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霊界物語あらすじ

説明を読む
ここに掲載している霊界物語のあらすじは、東京の望月氏が作成したものです。
まだ作成されていない巻もあります(55~66巻のあたり)
第11巻 霊主体従 戌の巻 を表示しています。
篇題 章題 〔通し章〕 あらすじ 本文
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第七巻の総説で、王仁は明治三十三年以降、顕真実の神業であったのに対し、開祖は大正五年まで未顕真実であった、と書いた。それを批判をする信者があるようだ。
しかし、開祖は未顕真実の「境遇」にあったと書いたのである。それは経のお役として、世の中が曇っていて時機が至らなかったために、大正五年までは、やむを得ず経の御用を十分に顕すことができなかった、という意味である。
また、神諭に「緯はサトクが落ちる」「緯はいろいろのことがある」とあるので、緯の役目の意義を疑う人がある。緯の役は千変万化の神業であるから、かえって神的活動、大苦心の様を現したのである。
霊界物語も、神道とか大本といった小さな世界のことだけを扱っているのではない。宇宙の外に立って神示のままを口述したものなのである。いかなる法難や一部信徒の無理解も意に介せず、ただ自己自身の体験と神示によって忌憚なく述べただけである。
本文
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本巻の言霊解「大気津姫の段」は、大正十年二月号の『神霊界』誌上に「皇典と現代」と題して掲載されたものを、多少添削したものです。
第七巻の総説が発表されたとき、かなりの批評・反対が起こりましたが、それに対して瑞月大先生の解釈を得ましたので、特に「言霊反」として本巻の冒頭に掲げました。
霊界物語の編集上に不備な点がいくつかありますが、これについては機会を見てまとめたいと考えています。
本文
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『天地の元の大神を祭った五六七殿に来て見れば、教えの庭にふさわしくない不都合なことをやっている。仮設劇場を設置して、野卑な三味線で節面白く婆や娘が歌っている。おかげでかかあどもは、夫の言うことをきかずに変性女子の言を重んじ、女権が拡大しつつある。さすが悪の写った変性女子のほざいた物語だ。こんなことは止めておかねばならない』
とねじり鉢巻の人がいるが、良妻賢母にしてあげるから、ご心配は無用である。
どうせ阿呆の瑞霊のすることだから、神審をするような賢いお方のお気に召さないのは仕方がない。しかしどう罵られようとも、大化け物の瑞月は、金輪際初心は変えません。
この世を御造りになった元の大神の目から見れば、娑婆世界はそもそもめくらとつんぼばかりである。ぐずぐずいわずによく味わってお聞きなさい。それがいやならどうぞ去ってください。
楽屋一同を代表して、愚痴をだらだら述べておきます。かなわぬからたまちはえませ、かなわぬならたちかえりませ。
本文
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久方の天津御空の八重雲をかきわけて、天降りました諾冊の二柱の大神は、五六七の御代を建てんと天教山の阿波岐原に現れた。
国大立大神(=豊国姫神)は、神素盞嗚と現れた。そして月照彦、大足彦、少彦名神、弘子彦の四柱を国々の守りの神となした。
このように、神素盞嗚大神は、神伊弉諾大神のご命令のままに、生き魂を四方に配らせたのだが、再び邪神邪霊がはびこって、世界を乱し始めた。
神素盞嗚大神は、天教山、地教山、黄金山、万寿山、霊鷲山に集まった神司たちを各方面に遣わして、醜の雲霧を払い行く物語である。
本文
01 00 - 本文
01 01 〔468〕
青雲の別の宣伝使こと天児屋根神司は、高彦と名を改めて、ウラル教の本拠であるアーメニヤに宣伝をなそうと、アルタイ山のふもとのクス野ケ原にやってきた。
日も暮れてきて、ここで一夜を明かそうとした高彦の前に、巨大な一つ目の怪物が襲いかかろうとしていた。
