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霊界物語あらすじ

説明を読む
ここに掲載している霊界物語のあらすじは、東京の望月氏が作成したものです。
まだ作成されていない巻もあります(55~66巻のあたり)
第48巻 舎身活躍 亥の巻 を表示しています。
篇題 章題 〔通し章〕 あらすじ 本文
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社会の一般的傾向がようやく民衆的になりつつあると共に、宗教的信仰も寺院や教会に依頼せず、各自の精神にもっとも適合するところを求めて、その粗弱な精霊の満足をはかろうとする趨勢になりつつあるようだ。
宣伝使や僧侶の説くことを聴きつつ、自ら神霊の世界を想像しこれを語り、いわゆる自由宗教の殿堂を各自の精神内に建設しようという時代である。
既成宗教の経典からも自ら認めて合理的、詩的とするところを読み、世界のどこかに真の宗教を見出そうとしている。宗教趣味が薄らいだところを補うために、芸術趣味が広まりつつある。
従前の宗教は政治的・専制的であったのに引き換え、現今は芸術的であり民衆的となってきたのも、天運循環の神律によってみろく出現の前提と言ってもよいのである。
この霊界物語もまたきわめて民衆的かつ芸術的に、惟神の時機を得て大神より直接間接の方法をもって現代ならびに末代の人生に対し、深遠な神理を宣旨・伝達せしめ給うたのである。
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現代欧米諸国における霊魂学に関する研究はようやく盛んになり、学識人格ともに世界的な定評ある知名の士の研鑽によって、我が国の学者の中にもその萌芽がみられるようになったことは、霊界のために実に欣喜の至りである。
日本人の通弊は、何事も外人の口と手を通したものでなければ信じられないことである。この霊界物語も、欧米学者によって成ったものであったなら、日本人にも尊重され歓喜をもって迎えられるであろうが、残念なことに、純粋な日本人の口より出たことを以て、邦人には顧みられないのである。
本文
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01 01 〔1255〕
宇宙には霊界と現界の二つの区界がある。霊界には、高天原と根底の国の両方面がある。この両方面の中間に介在する一つの界があって、これを中有界または精霊界という。
現界に昼夜・寒暑の区別があるのは、霊界に天界と地獄界があることに比べられる。人間は霊界の直接または間接内流を受け、自然界の物質すなわち剛柔流の三大元質によって肉体を造られ、肉体に精霊が宿っている。精霊は、人間自身であり、体は精霊の居宅に過ぎない。
霊なるものは、神の神格である愛の善と信の真から形成された一個体である。人間は一方に愛信の想念があり、一方には身体を発育し現実界に生き働くための体欲がある。この体欲も愛から来ている。
しかし体に対する愛は自愛である。神より直接来る愛は神愛といい、神を愛し万物を愛する普遍愛である。人間は肉体のある限り、自愛も必要欠くべからざるものである。それと共に、本源にさかのぼって真の愛に帰正しなくてはならない。
精霊は善悪両方面を抱持している。人間は霊的動物であると共に、体的動物でもある。精霊はあるいは向上して天人となり、あるいは堕落して地獄の邪鬼となる。人間は善悪正邪の分水嶺に立っているものである。
たいていの人間は、神界より見れば精霊界に彷徨している。精霊の善なるものを正守護神といい、悪なるものを副守護神という。正守護神は神格の直接内流を受け、人身を機関として天国の御用に奉仕すべく神より造られたものである。正守護神をよく統制し得ることができれば、一躍本守護神となって天人の列に加わるものである。
悪霊すなわち副守護神に圧倒され、使役される卑怯な精霊となるときは、精霊自らも地獄界へ落とされてしまうのである。
悪霊は、自然界にける自愛、すなわち外部から入り来たる諸々の悪と虚偽によって、形作られるものである。悪霊に心身を占領された者を体主霊従の人間という。現代の人間は精霊界、または地獄界に籍をおいているものが大多数を占めている。
現代の学者は、霊的事物を覚知せずに宇宙の真相を究めようとしている。これを体主霊従的研究という。大本神諭に途中の鼻高とあるのは、天国自国の中途である精霊界に迷っている盲どものことを言っているのである。
まず現代の学者は霊的事物の存在を認め、神の直接内流によって真の善を知り、信の真を覚る糸口を捕捉しなくてはならない。自然界にあって自然的事物の科学的研究をどこまで進めても解決がつかないような知識では、霊界の門内に一歩でも踏み入ることさえできるはずがない。
現界の研究さえまだ門戸に達していない学者どもが、霊界のことにくちばしを入れて瑞月を審神者しようとするのだから、実に滑稽である。この『霊界物語』も、これを読む人々の智慧証覚の度合いによって、神霊に感応する程度に幾多の差が生じるのはやむを得ないのである。
宇宙の真理は開闢の始めより億兆万年の末に至るまで、決して微塵の変化もない。これに対する人間の智慧証覚の賢愚の度によって、種々雑多に映じるのである。
霊界に通じる唯一の方法として、鎮魂帰神という神術がある。人間の精霊が直接、大元神すなわち主の神に向かい、神格の内流を受け、大神と和合する状態を帰神というのである。それゆえ、帰神は予言者としてもっとも必要な霊界真相の伝達者である。
次に大神の御神格に照らされ、智慧証覚を受けて霊国のエンゼルとなった天人が人間の精霊に降り来たり、神界の消息を人間界に伝達することを神懸という。これを神格の間接内流ともいう。予言者を求めてその精霊を充たすのである。
悪霊または副守護神が外部から人間の肉体に侵入し、罪悪と虚偽を行う状態を、神憑という。偽予言者、贋救世主などは、この副守のささやきを自ら深く信じ、憑霊を貴き神と信じている。神憑は、現界の人間の善霊と肉体を亡ぼそうと謀るものである。
ゆえに霊界の研究者は霊媒の平素の人格についてよく研究をめぐらし、その心性を十二分に探査したうえでなくてはならない。好奇心にかられて不真面目な研究をするようなことでは、学者自身が中有界はおろか、地獄道に陥落するにいたってしまうことになる。
帰神も神懸も神憑もひとくくりに神がかりというが、その間には非常に尊卑のへだたりがあることを悟らなければならない。
