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霊界物語あらすじ

説明を読む
ここに掲載している霊界物語のあらすじは、東京の望月氏が作成したものです。
まだ作成されていない巻もあります(55~66巻のあたり)
第60巻 真善美愛 亥の巻 を表示しています。
篇題 章題 〔通し章〕 あらすじ 本文
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すべて教法には大乗と小乗の区別がある。一般民衆に理解しやすく説示するのを小乗と言う。卑近な例を引いたり何人にも解し易い言語をもって示す。多数一般の人に神の教えを説くときには小乗でなければ駄目である。
ただ、いわゆる知識階級は小乗には耳を傾けないものである。何事も難解的な経典をもって唯一成道の大法と心得ている自称先覚者には、霊界の事情は容易には解されない。
また自然界とまったく相反する神霊界の消息に対して、科学を基礎としなくては駄目だと思惟している知識階級の人々は、いずれも九十五種外道の全部を完備していると言ってもよいくらいなものである。
大乗を究めようとして知らず知らずの間に外道に陥落し、一も取らず二も取らず、ついには混迷と愚痴とのみを取得するに至る。
すべて天国に昇るものは、小乗を聞いて、直ちに神霊界の消息を感知し得る神的知識者である。現界にあって学者と言われる人々も神的知識なるものを欠くときは、決して神霊界を窺うことはできない。
すべて大乗教義は上根者、宣伝使などの所業の教理であって、一般学者はとうてい感得することができない神秘である。法大、心大、解大、浄大、荘厳大、時大、具足大の七大乗は、神に選ばれた神知識の所有者でなければ、その真相を究めることは不可能である。
神を信ぜず、その存在を認めず、神を愛しない者は決してその関門さえも窺うことは許されない。大乗は歯に合わず、小乗は馬鹿にして耳を傾けない、という者は神諭に途中の鼻高と称えられている。
五濁を清め去り、清浄無垢赤子の心境に立って初めて神霊界の真義に歩を向けることができるのである。
この物語もまた神示の所作なれば、五濁を除去しもってこれに向かうときは、無等々正覚を得て人生の本分を全うし、不老不死の天国の生涯を生きながら楽しむことができる案内書となるのであります。
本文
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古人は『善願あれば天必ず之を輔く』と言いました。
瑞月は神明のまにまに病躯を駆ってようやく神示の物語、原稿用紙七万五千枚、約八百五十万言、頁数二万四千、九か月の着手日数を要してここにいよいよ六十巻を口述編著しました。
今日の大多数の人々は古人に比して容易に深遠な教義を理解することができず、上走りにご解し易く、三五教の真相や大精神を曲解し、ついには忌まわしき大本事件を引き起こすにいたったことは返す返すも遺憾の至りであります。
中根下根の人々にたいしては高遠微妙なる文章や言語ではかえって神意を誤解し大道を汚濁するおそれがある。ゆえに瑞月は現代多数の人々のために多大の努力と日子を費やしてのです。
現代は奥行きが浅い人間が多く現れるのはやむを得ない。今後の人々に徹底せしめんとするためには、不断の根気が何よりも大切である。たとえ百年かかろうが神の大御心を万人に徹底せなくては措かない決心である。
現代の人々がただの一人も自分が口述した物語を用いてくれず、また了解してくれなくてもかまわない。自分だけただ一人これを信じて大神の大精神を幾分なりとも実行し、正しき信仰の下に人間として生きていく考えである。
世間の行事が悪化し獣化するのを見て、自分一人が心身を正しくし神の示した教えを信じることができようか、という人々の考えはあまりに狼狽している。国が滅亡するときは、一人の義人もおらず、一人の識者もいない、という極端まで行くものである。
しかし国に一人でも義人や真の識者がある限り、決してその国は亡びるものではない。神諭にも、「誠の義人が三人あれば弥勒神政必ず成就すべし」と示してある。
今日はお互いに最後の一人をもって任じ、せめて自分だけでも正しき信仰に生き、清き人間として世のため道のために尽くそうとする同じ心の人々と共に、この聖なる団体の擁護を開展し、この世界を真善美愛の楽土と化し、国祖の神慮に叶い奉らんことを希望する。
あらゆる迫害に堪えよく忍び、もってこの千載一遇の神業に奉仕せんと欲し、最後の一人となるも決して絶望せず、狼狽せず、平静に生命ある聖き希望を抱いて天下のために尽くさんとするものである。
ゆえに吾人は世俗のあらゆる非難攻撃にも屈せず、たゆまず屈せず、口述を続けて後世の規範とせんことを希求しつつあるのである。
『この世を造りし神直日、心も広き大直日、ただ何事も人の世は、直日に見直せ聞き直せ身の過ちは宣り直せ』と吾人は日夜この神示を楯として、ひしひしと押し寄せ来る激浪怒涛を浴びながら、善言美詞の言霊の武器をもってすべての外道を言向け和す覚悟である。
なにほど多勢の敵といえども驚くには及ばない。ただ一言の善辞、すなわち言霊の善用によって強敵はたちまち化して強き味方となり、また多数の味方といえども、ただ一つの悪言暴語によって直ちに怨敵となる。
言霊のもっとも慎むべきを明示したのは、本書霊界物語を通じての大眼目であります。読者幸いに本書に依って言霊の活用を味わいたまうことあらば、瑞月の微衷も報われたりというべきであります。
本文
01 00 - 本文
01 01 〔1526〕
スマの浜辺には山のごとく老若男女が集まって、伊太彦が率いる猩々舟の船団を歓呼で迎えていた。風は芳香を送り無声の音楽聞こえて天地は清く、また静かに賑わしく、理想の原語句を現出したごとき真善美愛の極致にたっした。
