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霊界物語あらすじ

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ここに掲載している霊界物語のあらすじは、東京の望月氏が作成したものです。
まだ作成されていない巻もあります(55~66巻のあたり)
第6巻 霊主体従 巳の巻 を表示しています。
篇題 章題 〔通し章〕 あらすじ 本文
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宇宙には、現界、幽界、神界の三大区別がある。神界はもっとも貴く厳然たる世界であり、正神が集まって活動する。生成化育の神業を守護し、積極的な活動を営む世界である。生死を通じて人間の魂を支配する清浄潔白な神霊界である。高天原、天国、霊国、浄土、極楽、楽園とも言う。
幽界は邪神界である。消極的神業を執行する大禍津日神、八十禍津日神が、罪の御魂を成敗する醜い地下の世界である。幽界は、地上にも顕現することがある。根の国、底の国、または地獄と言う。
神界には、各階級の神霊があるが、それとともに、現界における正しい人々の本霊は神界にあって、現界の人を守護している。これが本守護神である。
本守護神が神界にあるときは、現界において行う事業はことごとく完成して成果を上げる。
しかし本守護神が邪神界に籍を置いているときは、精神が混濁して邪なことを行い、天下に害毒を流して何事もうまくいかず、成果が出ないのである。
現界において日夜活動するにあたっても、霊魂は神界または幽界を往来しつつあるのである。ゆえに、常に神を信じて神を敬い、神界と連絡を保つように信仰に励むべきなのである。
この霊界物語も、神代の太古の現界を主とし、神界と幽界の相互の関係を口述するのが主旨である。
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太古の神霊界における政治の大要を述べる。数百万年以前のことであり、高熊山の霊学修行中に王仁が見聞したままを記憶から呼び起こして吐露するまでである。
本巻は、諾冊二尊が天照大御神の御魂の大御柱を中心に天から降り、天の浮き橋に立ってくらげなす漂える国を修理固成し、現代の日本である豊葦原の瑞穂の中津国を胞衣とし神実として、地上のあらゆる世界を修理固成した経綸の大略を述べている。
それゆえ、舞台は日本のみではなく、地上神人界全体にわたって起こった出来事なのである。
太古の御神政は、神祭を第一とし、次に神政を行った。国々には国魂神があり、各国魂神はその国の神王、また八王といって八尋殿を建ててその至聖所に祭壇を設け、造化三神を鎮祭し、同殿同床で奉仕した。左守神、右守神(八頭)に神示を伝えて神政を司らしめた。
国治立命の御神政の時代には、天使長(あまつこいのをさ)という聖職があり、国祖の御神慮を奉じて各地の八王八頭を統轄していた。
諾冊二尊ご降臨の後は、伊弉諾の大神が八尋殿を作って造化三神を祀り、同殿同床の制を敷いた。伊弉冊尊は国の御柱神となって地上世界の主管者となった。
しかしながら時代が下るにつれて地上世界は体主霊従の邪気がみなぎり、収集できない状態になった。
ここにいたって、大神の神政を補佐するために、糞に成りますという埴安彦の神が現れて、天地の洪徳を世界に説示するために教えを立てて、宣伝使を天下に派遣することになったのである。
国祖・国治立命は天教山に隠れ、宣伝使を任命して地上世界に派遣した。これが、神代における治教的宣伝の始まりであった。このとき宣伝使に任じられた神人らは、多芸多能で、六芸に通達した神人ばかりであった。
後に埴安彦・埴安姫の二神が地上に顕現して麻柱(あななひ)の教えを説き、宣伝使を通じて世界の神人らの御魂の救済に尽くした。麻柱の宣伝使もまた、士農工商の道に通達し、天測を守り、忍耐を唯一の武器としてあらゆる迫害を甘受してその任務を尽くしたのである。
太古の人間の生活は決して楽なものではなかったが、天地の大恩を感謝して楽しく暮らしていた。地上の人間の数が増えるにしたがって弱肉強食の社会となってしまったのである。
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01 01 〔251〕 <div class="level1">大宇宙の元の始めは、湯気とも煙ともなんとも形容のしがたい一種異様の微妙なものが漂っていた。これがほぼ十億年の歳月を経て、無形・無声・無色の霊物となった。これを宇宙の大元霊という。</div> <div class="level1">日本の神典ではこの大元霊を天御中主神、天之峯火夫神という。仏典では阿弥陀如来、キリスト教ではゴッド、易では対極、中国では天帝、等々と呼ばれている。</div> <div class="level1">天御中主神の霊徳は、次第に宇宙に広がって行き、ついには霊、力、体を完成した。無始無終、無限絶対の大宇宙の森羅万象を完成させた神であるので、これを称して大国治立尊、天常立命、ミロクの大神とも言う。</div> <div class="level1">宇宙の大原因である一種微妙の霊物は、天御中主神の純霊として、霊力を産出するにいたった。これを霊系の祖神・高皇産霊神という。</div> <div class="level1">次に元子(または水素)を醸成した。これを体系の祖神・神皇産霊神という。この二神の霊と体から、一種の力徳が生じた。ほとんど三十億年を要して、霊・力・体がやや完成にいたった(造化三神)。</div> <div class="level1">水素は次第に集合して清水となった。高皇産霊神は、清水に火霊を宿したので、清水には流動する力が備わった。水の流体を葦芽彦遅神という。水は一切動物の根源をなし、これに火を宿すことで動物の本質である力徳が発生する。生魂(いくむすび)とはこのことを言う。</div> <div class="level1">次に火と水が抱合して固形物体が発生した。宇宙一切を修理固成する根源の力となる。これが常立神であり、剛体素という。玉留魂(たまつめむすび)である。玉留魂によって、宇宙は固体を備えるに至った。ここまで太初から五十億年かかっている。</div> <div class="level1">水を胞衣として創造された宇宙の中で、一切の円形のものは、水の微粒子の円形に基づいている。</div> <div class="level1">剛体は玉留魂の神威発動による。日地月星がようやく形成された。宇宙の大地は、ほうらくを伏せたような山と、剛流の混淆した泥海から成っている。</div> <div class="level1">玉留魂の神の神徳が発揮されて大地・海陸の区別がなった。軽くて清いものは大空となり、重くて濁ったものが下に留まって大地を形成した。</div> <div class="level1">流と剛、すなわち生魂と玉留魂の水火が合して不完全な呼吸を営み、その中から植物の本質である柔体・足魂(たるむすび)が完成した。これを神典では豊雲野命という。</div> <div class="level1">ここまできて、宇宙には剛(玉留魂)、柔(足魂)、流(生魂)の本質が完成された。</div> <div class="level1">これらの原子と原因は、互いに生成化育して発達し、動(大戸地神)、静(大戸辺神)、解(宇比地根神)、凝(須比地根神)、引(生杙神)、弛(角杙神)、合(面足神)、分(惶根神)という八力を産出した。</div> <div class="level1">この八力によって宇宙の組織が成就し、大地星辰はその位置を保つことができるようになった。こうして、大宇宙が完成するまでに、ほとんど五十六億万年を費やした。</div> <div class="level1">こうして大宇宙の大原因霊である天御中主神は五十六億万年かけて宇宙の一切を創造し、大国治立命と顕現した。そしてその霊魂を分派して我が宇宙に下したもうた。これが、国治立命である。国治立命は、豊雲野命と剛柔相対して地上に動植物を生成化育し、諾冊二尊を生み、日月を作ってその主宰神とした。</div> <div class="level1">しかしながら国治立命の神政も、年が経るにつれて邪気が宇宙に行き渡ったために、ご退隠を余儀なくされたことは、すでに述べたとおりである。</div> 本文
