王仁DBβ版 出口王仁三郎と霊界物語の総合検索サイト 文献検索 画像検索 単語検索 メニュー開く
サイトの全面改修に伴いサブスク化します。詳しくはこちらをどうぞ。(2023/12/19)

霊界物語あらすじ

説明を読む
ここに掲載している霊界物語のあらすじは、東京の望月氏が作成したものです。
まだ作成されていない巻もあります(55~66巻のあたり)
第63巻 山河草木 寅の巻 を表示しています。
篇題 章題 〔通し章〕 あらすじ 本文
- - - - 本文
- - - -
この世を救うマイトレーヤボーヂーサトーヴ現れて、ウヅンバラチャンドラの体を借り、苦聖諦、集聖諦、滅聖諦、道聖諦という苦集滅道の四聖諦を完美に審細に道説し、無明の世界を照波して弘大に開こうと
スーラヤ、チャンドラを世に降し、須弥山山に腰をかけて全世界を守ろうと
阿閦如来如来の天使を前後左右に侍らせつつ現れたもうた尊さよ。
神が表に現れて、日月浄明徳仏、一切衆生喜見菩薩、完全無欠の神国といと平けく安らけく治め給うぞありがたき。
大日の下のエルサレムを豊葦原の真秀良場と定め給い、国常立大御神・豊国主大御神は三五の月日と現れまして、再び清き神の代をこの地の上に建設し、天下の神人たちの暗き御魂を照らしつつ、黄金世界を樹て給う。
その神業を一身に担任したる瑞御魂である神素盞嗚大神の御命を畏み、斎苑館に清く仕える宣伝使亀彦、音彦、梅彦らが、岩彦、黄金姫、清照姫、初稚姫と相共に、醜の御教えを四方に流布する魔の頭・大黒主を言向け和し、天界の大荘厳や光明をこの土の上に築こうと、苦集滅道の荒波をしのいで進む物語。
神の使いのウヅンバラチャンドラがここに謹んで世人のために述べ伝う。
本文
- - - -
霊界物語の口述開始からほとんど着手日数二百五十日を要して、ようやく六十三巻を口述し終わった。
天声社の新築もこの物語出版のためであった。
去る二十五日、始めて天声社の二階の間において二席を口述し、今日ようやく完結することとなった。
瑞月は近頃たいへんに身体を痛め、前後二か月間口述を休んでいた。それゆえ予定の巻数に達しなかったところは実に遺憾とするところである。
いまだ病気ははかばかしくなく、また明日ごろより転地療養をなし、全快を待って神の御許しあれば後を続ける考えである。
しかし今日まで口述したところを熟読なしくだされば、すべて神界の御経綸も大神の御心も判然とするはずである。
これにて口述が止まっても、神教を伝える点においてはあまり不便を感じることはあるまいと思う。
本文
01 00 - 本文
01 01 〔1608〕
主神・大国治立大神の御言により、国常立大神は黄金山下に現れて珍の掟を定め、神人のゆくべき道を立てた。しかし醜の身霊が次第に現れ、その非道な所業によって珍の聖地を追われた。
神の仕組とはいえ、国常立大神は自転倒島に隠れざるを得ず、国武彦と名を変えて世を忍び、日の出の御代を待ち給うた。
妻神である瑞御魂の豊国姫大神は、メソポタミヤの山奥に永く御身を忍んだ。
大国常立大神は厳の御霊・天照大御神として諾冊二神の間に生まれた。豊国姫大神は神素盞嗚大神と現れ給うた。
魔神の猛る世の中を鎮めようと神素盞嗚大神は御心を千々に砕かせ給うたが、修羅の巷の惨状に憂い嘆かせ給うた。
伊邪那岐大神は神素盞嗚大神に対して、大海原をしろしめす権威がないのであれば、根底の国に行くべしと、悲しみを胸にたたえて厳かに言い渡した。
神素盞嗚大神は姉の天照大御神に名残を告げようと訪れたが、姉神は弟の来意を疑った。そこで姉弟二神は天の安河で誓約を行った。
誓約によって神素盞嗚大神の瑞御魂の清明無垢の御精神は明らかになった。しかしこの事件に心が収まらない神人たちが騒ぎ立てたため、天照大御神がお隠れになり、暗黒の世となってしまった。
神々が音楽を奏で太祝詞を宣すと、天照大御神は再びこの世に現れた。神素盞嗚大神は千座の置戸を負わされて高天原から追われてしまった。
天地は一時穏やかに治まったかに見えたが、豊葦原の国々は魔神が荒れ狂いふたたび修羅の巷となり変わってしまった。
この惨状を見るに忍びず、瑞御魂と国武彦は三五教を開き、悪霊を言向け和して姉御神に奉り世の災いを除こうと、コーカス山やウブスナ山の上に尊くも神館を建て給うた。
八岐大蛇の分霊が懸かってこの世を乱すハルナの都の悪神を第一に言向け和そうと、数多の宣伝使を派遣した。
その中には、神素盞嗚大神の御娘・五十子姫の夫である玉国別がいた。玉国別は真純彦、三千彦、伊太彦を共としてハルナの都に遣わされたのである。
玉国別宣伝使は、河鹿峠で山猿に苦しんだが、神力に守られて祠の森の宮を打ち建て、テルモン山でデビス姫姉妹・親子の危機を救った。デビス姫は三千彦の妻となって一行にしたがった。
