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霊界物語あらすじ

説明を読む
ここに掲載している霊界物語のあらすじは、東京の望月氏が作成したものです。
まだ作成されていない巻もあります(55~66巻のあたり)
第75巻 天祥地瑞 寅の巻 を表示しています。
篇題 章題 〔通し章〕 あらすじ 本文
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この巻の内容:
太元顕津男の神が、玉藻山の聖場で国土生み御子生みの神業を完成する。
禊の神事を諸神とともに、厳しく修した。
日南河を渡り、八柱の神に迎えられて、再度禊を行う。
柏木の森の曲津神を言向和すために、馬に乗って進んでいく。
この巻は、昭和八年十一月一日に書き始めたが、エスペラント全国大会や西南の旅行、大祭、歌碑除幕式、末娘の婚礼、弟の帰幽などがあり、同月三十日にようやく完成した。
「曲津見の神」とあるのが邪神である。「曲津日の神」は、邪神である曲津見の神の罪を照らし、厳しくとがめる職掌の神のことである。
本文
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太虚の中、⦿(ス)の言玉が鳴り鳴りて、皇神国(すめらみくに)と皇(すめらぎ)の極限を成就した。
この極限の⦿(ス)を明らかに知ろうとするなら、
朝夕、斎戒沐浴して身を屈して謹慎し、
智慧証覚を満天に満たし、
智慧の力によって至大天球をひと呑みにし、
それを腹の中に収めて真空之定(ヲヒ)に入り、
そして三日三夜の間観察し、
三日三夜の間空中の言を聞き、
三日三夜の間空気を嗅ぎ、
そうして精神を練り鍛える。
すると、愚者でもそれ相応の智慧の光をえることができる。その智慧正覚の光をもとにすれば、⦿(ス)のいわれを聞いて理解することができる。
撒霧(さぎり)に撒霧った状態の⦿(ス)が、一極に集まりきって、これ以上ないくらい大きく力充ちて安定しているときに、その両極に、自然と対照力(タタノチカラ)が起こった。
これが、天之峯火夫の神が、もろ手を差し出して対照にとなった形である。億々兆々万里の距離を、両手で貫き保っている、ということである。
同時に、北と南の両極端にもこの対照力が起こり、突き通るような勢いで、四方八方あらゆる方向の両極端に、同じ対照力が起こり、⦿(ス)の外面は、対照力で張り詰めた。
このとき初めて、球の形が現れた。タマの二声の霊は、対照力がすべてに張り詰めて成り定まった、という意味である。
この至大天球中に張り詰めた、数限りない対照力は、その中間(ナカゴ)を、極微点(コゴコ)の連珠糸(サヌキ)で掛け貫き保っている。これを言い表して、対照(タ)、掛貫力(カ)、全く張り詰め玉と成る(マ)、という。
この至大天球は、極めて微小な点であり、珠を連ねる糸でつながった「神霊分子」を充実させて、活動の機関とし、活気臨々として活きている。この状態を、神霊活機臨々(ガ)と言うのである。
また、それが膨張してこれ以上ないくらいに広がった様を、至大凞々(ハ)と言う。
また、その造化の仕組みが運行循環している様を表して、循環運行(ラ)と言う。
だから、タカマガハラという六言の神霊のしくみを明らかに解き明かすと、天地の始まりの秩序を親しく目撃したようで、それを聞いた人の心の中は確乎として愉快に感得するようになる。
このように、球の形が備わるときは、その中心部に不動の力が備わって、自ずと定まる力と、一点に向かって引き締まる力が起こるのである。
至大天球が成り定まったとき、その内部は極微点(コゴコ)の連珠糸(サヌキ)がきちんと縒り合わされ、つらなって機糸よりもただしく組織された状態で現れつつ、広大に満ち満ちて安定した状態で充実し、神々霊々、活機臨々として極まっている。
この事実を十四声に縮めて、タカマガハラニカミツマリマス、と言うのである(至大天球之中(タカマガハラ)、神々霊々活機臨々兮極微点連珠糸(カミ)、充実実相而(ツマリ)、在矣(マス))。
続いて、⦿(ス)の大神、天之峯火夫の神の御神名の起源、御活動、御名義の略解。
ア:大本初頭の言霊があわられ出て、世界の中心となり、⦿(ス)の本質と生り出でた言霊。無にして有、天にして地である活用。
マ:全く備わり、一の位にある。一乃精体(アノイキミ)にして廻り囲む言霊。
ノ:天性のまま伸び延び、支障のない。産霊の言霊。
ミ:ミは霊にして体。玉となり、屈伸自在である。産霊の形をあらわす。モイの結晶点である言霊。
ネ:ネは声音。納まり極まり、根本にして一切を収める言霊。
ヒ:光り輝く。最初大本という意味であり、霊魂の本体である。太陽の元素となり、月の息となる言霊。
オ:興し助ける言霊、大気大成の活用がある。先天の気であり、億兆の分子を保ち、出入自在である、という意味。
これによって、天之峯火夫の神の御神格がどのようなものか、推測して知ることができる。その他、神々の御名からそのご活動を伺い知るためには、言霊学の知識でなければできないのである。
本文
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01 01 〔1895〕
