月五日亀岡天恩郷......の東光苑で、昭和青年会......の分列式を査閲した総統出口聖師によって、「......々はじめ諸君は、神界から選まれたるところの愛善......の神軍であります。今日は非常時日本であって......であります。今日は非常時日本であって、あの国際連盟......の状態を見ても容易ならざる時機となって居る......状態を見ても容易ならざる時機となって居るのであります。ついては天津御祖の神の依さし... | 6934 |
6935 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 諸運動の指導理念 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 136 件/ノ=136 | ...称し、人類愛善会・昭和青年会・昭和坤生会の諸運動が、非常時日本......の時局を背景に活発に展開されたそ......の指導には、神示にもとづく立替え立直し......の時期......の切迫というぬきさしならぬ緊迫感が、底流に......たことは争われない事実である。 大本出現の基本となっている立教......の精神には、いうまでもなく「三千世界......の立替え立直し」が大きな骨子となっている。... | 6935 |
6936 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第2章 >2 皇道運動と大本 | 内外多事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 108 件/ノ=108 | ...・戦傷病者見舞・戦死者慰霊・愛国恤兵財団の後援・国防思想......の普及・国体閏明運動など多彩な運動を展開し......運動を展開した。したがって本部はもちろんのこと、各分所・支部......の全員は、いきつくひまもないほど......の活動をつづけた。堅い信仰を内面にもつ信者......い信仰を内面にもつ信者・会員たちは、本部の指令は神命にもとづくも......のであり、諸運動は神......の経綸で、神業であるとうけとめていた。その... | 6936 |
6937 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 創立にいたるまで | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 167 件/ノ=167 | ... 一九三四(昭和九)年の七月に昭和神聖会が発会したが、こ......の会を創立した聖師......の意図は、「今やウラル......の嵐は何時日本......の本土に向つて吹きつけて来るか知れないまで......本土に向つて吹きつけて来るか知れないまでの危機に直面し、また一方太平洋......の荒波はこ......の大和島根を呑まむとしてゐる非常時なのであ... | 6937 |
6938 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 声明・主義・綱領 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 68 件/ノ=68 | ... 一九三四(昭和九)年の七月二二日、昭和神聖会は世人注目......のうちに発会した。 「人類愛善新聞」は全面......。 「人類愛善新聞」は全面をついやしてその発会を報道した。そ......の文には「……ここに出口玉仁三郎氏......の蹶起とはなり、過去数ヶ月間、帝都を中心に......諒解盟約を遂げたる結果として、それら人士の支持声援によつて新たに昭和神聖会......の結成発会を見るに至つた。即ち愛国的諸団体......結成発会を見るに至つた。即ち愛国的諸団体の戮力合同を促進し、憂国諸名士の協心結束を... | 6938 |
6939 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 海軍軍縮条約廃止運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 50 件/ノ=50 | ... 人類愛善会・昭和青年会・昭和坤生会の各地方支部代表者は、昭和神聖会発会式後、......にあつまり、地方組織を急速に結成するための協議会を開いた。そしてすくなくとも八月末......た。そしてすくなくとも八月末日までに全国の主要都市一一ヵ所に地区本部を、また各地に......本部を、また各地に支部を結成するようにとの本部......の指示をうけて、各支部へかえっていった。 ......題となっていた海軍軍縮問題における日本側の主張は全然うけいれられず、英米各国......の要求に屈服する......のやむなき状態に立ちいたることが濃厚になっ... | 6939 |
6940 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 地方組織の拡大 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 152 件/ノ=152 | ... 総本部の指示をうけた地方......の代表者は、それぞれ帰国後、大本......の信者、昭青・坤生各会員に、昭和神聖会創立......信者、昭青・坤生各会員に、昭和神聖会創立の要旨を説明するとともに、全員協力して賛同......説明するとともに、全員協力して賛同者をつのり、地方本部・支部......の結成に不眠不休......の活動をはしめた。結成にあたって信者・会員......あたって信者・会員にもっとも魅力であったのは、出口聖師が中心に立つということであっ... | 6940 |
6941 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 内外の反響 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 118 件/ノ=118 | ...昭和神聖会が創立されたことについて、全国のおおく......の新聞は、大なり小なり紙面をさいて報道し、......聞は、大なり小なり紙面をさいて報道し、その評論記事を掲載した。「万朝報」は「久しく......記事を掲載した。「万朝報」は「久しく丹波の山奥に雌伏していた一世......の怪物出口王仁三郎氏......の主唱により……これを機会に愛国諸団体と......の結合を図り漸次政治運動に入るも......のと観られ、今後の動向について各方面から多... | 6941 |