01 02 〔252〕
足真彦は鬼城山の麓にやって来た。鬼城山はかつて、棒振彦らが拠点として大八洲彦命ら天使に反抗し、大足彦とも大いに戦った邪神の住処である。
とぼとぼと歩く足真彦を後から呼ばわりながら追ってくる者がある。見れば、馬にまたがった老人と若者の連れであるが、怪しい素振りが見える。若者は、宣伝使に母の三回忌の供養をして欲しいので呼び止めたのだ、という。
魔神の住処の山中で行き暮れた足真彦は、これも神様のご縁と、怪しい主従について一夜の宿を借りることに決めた。
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01 03 〔253〕
足真彦がついていくと、深山に似合わない大きな館に案内された。しかし館の男たちの口ぶりが、どうも足真彦を害そうと待ち構えていたようである。また、自分を連れてきた男は邪神・鬼熊彦であることがわかった。
足真彦はそこで、とっさに聾唖のまねをして、一切の声が聞こえない振りをした。
耳が聞こえない振りで、鬼熊彦の罠の誘いに気がつかない振りをして避け、逆に奇妙な質問をして鬼熊彦をはぐらかしてしまった。
そこへ、絶世の美人が現れて宣伝使に一礼した。
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01 04 〔254〕
足真彦の前に現れた美人は、あたりに人がいないことを確認すると、自分はモスコーの春日姫であることを明かした。
月照彦神に導かれて宣伝使となっていた、鷹住別・春日姫夫婦は、互いに別れて宣伝の旅に出た。その途上、春日姫は従者の春姫とともに、鬼城山の美山彦にかどわかされて、この館に軟禁されていたのであった。
春日姫はまた、月照彦神もやはり鬼城山にとらわれの身になっていることを明かした。
春日姫の計略で、春日姫が美山彦になびいた振りをして酒を飲ませ、その混乱に乗じて邪神をこらしめ鬼城山を清めることとした。
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01 05 〔255〕
美山彦は、春日姫が結婚を申し出てきたことで有頂天になって部下に式の準備を命じた。
春日姫と春姫は、美山彦をへべれけに酔わせてひっくり返らせてしまった。そして月照彦神、足真彦とともに今後の作戦を協議した。
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01 06 〔256〕
一同は身を清めて立派な衣服を身に着け、天津祝詞を奏上した。そして美山彦を縛り上げると宣伝歌を歌った。美山彦は宣伝歌を耳にしてしきりに苦しみを覚えた。
美山彦は無念の歯噛みをなして悔しがったが、縄は強くいかんともすることができなかった。
また、大広間では一同の部下も酒に酔ったところを春日姫、春姫に縛られて、叫喚の声を発していた。
宣伝使たちは宣伝歌を歌うと、縛られた邪神の部下たちは苦しみ転げまわった。春日姫は鬼熊彦に向かって、常世城の蚊取別ではないか、と問い詰めると、果たして縛られたままに白状した。
一行はさらに宣伝歌を歌って皆に憑依していた邪神を退去させると、縄を解いた。鬼城山の面々は両手を合わせてひざまずき、宣伝使たちに神恩を感謝した。
美山彦は天教山への帰順を誓った。宣伝使たちは鬼城山を下ると、ナイヤガラの瀑布に身を清め、ふたたび諸方に遍歴を続けた。
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01 07 〔257〕
鬼城山にて四人の宣伝使が一同に解したのも、またく大神の経綸の糸によるものであった。一行はナイヤガラで禊を済ませると、東西南北に散っていった。
宣伝使はあくまで同行者なく、他人を杖につくことは現に戒めなければならない。山野河海を跋渉し、あらゆる艱難辛苦をなめて身魂を練磨して、神明の命じた天職を喜んで尽くすべきものである。神を力に、誠を杖に、悪魔を言向け和すものである。(宣伝使は一人旅ということが教えられている)
春日姫は常世の国を北東に進み、東岸に着いた。港には純白の真帆を揚げて入港してくるいっそうの船があった。船には、紫の被面布をかけた宣伝使が、へさきに直立していた。
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02 08 〔258〕
船の安着に、宣伝使は白扇を広げて祝の宣伝歌を歌った。春日姫はその歌に耳を傾けて聞き入っていた。
宣伝使は弘子彦神であった。そして、港に春日姫の姿を認めると、姫に歌いかけた。春日姫もまた、弘子彦に鬼城山での出来事を歌に歌い返した。
弘子彦が岸に着くと、二人は傍らの森林に入って人目を避けた。
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02 09 〔259〕
一方、船の底で旅の疲れに疲れ果て、夢を見ていたのは、鷹住別であった。鷹住別は夢の中に、妻の春日姫の姿を見ていた。宣伝の旅にやつれた妻の姿を見た鷹住別は、思わず、宣伝の使命は終わったので一緒にモスコーに帰ろう、と問いかけた。
そこにガラガラと碇を下ろす音が聞こえて、鷹住別は夢を破られた。鷹住別は岸に上陸すると、空を眺めて思わず望郷の念に駆られていた。
すると、どこからともなく『天に代わりし宣伝使。心ゆるめな、錨を下ろすな。浮世の荒波に向かって突進せよ』という声が雷のように響いた。
鷹住別は自らの心の弱さを天地に謝罪し、常世の国を横断すべく進んでいった。
さて、森林にて弘子彦と春日姫は、しばし来し方を語り合って旅の疲れを慰めあっていたが、港の方から船の出港を呼ばわる船頭の声が聞こえると、二人は心を励まして立ち上がり、名残を惜しみつつ春日姫は埠頭へと向かっていった。
弘子彦は西方指して、常世の国を宣伝すべく別れて行った。
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02 10 〔260〕
春日姫は常世の国から出港する船に乗った。船の名前は偶然にも春日丸といった。
港から離れていく船から、ふと常世の国を見ると、そこには夫である鷹住別が立っていた。
船上の春日姫を認めた鷹住別は、行き違いになった妻の宣伝の無事を祈る歌を歌い、見送った。また、春日姫は船中で夫に対する惜別の歌を歌った。
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02 11 〔261〕
船で常世の国を去り、長白山を宣伝のため進んでいた春日姫は、毒蛇にかまれて行き倒れてしまった。そこに長白山を宣伝していた春姫が出会い、二人は偶然の出会いに涙した。
久しぶりの邂逅の感慨に浸るまもなく、二人を山賊が取り囲んだ。山賊たちはウラル彦の手下であり、二人が天教山の宣伝使であると知ると、襲いかかろうとした。
しかし春日姫は宣伝歌の言霊で山賊たちを打ち倒し、春姫が指から霊光を放射すると、山賊たちは戦意を失ってしまった。また、そこへ日の出神の宣伝使が現れ、山賊たちは一目散に逃げ出した。
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02 12 〔262〕
日の出神は薬草を探し出して、春日姫の毒を治した。そして、天恩郷で南天王の妃として君臨しているはずの春日姫が、なぜこのような山奥で宣伝使として旅をしているのか、問いただした。
春日姫は天恩郷を逐電してから今までの経緯を日の出神に語った。日の出神は春日姫の身の上を聞くと、両親に孝養を尽くし、夫の帰還を待つためには、モスコーに帰って家を守るのも努めである、と諭した。春姫もまた、日の出神の助言に従い、モスコーに春日姫を送っていこう、と諭した。
