巻 | 篇 | 篇題 | 章 | 章題 | 〔通し章〕 | あらすじ | 本文 |
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- | - | - | 天祥地瑞 辰の巻 | - | 本文 | ||
- | - | - | 序文 | - | 各国には、その国に合った建国の精神があるように、日本には固有の大和魂というものがある。
吾(出口聖師)は、明治三十一年より、その大和魂の宣揚に努めてきた。今、大和魂を奉じる団体が沢山現れてきたことは、喜ばしいことである。
東方に位置し、万世一系の国家として他に類を見ない日本国とすれば、自身が持っている国民精神=大和魂に基づいてこそ、日本の文化文物の特異性を世界に訴え、賞賛を受けることができるのである。
今日、大和魂を発奮して国民が覚醒しなければ、その輝きも徳も失われてしまう、と叫ぶ向きもあるが、堅固で純粋な大和魂はそう簡単に消えたり磨り減ったりするものではない。むしろ、常に明るく澄んで、磨かれつつ光を放っているのである。
では、大和魂がどのようなものであるかというと、忠孝、信義、友愛、大侠、義勇、正義、自由、それぞれが、純真な意識的行動によって、発現される=大和魂なのである。
日本の比類ない国体を護り、国家を支持する精神はすべて、このような国民性が持っている、誇りと矜持なのである。それこそが、日本人の国民性のみが占有する、独占的な特質なのであり、他のいかなる国民も、真似をしたり奪ったりできないところである。
たとえて言えば、これは大和魂が約束する、絶対に侵すことの出来ないひとつの手形である。もしもこの手形を手放す者があるとすれば、大和魂=国民的精神は奪い去られ、精神的財産は跡形もなく消えうせるということになる。
現代日本に生を受け営みつつ、これを手放す精神的亡者があるとすれば、それは日本精神を賊し冒涜するものであり、筆者としては心外千万の沙汰である。
顧みて、欧米の文明が日本(精神)に何をもたらしたか。理知や物質的・機械的なものは先走り、上滑るほどに盛りだくさんであった。欧米文明の心酔者は、それに幻惑され、愛溺し、重宝がった。その結果残ったのは、思想の偏りと荒廃くらいなものである。そんな状況の中、ややもすれば、この思想の変遷を助長し促進して、とんでもない方向へ脱線し奔放をほしいままにする一部の国民さえ現れたのである。
基本的に、欧米文明の長所を取り短所を大和魂で補う、ということの正しさは、いかに古臭い学者といえども、もはや否認する道理もない。しかし、短を補うのではなく、あまりに長所を盲信し、機械と物質のロボットと化してしまったことによって、脱線・奔放をほしいままにする「似非自由主義者」という怪物が、のさばり出すようになってしまった。
つまり、常軌を逸した状態が、ただ政治や経済組織の上に見られるだけでなく、人間の思想の上にも存在するようになってしまった。まことに呪わしい世相・人間世界となってしまったのである。
具体的に、どのような異常状態が、現在の人間精神にあるかと言うと、欧米文明をあまりに広範に取り入れてしまった結果、欧米文明の長所が本来どこにあったか、という指標が狂ってしまった。そうして終に、脱線し歯止めがなくなり、ありのままの姿をさらけ出してしまった。その結果が左翼化、共産主義化である。
左翼・共産主義が、資本主義の是正を叫び、統制経済の確立を叫ぶのは、既存の組織のあり方を正すという点では、一つの努力とみなすことはできる。しかし、大局的に大きく物事を見たときに、果たしてそのような方向で大和魂は、発揚したり、その豊かな味わいを発揮したりできるのだろうか。
左翼的・共産主義的な是正ではなく、先祖に報い始めに返る精神で是正をしていかなければ、日本の国民精神は滅亡してしまうかもしれない。
このような事態の中、皇国日本の真の精神と、天壌無窮の皇室の尊厳とをあまねく国民に現し、そうすることで、この非常時に直面している国民同胞を迷いから醒ますために、『天祥地瑞』の神書を著したのである。東洋、特に日本の天地開闢・宇宙創造説を、西洋諸国と比べて見ても、海外のものは根拠のない神話物語であり、これを見ても非文明的である理由がわかるであろう。
さて、この巻は、八柱の御樋代神の一人、朝香比女神が、スウヤトゴル山で太元顕津男の神と再会し、英雄的活動により大曲津見を言向けやわし、新しい国土を経営し国魂神を生み出でますという、紫微天界での大活動の序幕の物語である。 |
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01 | 00 | 万里の海原 | - | 本文 | |||
01 | 01 | 天馬行空 | 〔1933〕 | 八十曲津の神たちは、真賀の湖水の計略を朝香比女に破られ、あべこべにその多くが魚貝に姿を変えられてしまい、国津神たちの食料と定められてしまった。そのため何としても比女を陥れようと、高地秀山の峰より流れる東河の岸辺に、無数の大蛇となって、比女を待ち構えていた。
