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霊界物語あらすじ

説明を読む
ここに掲載している霊界物語のあらすじは、東京の望月氏が作成したものです。
まだ作成されていない巻もあります(55~66巻のあたり)
第79巻 天祥地瑞 午の巻 を表示しています。
篇題 章題 〔通し章〕 あらすじ 本文
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昭和八年の冬、天祥地瑞「巳の巻」(七十八巻)を口述し終わったが、非常時日本の現状を座視するにしのびず、関東別院に居を移して国体擁護のため、昭和神聖会の創立準備に携わっていた(7月22日発会式)。
そのため、口述は中止のやむなきをえていたが、ようやく少し時間ができたところで、昭和九年七月十六日、午の巻を口述し始めて、七月二十日には完成させることができた。
この巻は終始、竜の島根の物語を記したもので、朝香比女の神一行の活動状態については、次巻をもってご神業の一部を発表することとする。
本文
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この至大天球(たかあまはら)に偏在充満する、一切すべてあらゆるものは、気体や液体でさえも、声音を発する性質を持っている。
どんなものでも、かすかに変動すればかすかな声音を伴い、大いに変動すれば大きな声音を伴うということは、私が日常に経験しているところである。
さて、声音とは何なのか。理学者が唱えるところによると、音響は振動であり、その振動が媒介物(主として空気)を伝い、人間の鼓膜におよび、聴覚神経を経て脳に達することで、声音が認識される、というのである。
しかしこれは、単に唯物論的な、物質世界の現象に就いての解釈に過ぎないのである。
私は、このような物事の半分しか見ていない解釈には満足することはできない。さらに進んで、なぜ物の振動はさまざまな音響となるのか、そして音響はどのような機能、効果をもっているのか、が知りたいのである。
言い換えれば、声が出るときに空気が通過するのは何の為であるか。どうして思考が発声器官を通って声となり、また聞こえてくる声と音が、聴覚器官を通じてどのように精神に影響を与えるのか、と知ろうとしているのである。
さらに、これを突き詰めていくと、精神とは何ぞや、という問題に帰着するのである。
このような問題に対しては、科学の説明以上の不可思議な力、無碍自在の妙機を認めざるを得ない。哲学的な領域の問題なのである。
古来の哲学宗教は、あるいは声音という現象をさかのぼって行き、帰納的に絶対不可思議な本源を認めている。あるいは無碍自在の妙機である根底から、演繹的に思想を展開して、声音という現象を説いている。
この無碍自在の妙機、絶対の不可思議力こそが、宇宙の本体である、独一真神、久遠の妙霊にして、一切の声音は、この存在の発現なのである。
『大毘盧遮那経』や空海の『声字即実相義』によれば、声は絶対実在の発現にして、万有一切もまた、絶対実在の発現なのである。したがって、声と物とはひとつであり、絶対声物一如というに他ならないのである。
また『新約聖書』のヨハネ伝によると、声(ことば)は即ち道であり、道は神であり、神は万有と説いているに他ならない(この意味では、キリスト教も多神教の一つであると言える)。
これらは要するに、釈迦やキリストらが認めた「声音即絶対説」であり、われわれの言霊学の声音根本説と類似している。しかしながら、それらは未だおぼろげに声音の妙機を想像したのみであり、言霊学のように、絶対の真を伝え、各声の霊機を明確に整然と説いたものではないのである。
そもそもわが国では、大宇宙を至大天球(たかあまはら)と言い、大宇宙の主宰を天之峰火夫の神、または天之御中主という。そして、万有一切を「神」と言い、この活動力を「結び」と言っている。
これを言霊学から言うと、至大天球は「あ」と言い、天之御中主は「す」と言い、「す」が分かれ発して七十五声となり、この七十五声は結びの力によってさらに発動すれば万声となり、帰り納まれば一声の「す」におさまるのである。
これが一切法界の四大観である。この四大は即ち、あらゆる声音である。天之御中主の発動が神であり、神霊元子と言う。神霊元子とは、「こころ」である。こころとは、絶対の霊機が、ここかしこと発作する状態を言っているのである。このこころの発作がさらに現れたものが、即ち「こえ」である。こえとは、「心の柄」である。
この声を広義一面に「をと」と言う。「をと」とは、外より「を」に結びあたるものあるに対して、「と」を結び、応えるということである。「緒止」である。
これを厳格に区別すると、「こえ」は有霊機物、すなわち広義の動物の心的作用による、自発的な声音である。「をと」とは、無霊機物、すなわち植物・鉱物等が他から衝撃を受けて声音を発するもので、心的作用がない、他発的声音である。
しかし、動物の下等なものは植物と区別できず、植物の下等なものも鉱物と区別することができない。しかも、声音の質はすべて持っている。だから、本にさかのぼれば、声と音とは区別がなく、人間の声も、心の働きを別にして考えれば、音であると言える。
声と音とは、天之御中主の心が発動した声音の程度の差によって名づけられたものであり、等しく広義には声なのである。この声音は、法界一切の万有となって形相を現し、また幽冥に隠れて不可思議な性質を現す。
この、巻いては延び、隠れては発するという活機が、すなわちいわゆる「結び」である。この結びの力によって、一切法界が生住異滅する状態を、至大天球(たかあまはら)というのである。
したがって、至大天球の組成元素は、声音である。声音は、至大天球と共に存在して、如来、真神そのものである。これを真言と言い、道(ことば)と言う。真言はすなわち神であり仏である。言霊は天之御中主の心である。この心をさまざまに動き結んで、万有が生じる。