しかし春日姫は、いったん神の道に宣伝使として思い定めたからは、たとえ山野に屍をさらすとも、初心を枉げることはできない、と決心のほどを明らかにした。
日の出神・春姫ともに、春日姫の決心の強さに感嘆し、それ以上は何も言わずに長白山を降り、また三人三方へと宣伝の旅に散っていった。
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02 13 〔263〕
長白山では山人たちが、最近獣が取れないことを話の種に、四方山話にふけっていた。
そこへ、西方の谷間に大音響が響くと、黒と赤の二匹の巨大な大蛇が谷川めがけてまっしぐらに降ってくるのを目撃して、一同は肝を冷やした。
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02 14 〔264〕
話は少しさかのぼり、ウラル山から盤古大神を脱出させ、エルサレムに奉安した日の出神は長白山に渡って宣伝を行っていた。
長白山はかねてよりウラル彦に帰順していたが、ある日八王の有国彦は、長白山が大洪水に見舞われるという恐ろしい夢を見た。それより八王夫婦は長白山の国魂・白玉宮に詣でて神に祈願し、人々に警戒をするように命じた。しかし八頭の磐長彦をはじめ部下や国人たちは、誰も有国彦夫婦を信じなかった。
そこへ日の出神が長白山の宣伝に表れた。長白山の神人らはことごとく、日の出神の宣伝歌に苦痛を覚えた。磐長彦は日の出神に矢を射掛けたが、一矢も当たらず、日の出神はゆうゆうと宮殿に入った。
喜んだ有国彦夫婦は日の出神を奥殿に導いた。日の出神は神の教えを懇切に説き、三年後に世界の終わりが来ることを教示すると、またどこへともなく去って行った。
有国彦夫婦は世の終わりに備えて方舟を造るように神人らに命令したが、八頭の磐長彦に妨げられてしまった。そこで夫婦は百日百夜神に祈り続けると、その身は黒竜・赤竜と変じ、国魂である白色の玉を口に含むと鴨緑江を下って大海原を横切り、天教山に至って大神に奉仕することとなった。
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03 15 〔265〕
ついに五百六十七日の大洪水と大地震が続いてそのときがやってきた。神示の方舟を作っていた者は、ちょうど銀杏の実のように上面がすっかり板に覆われていたため、激しい豪雨にも船中に水が入って沈むことはなかった。
宇宙の変事は、すべて地上神人の精神の悪化が妖邪の気を発生させて宇宙を混濁せしめた結果なのである。宇宙の縮図である人心の悪化によって、宇宙が悪化してしまうのである。
人間とは、万物普遍の元霊である主神に代わって天地経綸の主宰者たるべき天職を賦与されていることを忘れてはならない。
古今未曾有の天変地異が襲来したのも、まったく地上の人類が、悪霊に表意されて体主霊従の行動を敢えて行い、天地の神恩を忘却した結果なのである。
大神は禽獣虫魚までも救うことを本願としているので、人民に改心をするように、神諭で警告をしているのである。
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03 16 〔266〕
酷熱の太陽が一度に数個現れて、大地の氷山を溶解させた。水は大地の中心にある集まり来たり、地球の水位は刻々に増加して、高い山の上にまでも迫った。
竜宮城の三重の金殿は、ふたたび中空に延長して金銀銅の天橋となり、霊線を垂らして正しい神人を引き上げて救い始めた。天教山の宣伝使たちは、黄金橋の上に立って洪水に漂流する神人を救いつつあった。
ウラル彦・ウラル姫もまたなぜか、銅橋の上に救われた。盤古神王と常世神王は黄金橋の上に救われた。しかしウラル彦・ウラル姫はアルタイ山に下ろされた。アルタイ山の山頂には多数の蟻が洪水を避けて非難していたため、ウラル彦らは蟻に身体をたかられて非常な苦痛を覚えた。
アルタイ山には、極悪の神ばかりが送られたのである。平素利己主義によって甘い汁を吸った悪者は、蟻に身体を破られたのである。
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03 17 〔267〕
琴平別神は、眷属を従えて漂流する地上の神人らをその背に乗せて、高山の頂に救いつつあった。金銀橋は、もう救う神人が絶えたため、合一して一つの橋になってしまった。銅の橋は、引き続き霊線で神人らを救いつつあった。
地教山の野立姫命は天橋を伝って天教山に渡ると、野立彦命とともに、主神・大国治立尊に祈願し、日の神・月の神の精霊に対して、自分たちが責任を取って無限の苦しみを受ける代わりに、地上万類の罪を赦し給え、と願をかけると、天教山の火口に身を投じて神去りましました。
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03 18 〔268〕
この大異変により、天柱は砕けて地軸は裂け、宇宙大地の位置は、やや西南に傾斜して天上の星の位置も変化してしまった。
大国治立尊は、この海月成す漂える国を修理固成しようとして、日月界の主宰神である伊邪那岐尊および伊邪那美尊に命じて、天の瓊矛を賜り、天の浮き橋に立たせて地上の海原を掻きなさしめた。
天の瓊矛とは、今の北斗星である。北極星は宇宙の中空の位置を占めて月の呼吸を助け、地上の水を盛んに吸引させた。北斗星の先端にある天教山は次第に水かさを減じた。
数年を経て洪水は減じ、地上は再びもとの陸地を現した。神典に「矛の先より滴る雫凝りて、一つの島を成す」というのは、北斗星の切っ先の真下の国土から、修理固成が行われた、という意味である。
水が引くと一切の草木は蘇生し、地上の万物は、野立彦命・野立姫命の犠牲的な仁慈の徳によって、残らず救われたのである。
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04 19 〔269〕
大国治立尊の左守神である高皇産霊大御神と、右守神である神皇産霊大神は、自らの精霊である神伊弉諾の大神、撞の御柱大御神、神伊弉冊大神に天の瓊矛を授け、天の浮橋である黄金橋の上に立たせた。
天の瓊矛によってくらげのように漂う大洪水の海を掻き鳴らし、日の大神の伊吹によって宇宙に清鮮の息を起こして地上一切を乾燥させ、すべての汚れを払いのけさせたもうた。日の大神の息からなりませる神を、伊吹戸主神という。
泥にまみれた地上の草木をきれいにするために、風を起こし雨を添えた。この水火から現れた神を、速秋津比売神という。また山々の間に河川を流して、一切の汚物を退けさせた。この御息を瀬織津比売神という。
瀬織津比売神は地上各地からすべての汚れを大海原に持ち去る。この汚れをさらに地底の国に持ち去り、さすらい失う御息を、速佐須良比売神という。
以上、四柱の神を祓戸神と称し、宇宙一切の新陳代謝=神界の大機関となしたもうた。この機関により、宇宙一切のものは完全に呼吸することができ、新陳代謝の機能がまったく完備したのである。
この神業を、九山八海(つくし)の火燃輝(ひむか)のアオウエイ(たちばな)の緒所(おど=臍)の青木原(あはぎはら)に御禊払いたまう、というのである。この神示については言霊学上、深遠微妙な意味があるが、これは後日述べることとする。
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04 20 〔270〕
国祖はご退隠されてからも、神界現界の大災害が近づいていることを座視するに忍びず、天教山・地教山に野立彦命・野立姫命と現れて、しばらく救世の神業に携わっていたのであった。
しかし撞の御柱の神、天の御柱の神、国の御柱の神がご降臨されて、修理固成の神業を成すことを見定めると、地上一切のものの大洪水からの贖いのために、天教山の噴火口に身を投げて根底の国・地汐の国へとそれぞれ下っていった。