6942 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 農村救済運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 96 件/ノ=96 | ... 統管が東北地方組織のため、地方本部・支部発会式に臨んだころは......地方本部・支部発会式に臨んだころは、全国の農山村は、水害・冷害・旱害などによって非......をうけていた。ことに東北地方は二、三年来の冷害によって、農作物......の収穫は極度に減収した。「未曽有......の大凶作」と喧伝されているさなかであった。......」と喧伝されているさなかであった。岩手県の上閉伊郡青笹村在郷軍人分会が一〇月二四日......在郷軍人分会が一〇月二四日、全国三〇〇万の在郷軍人に窮状をうったえるために、たちあ......管にたいしては、いたるところで各地方団体の代表者が、窮状打開のうったえをもって面会... | 6942 |
6943 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 指導精神の統一 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 101 件/ノ=101 | ...五(昭和一〇)年一月四日から、さらに統管の地方旅行は四国にはじまって九州におよんだ......行は四国にはじまって九州におよんだ。六日の四国高知における発会式をかわきりに、七日......小倉・三一日門司・二月一日には山口県長門の各支部発会式に......のぞんで、ひとまず亀岡天恩郷にかえった。節......ていたからである。 日出麿総統補は、統管の活動と昭和神聖会......の発展を、「神聖運動賦」と題してつぎ......の詩をよんだ。千歳一遇天業之時、神剣発動し......大命降る、聖師身を挺して陣頭に在り、言霊の勇士火の如く進む、風格堂々場を圧倒し、熱... | 6943 |
6944 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 天皇機関説と人類愛善新聞 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 101 件/ノ=101 | ...代表ワシリー・べ・バルイコフは、同党本部の指令によって一行九人とともに亀岡......の天恩郷に出口統管をおとずれた。そして統管......誉顧問に推戴する伝達式をおこなった。 このころすでに昭和神聖会はファッショ的団体だ......ョ的団体だとする声があった。とくに伊太利のムッソリーニに関係......のあった下位春吉が、昭和神聖会......の講師として統管とともに行動していたために......として統管とともに行動していたために、その憶測はいっそうひろまった。しかも全露白系......うひろまった。しかも全露白系ファッショ党の顧問に推戴された記事が、「人類愛善新聞」... | 6944 |
6945 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第3章 | 創立一周年 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 186 件/ノ=186 | ...二七日に、日本政府が国際連盟を脱退する旨の通告を発してから満二ヵ年を経過した。一九......した。一九三五(昭和一〇)年三月には脱退の効力が発生(連盟規約第一条)して、名実共......なった。昭和神聖会は、二七日に「方今世界の情勢益々紛糾し、皇国内外......の事態いよいよ緊張を要すべき秋とはなれり、......態いよいよ緊張を要すべき秋とはなれり、此の際我等九千万同胞は、昭和八年三月二十七日......、昭和八年三月二十七日渙発せられたる詔書の大御心を奉戴服膺し、如何なる艱難試練に当......る艱難試練に当面するも勇往邁進、神洲臣民の大使命遂行を期すべきなり」という声明を発......を発表し、「国際連盟は世界平和、国際協調の美名の下に、白色人種の既得権をのみ擁護し... | 6945 |
6946 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 | 第四章 教団の発展と充実 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6946 | |
6947 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >1 巡教 | 1 巡教 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 12 件/ノ=12 | ... 一九二八(昭和三)年三月三日のみろく大祭以降、大本......の宣教活動は順調に発展した。ことに満州事変......、昭和青年会・昭和坤生会・昭和神聖会などの諸団体が結成され、社会的にも運動がたかま......社会的にも運動がたかまりをみせた。これらの活動については二章・三章ですでに記述した......章ですでに記述したとおりである。しかしそのために、大本本来......の宗教的・内面的活動が停滞した......のではなかった。こ......の四章では満州事変以後における、主として教... | 6947 |
6948 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >1 巡教 | 聖師の巡教と歌碑 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 375 件/ノ=375 | ...田久太郎を随行として山形県飽海郡西遊佐村の東北別院開院式に......のぞんだ。こ......の別院は松林・農園をあわせて三三〇〇坪あり......れた。ついで一〇月五日、一行は北海道山部の北海別院道場びらき......の祭典に......のぞみ、ここでも別院は鳳明殿、道場は更生殿......には十和田湖に清遊した。一〇日には盛岡市の竹内邸に入りここを盛岡分院とした。一一日......に入りここを盛岡分院とした。一一日に仙台の仙郷別院をへて一三日は福島県の白河分所に... | 6948 |
6949 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >1 巡教 | 日出麿師の宣教と教化 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 157 件/ノ=157 | ... 一九三二(昭和七)年一月三一日、総統補の日出麿師は丹波......の口大野・峰山支部等を巡教し、三月二日から......を拠点として豊玉・芝・大成・麹町、福島県の白河・郡山・平、千葉県......の瑞月各支部などを巡教した。四月二四日、出......特派宣伝使を随行として九州別院春季大祭にのぞんだ。それより佐賀県に入り鹿島分所・武......県に入り鹿島分所・武雄支部をへて五丁田村の大本筑紫分社ならびに瑞雲大竜神......の鎮座祭に臨席しこ......の分社の山を瑞雲山と命名した。ついで真明支... | 6949 |