声も区別があって、人の声は明朗であるが、動物の声は数少なく混濁している。すなわち霊機が減少するにしたがって、声も減少するのである。
日本と外国にも音声言語に違いがあり、外国の声は濁音、半濁音、拗音、促音、鼻音を用いるものが多く、日本人の声は直音のみであり、清明円朗にして、各声に画然たる区別がある。外国人の声はその元声が少なく、日本人は多い。
サンスクリットの母音や、韻鏡(中国語の音韻論)の字母唇音にしても、直音を出そうとするときは、必ず数音をつづり合わせて不足を補っている。日本語ではこのような困難はない。このことは、本居宣長の『漢字三音考』でも論じられている。
外国にはつまる音、鼻音が多いが、これらは正しい韻ではない。また、ンではねる音が多いが、ンは鼻から出る音で、口の音ではない。一方、他の音は口を閉じては出ないが、このンだけは口を固く閉じても出るものである。したがって、わが国の五十連音は誤りである。この五十連音はサンスクリットから借りてきたもので、濁音、半濁音を除いている。わが国の声音は、濁音、半濁音を合わせて七十五音なのである。
要するに、声音は至大天球の主宰、天之御中主の心の現れたものであり、一切万有が享有する霊機の程度によって声と音とに分かれ、声はさらに霊機を享有する程度によって、人の声と動物の声に分かれる。よって、声音の正不正と多少は、霊機の正不正と多少を示しているのである。
それのみでなく、わが国では、声におのおの活機があって、外国語のように無意味な符号ではない。たとえば、漢字音の風をフウという音は、どういう意義を有するか。金をキンという音は、何の意義をもっているか。
これこそが世界の語学者がもっとも苦心している問題であり、日本の文部省が国語仮名遣いのために焦慮しても、何の効果もないのは、この根底がないからである。もしこの根底があれば、国音、国語はもちろん、中国、インド、英仏独、ないし禽獣魚類の声をも理解することができるのであり、音を聞けば草木、金石、線、竹の種類をも分けることができる。
釈迦はこの功徳を説いて、一切衆生語言を「陀羅尼」と言ったのであり、わが国ではこれを「言霊」と言っている。
言霊は言葉の霊(たましい)である。霊とは心の枢府である。すなわち、自分の心の枢府(小我)はやがて天之御中主(大我)の心の枢府となる。この心の枢府を言葉の上から見たものが、すなわち言霊なのである。だから、言霊を知るときはあらゆる一切の言語声音を知ることができ、一切の言語声音を知るときは、天之御中主全体、すなわち至大天球(たかあまはら)を知るのである。
だから、もし真にこれを知って言霊を用いれば、一声のもとに全地球を焼くこともできるし、一呼のもとに全宇宙を漂わすこともできる。まして、雷霆を駆り、風神を叱咤し、一国土を左右し小人を生殺することはなんでもない。
このような言霊、大道、妙術は実に、わが国固有のものである。ゆえにわが国を言霊の幸はふ国と言い、言霊の助くる国と言い、言霊の明らけき国と言い、言霊の治むる国と言うのである。
わが国がこのように霊機の集まるところであり、このような大道を具有している理由は、至大天球成立の自然によるのである。それは、至大天球における脳髄のようなものだからである。
古事記による天体学から証拠を求めると、地球は至大天球の中心に位置し、やや西南に傾度をもっている。そしてわが国は、その地球の表半球の東北方面の上部に位置しているので、あたかもわが国は、地球面の中央の上に位置しているのであり、温帯中にあって寒暑が適度にあり、土壌が豊かで水気は清澄なのである。これゆえ、わが国をまた、豊葦原瑞穂の国と言うのである。
豊葦原とは、至大天球(たかあまはら)のことである。瑞穂は「満つ粋」であり、「ほ」は稲葉などの穂または槍の穂先などのことであり、精鋭純粋のものを言うのである。満つ粋(みつほ)の国とは、地球上における粋気が充満する国、という意味である。
だから、その国土に生じる一切は、皆精鋭の気を集めて生まれている。霊機もまた精鋭なのである。この霊機を真に用いれば、天を震わせ地を揺り動かす業も難しくないのである。そして、このように精鋭なものを用いようとすれば、その用法もまた、精鋭である必要がある。
そして、その用法とは、実は我が朝廷における天津日嗣の大道妙術なのであり、いわゆる言い継ぎ語り継ぎつつ伝えられる、わが国固有のものなのである。
しかしながら、崇神天皇の大御心によってひとたび包み隠されて以来、しばらくその伝を失ってしまった。天下は乱れて儒仏教の伝来となり、これと同時に外国の語声をも輸入することとなった。
以降、わが国の道はますます失われ、言霊の伝はいよいよ滅び、万葉集時代にはすでに仮名遣いの誤れるものも多くなってしまった。こういう有様のうちに、今日使用されている五十音ができあがるに至ったのである。
五十音はインドのサンスクリットの転化したものであり、自然の理法にたがえることはなはだしいものである。今、崇神天皇以来二千年を経て天地が一回りし、かの秘蔵された大道が世に出ようとするに至っている。しかしながら、習慣に慣れて久しい人々は皆、謝った五十音をもって大道の本然であると信じ、言霊をかえって奇異を好むでたらめの説であるとしている。
だから、今ここにこれを明らかにしようとするに際して、まず現行五十音の基本であるサンスクリット音韻が宇宙真理の正伝ではないことを知らしめようとするのである。しかしまた、現行五十音がサンスクリットの音韻に基づくということを知らない人もあるので、さらに一歩を引いて、五十音の出所を論定し、そうしてから本論に入る。
五十音図は、吉備真備の作、または真言の僧徒が作ったなどの説があるが、いずれにしても、サンスクリットから出たものは明らかである。真言僧が作ったといえばそのものであるし、吉備真備が作ったにしても、漢語の音韻を参考にしたであろう。しかし漢語の音韻はサンスクリットを元にしているからである。サンスクリットには母音十二字、父音三十五字がある。その音字の配列順序を勘案するに、これがサンスクリットの音韻図を元にしていることは明白なのである。