淤能碁呂島の本体ともいうべき国祖と豊国姫命の身魂は、自身の一部ともいうべき天教山の烈火の中にもまったく損なわれることはなかったのである。
知恵暗く力弱い人間は、どうしても偉大なる神の救いを求めなければ、自力で吾が身の犯した罪を償うことはできない。善をなそうとしても悪を知らず知らずのなすのが有限たる人間である。
だから、人生には絶対的の善もなければ、絶対的の悪もないのである。これは、神は霊力体をもって万物を造ったが、霊は善・体は悪・力は善悪混合であるからである。善悪不二、美醜一如であるのは、宇宙の真相なのである。
天地陰陽相い和して、宇宙一切が保持されるのである。また善悪は時所位によって変わるのであるから、本当に善悪の審判ができる権限を持つのは、ひとり宇宙の大元霊である大神のみなのである。
人はだから、吾が身の悪を改め、善に遷ることのみを考えるべきであり、いたずらに他人を裁くべきではない。善悪愛憎の外に超然として、惟神の道を遵奉することのみである。
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04 21 〔271〕
神伊弉諾大神のまたの御名を天の御柱の神という。神伊弉冊大神のまたの御名を国の御柱の神という。天照大神のまたの御名を、撞の御柱の神という。
三柱の神は天教山の青木ケ原に出でまして、撞の御柱神を真木柱となして八尋殿を見立てたまい、天津神祖の大神を祭った。そして、月照彦神を斎主とし、宣伝使の神人らを集えて天津祝詞を詔らせたもうた。
天津御空も大海原に漂う葦原の瑞穂の国も、清く明く澄み渡り、祓戸四柱の神のはたらきにより、再び美しい神の御国は建てられた。
神伊弉諾神は撞の御柱を中心に、左から行きめぐり、伊弉冊神は右から行きめぐった。そして、天地を造り固めなし、国生み、島生み、神生み、人生み、山河草木の神を生み成した善言美詞を歌った。
柱をめぐって双方出会ったとき、国の御柱の神は、天の御柱の神の雄雄しい姿に喜びの御歌を歌った。このとき生まれたのが、淡島である。淡島には、少彦名神が国魂神として任命された。
しかしこの島は御子のうちに入らなかった。そのため少彦名神は、野立彦神を慕って幽界探検に旅立っていくことになった。
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04 22 〔272〕
天の御柱の神は、天地に上下ある以上、国の御柱の神が先に歌を歌いかけたことに怒り、過ちの罪を詫び、御柱巡りをやりなおすように、国の御柱の神に諭した。
このとき太平洋上の真ん中に生まれた淡島は、根底が緩んで漂流し、南端に流れていわゆる南極の不毛の島になった。
淡島の国魂神として任命された少彦名神もこうなってはどうしようもなく、蛭子の神となって常世の国に永く留まり、またその身魂の半分は根底の国に行って幽界の救済に奉仕することとなった。
少彦名神はこの因縁により、後世ユダヤの国に救世主として現れた。撞の御柱の巡り合いの過ちの因縁によって、十字架の苦しみを負い、万民の贖い主となったのである。
諾冊二尊は御柱巡りをやり直し、今度は天の御柱の神が先に歌いかけた。
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04 23 〔273〕
国の御柱の神が歌い返して、二尊は青木ケ原の真ん中の八尋殿に帰り、休息した。
ここに月照彦神、足真彦、弘子彦、祝部、岩戸別の諸神は、野立彦神・野立姫神を慕って天教山の噴火口に飛び込み、大地の中心である火球の世界(=根底の国)に至って、幽界の諸霊を安息する神業に奉仕した。
これらの諸神は幽界を修理固成し、ふたたび地上に出生して、月照彦神は印度の国の浄飯王の太子と生まれて釈迦となった。足真彦司は、月照彦神を追って印度に生まれ、達磨となった。
天道別命はやはり根底の国で修業した後、地上に出てふたたび天地の律法をひろめた。これをモーゼの司という。天真道彦命も根底の国を探検し火の洗礼を受け、地上に出生してエリヤの司と生まれ、福音を宣伝した。
また、高皇産霊神の御子である大道別は、日の出神となって神界・現界に救いの道を宣伝し、天教山から天の浮橋を渡って日の御国に至り、大日如来となった。
豊国姫命は地中の火球・汐球を守り、罪ある身魂の無差別的な救済に神力を発揮した。仏教で言うところの地蔵尊である。
天教山は後にシナイ山とも呼ばれるようになったが、一巻に登場したシナイ山とは別のものである。
弘子彦命は閻羅王となった野立彦命の命によって何度も地上に出生し、ついに支那の国に孔子と生まれて治国安民の道を、天下にひろめた。しかしその教えがあまりに現世的だったため、野立彦命は我が身魂の一部を分けて、老子として出生させたのである。
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04 24 〔274〕
さて、諾冊二尊は撞の御柱を巡り合い、八尋殿を見立てたまい、美斗能麻具波比(みとのまぐはひ)の神業を開かせた。美斗能麻具波比とは、火と水の息を調節して、宇宙万有一切に対して活きた生命を賦与する尊い神業である。
撞の御柱の根には、清い水が湛えられた。これを後世、琵琶湖という。撞の御柱のまたの御名を、伊吹の御山という。
天の御柱神は九山八海(はちす)の山を御柱とし、国の御柱の神は泡立つ海の鳴門灘を胞衣として地の世界を守護した。
鳴り鳴りて鳴りあまれる、九山八海(つくし)の火燃輝(ひむか)のアオウエイ(たちばな)の緒戸(おど)というのは、不二山である。鳴り鳴りて鳴り合わざるは、阿波の鳴門である。
富士と鳴門の経綸と神諭にあるのは、陰陽合致の天地経綸の微妙なる神業を指しているのである。鳴門は地球上の海洋の水を地中に間断なく吸入して散布し、天の岩戸の神業を補佐している。九山八海の山は、地球の火熱を表面に噴出することで、地中寒暑の調節を保っている。こうして水火がそれぞれ相和して、大地全体の呼吸を永遠に営んでいるのである。
九山八海の山とは、蓮華台上という意味である。九山八海(つくし)のアオウエイ(たちばな)とは、高く九天に突出する山、という意味である。富士の山とは、火を吹く山という意味である。
富士山の神霊である木花姫は、三界に出没して三十三相に身を変じ、衆生を救済しつつ国祖の再出現を待っているのである。これを仏教では観世音菩薩という。
木花とは梅の花であり、三千世界一度に開く梅の花と示されているのは、再び時節が到来して、国祖以下の神人らが、節分の夜に地獄の釜の蓋を開けてふたたび神国の御世を建てさせたまうことである。
霊山高熊山の所在地である穴太の里に、聖観世音が祭られているのも、神界における深い因縁であろう。瑞月が幼少よりこの観世音を信仰し、また産土の小幡神社を無意識的に信仰していたのも、何かの神のお引き合わせと思われるのである。
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05 25 〔275〕
高照姫命、言霊姫命、真澄姫命、竜世姫命、純世姫命の五柱の女神は、野立姫命の後を追って根底の国に至った。野立彦命・野立姫命の命を奉じて地汐・地星の世界を遍歴し、再び天教山に登って大海原の守り神となった。
天の御柱の神・国の御柱の神は伊予の二名島を生んだ。これを愛媛という。またの名を竜宮島といい、今日の豪州大陸である。わが四国はその胞衣である。真澄姫神が国魂として任命された。
次に、純世姫は筑紫の守り神とされ、多計依姫となった。筑紫の島は、現代のアフリカ大陸である。九州はこの大陸の胞衣である。
言霊姫神は、蝦夷の島の守り神とされた。現代の北米であり、北海道がその胞衣である。
竜世姫神は高砂島の守り神とされた。ゆえに、またの名を高砂姫という。高砂の島は南米大陸であり、台湾島はその胞衣である。
高照姫神は葦原の瑞穂国の守り神とされた。これは欧亜大陸であり、大和の国はその胞衣である。
五柱の女神は、永遠にそれぞれの国土を守護することになったが、これは霊界におけるご守護であり、現界の守護ではない。女神はおのおのその国の神人の霊魂を主宰している。天国へ送り、地上に出生させ、また幽界に落ち行く者を救済している。
