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霊界物語あらすじ

説明を読む
ここに掲載している霊界物語のあらすじは、東京の望月氏が作成したものです。
まだ作成されていない巻もあります(55~66巻のあたり)
第46巻 舎身活躍 酉の巻 を表示しています。
篇題 章題 〔通し章〕 あらすじ 本文
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現代の科学の目から見れば、この物語は価値なきものと見えるでしょう。また凡夫の心から観察する時は不道理と矛盾と撞着で充満しているでしょう。現代人の耳に入りそうなことはないと思われる。
しかしながらこの物語は、現代人に対して二三年未満の愛読者を求めるものではない。幾千万年の後までも言葉の光を輝かすのが真の目的なのである。
ただ、一人なりとも多く読んで神界の真相を悟り、治国平天下・修身斉家の基本となすに至れば口述者にとって望外の喜びであり、かつ世道人心に裨益すること大なるべきと思って止まないのみである。
本文
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霊界の広大無辺なることは、とても現代の法王や教主らの支配のおよぶ限りではない。ただ人間は惟神に一身を任せて日々の業務を楽しみ、歓喜の生涯を送ることに努めなければならない。
この物語も、読者をして天国浄土の片影をうかがわせようとして滑稽的な言語を連ねられている。これも大神様の深遠なる仁慈のこもるところであることを口述者は感謝するのである。
『温かい笑ひの波は一座を漂はす』ということがある。法悦の歓びはついに笑いとなる。笑いは天国を開く声であり福音である。
笑いは厳粛を破るもののようだが、その笑いが徹底するとまた涙が出るものだ。しかし法悦の涙と落胆悲痛の涙は天地の差があるのはもちろんである。読者は本書を読んで充分に笑いかつ泣き、法悦の天界に遊ばれることを希望いたします。
人間の笑うときと泣くときと顔面の筋肉が同じように作業することを思うと、善悪、歓苦、笑哭不二の真理が怪しく光ってくるようです。
本巻は十二月十五日に八百ページあまりを口述筆記し、翌十六日に四百四十ページを口述筆記し、前後二日間にて脱稿しました。翌十七日より大阪へある事件のために出張することになったので、筆記者も腕によりをかけられたと見えます。
本文
01 00 - 本文
01 01 〔1211〕
五三公の一行はお民、蠑螈別、お寅、魔我彦の走って行った後を追いかけ、ようやく一本橋を渡り二三町ばかり北進し、榛の樹の道の両方に立ち並ぶ木蔭までやってきた。
お寅と魔我彦は互いにつまづいて重なり合い、唸っていた。五三公たちは二人をみつけてからかい、お寅と魔我彦はののしりあっている。万公とアクは、三五教の神力で逃げた二人が帰ってくるように祈ってやるから、ひとまず小北山へ帰ろうと連れて戻った。
本文
01 02 〔1212〕
松彦と松姫は、出て行った四人が早く帰るようにと大広間で祈願をこらしていた。二人が教主館まで帰ってきたところ、一行七人が帰ってきた。
松彦と松姫は別館にて蠑螈別とお民が帰ってくるように祈ろうと言い、一同は慰労会を開いて休むようにと言い残して去って行った。お寅と魔我彦は迷信家のこととて、神への祈願で蠑螈別とお民がすぐに戻ってくるものと信じて、しきりに酒を飲んでいる。万公と五三公は酔って労働や恋愛についての議論を交わした。
お菊と万公が歌をうたい、皆ではやし立てる。五三公は歌を所望され、宣伝歌を歌った。最後は一同が脱線歌を歌いながら、いつのまにか夜を明かしてしまった。数多の参詣者はぞろぞろと大広間を指して参拝する。
本文
01 03 〔1213〕
夜が明けて大門神社の広前の合図の太鼓が聞こえてきた。一同は祭壇の前に座を占めた。魔我彦は天津祝詞、お寅は神言を奏上した。
しかしその祝詞には蠑螈別とお民の逐電を読み込み、祝詞が終わった後も、蠑螈別とお民を返せなければ狐などの世話はもうしない、と祀ってある神たちに向かって大声でしゃべりだした。