6950 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >2 教団の充実 | 2 教団の充実 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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6951 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >2 教団の充実 | 本部での動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 172 件/ノ=172 | ... 一九三二(昭和七)年の二月六日には、綾部で大本開教四十周年祭が......で大本開教四十周年祭がおこなわれたが、その前日......の二月五日に大本瑞祥会第五回総会がひらかれ......日に大本瑞祥会第五回総会がひらかれた。その席上、全国総市町村支部設置運動と霊界物語......総市町村支部設置運動と霊界物語拝読会設置の二件が本部から提案され決議された。第一次......れ決議された。第一次大本事件によって神諭の発表が禁止されてからは、本部も各宣伝使も......を基本として宣伝するようになっていた。そのこともあって物語......の拝読かさかんになり、本部より指導のために... | 6951 |
6952 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >2 教団の充実 | 神苑の造営と祭事 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 147 件/ノ=147 | ...昭和七)年二月一日には、更生館北側に聖師の画室が更生館付属建物としてたてられ、みろ......られた。二月一六日には、天恩郷北側(現在の植物園)に万祥殿を建設するために地鎮祭が......・五坪で広前だけでも一〇〇〇畳敷き、屋根の高さ一八メートル、総銅葺き......の予定であり、神殿・拝殿・広前をそなえ、広......定であり、神殿・拝殿・広前をそなえ、広前の約三分......の二は椅子席、三分......の一を畳席とする構想であった。七月二二日に......完成した。瑞声閣は建坪二五〇坪、和洋折衷の総二階だてである。大本瑞祥会各部課はここ... | 6952 |
6953 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >2 教団の充実 | 文書宣伝 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 241 件/ノ=241 | ... 大本の文書宣伝においてもっとも重要な機関となっ......書宣伝においてもっとも重要な機関となったのは天声社である。一九三一(昭和六)年......の六月四日亀岡天恩郷にあらたに建設工事をは......完成式をあげ、翌七年二月二日綾部第二工場の移転を完了した。こ......の工場はそ......の設備において山陰随一としようせられ、印刷......印刷工業組合からは、一般工場を圧迫するものとして組合......の調査委員が視察にきたほどである。昭和八年... | 6953 |
6954 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >2 教団の充実 | 二代教主と鶴山織 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 331 件/ノ=331 | ... 三代教主直日は「つる山織と銘打ったのは母からですが、そ......の源は教祖さまからです。教祖さまは織物はな......うですか、糸ひきが大へん上手で、教祖さまのひかれた糸は光沢があって普通......の人......のひいた糸とは違っていたということを聞いて......は違っていたということを聞いています。その機......の元を受けついで母が立派な織も......のにしたのです」(昭和40・1)と語ってい... | 6954 |
6955 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 | 3 教勢の拡大 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6955 | |
6956 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 | 諸団体の活動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 326 件/ノ=326 | ...〈人類愛善会の動き〉 一九三二(昭和七)年八月三一日人......長御田村竜吉・米倉嘉兵衛、理事三三人などの新役員を任命した。そして愛善運動......の基本方針として、愛善運動は大本運動......の外郭であるが、精神においては大本運動であ......あるが、精神においては大本運動であり、この運動は海外により多く活動することとし、大......動は海外により多く活動することとし、大本の諸運動と背馳せぬよう連絡協力することにな......ることになった。会員は会友(人類愛善新聞の継続購読者)・正会員(継続購読者で入会手......・維持会員(維持費として毎年五円以上納入の者)・特別会員(一時一〇〇円以上、または... | 6956 |
6957 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 | 海外での発展 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 421 件/ノ=421 | ...〈満州(中国の東北)〉 満州事変直後聖師はただちに日出......出麿総統補を満州へ派遣したが、本編二章でのべたごとく満州における総統補......の活動は迅速かつ果敢であった。そ......の当時、奉天憲兵隊長......の三谷清、義勇団長兼軍人分会長......の四戸、副団長......の田原、衛生係長......の浜田豊樹、長春自主連盟支部長の箱田琢磨等... | 6957 |
6958 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 | 昭和一〇年ごろの教勢 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 14 件/ノ=14 | ...〇)年には開教四十三周年を迎えていた。その開激動する時流......のなかで大本宣教が力強くくりひろげられてき......事件によって教団本部に保存されていた記録の多くは失われてしまった。そ......のため、次頁から......の一覧は当時地方に配布され保存されていた印......れ保存されていた印刷物や、笊二次大本事件のさい当局が作成した資料などによって再整理......局が作成した資料などによって再整理したものである。なお、資料を作成した時点は、とく......、資料を作成した時点は、とくに汪記したもの以外は、昭和一〇年一一月現在としている。... | 6958 |