テルモン湖水を渡る間に様々な神業を成し遂げ、アヅモス山に隠れていたタクシャカ竜王・サーガラ竜王を救い、夜光の玉や如意宝珠を竜王から受け取った。
宣伝使四柱一行はハルナの都を指して進んでいく道の辺の祠で、元バラモン軍の将軍鬼春別、今は比丘となった治道居士と巡り合い、スダルマ山の山麓を進んでいくこととなった。
本文
01 02 〔1609〕
スダルマ山の山道の入り口で、木こりのカークス、ベースが世相についてしきりに語り合っていた。そこへ玉国別宣伝使一行がやってきた。
伊太彦は二人からスーラヤ山のウバナンダ竜王の珍宝の話を聞いて、玉国別に自分に竜王への宣教と玉取りをやらせてほしいと頼み込んだ。
本文
01 03 〔1610〕
玉国別は伊太彦の申し出に対し、もろ手を組んで思案に暮れている。玉国別は、伊太彦が玉への執着にとらわれて焦っているのではないかと心配していた。
玉国別は、宝玉は神様から与えられるものだから、自分から求めて得ようとするのはよろしくない、それよりも自分の内なる玉を磨いたほうがよい、と諭した。
伊太彦は内在の玉が大切なのはわかっているが、霊肉一致の原理によって外形的な玉も必要なのだ、と反論する。そして自分は神界からの内流を得て言っているのだ、と玉国別に反論する。
そこまで言うなら仕方がないと玉国別も折れた。伊太彦は師匠の許しを得て、カークスとベースを従えて、スーラヤ山指して意気揚々と出発してしまった。
一同は伊太彦の朗らかな意気に笑いに包まれた。玉国別は、伊太彦が神界の経綸で神掛かりになっていたと明かし、後々その霊の素性がわかるだろうと告げた。
本文
01 04 〔1611〕
一行はスダルマ山の峠の頂上で野宿をすることになった。治道居士は自分のかつての部下だったベルやバットが強盗をして人々を苦しめていることを気に病み、玉国別に懺悔した。
玉国別は人間はそれぞれ自らの心の垢によって迷い、一時的な変調異常が起こるものだと治道居士に諭した。
一同が寝に就くとベルとバットがやってきた。二人は、暗闇の中に野宿している人間がいるとわかり、泥棒をしようと相談している。
治道居士は実際には寝入らずに玉国別一行の保護の任に当たっていた。智道はベルとバットを驚かしてやろうと、法螺貝を吹きたてた。
ベルとバットは法螺貝の化け物だと思いしりもちをついて震えている。ベルはバラモン教の陀羅尼を唱えた。
玉国別たちはこの騒ぎに目を覚まして成り行きに聞き入っていた。治道居士はベルとバットに対し、自分は元上司の鬼春別将軍であり、今は三五教の比丘となっていることを告げた。そして早く心を入れ替えるよう、厳かに呼ばわった。
ベルとバットは治道居士の言霊に打たれて、「ハイ」と言ったきりその場にしゃがんでしまった。
黒雲が破れて大空の月がパッと覗かせ給うた。一同の姿は昼のように見えてきた。一同が述懐の歌をそれぞれ歌っていると、天空に嚠喨たる音楽が聞こえ、月を笠にかぶりながら雲を押し分けて、神素盞嗚大神が悠々と下り給うた。
大神は一同の前に声も涼しく一行の前に神訓を垂れ給うた。
無限絶対無始無終、霊力体の大元霊と現れたまう真の神はただ一柱である。これを真の神または宇宙の主神という。この大神を真の父となし母となし敬愛し奉るべし。天之御中主大神と奉称し、また大国常立大神と奉称する。
厳の御霊日の大神、瑞の御魂月の大神は、主神大国常立大神の神霊の御顕現にして、高天原の天国にては日の大神と顕れ給い、高天原の霊国にては月の大神と顕れ給う。
愛善の徳に住するものは天国に昇り、真信の光徳に住するものは霊国に昇る。
真の神は大国常立大神ただ一柱ましますのみであり、天津神八百万の神は皆天使であると知るべきである。
国津神八百万ましませども、皆現界における宣伝使や正しい誠の司である。
真の神は天之御中主大神ただ一柱、それゆえ幽の幽と称え奉る。
真の神が変現し給いし神を幽の顕と称え奉る。天国における日の大神、霊国における月の大神はいずれも幽の顕神なり。
いったん人の肉体を保って霊界に入り給いし神を、顕の幽と称え奉る。大国主之大神およびもろもろの天使および天人のことを言う。
顕界に肉体を保ち、神の大道を伝え、また現界諸種の事業を司宰する人間を称して、顕の顕神と称え奉る。しかして真に敬愛し尊敬し依信すべき根本の大神は、幽の幽にまします一柱の大神のみである。その他の八百万の神々は、主神の命によりておのおのその神務を分掌し給うものである。
愛善の徳に住し真信の光に住し、神を愛し神を信じ、神のために尽くすものは天界の住民となる。悪と虚偽とに浸って魂を曇らすものは地獄に自ら堕落するものである。