高彦は心静かに宣伝歌を歌い始め、次第に高唱すると、怪物は小さくなっていき、消えてしまった。見れば、怪しい影が雲別けて空に逃げていくのが見えた。
高彦は怪物を追い払って改めて寝ようとすると、何者か杖で体を打つ者がある。驚いて一喝すると、それは鉄谷村の時公だった。
鉄谷村の村長・鉄彦は、三五教の宣伝使となってアーメニヤに宣伝に赴いたが、村では鉄彦の奥方が病気になってしまい、時公はそのことを主人の鉄彦に伝えに、後を追いかけてきたのであった。
高彦は東彦と名乗り、時公と一緒にアーメニヤに向かうことになった。
本文
01 02 〔469〕
東彦(本当は高彦)は時公とともにアーメニヤに通じる野を進んで行く。時公ははかない命の人間だから、ちょっと休憩しましょう、と宣伝使に話しかけるが、東彦は人間は千万年も生き通しだから心配するな、と取り合わない。
時公は、人間は死なないなどというのは化け物だ、と本気で東彦を疑い出す。その様を見て東彦は面白がりつつ、これが神の教えだと時公をたしなめた。
そうしているうちに、芳香が四辺に満ち、美しい音楽がどこからともなく響いてきた。
本文
01 03 〔470〕
この吉兆に、時公も東彦(本当は高彦)を疑う心はやや晴れ、宣伝使の話を聞かせて欲しいと願い出た。
東彦は、人間とは神様の水火(いき)から生まれたもので、神の御子たるはたらきをするために、肉体に入って生まれてきたのだ、と説いた。
時公は、何千万年も前から自分が生き通しであるとは信じられない、と返すが、東彦は、それは一日も長く現世に留まって、つらい現世の勤めを果たすために、死を恐れる精神を与えられてあるからだ、と答えた。
さらに東彦は、人間と生まれた本分を尽くし、神様のために御用を勤めて、霊界から天使のお迎えがあるまでは、何ほど自分が死にたいと思っても、神様がお許しにならなければ死ぬことはできない、と説いた。
時公は、子供のときは何もわからないのはどうしてでしょう、と質問した。東彦は答えて、子供は身体がまだ弱いので、霊魂が肉体に全部移って働くのは、一人前の体になってからだからだ、と答えた。
続けて、しかし現世で悪事ばかりをなした人間は、結構な霊界に帰ることができず、根の国底の国に落ちてしまうのだ、と注意を促した。
暗くなってきたので、二人はその場で野宿することになった。東彦は、人間の霊魂は生き通しであり、この世に肉体を持って何度も生まれ変わってくるのは、神様の御用を現世で行うためである、という宣伝歌を歌った。
時公は続けて、人間の霊魂が生き通しであることを聞いた喜びを、滑稽な宣伝歌に歌った。
本文
01 04 〔471〕
二人の横を千匹の狼が走り抜けていった。その物音に目を覚まし、東彦(本当は高彦)は次は大蛇が出てくるぞ、と時公をおどかした。
そこへ突然美しい女が現れ、梅ケ香姫だと名乗った。時公は大蛇が化けているのではないかと、えらい権幕で疑ってかかる。梅ケ香姫は時公をからかって、人間の肉が食いたい、と大蛇のふりをする。
時公は覚悟を決めて、東彦と一緒に大蛇に飲まれよう、と言うが、梅ケ香姫は冗談であることを明かす。そして、石凝姥宣伝使と、鉄彦も一緒にいると明かすと、二人は草の中から現れた。
一行五人は夜が明けるのを待って、クス野ケ原の大蛇を言向け和すことになった。
本文
01 05 〔472〕
時公は用事を思い出して、鉄彦に、鉄姫の言付けを伝えて村に帰るようにと促した。しかし鉄彦は、宣伝使となった以上は目的を果たすまでは何があろうと家へは帰れないから、そう鉄姫に伝えてくれ、と答えた。
時公は、それでは伝言のついでに大蛇を退治してから帰ろう、と大風呂敷を広げる。
本文
01 06 〔473〕
一行は冬の荒れ野原を進んで行く。クス野ケ原には巨大な長方形の岩があり、その下に巨大な穴があって、そこが大蛇の住処だという。
岩の近くまで来た一同は、神言を奏上し、宣伝歌を歌い始めた。宣伝歌を歌い終わると、大音響が響き、岩が唸り始めた。時公は岩に向かって、許してやるから気の済むまで騒げ、と言うと、大音響はぴたりと止まった。
このとき、岩の下の穴からは紫の煙が立ち上っていた。見れば、岩上には三人の美しい娘が扇を片手に舞を舞っている。それは月・雪・花の三姉妹の宣伝使であった。