お寅ははっと気が付いて教祖館へ姿を隠した。五三公と万公は、アク、タク、テクを信者の中へ交えておき、松姫の館をさして上って行った。
信者たちはお寅の祝詞や様子を見聞きして合点がゆかず、首を傾けて思案にくれていた。アクは壇上に登り、演説気取りで話し始めた。
そしてウラナイ教を開いた高姫自身が三五教に改心したこと、蠑螈別がお民と駆け落ちして逃げてしまったことを話し、それでもまだウラナイ教を信じるのかとすっぱ抜いた。
信者たちは道場破りだと騒ぎだし、自分は神の生き宮だとわめきたてる信者が壇上のアクめがけて襲撃した。アクは人ごみの中をすばしこく姿を隠してしまった。代わりにタクが捕えられ、鉄拳の雨を浴びせられている。
本文
01 04 〔1214〕
それぞれウラナイ教の神の生き宮だと名乗る幹部信者たちが捕えたテクを尋問している。タクは、道場破りの演説をやったのはアクだと応えつつも、幹部連の迷信的な尋問を嘲弄している。
お寅、お菊、お千代の三人がこの大騒ぎの中へやってきた。お寅はこのありさまに驚いたが、仲裁しようと言霊を打ち出した。しかし蠑螈別を引き戻したい一心で、祈っても効験が現れないウラナイ教の神でなく三五教の神に教祖が帰ってくれるように祈ってくれないか、と信者たちに依頼する始末であった。
テクは懲りずにウラナイ教の幹部たちに憎まれ口をたたいている。
本文
01 05 〔1215〕
お菊は壇上に登り、卓の脚を叩きながら歌い始めた。蠑螈別はお寅を隠し妻として教団をこの地に開き、朝から晩まで酒を飲んでわけのわからない説教をしていたことを暴露した。そして、神の戸籍がどうであろうと神徳をいただいてこの世が楽に暮らせたらよいだろうと信者たちを説得した。
またテクはウラナイ教の神が曲津神であり、教祖自身が信者の女と逃げて行き、幹部のお寅がそれを牛のように追いかける様を見れば、それが何よりの証拠だと歌った。
テクが歌い終わると大広前は喧々囂々と醜態を演出し始めた。テクは壇上から声を張り上げて心を鎮め、誠の神を拝むようにと歌を歌った。
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01 06 〔1216〕
幹部の竹公は壇上に上がり、述懐を含めた歌を歌いだした。竹公夫婦は先祖の残した遺産で遊んで暮らせるだけの身代があったが、お寅がやってきて世界の立替が始まって神政が成就するにあたり、自分たち夫婦の身魂は因縁があって大切な役目があるなどとうまいことを並べたという。
また妻のお福がにわかに神がかりしてお寅の言ったことと口裏合せて脅したため、家財を処分してすべてウラナイ教にささげ、夫婦で移住したという。しかし今タク、テクの話を聞くにつけて目が覚め、これは古狸の仕業であったのかと後悔を表し、こうなった上は三五教の真の神の道に真心を捧げようと歌った。
お千代は壇上に上がると、率直な物言いでウラナイ教の迷信を一刀両断し、また心が曇った人々を集めておいて誠を教えようという神様の仕組かもしれないので、心を改めて真の神を信仰しようと呼び掛けた。
喜久公は壇上に上がり、ウラナイ教の甘言につられて入信して奉仕してきた今日までの述懐を述べ、お千代の善悪不二の道理を聞いたからは皇大神の御心にしたがって御用をしようと改心を表した。
本文
01 07 〔1217〕
喜久公の妻・お覚はまた、小北山に来て神がかりし、自分の身魂が神業に仕える尊い身魂だと聞かされて、ここで奉仕したら神代からの罪悪を洗われると思い込み半信半疑で仕えてきたが、今狐の仕業とわかってすっかり迷いが晴れたと、三五教に改心することを表明した。
お福はまた、お寅が自分の家に来てから口を切るようになり、お寅の神力を信じて全財産を寄進して一心に仕えてきたが、皆の話を聞いてウラナイ教の裏を知りすっかり愛想がつきたと歌った。
お福は、夫の竹公はまだ目が覚めないが自分はもうこんなところは止めたと、春公の手を握って外へ走り出した。お福は河鹿川の神政松の御神木までくると、今までよくもだましたと怒って苗木をすっかり引き抜いて川に捨ててしまった。