朝香比女はつらつらと透かして見れば、東河の水面一帯に大蛇が横たわり、その鱗に月光が輝いているのが見えた。
従者の狭野彦は、そうとは気づかず、麗しき河の流れと思って歎美の歌を歌い、瀬踏みをしようとした。
朝香比女はそれを厳しく押し止め、言霊歌によってその危険を明らかにし、知らせた。すると、四方八方よりウーウーウーとウ声の言霊が響き渡り、川面に群がり塞いでいた幾千万の大蛇は、次第次第に姿を細め、消えてしまった。
狭野彦は驚いて、朝香比女の言霊の威力をたたえる歌を歌った。
朝香比女はそれに答えて、大河の水が強く馬では渡りかねるので、大空を駆けて河を渡ろう、と歌った。
狭野彦は驚いて、国津神である自分が、どうやって空を飛べるのですか、と歌で問うた。すると、空中に歌で答える神があり、鋭敏鳴出(うなりづ)の神であると名乗り現れた。
高地秀宮の神司である鋭敏鳴出の神は、ひそかに朝香比女に随行してその行く手を守っていたのであった。朝香比女は感謝の歌で迎えた。鋭敏鳴出の神は、曲津神の砦が多くあることを注意すると、再び姿を消した。
朝香比女は、タトツテチの言霊によって自分と狭野彦の馬に翼を生じさせ、いとも簡単に広河の激流を渡った。狭野彦は天津神の活動を目の当たりにし、驚嘆の歌を歌った。
朝香比女は鋭敏鳴出の神の加護を感謝し、一方狭野彦は、天津神の功徳に心を勇み立たせ、二人は霞が立ち込める国稚原を進んで行った。 |
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01 | 02 | 天地七柱 | 〔1934〕 | 狭野彦は朝香比女の神の言霊と鋭敏鳴出の神の守りの功徳をたたえる歌を歌い、朝香比女はそれに答える歌を歌いつつ進んでいた。
一行は、八十曲津神の住処である霧の海(第5章以降では「万里の海」と呼ばれる)の岸辺に到着した。するとそこには、主の大神の神命により比女の征途を守りたすけるべく、待ち迎える五柱の神があった。初頭比古(うぶがみひこ)の神、起立比古(おきたつひこ)の神、立世比女(たつよひめ)の神、天中比古(あめなかひこ)の神、天晴比女(あめはれひめ)の神である。
一行は、霧の海の曲津神たちは数多く、比女を守り助けるためにやってきたと名乗った。朝香比女は、神々のいさめを踏みにじって飛び出してきた自分を助けにやってきた神々に感謝の歌を歌った。
神々はそれぞれ自己紹介の歌を交し合い、朝香比女をはじめとする六柱の天津神に、狭野彦の一柱の国津神を加えて、一同霧の海の岸辺に生言霊をおのおの奏上した。すると、たちまちあたりの巌は大きな舟となって、岸辺に浮かんだ。
神々は駒とともに舟に乗り移り、よもやまの話に一夜を語り明かした。 |
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01 | 03 | 狭野の食国 | 〔1935〕 | 七柱の神々は、舟の中で語り明かすうち、東雲近くになって、海鳥のさえずる声が響き渡り、またときどき鷲の声が神々の耳をそばだてさせた。
一行はそれぞれ、霧の海に東雲の空が明けていく様子を見て、これからの旅立ちに心を新たにし、曲津神との対決に心を引き締める述懐の歌を歌った。
天晴比女は、言霊によって霧の晴れたこのとき、海原を進んで、大蟻の住むという魔の島々にこぎ寄せて上陸しよう、と歌った。
すると不思議にも、舟は櫓も櫂もないのに、自然に海原を進んで行った。神々がおのおの歌を歌いあう間に、数十里の波を渡って、船は魔の島近くにたどり着いた。
朝香比女は、魔の島を間近に眺め、舟を止めて島の様子をうかがっていたが、馬よりも大きな蟻が数十万も群がっている様子を見て、魔の島よ海に沈め、蟻よ消え失せよ、と言霊歌を歌った。蟻はこの歌を聞いて驚き、前後左右に島を駆け巡り始めた。
さて、実はこの魔の島は八十曲津神が地中に潜んで、頭だけを水上に浮かせたものであり、蟻はその頭にわいた虱であった。
朝香比女が「島よ沈め」と歌った言霊も、一時は何の効果もなく、曲津神はますます狂い立って島は高く浮き上がった。そして、曲津神の巨体が水上に浮かび上がり、目鼻口が不規則に並んだ顔は雲よりも高く、膝まで海中につかった巨大な姿を現した。
不規律な歯並の口から発する笑い声は、雷が百も同時に鳴ったかのようであった。そして、朝香比女をののしりあざ笑って、巨大な口から唾を四方八方に吹き散らした。一滴でもこの唾に触れると、全身が固着して、手も足も動かせなくなってしまう。曲津神の魔術を尽くした奥の手であった。
朝香比女の神は少しも恐れた様子なく、天の数歌に続いて、曲津神を巌に固め、蟻虱を土とする言霊歌を歌った。すると、八十曲津神の巨体は、そのまま海中に巨大な巌島と固められてしまった。
従者神たちは朝香比女の言霊の神徳に驚きたたえる述懐歌を歌った。この巌島は、周囲百里に余る、相当に大きな島であった。天中比古の神は、狭野彦を助手として草木の種を蒔き、島の経営に当たりたいと、朝香比女に申し出た。朝香比女はこれを了承した。
天中比古は、生言霊によって草木五穀を生み出した。こうして狭野の食国が出来上がり、天中比古は永遠に鎮まることとなった。 |