6959 | 大本七十年史 下巻 | 第5編 >第4章 >3 教勢の拡大 | 大本記事の報道 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 34 件/ノ=34 | ...二(昭和七)年から一九三五(昭和一〇)年の間を例にとってみても、全国紙・地方紙をあ......も、全国紙・地方紙をあわせて一九一紙にものぼり、日本内地......の宣教活動はもちろん......のこと、海外で大本が活動した諸地域について......た諸地域についても言及している。掲載記事のなかには、大本を誹謗した記事も一部にある......した記事も一部にあるが、大本および諸団体の活動に期待したも......のがおおく、運動・行事・談話など......の紹介・論評・解説などが主要記事となってい... | 6959 |
6960 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 | 第一章 第二次大本事件の原因 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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6961 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 | 1 弾圧の動機 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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6962 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 | 内部における予感 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 121 件/ノ=121 | ... 一九三五(昭和一〇)年一二月八日の未明、綾部と亀岡......の大本本部は警察官......の包囲をうけ、信仰......の聖場はついに蹂躪されるところとなった。第......ところとなった。第二次大本事件がおこったのである。第二次大本事件は、一五年前......の第一次大本事件とは比較にならないほど......の徹底的な大弾圧であった。事件発生直後、各......邪教大本を地上から抹殺する」という内務省の方針を強行したものであって、じっさいにあ... | 6962 |
6963 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 | 弾圧の背景 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 215 件/ノ=215 | ...になった。しかしながらこれによって、神諭のなかに不敬な個所があるという当局......の疑惑が一掃された......のではない。京都府警察部が、依然として大本......府警察部が、依然として大本にたいする疑惑の念をいだいていたことはいなめない。免訴に......だいていたことはいなめない。免訴になったのちも、「官憲が殊更らに大本教を弾圧せんが......憲が殊更らに大本教を弾圧せんがために無根の事実を捏造したも......のであると吹聴、逆宣伝して教勢拡張......の具に供してきたのである」(『古賀手記』)... | 6963 |
6964 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 | 軍部・右翼との関係 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 278 件/ノ=278 | ... 内務当局が、大本と革新派軍人との結びつきを極度におそれたことについて、そ......ない。したがって事件後に発表された関係者の談話や、敗戦後に公表されたり、これまでに......公表されたり、これまでに入手しえた当局側の秘密文書によって推定する方法をとらざるを......する方法をとらざるをえない。しかもそれらのうちには、検挙担当者が故意に宣伝効果をね......言もないではない。そこで『大本七十年史』の編纂にさいしては、公正を期するためあらた......た関係者に面会して取材することにした。その取材によると、以前に公表されたも......のと相当にことなった見解を表明している人々......となった見解を表明している人々もある。時の推移と人々の立場の変化が、こうした見解の... | 6964 |
6965 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 | 昭和神聖会と国家改造運動 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 304 件/ノ=304 | ... 昭和神聖会の発会式においてもっとも警視庁をしげきした......発会式においてもっとも警視庁をしげきしたのは、まず東京九段にある軍人会館......の使用である。軍人会館は建設されてまだまも......設されてまだまもないことで、軍関係者以外の使用はゆるされていなかった。ここで一民間......はゆるされていなかった。ここで一民間団体の昭和神聖会が発会式をあげた......のである。しかも各地方から参集した大本側......の代表者が、同館に宿泊し会合したことが警視......表者が、同館に宿泊し会合したことが警視庁の疑惑をふかめた。ついで副統管に内田良平を... | 6965 |
6966 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >1 弾圧の動機 | 国家改造請願運動の流言 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 313 件/ノ=313 | ... 『西園寺公と政局』(『原田日記』)のなかに大要つぎ......のような記述がある。昭和十年一月十一日、松......る。昭和十年一月十一日、松平侯爵が「大本の請願運動」......のことに関して、小栗警視総監と面会して以下......ことに関して、小栗警視総監と面会して以下のやうな報告を得た。まづ第一に、「大本教......の請願運動もだんだんやつてゐるやうであるが......動もだんだんやつてゐるやうであるが、東京の機関新聞(人類愛善新聞)を通じて見ると既......たといつてゐる。それは昭和神聖会といふものを通じてやつてゐて、関係方面に手を拡げて... | 6966 |
6967 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >2 検挙への準備 | 2 検挙への準備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 0 件/ノ=0 | 6967 | |