あとから竹公が追いかけてきた。竹公が怒り狂うお福をなだめるが、お福は大勢の前で狐の仕業だとすっぱ抜かれることになったのも、竹公が気が利かないから騙されたのだと責め立てた。
竹公はお前がしょうもない神がかりをするから自分が巻き込まれたのだと喧嘩を始める。晴公が中へ割って入り、誰がなんと言おうと自分は二人が神の身魂だと信じると言って喧嘩を収めた。
機嫌を直した竹公とお福は、春公と共に大広間へ帰って行く。
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02 08 〔1218〕
お寅は昼過ぎになっても蠑螈別が帰ってこないので業を煮やし、松姫館に乗り込んで松彦と松姫に文句を言い始めた。
そこへお菊がやってきてお寅を呼びに来た。聞けば蠑螈別が帰ってきたのだという。お寅は喜んで飛び出していくが、それは蠑螈別に化けた狐であった。
狐の蠑螈別はお寅に三万両を渡すと、自分は二十七万両持っているから、それを持ってお民と一緒にどこかで暮らすのだという。
お寅はびっくりして蠑螈別に武者ぶりつくが、蠑螈別の姿はどこかえ消えて代わりに長い毛の生えた牛の子のような大狐がのそりのそりと森林へ逃げて行った。
この狐はお寅の副守護神で小北山の狐の親玉であった。松彦、松姫、五三公の神威におそれをなして姿を現し、お寅の肉体から離れて行ったのであった。
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02 09 〔1219〕
文助は朝から晩まで白装束に白袴を着け、松に一本角の黒蛇、蕪、大根を書いていた。そこへお菊がやってきて、蠑螈別がお寅に三万両を渡したことを話した。そして不思議なことなので来て見てやってくれと頼む。
お菊は文助を先導して教主館へと導いた。文助は奥の間にいるお寅に向かい、蠑螈別が三万両の大金を持って帰ってきたことへの祝を言った。
お寅は身を正すと、文助に対して自分は今、けっこうなご神徳をいただいたと語りだした。そして蠑螈別が金を置くと牛のような古狐となって向こうの森に逃げてしまったという。
この有様を見てお寅は今まで自分の胴欲が目を曇らせていたのだと悟ったという。蠑螈別は酒に身魂を腐らし、高姫を慕いお民という女に迷っている。それもすっかり判って執着心も晴れ、これからは魂を入れ替えて天地の祖神を祀りなおすと心情を明かした。
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02 10 〔1220〕
魔我彦はお民に逃げられて悄然として坂道を下り、橋のたもとまで思わず進んできた。すると向こうから美しく衣服を着飾った女がやってくる。よく見ればそれはお民であった。
魔我彦は、お民が蠑螈別と駆け落ちしたことを責め立てた。お民は案に相違して魔我彦にしなだれかかった。そして、すべては魔我彦と一緒になるための計略で、蠑螈別を野中の森で殺し、隠し金二十万両をせしめたと語った。
魔我彦は有頂天になり、お民と一緒に小北山に戻ってきた。魔我彦は文助に、自分は二十万両の金と美人を今手に入れたところだと自慢していた。
お寅は外で妙な声がすると見てみると、魔我彦はポカンと口を開け、涎をたらしながら何かわけのわからないことをしゃべりたてていた。お寅がは魔我彦の顎を叩いて口を閉めると、やっと魔我彦は正気付いた。
魔我彦があたりを眺めると、お民はおらず、懐に入れた二十万両の影も形もなかった。
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02 11 〔1221〕
万公は変化神社にて一人、ウラナイ教のようなおかしな神々を信じる信者たちを馬鹿にし、自分の精神は立派だから狐にだまされないのだと一人思いにふけっていた。
そこへお菊がやってきて、蠑螈別が大金を持って戻ってきたから、酔いつぶしてその金をひったくり、万公と駆け落ちするために逃げてきたのだという。
万公は、自分は治国別について月の国へ行く神命を帯びているのだと断るが、お菊にせまられるとあっさりと気を替えてしまい、一緒に駆け落ちすることになった。