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01 | 04 | 狭野の島生み | 〔1936〕 | 神々は、朝香比女の功に魔の島がたちまち豊かな島に変わったことを賛美する歌を歌った。
朝香比女により、この島は狭野の島と名づけられた。狭野の島の経営を共に任せられた狭野彦は、国津神たちをこの島に移住させて、清き神国を造ろうと、豊富を歌った。
朝香比女は、天中比古と狭野彦をこの島に残し置き、四柱の神々とともに霧の海を順風に送られ、南へ南へと進んで行った。 |
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01 | 05 | 言霊生島 | 〔1937〕 | 朝香比女一行の乗った舟は、櫓も櫂もないまま、島々を右に左に潜り抜け、周囲百里の大きな狭野の島も、いつしか後に見えなくなった。
朝香比女は、狭野の島を任せてきた天中比古、狭野彦を名残惜しみつつ、海を渡って進み行く決意を晴れ晴れと歌った。
従者神たちも、それぞれ朝香比女の大曲津神退治の功績をたたえ、海原の旅を楽しむ歌を歌って順調に進んでいた。
日も傾く頃、海風が起こり、荒波が立ち、舟を左右にゆすり出した。天晴比女の神は、この風は曲津神の仕業であろうと見抜くが、舟は荒波の間を木の葉のように翻弄されつつ漂うほどとなった。
朝香比女は平然として歌を詠み、浪に対して、巌となり島となれ、と歌いかけた。すると不思議にも、猛り狂っていた波は、たちまちのこぎりの歯のような険しい巌山となり、あわ立つ小波は砂となって、一つの島が生まれた。
一行は朝香比女の不思議をたたえ、また言霊の威力を、鋭敏鳴出の神の功徳としてたたえた。神々はおのおの述懐歌を歌いつつ、はるか空にかすむ白馬ケ岳方面さして、船のへさきを向けて進んで行った。 |
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01 | 06 | 田族島着陸 | 〔1938〕 | 海はたそがれ日は落ちてきた。神々は述懐歌を歌っていたが、なんとはなしに寂しき道中に、起立比古はつい弱音を吐くが、立世比女に諭されて宣り直し、夜の海の美しさをたたえる歌を歌った。
朝香比女は、起立比古の言霊に万里の海原もよみがえり、輝きを取り戻したと喜び、夜の航海を楽しんだ。
そうするうちに、白馬ケ岳の麓に舟は着いた。この島は、万里(まで)の島と言い、万里の海の島々の中で、もっとも広く土の肥えた素晴らしい島であった。
万里の島には、幾千万ともなく野生の馬と羊が住んでおり、またこれまで誰も国津神が住んだことのない、田族(たから)の島であった。
朝香比女の神一行は、舟を磯につないで島に登って来ると、たくさんの馬・羊は先を争って、白馬ケ岳の麓をさして逃げていった。一行は、天を封じて立っている大きな楠の陰に憩いながら、おのおの述懐の歌を歌った。
住むものもなきこの島に白駒がいななき、野も開かれているのを見て朝香比女は、御樋代神の一人、田族(たから)比女神がこの島を統べていることを悟った。
神々が述懐歌を歌ううち、いずこよりか白駒にまたがった神が現れ、輪守比古の神、若春比古と名乗った。そして二柱の神は、田族比女の神の神言により、朝香比女一行を迎えにきたことを告げた。
一同はひらりと駒に乗り、月の照る夜半の野路を、くつわを揃えて田族比女の館へ進んで行った。 |
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02 | 00 | 十一神将 | - | 本文 | |||
02 | 07 | 万里平定 | 〔1939〕 | 主の大神は、七十五声の言霊を絶え間なく鳴り出でて泥海の世界を固めるにあたって、筑紫ケ岳、高地秀(たかちほ)の峰、高照山の三大高山を生み、そして万里(まで)の海に無数の島々を鳴り出でて、すべての生き物を生ませ養うべく経綸を行った。
万里の海の中心には、万里(まで)の島を生り出でた。この島は面積約八千方里、西に白馬ケ岳、東に牛頭ケ峰を抱き、その中心流れる清川を万里(まで)の河、といった。
大神はこの島に、ツの言霊によって鼠を、クの言霊で蛙を生み出でた。鼠、蛙とも古代では、牛や人間ほども大きかった。鼠と蛙は万里の島に多数増えて繁栄した。鼠は田を鋤き、蛙も鋤鍬をもって田畑を開き、穀物を作って生活していた。
この島の司として、主の大神は頭に太陽の形を印した丹頂鶴をひとつがい下した。鶴は万里河の傍らの小高い丘にうっそうと立っている一本の常盤の松に巣を作り、子を生み育てた。
しかしながら、やがてこの島に雲霧が発生し日月を塞ぎ始めた。雲と霧のために陽気は寒く、万物の発育も十分でないほどとなってしまった。陰鬱の気は次第次第に凝結し、さまざまの曲津見を発生させた。
白馬ケ岳の谷間には悪竜が多数住むようになり、大蛇はあちこちで毒煙を吐いた。また邪気が凝って鷲と山猫が発生し、鷲は蛙を、山猫は鼠を餌食として猛り狂った。鼠と蛙の一族の中でも、特に朝夕を主の神に祈り、真心を尽くして仕えた種族のみが、神の恵みによってわずかに生き残り、戦々恐々としながらも耕作に従事していた。