「禊の神事」は、天之峯火夫の神の聖代から伝わるものであり、紫微天界の神々でも、一日も怠らずに今日まで及んでいる。
禊は、国を治め、世界を平和にするものであり、また自分の身を正し、家庭をととのえるものである。
禊は、さまざまな方式が伝わっているので、ここで簡単に説明する。
振魂の行事:最も重要な神事
この中にもいろいろなやり方があるが、普通は両手を臍の前で十字形に組み合わせ、渾身の力をこめて神名を称えながら、自分の根本の精神を自覚し、盛んに猛烈に、数十分から数時間、連続して全身を振るい動かす行司である。
昔は、天之峯火夫の神の御名が称えられたが、現代の禊では、天之御中主之大神の御名を称える。
妄念・邪想を鎮める。身体内の相反し孤立している活動を制御し、自分の根本精神を中心とした全身の統一を成し遂げることができる。
禊の間は、食事を減らす。朝夕に一合の粥と三粒の梅干、少量のごま塩以外は食べない。しかし、内部の根本精神が興奮緊張するために、疲れたりやつれたりすることはない。
天の鳥船:衆心一和の禊
渾身に力をこめる。特に臍のあたりに力をこめ、気合とともに、櫓を漕ぐ動作を百千回反復する。
運動それ自体が修練となる。また、気合術の練習にもなる。
雄健の禊:神我一体連想の姿勢
生魂、足魂、玉留魂、大国常立之尊の神名を唱えつつ、天之沼矛を振りかざして、直立不動の姿勢を構える。
一、直立し、左右の両手で帯を硬く握り締め、親指を帯に指し、「生魂(いくむすび)」と唱えながら、力を全身に充足して腹を前に突き出し、体を後ろにそらせる。
二、「足魂(たるむすび)」と唱えつつ、力を全身に充足して両肩を挙げ、その後腰、腹、両足に十分に力をこめて両肩を下ろす。
三、「玉留魂(たまつめむすび)」と唱えながら、さらに両足に力を充足し、両足のつま先で直立し、その後強く全身に力をこめて、両方のかかとを下ろす。
四、左足を一歩斜め前に踏み出す。左手はそのまま帯を握り締める。右手は人差し指と中指をともにまっすぐに立て、外の指は握る(これを天之沼矛にかたどる)。この右手を脳天に構え、真剣以上の勇気と覚悟を持する。
雄詰(おころび)の禊:神我一体で禍津見を征服・善導する
「イエーッ」と声を発するとともに、右足と左足を踏みつけ、同時に脳天に振りかざした天之沼矛を、斜めに空を斬って、一直線に左の腰元に打ち下ろす。
さらに「エーイッ」と発生し、右ひじを脇につけたまま、ひじから前をまっすぐに立て、さらに天之沼矛を脳天に構える。
これを続けざまに三回反復する。
「イエーッ」の打ち込みは、悪魔を威圧懲戒する作法、「エーイッ」の打ち上げは、悪魔を悔悟させるための作法。
伊吹の神事:雄詰に引き続いて行う
両手を臍の位に置き、勢いよく十字型に組み合わせ、後に複式深呼吸を三回行う。最後の吸気は全部呑んで吐き出さないままにする。
現代では、これら禊の行事の根源は失われ、本当のところは伝わっていないが、大体はこのような形式で、一部の神道家の間には残っている。
紫微天界でも、禊の神事を万事の根源と定めたので、太元顕津男の神たちは、玉野丘の玉泉でおのおの禊を修するために集まって、禊祓いに奉仕した。
一同は、玉野丘の霊泉の汀に座を定め、禊の神事を修しようと、おのおの禊の歌を歌った。
全員が歌い終わると、真鶴山はわずかに震動し始め、アオウエイの音響がいずこともなく高らかに聞こえてきた。
本文
01 02 〔1896〕
紫微天界は、スの言霊の水火(いき)によって鳴り出でたがゆえに、一切のものがわかわかしくやわらかく、神はまた幽の幽にまし、意思想念の世界である。
軽く清いものは高く上って天となり、重く濁ったものは、降って地となる。
この真理によって、紫微天界は五十六億七千万年の後、修理固成の神業が完成するとともに、重さを増して行き、次第に位置を大空中の低い場所に変えた。
われわれの地球こそ、紫微天界のやや完成したものであると理解するべきである。
たとえば、紫微天界の山はほとんど気体であり、柔らかく膨れて伸び広がったものである。国土生み、神生みの神業も、柔らかい気体の世界を物質の世界に修理固成するまでには五十六億七千万年かかった、ということである。紫微天界の神々の活動は、無始無終、連続して止まらない。
神代では、情動も起こってはたちまち消え去る、極めて淡白なものであった。しかし、世が下るにつれて、人情が濃厚・執拗になってきた。そこで、愛・恋の乱れや争闘が起こってくるようになった。
これが、主の大神が天之道立の神に、世の混乱を防ぐよう教え導き、乱れ行く世を正しく建てるように方策を授けた理由である。
神代の神人は、気体であったので、柔らかい地上を歩いても何の支障もなかった。国土の修理固成が進んで硬度を増すにしたがい、神々も体重を増し、ついに人となって地上に安住するようになったのである。
このように主の大神をはじめ、神々の努力の結果完成した地上に人と生まれ、安住できる恵みと徳は、とうてい書き尽くせるものではない。
われわれは、主の大神がお住まいになる紫微天界が完成期に近づいた地球の中心、葦原の中つ国である日の本に生まれた。万世一系の皇神国(すめらみくに)の天皇(すめらぎ)に仕え、神の宮居となり、神の子となって仕える幸福は、三千大千世界の宇宙をみても、到底求めても得られないほどの仁恵に浴しているのである。