6968 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >2 検挙への準備 | 検挙の理由 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 216 件/ノ=216 | ... このようにみてくると、当局が昭和神聖会......の活発なうごきに恐怖し、「放置し得ざる」も......活発なうごきに恐怖し、「放置し得ざる」ものがあると断定して弾圧を決意した事情がほぼ......右翼団体を専門に調査していた内務省警保局の古賀強は「昭和神聖会......の活動状況を見ていると一面軍部と手をにぎる......ていると一面軍部と手をにぎる気配が見えるのですね。現役将校......の出入りが多い。……最初私達が調べなければ......…最初私達が調べなければならないと思ったのは、軍部とこうした右冀団体が結合してクー... | 6968 |
6969 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >2 検挙への準備 | 大津会議 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 85 件/ノ=85 | ...九三五(昭和一〇)年三月下旬、当局が大本の出版刊行物をあますところなく調査していた......り、又レコードあり、音楽部あり、今や映画の武器を備ふ。而して之を運転する豊富なる資......る豊富なる資金あり、蓋し宣伝に関する文明の利器を総動員せり」(『杭迫日記』)といわ......展していった。五月以降、聖師は昭和神聖会の運動には表面にたたず、地方へ......の出張も中止した。ただ亀岡天恩郷にとどまっ......止した。ただ亀岡天恩郷にとどまって、綾部の長生殿・亀岡......の万祥殿......の建設や自伝の映画撮影、また『天祥地瑞』の... | 6969 |
6970 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >2 検挙への準備 | 閣議決定 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 381 件/ノ=381 | ... 大津会議によって大本検挙の方針が具体化した。京都府警察部によってそ......方針が具体化した。京都府警察部によってその準備が急速に進められ内務省と......の打合わせもひんぱんになった。そ......の打合わせにはすべて暗号がつかわれている。......た検挙に必要と予想される書類として、大本の主義・綱領・規約集、大正十年事件記録写、......・規約集、大正十年事件記録写、幹部・信者の認識調、大本刊行物一覧、大本関係団体組織......月一日には内務省事務官秋吉威郎が打合わせのために入洛した。二日には、内務省が交渉し......方裁判所次席検事から京都地方裁判所検事局の検事正になって移動してきて、ここに検挙体... | 6970 |
6971 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第1章 >2 検挙への準備 | その前日 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 154 件/ノ=154 | ... おそらく閣議の決定をつたえ、検挙......の最後的打合わせをするためであったろう。一......う。一一月下旬に永野事務官が入洛し、京都の検事正徳永栄吉・警察部長薄田美朝と密談し......栄吉・警察部長薄田美朝と密談している。このころ当局側がもっとも苦心した......のは、そ......の後......の聖師および幹部......の行動日程を正確につかむことにあった。その... | 6971 |
6972 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 | 第二章 第二次大本事件の大検挙 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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6973 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >1 昭和一〇年一二月八日 | 綾部と亀岡を急襲 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 149 件/ノ=149 | ... ついにその日がきた。一九三五(昭和一〇)年......の一二月八日、午前零時を期して強権が発動さ......月八日、午前零時を期して強権が発動されたのである。内務省......の唐沢警保局長・相川保安課長総指揮......のもとに、近代日本宗教史上未曽有......の大本大検挙がはじまった。午前零時、「臨時......じまった。午前零時、「臨時歳末一斉警戒」の名目で召集されていた京都府下二六署......の警察官約五〇〇人を、京都御所の苑内をはじ... | 6973 |
6974 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >1 昭和一〇年一二月八日 | 出口聖師と幹部らの検挙 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 133 件/ノ=133 | ... 松江の島根別院へも同時に急襲がなされた。八日午......急襲がなされた。八日午前二時、松江署所轄の全警官と、大社・安来両署......の警官総勢およそ二八〇人が、非常召集された......総勢およそ二八〇人が、非常召集された。そのうち八五人......の警官隊は、警察部長官舎前で「これから大本......は、警察部長官舎前で「これから大本教襲撃のため行動を開始する。本部(大本)では相生......で訓練を積んで居る。それに剣、銃、爆弾等の装備も相当充実して居る模様である。如何な......。如何なる事態に発展するか知らぬが、諸君の生命は只今頂戴する。各自充分覚悟して貰ひ... | 6974 |
6975 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >1 昭和一〇年一二月八日 | 「邪教」との断定 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 285 件/ノ=285 | ... 大本検挙への動きを最初にキャッチした「大阪毎日新聞」......八日午前五時には号外第一報を発行した。その号外によると、検挙......の動機は、「第一には脱税疑獄......の派生的事件に関係ありとする観察と、また別......する観察と、また別個に皇道大本教本部自体の行動に関する重大なる疑惑、および皇道大本......行動に関する重大なる疑惑、および皇道大本の附随結社として中央知名......の士を網羅する昭和神聖会......の資金関係についての疑惑であるとも噂されて... | 6975 |