大神は竜・蛇・鷲・山猫ら獰猛な動物を制御するために、牛、馬、鷹、虎、狼、獅子などを島に生ましめた。そして竜・蛇を滅ぼすことに成功した。ただ鷲だけは空中にあって、制裁することができなかった。
そのうちに、肉食動物である虎、狼、獅子、熊、鷲らは、他の動物を餌食として昼夜絶え間なく争闘の惨劇を続け、収集がつかなくなってしまった。大神はここに、猪と犬の群れを下して、猛獣たちを制させた。おかげで、牛と馬はやや安全になり、牛は牛頭ケ峰に、馬は白馬ケ岳に難を避けて数を増やした。
主の大神は、この美しい万里の島を永遠の楽園に定めようと、八十柱の御樋代神の中でももっとも神力の強い田族比女(たからひめ)の神を下した。そして、十柱の従者神を比女の共として島に下した。
神々の降臨によって、肉食獣たちは逃げ散り、鼠と蛙は、犬と猪に守られて安全に耕作に従事することができるようになった。ここに、丹頂鶴は猿を使って万里ケ島の平安を守っていた。しかしながら丹頂鶴は、田族比女と十柱の神々の恩を知らず、神々を国土への侵略者ではないかと疑い、嫉視の眼を向けていた。
鶴の保護を得た猿は次第に勢力を増し、ついに鶴のように木の上に住み、鶴の地位までも汚そうと勤めるにいたった。そして、蛙に対して暴虐の限りを尽くすようになったため、万里の島は、再び混乱の巷に陥った。
犬と猪は蛙を守ろうと猿に立ち向かい、結果、猿のほとんどはかみ殺されてしまった。しかし、この惨状を窺い知った鷲、獅子、熊などの猛獣は、これを機にいっせいに迫り来て、島の動物をほとんど滅亡させてしまった。
ただ鶴、牛、馬の一族は、田族比女とその従者神の守りを得て、猛獣の魔手を免れたのであった。 |
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02 | 08 | 征魔の出陣 | 〔1940〕 | 田族比女と十柱の神の降臨によって、万里の島はようやく治まってきたが、まだ白馬ケ岳の谷間には、しばしば黒雲が立ち上り、天を塞いで光を隠し、暴風雨を起こして国土を荒らしていた。田族比女はまずこの曲津見を征服しようと、十柱の神々を率い、竜神が住む白馬ケ岳の深谷を目指した
田族比女は出陣の決意を歌に歌うと、従者神たちは、それぞれ魔神を征して万里の島に平和をもたらそうと決意を述懐歌に歌った。
一行は田族比女をはじめ四柱の女神と七柱の男神。その陣立ては、輪守(わもり)比古の神を先頭に、霊山(たまやま)比古の神、若春比古の神、保宗(もちむね)比古の神、直道比古の神を先触れとし、田族比女の神を正中に、その他五柱の神が後を守っていた。そして白馬ケ岳の魔棲ケ谷(ますみがやつ)を目指して進んでいった。 |
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02 | 09 | 馬上征誦 | 〔1941〕 | 一行の先頭に使える輪守比古の神は、馬上に出陣の門出歌を豊かに歌った。
万里の島の猛獣を制し、蛙と鼠がうらやすく穀物を作る世となったが、いまだ曲津見は消え去ってはいない。
白馬ケ岳の谷に潜む竜神・大蛇が毒気を吐いて禍を重ねている。その様子をいたんで、今田族比女は一行を引き連れ、魔棲ケ谷をさして勇ましくも進んでいく。
生言霊の幸わいに、曲津の神は影をひそめ、天地にふさがる雲霧は晴れ渡る。地上のもらみなに光を与え、永遠に守らせ給えと願い奉る。
たとえ魔棲ケ谷がどれほど深くとも、竜のすさびが猛くとも、恐れずに言霊の剣を抜き持ちて、曲津を残らず斬りはふりつつ掃き清め、この天界を神の楽園と生かせ守ろう。
雲霧迷う山麓も、我等は勇んで進み行く。
この歌を受けて、先陣の霊山比古、若春比古、保宗比古、そして後詰の正道比古がそれぞれ行進歌を歌った。最後に、田族比女が征途の決意を歌を歌いつつ、一行は白馬ケ岳の山麓を進んでいった。 |
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02 | 10 | 樹下の雨宿 | 〔1942〕 | 山跡(やまと)比女の神は馬上の歌にあたりの様子を詠み込んだ。
白馬ケ岳の山頂には紫の雲が横なびき、南の深い谷間には、曲津の水火(いき)であろうか、黒雲が立っている。
霧を通して望む魔棲ケ谷に、虫の音も悲しき霧の野路。笹の葉には白露が置き、冷え冷えと冷気が背に襲い来る。
久方の天の高宮を立ち出でて、はるばるとやってきたのは、曲津神の猛り狂う万里の島を、生言霊で照らすため。田族比女に従い、曲津見の征途に上る今の楽しきことよ。
続いて、千貝(ちかい)比女、湯結(ゆむすび)比女、正道比古、雲川比古が行進歌にあたりの様子、征途の由来と決意を歌いこんだ。
そうするうちに、白馬山麓の雲霧はようやく晴れてきた。一行は行く手にあたって、楠の大樹が茂る、やや広い森があるのを見つけ、しばしこの森に息を休めることとなった。楠の樹下に湧き出る珍しい清泉に禊の神事をおのおの修しながら、一夜をここに宿り、明日の準備と天津祝詞を奏上し、英気を養った。 |