かく宣りたまいて、従神たちを従えて紫の雲に乗り、大空高く月とともに昇られ給うた。
一行はそれぞれ神訓についての述懐を歌った。ベルとバットは心の底から悔い改め、玉国別一行にしたがって聖地エルサレムを指して進むこととなった。
本文
01 05 〔1612〕
伊太彦、カークス、ベースの三人はスーラヤ湖の湖辺の漁村に出た。竜王がいるスーラヤ島に渡る舟を探して訪ね歩いた。船頭はみな出払っており、老夫婦の親切によって宿泊して舟を待つことになった。
伊太彦はスダルマ山の麓で神懸状態になってからにわかに若々しく美しくなっていた。これは木花姫命の御魂が伊太彦に大事業を果たさせるべく、御守護になっていたからであった。しかし伊太彦当人はまったくそのことに気づいていなかった。
老夫婦もカークス、ベースも、伊太彦がなんとなく威厳が備わっているので下にもおかず親切にする。伊太彦は別亭に案内されてそこで休むことになった。
老夫婦には年若い兄妹があった。兄のアスマガルダは船に乗って漁に出ており、家には妹のブラヷーダがいた。
深夜に老夫婦の娘ブラヷーダが伊太彦の寝所にやってきた。ブラヷーダは三五教の神のお告げがあり、伊太彦が夫になる男だと告げたという。伊太彦は返事に困り、ブラヷーダと問答しながら夜を明かした。
本文
01 06 〔1613〕
夜が明けた。離れの亭に老夫婦・ブラヷーダと伊太彦・カークス・ベースの六人が座について歌い舞いなどして、この家の息子アスマガルダが船をもって帰ってくるのをまっている。
爺のルーブヤ・婆のバヅマラーカは、娘に三五教宣伝使の夫ができたことを神に感謝して歌った。この村はもともと三五教を信仰していたが、バラモン教の勢いに飲まれてやむを得ずバラモンを祀っていたという。
伊太彦、ブラヷーダ、カークス、ベースもそれぞれお祝いの述懐を歌った。
本文
02 00 - 本文
02 07 〔1614〕
その日の夕方になり、アスマガルダの船が帰ってきた。ルーブヤはさっそく、伊太彦が妹の婿になる約束ができたことを報告した。
アスマガルダもこの結婚に賛成し、伊太彦と歌をもって挨拶をなした。一同は述懐の歌を交し合った。
晩餐を済ませた後、形ばかりの婚礼の式を行い、その日はルーブヤ宅に体を休めて翌朝、スーラヤ島に渡ることになった。
本文
02 08 〔1615〕
翌日、伊太彦一行はアスマガルダの船に乗ってスーラヤ山指して進んでいく。アスマガルダは舟歌を歌い、伊太彦とブラヷーダは竜王を言向け和すという神業への決意の歌を歌った。
一行は島に上陸し、しばらく登ったところの大岩石の陰に身を潜めて湖上の旅の疲れをいやした。そして明朝登山することと決めた。
深夜になると、あたりの密林の枝をガサガサとゆすり、青い舌を垂らし錫杖をついた怪物が一行の寝所に近づいてきた。怪物は雷のような声を張り上げて、伊太彦を怒鳴りつけた。
伊太彦は目を覚まし、怪物を認めるととどろく胸をぐっと抑え、「惟神霊幸倍坐世」を高唱すると、怪物に向かって言霊で応酬した。
伊太彦は怪物に言い負けると敗北すると聞いていたので、空元気を出してこちらから言霊の問答を仕掛けた。
怪物は伊太彦の粗を並べ立てて責めたてた。またスーラヤ山の中腹に死線という毒が充満する恐ろしい場所があることを明かして登山の意気をくじこうとした。
しかし伊太彦も屁理屈で応戦して一歩もひかなかった。ついに怪物は捨て台詞を吐いて、いずこへともなく消えてしまった。
アスマガルダ兄妹とカークス、ベースは恐ろしさにふるえながら問答を聞いていたが、怪物が伊太彦を言い負かせず消えたので、やっと胸をなでおろした。
その後は何事もなく夜が明け、五人はウバナンダ竜王が潜む岩窟を目指して進んでいくことになった。
本文
02 09 〔1616〕
一行五人はスーラヤ山の中腹まで登ってきた。夜前妖怪が言っていた死線地帯にたどり着いた。
死線を突破するために伊太彦を導師として天津祝詞を奏上し、天の数歌を歌いながら勢いにおまかせて駆け上った。一行は死線を乗り越えられたことにそれぞれ感謝の歌を歌った。
伊太彦は一行を励ましながら岩窟の側近くにやってきた。深い井戸のように縦穴があいており、底には夜光の玉がいくつともなく光っているのが見えた。
伊太彦は藤蔓を切って太い縄にない、岩窟の一端にくくりつけて底深く降りて行った。一行も勇気を鼓して伊太彦に続いた。
岩窟の底からまた横穴がい開いていて無数の玉が光っている。奥を見ると、ウバナンダ竜王がたくさんの眷属をつれて蜿蜒とわだかまっていた。
伊太彦はもろ手を合わせて柏手を打ち、天津祝詞を奏上しようとした。しかしどうしたものかにわかに舌はこわばり、一言も発することができなくなってその場に昏倒してしまった。