大本開祖の帰神では、開祖はいつも神様が前額から肉体におはいりになられるといわれていた。前額部は高天原の最後部に相応する至聖所である。畏れ多くも口述者は審神者として開祖を永年間注目し、ついに大神の聖霊に充たされ給う地上唯一の大予言者であることを覚り得たのである。
また、高天原には霊国と天国の二大区別がある。霊国の天人を説明の便宜上、霊的天人と呼び、天国の天人を天的天人として説明を加えようと思う。
霊的天人から来る間接内流は、人間の肉体の各方面から感じ来たり、頭脳に流入する。前額およびこめかみから、大脳の所在全部にいたるまでを集合点とする。この局部は霊国の智慧に相応する。天的天人からの間接内流は、後脳すなわち耳より始まり、頸部全体に流入する。この局部は証覚に相応するからである。
天人が人間と言葉を交えるときは、人間の想念中に入り来るものである。天人と語り合う者は、高天原の光によってそこにある事物を見ることができる。しかして天人はこの人の内分を通じて地上の事物を見ることができる。
天界の天人は人間の内分によって世間の事物と和合し、世間は天界と和合する。これを現幽一致、霊肉不二、明暗一体という。
大神が霊界の消息や意志を現界人に対して告示するとき、まずおのが化相をもって精霊を充たし、この充たされた精霊を予言者の体に遣わし給う。この精霊は、大神の霊徳に充ちてその言葉を予言者に伝える。
これらの言葉は大神より直接に出て来た聖言であるので、一々確乎不易にして神格によって充たされているものである。しかし人間は何事も自然的、科学的意義にしたがって聖言を解釈しようとするゆえに、懐疑心をますばかりで解決がつかない。ここにおいて大神は、瑞霊を世に降して直接の予言者が伝達した聖言を詳細に解説せしめ、現界人を教え導こうとなし給うたのである。
大神の御神格が予言者を充たして聖言を伝達し終わると、大神は天に帰り給う。すると予言者の神格はにわかに劣り、言うことは明晰を欠くようになる。そこで予言者は、自分はやはり精霊であり、聖言は大神から言わしめ給うたことを知覚し承認するに至る。大本開祖は、万民のために伝達の役を勤めていたことをよく承認していられたのである。
開祖に帰神し給うたのは大元神大国治立尊様である。その精霊は、稚姫君命と国武彦命であった。天人は開祖によって示された聖言を直ちに理解することができるが、現界人には容易に通じない。それゆえ、聖言を細かく説いて諭す伝達者として、瑞の御魂の大神の神格に充たされた精霊が変性女子の肉体に来たり、地上の天人として神業に参加せしめられた。
その詳細な説明をもってしても疑念をさしはさみ研究的態度に出ようとする者もある。されど神は至仁至愛にましますので、かくのごとき難物をも種々に身を変じ給いてその精霊を救おうと昼夜御心を悩ませ給いつつある。
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01 02 〔1256〕
浮木の館の陣営の幕僚室では、アークとタールが茶を飲みながら雑談にふけっている。二人はすっかり治国別に感化されて三五教的な視点から、ランチ将軍や蠑螈別を論評している。
そのうちに治国別の姿が見えないことに話が移り、二人はもしやランチ将軍が治国別に何か危難を加えたのではないかとあやぶんでいる。
そこへランチ将軍から、三五教の女宣伝使清照姫、初稚姫という美人がやってきたので接待するようにと呼び出しがあった。二人がランチ将軍の陣営に向かう途中、蠑螈別にであった。
二人は蠑螈別からもらったブランデーで酔っ払ってしまった。そして酔った勢いで蠑螈別とちょっとした喧嘩になり、そこへお民がやってきて蠑螈別を介抱しようとする。アークは蠑螈別を水門壺に落とそうとして自分も一緒に落ち込んでしまった。
四人は騒ぎでそれぞれ気を失い、番卒たちに介抱されることになった。正気になるまで丸一日寝込んだうえ、ようやくランチ将軍の前に顔を出した。
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01 03 〔1257〕
ランチ将軍は上機嫌で、三五教の二人の女宣伝使に言い寄られてたいへんなことだった、一方でもてない片彦将軍はすっかり気落ちしてしまったのだ、とのろけている。
蠑螈別が呼び出しの意図を尋ねると、ランチ将軍は、お民を片彦に嫁がせてやってくれないかと言い出した。蠑螈別はこれを聞いて怒りだすが、逆にランチ将軍から酒ばかり飲む役立たずだと引導を渡されてしまう。
蠑螈別は自分の法力でランチ将軍の命を取ってやると言い放ち、次の間に行って大自在天の前に数珠をもみながら端座した。大自在天やウラナイ教の神々を念じ、観音経を唱え始めた。しかしまったく効力を表さないので、観音に向かってブツブツと不平を呟くのみであった。
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01 04 〔1258〕
アークは、三五教の二人の美人宣伝使に加えてお民もいる今、酒宴を開いたらどうかとランチ将軍に提案した。ランチ将軍は幕僚のみの酒宴を開くこととし、アークとタールは準備に出て行った。
後に残ったランチ将軍とお民はしばし、軍人の本分について語り合った。ランチ将軍は、人間は悪を喜ぶのが本能だから、他を亡ぼし圧迫し略奪しなくては世にときめきわたることはできない、と体主霊従主義を開陳している。そして、蠑螈別もその道理がわかったら、お民と一緒に陣中においてやろうとお民に言い渡した。
アークとタールが酒房に酒を取りに行くと、エキスが酒を盗み飲みしている。エキスにそそのかされたアークとタールは、一緒に酒を飲み始めて前後不覚になり、その場に倒れてしまった。
蠑螈別とお民はこの場を通りかかった。お民はこれを見て、酒を控えるように蠑螈別に言うが、蠑螈別も酒を飲み始め、一緒に倒れてしまった。お民はさっさとこの場を立ち去った。
木枯らしが吹く雪が、倒れた四人の上に降り注いた。次第にあたりも見えないほどに雪が降りしきり、たちまち四人の体は積雪に包まれてしまった。
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01 05 〔1259〕
ランチ将軍が奥の居間に帰ってみると、清照姫と初稚姫は片彦将軍を囲んで笑い語らっている。ランチ将軍は嫉妬を抑えて、将軍が女にうつつを抜かすとは何事かと自分を棚に上げてたしなめた。
しかしランチ将軍があらわれると、二人の女はどうしたことか急に片彦に冷たくなり、ランチ将軍にまとわりつきだした。片彦が何を言っても二人の女は邪険に答え、得意になったランチ将軍は、片彦に退室を命じた。