人々の心には一点の塵もとどめず互いに和気あいあいとして一切の障壁を忘れ、その睦まじきこと鴛鴦の番のごとくであった。
それにもかかわらず、猜疑心にからまれた心の暗鬼は、畏怖驚愕のあまり、バラモン教のヤッコス、サボールを駆って無残にも湖中に身を投じさせたのである。
玉国別の命で小舟を浮かばせ待っていた真純彦、三千彦は、二人が落ちた渦巻の上に舟を寄せ、二人を救い出すことができた。衆人は歓喜し、真純彦、三千彦の仁侠を手を打って感賞した。
チルテルは猩々の乗る車を造り、先頭に立って磯畑に待っている。伊太彦はまっさきに玉国別に前に進みより、歓喜の涙をたたえながら手を握りニ三回ゆすった。玉国別は感涙にむせびながら伊太彦の労をねぎらった。
宣伝使たちは里人が用意した山車に乗り、猩々たちは十数台の車に乗って、歌を歌いながらバーチルの館に帰り行く。
チルテルは猩々車の先頭に立って述懐と祝いの音頭をとった。バーチルの屋敷に着くと、一同は庭園に筵を敷いて祝いの酒に舌鼓をうち歓喜を尽くした。
バーチルとサーベル姫は一同に恭しく礼を述べた。玉国別、チルテルの一行を導いて奥の広い客間に案内した。猩々たちも続いて奥の間に進んだ。一同はそれぞれ述懐の歌を歌った。
玉国別はアヅモス山の谷あいを跋渉し、木を数多の杣人に伐採せしめ、神殿の普請に着手することとなった。里人たち、チルテルの部下たち、猩々たちは勇んで宮普請に奉仕した。
本文
01 02 〔1527〕
バーチル夫婦は宮普請の様を見て、天国浄土の建設だと祝い歌った。二人はそれぞれ自分たちに懸っている猩々彦・猩々姫の霊の因縁を歌い、また先祖以来の蓄財の罪をあがなうために、財産を里人たちに分配することを表明し、神殿造営の神業を讃えた。
テクはバーチル夫婦の平等愛の発現を讃え、三千彦は猩々彦の御霊がアヅモス山に帰還したこと、三五教・バラモン教融和したことの神業を讃え歌った。
本文
01 03 〔1528〕
アヅモス山は三五教の尊い神を祭り、須弥仙山と称えられた。里人は心を清浄潔白にし霊耳を開き、天人の舞い遊ぶ声を聞いた。真善美愛の神心はいよいよここに顕現し、玉国別の神徳を仰がない者はなかった。
綾の高天原を後にして、神洲最初の鎮台と言い伝えられる大山を眺めながら、遠つ世の生物語を述べて行く。時しも聖地より、二代澄子と仁斎氏がはるばるやってきて、浜屋の二階に対座して役員信徒もろともに誠を語り合っためでたさよ。
加藤明子の書き写す万年筆も健やかに、千秋万歳誌しおく。
付記:本日は暴風雨烈しく怒涛の声に妨げられ是にて口述を中止した。
本文
01 04 〔1529〕
アンチーは木遣歌を歌って作事場に向かって運搬を始めた。歌の中には、アヅモス山の霊場は、天足彦・胞場姫の霊の御末裔と現れたタクシャカ竜王の出生地であるという伝説が歌われた。
竜王は毒を吐いて人の眼をつぶし命を取り喰らったため、月照彦が言霊によってこの霊場の岩が根に封じ置いたと伝えられているという。
タクシャカ竜王が十万年の間に心を鍛え魂を練り清浄無垢の霊身に立ち直った暁には、月照彦のエンゼルが現れて竜王を救い、風雨調節の守護を命じる、という誓いが立てられているという。
続いて伊太彦も神殿造営の神業を讃える木遣を歌った。大小無数の良材は一か月ならずして作事場に無事持ち運ばれた。ただ一人もかすり傷も負った者もなかったのは神の深き守りと、一同感謝の念に駆られ、造営に心力を傾注した。
本文
01 05 〔1530〕
真善美を尽くした二棟の宮殿は、玉国別以下一同の丹精によってようやく完成した。東の宮には大国常立大神を祀り、西の宮には大国彦命を鎮祭することになった。
玉国別は斎主となり、荘厳な遷宮式を挙行した。大国常立尊の御神体としてはバーチルの家に古くから伝わる直径三尺三寸の瑪瑙の宝玉に神霊をとりかけた。大国彦命の御神体としては、直径三寸ばかりの水晶の玉に神霊をとりかけた。
バーチルは東の宮の、サーベル姫は西の宮の神主となり、朝夕心身を清めて奉仕することになった。
祭典は無事に終了し、直会の宴が開かれた。おのおの神酒をいただきながら、思い思いに今日の盛事を祝した。バーチルは祝歌を歌い、サーベル姫は花を手に取り音楽に和して歌いながら舞った。
サーベル姫は歌い終わると一同に拝礼し、里人への財産提供の準備をなすべく、数多の猩々に前後を守られて館に引き換えした。
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01 06 〔1531〕
バラモン軍のキャプテンであったチルテルは、妻や部下たちと共に神殿の前に拝礼し、改心の歌を歌った。アキスは述懐と新しい聖地を守る誓いの歌を歌った。
各々遷宮式の祝歌を歌い、宴が終わると一同は道々歌を歌いながらバーチルの館を指して帰って行った。
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02 00 - 本文
02 07 〔1532〕
アヅモス山の社の管理をアキス、カールに命じおき、バーチルは玉国別一行とともにひとまず館に帰ることになった。
スマの里の山野田畑いっさいは、バーチル家に併呑されて里人はいずれも小作人の境遇に甘んじていた。時代が下るにつれてこの状況に不平不満の声があちらこちらから起こりだし、不穏な動きをする者、吝嗇の限りを尽くす者などが出て来た。
しかるにこの度、バーチル家は一切の資産を解放して郷民に分与することになった。郷民たちはいずれも歓喜して、バーチル夫婦を賞揚した。スマの里は憤嫉の声がなくなり、お互いに暖かな表情を顔にたたえるようになった。
玉国別一行はバーチルの居間に請ぜられて神の御教えを互いに語り合い、嬉しくその日を過ごした。チルテルは、玉国別に三五教の宣伝方法の教示を乞うた。