月・雪・花の宣伝使は、宣伝の途中このクス野ケ原に大蛇のあることを聞き、大蛇を言向け和そうと宣伝歌を歌ったところ、大蛇は今後は地上には出ないと誓い、今その穴を封印したところである、と語った。
また三姉妹の宣伝使は、この原野に火を放って耕せば、非常に収穫があるでしょう、と語った。東彦はさっそく原野に火をかけた。
宣伝使一行は、鉄彦と時公に、この原野の開墾を命じた。後にここは肥沃な土地に五穀が実り、非常に栄え、クスの都と呼ばれるまでになった。
宣伝使一行は別れを告げ、西へ西へと進んでいった。
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01 07 〔474〕
一行は新玉原を湖に向かって進んでいった。日も暮れてきたので、森の中で一夜の宿を取ることになった。
一行は神言を奏上し、宣伝歌を歌って眠りについた。そこへ付近の村人がやってきて、宣伝使たちの様子を伺っている。三五教の宣伝使を見つけたら捕えようと、待ち構えていたのであった。
男たちがどうやって捕えようか相談をしているときに、梅ケ香姫は目を覚まし、幽霊の振りをして男たちを追い払った。梅ケ香姫を一同を起こした。
すると向こうのほうから数十の松明がやってくるのが見える。群集は遠巻きに恐々と宣伝使たちの方にやってきた。群衆の中から、酒に酔った風の男が一人、宣伝使の前に現れた。
この男、鴨公は最初は威勢のいいことを言っていたが、やがて恐れをなして腰が抜けてへたってしまった。群集の中からさらに、鉄棒を携えた男が現れ、高彦、東彦に打ってかかった。
高彦、東彦は鉄棒をよけながら霊をかけると、鉄棒は葱のようにやわらかくなってしまった。逃げようとする男・勝公に対して、東彦の宣伝使は霊縛をかけた。村人たちは驚いて、てんでに逃げてしまった。
宣伝使たちはゆうゆうと西へ進んでいった。
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02 00 - 本文
02 08 〔475〕
六人の宣伝使は、それぞれ別れて宣伝に行くこととし、梅ケ香姫は明志の湖のほとりに一人たどり着いた。そして船に乗り込み船中の客となった。
船中には、さいぜんの捕り手・勝公が乗り込んでおり、ウラル彦の命で三五教の宣伝使を捕えようと画策をめぐらしていた。しかし勝公は新玉原の森での失態を、仲間の八公に責められている。
そのうちに、八公は船の隅に梅ケ香姫を見つけた。勝公は名誉挽回とばかりに、梅ケ香姫をなんとか捕えようとしきりに様子を伺っている。
梅ケ香姫は先にすっくと立ち上がり、新玉原での勝公や鴨公の失敗を宣伝歌に歌い始めた。怒った勝公が梅ケ香姫に殴りかかろうとすると、大力の男が勝公の襟首をぐっと掴んで持ち上げてしまった。
この様を見て、八公、鴨公は勝公を見捨てて、大力の男の方についてしまう。この大力の男は時公であった。
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02 09 〔476〕
時公は、鉄彦の命で梅ケ香姫の護衛をするべく、後を追って来て船中でやっとめぐり合えたところ、勝公が梅ケ香姫に襲い掛かろうとしたので、助けたのであった。
時公に捕まった勝公は、あべこべに三五教の教えを楯にして、許しを請う。梅ケ香姫も時公も、勝公のちゃっかりした物言いに思わず笑ってしまう。
八公、鴨公も時公の強さに恐れ入って降参するが、勝公は軽口をたたいて皆を笑わせている。そして船中にわかに一同は三五教に改心し、コーカス山に魔神を言向け和しに乗り込むこととなった。
おりしも、船は明志の湖の西岸のタカオに到着した。
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02 10 〔477〕
船を降りた一行は、寒風吹きすさぶ荒野を進んで行く。勝公は、この先に黒野ケ原というところがあり、そこには孔雀姫という美しい女の姿をした化け物がおり、人を捕えて食らうのだ、と話し出した。
その話を肴に、時公と勝公は馬鹿話をやっている。一行は孔雀姫の館を訪ねて、言向け和そうとやってきた。
梅ケ香姫が孔雀姫の館の門に耳を当てて中の様子を探っていると、ウラル教の宣伝歌を歌っているようである。時公、勝公、八公、鴨公は門外で馬鹿話を始めている。