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01 01 〔1982〕
天之峯火夫の神が大宇宙の高天原に生じまして以来、幾千年の星霜を経たけれども、天は未だ備わらず、地はまだ若くして、くらげなす漂える島々の中にも、特別に美しく地固まった天恵の島があった。
この島を葭(よし)の島、また葭原(よしはら)の国土とも言った。この島国は葦原の国土に比べて約十倍の広さを有し、万里の海の中に漂う生島である。
この島の中央に立つ高山を伊吹の山と言い、その麓を巡る幾百里の湖水を玉耶湖といった。伊吹の山には花樹が繁茂し、芳香は風に薫じて地上の天国のようであった。
この山を中心として湖面に、竜神(たつがみ)と称する種族が出没し、平和な生活を楽しんでいた。しかしながら、竜神族はいずれも人面竜身であり、人間としての形体が備わっていなかった。竜神族の王は、なんとかして国津神のように人体を備えたいものだと、日夜悩み焦っていた。
この湖水の上流に水上山という大丘陵があり、国津神はこの丘陵を中心に平和な生活を送っていた。この里の酋長を国津神の祖と称し、名を山神彦と言い、その妻を川神姫と言った。
山神彦、川神姫の夫婦の間に、容姿美しく、雄雄しくやさしい男女二柱の御子があった。兄をあでやか(艶男)と言い、妹をうららか(麗子)と言った。二人の兄妹は互いに睦び親しんで、どこに行くにも常に一緒であった。
ある夜、麗子は大自然の風光にあこがれ、ただ一人水上川の岸辺に下りていき、月下の川辺に立ち、美しい光景や兄への憧れを歌っていた。
すると、川底を真昼のように輝かせながら、ぬっと首から上を水面に出して、歌を歌う男がいた。よくよく見れば、麗子の慕う兄の艶男であった。
麗子は思わぬところで兄とであったうれしさに川に入ろうとしたが、身を切るばかりの冷たさに驚き、岸に馳せ上がった。
実はこれは艶男ではなく、この湖底に潜む竜神族の王であった。竜神の王は国津神をとらえて婚姻し、それによって人面竜体を脱して国津神と同様の子孫を産もうとしていたのである。しかしながら、水中にある竜体は、川底の藻草で包まれていたので、麗子には青い衣を着ているように見えていた。
麗子は竜神の王を実の兄だと疑わず、冷たい川水から早くあがってこちらに来てください、と歌いかけた。竜神の王は逆に、川水の中に入り来たって一緒に竜の都へ行こう、と麗子に誘いかけた。
麗子は腑に落ちなくなってきて、もしかするとこれは、兄ではなく竜神が兄の姿を借りているのではないか、と疑い始めた。竜神の王は、艶男そっくりの声で、夫婦の契りを結んで一緒に暮らそう、と歌いかける。
麗子は川岸へ上がれと歌い返し、双方が水陸両面から歌を掛け合わしていた。すると、一天にわかにかき曇り、あたりは闇に包まれ、波が狂いたった。たちまち暗中から一塊の火光現ると見ると、艶男と見えた男は人面竜身と変じ、麗子の体をひっ抱え、湖中に浮かぶ伊吹山方面さして逃げ去ってしまった。
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01 02 〔1983〕
幼いころより離れたことのなかった麗子の姿が、卒然として見えなくなり、兄の艶男は心をいらだたせ、物寂しさを感じつつ妹の在り処を探すべく、月下の野辺を逍遥しながら声を張り上げて歌を歌っていた。
すると、萱草の生い茂る中から、麗子の声で歌が聞こえてきた。艶男は、麗子をたずねてここまで探し歩いてきたことを歌い訴えるが、麗子の声は、自分はすでにこの世に亡き身であり、竜神の都に囚われてしまったことを告げた。今は魂が凝って草葉のかげから歌っているのであり、もはや生きて見えることはできない境遇である、と伝えたのであった。
艶男は麗子が竜の都に誘惑され、現世ではもはや再び会うことができないことを知った。そして、この上は死して君の所へ行こうと歌うが、麗子は父母を思ってこの世にとどまるよう諭した。そして麗子の魂は、一個の火団となって舞い上がり、玉耶湖の空さして中天に姿を隠した。
艶男は麗子恋しさに思いつめた思いを歌い、玉耶湖をさして急ぎ湖畔にたどり着くと、月に向かって合掌し、竜の都の妹の下へ行こうと歌うと、サブンと湖中に身を投じてしまった。
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01 03 〔1984〕
麗子は人面竜身の怪物にさらわれ、黒雲の中をものすごい速度で運ばれてきた。そして、とある紫の壁、蒼い瓦の門前に下ろされた。ふとあたりを見れば、そこは湖水すれすれに浮かんだ、竜神の都の表門であった。
数多の人面竜身の竜神族は、「ウォーウォー」と叫びながら、藻の衣をまとい、顔面のみを出して、幾百千ともなく門の両側に端座して迎えていた。
竜神の王は、国津神の娘、麗子姫を竜神族の王として迎え祭り、竜神族の子孫を人の姿に生みなおしてもらおうと、声もさわやかに歌った。竜神たちは、さまざまな音楽をかなでて歓迎の意を表し、陸に湖に出没して踊り狂う声は、天地も崩れるばかりであった。
麗子はあまりの光景に不審の念が晴れず、父母や兄の事を思いながら黙然とうつむいていた。竜神の王は、ここは竜神の都であり、麗子によって竜神族の竜身のすがたを救ってもらおうとしているのだ、と歌い説明した。
麗子はもはや仕方がないと決心を固め、この憐れな種族にとついで人間の子孫を生もうと、艶男への恋心を断ち切ろうとしたが、心の底に一片の名残が残っていた。
麗子は、今は竜神の王となって竜神族を助けようと決心を固めたことを歌った。竜神の王は感謝の意を表し、今日からは竜宮の弟姫として、竜神族の守りとなってくれるよう頼んだ。
竜神たちは、金、銀、瑪瑙など宝玉で飾った神輿を担ぎ来て、弟姫となった麗子の前に降ろし、平伏した。竜神の王は、この輿は麗子のために作ったものであり、竜神族の真心を表したもので、どうか乗ってくれるように頼んだ。