玉国別はチルテルの申し出を喜び、歌をもって、大神様より直授された宣伝方法と教えを伝える心得を細かに伝えた。そこには真善美愛の神の道と善言美詞の言霊の効用が説かれていた。
チルテルは明らかな教えを授けられたことに喜びの歌をもって返した。その他の人々も玉国別の説示に対する述懐をそれぞれ和歌に歌いこんだ。ワックス、エキス、ヘルマン、エルたちテルモン山のバラモン組も、改心の情を現す歌を歌った。
サーベル姫にかかっている猩々姫は、玉国別に天王の宮の石蓋を開けて竜王を救い出すことを懇願した。玉国別は夜が明けるのを待って、一同をしたがえて天王の古宮の床下を調査することになった。
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02 08 〔1533〕
玉国別一行はふたたびアヅモス山に登り、もとの古社の跡に近寄ってみれば、猩々姫の言葉通り五寸ばかり上土をめくると、長方形の石蓋が現れてきた。
玉国別は石蓋を取り除くための祈願を奏上した。大神に無事を祈り終ると、金てこを岩のすき間に押し込んで石蓋を取り除いた。黒煙もうもうと立ち上り、しばし当りがまったく見えない状態となった。黒煙が風に吹き飛ばされると、岩との入り口には階段が見えた。
玉国別は、伊太彦にワックス、エルを共につけて岩窟の探検を命じた。三人は蜘蛛の巣をはらいながら下って行く。不思議にも隧道は燐光が輝いて足元が見えるほど明るかった。
長い隧道を上り下り、右に左に折れながら進んで行くと、にわかに明るいところに出た。そこに三尺ばかりの丸い茶褐色のものが横たわっていた。エルが力ませに杖で打つと、それは数千年を経た穴蜘蛛であった。蜘蛛は逃げて行った。
エルは景気づけに滑稽な歌を歌いながら進んで行った。角を曲がると、デビス姫が立っていた。二人は本物のデビス姫と思い、ワックスは口説き始めた。
伊太彦がこの女に関わってはならないと忠告し、ややワックスは躊躇した。エルはワックスの代理として手を握ろうと手を出した。女がエルの手を唇に当てたとたん、エルは悲鳴を上げて倒れてしまった。
女は大蜘蛛の正体を表し、休んでいたところを殴った敵だ、と言い捨てて這って行ってしまった。
伊太彦はエルの傷に息を吹きかけて天の数歌を歌った。半時ばかりしてようやくエルは正気付いたが、痛さをこらえて意気消沈の態で二人の跡に従って進んで行く。
本文
02 09 〔1534〕
三人がさらに進んで行くと、青白い玉が二つ三つ現れて、ワックスの一二間前で爆発した。エルは驚いて倒れてしまった。
伊太彦は、自分たちはタクシャカ竜王への赦免を伝える使いだから、悪魔がそうそう苦しめることはないだろうと安堵させた。そして元気をつけるために宣伝歌を歌い始めた。
一行が進んで行くと、雷のような音が聞こえた。そこには相当に広い河があって、冷たい水が流れていた。岩のすき間から明りが指しているので探してみると、一丈もある鍾乳石の上に夜光の玉が輝いていた。
伊太彦は天津祝詞を奏上して神慮を伺った。神示によると、これはタクシャカ竜王の宝物・夜光の玉であり、この玉を竜王に持たせると再び風水火の天災を引き起こすから、月照彦の神がここに安置したのだという。
そして、この玉は伊太彦が持ち帰って玉国別に渡すようにとのお告げであった。伊太彦は喜んで玉を懐に入れ、地底を指して進んで行った。岩窟の奥底には岩蓋が施してあり、ここにタクシャカ竜王が封じられていた。
伊太彦は神示を述べ伝え、心の底より悔悟するなら救われると竜王に呼びかけた。するとタクシャカ竜王は恐ろしい九頭一体の巨躯を表し、たちまち白髪赤面の老人となって伊太彦の前に進み、恭しく目礼しながら歌をもって答えた。
竜王は改心の情を歌に込めて表した。伊太彦は歌でもって、地上に上るように竜王を促した。互いに歌を交換し、一行は竜王を従えて隧道を戻って行った。
本文
02 10 〔1535〕
地上に戻ると、玉国別は伊太彦の功績をねぎらった。そしてタクシャカ竜王に向かい、歌で持って呼びかけ、竜王の改心と赦免を祝った。竜王は答えて改めて改心と感謝の情を表した。
一同がそれぞれ述懐の歌を交わしていると、大地はにわかに震動し、湖の波が立ち狂いパッと二つに開いた。湖中から恐ろしいサーガラ竜王が、七八才の乙女を背に乗せてスマの浜辺に浮かび出た。竜王はたちまち老媼の姿となり、幼児をかかえて中空を翔け、タクシャカ竜王の前に現れた。
サーガラ竜王は夫であるタクシャカ竜王の赦免を喜ぶ歌を歌った。そしてこの乙女は、自分の身魂から生まれた如意宝珠の化身であると明かした。
玉国別はこれより夫婦で世を守るようにと二人に命じた。サーガラ竜王が乙女に息を吹きかけると如意宝珠の玉と変じた。サーガラ竜王は玉を玉国別に奉じた。宣伝使たちはおのおの述懐の歌を交わした。
これよりタクシャカ竜王とサーガラ竜王はそれぞれ猩々翁、猩々媼となり、珍しい果物の酒を作って朝夕神前に献じて神慮をなぐさめ、罪を謝することとなった。
バーチル夫婦は二つの宮の宮司として仕え、子孫繁栄し神の柱と世に敬われた。元バラモン軍キャプテンのチルテルはスマの里の里庄となって村民を愛撫し、部下はいずれも里人の列に加えて美しく新しい村を造り余生を楽しく送り、その霊は天国に至って天人の列に加わり、アヅモス山の聖地を守ることとなった。
本文
02 11 〔1536〕
玉国別一行はバーチル、チルテルそのほか一同に別れを告げて、ハルナの都を指して進むことになった。別れを惜しんでバーチル以下一同は袖にすがりつき、涙をたたえて別離の歌を歌う。
バーチルが述懐を込めた歌を歌い、玉国別一行が和歌で返し、またスマの里人たちが和歌で述懐と別離を歌った。