ランチ将軍は二人の女をはべらせて雪見の宴を開こうと駕籠を呼んだ。アーク、タール、エキスらも呼ぼうとしたが、彼らは泥酔して雪に埋もれたため発見できなかった。そこで二人の副官(ガリヤ、ケース)と二人の美人だけ伴って雪をかきわけ、物見やぐらに到着した。
片彦はお民をくどこうとしていたが、ランチ将軍が三五教の二人の美人を連れて物見やぐらに雪見の宴を張っていると聞くと、お民を伴って物見やぐらに進んで行った。
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01 06 〔1260〕
ランチ将軍が、二人の女にちやほやされながらいい気分で酒宴を張っていると、片彦がやってきてランチを怒鳴りつけ、この有様をハルナの都の大黒主へ報告すると息巻いた。
片彦はそれがいやなら初稚姫をこちらに渡せと迫るが、初稚姫から強烈に馬鹿にされてますます怒り、剣に手をかけてランチ将軍に切腹するか軍の支配権を渡せと詰め寄った。
ランチは二人の副官(ガリヤ、ケース)に目配せし、やにわに片彦の両手を縛らせた。そして物見やぐらの高殿から眼下の谷川に片彦を投げ込ませて殺害した。
ランチは得意になり、皆で踊ろうと提案した。あまり踊ったためか、二人の美人が頭にかぶっていたかつらがぽたりと落ちた。ランチと二人の副官があっと驚くとたんに、二人の美人は恐ろしい妖怪のような顔と変わり、大口をあけて迫ってきた。
三人は驚いたとたんに手すりにしりもちをついた。手すりはメキメキと音をたてて壊れ、三人もまた川に落ち込で沈んでしまった。
お民は、物見やぐらに上がって行った片彦が帰ってこないので、様子を見に梯子を上ってみれば、大きな白狐が二匹いて、お民をにらみつけた。お民は驚いて梯子から落ち、気絶してしまった。はるか向こうの方から涼しい宣伝歌の声が聞こえてくる。
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02 07 〔1261〕
精霊界は善霊・悪霊が集合する天界と地獄の中間的境域である。人の死後、八衢の中心にある関所に来るためにはいろいろの道をたどることになる。
東から来る者は良い方の精霊たちである。西から来るものはやや魂が曇っており、剣の山を渡ってくる。北から来るものは氷の橋を渡ってくる。南から来るものは燃えている山を通ってくる。
東北東からは身を没するばかりの雪の中を、東南からは枯れ野原を、西南からはけわしい岩山を、西北からはとがった小石の道を足を痛めながらやってくる。こうして苦しみながら八衢へ来るのは、いずれも地獄へ行く副守護神の精霊ばかりである。
善霊はいずれの方面から来ても、生前に尽くした愛善と信真の徳によって、精霊界をやすやすと歩いていくことができる。
八衢の関所は、正守護神も副守護神もすべてのものの会合するところであって、ここで善悪真偽を調べられ、あるいは修練をさせられ、ある一定の期間を経て地獄に落ちたり天国へ昇ったりするのである。
片彦は針の山を通って八衢の関所やってきた。関所の守衛は片彦を呼び止め、身柄を拘束した。片彦は金剛力を出して綱を引きちぎり、館の戸を無理に押しあけて走ってきて門の敷居に躓いて倒れてしまった。
ランチ将軍、副官のガリヤ、ケースが東の方からやってきた。三人は殺したと思った片彦が倒れているのを見つけて揺り起こした。片彦はランチ将軍と二人の副官を認めると、怒って挑みかかった。
ランチ将軍は、いさかいの元になった美人たちは妖怪であり、自分たちも高殿から川に落ち込んでここへやってきたのだ、と経緯を説明した。そしてこうなった上はまた旧交をあたためようと仲直りを申し出た。
そこへお民がやってきて合流した。お民はここは死後の八衢の関所だと伝えるが、ランチたちは信じない。そこへ十人ばかりの守衛たちが得物を手にしていかめしく五人の周りを取り囲んだ。
ランチはまだ自分が生きている気になって守衛たちを威嚇するが、逆に守衛に一喝され、ようやくもろ手を組んでいぶかり始めた。
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02 08 〔1262〕
精霊が肉体を脱離して精霊界の関所に来たとき、その初めの間の容貌は、現界にいたとき同様である。このときはまだ外分の状態にあり、内分が開いていないゆえである。
しばらくしてその面貌、言語などはおいおい転化して、ついにまったく以前の姿と相違する。精霊が現界にあったとき、その心の内分においてもっとも主となっていた愛すなわち情動の如何に相応するからである。
死してまだ時を経ない精霊は、その面貌や音声にて知己・兄弟・親・親族たるを一目で認識することができるが、時を経るにしたがって互いに相知ることができないまでに変化するものである。
霊界にあっては、わが有するところの愛と相反した面貌を装うことはできない。その思想・意志・情動のままが表に現れる。霊界にある者は内分の度の如何によって円満となり善美となる。最高第一の天国および霊国の天人の面貌や姿の美しさは、いかなる画伯が技術を尽くしても万分の一も描き出すことはできない。
ランチ将軍、片彦将軍、ガリヤ、ケースたちは関所の門口で赤面の守衛に取り調べを受けた。片彦は守衛にいちいち生前の悪事を突き付けられて汗をかいている。予審が済んだ片彦は館の中に拘引され、本審を待つことになった。
次にランチが取り調べを受けた。番卒は、片彦に比べればまだ罪が軽く、正直なところも見られると判じたが、取り調べ中に偽善の罪を造ったことによって、地獄行きに決まってしまった。二人の副官もその利己心から地獄行きと判じられて引き立てられた。
赤の守衛が休息する間、お民は白の守衛の側に進み寄って話しかけた。白の守衛はお民が悪をなしながらも正直なところから、中有界で修業をすれば天国に行けるだろうと答えた。そしてランチ将軍やお民たちが、不思議にもまだ生死簿に生命が残っていると語った。
そこへ蠑螈別とエキスがやってきた。そしてはるか向こうからお寅婆さんが近づいてくる。蠑螈別はここが冥途だと気付かず、お民としばらく押し問答になる。白の守衛は、蠑螈別の酔いが覚めるまで休息するから、自分の代わりにしばらく帳面の番をしてくれとお民に依頼した。
お民は白の守衛の霊に充たされて門番をつとめることになった。そこへお寅がやってきた。これは、お寅婆さん本人が改心したために遁走した副守護神が、お寅の容貌をそのまま備えてここに迷ってきたのである。