麗子は今はこの輿に乗って進もうと応じ、神輿の鉄戸を開いて立ち入った。神輿は直立しても頭が天井につかえることはなく、長柄の棒を担ぐ竜神族は幾百人という大きなものであった。
竜神の王を先頭に進んでいくと、七宝で飾られた大楼門が現れた。白衣をつけた竜神たちが左右に鉄戸を開き、神輿は粛々と中に入っていった。そこは妙なる鳥の声が木々のこずえに響き渡り、その荘厳さは言葉に尽くせないほどだった。
この大竜殿の玄関に、神輿はうやうやしく下ろされた。竜神の王は、ここが我が住む館であると歌った。麗子は神輿の戸を開いて庭に降り立つと、竜神王の後について奥殿へ進み入った。
これより麗子は、竜宮の弟姫とたたえられ、竜神の王に大竜身彦の命と名を与えると、この島の司として輝きわたることとなった。
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01 04 〔1985〕
艶男は麗子がもはや霊身となって、現世の人でないことを知ると、嘆きのあまり玉耶湖に身を投げてしまった。
そこへ、白髪異様の老人が一艘の船をこぎながら釣り竿をたれていたが、艶男の飛び込んだ音に後を振り返り、誰か知らぬが、飛び込んだ者があるようだ、助けねば、としばし考え込んでいる。
すると、はるか先方に黒い影がぽかりと浮いた。老人は小舟をこぎ寄せ、黒い影に手を差し伸べて船中に救い上げた。よく見れば、国津神の子、艶男であった。老人は水を吐かせ、人工呼吸を施して蘇生させた。
老人は、国の御祖の子が、なぜかろがろしく命を捨てようとしたか、諭し呼びかけた。艶男は正気に復し、恋しき人に別れて、世をはかなんで生きる希望を失ったのに、なぜ私を救うのか、と恨みを歌った。
すると老人は厳然として、自分は湖の翁、水火土(しほつち)の神であると明かし、命を捨てて何になろう、生きて国を守るように、と艶男に諭した。
艶男は老人が水火土の神と知って恥ずかしく思ったが、今ここに命を救われたことは幸いであると悟った。水火土の神はにっこりとして命を捨てることの愚かさと罪深さを説き、悔い改めよと諭した。艶男は翻然として命の尊さに思い至った。
そして艶男は、麗子が竜神にさらわれて命を失ってしまったことを、水火土の神に訴えた。すると水火土の神はにこにこしながら、麗子は命を救われて竜の都にいることを知らせ、今から艶男を導いて竜の都に送ろうと歌った。
艶男は、これから進んでいく竜の都に思いをはせ、また死んだと思っていた麗子が生きていると知って喜び、自分の命を救ってくれた水火土の神に感謝の歌を歌った。
水火土の神は歌いながら船を漕ぎ出し、ようやくにして竜宮の第一門にたどり着いた。大身竜彦の命は艶男が尋ね来たことを前知し、数多の従臣を第一門に遣わし、艶男の上陸を歓迎の意を表しつつ待っていた。
本文
01 05 〔1986〕
大竜身彦の命は、四柱の重臣(春木彦、夏川彦、秋水彦、冬風彦)を従え、伊吹山に花見の遊覧を試みた。山の中腹の鏡の湖のほとりに莚を敷き、酒を酌み交わしながら歌を歌った。
大竜身彦の命が長寿を祈る祝歌を歌うと、数多の従者たちは音楽をかなでつつ踊り舞った。続いて重臣たちが、弟姫神の降臨と婚姻を祝い、竜神族の将来を希望する歌を歌った。
弟姫神となった麗子(うららか)は、竜神族に栄えをもたらす決意を歌に読み込むと、白雲はさっと開け、日月は一度に並び輝いて、たちまち第一天国の光景を現出した。
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01 06 〔1987〕
一方、水火土(しほつち)の神に送られて竜宮島に上陸した艶男(あでやか)は、鉄門の前に立って名乗りをあげた。
門を守る女神は、水火土の神と艶男の来訪を、大竜殿に居た弟姫神に奏上した。弟姫は、兄の来訪を知って恋しさとうれしさ、恥ずかしさが一度にあふれたが、表には現さず、国津神の長の子をねんごろに迎え入れるように命じた。
竜神の案内で、水火土の神と艶男は大竜殿に進み入った。そして、奥殿で簾ごしに妹の弟姫神と言葉を交わした。二人は互いの関係の清さを水火土の神の前に明かした。そして艶男は妹が今は竜宮島の弟姫神として竜神王に嫁いだことを祝った。
そこへ、大竜身彦の神が、重臣たちを従えて戻ってきた。大竜身彦の命は、弟姫神の兄の来訪を喜び、艶男を宴に招待した。一行は弟姫神について、大奥に進んでいった。
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02 07 〔1988〕
弟姫神の兄、艶男の姿の美しさに、竜神の侍女神たちは先を争って集まって来た。侍女神たちはいずれも人面竜身であったが、その美しさには犯しがたい気品があった。
侍女神の一人山吹は、恐る恐る艶男の近くに寄り、艶男への恋心を歌った。しかし艶男は、実を結ばぬ恋ゆえに、応えるわけには行かないと断り、返事をしばし待つようにと返した。
艶男は庭の白砂を踏みながら、曲玉池の木陰に進んでいくと、今度は侍女神の白菊が物憂げに立っていた。艶男はその風情に打たれて名を問うと、白菊は艶男への思いをぶつけてきた。
艶男は自分は国津神の長の家を継ぐものであり、ここには長くとどまることができないから、思いに応えることができない、と返した。白菊は悲しみと恨みを歌ってそっとその場を離れた。
艶男は、妹を追って来たこの竜宮島で、はからずもこのような恋の情けの雨に悩まされるとは、と嘆じた。人面竜身の姿は自分の心にはそぐわないが、しかし面差しを見れば涙にくれる乙女であるし、このような恋の思いを打ち明けられて心悲しくなってしまうのだ、と悩みを一人歌う。
すると、前方の森からまた七人の竜神の乙女が入り来たった。艶男はまた見つかっては大変と、伊吹山の中腹にある鏡の湖に向かって逃げていった。
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02 08 〔1989〕