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02 12 〔1222〕
万公は後髪を引かれる心地しながら、お菊への愛におぼれて神務を打ち忘れ、木枯らしすさぶ山の尾の上の薄雪を踏みしめながら、駆け落ちの道中歌いだした。
しかしお菊は足早に前を走って行き、万公は息が切れだした。万公はお菊に待ってくれと声をかけ、慌てて走って行くが追いつかない。
実際は万公はとぼけた面をして神社の細い階段を上っては下り、下っては上りを繰り返しているだけだった。お菊とお千代が石段のところに来ると、万公が何かわからぬことをブツブツ言いながら行ったり来たりしているのが見えた。
お菊が万公に呼びかけると、万公は大金を持ってお菊と逃げているつもりになってお菊に返事をした。お菊とお千代は狐につままれたのだろうと万公を笑っている。万公は下を向いて汗をたらたら垂らしながら階段を降って行ってしまった。
魔我彦は狐に膏をしぼられて松彦館を訪ねようと階段を上って行くと、万公が気の抜けた顔をして下ってくるのにばったり出会った。魔我彦に声をかけられてようやく正気に戻った万公は、今度は本物のお菊を狐だと思って掴みかかった。
魔我彦にたしなめられて、万公はお菊と駆け落ちをした気になっていたことを白状し反省した。そこへ五三公、アク、タク、テクの四人が松彦館を訪ねてやってきた。万公は反省の歌を歌い、一同は戒めの歌を交わした。
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02 13 〔1223〕
大広前に残った数人のウラナイ教の男女が夜更けまで懐旧談にふけっている。一同は大声で他愛もない馬鹿話を夜遅くやっていたので、文助がカンテラを持ってやってきて注意した。
一同はなんやかやとおかしな理屈をつけて、まだ夜更けまで話を続けるつもりだと文助を追い返した。文助は仕方なく、せめて静かに話をしてくれと頼んで戻って行った。
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03 14 〔1224〕
松姫館では、三五教の一行が小北山の祀り替えについて相談を行っていた。松彦一行はエルサレムに進んだバラモン軍を追っていくという任務があるため、なかなかどのように小北山を片付けて行くか決まらなかった。
松姫が五三公に頼んで神様にうかがってみたところ、まだ三日ほどは時間があるとのことだった。そこで明日の朝から祀り替えを始めることとし、お寅と魔我彦に承認を得るようテクに呼びにいかせた。
松姫は、最初は変性女子の悪口を言って攻撃していたウラナイ教も、変性男子が昇天してからは、義理天上日の出神が世界のことを変性女子に教えて聞かせるのだと教えを変えてきていたという。それも、変性女子の信者をうまくひかっけるための策略だったという。
そして変性女子の手の者が多く小北山にやってきて、教祖が信者の女と駆け落ちしてしまったのも、神罰があたったためであろうと結んだ。一同は述懐の歌をそれぞれ歌った。
お寅、魔我彦、お菊、文助などを集めて、松姫館の奥の間で明日の朝早くから三五の大神を鎮祭すべく修祓、遷座式を打ち合わせ、各自今に帰ってその夜を明かすことになった。
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03 15 〔1225〕
お寅は静かな夜、これまでの来し方を思い返していた。蠑螈別に恋を破られ、また自分が教団のために貯めた金もとられ、その無念と悔しさが骨の節々にしみこみ、悲しさが一時に飛び出してたちまち信仰と覚悟を打ち破ろうとする。
お寅はこれまで神を信じ舎身的活動をやってきたのにどうしてこんな目に会うのだろうと鏡台の前に老躯を投げ出し愚痴っている。ふと人の持っている三つの物質的でない宝、愛、信仰、希望に思い至った。
この三つの歓喜を離れては一日だって暗黒の世の中に立ってゆくことはできないと悟り、これまでの自分の過ちを悔い、神素盞嗚大神へのお詫びを述べ、合掌し悔悟の涙にくれながら沈黙のふちに沈んでいた。