一行五人も同様にその場に枕を並べて昏倒してしまった。
本文
03 00 - 本文
03 10 〔1617〕
人間が霊肉脱離ののち、高天原の楽土または地獄の暗黒界に陥るにあたり、何人も踏まなければならない経過があり、これは三種の状態が区別される。外面の状態、準備の状態、内面の状態である。
しかしながら中有界(精霊界)の準備を経過せずに直ちに天界または地獄に行くものは、生前すでに準備ができており、善悪の情動ならびに因縁によって、各自霊魂相応のところを得ているのである。
天界に入る準備が生前できていれば、自然的世界的な悪習慣等が洗浄されれば、直ちに天人の保護指導によって相応の愛に匹敵した楽土に導かれる。
地獄に陥る精霊は、限界において表面のみ愛と善を標榜し、かつ偽善的動作のみ行い、内心深く悪を蔵していた者である。いわゆる、自己の凶悪を糊塗して人を欺くために、善と愛とを利用した者である。
このような精霊は神様の摂理により、さまざまな状態で地獄に落ちていく。口先ばかり親切らしく見せかけて世人を油断させ、その虚に乗じて自己の利益をはかり、かつ世の人に損害を与えた者たちである。
このようなことは比較的少数であり、大部分は精霊界にとどめられて神教を授かり、精霊自己の善悪の程度によって神の順序にしたがい、第三下層天国または地獄に入る準備をなさしめられるのである。
人間各自の精霊は外面的・内面的の二方面を有している。精霊の外面とは、人間が現世において他の人々と交わるに際して、身体に適順させる手段を用いることである。特に面色、語辞、動作等の外的状態である。
精霊の内面とは、人の意志および想念に属する状態であって、容易に外面に現れないものである。
すべての人間は、幼少のころから仁義誠実、道徳等の武器を外面に摸表することを習っている。しかしその意志するところの想念はすべて、深く内底に包蔵されている。そのため人間同士の眼からこれを看破することは不可能である。
現代の人間は、その内心がいかに邪悪無道に満ちていても、表面生活上のために似非道徳的・似非文明的生涯を営むのが常となっている。
現界永年の習慣の結果、人間の精神は麻痺しきってしまって、自己の内面さえ知ることができなくなっている。また内面的生涯の善悪などについて煩慮することさえ稀である。ましてや他人の内面的生涯を察知することなどできはしない。
死後精霊界に至った直後の人間精霊の状態は、肉体が現世にあったときと少しの相違もない。ゆえに自己が一個の精霊だということを想いおこなさなかったら、高姫のごとく、現界にあって生活を送っているという感覚をなすほかはないほどである。人間の死というものは、この間の通路に過ぎない。
現世を去ってまだ幾何の日時も経ない人間の精霊や、現界人の一時的な変調によって霊界に入ってきた精霊も、現世にあるのと同じような状態にいるものであり、生前の朋友や知己と互いに相会し相知り合うものである。
精霊は、その面色や言語等によって知覚し、相接近するときはその生命の円相によって互いに知覚するのである。霊界においてもし甲が乙を思うと、乙は直ちに甲の前に現れ来る。
霊界は想念の世界であり、何事も霊的事象に支配されているから、現界のような時間空間がない。その想念の情動によって互いに朋友、親族、知己を認識し、現世にあったときの交情によって互いに談話もなし、ほとんど現世にあったときと少しの相違もないのである。
夫婦再開などは互いに相祝し、現世において夫婦双棲の歓喜を味わい楽しんだ程度に比して、あるいは長く、あるいは少時間、その生涯を共にするものである。
霊界の善霊すなわち天人は、現界から新たに入り来った精霊の善悪正邪を点検するために、たいてい以下のような点を確認する。すなわち凶霊は常に外面的事物についてのみ談論することを好むこと甚だしく、内面的事物については豪も顧みない。
内的事物とは、神の教え、聖地救世主の神格、高天原に関する真と善とに関してであるが、凶霊はこれを談論せず、聞くことを嫌忌し、意に止めず、神の教えを聞いても楽しまず、かえって不快の念を起こし面貌にまで表すものである。
現界人の多くは神仏の教えを迷信呼ばわりし、神仏を口にすることを恥辱のように考ええている者が大多数である。大本の教えをこちらから何ほど親切をもって聞かせても、地獄道に籍をおいた人間には到底駄目であることを実地に経験した。
しかしながら大慈大悲の大神の御心を奉戴し、一人たりとも天界に進ませ永遠無窮の生命に赴かしめ、もって神界御経綸の一端に仕えなければならないのである。
精霊もある一定の期間を経ると、彼らの精霊が内面的状態に移り、その内分の一切が暴露される。