お寅の副守は蠑螈別を見つけると、ゆすり起こして鼻をねじ上げた。そして蠑螈別が九千両の金をエキスたちに上げてしまったと聞くと、今度はエキスに詰め寄って鼻をねじりあげた。
すると番をしていたお民がお寅の罪状を読み上げて、予審の取り調べを始めた。お寅の副守護神は、お民を認めるとののしり、狼のような声をあげてお民にむしゃぶりついた。
お寅とお民は取っ組み合ってもみあっている。そこへ蠑螈別とエキスが割って入って仲裁しようとするが、蠑螈別もやけくそになって殴る蹴る、皆誰彼なしにわめきたてる。
この声を聞きつけて赤と白の守衛がこの場に現れた。赤は大きな鉄棒を振り上げて一喝した。この声に驚いて、お民、お寅、蠑螈別、エキスたちは散り散りバラバラに逃げ去ってしまった。赤と白の守衛は、皆の命が尽きていないので、娑婆に追い返したのであった。
ただ、お寅の副守護神だけはどうしても捕えて地獄に落とさなければならないため、番卒を派遣して捕縛させることになった。
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02 09 〔1263〕
高天原の霊国および天国は光明の世界である。その光明は実性において神真である。すなわち霊的神的証覚である。また天人は高天原の愛の熱に包まれている。この熱は実性において神善・神愛にして、われわれがますます証覚に入ろうとする情動、願望を有するのは、この熱より来るのである。
高天原の霊国・天国は万善の集合所であり、天人の証覚の程度は、現界人の口舌のよく尽くしえるところではない。大本開祖の真湯も、その密意は現代人では容易に解し難いが、智慧証覚のはる天人には直ちに無辺無量の密意を諒得することができる。
この語辞については霊界物語第二輯第三巻(第十五巻)第一天国というところにその状況を示していあるので参照されたい。
ゆえに人間はその精霊を善と真とに鍛え上げ、生きながら高天原の団体に籍を有するようにしなければ、大本の神諭は容易に解釈することはできない。国祖大国常立尊が厳霊として顕現し、稚姫君命、国武彦命等の精霊にその神格を充たし、そうして天人の団体に籍を有する予言者である出口開祖の肉体に来して、大神の直々の御教えを伝達されたものだからである。
しかしながら大神は至仁至愛にましますがゆえに、神諭の密意を自然界の人間に容易に諭らしむために瑞霊の神格を精霊に充たし、変性女子の肉体に来らしめ、その手と口を通して霊界の真相を覚らしめ給はんとの御経綸をあそばしたのである。
神格に充たされた天人すなわち本守護神の言語は衝動と相一致し、一々概念と一致するものである。内辺の天人は言者の音声および言う所の僅少なる語字によってその人の一生を洞察し知悉し得るのである。
人間の想念および情動はその声音に現れ、皮膚に現れ、霊的智者賢者の前にはこれを秘することができないものである。しかし心に欲があり悪を包み利己心あるときは、情動は鈍り知性はおとろえて、人に欺かれ失敗を招く。
すべてのこの宇宙は至善至真至愛の神が目的のために万物を造り、相応の順序によって人間を神の形体に作り、神業を完全に遂行せしめ給はんとして万物の霊長として人間を世に下し給うた。人間は神界の秩序整然たる順序を守り、善のために善をなし真のために真を尽くさねばならない。
しかし神が人間に自由を与えて十二分の神的活動を来さしめ給はんとしたのを、人間が次第に神に背き曲神等の捕虜となり、神を無視して暗黒無明の世界が現出したのである。ここに大神は現幽神三界の大革正を遂行するために予言者を地上に降し、一定の猶予期間を与えて人間に対して神の愛を覚らしめ、行動を改めしめようと画策し給うたのである。
さて、ランチ、片彦、ガリヤ、ケースたちは伊吹戸主神のはらかいによって地獄に追い込められることになった。四人は斜め下方に続く暗黒の隧道を次第に下って行く。最後に、大きな川が横たわって細い長い橋が架けられている少し広いところに着いた。
ここには武装し厳めしい顔をした冥官が武装して二十人ばかり控えていた。冥官の一人が前に進み寄って四人に説明をした。非常な悪業を盛んにやった四人は、この橋を渡りきらなければ娑婆に帰れないのだという。
橋の幅はわずかに一尺ばかり、手すりもなく上下左右に揺り動いている。橋の下の激流には怪物が大口を開けて通行人が落ちてくるのを待っている。橋の上は膚をつんざく寒風が吹き、いやらしい声が八方から聞こえている。
ランチは恐ろしさに身体すくんで震え、冥官に許しを乞うた。冥官は、身魂が地獄に落ちるのを望む者は一人もない、自らの罪業によってこの罪人橋を渡るよう準備をなし、永久の住処を地獄に作った以上、誰も救うことはできないのだ、と涙を流して説明した。
冥官は四人の霊衣を見て、まだ冥途へくるべき命数でないことに気が付いていぶかった。そこへ我利我利亡者の一隊が現れて四人に武者ぶりついた。四人は悲鳴を上げて泣き叫んでいる。
このときどこともなく天の数歌がかすかに聞こえてきた。見る見るうちに我利我利亡者たちは煙のように消えてしまった。そして冥官の姿も一人減り二人減っていく。宣伝歌の声がおいおい近づいてきた。薄暗かったあたりは次第に明るくなってきた。
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03 10 〔1264〕
自然界と霊界には惟神の順序によって相応がある。人間は天人の有するところをすべて有している。人間はその内分から見れば霊界に居る。しかしまた同時に、外分から見ると自然界に居る。
人間の自然的・外的記憶に属するものを外分と言う。人間の知識や学問等から来る悦楽および会館のすべて世間的趣味を帯びるもの、肉体の感覚、言語、動作が外分である。
外分は、大神より来る神的・霊的内流が止まる終極点の事物である。神的順序が究極するところは万物の霊長、神の生き宮、天人の養成所である人間なのである。ゆえに人間は神様の根底となり基礎となるべきことを知らなければならない。
このような尊い存在である人間が、内分を神に背けて高天原との連絡を断絶し、自然界と自己に向けて自己を愛し世間を愛し外分のみに向かっているゆえに、大神はぜひなく予言者という媒介人を設けて地上に降し、御経綸を行わせ給うたのである。
治国別は竜公とともに言霊別命の化相身である五三公に案内され、珍彦の館を後にして中間天国の各団体を訪問することになった。一行は樹木が秩序よく生えている金砂銀砂をしきつめた平坦な道を進んで行く。
道の両方には天国の田が展開し、涼風にそよぐ稲葉の音が心地よく耳に響いてくる。天人の男女は水田に入って草取り歌を歌いながら草を取っている。