しかし、五柱の女神が国魂神となるまでの時日は、数万年の長い年月を要したのである。この五柱の女神を総称して、金勝要神という。天は男系、地は女系というのは、霊界のこの消息を洩らしたものである。
金勝要神が、神諭で『雪隠の中に落とされた神』とあるのは、すべての地上の罪悪を持ちさすらい失うところの鳴門の意味である。天教山は地球の口であり、鳴門が肛門にあたるのである。
神の出口入口というのは、この富士と鳴門の御経綸の意味である。大地の金神を金勝要神というのは、大地の金気の大徳によって固成され、この神の身魂に金気が凝縮保維されているためである。
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05 26 〔276〕
天帝・大六合治立尊(おおくにはるたちのみこと)は、一霊四魂三元八力をもって万物を創造した。そして、万物を自ら直接保護するのではなく、各自に守り神を定めて、これを管掌せしめたもうた。
太陽、大地、太陰をはじめその他万物に、霊魂・霊力・霊体が賦与されているのである。ここではそのうち、一霊四魂について大略を述べるにとどめる。
大宇宙には、一霊四魂が原動力となって、活気凛々として活動している。小宇宙の一霊四魂とは、太陽が一霊=直霊である。これを大直日神とも言う。
小宇宙の一霊である太陽自身にもまた、一霊四魂が存在しているのである。そして、太陽の一霊四魂それぞれに、また一霊四魂が存在する、という入れ子のような構造になっている。
太陽の一霊四魂を特に、厳の身魂を総称する。また、霊主体従の身魂ともいう。ゆえに、大空は霊を主とし体を従としている。一方、大地は体を主とし、霊を従として形成されている。
地の霊は瑞の身魂といい、体主霊従の身魂という。大地球の一霊=直霊を特に、大曲津日の神という。大地球内にもそれぞれ一霊四魂がある。大地球の荒魂・奇魂・幸魂・和魂の各直霊を、八十曲津日の神という。
重く濁ったものが地を形成したがゆえに、地上に棲息する限りは、体主霊従の身魂に制御されるものなのである。だからこそ、体主霊従を調和して、霊体一致の美しい身魂を作る必要があるのである。
体主霊従とは、決して体が霊に勝った状態を言うのではなく、天の命じる体主霊従とは、体五霊五の状態である。この状態から、体六霊四などの体が勝った状態に超過するとき、それが罪となるのである。
体五霊五の天測を破った身魂を、大曲津神という。また、体が超過した状態に導こうとする身魂を八十曲津神という。
大曲津日の神(大地球の直霊)・八十曲津日の神(大地球の四魂の各直霊)は、体主霊従の大地球の悪を制御する直日の神である。これと、曲津神を混同してはならない。
厳の身魂は荒魂、和魂に重きをおく。瑞の身魂は奇魂、幸魂に重きをおいている。
次に、伊都能売の身魂について簡単に述べると、この身魂は月の霊魂ともいい、五六七(みろく)の身魂といわれている。伊都能売の身魂は厳にも瑞にも偏らず、厳・瑞の身魂を相調和した完全無欠の身魂である。
伊都能売の身魂は時々刻々、形を変えて同じところに固着することがない、反省力の強い活動を備えている。このように身魂が活用できれば、それは伊都能売の身魂と言えるのである。これは、善悪正邪を超えて自由自在の活動をなしうる、至粋至純の神霊の活用なのである。
伊都能売の身魂の活用を会得して、自由自在の神人となることができれば、初めて五六七の活動をなすことができるのである。
月にもまた、一霊四魂がある。月球を保持しているのは、北斗星・北極星・オリオン星・三角星の四大星体である。四大星体は月球を直接保護しており、瑞の身魂の活用を主としつつ、大空、大地の中間を調節する重要な職務を果たしているのである。
「体主霊従」という言葉は、体が勝った天則違反の行動を行う身魂を指していう場合がある。ここで言う大地球の「体主霊従」とは、体が五・霊が五という霊魂の組織構成上の説明である。両者を混同してはならない。
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05 27 〔277〕
天の御柱大御神、国の御柱大御神は、陰と陽の水火を合わせて淡路島、大倭島、伊予の二名島、筑紫島、隠岐、佐渡、越の洲などの国々・島々を生みたもうた。
大八洲の国とは、地球全体の海陸の総称なのである。国生み・島生みが完了した伊邪那岐命は、次に世界各所に国魂を任命した。
長白山は磐長彦・玉世姫、万寿山は瑞穂別・瑞穂姫、青雲山には吾妻彦・吾妻姫、地教山にはヒマラヤ彦・ヒマラヤ姫、天山は谷山彦・谷山姫、崑崙山は磐玉彦・磐玉姫、タコマ山は吾妻別・吾妻姫、ロッキー山は国玉別・国玉姫、ローマは元照別・元照姫、モスコーは夕日別・夕照姫、新高山は花森彦・花森姫、常世の都は貴治彦・貴治姫が、それぞれ国魂神・補佐神として任命された。
鷲霊山は神教を宣布する神界の根本霊場として、白雲別・圓山姫、久方彦、三葉彦が永遠の守り神として任命された。
また黄金山は東雲別・青雲別・青雲姫・機照彦・機照姫を神教護持のために、永遠に任命した。
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05 28 〔278〕
諾冊二尊は陰陽水火の呼吸を合して七十五声を鳴り出したまい、スの言霊でこれを統一した。七十五声の中でも五大父音を、立花の小戸という。
祝詞に『筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊ぎ祓い給う時に生坐る』とあるのは、このアオウエイの五大父音によって、以下の七十五声を生み出し、新陳代謝の機能である祓戸四柱の神を生み成して、宇宙の修祓神としたことを表しているのである。
五大父音を地名に当てると、アは天=アジヤ、オは地=オーストラリヤ、ウは結び=アフリカ、エは水=エウロッパ、イは火=アメリカ、となる。そしてこれら五大大陸はすべて、アに返る。
七十五声はすべて、アオウエイのどれかに返り、アオウエイはすべてアに返るので、言霊学上は、アに当たるアジヤにすべてのものは統一されるべき、ということになるのである。
アとウの大根源はスである。ス声が凝結した至粋至純の神国は、すなわち皇御国である。諾冊二尊は天地の修理固成のために、アオウエイの五大父音の言霊によったが、スの言霊が凝結する神国の水火は、もっとも円満晴朗である大神そのままの正音を使用することができたのである。
神が神力を発揮するときは、言霊の武器を使うのである。古書には「ミカエル」の言霊の威力が示されている。ミカエルの言霊をもっとも完全に使用することができる神人は、スの言霊が凝った皇御国から出現するはずなのである。
ミカエルとは、天地人、現幽神の三大界(=ミ)を立替える神人、という意味である。また、男体にして女霊の活用をなし、女体にして男霊の活用をなす神人を、「身変定(ミカエル)」というのである。
ここに七十五声の言霊の活用および結声の方法について、言霊の釈歌を添付する。
五大父音については、主神による天地創造と三元八力との関連性が歌いこまれている。また、諾冊二尊による天地修理固成の過程が、言霊学的に説明されている。
その後、諾冊二尊による国生み島生みが、マ行までの音と、半濁音・濁音と結び付けられて歌によって解釈されている。
ワ行とヤ行は、各言霊の精神的な働きが神名と結び付けられて解釈されている。
ワ行ヤ行の十柱の神々、十の声の精神的作用は、いわゆる大八嶋国の活用、つまり世界的経綸の活機を顕す本能を、生まれながらに持っている言霊である、と説明されている。
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05 29 〔279〕
諾冊二尊の修理固成も、時が経つに連れて神人らが増えるに従い、呼吸の穢れが広がった。人の心は曇り穢れ、金山彦の神が鋼鉄を取り武器を作り始めた。人々が互いに争う大宜津姫の世となってしまった。