艶男が鏡の湖畔の木陰に逃げてほっとしたのもつかの間、あたりの草むらから、白衣に赤い袴の乙女が現れて、白萩と名乗り、またもや艶男に恋の相聞歌を歌いかけた。
艶男はいつものように、実のなき恋で、応えるわけにはいかない、と断るが、それでも白萩は恋の思いを歌に託して艶男に問い掛けた。そして、鏡湖のように底も知らぬ思いに、艶男のためには命を捨てても惜しくない、と心のたけを歌った。艶男は困り果て、父母を思えば恋の思いも起こらないと嘆いた。
すると、鏡湖の波を左右に分けて現れ来る三柱の女神があった。そして、艶男の憩う木陰ににっこりとして近寄ってきた。白萩は女神の降臨に、大地にひれ伏して礼拝している。
女神は艶男に目礼すると、自分は大海津見(おおわだつみ)の神の娘、海津見姫の神であると名乗った。そして、この竜宮の島根は愛の花咲くよう神が定めた、恋の島であり、艶男にこの島を作り固めて御子を産むようにと諭した。八十姫神の願いをことごとく聞き入れて、竜神族を救うように、と歌った。
艶男は、そのようなことをしたら、竜神の姫神たちのねたみ心をあおってしまう、と不安を歌うと、海津見姫の神は、この島の竜神の姫神たちには、ねたみ心は露ほどもない、これはまだ若い国土を作り固める業であるので、ためらうことなく進むように歌い返した。
艶男は、その心はわかったが、自分は国津神の身であり、とてもそのような業に携わるには及ばない、と歌った。海津見姫の神は、日を重ねて時を重ねれば、次々と心雄雄しく進んで行くだろう、と歌い、侍女神を従えて大竜見彦の命の宮殿深く、姿を消してしまった。
艶男は女神の命に不審の念に打たれつつ、もろ手を組んで、太い息を漏らして思案にくれていた。
白萩は艶男に近寄って、左手を握ろうとしたが、艶男はとっさに驚き、飛び退いた。白萩は悲しい声を張り上げて、さきほどの海津見姫の言葉を引き合いに出しながら、艶男のつれなさを非難した。
艶男は決心のほぞを固め、今はしばらくこの場を逃れようと、自分には病気があるので、この病気が治ったら白萩の思いに応えるときもくるだろう、と歌った。白萩は喜び、二人は竜宮殿に共に帰った。
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02 09 〔1990〕
竜宮島の王である大竜身彦の命が、国津神の娘・麗子姫を妃と定めて海原国のまつりごとを始めたことを寿ぎ、大海津見の神の娘・海津見姫の神はこのめでたい出来事を祝おうと、竜宮殿にやってきた。
竜宮の従神たちは姫神の来訪を喜び、歓待の準備に着手していた。海津見姫の神がやってくると、歓待の準備がすっかり整っていることに驚き、竜の島根がすがすがしく、竜神族たちが生き生きとしていることを喜んだ。
そこへ大竜身彦の命を先頭に、弟姫神、数多の供神たちが恭しく進み来て、海津見姫の神の前に最敬礼をした。大竜身彦の命と弟姫神は、歓迎の歌を歌った。艶男は弟姫神のそばに立ち、先だって鏡の湖のほとりで教えをいただいたことを謝し、海津見姫の神へ歓迎の歌を歌った。
海津見姫の神は、竜神族たちの姿は、月日をかけて改まり、まことの人と生まれるべきこと、また国津神の御水火(みいき)によって人となることを歌った。そして、艶男と麗子に、国津神の生言霊を宣り上げるように促した。
二人は七十五声の生言霊を幾度となく繰り返しながら、大竜殿の階段を悠々と上り、奥殿深く進み入った。海津見姫の神は上段の席につき、続いて大竜身彦の命と弟姫神が左右に着席した。女神たちは列を正し、数多の竜神、魚族まで集まり来て、今日の慶事を祝しつつ、珍味に舌鼓を打ち、踊り舞った。
弟姫神の麗子は、島の繁栄を願う言霊歌を歌って、今日のよき日を祝した。海津見姫の神も祝歌を歌い、身体を全きものとするために、艶男の君を守り立てて、人種を生み増やせ、と歌った。
続いて大竜身彦の命が祝歌を歌い、そして再び弟姫神が、竜宮の王となって神の世を造り固める身となった決意を歌った。
本文
02 10 〔1991〕
引き続いて、竜神の侍女神たちは、おのおの立って祝歌を歌い、麗子と艶男が竜の島根にやってきたことを称え喜んだ。
本文
02 11 〔1992〕
大竜身彦の命は、艶男のために、竜宮島第一の景勝地・鏡湖の下方の琴滝に寝殿を作って住まわせた。
艶男はこの寝殿で朝夕、天津祝詞や生言霊を奏上して、竜の島根の開発を祈っていた。竜神族の女神たちは、この寝殿の広庭に集まって艶男の言霊を聞きに集まっていた。
その言霊の力で、あたりに散在する巨岩は瑪瑙に変わり、滝のしぶきにぬれた面を日光に映して、得もいわれぬ光沢を放っていた。
ある朝、艶男が滝の光景を称える言霊歌を歌い終わると、夜の明けた庭に、竜宮城に仕える見目形優れた七乙女が、何事かをしきりに祈っているのが見えた。
艶男が七人に何を祈っているかを問い掛けると、七人の乙女、白萩・白菊・女郎花・燕子花・菖蒲・撫子・藤袴はそれぞれ、艶男への思いを打ち明け、せめて声を聞くためにここに来ているのだ、と歌った。
艶男は、七人の乙女に言い寄られて、ただどうしようもない自分を嘆く歌を歌うのみであった。
滝の落ちる剣の池の砂は、艶男の言霊によって金銀となり、水底の白珊瑚は乙女たちの赤き心によって赤珊瑚に染まり、滝のしぶきは珊瑚の枝に真珠・瑪瑙・黄金・白金に変じた。天地瑞祥の気はあたりに充満し、孔雀、鳳凰、迦陵頻伽が太平を歌う声が四辺から響いてきた。
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02 12 〔1993〕
艶男はつれづれを慰めるために神苑を立ち出て、庭伝いに森かげを逍遥しながら、乙女たちの恋の告白に悩む気持ちを歌っていた。
竜宮島にとどまって国土を開くと一度は誓ったが、竜神族の体の醜さに嫌悪を覚え、乙女たちの恋の告白に答えることもできずに辟易し、今はただ故郷へ帰りたい心が募り、心は沈んでいた。