玉国別一行はスマの里を後にし、晩夏の風を浴びながら進んで行く。日がたそがれ、大原野に人通りも少なく、わずかに道のかたえにある沙羅双樹の森で一夜を過ごそうと入って行く。
この森には小さな祠が建っており、一行五人は祠の前にみのを敷いて笠を顔にかぶり、一夜を明かすことになった。
深夜になると三人組の泥棒が現れ、一行の寝息をうかがっている。泥棒の一人は元バラモン軍のベルであった。泥棒たちは、五人を襲う相談をしている。
玉国別は泥棒たちの話を聞いていたが、祠の後ろから闇夜をつらぬいて法螺の音が響いてきた。泥棒たちは驚き、ベルともう一人は逃げて行ったが、新米の乙はその場に立ちすくんでしまった。
玉国別が法螺貝の吹き主を歌で尋ねると、祠の後ろから答えたのは元バラモン軍将軍鬼春別、今は比丘となた治道居士が名乗り出た。一行は歌で泥棒の一件を述懐し、挨拶をした。
三千彦が枯れ枝に火をつけて明りを取った。治道居士は祠の後ろから現れ、玉国別一行に挨拶をなした。一行はこれまでの経緯をしばし語り合った。
玉国別は、体が休まったから夜中でも先に進もうと提案した。治道居士はしばらく同道することになった。見れば、ひとりの泥棒がしゃがんで震えている。泥棒は、自分は今日初めて、泥棒のベルという男の家来になったところだ、と言うと、こそこそと闇に姿を隠してしまった。
一行六人は法螺貝を吹く治道居士を先頭に立てて東南の方向に進んで行った。
本文
03 00 - 本文
03 12 〔1537〕 本文
03 13 〔1538〕 本文
04 00 - 本文
04 14 〔1539〕
(三五教の祝詞)
天津祝詞
神言
本文
04 15 〔1540〕
祝詞
三五教本部大祭祝詞
本部大神月次祭祝詞
各家神床遷座祭祝詞
本文
04 16 〔1541〕
感謝祈願詞
感謝
祈願
祖先拝詞
本文
04 17 〔1542〕
祖霊社朝夕日拝祝詞
祖霊遷座祭
一年祭祭文
五十日間新霊拝詞
家祭祝詞
招魂祓詞
発葬祓詞
五十日間及年祭奥都城祝詞
幽家復祭奏上詞
復祭合祀祝詞
祓戸昇降神詞
祖霊大祭祝詞
祖霊社大祭斎主祝詞
復祭鎮祭祝詞
鎮祭日より年祭の祝詞(年月日不明の霊)
霊社月次祭祝詞
新祭殿月次祭祭文
本文
04 18 〔1543〕
復祭奏上詞
復祭祝詞
復祭合祀奏上詞
復祭之由乎奏上祝詞
幽冥家復祭詞
本文
04 19 〔1544〕
帰幽奏上
墓地地鎮祭
招魂祭祝詞
諡号告文
霊魂安定詞
発葬祝詞
埋葬祭
家祭式祓戸祝詞
十日及び四十日祭また年祭奏上
五十日合祀奏上
五十日合祀祭文
十日祭および百日祭までの祭文
一年祭以上の年祭文
臨時祖霊拝詞
建碑除幕式祝詞
本文
05 00 - 本文
05 20 〔1545〕
明治二十五年旧正月…日
三ぜん世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成った。梅で開いて松で治める神国の世になった。この世は神が構わなければ立ち行かないが、今は強いもの勝ちの獣・悪魔ばかりに世になってしまっている。
邪神にばかにされて眼が覚めない暗がりの世である。これでは世が立ち行かないから、神が表に現れて、三千世界の天之岩戸開きを致すのである。三千世界の大洗濯、大掃除を致して、天下泰平に世を収めて、万古末代までつづく神国の世にするのである。
上ばかり良くても行けない、かみしも揃わなければ世は収まらない。不公平では治まらないのだ。かみしも揃えて人民を安心させ、末代潰れない神国の世に致すのだ。天使は綾部に出現されてある。
世界をこのままおいたなら暗黒に成る。この世の鬼を往生させ邪神を戒めなければ世界は神国にならない。昔の大本からの神の仕組が成就致す時節が廻ってきたから、苦労はあっても埒を付けるのだ。
判った守護神は一柱なりとも早く大本へ出て参って、神界の御用を致して下され。世界中の事であるから、何ほど知恵や学があっても人民では判らないことである。だから生まれ赤子の心に立ち返らないと見当が取れない。
綾部は昔から神が隠しておいた真誠の仕組の地場であるのだ。世界国ぐに所どころに岩戸開きを知らせる神柱はたくさん現れる。高天原へ諸国の守護神を集めて、それぞれの御用を申し付ける。何をしても大本の教えを守らなければ九分九厘でひっくり返る。
皆吾が吾がと思っていても、艮の金神が化かして使っているのである。仕組の判る守護神は世の本の御用を致さすから、これまでの心を入れ替えて、大本へ来て肝心の事を聞いて、御用を勤めてくだされ。
神と悪魔との戦いがある。このいくさは勝ち軍、神が陰から仕組が致してある。神が表に現れて善へ手柄をさせる。邪神の国から始まってもう一と戦がある。あとは世界の大たたかいで、これは段々判ってくる。
この世は神国であるから、世界を一つに丸める。そこへ成るまでにはなかなか骨が折れるけれども、三千年余の仕組であるから、上に立っている守護神にちょっと判りかけたら神が力を附けるから大丈夫である。
世界の大峠を越すためには、素直にしてどんな苦労も致す人民でないと、世界の物事が成就しない。
この事を明らかにする身霊は東から出てくる。このお方がお出でになったら、さっぱり日の出の守護と成るから、世界中の神徳が光り輝く神世になるのだ。
いったん戦いが治まっても、後の悶着はなかなか治まらない。神が表に現れて神と学との力くらべを致す。学の世はもう済んだ。神には勝てないのだ。
明治二十六年…月…日
世界に大きな事や変わった事が出てくるのは、皆この金神の渡る橋であるから、世界の出来事を考えたら神の仕組が判ってきて誠の改信ができる。一人でも改信させて世界を助けたいと思い、艮の金神は昼夜、天地の元の大神様へお詫びをいたしている。
これから世界中の大洗濯をしてこの世を治す。信心強き者は助ける。信心なきものは気の毒ながらお出直しになる。根本から世を立て直すから、世界が一度に動く。