人間の死後における第一の外面的状態は、あるいは一日、あるいは数日、数か月から一年にわたることもある。しかしながら一年を越えるこのは極めて稀有である。各自精霊の外面状態に長短の差があるのは、内外両面の一致不一致による。
天人はまず精霊の外面を暴露せしめ、順序中に入らしめて、内面に相応する平面たらしめる。この順序を取るところは、精霊界(中有界)の中心点である天の八衢の関所であって、伊吹戸主大神の主管し給うブルガリオにおいて行われる。
内面的状態は、人間が中有界である一定期間を経過し、心すなわち意志と想念に属する境遇のことを言うのである。
およそ民文の発達した社会に生存するものは、世間の風評や談話によって人を判断し、自分の心のままを語らず、応接はなるべく礼に合うべく務めるものである。またみえすいたような嘘でも善く言われると大変に歓ぶものである。
これに反して真実をその人の前に赤裸々に言明するときは非常に不快の念を起こし敵視されるようなことが起こる。現代の人間の言動は、その思うところ・願うところとまったく正反対のものである。
偽善者の境遇にあるものは、言説においては天人のように愛善と真信に一切基づいているようであるが、その内実は高天原の経綸も霊魂の救いも死後の世界も信じておらず、ただ自己の利益を愛しているのみである。
このような人間は、内外両面を区別し、一つとならないように努めている。外面外面が衝突をきたしている。しかし現代の理屈からいえば、内外両面を区別して考えることが至極当然となっている。
そして内面外面の一致という説に対しては種々の悪名を付け、悪魔の言としてけなすものである。内面的想念が外表に流れて暴露することがないように努め、限界的道理によってすべてを解決しようとし、内面的神善を抹殺するのである。
しかし人間が創造されたのは、その内面的想念を、相応によって外面的想念と相一致させなくてはならない理由があるのである。真の善人はその思うところも言うところもただ善のみである。
地獄的悪人においては、心に悪を想いながら善を口に語り、善人とはまったく正反対の状態にある。外面に善を示して、内面に悪を抱いている。かくて善は悪のために制せられ、使役されるにいたる。
真の善に居るものは、順序を乱すことなく、その全はみな内面的想念から流れて外面に出て、それが言説となり行動となる。人間はこのような順序のもとに創造されたからである。
人間の内面はすべて高天原の神界にあり、神界の光明中に包まれている。この光明とは、大神より起こり来る神真であり、高天原の主となるものである。
人間には内外両面の想念があり、互いに隔たっている。想念は意志からくるものであり、意志の一形式である。
およそ人間の人間たるゆえんはまったくその内面にあるのであり、外面にあるのではにないことを知らなければならない。内面は人の霊に属し、人の生涯とはこの内面の霊の生涯に他ならない。
人の身体に生命があるのは、この精霊に由るのである。この理によって、人はその内面のごとく生存し永遠にわたって変わらず、不老不死の永世を保つものである。
されど外面は肉体に属するがゆえに、死後は必ず離散し消滅し、その霊に属していた部分は眠り、ただ内面のために平面となるにすぎないのである。かくして人間の自有に属するもの・属さないものとの区別が明らかになる。
外的意志と外的想念とは、一つも自有のものではない。ただその内面的な意志と想念に属するもののみが自有となしうるのである。そのため、永遠の生命に入ったとき、自有となるものは、神の国の栄のために努力した花実ばかりである。その他一切のものは中有界においてはく奪されるものである。
本文
03 11 〔1618〕
カークス、ベースの二人は、にわかにあたりの光景が一変した大原野の真ん中を、とぼとぼと何者かに押されるように進んでいく。冬の景色と見えて、松葉は風に揺られ桜の梢は木枯らしにふるえている。
二人は、宣伝使たちと一緒にスーラヤ山の岩窟に入ったはずが、見慣れない原野を歩いていることをいぶかしんだ。二人は述懐を歌いながらともかく先に進んで歩いていく。
二人は濁流みなぎる河辺についた。二人はどうやらここが現界ではないと思い始めた。行く手を阻まれて座り込み、地獄へ暴れこんで王国でも建てようかなどというのんきなほら話に花を咲かせている。
傍らの茅の中に藁小屋があり、黒いやせこけた怪しい婆が現れた。婆は伊太彦宣伝使一行がすでに河を渡って向こう側に行ったという。
遅れてはたいへんと二人は河を渡ろうとした。婆はベースの胸ぐらをつかんで、肝玉を引き抜いて食ってやるとすごんだ。カークスは婆の足をつかんだが、突けども押せどもビクとも動かない。