そこへ、乙女の中でも最も激しい気性と思いを持った燕子花がそっと艶男を追ってきた。そして再び、猛烈な恋の告白の歌で艶男に迫った。燕子花の押しの強さに押しきられ、艶男はついに燕子花の思いを受け入れてしまった。
これより、燕子花は公然と艶男の寝殿に寝起きし、艶男にまめまめしく仕えることになった。
艶男は女の一念に押し切られて、人面竜神の乙女とちぎってしまったことを恥ずかしく思い、悩んでいた。そして、神々に、妻の体が人身となるよう祈り、言霊歌を七日七夜、絶え間なく宣り上げた。
すると、不思議なことに燕子花の体はたちまち人身となり、鱗は跡形もなく消えうせてしまった。この奇跡に艶男と燕子花は喜び、感謝の歌を歌った。
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02 13 〔1994〕
艶男は燕子花と示し合わせて、ひそかに竜宮島を出てともに故郷に帰ろうと決心を固めた。艶男と燕子花は、麗子にも知らせずに、郊外の散歩にことよせて、真夜中に第一門の方へと急いで行った。
第一門の鉄門を開けると、そこは渚で波が迫っていた。艶男はいかにしてこの湖を越えようかと思案にくれる歌を歌っていると、波をかき分けて現れた八尋の大鰐があった。鰐は水面に背を現し、二人に背に乗るよう促している風であった。
二人は天の与えとばかりに鰐の背に飛び乗ると、鰐は湖を南のほうへと泳ぎだした。艶男と燕子花はこの天佑に喜び、感謝の歌を歌った。
すると、後方からどっとときの声があがった。二人が月光を透かし見れば、これは二人が逃げたことが発覚し、竜神たちが追っ手を放ったのであった。
これは一大事と、燕子花は声を張り上げて天之数歌をしきりに奏上した。するとときの声はぴたりと止んで、鰐の速度はいっそう速くなった。
水上山がほんのりと見えはじめ、二人は水上山の国津神の国への思いを歌に交わした。すると、波の奥から忽然と一艘の舟が漕ぎ寄せてきた。見ると、これは水火土の神であった。
水火土の神は艶男らを迎えに待っていたと言い、ここからは海の瀬が強いので、鰐の背から舟に移るように二人を促した。艶男はここまで送ってくれた鰐に感謝合掌し、二人は水火土の神の舟に乗って、月照る海原を南へと漕ぎ出て行った。
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02 14 〔1995〕
水上山を中心として約二十里四方の土地を治める国津神の御祖の神、山神彦・川神姫は、二人の兄妹が姿を消してしまったので、夜昼となく慟哭し、見る影もなくやつれた姿になってしまっていた。国津神たちは二人を捜し求めたが、一ケ月を経ても何の便りもないままであった。
二柱は玉耶湖の汀辺をさまよいながら、兄妹を捜し求める歌を歌っていた。そこへ館に仕える従者神の真砂がやってきて、昨日の夢に、艶男はまもなく帰り着て、麗子は竜宮島の王になっていることを見た、と伝えた。
川神姫は夢の話に希望を託して、ひとまず今日は帰り、また次の機会をまとうと答えた。次の朝、山神彦・川神姫は、真砂に導かれて、栄居の浜辺に出て行った。すると、はるか前方から一艘の舟が漕ぎ来るのが見えた。
次第に舟が岸に近づくにつれて、水火土の神が先導をし、艶男と見慣れない女神が乗っているのが見えた。やがて舟が岸に着くと、両親は天に向かって感謝の言葉を奏上し、喜び勇んで水上山の館へと帰って行った。
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02 15 〔1996〕
大御祖の神夫婦は、息子の艶男が妻を伴って竜の島根から無事に帰ってきたことを喜び、多くの国津神を招いて祝賀の宴を開いた。山神彦・川神姫は、息子の帰還に喜びの歌を歌った。
祝宴は簡単に済まされ、おのおのは思い思いに河辺伝いに庭園を逍遥することになった。艶男は栗毛の駒にまたがり、燕子花は白馬にまたがり、川辺に咲き乱れた山吹の花をめでつつ、美しい水上山の景色を称え、二人の絆を確かめる歌を歌った。
すると、御祖の神に仕える重臣たち、岩ケ音、真砂、白砂、水音、瀬音の5人は二人のところへかけより、おのおの祝歌を歌った。
こうして宴席は閉じられ、日は西山に傾き黄昏があたりを包んだ。
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03 00 - 本文
03 16 〔1997〕
一方、竜の島根では、姫神たちが、艶男が消えうせたことに上を下への大騒ぎをしていた。大竜身彦の命は失望のあまり奥殿に深く姿を隠し、麗子姫は侍女に命じて探させたが、何の手がかりもなかった。
麗子は嘆きの思いを歌に歌っていた。そこに艶男に恋焦がれていた白萩が現れ、燕子花の姿が見えないことから、二人で逐電したに違いないと麗子に告げ、共に艶男の失踪を嘆き悲しむ歌を歌った。
麗子は心乱れ、しばらく休むために奥殿に入っていった。白萩は、ひとり琴滝のほとりに行き、さらに嘆きの歌を歌っていた。そこへまた女神・白菊がやってきて、ともに艶男のいない悲しみを歌いあった。
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03 17 〔1998〕
白菊と白萩は、思う存分泣こうと嘆きの述懐歌を歌いあっていた。そこへ、同じ思いを持つ女郎花が悄然と入り来て、ともに同じ思いを打ち明けあっていた。
そうするうちに、桂木の森をそよがせてやってくる神があった。見れば、艶男である。三人の女神ははっと驚いて、呆然として艶男を見つめていた。
艶男は、自分の肉体はすでに水上山の故郷に帰ったが、三人の真心に引かれて、生言霊が消息を告げにやってきたのだ、と語った。そして、自分の突然の帰還を詫び、燕子花は共に水上山にあることを伝え、三人にそれぞれ歌を送ると、さっと潮風に乗って白雲の奥深くに消えてしまった。
三人の女神は艶男・燕子花の消息を知ると、日ごろの思いを達しようと矢も盾もたまらず、元の竜体になると、湖中にとびこんで南を指して泳ぎ進んでいった。