だから、我が皇神国に生まれた大御民(おほみたから)は、海外の諸国よりも特に、敬神・尊皇・報国の誠を披露して恵みと徳に報いなければならないのである。
紫微天界が完成した神国であるので、わが国を「皇神国(すめらみくに)」と言い、その君を「天皇(すめらぎ)」と言うのである。
本文
01 03 〔1897〕
顕津男の神は、玉の泉の汀に立ち、真鶴の国土を造り固めようと七十五声の言霊をのり上げた。
すると、七日七晩の間に、玉野丘は次第に膨れ上がり、膨張して、真鶴山の頂上をも真下にみるほどに高くそびえるに至った。
従う神々の言霊は、一様に澄み切っているわけではないので、顕津男の神のあと、真言厳の神の清い言霊を奏上することで、真鶴の国土を無限大に拓き膨らませることができたのである。
水火が澄み切っていない神の言霊が混じると、かえって宇宙に混乱をきたすことがあるので、このようにとり計らったのである。
顕津男の神は、澄んだ言霊の持ち主である真言厳の神を選んで、交互に生言霊を奏上した。その他の神々は、それぞれ言霊をのり上げて、神業を補助する役に回った。
このように、言霊の清濁美醜は、天地の水火にお起きに関係し、神界の経綸の進み具合にも影響する。言霊の応用は慎重になすべきである。
本書を拝読する人は、常に言霊を練り、円満晴朗の言霊の持ち主とならなければ、神明の気を和らげ、神業を補佐することができないのである。
顕津男の神が国土造りの歌を歌うと、玉野丘を中心とした国原は、次第に湯気が立ち昇るとともに、その高さと広さはどんどん増していった。
真言厳の神は、言霊歌を歌ったが、その中で、玉野丘が盛り上がってできた山を、玉藻山と名づけた。また、かつての玉泉から流れ落ちる滝を、玉藻の滝と名づけた。
続いて、遠見男の神、圓屋比古の神が、玉藻山創造の様子を歌に歌った。
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01 04 〔1898〕
顕津男の神と真言厳の神の生言霊により、国土は震動し暴風雨吹き来たり、ついに玉野丘一帯は次々に広がり膨れ上がって、驚天動地の光景を現した。
神々は感嘆し、それぞれ国土造りの神業を祝う歌を歌った。
玉野比女は神業の結果に驚嘆し、生代比女は玉藻山で御子生みをする決意を詠んだ。
美波志比古は、新しい国原を雨風が洗い清める様を詠み、玉藻山をたたえた。
産玉の神は、顕津男の神・真言厳の神の生言霊をたたえ、真言厳の神が天之道立の神の御樋代であると悟った。そして、生代比女の御子生みを守る自分の役割を明らかにした。
魂機張の神は、御子の生命、また新しい国土のすべての生命を守る自分の役割を歌った。
宇礼志穂の神は、国土造りのすばらしさをうれしみたたえる歌を歌った。
美味素の神は、味わいがあってこそ、すべてのものが生きることができる、と自分の役割を歌った。
結比合の神は、厳と瑞の言霊(顕津男の神=瑞と、真言厳の神=厳)の結び合わせ、また玉野比女と生代比女の結び合わせによって、この国土生み神生みができた、と祝い歌を歌った。
待合比古の神は、最後に、長らく待った後ついにこの日を迎えることができた喜びを歌った。
再度に一同は、遠く広がった真鶴国を喜び祝い、頂上の玉野大宮に感謝の神言をのり上げた。
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01 05 〔1899〕
神々たちは、国土が膨れ上がり、玉野丘が高く膨れ上がって玉藻山となり、玉野湖もたちまち干上がってしまった光景を目撃して、山上の玉野宮居に立って大神の徳を感謝しつつ、それぞれこれまでに見た国土造りの光景を歌に歌って祝った。
最後に、宇礼志穂の神が、玉野森につないで来た馬たちはどうしただろうか、と行方を案じる歌を歌った。
すると、馬たちは丘の盛り上がりにつれて、玉藻山の七合目あたりに持ち上げられていたが、山の斜面を縦一列に駆け上って来て、新しい神国を祝するかのように嘶いた。
宇礼志穂の神は、この瑞祥を喜ぶ歌を歌った。
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01 06 〔1900〕
宇礼志穂の神の言霊に感じて集まってきた白馬たちが、輪になっていつまでも嘶き走り回る様を見て、顕津男の神をはじめ神々は、喜びと祝いの歌をそれぞれ歌った。
そして、再び玉野宮居に威儀を正し、真鶴国国土生みの神業成就を祈った。
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02 07 〔1901〕
国土生み・御子生みの神業が成ったので、顕津男の神は大前に跪いて座り、神人すべてのために祝詞を奏上し、天界永遠の無事を祈った。
その祝詞、
高天原の紫微宮にまします天之峯火夫の神、高鉾の神、神鉾の神をはじめとする、天津神国津神八百万の神たちの前に申して言う、
神々の身体の大本源とは、大きく集まり結びあって円となった最上の産霊(むすび)である。神々の身は、その大本源によって「ムスビ」の極み限りを尽くして霊妙にして霊瑞にムスビ成ったものなのである。