二人は進退窮まってしまった。するとはるか後ろの方から宣伝歌が聞こえてきた。はっと我に返ると、今まで婆と見えていたのは巨岩であった。河と見えたのは薄原であった。
本文
03 12 〔1619〕
カークスとベースは不審の念を抱いて、近づいてくる宣伝歌に耳をすませた。歌の主は伊太彦であった。
伊太彦はアスマガルダ、ブラヷーダを連れて、竜王の岩窟の向こうにこれほど広い原野があることを不思議に思いながら歌を歌いながらやってきた。
カークスとベースは伊太彦に出会えたことを喜び、先ほどの怪しい婆の話をした。伊太彦は岩窟だから妖怪が出たのだろうと答え、ウバナンダ竜王に会うために先に進もうと一同を促した。
一同が進んでいくと、はげ山の麓に草ぶき屋根の小屋が一軒建っていた。小屋から出てきたのは高姫であった。高姫は一行を呼び止め、けっこうなウラナイ教の話を聞かせてやろうと引き留めた。
しかしカークスとベースは、高姫の居丈高な物言いに不快の念をあらわにし、無視して先に進もうと伊太彦にもちかけた。高姫は怒り、二人は身魂が悪いから自分の館に入ることはならないと言い渡した。
高姫は伊太彦、アスマガルダ、ブラヷーダの三人を引き入れようとするが、ブラヷーダはここまで生死を共にしてきたのだから、カークスとベースが入れない家にやっかいになるのは止めようと言い出した。
伊太彦とアスマガルダも同調したので、高姫は仕方なく五人とも招き入れようとするが、その物言いがまた居丈高なので、カークスとベースは家に入るのを拒否した。
高姫は門口でウラナイ教の説法をすることにした。
本文
03 13 〔1620〕
人(精霊)が内面的状態に居るときは、自有の意志をそのまま思索する。その想念は元来の情動であり、愛そのものから来るものである。
そのとき、想念と意志は一致する。この一致によって、人の内面的なる精霊は、自ら思惟するとは思わず、ただ意志するとのみ思うものである。
言説をするときもこれに似ているが、違う点は、言説は意志に属する想念そのままを赤裸々的に露出することをはばかる情が籠っているのである。
その理由は、人(精霊)が現界にあったときに俗を追ってその生を営んだ習慣が、その意志に付属するに至るからである。
精霊が内面の状態に居る時は、その精霊(人)がいかなる人格を所有していたかということを明らかに現すものである。この時精霊は、自我によってのみ行動するからである。
現界に在った時に内面的に善に居った精霊は、ここにおいてその行動の理性と証覚とにかなうこと、ますます深きものとなるのを認めることができる。今や肉体との関連を断ち、心霊を混迷せしめ執着させる物質的な事物を、全部脱却したからである。
これに反して精霊の内面が悪に居たものは、今や外面的状態を脱してしまい、その行動は痴呆のごとく狂人のごとく、現世にあったときよりもますます癲狂状態を暴露し、醜悪な面貌を表すものである。
外面上善人を装い学者識者をもって擬していた人間は、馬糞を包んだ錦絵の重の内のようなものである。外面は美麗な光沢を放っているが、その覆い蓋をのけて内面を見るとき、はじめて汚物が隠れていたことをみて驚くようなものである。
現世にあったときに神格を認め神真を愛し、内面の良心にしたがって行動を為したものは、霊界に入り来るとき、直ちに内面の状態に導き入れられて、永い眠りから醒めたようでもあり、暗黒から光明に進み入ったもののようである。
その思索もまた高天原の光明に基づき、内面的証覚より発し来るゆえに、すべての行動は善から起こり、内面的情動からあふれだすものである。高天原は想念と情動の中に流れ入り、歓喜と幸福とでその内面を充満せしめ、いまだかつて知らざる幸福を味わうものである。
こうなった上は高天原の天人との交通が開けているので、主の神を礼拝し真心を尽くして奉仕し、自主の心を発揮し、外的聖行を離れて内面的聖行に入る。
これが三五教の教示によって内面的善真の生涯を送ったものがまさに享受する状態である。三五教以外の教団に入信したものでも、神真を愛し内面的善に住し、神格を認めて奉仕したるものの精霊も同様である。
これに反し現世にあって偽善に住し神を捨てて悪に住し、良心を滅ぼし神格を否定し、あるいは神の名を称えることを恥じて、種々の名目にかくれ霊的の研究に没頭し、凶霊を招致して霊界を探り現世の人間を欺瞞し、またはいったんは三五教を信じながら心機一転して弊履のごとくこれを捨て去り、あるいは誹謗し、世間の人心を誑惑したものの精霊界における内面的状態は、これとはぜんぜん正反対である。
また内心に神格を認めず、あるいは軽視し、何事も科学に立脚して神の在否を究めようとし、自己の学識に誇るものは、みな悪に霊性である。