この世は神国であるから、善き心を持たなければ、悪では永くは続かない。金神の世になればどんな事でも致すから、珍しい事が出来る。
明治二十七年旧正月三日
綾部は世の本の太古から神の経綸が致してある結構なところである。このことを知っている人民は独りも無い。本宮坪の内の出口竹蔵・お直の屋敷には金の茶釜と黄金の玉が埋めてある。これを掘り出して三千世界の宝と致す。黄金の玉が光り出したら世界中が日の出の守護となる。
大地の金神様を金勝要の神様と申す。この神様を陸地表面にお上げ申して、結構なお祭りをなさないとこの世は治まらない。
神は厳しく、人民は穏やかになる。これを誠の神世という。神世になれば人民の寿命も長くなり、世界中勇んで暮らすようになる。
明治二十九年旧十二月二日
天地の神々のお蔭で段々と住家も立派になり、衣類も食物も結構に授けていただくようになった。みなこの世をこしらえた元の活神の守護である。元の活神の苦労を忘れて利己主義のやり方ばかりをして、神の居るところも無いようにしてしまった。
このままでは世界が潰れて餓鬼と鬼の世になるから、岩戸を開かねばらない事に世が迫ってきた。神が表に現れて、神力を現し、三千世界を日の出の守護と致して世界を守る。
神が永らく艱難苦労を致していたことを知る人民はほとんどない。それでは神の経綸は延びるばかりであるから、大本へ立ち寄って神のお話を聞かせてもらった人民なりとも改信して、元の水晶魂に立ち返ってくだされ。
世が迫ってきたから、解った人民から改信しないと世界の人民が三分になってしまう。
本文
05 21 〔1546〕
明治三十二年…月…日
今まで世の本の神を北の隅へ押し込めておいたが、もうこれからは世に落とされていた活神の光が出て日の出の守護になるから、そこらじゅうが光り輝く明らかな神世になる。
人民は万物の長というが、一寸先が見えないところまで曇りきり、足元へ火が燃えてきていてもまだ気が付かない。元の生き神の守護が無かったら、何ほど知識や学で考えてもいつまでも世界は治まらない。
今度は北から艮の金神が現れて世界を水晶の世にして、善一筋の世の持ち方を致す。神も仏も人民も勇んで暮らす神世といたす。それまでに一つ大峠があるから、人民は速く改信して神心に立ち返ってくだされ。
明治三十二年旧七月一日
竜門の宝を艮の金神がお預かり申す。岩戸開きが済んで立て直しの段になったときに必要になる宝である。昔からこの乱れた世がくるのに備えて隠してあったのだ。
牛糞が天下を取るような珍しい事ができる。
今度の二度目の天の岩戸開は因縁のある身霊でないと御用には使わない。神の御役に立てるのは水晶魂の選り抜きばかりである。今まで世に出ていた守護神はだいぶ思いが違ってくる。
明治二十八年から三体の大神が地に降って御守護遊ばすと世界は一度に夜が明ける。三人の霊婚を神が使って、三人世の元として珍しいことを致す。
この大本はほかの教会のように人を大勢寄せて結構と申すようなところではない。人を引っ張りに行ってくださるな。因縁ある身魂を神が引き寄せてそれぞれに御用を申し付けるのである。
大本の仕組は病気直しではない。肉体が病魔の入れ物になっている人民を、素の水晶魂に捻じ直してちょっとでも霊魂が光り出したら、病神は恐がって逃げてしまうのである。今の神の取次は吾の目的ばかり致して神をかつお節にして神の名を汚している。もう改信の間がないぞ。
艮の金神が表になると、人民を穏やかにし、喧嘩もない結構な神世にして天地の神々様へ御目にかけ、末代続けさせる松の世と致すのである。
明治三十三年旧五月五日
今の世の人民は残酷な精神になってしまい、人の国を奪ったり、人の物を無理して強奪したがる悪道な世に成っている。これも皆悪神の霊の仕業である。
艮の金神が現れると利己主義の人民は辛くなる。一度に岩戸開きを致せば世界に大変が起こるから、日にちを延ばして余計に改信させて助けてやりたい。世界の神々様、守護神殿、人民に気を付ける。
世が曇ってきていても、強い者勝ちのやり方をして、これより外に結構な世の治め方はないと言っている。今の人民はさっぱり悪魔の精神になっている。これだけ神が気を付けるのに、聞かずにいて後で不服を申してくださるな。
今の人民は食い物に困るようになったら人民を餌食にしても徹底的にやりぬくという程になっている。艮の金神は陰から世界をつぶさないように辛い行を三千年余りもして経綸を致したが、神はそのままでは何もできないから、因縁ある身魂を引き寄せて懸ってこの世を守護するのである。
なかなか大事業であるが、時節が参って変性男子と変性女子の身魂がそろって守護がありだしたから、いろは四十八文字の霊魂を世界の大本、綾部の竜宮館にボツボツ引き寄せて神がそれぞれ御用を申し付ける。
素直に聞いてくださる人民が揃ったら、三千年余りての仕組が一度に現実になってきて、三千世界は勇んで暮らす神国になる。人民は神の手足となって我が身を捨てて神の御用を致すのが天からの御用であるが、今の人民は大きな取違をしている。
明治三十四年旧三月七日
今度の元伊勢の御用は世界を一つの致す経綸の御用である。もう一度出雲へ行ってくだされば、出雲の御用を出来させて天も地も世界をならす。天の岩戸開きは水の守護と日の守護とで致す。
天の岩戸開きという大望なことは、出口でないとできない。今度の御用をさせるために昔から生き代わり死に代わり、苦労ばかりがさせてあった変性男子の身魂である。
本文
05 22 〔1547〕
明治三十四年旧六月三日
この世の行く先は、綾部の大本の竜門館でないと、なにほど知識で考えても解らない。変性男子は世界にある事を先繰りに、前途の事を知らせる御役である。
今度は世に落ちている神々を皆世に上げなければならない御役である。それについては世に出てお出でます万の神様に明治二十五年から申し付けてある。