その地水火風空(すべての元素)は円く備わり、争うことなく、片寄ることなく、止まることなく、滞ることはない。身魂は澄み渡り、赤く照り輝いている。
そして、大いなる結び合った円には極みがなにので、底につくことはなく、高天原の限り存在しないところはなく、あらゆる所がすなわち自分の身である。また、自分の身が「自分」と限られることすらない。
だから、天も地も我が身の内にあり、日は心の内から世界を照らして落ちることなく、潮・風は廻る。
だから、羽ばたきのように心を起こすだけで、たちまち神と顕れ、身がわずかでも働けば直ちに森羅万象を形づくる。八百万千万の神々は、すべて心の内に現れたものなのである。
一つ心に思うところが即、億兆無量の神の心となり、無量無辺の神の心が、ひるがえって我が為となる。自分のために心を起こすことはまったくないし、我が身のために行うこともまったくないのである。
だから、神のことごとく、一柱も漏れる神はないのである。神々の司る世界それぞれ、天空だろうと、地中だろうと、海中だろうと、神の護り幸はい恵みがあるのであり、正しい身で行えば、たちまち成るのである。だから、億兆の祈りもすべてが成り、億兆の業もすべて遂げられるのだ。
無から現れて現世に形をむすんだすべてのものは、一つも欠けることなく、夜昼の活動に仕え、朝夕の活用にはたらくので、少しも身に乏しいことも煩わしいこともないのだ。
ヒト=神人と言うのであり、煩い病苦悲しみといった災いは、すべて神人(ひと)の道を失って禽獣虫魚のレベルに落ちてしまっているのである。穢れた道を行けば、終に神人の身を失ってしまうのである。
比類なく貴い神人(ひと)の身を産霊(むすび)得ながら、卑しき身魂に落ちてしまう道理を明らかに悟れば、これを畏み思って、我が身の過ちを清め祓い尽くそう。
そして神人の道に進み入って、私の思いを起こさず、我が身のために行うのでなく、神人の名のままに行う。迷うことなく欲することなく神人の道に入れば、紫微宮の⦿(ス)の大神二柱も、夜昼の守りに幸を賜う。
真言為す神人の道は、自ら願うがままになり、天界の本から備わった大いなる真の道は永遠に伝わって、天の日がすべてを照らすようである。
雲のごとくすべてを潤し世界の隅々を知る⦿(ス)の大神の大御倉は、天地日月と共に永遠に連動して少しも失われることがなく、諸々の神たちは子を産み継いで、それぞれの位のままに永遠に助け合いお仕えになっている。
神人たちが、それぞれの神業を守って⦿(ス)の大神に仕え奉り楽しみつつ、神人の道にそむくことがなく、僻地の小さな神でさえ餓えや暑さ寒さの悩みを知らず、上中下各位の神人が共に一つの歓びを受ける。
このような、真の大⦿(ス)の御国となりますよう、お願い奉ることを、高天原の紫微の宮居の三柱の神、百千万の神たち共にお聞き届けますよう、畏み畏みも拝み申します。
そして、御歌を歌って静々と大前を退き、居間へと帰っていった。
玉野比女、生代比女も顕津男の神について、一間へ退いた。
遠見男の神は玉藻山の頂上から国見をし、圓屋比古の神を三笠山の国守と任命し、国中比古の神を真鶴国の稚国原の守りとする歌を歌った。
すると国中比古の神が、玉藻山の新生と神々の功を喜び祝おうと、天の斑駒に乗ってやってきた。そして、稚国原を治めるにあたっての抱負を歌った。また、圓屋比古の神も、三笠山の国守としての決意を歌った。
本文
02 08 〔1902〕
太元顕津男の神が国魂神を生む神業について、言霊応用の大体の要約を示す。
アオウエイ=天位
ワヲウヱヰ=地位
ヤヨユエイ=人位
だから、ア・ワ・ヤそれぞれの行の言霊を正しく区別しなければ、天地人の真理を解き明かすことはできないのである。
アカサタナハマヤラワ=ア列、天位にして天に座し、貴身の位置
オコソトノホモヨロヲ=オ列、地の座、田身の位置。
ウクスツヌフムユルウ=ウ列、結びの座、隠身の位置。
エケセテネヘメエレヱ=エ列、水の座、小身の位置。
イキシチニヒミイリヰ=イ列、火の座、大身の位置。
生代比女が国魂神を生むにあたって、顕津男の神が大前に額づいて神嘉言を奏上し、ウクスツヌフムユルウを朗らかに奏上した。
他の神々は、異口同音に「ウクスツヌフムユルウ」を繰り返し宣り、それぞれに国魂神の誕生の無事を祈る歌を歌った。
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02 09 〔1903〕
神々の祈願のかいあって、生代比女は安らかに御子を産み落とした。この御子産みを助け功あったのは、産玉の神であった。
生まれた御子の名は、千代鶴姫の命と名づけられた。
顕津男の神は喜んで、大前に感謝の神嘉言を宣り上げた。そして、御子誕生の嬉しさを歌に歌った。
玉野比女は祝いの歌を歌い、生代比女は嬉しさと感謝の歌を歌った。
圓屋比古の神は、御子産みを終えた述懐を歌い、自分の新しい職掌である三笠山の国守に発っていった。
他の神々は、それぞれ神業をひとつ終えた述懐と国魂神誕生のめでたさを歌い、黄昏になったところで、各々寝所に帰って休んだ。
本文
03 00 - 本文
03 10 〔1904〕