五三公は、天国では土地は全部団体の公有でありながら、みな一切平等に御神業と額に汗をして神様のために活動し、それぞれの愉快に立ち働いているという。そして、天国にも貧富はあるが、貧富は現界のようによく働く者が多くの報酬を得るのではなく、神様の賜うところであるという。
各人の努力によって獲得するものではなく、現界にあるときに尽くした善徳の如何によって貧富が惟神につくので、貧者は富者を見てこれを模範とし、善徳を積むことのみを考えるのだという。
治国別の問いに答えて五三公は、天国の富者は現界にあるうちによく神を理解し愛のために愛をなし、善のために善をなし、真のために真を行い、自利心を捨てて神の国の建設のために心身を尽くして現界で十分に活動した者たちだと説いた。
竜公も交えて四方山話した後、五三公は霊陽山の名所に二人を案内しようと歩を進めた。一行は天国街道を進み霊陽山のふもとについた。五三公は、ここは第二天国の有名な公園地であると紹介した。
二人の目には天国の公園の景色はかすんで見えたが、五三公に言われて被面布をかぶり、麗しい公園の花卉・庭園を見ることができた。五三公の諭しを聞いて、二人もようやく被面布を取っても花園の光景を見ることができるようになってきた。二人は神の御恵に感謝した。
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03 11 〔1265〕
高天原に発生する樹木は、仏説にあるように金、銀、瑪瑙、硨磲、瑠璃、玻璃、水晶などの七宝をもって飾られたごとくに美しい。神社、殿堂、その他住宅も内部に入ると愛善の徳と信真の光明に相応して驚くばかりに壮観で美麗である。
天国の団体はたいてい高いところに住居を占めている。その場所は自然界の山岳の頂上に掃除している。霊国の団体は少し低いところ、丘陵のようなところに住居を定めている。
霊国の天人は信の徳を主とし、愛の徳を従としている。智慧と証覚を磨き、宇宙の真理をよく悟り、次いで神の愛をよくその身に体し、天国の宣伝使として各団体に派遣される者が多いため、最高ならず最低ならず、中間の場所に位置を占めることになっているのである。
天人の中で団体的に生活を営まず、珍彦のように家々別々に住居を構えているのは、天人中においてももっとも智慧証覚にすぐれているため、光明が輝きわたり、惟神的に中心人物となるがゆえである。
また霊界においては時間空間の観念はなく、ただ情動の変化があるのみである。治国別と竜公が浮木の森で深い落とし穴に墜落し、人事不省となって霊界を巡覧したのはよほど長い旅行のようであるが、現界の時間でほんど二時間以内の間失神状態にあったのみである。
治国別と竜公は五三公に導かれて霊陽山の中央まで登りつめた。このとき五三公はまばゆい小さな火団となって空中に姿を隠してしまった。二人はそれに気づかず、天国の荘厳をうつつになってほめたたえていた。
二人は大神に感謝を述べ、天津祝詞と天の数歌を唱えた。あたりを見ると五三公の姿がないことに気が付いた。二人は自分たちの情動に慢心があったのではないかと省み、神様へのお詫びをするほかないと話し合っていた。
すると足下の土から片彦将軍が頭を突き出して現れた。そして二人に対して、ここは天国の霊陽山ではなく、バラモン教の聖場大雲山であり、悪神の力を使って二人をたばかって連れてきたのだと高笑いした。
片彦は家来に命じて二人を取り巻き、三五教を棄ててバラモン教に降参するように迫った。思案に暮れていた治国別は顔を上げて高笑いし、自分の神霊は万劫末代大神に信従するのみであり、これ以外に返答はないと言い放った。
竜公もまた片彦の脅しに屈せず、ここは第二天国の神聖な場所だと一喝し、音吐朗々と神言を奏上し始めた。治国別もそれに合わせた。
片彦は部下を集めて二人を金棒で粉砕せしめようとしたが、二人が神言を奏上し終わり「惟神霊幸倍坐世」と唱えると、片彦たちの姿は消えて四辺に芳香が薫じ、嚠喨とした音楽がしきりに聞こえてきた。
二人はここはやはり第二天国であり、片彦は悪魔の襲来でなく、神様のお試しだったのであろうと納得した。そこへ麗しい神人が現れて近寄り、二人が第二天国の試験に合格したことを告げた。そして、最奥天国の巡覧修行へと二人を案内した。この神人は言霊別命であった。
本文
03 12 〔1266〕
高天原の大主宰神は大国常立尊である。またの御名は天之御中主大神と称え奉る。その霊徳が完全に発揮し給う御状態を称して天照皇大神と称え奉るのである。
この大神様は厳霊と申し奉る。厳という意義は、至厳至貴至尊にして過去、現在、未来に一貫し、無限絶対無始無終にまします神という意義である。愛と信との源泉と現れます至聖至高の御神格である。
あるときには瑞霊と現れて、現界、幽界、神界の三方面に出没し、一切万有に永遠の生命を与えて歓喜悦楽を下し給う神様である。瑞という意義は、水々しということであって、至善至美至愛至真にましまし、かつ円満具足の大光明ということである。また霊力体の三大元に関して守護し給うゆえに三つの御魂と称え奉り、現・幽・神三界を守り給う。
神は宇宙にただ一柱ましますのみであるが、その御神格の情動によって万神と化現し給うものである。厳霊は経の御魂と申し上げ神格の本体とならせ給い、瑞霊は実地の活動力におわしまして御神格の目的(用)をなし給うべく現れ給う。ゆえに言霊学上、瑞霊を豊国主尊と申し奉り、また神素盞嗚尊とも称え奉るのである。
厳霊は高天原の太陽と現れ給うが、瑞霊は高天原の月と現れ給う。ミロクの大神を月の大神と申し上げる。ミロクは至仁至愛の意味である。その仁愛と信真によって宇宙の改造に直接当たらせ給うゆえに、漢字にて弥勒すなわち「いよいよ革む力」と書く。これによってこの神の御神業を知ることができる。
善悪不二、正邪一如ということも、自然界の法則を基礎としてはとうていその真相はわからない。これらの言葉は、自然界の人間が言うべき資格はない。ただ神の大慈大悲の御目より見給いて仰せられる言葉であって、その大愛に区別がないことを示しているのである。
人は自然界に身を置きながらも、霊主体従といって神を先にし愛の善と信の智を主として世に立たなければならない。しかし現代人はどうしても体を重んじ霊を軽んじて物質的欲念にかられて地獄に落ちやすい。
こうした現界の不備欠点を補うために、大神は自ら地に降りその神格によって精霊を充たし、予言者に天界の福音を宣伝せしめ給うにいたったのである。