火の神が現れて山や野を焼き払い、恐ろしい迦具槌の荒ぶる世となってしまった。国の御柱の大神は、この有様に身魂の限りの方策を尽くしたが、ついに魔神の勢いに虐げられて、黄泉御国に出でてしまった。
糞になる埴安彦神、埴安姫神が世を治めようと力を尽くし、和久産霊、罔象女(みずはのめ)神が身を尽くして奉仕し、この世を救う豊受姫神が現れる世となった。
伊邪那岐神は、伊邪那美神が地上世界の混乱によって黄泉国(=地中地汐の世界)に逃げてしまったことを嘆き、再び淤能碁呂島に帰ってくることを願う歌を歌った。
伊邪那岐神は一時悄然として力を落としたが、荒魂を振起し、自ら鋼鉄を掘って十握の剣をたくさん作り、荒ぶる神共を武力を持って打ち罰しようと計ったのである。
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05 30 〔280〕
諾冊二尊は撞の大御神を豊葦原の瑞穂国の大御柱となし、自らは左守・右守の神となって、漂える大海原を修理固成し、各国魂を任命して完全な神国を一時は樹立した。
しかし天の益人は次第に生まれ増して、ついに優勝劣敗、弱肉強食の暗黒世界となり、その混乱は国祖ご退隠の前に比べて何十倍にも達した。
人間というものがここに生まれて、土地を独占するようになった。そして互いに争奪を試み、強いものが弱いものを倒し、武器を製造し金銀を掘り出し、貧富の差は激しく、さながら修羅の世界を現出した。
神々も人々も、救世主の出現を待ち望む世になった。人間の中でももっとも虐げられた者の中から、埴安彦神・埴安姫神の二神が現れ、吾久産霊(わくむすび)なる仁慈の神々を多く率いて、救いの道を宣伝した。そして水波廼女(みずはのめ)すなわち正しい人間を救うことになる。
また、諾冊二尊がこの混乱に際して、各地の国魂に命じて曲津神を武力で掃討しようとした御神業を、「御子迦具槌の神の御首を斬り給う」というのである。
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06 31 〔281〕
ウラル山の麓アーメニヤに勢力を振るったウラル彦は、大洪水に大神の大慈大悲に救われ、アルタイ山で蟻の責め苦を受けて一時は改心した。しかし年月を経るにしたがって再び、ウラル彦夫婦は色食の道に耽溺し、大蛇の霊魂に憑依された。
大洪水によって活動を抑えられていた悪霊たちも、世が泰平となり人の心が馴れるにしたがって、再び跋扈跳梁するようになってしまった。
盤古神王を偽称したウラル彦は、大中教という教えを興した。これは極端な個人主義、利己主義の教えである。
自分ひとりを中心とする、というもともとの意義は、ウラル彦のみを世界の最大主権者と認める、というものであった。しかしこれもまた大中教の宣伝使たち自身によって誤解され、自分ひとりを中心とする、利己主義の教えとなってしまった。
大中教は葦原の瑞穂国(地球上)に広く行き渡った。
アーメニヤの都の南にカイン河という広い河が流れている。そのほとりで、乞食たちが盤古神王(=ウラル彦)と大中教の利己主義のやり方に不平を語らいあっていた。
そこへ盤古神王の手下の目付がやってきて、乞食たちの話の内容を問いただした。目付たちは、盤古神王の悪口を言うものを捕らえて危害迫害を加えていたのである。
乞食の一人が耳が聞こえない振りをして滑稽な応答で返し、その場をごまかして目付を退散させた。
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06 32 〔282〕
目付を追い返した乞食たちは、今の世の中に悪霊がはびこっているため、勢力ある神人らは憑依されており、偉い神様だと思ったら大間違いという有様を嘆き憤慨した。そして河を渡ってアーメニヤの向こう岸に逃げようとした。
そこへ、乞食に変装した目付が近づいてきた。乞食たちは警戒して我先にと河を渡って逃げ出した。変装した偽乞食は、逃げていく乞食たちを捕らえろと叫んでいた。
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06 33 〔283〕
ウラル教の治世を恨む歌を歌いながら、エデン川の岸辺を降る漂浪人の一団があった。そこへ、『神が面に現れて 善と悪とを立て別ける』と節面白く謡い来る宣伝使があった。
これは、混乱の世をただすべく黄金山の麓に現れた、埴安彦という大神が立てられた、五大教という教えの宣伝使・東彦であった。
漂浪人たちは、宣伝使の歌う宣伝歌に興味を持ち、宣伝使を呼び止めた。宣伝使・東彦は路傍の平たい石に腰かけ、一同はその周りに座って問答を始めた。
漂浪人の一人は、今の世の中は宣伝歌にあったような、公明正大な神様が現れて善と悪とを立て別ける、といったことがあるのでしょうか、と問いかけた。
東彦はそれに答えて、今の世は神様の御用のために作られた、神の生宮であるはずの人間が汚れてしまっているので、それを清めるために、神様が諸方に宣伝使を派遣することになったのである、と答えた。
もう一人の漂浪人は、弱肉強食の世の中で一部の人間が財産を独占していることに対して、いつ神様が現れて善と悪とを立て別けてくれるのか、と質問した。
東彦は、現世的な財産はかりそめの富であり、人間が死後にも滅ぶことがない宝とは、神の御国に積む誠という宝である、と諄々と説いた。
一同は息をこらして東彦の教えに耳を傾けていた。そこへ、『ただ何事も人の世は 直日に見直せ聞き直せ 身の過ちは宣り直せ』と謡って来る宣伝使があった。
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06 34 〔284〕
漂浪人たちが東彦の宣伝使の教えを聞いているところへ、また白髪異様の宣伝使が、節面白く謡いながらやってきた。この宣伝使は、霊鷲山の山麓・玉の井の郷に現れた三葉彦神の教理・三大教を奉じる宣伝使・北光天使であった。
霊鷲山は、印度と西蔵の境に立つ高山であり、また黄金山は、聖地エルサレムの傍らに立つ橄欖山の別名である。
白髪異様の老宣伝使・北光天使は、東彦天使が宣伝をしている傍らに立ち、聞き入っていた。東彦は北光天使が聞いていることも知らずに、一心不乱に五大教の教理を説いている。
東彦はふと息をついたところで北光天使に気づき、お互いに名を交わした。東彦は、北光天使がどのような教理を奉じているのかを問いかけた。
北光天使は、宣伝使とは、神がその口を借りて深甚微妙の教理を説示するものである。神の道は神人の知識考量でもって伝えるべきものではないはずだ、と答えた。
東彦は、そのような宣伝使の重大なる意義を忘れて宗派の別を問うたことに恥じ入った。
二人の宣伝使は岩の上に立ち、天津祝詞を奏上して天地の大神の洪徳を賛美し、三大教と五大教の宣伝歌を一つにして歌った。
今度は北光天使が岩の上に坐を占めて、教えを説いた。
漂浪人の一人は、東彦の教えは神が善と悪を立て別ける、という教えだったが、北光天使の教えは、直日に見直せ聞き直せ、と内省と諦めを促している。悪いのは自分たちではなく、この世を欲しいままにしている強者ではないか、と咬み付いた。
北光天使は、どのような仕打ちを受けても、あくまで忍耐と寛容が肝心である、と返した。質問した男はこれを聞いて怒り、北光天使の背後に立って頭から小便をかけだした。
北光天使は小便を浴びながらも泰然として講演を続けている。
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06 35 〔285〕
今度はもう一人の漂浪人が、自分は強者に片目をえぐられ、何とか敵を取ろうと旅をしているが、これを忘れて敵を赦すことができるでしょうか、と質問した。
北光天使は答えて言う:
憎しみが憎しみを生むことによって、鬼や悪魔が人間にとりつくのであり、そこをよく忍耐しなくてはならない。怨みは忘れなければならない。
先方が悪いのであれば、神様はきっと敵を討ってくださる。
人はただ、己を正しくして善をなせば、神様の御心にかなって幸福になるのである。