玉野比女、生代比女は、国魂神が生まれて真鶴国の基礎が固まったことに喜び、玉野大宮の清庭で祝いのいろは歌を歌った。
太元顕津男の神は、神言を宣り上げた。
高天原は、紫微天界にます⦿(ス)の大神の御樋代である。
その高天原は、天之峯火夫の神の住み極まる、⦿(ス)の大神の広大な御殿である。
そして、天の諸々の数が極まり孕み備わって、神的に充実してひとつの大御玉を形成している。
⦿(ス)の巣が定まっているゆえに、天地火水の位置が分かれて定まっている。
天は道反(ねがやし)の御玉を保ち、地は足御玉(たるみたま)を保ち、火は幸御玉を保ち、水は豊御玉を保ち、産霊は死返(まかるかえし)の御玉を保つ。
だから、地は高天原の中心によどみ止まり、水はその地の守りとなり、火は摩擦して発生し、互いにうちあって燃え上る。天は常に定まって伊機佐志を建てる。産霊は往来して誠を保つ。これらを内外裏表に結び、統括し、助けて、「大霊元球(もとつみたま)」と言う。
霊元球が活用して、大御心となる。霊元球の精体が、大御身となる。
すめろぎ(皇腺)とは、⦿(ス)の大神の身体そのものである。
一つの大玉体でありながら、さまざまな部分に分かれる元素は、⦿(ス)の神が首にかけているみすまるの大皇玉(おおみたま)である。その組織分子の一条の脈から、時が至って精が盛んになり(=みいづ)、産霊(むすび)のはたらきによって神人が成り出でたのである。
だから、独りでできたのではなく、皆ともに産霊がはたらいてまとまったのであり、私なく、離れ散ることなく、身体のすべてが、⦿(ス)の神の皇腺(みすぢ、神の条)なのである。
⦿(ス)の大神は大御心を司って紫微の天津高御倉にまし、大臣神は知恵を司り、小臣神は教誨を、田身の神は手わざ足わざをつかさどって地の位におり、一つに結んで天津大政事に仕えている。
この永い大神世(おおみよ)を長く連なって、条脈を守り、姓・職・家を守ってかわるがわる生まれ来て、天津大至祖(おおみおや)から幾万も代を重ねて、将来も数限り継ぎ連なって永遠にめぐる。
その時々の状況で、⦿(ス)の大霊元球(もとつみたま)の組織経綸の条脈(すじめ)を、糸経、日次、月次、年次を貫いて、大神世を造らせている。神の御衣の機に連なり、梭を執る天津真言を織り立て、錦の花を開き、天津⦿腺(みたま)の実を結ぶ。
⦿(ス)の大神の大玉体は、世の⦿腺(みたま)を統べる大元霊球なので、その⦿腺(すじ)である神人が、我・己の優勝劣敗の汚らわしい心を起こして神人の道に背くことがあったら、大元霊球の組織を破り、その大玉体を汚し汚すことである。これが禍津神の禍事である。
そのようなときは、早く大麻を執り、神直日大直日に見直し聞き直し奉り、過ちを改め穢れを潔ぎ、再度犯さないように誓い慎むのである。このようにして、⦿(ス)の大神の大玉体は全く尊く貴く、澄み輝いて威勢は貫き通って感服しないものはなく、大いなる知恵は光り輝いて、賑わい和み、産霊の徳が成り出でるのである。
だから、この紫微天界の豊秋津洲(とよあきつしま)に神人と生まれたというのは、大神の大玉体の皇脈(みすじ)であるので、大神の御心のままにかしこみ慎み、世のため神人のためいそしみ勉め、誠の神の言ならば白刃も矢玉もいとわず、禍を祓い清めるのである。
ですので、天津御倉にまします⦿(ス)の大神が、世のことごとあまねく統べ知り玉ひ、導き助け巣立て、諸々の神人らを一柱も落とすことなく、生きとし生けるものすべて助け恵み、幾万億後の世も政り治め、平らけく安らけくこの皇脉(みわざ、脉=脈)を守り幸はえ給え。
そして、各々真鶴国の国造りの様を思い起こして述懐の歌を歌った。
ここで、物語から少しおいて、太元顕津男の神の御名について、言霊学より略解を記す。
オ声の言霊
起こる、高貴、上、興し助ける、大気、大成。億兆の分子を保有し、分子の始めと終わりを知る。心の関門を受納する、真と愛の引力。大地を包蔵。
ホ声の言霊
天地万有の始め、母、矛、隠門、臍。ヽ(ほち)。袋、日の霊。上に顕れる、天の心。太陽の名分、心に写る、恋うる。
モ声の言霊
円満を司り、下にはたらく。世の芽だし、伸縮あり、遂に固まって物となる。土の上面、水の座、分子の精などのはたらき。
ト声の言霊
万物の種を司って、一から百千万の数を為す。よく産み出す。結び徹り足る。皆治まる。結びの司。
ア声の言霊
天であり地である。無にして有。世の中心。光線の力。大本の初頭。あまねく仁慈ある。全体成就現在。幽の形、遠く達す、陽熱備わる。
キ声の言霊
上無し、一つに尽くし極め居る。貫き続き居る。世の極祖極元の真、現在世を統べ司っている。人心一切に帰す。神霊魂の極元府。動植物一切を握っている。
ツ声の言霊
強き、続く。速力の極み、大造化の極力。大金剛力。
ヲ声の言霊
結びて一と成る。霊魂の脈管。自在に使役を為す。向かうものを緒で繋ぎ引き、御する。
本文
03 11 〔1905〕
顕津男の神は、如衣比女の御魂を招こうと、八種の神歌を歌い、鎮魂際を行った。
招魂の神歌を歌うと、如衣比女の神の神霊がたちまち感応来格し、他神の目にも明らかに姿を見ることができるようになった。
顕津男の神は、如衣比女の事があってから自らの心を戒め立て直し、真鶴国の神業をなすことができたと、如衣比女の功をたたえる為に招魂したことを歌う。