三柱の竜神は、浦水の浜辺についたが、夜中であったので、多い側の河口からひそかに水上山の聖地へと上っていった。一度竜体になると、容易には人面に戻ることができないので、大井川の対岸の藤の丘という、樹木が密生する場所に忍び住むこととした。
これより、艶男は三竜神の魂に夜な夜な引き込まれ、とつぜん大井川の川辺が恋しくなり、暇があるたびに駒を駆って川を渡り、藤が丘の谷間に遊んでいた。
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03 18 〔1999〕
竜の島根は、艶男が姿を消してより、大竜身彦の命と弟姫の神は奥殿深く姿を隠し、また七乙女の半分以上も姿を消してしまったため、火の消えたようなさびしい有様となってしまった。
七乙女のうち、取り残された撫子、桜木、藤袴をはじめ、島の姫神たちは、嘆きのあまり伊吹山の鏡湖の汀に集まり、天を仰いで日夜慟哭しながらおのおの述懐の歌を述べていた。
すると、鏡湖の水を左右に分けて昇ってきた女神は、海津見姫の神であった。竜神族の女神たちははっとひれ伏して敬意を表した。
海津見姫の神は、天の数歌を授け、人の姿になるために、人身となるまで言霊を宣り上げるようにと諭した。
これより、島根の竜神たちは、昼夜絶えることなく天の数歌を宣りあげると、一年後には完全な人身と生まれ変わった。竜の島は、宝の島、美人の島、生命の島と称えられるにいたった。
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03 19 〔2000〕
水上山は艶男が帰ってきてからは生活が豊かになり、国津神たちは泰平の世を謳歌した。
艶男と燕子花は、朝夕に庭園に出て仲むつまじく逍遥していたが、燕子花はなぜか水辺を好み、大井川の清流をじっと見つめて浮かない顔をしていた。
艶男は燕子花にそのわけを尋ねた。すると、燕子花は、竜神の性が体に残っており、川で水浴したいという思いが、流れる水への慕わしさをかきたてるのだ、と答えた。
そして、ひとりで思うまま水浴することができるよう、大井川をせきとめて、淀を作ってくれるよう、艶男に頼み込んだ。
艶男はさっそく国津神たちを集めて堰をつくった。この堰は大井の堰と名づけられ、あふれた川水が滝となって下流に落ちていく様は、壮観であった。
燕子花は月が昇った後に、艶男に告げて、ひとりで大井の川瀬に水浴に出かけた。艶男は妻の様子が腑に落ちないので、ひそかに大井の川瀬に出て、葦草の中に身を潜めて、妻の挙動をうかがっていた。
燕子花は真裸になって水中に飛び込むと、体は元の竜神の体に変じ、うろこの間の虫を洗い落としていた。
燕子花は水上に顔だけのぞかせて水浴していたので、艶男は燕子花が竜体に戻ってしまったことは少しも気づかなかった。そこで、みぎわ辺に立って、妻に歌いかけた。燕子花は答えの歌を歌い、もうすぐ水浴を終わって戻るから、心配せずに帰るよう、艶男に歌いかけた。
艶男が帰ったのを見届けて、燕子花は水中を駆け回り、水煙を上げて泳ぎ回ったが、ようやくみぎわ辺に這い上がると、呪文を唱え、人体と化した。そして、何食わぬ顔で夫の館を指して帰って行った。
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03 20 〔2001〕
艶男と燕子花は、夏の初めに、大井川の淵に新しい舟を浮かべて、半日清遊を試みた。
艶男と燕子花は歌を歌いあったが、艶男は最近、藤ケ丘にあやしい煙が立っているのを不審に思っており、誰か人がいるのではないか、と思いを語った。
燕子花は驚きの色を浮かべて、藤が丘の煙を見るたびになぜか魂がおののき、朝夕に雲霧が立つのは、藤ケ丘に竜神が住んでいるのではないか、と懸念を歌った。
艶男は妻が嫌がる丘には近づかないようにしよう、と誓い、みぎわ辺に舟をつないで館に帰って行った。
二人が夕飯をすませて話しにふける折しも、燕子花はにわかに産気づき、陣痛が激しくなったので、かねてから設けてあった産屋にはいって戸を固く閉じた。
山神彦・川神姫はこのことを知るととても喜び、直ちに神殿に詣でて祈りの言葉をささげ祀った。
山神彦・川神姫が艶男の居間に来てみると、息子は腕を組み、黙ったまま青ざめた顔をしていた。山神彦夫婦がわけを尋ねると、艶男は妻の容態が心配でもあり、また生まれてくる子がもしや竜神ではないかと思うと、心が苦しいのだ、とわけを打ち明けた。
川神姫は、神の恵みを信じて心配しないように息子に諭した。そうするうちに、子供が無事に生まれたという知らせが一同に届いた。山神彦は、産婦は姿を見られるのを嫌うので、七日七夜、産屋に近づかないように厳命し、ふたたび神殿に額づいて、燕子花の安産の感謝をささげ、川神姫とともに寝殿に入っていった。
艶男は、父の厳しい戒めにも関わらず、妻や子を一目見ようと、月の照る庭を忍び忍び産屋に近づき、戸の外からすかし見れば、燕子花は竜の体となって、玉の子を抱いて眠っていた。
艶男は肝をつぶし、あっと叫んで逃げていったが、燕子花を目を覚まし、この姿を夫に見られたかと思うと恥じらいのあまり、戸を押し開けてまっしぐらに大井ケ淵の底深く飛び込んでしまった。
生まれた御子は、竜彦と名づけられた。
本文
03 21 〔2002〕
燕子花は最愛の夫に醜い竜の体を見られたことを恥じらい、大井ケ淵に見を投じて、これから先は淵の底から艶男の声を聞いて楽しみとするのみの生活を覚悟した。燕子花は竜体に還元してしまったので、人語を発することができなくなってしまった。そして、心の内で歎きの述懐歌を歌った。
山神彦、川神姫の二人は、夜中の出来事を聞き、驚きと歎きのあまり、表戸を固く閉じて七日七夜、閉じこもってしまった。艶男は突然の出来事に、驚き歎きつつ、朝夕に大井川のみぎわ辺に立って、追懐の歌を歌っていた。
