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霊界物語あらすじ

説明を読む
ここに掲載している霊界物語のあらすじは、東京の望月氏が作成したものです。
まだ作成されていない巻もあります(55~66巻のあたり)
第40巻 舎身活躍 卯の巻 を表示しています。
篇題 章題 〔通し章〕 あらすじ 本文
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瑞月は大正十年十月十八日(旧九月十八日)より、教祖神霊の示教のまにまに明治三十一年二月、高熊山の霊山に天使に導かれて幽斎の修業中、神幽二界を探検して見聞した事柄を後述し始めた。
そのとき、非法の三玉とか自ら称えている守護神どのの急忙な催促の下に、擬理天常非の出の神とか、大小軍とか床夜姫とかの筆先を見てもらいたいと申し込まれた。
けれども神様の御注意によって、『霊界物語』霊主体従第十二巻の後述を了るまでは一枚も見ることはできない、しかし第一輯が出来上がったら一見してもよい、との約を履行すべく、たくさんの筆先を読んでみたところ、抱腹絶倒せざるを得ませんでした。
要するにヒポコンデルの作用でできたもので、取るに足らぬ支離滅裂の乱書狂の世迷言を並べ立てたものであった。
まったく狐狸のいたずらに出たもので、男子女子の御霊をかつお節に使って、擬理天常非の出の神とかいう邪霊妖神の浅薄な奸計に出たものである。去る明治三十二年の夏、上谷の幽斎修業の際に四方某の体内に出入して書いた筆先そのままの文句であった。
神界のことがわからない人々の中には、一時に迷うものもあるかもしれない。実に困ったものである。万一、こんな神の書いたことを信じる人があるとすると、それは決して心の正しい人ではない。
誰の霊魂はどうだとか、彼の霊魂はどうだとか下らないことを言って、邪神が世人を狂惑しているのである。
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大八洲彦命は再生して月照彦神となり、終には印度国に降誕して釈迦となった。肉体を備えた釈迦は普通の人間、一人の乞食比丘であった。あるとき、周那というものの供養を受け、毒茸を食わされて中毒を起こし、河畔で倒れ死にをしたのである。
二十九歳で出家し、三十五歳で成道し、行脚遊説八十年にして入滅してしまった。二千有余年以前に普通の人と同じく死去してしまった。
されど如来としての釈迦牟尼仏は今も立派に生存しているのみならず、今後幾憶万年の末に至るまで決して絶滅する時期はないであろう。否、出生の始めもなく無始無終、永遠に生死を超越している。
これが生きた釈迦であり、三宝がその生命である。三宝とは仏法僧である。この三宝は区別するときは三種となるが、その真実は唯一の仏宝に帰納すべきものであり、一体三宝なのである。
今日に現存する大蔵経はすなわち釈迦であり、仏像仏画も釈迦である。僧侶もまた釈迦である。いずれも説法や感化の仏徳を備え、仏道の宣揚、下化衆生の動作をしないものはないのである。
このように仏法僧のある限り、釈迦の経論所説の真理は学者哲人その他、人類の脳裡に伝染し保留されて、人間がこの世界に存続する間は決して死滅するものではない。
出口教祖の教えも、瑞月の説法や著述もまた永遠に生存して、社会の光明となって万霊の世界を照明するものと信じている。ゆえに吾人が現代人にしきりに非難攻撃されてののしられても構わぬ。長年月の間において民衆のために師範たるを得ればよいのである。
仏法僧が釈迦そのものであるように、神と法と弟子の三宝が出口教祖でなければならない。経糸のお役である教祖が神ならば、緯糸の役もまた神であらねばならないと信じる。
瑞月が『霊界物語』を編纂するのも、要するに法・経蔵・経典を作るので、すなわち神を生みつつあるのである。また自己の神を現し、宣伝使という神を生むためである。この物語によって生まれた経典・宣伝使・神言はみな神であって、瑞月そのものの神を生かすためであると確信している。
『霊界物語』そのものはつまり、瑞月の肉身であり霊魂であり表現である。
霊魂学より見れば、釈迦の霊魂すなわち霊体は永遠無窮の生命を保ち給う宇宙主宰神の御分霊、御分体、一部の御表現仏として永遠に行き通しである。
釈迦にしたがい宣伝布教に仕えた諸々の菩薩・比丘・比丘尼・竜王・諸天子・諸天王もみな、行き通しでなければならない。
月照彦神もその他の諸神の霊魂も、やはり過去現在未来にわたって生き活き、天地万物の守り神となってその神力仏徳を永遠無窮に輝かし給う。
この物語も、天地開闢の元始より死生を超越し給える神々の神霊の幸いによって口述編纂したものなので、過現未三界を通じて大生命を保ち、宇宙の宝典となるとともに、この物語の口述者も筆録者も浄写者も印刷者も、みな神の活動を永遠になすものと言ってよいのである。