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02 | 11 | 望月の影 | 〔1943〕 | そもそもこの万里の島は、まだ大地が若く国土は完全には固まっておらず、そのため河川の水はにごって飲料に適さなかった。しかし今、この泉の森に、水底まで澄み切った泉が滾々と湧き出ている様を見て、神々一行は禊に格好の場所と喜び勇み立ち、勇気百倍となった。
この森は、目も届かぬほどに広がった広大な森で、所々に清泉が沸き出で、地は一面の真砂であり、爽快な聖所となっていた。
田族比女の神は泉の森をたたえる歌を歌った。そして、森に湧き出る泉の傍らに立つと、ちょうど月が晧晧として泉の面に輝いた。田族比女はその光景に顕津男の神の御霊を感じ、すがすがしき夕べに征途の成功を願う歌を歌った。
従者神たちもそれぞれ、望月照る泉の森の美しい様に、神業の成就の予感を歌った。 |
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02 | 12 | 月下の森蔭 | 〔1944〕 | 神々らは、月照る泉の森をさまよいながら、美しい夜の眺めに眠りもせず、歌を口ずさんでいた。
やがて神々も眠りについたが、雲川比古の神は一人寝ずの番を仰せつかい、征途の決意を述べ、神々の休息する様子を歌に歌いこんだ。 |
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03 | 00 | 善戦善闘 | - | 本文 | |||
03 | 13 | 五男三女神 | 〔1945〕 | 宇宙の創造、天地開闢と大神業に奉仕する天界の正神は、純粋なことこの上ない清鮮の水火を呼吸して生命を永遠に維持し、無限の力徳を発揮する。
一方、邪神は濁りと穢れと曇りから発生したものであり、混濁の空気を呼吸して生命を保持し、あらゆる醜悪な行為をなして過ごす霊性を持つ。邪神のあるところ、必ず邪気充満し、黒雲みなぎって森羅万象の発育に害を与える。
大神の清澄な言霊の水火から成り出でた万里の島にも、ついに邪気が発生し、悪竜・大蛇となって神人・禽獣の命を脅かし始めた。また地が固まっておらず、国土が定まらない紫微天界の当初においては、生言霊で言向け和すことは容易ではなかった。
神々は、数億万年後の世界のために、あらゆる悪神・邪気の霊を根本的に絶滅させようと、あらゆる苦難に耐え、全能力を傾けて活動していた。
今、現代の私がこの清明な天地に安らかに生を保っていられるのも、四季の順序が調った地上に美しい景色を鑑賞し、命をはぐくむ日月を拝することができるのも、みな、太初の神々が身を捨てて活動した賜物である。これを思うと、その厚恩は海よりも深く、スメール山よりも高く、筆舌に尽くしがたい。
宇宙創造・天地開闢の神業における神々の苦心を、いくぶんなりとも察知するなら、この恩の広さ大きさに感激の涙を流して感じ入ることになろう。そうであれば、現代にいかに不遇の地位にあったとしても、一言でも恨み言を言ったり、神命を軽んじる無道を犯すなど、夢にもあってはならない。
主の大神の直系であり、また太初に特に全力を注いで修理固成した紫微天界の結果である我が地球、中でも特に葦原の中津御国では、尊厳無比の主の大神から流れ出でた皇統が、永遠にあらゆるものに対して無限の恩恵を与えている。
このことを思うと、私(出口聖師)は敬神尊皇報国の誠を昼夜絶え間なく尽くし捧げまつって、忠孝、仁義、友愛などの神より授かった固有の精神を、ますます発揮すべき天職天命のあることが知られるのである。
さて、ここに万里の島の御樋代神として降臨した田族比女は、白馬ケ岳に巣くう魔神を掃討しようと十柱の従者神を従えて出陣した。
楠の大木の生い茂る泉の森の聖所に到着し、夜が明けるのを待って部署を定めた。泉の森を作戦上の本営とし、輪守比古、若春比古を側に守らせ、霊山比古、保宗比古、直道比古、正道比古、雲川比古、山跡比女、千貝比女、湯結比女の五男三女神に先陣を勤めさせた。
田族比女の神が下知の歌を歌うと、霊山比古の神は返答歌に決意を込め、ただ一騎、南方の原野の真中を、魔棲ケ谷方面めがけて駆け出した。
続いて保宗比古、直道比古、正道比古、雲川比古、そして三女神がそれぞれ、出陣の歌を歌うと、魔棲ケ谷を目指して駒を進めて行った。 |
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03 | 14 | 夜光の眼球 | 〔1946〕 | 先陣を切った霊山比古の神は大野ケ原を進んで来たが、にわかに魔棲ケ谷方面から吐き出された黒煙が天を塞ぎ地を這い、あたりの様子もわからなくなった。たそがれるころになって、山麓のやや平坦な小笹が原までようやくたどり着いたが、ここで行き詰まってしまった。霊山比古は、邪気をはらすべく、生言霊に言霊歌を宣り上げた。
すると、胸に夜光の玉をかけた山跡比女、千貝比女、湯結比女の三女神が現れた。三女神は霊山比古に軽く目礼しながら、夜光の玉であたりを照らした。