あなたが非道い目にあったのも、因縁であり、そこをよく直日に見直し聞き直さなければならない。善悪正邪の判断は、人間にはできないのであり、神の他力によって救われるにみである、と。
最初に小便をかけた漂浪人の甲は、この教えを聞いて怒り心頭に達し、怒鳴り散らすと竹槍でもって北光天使の片目をぐさりと抉った。
北光天使は泰然として竹槍を抜き取り、天に向かって感謝の祈りを捧げた。甲は北光天使を罵ると、竹槍でもう一つの目も突こうとした。
東彦はとっさに甲の手を掴んで押しのけた。甲はよろよろとして倒れ、エデン川に真っ逆さまに転落してしまった。北光天使はとっさに河中に飛び込んで、甲を助け出した。
この北光天使の行為に、さしも猛悪な甲も慈心に感じて悔改め、弟子となった。宣伝使は甲に、清河彦と名を与えた。
北光天使は、天岩戸開きにあたって偉勲を立てた、天の目一箇神の前身である。
本文
06 36 〔286〕
東彦は、北光天使の無限の忍耐と慈悲心に感服し、その徳を賛美した。漂浪人たちはそれぞれ、二人の宣伝使の弟子となった。宣伝使一向はそれぞれ、南と西へ、再開を約しつつ、宣伝の旅に出立した。
東彦は黄金山に帰ると、五大教教主・埴安彦に、三大教の宣伝使・北光天使の神業と三大教の教理を奏上した。埴安彦は大いに感じるところあり、さっそく使いを霊鷲山に使わして、三葉彦神を黄金山に迎えた。
三葉彦は北光天使とともに黄金山に参り上り、五大教の教理を聞いて互いに諒解し、ここに両教を統一して三五教と改称することとなった。
埴安彦は女神であり、三葉彦は男神であった。三葉彦は名を改めて埴安姫神となり、埴安彦神を補佐して救いの道を天下に宣伝することとなった。
東彦は、天岩戸の前に偉功を立てた石凝姥天使の前身である。
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07 00 - 本文
07 37 〔287〕
中津御国の天教山の木花姫命の御教えを伝える、黄金山・霊鷲山の埴安彦、三葉彦は、教えを一つにまとめて三五教を現した。
黄金山の宣伝使・青雲別は、名を高彦と改めて、青雲山への宣教に旅立った。青雲山を上っていく高彦の耳にきこえて来たのは、ウラル教の宣伝歌を歌いながら道路を開鑿する工事人夫たちの声だった。
かまわず三五教の宣伝歌を歌いながら山上に進んでいく高彦を、ウラル教の人夫の頭・雲掴がさえぎり、首筋を掴んで路上にねじ伏せた。しかし高彦は何とも感じず、平気で神言を小声に奏上し始めた。
雲掴の体は次第に強直して地蔵のようにその場に固まってしまった。人足たちはこの様を見て、一斉に高彦に襲い掛かったが、高彦の神言に、みなやはり石像のように硬直してしまった。
高彦は鎮魂を解いて、雲掴の霊縛を解除した。雲掴は涙を浮かべて無礼を陳謝した。高彦は三五教の仁慈の教えをもって諭し、青雲山の吾妻彦がウラル教に恭順したことを問いただした。
雲掴は吾妻彦がウラル彦に恭順した経緯を語り出した。
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07 38 〔288〕
雲掴は、青雲山八王神の神澄彦が大洪水の前に、宣伝使となって当山を去って以来、八頭の吾妻彦が神政を司っていたが、ついにウラル彦の勢力の前に心ならずも屈したことを明かした。
そして、国治立命の命によって古来より青雲山に祭っていた黄金の玉を、ウラル彦が取りに来るため、山に道を通しているのだ、と白状した。
また、自分の正体は、吾妻彦の補佐をする雲別という神人である、と名乗った。
ただ、黄金の玉を管理する玉守彦夫婦がアーメニヤへの遷座に大反対しており、吾妻彦はウラル彦との板ばさみとなって苦しんでいることを明かした。
高彦は、自分は黄金山に玉を移すために使わされたのであり、これはすべて伊邪那岐命のご守護があるため、何も心配することはない、と諭した。
高彦は雲掴(雲別)の案内で吾妻別に面会した。そして三五教の教理と、伊邪那岐命の神徳を説き聞かせたところ、吾妻彦は三五教に恭順した。そして、黄金の玉は黄金山に遷座することになった。
本文
07 39 〔289〕
青雲山から流れ出る四恩河は雨水増して、架橋中の橋がまたしても流されてしまい、四恩郷の人々は交通に困っていた。
人夫たちは、年に何度も四恩河の橋が流されてしまう事態を嘆いていた。また、ウラル彦が黄金の玉を取りに来るため、四恩河の架橋を急いで行うように命じられていたのである。
人夫の一人は、黄金の玉がアーメニヤに取られることを神様が嘆いて、こんなに雨が降って橋が流されるのだ、と悲しそうに行った。
人夫の戊は、皆が沈んでいる中、どうしたら橋を架けられようか、と歌いながら陽気に踊り出した。人夫の甲は、戊の能天気さに腹立ち、戊を河に突き落とした。しかし戊は増水の河水の中を平気で泳ぎ回り、岸に上がると、今度は甲を河に突き落とした。
甲はおぼれて沈んでしまったが、戊が飛び込んで救い上げた。と見る間に、戊は大きな亀となって河の中に姿を隠してしまった。果たしてこの亀は何神の化身であろうか。
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07 40 〔290〕
人馬の音騒がしく、ついにウラル彦が青雲山に現れた。そして四恩郷に入ると、酋長を呼びつけた。
ウラル彦の部下・猛将の鬼掴は居丈高となり、期日になっても四恩河に橋が架けられていないことを酋長に詰問した。
酋長は畏れにぶるぶると震えていたが、そこへどこからともなく人夫の戊が現れて、滑稽な歌を歌うと、鬼掴をはじめウラル軍は笑い出し、一緒に踊り出した。
戊が一同を案内すると、不思議にも四恩河には立派な広い橋がちゃんと架けられていた。
ウラル彦は機嫌を直して橋を渡り始めたが、一隊が全部橋の上に乗ったと見ると、突然橋は音を立てて崩れ落ち、皆河の中に落ちて流されてしまった。不思議にも、ウラル彦一隊が流されてしまうと、また元の立派な橋が河に架かった。
青雲山からは、黄金の玉を黄金山に遷座するために、吾妻彦らの一隊が下ってきて、この橋を無事に渡った。ふと後を振り返ると、橋は跡形もなく、巨大な亀が幾百となく甲を並べて浮かんでいた。
これはまさしく琴平別神の化身であり、黄金の玉を守護する活動であったのである。
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07 41 〔291〕
吾妻彦は長旅の末、ようやく玉を奉じてエルサレムに着いた。エルサレムは昔の面影はなかったが、美しい神殿を造り、黄金の玉を奉安して聖地の守り神となした。
ウラル彦はこの様子を知って、聖地に数多の探女醜女を参拝者に仕立てて送り込んだ。玉守彦は霊夢に感じて、黄金の玉を人目を避けるために釜の中に隠した。
そのまま数年経つと、釜は非常な音響を立てて唸るようになった。玉守彦は宝庫の戸を開いてみると、鉄の釜はいつのまにか純金の釜となってまばゆいばかりに辺りを照らしていた。
釜のまわりには、自然に登り竜・下り竜が現れており、玉の表面にも多くの竜体が現れていた。また、玉はますます光り輝いて唸りを上げていた。
玉の唸りは大きいが遠くまで響かず、純金の釜はまた唸りを上げ、これは小さかったが遠くまでよく響いた。
玉守彦は、ウラル彦が玉を狙っているという暗示を受け、埴安彦神・埴安姫神とはかり、玉の隠し場所を変えることにした。粗末な唐櫃を作って黄金の玉と釜を納め、遠く東の淤能碁呂島の中心地・桶伏山(一名、圓山)の麓に隠し納め、圓山姫に密かに守護を命じた。
いつの代にこの神宝が世に出て、混濁の世を照らすことになるのだろうか。
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08 42 〔292〕
三五教の宣伝使・久方彦、またの名を雲路別天使は、元照別が治めるローマの都を指して進んで行った。
雲路別天使はふと路傍に腰掛けて、妻子への思いに駆られて身を休めていたところ、もう一人の宣伝使が宣伝歌を歌いながらやって来た。
その歌によると、ローマを治める元照別はウラル彦の勢力に屈した、と歌われていた。