人間は天人の養成器となり苗代となるべきもので、天人は人間の善徳が発達したものである。ゆえに人間は、現界の生を終えて天国に復活し、天国をますます円満ならしめるべく活動するために、大神の目的によって造られたのである。
大神の神格の内流は終極点である人間の肉体に来たり、そこに留まってその霊性を発達せしめ、しかして天国に復活し、ここに初めて天国各団体を構成するに至るものである。ゆえに人は天地経綸の司宰者といい、天地の花といい、神の生き宮と称えるゆえんである。
治国別と竜公は、言霊別命の案内によって第一天国に着いた。ここには得も言われぬ荘厳を極めた宮殿が立っている。これは日の大神の永久に鎮まります都率天の天国紫微宮であって、神道家のいう日の若宮である。
宮殿の前の広庭には天人が列をなして一行が来るのを歓喜をもって迎えていた。言霊別命はこの情景を指さして二人に示したが、二人はただ輝く光と天人の姿がかすかに見えるだけであった。
二人は言霊別命の後にしたがい、天人たちが歓迎する中、被面布をかぶって静かに進んで行った。言霊別命は門内に二人を待たせて奥に進んで行った。二人は園内の美しさに驚きに打たれて吐息をもらしている。
そこへ目もくらむばかりの光を放ち、ゆうゆうと入り来る天女があった。二人は思わず大地にしゃがみ敬礼を表した。この女神は西王母といって伊邪那美尊の御分身、坤の金神であった。
女神は言霊別命が奥殿から帰ってくるまで、二人に庭園を巡覧させようと桃畑に導いた。庭園は前園、中園、後園に区画されており、西王母は二人に桃園の説明をしながら案内した。
前園の桃は三千年に一度熟し、これを食う者は最高天国の天人の列に加えられる。中園の桃は六千年に一度実り、これを食う者は天地とともに長生きし不老不死の生命を続けることができる。後園の桃は九千年に一度実り、これを食う者は天地日月と共に生命を等しくする。
西王母はこの因縁の詳細を治国別に説いた。この密意は容易に発表することはできない。しかし桃は地上においては三月三日に花咲き、五月五日に熟するものであることは、この物語に示された。これによってこの桃にどんな御経綸があるかは推知できるであろう。
西王母はひとたび地上に降臨して黄錦の御衣を着し、数多のエンゼルと共にこれを地上の神権者にささげ給う時機があることは、現在流行の謡曲によっても推知することができるであろう。
西王母は桃園の案内を終わり、二人に別れを告げて神姿を隠し給うた。二人はその後ろ姿を伏し拝み、示された神界経綸の密意を覚り合掌して感涙にむせんだ。
そこへ、紫微宮の黄金の中門を開いて現れ来た美しい天女が五色の光輝に満ちた羽衣を来て現れ来たるその荘厳さとその円満の相は、二人にとっても天国巡覧以来初めてであった。
十二人の天女たちは無言のまま二人を差し招いた。今まで聞いたこともない微妙な音楽が四方から起こり、芳香馥郁として薫じ、二人は歓喜に充たされてかすかに天津祝詞を奏上しながら進んで行った。
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03 13 〔1267〕
治国別、竜公が十二人のエンゼルに導かれて進み入った宮殿は、兜率天の前殿または前宮であった。最奥の御殿は大至聖所と称えられる大神の御居間である。大神の御居間には、いかなる徳高いエンゼルでも踏み入ることはできない。
日の若宮といい、証覚のもっともすぐれた天人がただはるかに大神の御姿を拝することができるのみである。大神は天人の諸団体の前に太陽として現れ給い、その徳に応じて和光同塵的に光を減じて現れるのである。
大至聖所における大神の御経綸とその御準備に至っては、いかなる証覚のすぐれた天人といえども明白にこれを意識することはできないのである。
高天原に置いては、大神を源泉とする善徳の程度によって差別が生じるのみである。大神はすべての天人を導き、おのおのその所に安んぜしめ、天人が愛と信と智慧と証覚を得てその生涯を楽しましめ給う。
言霊別命は奥殿深く進み、治国別と竜公が神界の都合によって天国巡覧の修業に上り来った由を奏上し、大神の許しを受けて盛大な酒宴を前殿において催すこととなった。
正面に言霊別命が正座し、並んで西王母が右に座を占め、治国別と竜公はそのそばに席を設けられた。十二人エンゼルは麗しき葡萄の酒を捧げた。そして麗しい桃の実を一つずつ載せて治国別と竜公の前に据えた。
西王母は、大神の血と肉にもたとえられる貴重な葡萄酒を治国別と竜公の杯に注いだ。この葡萄酒を飲むときは心のすべての汚れを払しょくし、広大な神力を授かり永遠の生命をつなぐことができる。
次に西王母は桃の実をすみやかにこの場で食すよう二人に促した。この桃の実は前園になったものであった。西王母は一言も発せずにこにことうれしげに二人の顔を眺めていた。十二人の天所は音楽を奏し歌を歌い、舞を舞った。
竜公は玉依別という神名を賜った。竜公は感謝の意を表そうとしたが、天国の光に打たれて一言も発することができなかった。西王母でさえ、大神の御側近き神殿においては謹慎し一言も発し給わないのである。
しばらくすると、天女の舞姫は二人の婦人を先に立ててこの場に現れた。治国別がよくよく見れば、婦人は一人は紫姫、一人はお玉の方であった。紫姫は玉照彦、お玉の方は玉照姫を抱いていた。二人は西王母の目配せで玉照彦を治国別に、玉照姫を竜公の懐に抱かせた。
しばらくすると天女二人が治国別と竜公の前に進み来たり、玉照彦と玉照姫を大事そうに抱き取ると、奥殿の大神の御殿に進んで行った。言霊別命は西王母に目礼をなし、二人を手招きして御殿を去って行った。
二人が玉照彦・玉照姫を懐に抱いたことには深い意味があったのだが、二人はまだそれを解し得なかった。いずれ判然とする時が来るであろう。読者は楽しんで発表の時機を待たれることを希望する次第である。
三人が表門に出ると、幾千人もの麗しい天人が、金色の旗を翻しながら三人を祝し出迎えた。治国別と竜公は夢ではないかと思いながら、天津祝詞を奏上しつつ天人の歓びの声に送られて言霊別命と共に進んで行った。
言霊別命は麗しい山上に二人を伴い、四方の風景を眺めながら腰を下ろして休息した。言霊別命は、ここは第一天国の楽園で聖陽山であると二人に説明した。そして自分の使命はこれで終わったと告げた。
今や生命の酒と天国の桃の実をいただいた二人は、天人の言語を明瞭に理解できるようになっているので、自由に天国団体を巡り、月の大神のまします霊国の月宮殿に参拝の後、帰還するようにと言い残すと大光団と化して姿を隠し給うた。