たとへ外面的想念においては神を否定せず、これを是認し、少しは敬神的態度に出づるものといえども、その内面的精神が違っているのであれば、やはり悪である。
なぜならば、神格を是認することと、悪に住することとは互いに相いれないからである。
神を信じず、自分が解釈した予言を信じて、その通りにならなかったら神の聖団を形体的にも精神的にもたたき壊し、たくさんな債務を後に塗り付け、神柱を谷底へ突き落して頭上に煮え茶を浴びせかけ、尻に帆をかけて逃げ出し、また種々の企てを始める守護神のごときは、実に内面の凶悪な精霊である。
このような精霊は、表面に善の仮面をかぶり、天人のごとき善と真との言説を弄するがゆえに、現界においては容易にその内面の醜悪を暴露しないものである。
このような精霊が霊界に来て内面的状態に入ると、発狂者のごとく見え、一切憎悪の相を表し悪の実相を示し、悪行をあえてしてほとんど人間の所作かと疑わしめるばかりである。
現世に在った時には外的事物のために制圧せられており、また彼らが生前に所有した理性力はみな外面に住していたから、このような悪相を現すのである。
しかも彼らは、他人に優って内面的証覚があると自信していたものなのである。今日の学者や識者と言われる人の精霊は、概して外面的情態のみ開け、内面はかえって悪霊の住所となっているものが大多数を占めているようである。
さて、高姫は戸口の外で説法を始めようとするが、その高慢な言動からまたカークスと言い争いになってしまう。
高姫は伊太彦に向かい、高姫が大弥勒の身魂だと信じることが改心だと得意になって説きかけた。伊太彦が、なぜ大弥勒様がこんなところに一人でいるのだと問うと、まだ時を得ていないからだと強弁する。
そして伊太彦の師匠が玉国別だと知ると、玉国別の過去に尾ひれをつけて非難し始めた。伊太彦は、師匠の悪口は聞きたくないと一同を連れてその場を退散した。高姫はろくなものたちではなかったと捨て台詞を吐く。
アスマガルダは去り掛けに、高姫がどうやってスーラヤ山の死線を越えて竜王の岩窟にやってきたのか尋ねた。高姫は、ここはフサの国のテルモン山の麓の高姫高原の神館だと言い張り、アスマガルダが何もわかっていないと馬鹿にする。
アスマガルダは怒って高姫に鉄拳をふるおうとするが、伊太彦がなんとか引き留めた。高姫は憎まれ口を叩いて裏の柴山を駆け上り、どこともなく姿を隠してしまった。
本文
03 14 〔1621〕
黒雲がもうもうとして天地四方を包み、夜とも昼とも見わけのつかない光景となってきた。吹き来る風はなまぐさく湿っぽく、表面は冷たいのに熱気を含んでいた。
伊太彦一行は相当に高い山に行き当たり、ほかに道がないため登って行った。険しい道を行くと、四方八方から嫌らしい泣き声が聞こえてくる。一行は天津祝詞を奏上しようとしたが、唇が強直してどうしても声を発することができなかった。
山の頂で一行はへとへとになり、倒れてしまった。そこへ下の方から一人の婆がすたすたと登ってきて、自分は高姫を守護している銀毛八尾の狐だと名乗った。
狐は、アスマガルダが高姫を打擲しようとしたため高姫は家を飛び出してどこかへ行ってしまい、その恨みで一行をこの山に踏み迷わせたのだという。
狐は地獄に落ちたくなければ降参して言うことを聞け、と脅した。五人は声が出ないまま、しきりに首を振って抵抗する。
狐の婆はいばらの鞭を振り上げて伊太彦の頭を打ち付けた。伊太彦は血を流しながら、決して三五教の教えは捨てないと首を振っている。
ベースはこの様の恐ろしさにくじけ、首を縦に振りだした。狐婆は妖術で座布団を出すとベースをその上に座らせ、果物や葡萄酒を与えた。ベース以外の者はみな、伊太彦どうように依然として首を横に振っている。
婆はベースのように観念しろと脅しながらますます鞭で四人を打ち据えた。四人は運を天に任せ、心のうちに神を念じていた。すると山岳も崩れるばかりに犬の唸り声が聞こえてきた。
この声を聴くと婆は銀毛八尾の正体を現して逃げ出した。四人はにわかに元気回復し、血潮の痕跡もなく、すっくと立ちあがって天津祝詞を奏上した。ベースは茨の中に突っ込まれて唸っている。
四人がベースのために祈っていると、猛犬スマートを連れた初稚姫の精霊が現れた。初稚姫は、伊太彦たちが試験に及第したと告げ、ウバナンダ竜王の玉を取って帰るようにと告げた。
初稚姫が天津祝詞を奏上すると、気が付けば一行五人は竜王の岩窟に、邪気に打たれて倒れていた。伊太彦たちは嬉し涙を流し、両手を合わせて初稚姫を伏し拝んでいる。
岩窟の奥の方から鏡のように光る大火団が現れ、一同の前に爆発した。そこには優美高尚な美人が十二人の侍女をしたがえていた。美人は初稚姫に向かって手を仕え、自分は神代の昔、大八洲彦命によって改心の修行のために岩窟に押し込まれたウバナンダ竜王であると名乗った。