この宣伝使は、広道別天使であった。雲路別天使は、広道別天使に声をかけた。二神司は相携えて、ローマの都に入ることとなった。そして元照別を帰順させることになる。
広道別天使は、天岩戸開きの際に、岩戸の前に太玉串を捧げて神慮を慰めた、太玉命の前身である。
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08 43 〔293〕
二柱の宣伝使はローマを目指して進んできた。おりしも、郊外の村(御年村)では農民たちが田植えの真っ最中であった。
農民たちは忙しく働きながら、強者に搾取される自分たちの境遇を嘆き、また最近現れた三五教の教理について、話し合っていた。三五教は皇祖教である、というのである。
そこへ『神が表に現れて 善と悪とを立て別ける』と大声に呼ばわりながら、二人の宣伝使がやってきた。
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08 44 〔294〕
広道別と雲路別は、百姓たちが忙しく働いている様を見て感心し、また感謝のためにひとつ農作業を手伝おうということになった。
農民の中に喧嘩を始める者がいたが、そこへ宣伝使が仲裁に入り、農作業の手伝いを申し出た。
広道別と雲路別は汗みどろになって、田植えが済むまであちこちを手伝いまわった。このことが百姓たちに感謝され、早苗饗祭まで、田んぼの中での生活を続けた。
早苗饗祭では宣伝使たちも招かれて、餅を振舞われた。このとき、二人の宣伝使は三五教の教理を説き諭した。このため、この村一村は神の恩恵に浴することになった。
本文
08 45 〔295〕
田植えの最中に喧嘩をしていた男・虎公は、中でも図抜けた大男で大食らいであった。早苗饗祭でも酒を飲んでウラル教の歌を歌い、他愛ない口争いをしていたが、雲路別はウラル教の替え歌を節面白く歌ってたしなめた。
この歌の節に一同は踊り狂って喜び、祝宴は無事に終わった。
宣伝使たちがこの村に三五教と農業の改善を伝えたため、以降村では年々豊作が続くことになった。雲路別は百姓の神と尊敬され、ついには大歳神となった。
虎公は力が強く、醜悪な面相であったが、至って正直な男であった。広道別の弟子となり、宣伝使にしたがってローマをはじめ、世界の宣伝に努めた。ついに立派な宣伝使となり、天岩戸開きの際には岩戸を押し開いた手力男神となった。
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08 46 〔296〕
ある年、御年村の二三の百姓たちが、木陰で話をしていた。大歳神様が黄金山に帰られてから、三五教の教えに必ずしも従わない者多く、それがためか、作物の実りがよくなくなってきた、というのである。
そこへ容色端麗な女宣伝使が通りかかった。百姓たちが呼び止めると、女宣伝使は、正に教えを守っていないことが、不作の原因である、と指摘した。
そして、傍らの長い草をむしって男根の形を作ると、清めのまじないを行った。すると不思議にも、たちまち田から害虫はいなくなり、稲は青々と繁茂した。
百姓たちは喜んだが、いつのまにか女宣伝使は姿を消していた。これは若年神の変化であった。
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08 47 〔297〕
広道別天使は、虎公に岩彦という名を与えて、宣伝歌を歌いながらローマの都の中心に進んでいった。今日はローマを治める元照別天使の誕生日祭で、家々に紅、白、青の旗を掲げて祝意を表していた。
群集は祭の出で立ちで、ワッショワッショと鐘やブリキ缶のようなものをたたきながら、練り歩く。そうして、ウラル教の宣伝歌を歌っている。
広道別は三五教の宣伝歌を歌いながら進んでいる。すると、群衆の中の祭頭らしき男が、広道別に拳固を固めて殴りかかった。
岩彦はこの様子に地団駄を踏みつつ、三五教の教えを守り、歯を食いしばって仁王立ちになって我慢している。祭の群集は、岩彦の仁王立ちに行く手をふさがれて、遅れだした。
広道別は、殴られながら小声に宣伝歌、天津祝詞を奏上する。すると殴りかかった男はたちまち、拳を振り上げたまま全身強直してしまった。
ローマの十字街頭には、岩彦とこの殴りかかった男と、二人が仁王のように立ちふさがってしまった。そこへ美しい女宣伝使が宣伝歌を歌いながらやってきた。群衆はこの様に野次馬のように集まってきた。
中には罵詈雑言を浴びせる群集もいたが、女宣伝使が手を左右左に振ると、そうした群集はたちまち強直してしまった。(霊縛をかけられた)
そこへ、ローマの主・元照別の行列がやってきた。誕生祭にあわせて、地中海の一つ島へ参拝に出かけるのである。しかし二人の仁王が十字街頭をふさいで立っており、行列の先触れの男たちは恐々と立ち止まってしまった。
行列の後ろからは、進め進め、と声がする。と、岩彦の仁王は、『通ること罷りならぬ』と怒鳴りつけた。
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08 48 〔298〕
岩彦の怒声に逃げ散った群集は、またもや十字街頭に集まってきて、今度はそこかしこで喧嘩を始めた。元照別の従者らは、喧嘩を制止にかかっている。
そこへ先ほどの美しい女宣伝使が長袖を振りながら、悠々として歌い舞い始めた。その歌は、元照別がウラル彦に臣従したことを厳しく戒める歌であった。岩彦も、拳を固めた大男も、この歌にぐにゃぐにゃとなってしまった。
広道別は、この女宣伝使が出雲姫であることを知った。互いに挨拶を交わしていると、元照別の従者たちが、宣伝使たちを丁重に迎えにやってきた。
群集の祭頭で広道別に殴りかかって強直していた男(熊彦)は、いよいよ改心して宣伝使となった。これは、天岩戸開きで手力男と並んで岩戸を開いた、岩戸別神の前身である。
手力男神のまたの名を豊岩窓神という。岩戸別神のまたの名を櫛岩窓神という。そして出雲姫は、天宇受売命の前身である。
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08 49 〔299〕
宣伝使たちは、元照別従者とともに、都大路を城に向かって進んでいった。都の人々は、この様子を見て口々に噂をしあっている。
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08 50 〔300〕
元照別は宣伝使たちを城の高殿に招き、豪華なご馳走でもてなした。
出雲姫は、強者に搾取されている民衆の様子を思うと、もったいなくてこのようなご馳走を食べるわけにはいかない、と高殿から膳を城の堀に投げ込んでしまった。
広道別もまた同様に、元照別に戒めの言葉をかけながら、膳を投げ捨ててしまった。
元照別はただ、己の身を恥じて、うつむいて涙を流すのみであった。
岩彦と熊彦は広道別、出雲姫に遠慮しながらも、出された膳をすっかり平らげてしまった。
出雲姫は、元照別の誕生を祝す、といって歌い舞い始めた。その歌には、元照別の戒めと、神の道への立ち返りが歌い込められていた。
宣伝使たちの実地的訓戒により、心ならずもウラル彦の強圧に服していた元照別夫婦は改心し、伊弉諾大神の神政に参加することとなった。
元照別、元照姫は、誰言うとなく、大戸惑子神、大戸惑女神といわれることになった。
出雲姫の歌舞曲に広道別は知らず立ち上がり、高殿の欄干に身を預けて見とれていたが、たちまち手すりは音を立てて崩れ、眼下の堀に落下してしまった。その寒さに震えて気がつけば、王仁は高熊山の方形の岩の上に、寒風にさらされていた。
道の栞り
天帝は、瑞の霊に限りなき直日魂を与え給うた。
そして、暗い世を照らし、垢を去り、泥を清め、鬼を亡ぼさしめるために、瑞の魂を深い御心によって降し給うたのである。
天国に救われようと欲する者は救われる。
瑞霊に叛く者は、自ら亡びを招くことになるのである。
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