明治三十五年旧七月十一日
永らく筆先に出して知らせても、今の人民は疑いが強いから、この中に実地をして見せてある。因縁ある身魂を引き寄せて御用に使うと筆先に出してある。
この結構な経綸が判りかけてくるほど、世界から鼻高が出てくる。また誠で出てくる者、目的を立てようと思って出てくる者もあり、世間に解るほど忙しくなる。
夜が明けると世界はいったん悪くなる。大本さえ信心していたら善き事が出来るように思っても、出口の日々の願いで大難を小難にまつり替えたところで、神国の中にもそれぞれの見せしめはある。
これから従来のやり方を根本から改正させてしまうから、今まで上に立って居た紙は大分辛くなってくる。神の国はこの状態でおいたらさっぱり悪神に取られてしまう。かような時節に神に立って居る守護神が先に解らないから、岩戸を開いて先が判る世にするのだ。
明治三十六年旧七月三日
悪神の国から始まって大戦争があると申してあるが、艮の金神は日の下に経綸がしてある。日の下は神国で結構な国というのは分かっているが、神国魂がちっともないと狼狽えてしまうぞ。
窮極まで行くと悪魔が一つになって皆攻め来ったときに、悪神の守護神が元の霊魂の力や誠の力を恐れて往生するところまで、神国の人民は耐え忍ばなければ御用ができない。御用をいたす身魂が二三分できたら、昔からの経綸の神が現れて、世界中が安心できるようにして元の神代に帰すのである。
邪神の侵略主義のやり方ではもう済んだ。何ほど知恵学力があり兵隊がたくさんあっても、三千年余りての経綸の時節が来たのである。この大本には揃って神力を積んでおかないと、どうにも激しくて傍には寄り付けないような事が出来てくるから、身魂をよく磨いておけと申すのだ。
大本は天地の誠一つの先祖の神の経綸の尊い場所であるから、身欲信心をしている人民では寄せ付けない。
明治三十七年旧正月十日
艮金神稚日女岐実命が、出口の守と現れて、変性男子の身魂が全部現れてこの世を構うと、あまり速やかに見え透いて、出口の傍へは寄れないようになると申しているが、時節が参ったので気遣いすることができてくる。
変性男子は大望な御役であるから、今度の御用をさせるために神代一代の苦労がさしてある。岩戸開きの筆先と立て直しの筆先とを、世が治まるまで書かせるのである。どんな事も皆解ってくるから、改信いたせ、身魂の選択を致せと出口直の手で知らせてある。
この世が末になって一寸も前に行けないようになり、変性男子と変性女子が現れて二度目の天の岩戸を開く大望な御役である。
明治三十七年旧七月十二日
今の役員信者は今度の戦争で世が根本から立て替わるように信じて慌てているが、世界中の修斎であるから、そう着々とは行かない。今度の戦争は門口である。
肝心の役員が変性女子に反対して書いたものを灰にしたり排斥したり邪魔をするので、これから皆野役員の目が醒めるように、変性女子の肉体を大本を出して経綸を致す。女子が出たら火が消えたように一人も立ち寄る人民は無くなる。明治四十二年までは神が外へ連れ参って経綸の橋架けをいたす。
この大本の中の者が残らず改信して女子の身上が解ってきたら、物事は箱さしたように進む。明治五十年を真ん中として後先十年の間が岩戸開きの正念場である。明治五十五年の三月三日、五月五日は誠に結構な日である、それまではこの大本の中は辛い。
明治四十二年になったら変性女子がぼつぼつ因縁の身魂を大本へ引き寄せて神の仕組を始める。腹の底に誠意がないと欲に迷って大きな取違を致すから今のうちに胸に手を当てて考えて見るがよい。
明治三十七年旧八月十日
天も地も世界中一つに丸め、枡掛けひいたごとく誰ひとり底辺には落とさぬ。種をまき苗が立ったら出て行く。刈り込みになったら手柄をさせて元へ戻す。元の種を吟味致すのは今度のことである。種がよければどんな事もできる。
本文
05 23 〔1548〕
明治三十八年旧四月十六日
艮金神国常立尊が出口の守と現れて二度目の天の岩戸開きを致すについては、因縁の身魂を引き寄せてそれぞれに御用を申し付ける。今度の御用は因縁なくてはつとまらない。神が性念を見届けた上は何も心配しなくていいよう守護がしてある。罪穢のある金は神の御用には立てられない。
大本は艮金神の筆先で世を開くところであるから、筆先を七分霊学を三分で開いてくだされ。神がかりに凝るとはじめは人が珍しがって集まってくるが、あまりろくな神は出てこないから思惑が立たない。
こうは言うもののこの霊魂には世界一切の事が写るのであるから、大本へ立ち寄る人民はこのやり方を見て改信するようこしらえてあるから、取違をしないように。
何ほど神がかりに骨を折っても、真の神は肝心の時でないとうつらない。何も解らない神が懸ってきて天の岩戸開きの邪魔をするから油断ができない。誰によらず慢心と取違いが大けがの元になる。
大正元年旧八月十九日
大国常立尊があっぱれ表になって守護にかかると、いったんは神の経綸通りに致すから、改信して神心になっていないと誠の御用はできない。
竜宮様を見て皆改信いたされよ。昔から欲に見苦しい御心であったが、今度の天の岩戸開きに竜門のお宝を残らず艮金神にお渡し遊ばして、神界で活発な御働きをなさっている。
神国の人民に神国魂がちょっとでもあればここまで難渋することはないだろう。とどめになったら神霊活気臨々発揮日月(ひのでのかみ)と現れて、三千世界のとどめを刺す。その折に間に合うためには肝心の処がよくわかっていないと善い御用はできない。
変性男子と変性女子の身魂をここまで化かして、誰もしないような辛抱をして、三千世界へあっぱれ天地の神力を現わせて見せる。この先は神力の世に致すから、学力でどんなことをしても敵わない。