6976 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >2 警察の強圧と取調べ | 2 警察の強圧と取調べ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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6977 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >2 警察の強圧と取調べ | 信者の動き | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 207 件/ノ=207 | ...会的な非難によって邪教観が流布され、大本の人々を邪教徒・国賊とする世評が形づくられ......な立場にたたされたといってよい。だが信者のおおくは意外に平静であった。大本......の人々は、大正一〇年......の第一次大本事件......の時、あれほどさわがれたにもかかわらず、結......消したという経験をもっていたし、これまでの運動や自己......の信仰をかえりみても、やましいところはない......れていた。やがて事件はかならず解決するものとおおくの信者はうけとめたのである。しか... | 6977 |
6978 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >2 警察の強圧と取調べ | 暴行と「自白」の強要 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 255 件/ノ=255 | ... 主要幹部の検挙と第一次......の証拠品......の押収がおこなわれたあと一二月一四日、内務......六人)・府警察部(杭迫ら特高課員二六人)の三者が合同して事件以後初......の大規模な打合わせをおこなった。そして(1......打合わせをおこなった。そして(1)証拠品の整理、(2)取調べ係員を対象にした第一回......永野・古賀・杭迫らがあたる、(3)証拠品の整理をまって対人取調を開始、(4)内務省......まって対人取調を開始、(4)内務省警保局の臨時京都出張所(首席・永野事務官)の開設... | 6978 |
6979 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >3 大本抹殺の命令 | 3 大本抹殺の命令 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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6980 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >3 大本抹殺の命令 | くずれゆく教団 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 209 件/ノ=209 | ... 検挙された者の取調べが強圧化されつつあった昭和一一年......の一月から二月にかけては、出版物はもとより......った。 出版物関係では、「瑞祥新聞」「神の国」「昭和」「明光」「真如......の光」「神聖」、エス文......の「国際大本」と「緑......の世界」、ローマ字......の「日本」など......の月刊誌は、大検挙のおこなわれた一二月八日... | 6980 |
6981 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >3 大本抹殺の命令 | 建造物破却の命令 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 281 件/ノ=281 | ...日に、本部および地方をふくむ全教団建造物の強制破却処分を発令した。こ......の発令は即日京都府に、ついで一五日には全国......一五日には全国に示達された。これは「将来の信仰......の対象として残ることを恐れて」という徳永検......として残ることを恐れて」という徳永検事正の談話(「大阪毎日新聞」昭和15・2・28......しめされている。すなわち国家権力は、信者の組織的活動にとって不可欠となる建造物を地......不可欠となる建造物を地上から抹殺し、収入の道を失った教団にさらに破却......のための経済的負担をかけることによって、解... | 6981 |
6982 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >3 大本抹殺の命令 | 土地の不法処分 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 134 件/ノ=134 | ... 治安当局は建物だけでなく、教団財産一切の処分を強行する方針を当初からたてていた。......にしたて、現金・預金・証書および保生倉庫の在庫品や建築用資材など......の処分をおこなったが、さらに三月七日、京都......、京都府特高課は、王仁三郎に王仁三郎名義の動産・不動産・債権そ......の他一切......の財産処分に関する権限、実印使用......の権限を中村純一に委任させた。はじめ高橋警......村純一に委任させた。はじめ高橋警部は、この委任状を書けば、王仁三郎をはじめ留置者一... | 6982 |
6983 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 4 弾圧の嵐 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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6984 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 徹底的掃滅へ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 212 件/ノ=212 | ... 綾部・亀岡における大本の施設や土地......の破却処分と併行して、三月以降地方組織へ......の弾圧は一段ときびしいも......のとなった。 三月一四日内務・司法・支部当......三月一四日内務・司法・支部当局は「検挙後の動静楽観を許さず」として協議......の上、関係庁府県に各地......の情勢を報告するよう指令した。さらに一五日......に一五日に治安当局は、文部省宗務局や府県の社寺課、全国の警察署を動員して、地方にお... | 6984 |