治国別と玉依別(竜公)は感謝の涙に袖をうるおした。これより二人は天国の諸団体を訪問し、天人より歓待を受け、霊国の月宮殿を目指して進んで行った。二人はさまざまの花咲き匂う霊国の大野ケ原に立っていた。
一人の宣伝使があたりに霊光を輝かせながら近づいて二人を呼び止め、自分は大八洲彦命であると名乗った。二人は月照彦神の前身である霊国宣伝使に出会い、感謝の涙に暮れ、大八洲彦命についていく。
大八洲彦命は月照山に二人を導き、この奥に月の大神様の月宮殿があると案内した。三人は七つの門をくぐって邸内深く進んで行った。大八洲彦命は殿内にて珍しい果実や酒で二人を饗応した。二人は食しつつ、天津祝詞を怠らなかった。
奥殿より金色燦爛たる御衣を着して現れた大神は、西王母であった。大八洲彦命は西王母にうやうやしく頭を下げ、治国別と玉依別両人が天国の修業を果たせたと報告し、感謝の念を述べた。大八洲彦命は、西王母を月の大神様と呼んだ。
西王母は二人をねぎらい、これから天の八衢に戻ってアーク、タールの両人が迎えに来るのを待て、と伝えた。そうすれば二人は元の肉体に帰り、素盞嗚尊の神業に参加できるであろうと言い残して別れを告げた。
二人はその後ろ姿を拝み、感慨無量の態であった。大八洲彦命もまた両人に別れを告げて姿を隠した。二人は祝詞を奏上しながら中間天国、下層天国と下りて行き、神業に参加すべく天の八衢指して帰って行く。
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03 14 〔1268〕
日の若宮にて神徳を摂受した二人は、第二、第三天国の旅行にはもはや何の苦痛もなかった。しかし降り来るにつれて、その神力が減退し想念も劣ってくるように思われた。
八衢の関所に着くと、伊吹戸主神が数多の守衛を率いて二人を歓迎し歓談した。伊吹戸主神は、天界は厳格に証覚に応じて区切られており、通常は層を超えての行き来はおろか、意志の疎通もできないものであるが、二人は大神様の特別の許しをうけて霊国宣伝使に伴われて上ったから、首尾よく巡覧できたのだと説明した。
八衢へ来てから天国で摂受した証覚が鈍ってしまったと心配する治国別に対して、伊吹戸主神は、現界では最奥天国の証覚は必要ない、ただ愛と信のみを基礎とすべきであると諭した。
そして、最高天国の消息を伝えたところで猫に小判を与えるようなものであるから、現界では、中有界の消息を程度として万民を導くがよく、その中で少し身魂が磨けた人間に対しては、第三天国の門口程度で諭すのがよいと答えた。
あまり高遠な道理を明かすと、かえって疑惑の種をまき、霊界の存在を認めない者を作ってしまいかねない。また現界の学者たちが霊界の消息を探ろうと研究会などを設立しても、霊相応の理によって中有界の一部にしか踏み入ることができないのだから、彼らに天界は理解できないだろうと続けた。
伊吹戸主神は、竜公には「玉依別」という神名は霊界で賜ったものであるから、現界では使用してはならないと気を付けた。落胆する竜公に、伊吹戸主神は二人の精霊がいただいた神徳は潜在的に保たれて決して廃れないと説明した。
しかしまた、自身が油断したり慢心したりすると、その神徳は脱出してしまい神の御手に帰ってしまうと注意も与えた。
伊吹戸主神は、自分たち祓戸四柱の兄弟たちが日の大神の貴の御子でありながら、あらゆる汚れを取り除き清める職掌を司っていることを喩に引いて、二人に教示を与えた。治国別と竜公は、神恩の甚深なることを感じ、その場に打ち伏して感謝した。
伊吹戸主神は二人に別れを告げた。二人はその後ろ姿を見送り恭しく拝礼して館を立ち出で、白と赤の守衛に感謝を述べて八衢の関所を後にした。
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04 00 - 本文
04 15 〔1269〕
治国別と玉依別(竜公)は、八衢を逍遥しながら四つ辻の辻堂の前に差し掛かった。二人はあたりの様子から、娑婆が近くなってきたことを知り、伊吹戸主神様の忠告を思い返しながら雑談にふけっている。
そこへ蠑螈別とエキスの精霊が酔っ払ってやってきた。いずれも肉体に帰ることができる精霊であるので、互いに意思疎通ができた。蠑螈別は、お民がここを通らなかったかと治国別と竜公に尋ねた。
蠑螈別は竜公が知らないと答えると、お民を隠しているに違いないと言いがかりをつけてきた。エキスはもうお民やお寅にかかわるのはこりごりだと辟易している。
蠑螈別が治国別を殴ったので、蠑螈別と竜公は喧嘩になり、蠑螈別の助太刀にはいったエキスも合せて三人とも金玉を握り合って目を回し、その場に倒れてしまった。治国別はあわてて天の数歌を上げ、鎮魂を施した。竜公は息を吹き返し、蠑螈別とエキスは起き上がると、雲を霞と逃げてしまった。
二人の耳には、アークとタールが呼ばわる声が聞こえてきた。にわかにぱっと明るくなったと思うと、治国別と竜公の身は、浮木の森の陣営のランチ将軍の居間に横たわっていた。枕元にはアークとタールが心配そうな顔をして控えていた。
アークとタールは、二人がランチと片彦の計略にかかったことに気が付き、ランチが留守の間に縄梯子を下ろして二人を引き上げ、介抱していた。四人は互いに無事を祝し、大神の前に端座して祝詞を奏上した。
治国別は蠑螈別の身の上が気にかかって探しに行き、雪が人間の形に積もって高くなっているところを発見した。治国別と竜公は、雪の中から倒れていた蠑螈別とエキスを助け出した。
治国別はさらに、ランチ、片彦両将軍をはじめお民の身の上が気にかかると、物見やぐらに向かった。蠑螈別もお民の身の上が心配だと聞いて、治国別たちと一緒に向かった。
本文
04 16 〔1270〕
治国別・竜公と別に小北山を経由してやってきた松彦たちは、これまでの出来事を述懐する宣伝歌を歌いながら進んでくる。(第46巻第23章からの続き)
五三公は、宣伝歌の中で自分が言霊別命の分身であることを明かし、治国別と竜公にもうすぐ面会できると松彦に告げた。そして歌い終わるとともに、五三公の姿は煙のように消えてしまった。大空には、五三公が大火団となって帰って行く様が見えた。一同はこの不思議な出来事に驚き、立ち止まって拍手し、その英姿を拝みながら涙した。
さらに歌いながら一同がやってくると、浮木の森の陣営の物見やぐらが目に付いた。その近傍はバラモン軍の兵卒がたくさん集まって、右往左往しわめき叫んでいる。
松彦は、もしや治国別たちが遭難したのではないかと心がせいて、敵の陣中をものともせずにかけて行った。
本文
04 17 〔1271〕