今度の戦いは国と国、神と邪神との大戦争であるが、世の本の生神にはかなわない。神力と学力との力比べの大戦いである。邪神はどんな計略もしているが、悪ではこの世は立ち行かない。気が付いた守護神は善の道に立ち帰って安心をするがよい。
大正三年旧七月十一日
大国常立尊が現れて日の出の守護となると、変性男子の霊魂があっぱれ世界へ現れて、次に変性女子が現れて、女島男島へ落ちていた昔からの生神ばかりが揃って世に現れる。綾部の新宮坪の内の元の宮は出口の入り口、竜門館が高天原と相定まり、天の御三体の大神が天地へ降り昇りなされて、この世の御守護と遊ばす。
この大本は地から変性男子と変性女子との二つの身魂を現して、男子には経糸、女子には緯糸の仕組をさせてある。
変性女子の霊魂は月と水との守護であるから、汚いものが参るとすぐに濁る。身魂の曇った守護神は傍へ寄せないように役員が気を付けてくだされ。昔から天の岩戸の御用のために坤に落としてあった身魂である。
この者と出口直との霊魂が揃って御用を致さねば、今度の大望の物事は出来致さない。
この大本は世界にある事が皆映るから、変性女子を狙う者がこれからまだまだ出来てくる。悪の霊が狙い詰めているから、どこへ行くにも一人で出すことは成らぬ。
変性男子の身魂も変性女子の身魂も三千世界の大化け物であるから、霊魂に曇りのある人民には見当が取れない。
本文
05 24 〔1549〕
大正四年旧十一月二十六日
大国常立尊が上中下の霊魂に目鼻をつけて皆を喜ぶように致すのは根本のこの世を想像するよりも何ほど気骨が折れることである。悪神の頭を露わにしてとことん往生をさせ、次に中の守護神を改信させ、下の守護神も続いて改信させなければ神世にはならない。
これだけ気を付けて知らせているのに改信ができない悪魔に成りきっている霊魂の宿った肉体は、可哀そうながら天地に定まった規則通りの成敗に致す。これからは悪神の守護神の好きなこと、悪いことができないように天地から埒を附けるから、もう一度気を付けておく。
天の大神様がいよいよ諸国の神に命令を降しなされたら、艮金神国常立尊が総大将となって、雨、風、岩、荒、地震の神たち八百万の眷属を使うといったんは激しいから、なるべく鎮まりて世界の守護をさせる。
もう神からはこの上人民に知らせる事は無いから、大峠が出てきてから改信するから赦してくれと言っても赦すことはできない。
今の上に立っている守護神は科学ほど結構なものは無いとして、悪で末代建てて行こうというとんでもない目的であったが、もう悪の霊や学の世の終わりとなった。
大正四年旧十二月二日
二度目の天の岩戸開きは戦争と天災で済むように思って人民は大きな取違をしているが、戦争と天災で人の心が直るのならまだいいけれども、今度の天の岩戸開きはそんなたやすいことではない。
昔から立て替えはあったが、臭いものに蓋をしたような事ばかりがしてあったので、もうこの先は曇りが懸らないように万古末代、世を持っていかなければならないから、なかなか骨が折れることである。
悪い霊魂を絶滅してしまうならたやすいが、悪の霊魂を善へ立て替えて、この世一切の事のやり方を替えて、神法をかえて、新しい世の純粋の元の水晶魂にしてしまうのであるから、今の人民が思っていることとは天地の大違いであることを毎度筆先で気を附けてある。
綾部の大本は世界の鏡が出るところである。世界が良くなるほど、この大本は良くなる。もう悪に霊が利かない時節がめくってきて、悪神が往生する世になってきた。この神国には深い経綸が世の元から致してあって、九分九厘まで来た。
神の国には外の御霊には判らない経綸がしてあるから、人も善し、吾も善し、上下揃っていかなければ世は永久に続かない。国の取り合いをする見苦しい生来では駄目である。
善の道は苦労が長いが、善の方には世の元から行がさしてあるから、この先は悪のし放題に行無に出て来た守護神が辛くなる。善の守護神は数は少ないが、どんな行もさせてあるから何ほど激しきことの中でも、気楽に神界の御用ができる。
神の本には肝心の時に間に合う守護神がこしらえてあって、世界の止めを刺すのである。
天地の御恩も知らずに利己主義で昇り詰めてきた悪の守護神に改信のさせかけが出来ないので、何事も遅くなると総損害になるから、気を附ける。
判った御魂の宿っている肉体であれば、どんな神徳でも授ける。この神徳を受ける御魂に使われていたら、一荷に持てないほど神徳を渡すから、そのもらった神徳に光を出してくれる人民でないと、持ち切りにしては天地へ申しわけが立たない。
大正五年九十一月八日
あまりこの世に大きな運否があるから、世界中枡掛け引いて、天と地との先祖の誠で万古末代善一つの道で世を治めて、いさかいのないように致す。
天は至仁至愛真神(みろくさま)の神の王なり、地の世界は根本の国常立尊の守護で、神国の万古末代動かぬ神の道である。吾よしのやり方ではこの世はいつまでも立たない。この世界は一つの神で治めない事には、人民では治まらないのである。
天地の先祖の神々を粗略にし東北に押し込めておいて、悪の血筋と何も知らない眷属の悪魔を使ってとんでもない経綸をしているが、世の本からの天地をこしらえた、そのままで肉体の続いている煮ても焼いても引き裂いてもビクともしない生神が、天からと地からと両鏡で、世界の事を帳面に附けてあるように判っているから、世界の人民は一人なりと一日も早く大本へ参って神の御用を致し、世界中を神国に致す差し添えになってくだされよ。
岩戸開きの真っ最中になってくると、知識でも学でも金銀を何ほど積んでも、誠の神力でないと大峠を越すことはできない。今度は神がこの世にあるかないかを分けて見せてやる。悪に覆っている身魂でも、善に立ち返らなければ神の造った陸地の上には居れないようになる。