しばらくするとどこともなく燦然たる光明が輝き来たり、お寅の全身を押し包むような気分がした。お寅は夢路をたどっていた。眠っている眼の底には美しい天国の花園が開けてきた。
お寅はふと目をさまし、転迷悔悟の花が胸中に開いたことを五六七大神に感謝した。これまで人を救いたいという念は沸騰していたが、自分一人を救うこともできない自分であることを徹底的に悟った。
そして自分ひとりの徹底した救いはやがて万人の救いであり、万人の救いは、自分ひとりの自覚すなわち神を信じ神を理解し、神に神を愛し、自分はその中に含まれる以外にないものだということを悟った。
悲哀の涙はたちまち歓喜の涙と変わり、心天高いところに真如の日月が輝きわたり、幾十万の星が燦然としてお寅の身を包んでいるような、高尚な優美な清浄な崇大な気分に活かされてきた。
お寅はにわかに法悦の涙にむせ返り、起き上がると口をすすぎ手を洗い、他人の目をさまさないように静かに神殿に進んで感謝祈願の祝詞を、初めて心の底からうれしく奏上することを得た。
理解と悔悟の力くらい結構なものはない。その神霊を永遠に生かし、肉体を精力旺盛ならしむるものは、真の愛を悟り、真の信仰に進み、真に神を理解し、己を理解するよりほかに道はないのである。
お寅は悔悟と新しい悟りを表明する歌を歌い、入信以来初めて愉快な爽快な気分に酔い感謝祈願の祝詞を三五教の大神の前に奏上し、欣然として居間に帰ってきた。このとき夜は開け放れ、山の尾の上を飛びかう鳥の声がいつもより爽やかに頼もしく聞こえてきた。
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03 16 〔1226〕
お寅は小北山開設以来打って変った活き活きした顔をしながら、身も軽く箒や払いを持って室内の掃除に余念がなかった。そこへ寒そうに袖に手を入れ、失望落胆の極に達した魔我彦が淋しい容貌で入ってきた。
お寅は魔我彦を見て、神を理解せよと諭し、一個の罪人となって謙譲の徳を心につちかい養えば、たちまち天国が開けると説いた。
魔我彦はあくまで、お寅がそんなに元気になったのは蠑螈別と密かに会って、大金を手に入れる約束をしたからだろうと勘繰り、こうなったのも三五教の曲津神が善の仮面をかぶって小北山にやってきたからだとののしった。
魔我彦はあくまで、煩悶苦悩の淵に身を置くことこそ、永遠無窮の歓喜の園を開くのだ、万民を救うために苦悩することに意味があるのだと言い張る。
お寅は自分自身が不幸悲哀の淵に沈んでいて、どうして人が救えるのかと問い、自己を救い了解した上で初めて世を救い道を伝える完全な神力が備わるのだと説いた。
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03 17 〔1227〕
お寅と魔我彦は、友が一刻も早く善道を悟り忠実な神の僕になるようにと親切にほだされて互いに顔を見合わせていた。
しかしお寅は昨日までくだらない情欲に捕われて黄金に目をくらましていたが、神の仁慈に照らされて霊肉ともに向上していた。一方魔我彦は悲嘆の淵に沈み、不安と不平の妖雲に包まれて震えおののいていた。
お寅は恵の雨は天から降るものだということを自覚した。魔我彦は自分の知恵や力や考察力の苦労の結果で、自分の身体から自由自在に雨を降らし得るものと考えていた。ここに神ながらと人ながらの区別がつくのである。
いかなる聖人君子、智者勇者といえども、天の御恵なくしては到底救われることはできない。頭に生えた髪の毛一筋も黒くし白くし得る力はない。この真理を理解して初めて宇宙の真相が悟り得られるのである。これが惟神であり、魔我彦が最善と思って採ったやり方は人ながらであって、神の目から見給うときは慢心とうことになるのである。
真の惟神的精神を理解ともいい、また改心ともいう。神は謙譲の徳を以て第一の道徳律と定め給う。
人間がこの世に生まれ来たり、美醜、強弱、貧富、貴賤の区別がつくのも決して人間業ではない。いずれも惟神のよさしのままに、それ相応の霊徳ともって地上に蒔き付けられたものである。