如衣比女は、幽界に生きて、神業を守ろうと歌い返す。顕津男の神は、この先も守り助けたまえと呼びかけ、如衣比女を歌い送る。如衣比女は神馬にまたがり、空の雲を押し分けて天津高日の宮へ帰っていった。
神々はそれぞれ、この不思議に述懐の歌を歌った。
本文
03 12 〔1906〕
真鶴国の修理固成がようやく緒についてきたところで、顕津男の神は七十五声の言霊歌を歌った。
その一連の歌は、真鶴国の造成が、言霊のはたらきによるものであったことを明かし、またこれからの生成発展も、水火(いき)と水火を結びあわせる言霊の活用(はたらき)によるものであることを歌っていた。
そして、比女神たち、従者神たちにそれぞれ真鶴国のその後の役目を割り振り、自分は西方の国へ旅立つと歌い、ひらりと駒にまたがった。
一同の神たちは、顕津男の神の馬のくつわを取り、しばし引きとどめて名残の歌を歌ったのであった。
本文
03 13 〔1907〕
玉野比女は、顕津男の神との別れの寂しさを歌い、西へ立つ顕津男の神への気遣いとともに、後を守る自分の決意を述べ、真鶴国固成の偉業をたたえた。
つづいて生代比女は、後に残る別れの悲しさを歌った後、顕津男の神の旅立ちへの思いのたけを歌った。
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03 14 〔1908〕
引き続き、従者神の国中比古の神、宇礼志穂の神、美波志比古の神、産玉の神たちが、顕津男の神の真鶴国固成の偉業をたたえ、また国の発展を祈りつつ顕津男の神との別れを歌った。
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03 15 〔1909〕
続いて、魂機張の神、結比合の神、美味素の神が述懐の歌を歌った。皆が歌い終わると顕津男の神は馬上から諸神への返答歌を歌った。そこには、諸神への感謝と、たとえ自分は去っても、霊線(たましひ)はここにあって真鶴国を助ける、とあった。また、国事補佐の任にあたる玉野比女には、宮居に仕える神と、補佐神とを降すので安心するように、と諭した。
歌い終わると、顕津男の神は諸神に名残を惜しみつつ、駒に鞭を打って玉藻山を静かに下っていった。
諸神は国境まで見送った。
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03 16 〔1910〕
顕津男の神が玉藻山を去りつつあるとき、玉野比女は寂しさに耐えかねて、玉野宮の大前にうずくまって神言を奏上し、静かに歌を歌った。
その歌は、顕津男の神を慕い、その姿を偲ぶ述懐の歌であった。また、自分は八十比女の一人でありながら、御子神を授かったのは生代比女だったことを悔やみ、ねたみの心が湧いてくるのをどうともしようがなくなってきた。
すると、玉藻山の松の枝を左右に揺らし、二柱の神が玉野宮居に天から下ってきた。
二柱の神は、それぞれ魂結(たまゆい)の神、中津柱の神と名乗り、主の神の言により、玉野比女を助けるために降ってきた、と明かす。
玉野比女は二神の降臨に驚きかつ喜び、また神に仕える身でありながら、神前に繰言を述べた自分を恥じた。
魂結の神は、玉野比女の真鶴国の将来を愁う真心が天に通じたのであり、自分は玉野宮に仕えて玉野比女を助けるために、主神より下されたのだ、と歌う。
中津柱の神は、顕津男の神の願いを主の神が容れて、自分は下ったのだ、と歌った。また、国魂の神は生代比女の御子なのではなく、八十比女である玉野比女の御子であると心得るよう諭した。
中津柱の神は、真鶴国を廻って神業の継続を助けよう、と歌い、遠見男の神が国事の全ての司であり、玉野宮居の司は玉野比女である、と役割を明らかにする。
そして、自分は真鶴国を隅々まで廻り、国の詳細が固まったならば天へ帰る、と自分の役割を明らかにした。
最後に、主の神の神言によって、魂結の神とともに、幾億万の年月を経てようやく「皇国」・「大やまとの国」として固めるというのがこれからの神業である、と結んだ。
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04 17 〔1911〕
古来、文学者たちが神世の物語を著すのに、史詩(シャンソン)と伝奇物語(ロマン)の二種類の様式を使ってきた。
史詩は歴史と空想の混じったものであり、伝奇物語は、史実を踏まえつつ、それをより濃厚な空想で味付けした物語である。
古今東西、神界に言及した多くの歴史物語が存在してきたが、『天祥地瑞』のように言霊を取り扱った書物はいまだかつてなかった。なぜなら、言霊学は深遠微妙、玄妙な学理であるから、並大抵の学者では理解することができなかったのである。
私(=王仁三郎)は大胆不敵にも、大宇宙の極元である言霊の活用に基づいて、宇宙の成立から神々の活動について、史詩の形式を借りて、その大要を述べようとしているのである。
天地茫漠として修理固成がまだなされていない時代、言霊のはたらきから発する意思想念の世界のことを説明すると、現代人には奇妙に感じることが多い。一定不変の形式をもたないので、神々の姿も、竜体・獣体・山岳など、さまざま違っている。なぜなら、意思想念そのものが現れているからである。