時がきて宣伝使が玉を受け取りにやってきたが、伊太彦の神力が奥方のために薄らいでしまい、解脱できずに困っていたという。
五人が竜神の毒気で魂が離脱してしまっていたところ、初稚姫がやってきて言霊を聞かせてくれたおかげで解脱ができ、このような天女になることができたと明かした。
ウバナンダ竜王は伊太彦に、玉を授けるのでエルサレムに行って献じるようにと告げ、自分たちは眷属たちとともにハルナの都の言霊戦を陰ながら支援すると伝えた。
竜王は玉を伊太彦に渡し、初稚姫に改めて感謝を述べた。一同はそれぞれ述懐を述べ竜王に別れを告げた。竜王は雲を起こして侍女たちとともに空中に舞い上がり、姿は煙のように消えてしまった。
初稚姫は岩窟の細い穴を伝って磯端に出た。一行も後に続いて出てみると、そこには玉国別と治道居士の一行が船を横づけにして待っていた。伊太彦は船に飛び乗ると、玉国別にしがみつきうれし泣きに泣いた。
本文
04 00 - 本文
04 15 〔1622〕
玉国別、初稚姫が乗ってきた二艘の船は、伊太彦たちを分乗させてエルの港に帰っていく。船上ではいろいろな成功談や失敗談に花が咲いた。
伊太彦はエルでブラヷーダと夫婦の約束をしたこと、死線を越えて竜王の岩窟に入ったが、神力が足らずに仮死状態となり、幽界で高姫と問答し悪霊に苦しめられ、初稚姫に救われたことを話して聞かせた。
三千彦は玉国別に、伊太彦夫婦を認めるかと問いかけた。玉国別は反対はしないが、暗に神業を完遂したのちに夫婦となることを示した。
一行は互いに歌を歌い雑談にふけりながら船中を過ごした。玉国別の船は翌日の東雲ごろにエルの港に着いた。初稚姫の船は先について上陸しており、玉国別一行のくるのを待っていた。
本文
04 16 〔1623〕
玉国別は船から上がると一行とともに初稚姫の前に来て一礼し、感謝の歌を述べた。
デビス姫とブラヷーダは、船中の伊太彦と玉国別のやり取りから、宣伝使として夫婦が別の道を行くべきではないかと初稚姫に相談した。
初稚姫は、大神の任によって進む身は人を力としてはいけない、ただ一人道を伝えて行くのが務めだと答えた。初稚姫は、玉国別が一人真純彦を供とすることは許した。
伊太彦は、自分は神界の御用を務める役目があるからと、ブラヷーダに離縁を申し出た。初稚姫は歌に示して、二人がいったん別々の道を進み、神業成就の上で改めて夫婦の契りを結ぶのがよいと歌った。
ブラヷーダは一人で行く覚悟を示した。玉国別は、ブラヷーダが一人でエルサレムに参拝し、それからフサの国を通ってハルナの都に進むよう道を示した。
伊太彦は別路、夜光の玉をエルサレムに納めてから、フサの国を横断してハルナの都に進むよう諭した。そして三千彦とデビス姫にも各々一人で進むように示した。
一同は承諾した。デビス姫はさっそく別れの歌を歌うと、一同に黙礼して早くもエルの街の中に姿を隠してしまった。
アスマガルダは家に戻り、ブラヷーダとデビス姫はそれぞれエルサレムに進んだ。伊太彦と三千彦もそれぞれ玉を奉持して、一人でエルサレムを目指した。
初稚姫はスマートとともにどこともなく姿を隠した。治道居士はバット、ベル、カークス、ベースをしたがえ、比丘となってエルサレムに詣でることになった。
本文
04 17 〔1624〕 本文
04 18 〔1625〕 本文
05 00 - 本文
05 19 〔1626〕 本文
05 20 〔1627〕 本文
05 21 〔1628〕 本文
05 22 〔1629〕 本文
- - - - 本文
オニド関係の更新情報は「オニド関係全サイトの更新情報」を見れば全て分かります!
王仁DB (王仁三郎データベース)は飯塚弘明が運営しています。 /出口王仁三郎の著作物を始め、当サイト内にあるデータは基本的にすべて、著作権保護期間が過ぎていますので、どうぞご自由にお使いください。また保護期間内にあるものは、著作権法に触れない範囲で使用しています。それに関しては自己責任でお使いください。/出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別用語と見なされる言葉もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。/ 本サイトのデータは「霊界物語ネット」掲載のデータと同じものです。著作権凡例 /データに誤り等を発見したら教えてくれると嬉しいです。
連絡先:【メールアドレス(飯塚弘明)
プライバシーポリシー
(C) 2016-2024 Iizuka Hiroaki