ランチ将軍、片彦、ガリヤ、ケースの四人は、冥界の罪人橋の傍らにたたずみ、肌を切るばかりの寒風にさらされながら、かすかに聞こえる宣伝歌の声をせめてもの力として、ふるえながら声が近づいてくるのを待っていた。
我利我利亡者たちの姿は消えたが、同時に冥官たちもくぐってきた穴も消えてしまっていた。宣伝歌の声はおいおい高くなり、それに次いで数百人の声が前後左右から響いてきた。四人は絶望の淵に沈んでいた。
そこへ突然女神が二人の侍女を伴って現れた。四人は女神に向かって窮状を訴え、助けを求めた。女神は、自分は兜率天にまします日の大神のおそばに仕えるものであると述べた。そして、四人が体主霊従の行いを改めればきっと助けると答えた。
女神は、今聞こえてくる宣伝歌は三五教の宣伝使が四人を救うべく神に祈っている歌だと教え、懐中から大幣を出して左右左に打ち振った。四人の耳はたちまち開けて、歌の意味が明瞭になってきた。四人は両手を合わせ、大地にひざまずいてその歌に聞きいった。
よくよく見れば、その歌は女神の口から歌われていた。これまでのランチ将軍たちの罪悪を挙げて、改心を促す内容であった。
ランチ将軍は女神を紫姫だと知り、歌で自ら懺悔を述べ、救いを願った。片彦、ガリヤ、ケースもそれぞれ懺悔の歌を歌って改心の意を紫姫に現した。
紫姫は四人の改心の意を受け取り、ただ現界に戻るためには金勝要大神の御許しがいると一度姿を隠し給うた。ランチと片彦は互いに罪を謝し合い、ガリヤとケースは二人の物語を聞いて感嘆の息を洩らしている。
そこへ治国別、松彦、竜公、万公、アク、タク、テクたちの三五教宣伝使一行が宙を飛んで走り来たり、四人の前に整列した。そして、四人の悔悟の念が金勝要大神に通じお許しが出たことを告げた。
四人が目を覚ますと、物見やぐらに横たわって多くの人々に介抱されていた。またお民はお寅に救われていた。ふと見れば、先ほど罪人橋に迎えに来た三五教の宣伝使・治国別たちが枕元にいた。
彼ら四人は、治国別と松彦の一隊によって死体を河中から救い上げられ、天津祝詞と天の数歌の功力によってよみがえったのであった。お民も気が付けば、蠑螈別をはじめエキス、タール、アーク、お寅らが親切に介抱していた。
これよりランチ将軍をはじめ幽冥旅行の面々は心の底より前非を悔い、はじめて神素盞嗚大神の御前に両手を合わせ、罪を陳謝し、三五教に帰順することとなった。
本文
04 18 〔1272〕
浮木の森の陣営では、幽冥旅行無事終了の祝宴が開かれ、バラモン軍と三五教の和睦の宴も兼ねられた。三五教の大神を祭り、感謝祈願の祝詞を奏上した上で、広い居間に一同は円陣を作り、山海の珍味を集めて歌い舞った。
治国別はと竜公は、天界を讃える歌を歌った。ランチと片彦は、幽冥界のありさまを歌い、自らの罪を懺悔し三五教の宣伝使たちに救われた感謝を歌って戒めを示した。松彦とお寅はこれまでの経緯を歌い、浮木の森の陣営で人事不省となっていたランチ一同を介抱したときの様子を歌った。
お民は万公に歌を強いられ、おどけて自分が幽霊となって蠑螈別を怨む歌を歌い、また万公に取り憑くようにおどかして万公の肝を冷やし、一同の笑いを取った。
夜も更けたので、ランチは宴をお開きとし、一同は上機嫌で今に帰り寝に就いた。
本文
04 19 〔1273〕
コー、ワク、エムの三人の守衛たちは一室に集まって、ランチ将軍たちの蘇生の祝い酒に舌鼓をうちながら雑談にふけっている。
ランチ将軍と片彦将軍が幽冥旅行の末、三五教に改心して軍隊を解散するという噂について、コーは憤慨し自分がバラモン軍を指揮して三五教を攻撃すると息巻くが、エムがなだめている。そこへ上官のテルンスがやってきて、三人の噂は本当かと問いただした。三人は、余計な疑いを抱かれてはと心配し、あいまいな返事をした。
テルンスは、必ず真実を白状させると言い残して去って行った。エムとワクは、コーが余計なことをいうからだと責め立てた。コーは二人に自分が言ったことを言いつけられてはたいへんと剣を取って二人に切りつけた。
コーは雪の中、石につまずいて転んだところをエムとワクは必死に逃げ、テルンスの官舎に逃げ込んだ。そして、コーがランチ・片彦が三五教に転身した後は自分がバラモン軍を指揮してあくまで斎苑館に攻めこむと息巻いていることを注進した。
それを聞くとテルンスはコーを褒め、武士は人殺しと戦利品収納が商売だと説き始めた。それを聞いてエムとワクは疑問を呈した。テルンスはやにわに刀を抜くと二人を切り殺した。
本文
04 20 〔1274〕
テルンスは、ランチと片彦が三五教に惚けた今、自分が全軍の指揮権を握るチャンスがやってきたと打ち笑い、軍隊解散をよしとするエムとワクはランチと片彦の間者に違いないと独り言した。
そして、あくまで戦いを主張するコーと示し合わせてことをなそうと考えていた。そこへコーが剣を杖についてやってきた。テルンスは、戦争に反対するエムとワクはこのとおり切って捨てたので、ハルナの都にランチと片彦の裏切りを注進し、二人で全軍の指揮権を握って将軍となろう、とコーにもちかけた。
コーはテルンスの申し出を承知したが、にわかに首筋がぞくぞくして体が動かなくなった。コーはうわごとを言い始め、エムとワクの幽霊にさいなまれ始めた。やがて二人の死骸から青い火が現れてだんだんと大きくなり、テルンスとコーを責めたてた。
テルンスは手足が震えおののいて逃げることもできず、恐ろしい悲鳴を上げて助けを求めるのみであった。コーは雪の上を転げ、肝をつぶして伸びてしまった。
この有様をみた二人の夜警は驚き、片彦将軍に幽霊がテルンスをさいなんでいると報告した。片彦は実地検分に行ってみようと床から起き上がった。
またこの話を聞いたお寅は一人、先に現場に行ってみた。すると確かに幽霊がテルンスを責め立てている。お寅はそばに走り寄り、天津祝詞を奏上して天の数歌を歌った。すると二人の幽霊は煙のように消えてしまった。
よくよく見れば、エムとワクの二人は、酒に酔って雪の上に倒れているだけで、怪我ひとつしていなかった。テルンスは事の顛末におおいに驚き、自分の企みを包まず隠さずランチと片彦の前に自白し、罪を謝した。
この陣営には二千人ばかりの軍卒がいたが、ランチと片彦が三五教に帰順したことを発表すると、武器を捨ててどこかに自由に出て行く者もあり、鬼春別将軍に報告に行く者もあり、ハルナの都に忠義立てをして注進に行く者もあった。
浮木の森の陣営は解体され、この地は以前の平和な村落に戻った。治国別、ランチ将軍ほか一同の今後の行動は後日述べることとなる。
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