一方今日では、人間の形態が定まってしまったので、かえってその人の意思想念がどのようなものか、外から観察することが難しくなってしまった。正しい神の道により知恵正覚を得た人は、精神を看破することができるが、大多数の人には難しい。
そこで、主の大神は、ミロクの神柱を地上に下して、正しい教えを天下に施して人類の眼を覚まさせ、光らせ、悪魔の跳梁を絶滅させることで、ミロクの御世を樹立しようとなさっているのである。
さて、玉藻山に二人の女神を残して真鶴国を旅立った顕津男の神は、宇礼志穂の神、魂機張の神、結比合の神、美味素の神の四柱神を従者として、玉藻山の千条の滝が集まる大滝川に禊をした。そして、主の大神を伏し拝み、西方の国の国土造り・神生みの神業の完成を祈る歌を歌った。
従者神たちもそれぞれ、真鶴国の造営を省み喜びつつ、西方の国への旅立ちの決意を、それぞれ歌った。
宇礼志穂の神が案内に立ち、顕津男の神、そして残り三柱の従者神たちがそれに続いた。
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04 18 〔1912〕
一行は馬上にて歌を歌いながら進んでいく。
先頭の宇礼志穂の神は、真鶴国固成の功績を歌い、今は天地に黒雲かかると聞く西方の国を開くために、万里の駒にまたがり、千里の荒野原を行く、と歌う。また、先遣隊として行った美波志比古の神によって道が踏み固められていることにも言及する。
顕津男の神はしばらく駒を止めて、玉藻山を仰ぎつつ、来し方を顧みる述懐の歌を歌い、これまでの出来事と比女神たちを偲んだ。
四柱の従者神たちはそれぞれ、述懐の歌を歌って続いた。また一同、西方の国に立つ曲神の雲を払わんと、抱負を歌った。
すると顕津男の神は、一人真っ先に進みながら、歌を歌った。従者神たちに頼る自分の心を厳しく自戒し、神業をなすのは他ならぬ自分独りであり、濁った多くの言霊よりも、一つの良き言霊で曲津神を言向け和す、という決意を新たにした。
従者神たちは、自らおごった心がなかったか畏れかしこみ、顕津男の神の言霊の威力への信頼を新たにする述懐の歌を歌った。
顕津男の神を先頭に、一行は大野原を進んで行く。
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04 19 〔1913〕
ここに語られている物語は、おとぎ話でなく、伝説や伝奇物語でもなく、言霊学上から見た史詩(シャンソン)である。
『霊界物語』は、人に伝わったものではなく、天地に充満した水火(いき)の妙用原理にもとづき、宇宙創造の状態より、諸般の事象について説き示したものである。
この物語を著すにあたっては、日夜神界の枢機に参じ、宇宙万有発生の歴史的事実に至るまで開示したものなので、現代の学者たちが怪しく思うのも当然のことである。
未だ誰も見たことも聞いたこともなく、伝わっていない宇宙の物語であり、有史以前の事象であるので、誰も善悪の批判を加えることはできないのだ。
惟神(かむながら)の道徳上の義務に服し、天界に奉仕し、自己を制して自己以外のひとたちに寛大な神人(ひと)は、実際上、精神の上で自由なのであり、一切万事、公共のために活動して、成功しないことは一つもないのである。
天之峯火夫の神が皇神(すめかみ)として君臨したまう紫微天界は、未だに霊と言霊の世界であり、形のあるものはただ、気体が凝ったものだけである。だから、意思想念の世界ともいうべきものである。
善良な意思想念は、善良な神人の姿と現れる。そして、醜悪な意思想念が醜悪な形となって現れるのも、自然の理なのである。
大蛇、鬼、半鬼、巨人、山、河、岩石等、さまざまな形の神々が多数あるのも、意思想念があわられた姿なのであれば、驚くにあたらないのである。
顕津男の神は、七日七夜、旅を続けて、濁流がとうとうと流れる日南(ひなた)河の南岸に着いた。このとき、日は三十度の位置に昇り、こうこうと輝いて、日南河の波を金銀色に彩らせた。
顕津男の神は、激流を眺め、スウヤトゴル山を前に旅の述懐の歌を歌った。
そして、河の中に波をせき止めてそびえる岩を曲神の化身と見破り、言霊歌を歌うと、巨巖はたちまち蛇体となって逃げていった。すると、河の水は減っていき、向こう岸まで渡れるほどになった。
顕津男の神は駒にまたがり、最後まで見送りに従ってきた四柱の神々に、別れの歌を歌った。
宇礼志穂の神、魂機張の神、結比合の神、美味素の神は、顕津男の神の無事を祈る歌をそれぞれ歌った。
顕津男の神が悠々と向こうの岸へ渡り上ったのを見届けると、見送りの四柱の神々は真鶴国の聖地へと戻っていった。
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04 20 〔1914〕
「スウヤトゴル」とは、聖なる山、という意味である。
天地の邪気が凝り固まって生まれた十二頭の大蛇神が、この連峰となって日南河の西北に高くそびえ、邪気を日々発生させて紫微天界の一部を曇らせ、神々を悩ませていた。
スウヤトゴルはこの邪神の連峰の偽名であり、実は曲津・悪霊が割拠していたのである。