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02 11 〔478〕
扉を開けて館から出てきた孔雀姫は、満面に笑みをたたえて一同を招きいれた。男たちは孔雀姫の美しさに見とれているが、梅ケ香姫はなにやら合点した様子で、泰然とニコニコ笑っている。
館の中からは、女の涼しい声で、ウラル教の宣伝歌が聞こえてきた。勝公、八公、鴨公はウラル教の仲間と勘違いして、にわかに元気付いている。一行はどんどん屋敷の奥へと入っていった。
奥の間にいる孔雀姫に、勝公は、あなたはウラル教でしょう、と問いかけるが、孔雀姫は、自分はオモテ教だ、と答える。勝公はにわかに、それなら心機一転オモテ教に改心する、と宣言する。
時公は、なんとなく孔雀姫が梅ケ香姫に似ていることに気づいた。梅ケ香姫はなにやら孔雀姫と相通じているようなので、みな孔雀姫は三五教ではないかと気づき始めた。
梅ケ香姫はすっくと立って宣伝歌を歌い始めた。
本文
02 12 〔479〕
梅ケ香姫は、この場で姉の松代姫に出会えた嬉しさを歌い、自分の今までの宣伝の遍歴を姉に報告した。
この歌を聞いて一行は、孔雀姫が梅ケ香姫の姉・松代姫であることを知った。松代姫は、竹野姫はコーカス山に宣伝に向かったこと、自分はここにしばらく居を構えて、道行く人に宣伝していたことを歌で明かした。
ここに、勝公はこの館に留まって、松代姫の代わりに旅人に宣伝することとなり、松代姫と梅ケ香姫は、時公、八公、鴨公を従えて、竹野姫の加勢にコーカス山に向かうこととなった。
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02 13 〔480〕
松代姫が宣伝歌を歌っている折しも、館の門前には十手を持ったウラル彦の捕り手たち五人(松公、梅公、竹公、春公、秋公)が中をうかがっていた。
孔雀姫を捕らえに来た様子だが、案に相違して館内には多くの人がいるので、中に踏み込むのをためらって、馬鹿話をしている。
時公は中から出て行って、捕り手たちに啖呵を切ると、四人を一度に掴んで館の中に引き入れてしまった。勝公、八公、鴨公の三人も、残りの一人を担いでくる。
時公は捕り手たちをお神酒でもてなした。そして、三五教への改心を説いた。捕り手たちは以外の饗応に感じて、熱心な三五教の信者となった。
松代姫一行は、雪の中を竹野姫を追って出発して行った。
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02 14 〔481〕
松代姫、梅ケ香姫の一行は、時公らを引き連れて、琵琶の湖のほとりに着いた。風を避けて二三日逗留したのち、湖を渡るために鏡丸の客となった。
船中の客は、コーカス山の大気津姫についての噂をしていた。それによると、コーカス山の山奥に豪勢な宮殿を建てて、民を絞り、自分の眷属だけが栄華に暮らしている、という。
大気津姫を言向け和しに行った、竹野姫という素盞嗚命の御使いも、行ったきり帰ってこないという。一行はコーカス山に登って、大気津姫を言向け和すことにした。
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03 15 〔482〕
古事記において、天の真奈井の誓約において、素尊の御魂の清明無垢が証明されたため、素尊の部下たちの不満が勃発し、そのために天の岩戸の大事件が発生したのであった。
素尊はその責任を負って、「千位の置戸を負わせられ」て追放されたのであった。千位の置戸とは、一天万乗の位、群臣の上に立つ位を放棄させられて、という意味である。
素尊は万神万有のいっさいの罪科を一身に負って、自ら罪人となって天地の神明に潔白な心性を表示されたのである。世界一切の万類を救うために身を犠牲に供することを、千位の置戸というのである。
「髭を切り」とは、社会的な重要な役職をすべて放擲させられた、ということである。
「手足の爪を抜かしめて」とある手足の爪は、私有財産一切のことである。
「神追い(カムヤラヒ)」とは、ヤは天地自然の大道に帰って万民を教え導くことである。ラは寸暇なき神業奉仕者となることである。ヒとは、天地経綸の司宰者である人の本霊を顕して無上の尊厳を保つことである。すなわち、神追いとは単に神様を追放するということではないのである。