6985 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 海外へも波及 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 130 件/ノ=130 | ... 大本弾圧の嵐は海外へも波及した。当時、樺太・台湾・......されていたか、とくに台湾・朝鮮は現地事情の複雑さもあって、治安対策がきびしくおこな......全国特高課長会議には、朝鮮・台湾各総督府の警察局事務官、樺太庁・関東局各警務部......の警部らが列席して大本にたいする取締りを協......大本にたいする取締りを協議し、三月一三日の団体解散および建物破却......の処分は、各行政官庁......の手をへて「外地」でも断行(「大阪朝日新聞......外地」でも断行(「大阪朝日新聞」)されたのである。 樺太でも警察への呼出し、押収な... | 6985 |
6986 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 冷たい社会の風 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 352 件/ノ=352 | ... 全国的につぎつぎと検挙の手がひろげられ、警察......の取締りがますますきびしくなっていくととも......ますますきびしくなっていくとともに、社会の冷たい風が大本信者......の上につよく吹きあれてきた。ことに忠君愛国......上につよく吹きあれてきた。ことに忠君愛国の精神が喧伝され、国体意識がもりあげられつ......識がもりあげられつつあったときでもあったので、諸新聞が一せいに「逆賊」「邪教」「叛......逆者」などと国賊視をあおったことで、世人の大本信者にたいする眼はいっそう冷やかにな......眼はいっそう冷やかになっていった。 世間の冷たい眼、嘲笑、悪罵、いやからせ、こうし... | 6986 |
6987 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 起訴と起訴猶予 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 135 件/ノ=135 | ... ここで読者の便をはがるために、全国的におこなわれた昭......に、全国的におこなわれた昭和一一年末までの検挙数と、そ......の処分について......の一覧表を、当局発表......の資料にもとづいて、次頁にかかげておこう。......て、次頁にかかげておこう。 もとより次頁の表は当局側......の公表資料であって、すべてが網羅されている......れたり、または出頭を命じられた数などはこの表にはしるされていない。それらの数をくわ... | 6987 |
6988 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 弁護活動への準備 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 216 件/ノ=216 | ... 当局の弾圧はすさまじいも......のであった。しかしこうした大弾圧......のなかで法廷闘争へ......の準備がはじめられた。当初から、姑息な手段......た。当初から、姑息な手段による事件解決への道をすてて、真向うから権力......の非違に対決しようとする積極的な道がえらば......に対決しようとする積極的な道がえらばれたのである。 事件当初、〝かく......のみの陥穽ありともしらずして正は邪に勝つも... | 6988 |
6989 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第2章 >4 弾圧の嵐 | 宗教への弾圧 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 120 件/ノ=120 | ... 大本の大検挙がはじまって間もない一九三五(昭和......はじまって間もない一九三五(昭和一○)年の一二月一六日には、天理教......の脱税事件が起こったが、昭和一一年に入って......てからは二月一三日天津教(教主竹内巨麿)の不敬事件、三月二二日には元大本信者......の矢野祐太郎が主宰する神政竜神会、また八月......には元皇后宮職女官長島津はるが神政竜神会の熱心な信者であったため帝都......の邪教事件として、ともに不敬事件で検挙され......に不敬事件で検挙され、九月二八日にはひとのみち教団(教祖御木徳一)が検挙された。 ... | 6989 |
6990 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 | 第三章 第二次大本事件の第一審 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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6991 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >1 予審 | 未決の生活 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 242 件/ノ=242 | ...五月一一日にはさらに山科にある京都刑務所の未決監に移送された。五条署に留置されてい......第二次大本事件で起訴された者はすべて未決の独房に入れられ、看守に監視されながら約一......ながら約一坪(三・三平方メートル)あまりの独房で寝起きすることになる。すべて一定......の時間に起き、一定......の時間に寝ること、そして起床から就寝まです......こと、そして起床から就寝まですわっているのが原則であって、医者......の診断がなければ昼間横になってやすむことは......になってやすむことは許されなかった。弁当の差入れのないものは、当時でも麦七分に米三... | 6991 |
6992 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >1 予審 | 予審での取調べ | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 217 件/ノ=217 | ... 検事局での取調べがおわり起訴されたも......のは、検事から予審判事あてに予審請求書(公......いて出口王仁三郎以下六人にたいする第一回の予審訊問があった。大本事件担当......の予審判事は、西川武・松野孝太郎・山本武・......は、西川武・松野孝太郎・山本武・今井敏夫の四判事であった。ついで五月一日から二日間......って、西川予審判事は田辺検事とともに綾部の皇道大本総本部へ、松野予審判事は玉沢検事......部へ、松野予審判事は玉沢検事とともに亀岡の本部へおもむき、それぞれ実地検証をおこな......き、それぞれ実地検証をおこなった。第一回の予審訊問は型のごとく勾留訊問がおこなわれ... | 6992 |