水上山の政をつかさどる四天王は、あまりの異変に驚き、今後の処置を艶男に計ろうと居間を訪ねたが、もぬけの殻であった。驚いて、もしや艶男は燕子花の後を追って淵に身を投げようとしているのではないかと、急いで大井川の淵瀬に来て見れば、はたして艶男は両岸をはらし、涙の袖を絞って歎いていた。
四天王のひとり、岩ケ根は背後から艶男を抱え、残された御子や父母のことを思い、おかしな心を起こさないように諭した。艶男は、もはや自分には死しかないと思い定めたのだ、と答えた。
続いて、四天王のひとり真砂もまた、艶男をいさめたが、艶男は、もはや死に思いを定めたので、あとは自分に代わって竜彦を育ててくれ、と答えた。
さらに、真砂、水音は艶男を諭す歌を歌い、ようやく艶男は、自分も人の情けを知る身であると答え、一行は館に帰り行くこととなった。
本文
03 22 〔2003〕
艶男は岩ケ根をはじめとする四天王の言葉を尽くしてのいさめに、死を思いとどまったが、なぜか大井の淵が恋しくてたまらず、朝夕に船を浮かべて遊ぶのを、唯一の慰めとしていた。
岩ケ根は、艶男にまさかのことがあってはと、真砂、白砂を監視として舟遊びに伴わせていた。
小雨が降る夕べ前、大井ケ淵にしばし舟遊びを試み、黄昏の幕が迫るころ、不思議にもかすかな声がどこからともなく聞こえてきた。よく耳を澄ませば、以前に竜の島で艶男に思いをかけていた、白萩の悲しげな声であった。
白萩は、艶男が燕子花と逐電したことに恨みを述べ、故郷の竜の島根を捨てて、藤ケ丘に移り住んだのだ、と歌った。艶男は、自分も木石ならぬ身ではあるが、一つの身でいかにできよう、と返し、自分もまた今は悲しみの淵にあり、今はただ両親のために生き長らえているのみなのだ、と歌った。
すると、今度は白菊の悲しげな声が聞こえてきて、やはり艶男への恨みを歌った。艶男は、白菊のことを忘れたことはなく、ただ時を待つように、と歌った。
また、今度は女郎花の声が、艶男への恨みを歌った。歌が響くおりしも、淵の水はにわかに大きな波紋を描き、水煙とともに、人面竜身の燕子花が立ち現れた。
艶男、真砂、白砂は驚き呆然としたが、波紋はますます激しく、舟も覆ろうとするばかりの荒波となった。艶男は意を決して、自分の恋する燕子花のすさびがこれほどまでなら、もはや自分は水の藻屑となろう、と歌った。
真砂、白砂は驚いて艶男の手をしっかりと握り、艶男を諭して押しとどめようとしたが、一天にわかに掻き曇り、暴風吹きすさみ、大地は震動して、荒波のたけりに舟もろとも、三人の姿は水中深く隠れてしまった。
これより日夜の震動やまず、雷とどろき、稲妻はひらめき、暴風が吹きすさんで雨は盆をかえしたように激しく降ってきた。水上山の聖場は阿鼻叫喚の巷と化し、岩ケ根は竜彦を背に追って高殿に避難して難を免れた。国津神たちは右往左往し、泣き叫ぶ様は目も当てられない惨状となってしまった。
ここへ、天より容姿端麗な女神が、四柱の侍神を伴って、この場に降ってきた。
本文
03 23 〔2004〕
水上山方面の地では、数日の間天災が打ち続き、暴風雨、地鳴り震動が連続的に起こり、大井ケ堰は濁水が流れ落ちた。
大井の淵には四頭の竜神が互いに眼を怒らし、一人の艶男を奪おうと絶え間なく格闘を続け、竜体から流れる血汐は濁水に混じって朱のごとくであった。
水かさは日に日に増し、低地に住んでいた国津神たちは住家を流され、生命を奪われるものも多くあった。山神彦、川神姫は岩ケ根、瀬音、水音とともに、幼い乳飲み子をかかえ、頂上の神殿に参篭して天変地妖がおさまることを祈願したが、惨状はますます広がるばかりであった。
そこへ、黒雲を分けて喨喨たる音楽とともに、四柱の侍神を従えて、水上山の頂へ御樋代神・朝霧比女の神が降臨した。四柱の侍神は、大御照(おおみてらし)の神、朝空男の神、国生男の神、子心比女の神である。
朝霧比女の神が厳然として宣言するには、この惨状をもたらしたのは、天津神が生んで治めるべき国を、我が物顔に振舞った罪である、と。竜ケ島根はまだ完全に備わっていない国であり、竜神たちは人の顔を持っているが、身体は獣である。神の子の御魂をもって、獣の姫を娶るのは罪であり、艶男は神の掟にそむいた報いで、命を落とした。今日からは、いずれの神も心を清めて改めるべし、と。
そして、朝霧比女の神が天の数歌の言霊歌を歌うと、雷鳴、暴風雨、地震はぱったりと止まって、安静の状態にたちまち戻った。
山神彦、川神姫は、濁流が次第に減じていくのを眺めながら、神の治めるべき国を我が物としてきた罪を悟り、悔い改めを誓った。この言葉の誠を知った朝霧比女の神は、二人を許し、国の司として水上山に止まることを許した。
山神彦をはじめ、重臣の岩ケ根、水音、瀬音はそれぞれ、これまでの罪を悔い改める述懐の歌を歌った。
朝霧比女の神の侍神、大御照の神は、今は完全な神ではない竜の島根の乙女たちも、御樋代神が島に渡れば、島は生きる国となり、伊吹山に集まる曲津見たちも、花となり匂うであろう、と歌った。
また、朝空男の神は、山神彦、岩ケ根、瀬音、水音に、力をあわせ、御子が成人したら御子をこの地の司として辺りを治めさせるように託宣した。
国生男の神は、葭原の国に降って、都を造る業に携わるであろう、と歌った。
朝霧比女の神は、年老いた山神彦・川神姫は政から引退して、岩ケ根に任せること、岩ケ根は御子が成人したら、国の政治を御子に返すこと、そして御子は竜神から生まれたので、国津神たちには育てられず、子心比女の神に預けて育てさせるよう、宣言した。
子心比女の神は御子を抱えると、水上山の一同に御子の生い立ちを約束し、御樋代神とともに高光山に居を定めることを宣言した。そして、御樋代神一行は、悠然と雲を起こして、高光山方面を指して去っていった。
高光山の東に、御樋代神の御舎は建てられ、土阿(とあ)の宮殿を造って土阿の国と名づけた。そして、高光山より西を、予讃(よさ)の国と名づけた。葭原の国を総称して、貴の二名島(うづのふたなじま)と言うようになった。
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