世の中には絶対的な平等もなければ絶対的な差別もない。差別的平等なる天理天則を悟り、もって自らの髭を切り、手足の爪を抜いて天下のために真に意義のある生活に入るべきである。
「食物(おしもの)」とは、衣食住の三種を総称したものである。大気津姫とは、物質文明の極点で、みなこぞってあらゆる贅沢をなし始めたことを言うのである。
それにたいして素尊は、八百万の神々に対して正衣正食することをお諭しになったのである。
世の中が進むについて、国風に合致しない悪風習が現れてきたのである。
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03 16 〔483〕
生存競争の悪風が窮まると、近年の欧州大戦のような惨状を表して、万民が苦しむことになる。吾が皇国にもその世界の悪風が迫りつつある。
今の惨状は、生活上の貧苦が根底にあるのである。この生活問題を改善するためには、大気津姫の改心を待たなければならない。
素尊が大気津姫を殺したのは、食制改革のためにやむを得ずそうしたのである。肉食尊重を改めて、皇祖の御遺訓に沿った美風良俗に帰らなければならない。肉食を廃して社会改良の第一義をしなければならないのである。
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03 17 〔484〕
素尊が大気津姫を殺した段は、大神の御法則に違反していた衣食住の方法を、根本的に改められた、ということである。
殺された大気津姫の頭に蚕が生ったということは、天地経綸の大道に奉仕する政治が行われた、ということである。
二つの目に稲種が生った、というのは、社会の上下階級という「二つの目」に、穀食がなされ、正食に還ったということである。
また宗教家であれば、顕幽一本の真理を達観して、万民を教化するに到ることを言うのである。
二つの耳に粟生り、というのは、耳とは生産機関のことである。粟生りとは、物質、霊界ともに円満に発達した、ということである。
鼻に小豆生り、というのは華美な衣服を改め、実務に適した制服を定めた、ということである。
陰に麦生り、とは、西洋は西に位置し、陰の位置にあるため、陰の穀物である麦を食する、という意味である。尻に豆生り、というのは、日本でも北海道のような寒い地方は、脂肪が豊富な豆を食する必要がある、ということである。
そして、これらの素尊の衣食改革のご提案を、神産巣日御祖神がただちに採用された、というのである。これらの素尊のご提案をもとに、天地改良の神策を樹立されたのである。
人間は、この天則に反して暴飲暴食するときは、神の宮居である身体を損なうことになるので、日々の食物には気をつけるべきである。
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04 00 - 本文
04 18 〔485〕
琵琶の湖には、かなり大きな松島、竹島、梅島という島があった。船は梅島に着いた。ここでまた嵐が起こり、船は島に三日三晩逗留することになった。船中の客はそのほとんどが、大工道具を持っている。
時公は船客にわけを聞くと、コーカス山の大気津姫が、ぜいたくをして、しきりに普請をしている。そのために各地から大工が駆り集められている、という。
また、大気津姫の部下たちは八王(ヤッコス)を名乗っているが、これは昔の八王ではなく、単に利己主義の財産持ちに過ぎない、という。
大工たちの話によれば、竹野姫という宣伝使が大気津姫に捕らえられ、岩屋に監禁されているという。また、竹野姫の姉妹の宣伝使を捕らえようと、各地に捕り手を派遣しているという。
松代姫は自ら、竹野姫の姉妹宣伝使であることを明かし、船中の大工たちに、自分たちを捕らえて大気津姫のところに引き出し、手柄にするように、と言った。時公は松代姫の大胆さに驚いて引き止めるが、梅ケ香姫も気にせず、逆に時公の臆病さを笑う。
そうこうするうちに船は島を出て、波の上を進んで行く。
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04 19 〔486〕
松代姫はすっくと立って宣伝歌を歌い、その中に自らの素性を歌いこんだ。