みな宿世の自ら生み出した因果律によってくるものなれば、各自はめいめいにその最善を尽くし、賤民は賤民として、貴人は貴人として、富者は富者として、貧者は貧者として本分を守るのが天地惟神の大道である。
このように上下が一致的にその本分を守るにおいては、神示にいわゆる升掛引きならして運否のない五六七の世が現出したのである。
瑞月がかくの如き説をなすときは、頑迷固陋の倫理学者、道徳学者は必ず異端邪説として排斥するであろう。しかしながら天地の真理の惟神の大道である以上は、如何ともすることができない。五六七仁慈の大神の心のままに説示しておく次第である。
本文
03 18 〔1228〕
お寅と魔我彦が論戦する中へお千代がやってきた。お千代は二人の前に駆け上がり、もろ手を組んでウンとひと声三尺ばかり空中に飛び上がり、キチンと二人の前に端座した。お寅も魔我彦も威厳備わり優美なお千代の姿に思わず頭を下げ、両手をついてかしこまった。
お千代は自分はユラリ彦命であり、小北山の祭神の善悪正邪についての論戦に結論を与えるために天極紫微宮から降臨したとおごそかに宣旨した。
お千代にかかった天使は、小北山にまつった神は八衢にさまよい、または根底の国の醜神であると告げた。そして人は天地の司であるので、けがれた神も救うべきだと述べた。
天使はユラリ彦とはロッキー山の曲神であり、魔我彦を救うために自分はその神名を借りたにすぎないと述べ、小北山は罪や汚れを犯した曲の霊を祀っていると明かした。
魔我彦も天使の託宣に今までの信仰の過ちを悔い、自分の心の曲の仕業であると述べた。お寅は、自分の心の鬼に罪とがをきせてはならないと諭した。魔我彦はエンゼルの訓戒によって心の闇を晴らし、無限の歓喜を感得することを得た。魔我彦はエンゼルに向かってその神恩を感謝した。
魔我彦はこれからは一心に真の神様のために全力を注ぐ考えだと決意を述べた。天使は、神の力は広大無辺だから汝の力を加える余地は少しもない、ただ汝は天の良民として身につける一切のものを完全に照り輝かし、万一余裕があればこれを人に施せと諭した。
あくまで自分は人を救いたいと訴える魔我彦に対し、天使は世を救い人を救うは救世主の神業であると説いた。宣伝使は単に、神の有難きこと、尊きことを体得してこれを世人に宣べ伝えるのみであると教示した。
エンゼルの訓戒にお寅と魔我彦は歓喜の涙をしゃくりあげてうずくまっていた。あたりに芳香薫じ微妙の音楽が耳に入ると見る間に、エンゼルは元津御座に帰り給うた。お千代は元のあどけない少女に代わってしまった。
魔我彦は初めて前非を悔い、神の光に照らされ、松彦の指揮にしたがって小北山の祭神をひとところにあつめて厳粛な修祓式を行った。そして誠の神を鎮祭することを心から承認したのである。松彦を斎主とし、五三公を祓戸主とし、厳粛な遷座式に着手することとなった。
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04 00 - 本文
04 19 〔1229〕
小北山には松姫、魔我彦、お菊、お千代、文助らをはじめとして役員信者が三五の誠の教えを守り、天国の福音を説き諭されて歓喜法悦の涙にくれていた。一方お寅を加えた松彦一行七人は、河鹿川の橋を渡って浮木の森を指して進んで行った。
話は少し戻る。浮木の森の手前に小さな森があり、怪しの森と言われていて絶えず不思議があり恐れられている。そこで追っ手から逃げる時にはこの森に逃げ込むと、もう追及されないのが例となっていた。
この森の入り口は河鹿峠の本道と間道が分かれるところであり、そこに四五人のバラモン教の荒男が目付として張り込んでいた。夜の闇の中、一同はこの近くのウラナイ教は最近勢いが盛んで、自分たちがひどい目にあわされた三五教でさえも近寄れないと噂をしている。
そこへ一人の女が走ってくるのが見えた。それは蠑螈別と駆け落ちして逃げてくるお民であった。男たちはバラモン軍の目付だとお民の前に立ちはだかるが、お民は男たちを馬鹿にして取り合わない。
無理矢理通ろうとするお民に、バラモン軍の男たちは飛び掛かるが、お民は柔術の手で投げつけて格闘を始める。そこへ一人の男が走ってきた。
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04 20 〔1230〕