霊山比古は、三女神は後から出立したはずなのに先に着いていたこと、また夜光の玉のような宝玉を持っていることをいぶかり、偽の女神であろう、と歌で問い掛けた。
三女神は、夜光の玉は自分たちの御魂であり、疑いをかける霊山比古をたしなめ、また後について自分たちの庵で休むように誘った。
霊山比古はますますいぶかしみ、こんなところに三女神の庵があろうはずはない、と問い掛ける。三女神は、疑いを解くために夜光の玉を隠しましょうか、と霊山比古に問い掛けた。霊山比古が承諾すると、三柱の比女神も夜光の玉も、まったく消えうせ、あたりは見分けもつかない闇となり、小笹を吹き渡る嵐の音が、ただ凄惨に聞こえてくるのみであった。
霊山比古は一人両腕を組み、夜が明けるのを待って戦おうと、歌を詠み始めた。こうして、一人闇の中で歌を詠みつつ一夜を明かした。やがて東雲の空がほの明るくなり、紫雲たなびき、今日の征途を祝するように見えた。 |
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03 | 15 | 笹原の邂逅 | 〔1947〕 | 霊山比古の神は、小笹の芝生に曲津神の計略を逃れ、一夜を明かした。ようやく東の空に昇る天津日の光に、蘇生の息をついた。
そこへ、保宗比古、直道比古、正道比古、雲川比古らがやってきて、昨晩の様子を霊山比古に問うた。
一同はやはり、霊山比古同様、曲津神に計略を仕掛けられたのだが、それぞれ敵を見破り、事なきを得た。その話をおのおの交換しあった。
一同は征途のかどでに、神言を上げ、笹原の細谷川でみそぎをなした。そのすがすがしさに、みな元気を取り戻し、曲津神との戦いに備えて気勢を上げる歌を、それぞれ歌った。
そこへ、三柱の比女神たちが現れて、一同に合流した。山跡比女の神は、曲津神が三女神に化けて計略をするだろうとの御樋代神(田族比女神)の計らいにより、わざと後れて進発したのだ、と明かした。
一同は田族比女の神の先見をたたえつつ、部署をそれぞれ定めて、魔棲ケ谷を指してさらに進んでいくこととなった。 |
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03 | 16 | 妖術破滅 | 〔1948〕 | 征服戦主将である霊山比古の神は、三柱の比女神による言霊戦部署を、広原の片に立つ楠の根元に定めた。そしてどんなことがあろうと、アオウエイの言霊が聞こえるまでは、一歩もその場を動くことなく、男神の戦闘を助けるように生言霊の光を放つよう、命じおいた。
霊山比古は深谷川の右側、保宗比古は左側、直道比古は第二の谷間の右側、正道比古は左側、雲川比古は最左翼を、それぞれ言霊を絶え間なく宣りあげつつ、登っていくこととなった。
曲津神たちは、登山道に千引きの岩となって立ちふさがったが、神世無双の英雄神である一同はものともせず、強行的に生言霊を上げながら、おのおの進んでいく。
霊山比古は、駒をとどめおき、心静かに言霊歌を歌った。自ら、ヲ声より生まれた主の神の生き宮居であり、主の神の御手代である、と名乗り上げた。
霊山比古は、行く手をさえぎる巌の上を飛び越えていくが、そのたびに曲津神の巌は、綿のように揺らいだ。その中のもっとも大きな巌の上に突っ立ち、タトツテチ、カコクケキの生言霊を宣りあげると、曲津神は本当の巌となり、動くことができなくなってしまった。
霊山比古は勝利の歌を歌った。すると、曲津神の化けた巌々は、いっせいに大音響をたてて、谷底へ落ちくだりはじめた。霊山比古がふと見下ろすと、三柱の比女神たちが登ってくるのが見えた。そして、落ち下る巌に、押し潰されそうになり、泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
霊山比古はすぐさま助けに下りて行こうとしたが、三柱の比女神は、楠の下で言霊を照らして鎮まり待機しているはずなので、谷を登ってくるはずがない。自分が下りていったら、上から押し潰そうという曲津神の計略と気づき、霊山比古は、大巌の上で四股を踏み鳴らし、曲津神の大巌を地中に深くめりこませ、埋めてしまった。
霊山比古が作戦計画に時を移そうと、しばし息を休めていると、田族比女の神がにわかに現れ、竜の岩窟へ進め、と指令を下した。霊山比古はカコクケキの言霊を発すれば、田族比女の神に変化した邪神は、答えにつまり、身体震え、次第に細くなって煙のごとく消えてしまった。
霊山比古はふたたび勝利の歌を歌った。そして、向かいの谷辺にわたり、保宗比古の神業を助けようと、次の行動計画を練った。 |
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03 | 17 | 剣槍の雨 | 〔1949〕 | 保宗比古の神は、進軍歌を歌いながら、谷間伝いに登っていたが、霊山比古が追い払った曲津神の巌が、前後左右に、ものすごい音を立てて落下してきた。その巌つぶての中に、御樋代神・田族比女の神が、巌に圧せられている様が見えた。