6993 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >1 予審 | 予審終結決定 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 162 件/ノ=162 | ... 予審終結決定のなかで示された王仁三郎......の犯罪理由......の主要部分は、つぎ......のとおりである。前掲大本教義ヲ宣伝シテ現世......とおりである。前掲大本教義ヲ宣伝シテ現世ノ立替立直 みろく神政成就ヲ強調スルト共ニ......直 みろく神政成就ヲ強調スルト共ニ 皇道ノ美名......ノ下ニ信者......ノ獲得ニ努メ来リタルモノニシテ 該教義ニ於... | 6993 |
6994 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >1 予審 | 弁護団の構成 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 72 件/ノ=72 | ... 弁護活動の準備が、大検挙......のあとただちに始められたことについては前章......ちに始められたことについては前章ですでにのべたが、そ......の後も弁護届がつぎつぎに出されて、予審終結......後も弁護届がつぎつぎに出されて、予審終結のころには弁護団......の顔ぶれもそろってきた。 東京側は清瀬一郎......林逸郎・田代三郎であった。清瀬は京都山科の刑務所に勾留中......の王仁三郎に会い、王仁三郎が『古事記』『日... | 6994 |
6995 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) | 2 第一審の公判(京都地方裁判所) | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
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6996 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) | 準備公判 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 68 件/ノ=68 | ...二日、京都地方裁判所では、第二次大本事件の裁判長として、京都地方裁判所刑事部長に約......司直治を任命した。原告官としては上席検事の小野謙三に決定し、公判......の陣容をとと......のえた。 昭和一三年三月四日と一六日には、......月四日と一六日には、庄司裁判長、陪席判事の大西和夫・黒坂一男、小野検事らと弁護人た......和夫・黒坂一男、小野検事らと弁護人たちとの会合があり、被告人を五班にかけて、第一班......会合があり、被告人を五班にかけて、第一班の公判準備手続きを五月一六日から始めること......から始めることにした。 かねて弁護人たちの間で問題にされていた予審調書記載内容の真... | 6996 |
6997 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) | 事実審理 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 282 件/ノ=282 | ... 第二次大本事件においては、予審の取調べ......のおわらない者があり、したがって全被告人......の準備公判がおわらないまま、本公判ともいう......仁三郎ほか六人で、庄司裁判長、大西・黒坂の両陪席判事、小野検事立会、大西・南......の両書記に弁護人一八人が列席して午前九時半......時半に開廷した。まず小野検事が公訴事実をのべおわると、林弁護人は検事にたいし、「結......う昭和三年三月三日至聖殿に昇殿した一七人のうち、梅田常次郎・浅野遙・中野岩太......の三人がなぜ起訴されていないのか、その理由... | 6997 |
6998 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) | 検事の論告 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 39 件/ノ=39 | ... 告発問題のため弁護団......の態度が硬化して延期をかさねていた公判も、......一八日・一九日と総論が述べられ、まず検事のみた「皇道大本......の根本目的」が、主として大本文献......の引用にもとづいてすすめられた。それによる......いてすすめられた。それによると「皇道大本の根本目的は立替立直によるみろく神政成就に......統治者となった時が神政成就なり」とし、その根本理由(根本教義)としてあげている......のは、「(1)国常立尊の退隠再現説、(2)... | 6998 |
6999 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) | 弁護人の弁論 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 130 件/ノ=130 | ...(昭和一四)年一 一月一〇日(第八二回)の公判から、一二月二〇日(第一〇四回)......の公判まで......の二三回にわたって、弁護人たち......の弁論がおこなわれた。 まず弁論......の方針としては、五月二六日......の公判で証人申請......のさい、清瀬一郎弁護人が全弁護人を代表して......弁護人を代表して述べた主旨にもとづき、その論点をつぎの七つにしぼることになった。 ... | 6999 |
7000 | 大本七十年史 下巻 | 第6編 >第3章 >2 第一審の公判(京都地方裁判所) | 第一審の判決 | 大本七十年史編纂会・編集 | 1967刊 | DB・ RMN |
全 350 件/ノ=350 | ... 大検挙以来四年三ヵ月の歳月がながれた。一九四〇(昭和一五)年二......(昭和一五)年二月二九日、京都地方裁判所の陪審大法廷において、いよいよ判決......の言渡しがおこなわれることになった。公判が......善四郎(愛善)、一四年に国分周平、一五年の一月五日に湯川貫一が病死し、出口元男は公......が病死し、出口元男は公判を停止されるなどの犠牲があいつぎ、こ......の日法廷に列席した被告人は五五人であった。......に列席した被告人は五五人であった。被告人の入廷後、弁護人一同列席し、ついで庄司裁判......で庄司裁判長、大西・黒坂両陪席判事、立会の田辺検事が入廷した。九時一五分裁判長は開... | 7000 |