改信というのは何事に由らず、人間心を捨ててしまって知識や学を便りにせず、神の申すことを一つも疑わずに生まれ赤子のようになって神の教えを守る事である。
これだけはびこった悪の世を治めて善一つの神世に致すのであるから、この変わり目に辛い身魂が多人数ある。早い改信は結構なれど、遅い改信は苦しみが永いばかりで何も間に合わない。
経綸通りが世界から出てきたら物事が早くなるから身魂を磨いていないとならない。大本の辛い行を勇んでいたす人民なら、神が何ほども神力を授けるから、取違をせずに慢心の出ないよう、心得ていてくだされ。
本文
05 25 〔1550〕
大正六年旧二月九日
九分九厘の御霊が天地の御恩が判ってきたら現世はこんな惨い事にはならないのであけれど、今の守護神と人民は岩戸開きの手伝いをするどころか、大きな邪魔を致している。悪の方から見れば、誠の方が悪に見えて、悪の方が善く見えるので何事も逆さましかできないである。
霊の本の国と言っても惨い事になっていることを知っている守護神も人民もなさけないほど少ない。神国魂の性来はちょっとも無いようになってしまっている。
世界を一つに丸めて神国の世に致すには、この世をこしらえた天と地の根本の真で治める時節が参ってきたから、明治二十五年から知らせてあるのだ。何ほど邪神に神力・知恵・学があったとても、九分九厘で掌を返して万古末代潰れぬ守護を致して仁愛神(みろく)の神世といたす時節が近くなっている。
ここに成って悪神の頭が充分改信を致して善に立ち帰り、善の働きをなさないと、世界中の何も知らない人民がこの先、ひどい苦しみを致すことになる。この大本の中にも悪の身霊の守護神が化けてきているが、もう化けを現して皆に見せてやるぞよ。
大正七年旧正月十二日
今度の二度目の天の岩戸開きは悪の身魂が毛筋の横幅でも混じっていたら成就しない。昔のミロク様の純粋の何時になっても変わらぬ秘密の経綸の凝結で、末代動かない巌に松の仕組、どの神にも解らない善一つの誠の道であるから、途中に精神が変わるような身魂ではできない。
神国の人民はよほど魂を磨いて、水晶魂を元に光を出しておかないと、万古末代邪神の自由にされてしまう。
昔から露国へ上がっていた悪神の頭目が、もう一つ向こうの国へ渡って人民の頭を自由自在に吾の思惑どおりに悪を働き、世界中の大困難をかまわずどこまでも暴れて暴れまわして世界を苦しめ、また露国を自由にして吾の手下に附けて、今に神国に出てくる経綸をしている。
邪神は悪を執念深くやり通すが、九分九厘というところまできたときに、三千年の神の経綸の奥の手を出して邪神を往生させるから大丈夫である。罪穢の深いところは今のうちに改信を致さないと神国にも厳しい懲罰が天地からある。
今度は善と悪との力比べである。勝った方に末代従わなければならない。それで神界はここまで練りに練ったのである。善と悪との境界の大峠である。
一の番頭の守護神が改信できたら、肉体に胴が据わるなれど、とうてい難しいから、今に番頭が取り替えられる。悪い頭から取り払いに致すのである。
悪は昇るの速いが降るのもまた早い。善が分かるのは手間が要るが善の道が開けたのは万古末代の栄えである。この極悪の世の岩戸を開いて、末代争いがないように大神様の善一つの世に立直さなければいつまでたっても国の取り合いばかりで治まらない。
神の国は誠に穏やかであったが、世が逆さまになって今の状態である。神国に悪神が渡ってきて、上から下まで見苦しいことは天地の誠の神からは見ていられないほどである。しかし見苦しき世がいったん出てくるということは、地球を創造する折りからよくわかっていたのである。
どれほどの悪の頭でも、これからの世は到底今までのやり方では行かないということに気づいて、綾部の大本へ今のうちに願いに来る守護神であったら、善一つの道へ乗りかえさせて、結構な神代に助けてやる。
今の人民は悪のやり方が良く見えるのだから、助けてやりようがない。これももう少し先になったら、大きな取違を致していたという事が、上にあがって覇の利いていた神から自然に判ってくる。
神道を守護する誠のところは綾部の大本より外にはない。綾部は三千年余、昔から神の経綸が致してある結構なところであるから、大本の教えを聞いている守護神は充分に覚悟をいたして、まさかの時の御用を勤めてくだされ。
変性男子の書いた筆先を、坤金神が変性女子と現れて説いて聞かせて、守護神人民に改信を致さす御役である。世界の人民よ、綾部の大本へ参ってこまごまと聞かせてもらったら、世界の事が心相応に解ってきて、世界に何事があっても驚きはしないようになる。
昔からの極悪神の頭が、神国の人民を一人も無いようにいたす仕組をしているが、神国にも根本から動かない経綸が致してある。神力と学力との力比べの大戦いである。今までは物資の世で学がここまではびこって学力でどんな事でも九分九厘成就したが、もう往生しなければならないようになってきた。
こうなるまで、悪の守護神を改信させて助けてやりたいと思って明治二十五年から知らさせたが、吾ほどえらい者はないように思って、ちょっとも改信のできない罪人ばかりである。世界の大洗濯を致して、天地の大神の教えどおりの世に致して、天の御三体の大神様に御目にかけなければならない御役である。
肝心の悪の性来を改信いたしてもらわないとこの世は水晶にならないから、世界には代えられないからこの先の規則通りに成敗を致さねばならない。二度目の天の岩戸開きをしたら、悪の性来は微塵もないように洗い替えをして巌に松の動かない世にいたす。
世界の大橋となる尊い所であるから、あまりいつまでも疑っていると、天地の大神様へ大きな御無礼になるから、今一度気を附けておく。素直にいたすが徳である。
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