とっさに助けに出ようとする保宗比古だったが、空より「待て」と大喝一声が聞こえた。保宗比古は、御樋代神は泉の森の本営にいることを思い起こし、これは曲津神の計略であることを悟ったのである。
保宗比古は、その計略を見破ったと歌に歌うと、曲津神は必死の力を集め、攻撃をはじめた。にわかに黒雲が沸き起こってあたりも見えないほどの闇となり、雨がざっと降り出し風は巌も吹き散らすほどとなり、槍の雨、剣の雨を保宗比古の身辺に降らせた。
保宗比古は猛烈な邪気に囲まれて呼吸もつまり、言霊を使用することもできなくなり、あやうく曲津神のために死に至ろうという状態になってしまった。
そこへ、泉の森の方から、巨大な火光がごうごうと大音響を立て、天地を震動させながら、保宗比古の神の頭上高く光り、前後左右に舞い狂った。すると、谷間の邪気、雨、槍剣の嵐もたちまちに止み、太陽の光がくまなく照りわたった。保宗比古はたちまち心身爽快となって、大勇猛心によみがえった。
保宗比古は、思い上がりの心が曲津神に付け入る隙を与えたことを反省し、また御樋代神の神力をたたえ感謝し、今の戦いを述懐しながら、神言を宣りあげつつ、魔棲ケ谷の森林さして、登って行った。 |
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03 | 18 | 国津女神 | 〔1950〕 | 一方、進軍歌を歌いつつ進んで行く直道比古の神は、とつぜんすさまじい猪の群れに取り囲まれてしまった。直道比古は臍下丹田に息を凝らして端然として座し、言霊歌を歌った。
すると、あたりの雲きりは次第に薄らいで、日の光がほのぼのと谷間を照らし始めた。直道比古の神は、苦境を救った御樋代神・三柱女神の言霊の霊威に感謝の歌を歌った。
すると、大巌のかげから、泣き沈みながら降って来る女神があった。女神は直道比古の前に進んで来ると、両手を合わせてうずくまり、泣き崩れた。
直道比古が問うと、女神は、白馬ケ岳の国津神であると名乗り、曲津神に攻められ苦しんでいたところ、天津神が曲津神征伐にやってきたと聞いて、助けを求めてきたのだ、と答えた。
そして、大巌のかげの庵に直道比古を導き、庵に招きいれようとした。直道比古は、すぐさま曲津神の計略と悟り、天之数歌を歌えば、女神はたちまち長大な蛇神と化し、黒雲を起こして魔棲ケ谷へと逃げていった。
庵の片の大巌は、直道比古が再度天之数歌を唱え終わらぬうちに、枯れ木が倒れるように谷間に向かって転落し、ものすごい音を立てて砕け散って渓流に流されてしまった。 |
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03 | 19 | 邪神全滅 | 〔1951〕 | ここに五柱の男神は、魔棲ケ谷を囲んだ岡の周りに立ち、おのおの生言霊の矢を絶え間なく放つと、曲津神はいたたまれず、雲霧・岩・火の玉となって男神たちに襲い掛かった。
霊山比古は身辺に危険が迫ってきたのを見て、「アオウエイ」と繰り返し言霊を発した。山麓の小笹ケ原の楠の森で待っていた、三柱の比女神は、自分たちの駒に向かって「タトツテチ ハホフヘヒ」と力いっぱい言霊を宣りあげた。すると、駒にはたちまち翼が生え、大きな鷲に変化した。
三柱の比女神は言霊の力に感謝し、鷲馬に乗ると宙高く翔け、天上から鷲のくちばしでもって竜神を攻撃し、大勝利を得たのであった。
比女神は鷲に乗って御樋代神に勝利を報告し、一方男神たちは、生言霊を宣りながら、魔棲ケ谷の巣窟を奥へ進んでいった。曲津神の狼狽の様ありありと、あたりには数多の宝玉が飛び散ったままになっていた。男神たちはそれを集めて、戦利品として御樋代神に奉ることとした。
曲津神は、自身に光を発することがないので、真の神を真似ようと、こうした宝玉を身にまとうのである。愛善の徳に満ち、信真の光があるならば、身に宝石を着けなくても、宝石の何倍もの光を全身にみなぎらせているのであり、知らず知らずのうちに、尊敬を集めることができるのである。
五柱の男神は、魔棲ケ谷の曲津神を根絶することができ、歓喜に耐えず、勝利の歌を歌った。男神たちが戦利品を背負って小笹ケ原に戻ってくると、五頭の神馬たちは、主の帰りを待って整列していた。その様を見て、五柱の男神はそれぞれ勝利の述懐歌を歌い、御樋代神の待つ泉の森の本陣へと帰って行った。 |
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03 | 20 | 女神の復命 | 〔1952〕 | 御樋代神は、五男三女の神々の成功を祈って、従者神とともに夜も眠らず、西南の空に向かって生言霊を発していた。いよいよ、神々が無事に曲津神を掃討したことを覚り、喜びのあまり、泉の森の清庭に立って、祝いの歌を歌った。そこには、いよいよこれから国造りに携わっていくことの喜びが歌われていた。
従者神たちもそれぞれ祝いの歌を歌ううちに、三柱の比女神たちは、鷲に乗って泉の森に舞い下りた。山跡比女が神歌を歌うと、たちまち鷲は元の白馬に変じた。三柱の比女神たちは、それぞれ歌で戦勝報告を述べた。
御樋代神は、比女神たちの復命に喜び、従者神の輪守比古、若春比古は、感謝の歌を歌った。 |