バラモン軍の目付、コー、ワク、エムはお民に投げられては起き上がり、投げられては起き上がり戦っている。そこへ蠑螈別が走ってきたが、この様を見るなり腰を抜かして倒れてしまった。
お民は蠑螈別に助けを求めるが、腰を抜かした蠑螈別は、これしきの相手に自分が出る幕ではないと強がりを言う。蠑螈別の異変を察したお民は、バラモンの目付たちに一時休戦を申し入れて、休息を取った。
蠑螈別の様子がおかしいことに気付いた目付たちは、蠑螈別に立ってみろと騒ぎ立てる。蠑螈別は五人の目付たちに四千両の小判を渡して買収した。五人は小判を受け取りホクホクしている。
そこへ大目付のエキスがやってきた。蠑螈別は、残りの五千両をエキスにわいろとして渡し、その代わりにランチ将軍の家来になれるように取り計らってほしいと頼み込んだ。エキスは承諾し、蠑螈別とお民を駕籠に乗せてランチ将軍の陣営に送り届けることになった(その続きは第47巻第5章)。
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04 21 〔1231〕
コー、ワク、エムらバラモン軍の目付たちは再び怪しの森の警護に戻った。すると遠くから宣伝歌が雷のごとく響いてきた。一同は耳を抑えて木蔭にブルブルと震え、声が過ぎるのを待っている。
松彦と万公は、それぞれこれまでの経緯を宣伝歌に歌いながら道をやってくる。
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04 22 〔1232〕
五三公は宣伝歌にて、自分は天教山の日の出神や木花咲耶姫の命を奉じて、身を変じて人の体に入って生まれ、治国別の弟子となっていたことを明かし、これまでの経緯を歌いこんでいる。
お寅は自分がウラナイ教に入り込んだ経緯を歌い、三五教の宣伝使たちの諭しによって誠の教えに対する悟りを得ることができたことを感謝した。
アクはまた、バラモン軍の斥候から三五教宣伝使のお供になった経緯を歌った。一同は拍子をとりながら怪しの森を指して進んで行く。
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04 23 〔1233〕
お寅は怪しの森が本街道と間道の分かれ道になっていることを知っており、バラモン軍が見張りを立てているに違いないと一同に気を付けた。またお寅は自分は年寄りだからちょっとここで休息させてほしいと言って休みを取った。
お寅が腰をかけると、湯津爪櫛が落ちていた。自分が侠客時代にお金をかけて作った鼈甲のもので、長らく紛失していたものであった。
お寅は失くしたと思っていたこの櫛は、蠑螈別がくすねてお民に与えていたものだと気が付いた。そしてお民が逃げる時にここに落としていったのだろうと推測した。しかしすでに神の光に照らされて執着心を捨てていたお寅は、顔色一つ変えなかった。
万公はお寅が櫛を拾ってみている様を見て話しかけ、お民が落としていった櫛だと悟った。お寅は人が欲しいと思って盗んだこの櫛には霊が宿っているから、万公にあげようとするが万公は断った。
再び一行は怪しの森を指して歩いていく。コー、ワク、エムは三五教がやってきたことを知り、恐れて相談し合っている。その間に松彦たちは早くもやってきて、蠑螈別とお民の行方を尋ねた。
バラモン教の捕り手たちは蠑螈別のときのように、三五教の一行からもわいろを取ろうとするが、松彦と話しているうちに、ゆすり取ったお金を懐に持っていると不安にさいなまれることに気が付き、明かした。
コー、ワク、エムはもともとはお寅の金を蠑螈別が盗み取ったと聞いて、金をお寅に返そうとする。しかしお寅はもうお金に執着がなかった。かえって、自分の罪障を取ると思って使ってくれとバラモンの目付たちに頼み込んだ。
松彦は、お寅が許可した以上は喜んでその金を使用するがよいとコー、ワク、エムたちに言い渡した。(松彦一行の話は第48巻第16章へ続く)
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