顕津男の神がスウヤトゴルを帰順させて西方の国を開こうと、日南河の北岸に渡って来たとき、照男(てるお)の神は、七柱の神々を従えて迎えにやってきた。
七柱の神々とは、内津豊日(うちつゆたひ)の神、大道知男(おおみちしりお)の神、宇志波岐(うしはぎ)の神、臼造男(うすつくりお)の神、内容居(うちいるい)の神、初産霊(はつむすび)の神、愛見男(なるみを)の神である。
八柱の神々は、顕津男の神に挨拶を述べ、そのご健在を祝して歌った。
照男の神はまた、スウヤトゴル山の猛威を訴え、顕津男の神を待ち望んでいた西方の国の神人たちの心情を歌った。
顕津男の神は、様子の分からない国の案内を照男の神に頼みつつ、これまで曲神の猛威に耐えつつよく国を治めてきた照男の神をねぎらう歌を歌った。
従者神の内津豊日の神、大道知男の神、宇志波岐の神は、西方の国の現状を訴え、顕津男の神への期待を歌に歌い、御降臨を喜んだ。
すると、たちまち天地が割れるかというような雷鳴がとどろき、稲妻が走り、大雨が降りだすと、日南河はみるみる濁流にあふれ、岸を呑み、河底の巨巖をまりのように押し流してしまった。
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04 21 〔1915〕
顕津男の神はこの光景を見ても少しも動じず、にっこりとして歌を詠んだ。
曲津神が力の限り脅そうとしておたけっているが、かえってその壮大な光景を見て楽しんでいるくらいだ。言霊の幸はう国であれば、曲津見のおたけびが強くても何も恐れることはないのだ、と。
迎えに上がった神々は、顕津男の神の不退転の様子に驚き心を動かされ、それぞれ顕津男の神をたたえる歌を歌い、このような英雄を迎えた歓びを表した。
そこへ、美波志比古の神がしづしづとこの場に現れて、顕津男の神に目礼した。美波志比古の神は、顕津男の神が真鶴国を立ち出でて西方の国に旅発つに先立ち、途中の道々に橋を架けるために(顕津男の神に無断で)先に立っていたのであった。
しかし、美波志比古が歌で語るところによると、橋を架けるという職掌を超えて、自身西方の国に先に進み入り、その結果、今まで曲津見の神の手下に捕らえられてしまっていたのであった。
美波志比古の神は頓知でなんとか危害を逃れていたが、曲津見の神は顕津男の神がついに西方の国にやってきたことを恐れ、美波志比古を解放した。
いま美波志比古は、自分の軽率を顕津男の神に懺悔すると同時に、曲津見の神たちが罠を張って顕津男の神を待ち構えていることを、注進に来たのであった。
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04 22 〔1916〕
顕津男の神は、霊と肉とが円満に合致しているため、礼儀、慈愛、風雅それぞれ全く兼ね備えていた。だから、至るところ、物に接し事に感じては御歌を詠むのであった。
いま、顕津男の神は日南河を渡り、悪魔のはびこる西方の国を作り固めようとして心を悩ませ、また高地秀の宮に残してきた八柱の比女神たちや八十比女神たちの身の上を思い起こし、悲嘆の涙にくれながら、述懐歌を歌った。
その歌は、道のためとはいえ、置き去りにしてきた妻子の寂しさを思って悩む思いと、その悩みに負けず心を立て直す自分の決意を詠んだものであった。
そして顕津男の神は、日南河の流れに下り立って禊の神事を修した。すると、出迎えの八柱の神々も早瀬に飛び込んで、浮きつ沈みつ、天津祝詞を奏上して、禊の神事を修した。
一同は、ようやく心地がすがすがしくなった、と言上げて、各々心静かに歌を詠んだ。
身も心も軽くなり、曲津神に対する勇気に満ちた禊のいさおしをたたえつつ、顕津男の神に従い、柏木の森を目当てに、意気揚揚と出発した。
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04 23 〔1917〕
スウヤトゴル(=聖なる山)に身を変えて、西方の国土の天地を我が物としようとしていた大曲津見は、顕津男の神を騙って朝香比女の神を騙し、御子生みをなそうと企んでいた。
しかし、本物の顕津男の神が西方の国に間近にやってきたのに驚き恐れ、途中で一行を全滅させようと、部下の邪神を集めて何度も評議をした。
その結果、嘘つきに長けた醜狐を柏木の森に遣わして、妨害計画を与えて実行させたのである。この醜狐は、醜女の神、といった。
醜女の神は柏木の森の手前に姿を隠し、顕津男の神の一行の駒の足許ちかく、かすかな声で、『右に行けば必ず勝つ、中の道を行けば必ず負ける、左に行けば必ず滅びる、主の神の教えであるぞ』と歌っていた。
顕津男の神はこの歌を聞いて微笑みつつ、醜神の罠と見破り、左の道へ進むことを歌う。
従者神たちはそれを聞いて不安に思うが、美波志比古は、スウヤトゴルの手下の曲津神の姦計であろう、と歌って不安を鎮める。
こうして一行は、曲津神が滅びると言った左の道を選んだ。おのおの曲津神に対する決意を歌って勇気をつけつつ、柏木の森を難なく突破し、スウヤトゴル山脈さして悠然と進んで行った。
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