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04 | 00 | 歓天喜地 | - | 本文 | |||
04 | 21 | 泉の森出発 | 〔1953〕 | 一同は、魔棲ケ谷の曲津神たちを根絶したことによろこび、御樋代神・田族比女の神をはじめ、それぞれ戦いの述懐と、これからの神業に思いを馳せる歌を歌った。
歌っているうちに、空は明けはなれ、木々に鳥がさえずり、朝露は朝日に照らされて七色に光り、たとえようもない美しい朝を迎えた。そこへ、霊山比古の神を先頭に、五柱の神々は無事に帰陣し、御樋代神の前に、凱旋報告の歌を奏上することとなった。男神たちは、御樋代神の言霊の神力をたたえ、戦いを述懐し、そして勝利を祝い喜ぶ歌を、それぞれ歌った。
最後に雲川比古は、今や御樋代神の聖所へ帰って行く時である、と歌い宣言し、一同は万里ケ原の聖所目指して帰りの途についた。 |
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04 | 22 | 歓声満天(一) | 〔1954〕 | 万里ケ原に凱旋した神々は、祝宴を開こうと、万里の国原の生きとし生けるものすべてに、早馬を使わして知らせを告知した。宴の日には、万里の島のすべての生き物が集まって来て、幾千万の馬、牛、羊、ねずみ、蛙が凱旋を祝う声で天地も崩れるばかりであった。
この前代未聞の慶事に、御樋代神・田族比女の神は、高殿に登って群集の喜ぶ様をご覧になり、喜びの歌を歌った。ただその中にも、太元顕津男の大神に見合って国魂神を生むことが、まだできていないことをのみ、悔やんでいた。そして、その時をひたすら相待つことを誓って、歌を終えた。
続いて、山跡比女、千貝比女、湯結比女の三柱の比女神たちが、祝いと喜びの歌を歌った。 |
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04 | 23 | 歓声満天(二) | 〔1955〕 | 田族比女の神は、歓喜に沸く生き物たちに向かって、この日より正式に、万里ケ島に住む生き物たちを、自分が統括することを宣言した。そして、このまだ若い国を、松の緑のよき国と栄えるよう、永遠に造り固めていくことを宣言した。
そして七柱の男神たちは、それぞれ自分の職掌にしたがって国造りを行うことを歌い、また生き物たちに、そのための心得を説いて歌い聞かせた。 |
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04 | 24 | 会者定離 | 〔1956〕 | 七日七夜の宴の後、生き物たちはそれぞれ帰り行き、今は御樋代神の御聖所は静寂に包まれていた。
そこへ、白馬ケ岳の背後の夕暮れ空が、一種異様の光に包まれ、田族比女は驚いて高殿に立ってこの様を見るに、たちまち尊い御樋代神の降臨であると悟った。そして、輪守比古、若春比古を遣わして、来臨した御樋代神を迎えにやらせた。(第6章からの続き)
使いの二柱の神々は、田族比女の神言のままに、白馬ケ岳西方の御来矢の浜辺に駆けつけた。すると、常盤の森で憩う神々に出会った。一行を案内して万里ケ丘の聖所にたどり着いたのは、翌日の黄昏時になってからであった。
使いの二柱の神は、御来矢の浜辺で朝香比女の神一行に出会い、案内して、無事に帰り着いたことを奏上した。
田族比女の神は、早速朝香比女の神を高殿へ招いた。二柱の御樋代神は互いに挨拶の歌を交わした。朝香比女の神は、田族比女の神が、まだ若く曲津神の猛る万里ケ島を拓いたいさおしをたたえた。答えて田族比女の神は、朝香比女のねぎらいと称えの言葉に感激し感謝を述べ、ただまだ顕津男の神に巡り合って神生みの神業をなすことができないでいる思いを歌った。
ここに、顕津男の神への思いを同じくする二柱の御樋代神は、百年の知己のように心から打ち解け、互いに同情の涙にくれつつ、日を重ねることとなった。
田族比女の神は、曲津神征伐の戦利品として持ち帰った数多のダイヤモンドを、朝香比女の神に贈り物として送った。朝香比女の神は、珍しいものとして、快く受け取ったが、その返礼として、懐中から燧石(ひうちいし)を取り出し、あたりの枯れ芝を集めて火を燃やし出した。
万里ケ島の神々は、初めて天の真火が燃えるのを見て、感嘆の声をあげた。この燧石を、朝香比女は、田族比女への返礼として送ったのである。
田族比女は、天の真火の功徳を称え、朝香比女は、鋭敏鳴出(うなりづ)の神の賜ったこの燧石を、国の鎮めとして送るのだ、と歌い交わした。
それぞれの御樋代神に仕える従者神たちは、この出来事の述懐歌をおのおの歌い、国土の前途を祝した。しかし、朝香比女の神は、ここに長くとどまることはできず、万里ケ島の神々に別れを告げると、再び御来矢の浜辺から、岩楠舟に乗って、万里の海原を東南さして静かに静かに進んでいった。 |
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- | - | - | 余白歌 | - | 本文 |