大工たちは、その歌を聞いて、大気津姫が手配している姉妹の宣伝使であることを悟り、何とか捕まえて褒美にあずかろうとしきりに相談している。
時公、鴨公、八公の三人の従者は、それを聞いて大工たちを責め立てた。時公は、コーカス山側の人々に対して、宣伝歌を歌い改心を促した。
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04 20 〔487〕
梅ケ香姫は、コーカス山に進んで大気津姫を言向け和す決意を宣伝歌に歌った。
船中では、コーカス山側だった大工の馬公、牛公、鹿公、虎公が、宣伝使たちの共になって一緒にコーカス山に進んで行くことになった。
船が岸に着き、降りて雪深い山道を進んで行く。途中で日が暮れたため、牛公の提案で、近くの岩窟に宿を取ることになった。
牛公の話によると、竹野姫の前にも於縢山津見という宣伝使がやってきたが、やはり大気津姫の部下に捕まって、岩窟の中に閉じ込められてすでに百日以上になる、とのことであった。
牛公は自分がウラル教の目付けであることを口走ってしまう。一同が休んでいる岩窟の外には、ウラル教の捕り手の足音が聞こえてきた。時公はとっさに牛公に当身をくわせて気絶させた。
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04 21 〔488〕
時公が問い詰めると、四人の大工たちは、ウラル教の目付けであったことを白状した。牛公は牛雲別であることを見破られ、大気津姫は実はウラル姫であることを明かした。
コーカス山は、アーメニヤが陥落したときの避難場所として建築しているのだという。また、於縢山津見、竹野姫のほかにも、北光宣伝使も岩窟に捕まえて監禁してしまったと白状した。
おりしも、岩窟の外に雪を踏んでざくざくと進んでくる足音が聞こえた。
本文
04 22 〔489〕
時公が岩窟の扉をがらりを開けると、それは石凝姥宣伝使・東彦であった。東彦は、岩窟から漏れ聞こえる三五教の歌を聞きつけて、やってきたのであった。
一同が再開を懐かしんでいると、またもや岩窟の外から、ウラル教の捕り手たちの足音が聞こえてきた。時公と東彦が矢面に立って、迎え撃つ。
捕り手の中から大男が現れて、熊と名乗り、宣伝使たちに降伏を促した。東彦は朗々と改心を促す宣伝歌を歌うと、矢はぴたりと止み、捕り手たちは雪の中にうずくまってしまった。
松代姫、梅ケ香姫は、おのおの三五教の教理と説き諭して回った。そのためいずれも改心して、宣伝使たちに従うこととなった。
神の誠を知って四魂の活用がまったくなった神人の言霊には、いかなる悪鬼邪神といえども帰順せざるものはない。故に宣伝使たるものはまず己の身魂を磨き、すべての神人に対して我が身と同様の心で対さなければならない。
本文
04 23 〔490〕
黄泉比良坂の戦いで、大自在天陣営は日の出神に言向け和されて、御神業に使えることとなった。
そのため、悪鬼邪神たちは集結してウラル彦一派にますます憑依した。ウラル山、コーカス山、アーメニヤに根拠を構えて体主霊従の限りを尽くした。体主霊従人種のことを、大気津姫というのである。
ウラル彦一派は、コーカス山に荘厳な宮殿を建設した。これを顕国の宮という。
その落成に際して、さすがのウラル彦も天地の神明を恐れ、大地の霊魂である金勝要神、大地の霊力である国治立命、大地の霊体である素盞嗚命の神霊を祭ることになった。
三日三晩もの祭典が始まり、八王、ヒッコス、クスの神らは酒におぼれて歌い踊り狂った。宮や踏み荒らされてしまったが、邪神に惑わされた神人らはまったく気がつかなかった。
祭典が始まると、顕国の宮は恐ろしい大音響をたてて鳴動を始めた。ウラル姫は神が喜んでいるものとして、泥まみれのまま神殿に拝し、祝詞を上げた。
数千の群集は酒を飲んで酔いつぶれ、そこらじゅうを騒ぎまわっている。
そこに、悠然として現れた三五教の松竹梅の宣伝使、石凝姥神、天之目一箇神、於縢山津見神、時置師神、八彦神、鴨彦神らは口をそろえて一同に改心を促す宣伝歌を歌った。すると、神殿の鳴動はぴたりと止んだ。
ウラル姫はたちまち鬼女と化し、部下を引き連れて鳥船に乗り、アーメニヤを指して逃げていった。
一同は改めて神殿に拝して感謝を捧げると、鬼武彦を始めとする五柱の白狐神らが現れた。石凝姥神、天之目一箇神、天之児屋根神は、神殿に捧げてあった五穀を白狐にくわえさせ、世界の各地に種を蒔かしめた。
この神殿に国治立命、素盞嗚命、金勝要神を祭り、飯成(いひなり)の宮と称えることになった。
神殿が鳴動したのは、邪神の供物に神が怒りを表したのであった。
白狐が世界各地に蒔いた種は、これまでの穀物よりも優れたものになった。これ以降、白狐を稲荷の神と称えるようになった。
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05 24 〔491〕
コーカス山の宮に主として現われたもうた神須佐之男大神は、瑞の御魂である三つ葉彦(=広道別、のちに太玉命)を松代姫とめあわせた。そして卜部の神として顕国の宮の宮司に任命した。
青雲別命を天之児屋根命と名を改めて、梅ケ香姫にめあわせ、大宮の祝の神に任命した。
白雲別宣伝使(=北光神)を天之目一箇神と改めて、竹野姫とめあわした。そして石凝姥神をアルプス山に遣わして、鏡や剣を鍛えさせた。
雲路別命を大歳神司とし、五穀の種を四方の国々に広めた。高倉や旭の白狐たちは、それらの田畑や作物を守った。
神須佐之男命は地教山を後にして、コーカス山の顕国の宮に入った。邪神たちの武器製造の根拠地であったアルプス山に天之目一箇神・竹野姫、石凝姥神らを派遣して銅・鋼鉄を掘らせ、邪神の来襲に備えて十柄の剣を作らせた。
縢山津見神、正鹿山津見神、月雪花の三姉妹の宣伝使らは、大神の命によってアーメニヤの神都に進んでいった。
後にこのことが天照皇大神の嫌疑を招き、須佐之男命が追放される悲境を招くことになったのである。
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05 25 〔492〕
コーカス山の曲神らを追い払った神素盞嗚大神は、両刃の剣を神実として神殿に鎮祭し、大地の霊力・金勝要神、大地の霊力・国治立大神の二柱を祭った。
祭典に際して、秋月姫は舞い、祝歌を歌った。
この世を作った元津神である、国治立大神が根底の国に現れて、百の悩みを身に受け、闇に隠れてこの世を守ってくださっている。
その勲功を助けようと、天津神の御言により、天教山には神伊弉諾大神、神伊弉冊大神が現れた。その御霊幸いて、神素盞嗚大神の身体がなり出でました。
また神伊弉諾大神の鼻より、神素盞嗚大神の霊魂が生り出でた。そして、神伊弉諾大神は神素盞嗚大神に、大海原を治めるようにと任命された。
曲津神たちが大海原をかき乱したが、今日コーカス山は開けることになった。
深雪姫はまた、神素盞嗚大神の御偉勲を祝歌に歌いこんだ。
本文
05 26 〔493〕
橘姫は立ち上がり、祝歌を歌い、それに合わせて自ら祝いの舞を踊った。
天之児屋根命は立ち上がり、月雪花の三姉妹の祝歌に対するお礼の返歌を歌った。そして歌の中に、大地の主と現れました皇大神の政を称える歌を詠み込んだ。
太玉命は立ち上がって、簡単な祝歌を歌った。
神々はまた各々祝歌を歌って遷宮式はめでたく終了した。
本文
05 27 〔494〕
三組の神前結婚式は、数多の神人を集めて行われた。石凝姥神は神主となって祝詞の言霊を上げた。
神前に天津神籬を立てて、それを撞の御柱に見立てて、太玉命は左から、松代姫は右から歌いながら廻り、娶の儀式を行った。
本文
05 28 〔495〕
続いて天之児屋根命が左から、梅ケ香姫が右から廻った。
次に、天之目一箇神と竹野姫が左右から柱を廻って結婚式を終えた。
引き続いて酒宴に移り、神人らは歌を歌って宴席をにぎわせた。
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05 29 〔496〕
石凝姥神は、これまでの旅路を歌に歌い、めでたい結末に終わった結婚式への祝歌を歌った。
鉄谷村の時公は、時置師神の化身であった(後の杢助)。時置師神は、立って祝いの歌を歌った。歌も踊りも滑稽な様に、一同は笑い転げた。
続いて秋月姫、深雪姫、橘姫も再度祝歌を歌った。
時公は八公、鴨公にも歌を所望した。八公、鴨公は滑稽な祝歌を歌って場をにぎわした。コーカス山の婚礼は、ここにめでたく千秋楽を迎えることになった。
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