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印度の国の種姓は、主なるもの四姓があった。婆羅門種、ことに大婆羅門は豪族にして勢力あるものを言う。婆羅門は特に清貴とされ、天地創造した大梵天王の子として世々その称を受け継いでいるのである。
大梵天・梵自在天・大自在天という天界を主宰する、無始無終の大梵王という天神があり、無から有を出生せしめて天地を創造した。また大自在天の頭は虚空であり、眼は日月であり、地は肉体、河海の水は尿、山岳は屎、火は体温、風は生命、一切の生き物は自在天の肉身の虫である、という。
しかし神示の『霊界物語』によると、大自在天は大国彦命であり、常世の国に出生し常世神王である。大国彦命の子である大国別命が、婆羅門の教えを開いたことも、この物語によって明らかである。
常世国から埃及にわたり、メソポタミヤに移り、ペルシャを越えて印度に入り、ハルナの都に現れてバラモン教の基礎を確立したのは、大国別命の副神・鬼雲彦が大黒主と現れてからのことである。
バラモン教の起源は遠い神代の素盞嗚尊の御時代であり、釈迦の出生に先立つこと三十余万年である。舎身活躍の巻は主として印度を舞台とし、三五教、ウラル教、バラモン教の神代の真相を神示のままに口述することになっていますから、ここにバラモン神の由緒を述べておいた
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01 01 〔1085〕
鬼雲彦は、左守の鬼春別、右守の雲依別、石生能姫、鬼熊別その他の幹部連を大雲山の岩窟に集めて三五教・ウラル教に対して取るべき手段を謀議していた。
鬼雲彦は、鬼熊別の妻子が三五教に帰順して宣伝使となり、バラモン教の教線をかく乱しているとの報をしばしば耳にしていたので、二人の中にはいつしか大障壁が築かれた。
鬼熊別は左守の職を辞して部下たちと共に自分の館に潜んでバラモン教の行く末を案じ祈願していた。
今日は珍しく鬼雲彦の使いによって呼び出され、この協議の席に姿を現していた。この席には鬼雲彦の腹心ばかりが集まっていたので、鬼熊別との間には何となく意志の疎隔を来していた。
鬼雲彦(大黒主)は、三五教がバラモン教の本城であるハルナの都を覆そうとする計画を遂行しつつあることを示し、腹心たちにこれに対する対策を練るようにと申し渡して、奥の間に姿を隠した。
鬼雲彦の寵愛を受けている石生能姫が議長となって会議は始まった。左守は、鬼熊別が三五教のスパイとなっているとあからさまに疑いをかけた。鬼熊別はこれに反論して口論となるが、右守は鬼熊別を弁護した。
最終的には、石生能姫が鬼熊別監督の役を担うことになり、また明日からは大黒主の館へ出勤するようにと鬼熊別に情けをかけた。
石生能姫は大黒主の代理権を発揮し、左守の鬼春別には斎苑の館を、大足別にはカルマタ国のウラル教の本城を攻め落とすべく出陣を命じた。鬼春別が帰るまでは鬼熊別を左守に任命し、これをもって会議は終了した。
右守の雲依別は表面上左守と態度を合わせていたが、その実は鬼熊別を心中畏敬していた。石生能姫は、鬼熊別の男らしく威儀備わる容貌にひそかに恋着心を抱いていた。そのため、鬼熊別に同情する右守を止め、鬼熊別を讒言する左守と大足別に出陣を命じたのであった。
大黒主も恋愛の雲に包まれて、石生能姫に対しては善悪にかかわらず一言半句も反対したことはなかったのである。
本文
01 02 〔1086〕
出陣の用意が整い、幹部たちは見送りをなしたあとに本城の奥殿にて簡単な酒宴を催した。幹部たちが帰途に着いた。夜は深々と更け、夜嵐が吹きすさぶ丑満のころ、大黒主は石生能姫と共に来し方行く末を語らいあっていた。
大黒主が弱気になり、早く息子に位を譲って隠居したいとしょげ返ったのに対し、石生能姫は笑って活を入れ、また本妻の鬼雲姫を呼び戻してともに神業に参加すべきだと意見した。
大黒主は、本妻を追い出したのも、憎い鬼熊別を再び召し出したのも、石生能姫を思い言い分を立てたい一心からだと弁解する。
石生能姫は、鬼雲姫だけでなく鬼熊別も擁護し、両者ともにバラモン教の繁栄には欠かせない人材だと鬼雲彦に忠言した。そして、鬼雲彦があくまで鬼熊別を疑うのならば、自分自身が鬼熊別を訪ね、その心中を見定めて来ると宣言した。
鬼雲彦もついに折れて、石生能姫の鬼熊別邸訪問をゆるし、二人は寝に着いた。
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01 03 〔1087〕
鬼熊別は、大雲山の会議を終わって悄然として我が家に帰った。そこへ家老の熊彦がやってきて、大黒主が近侍を刺客に仕立てて鬼熊別に向かわせたという急報を注進した。
鬼熊別は、大黒主がそのようなことをするはずがないと一生に付したが、熊彦は、ハルナの館に仕える自分の親友が特に報せてくれた重大事だと主人をいさめた。鬼熊別はたとえそれが真実だとしても、大自在天に任せて主人たる大黒主に最期まで忠義を通す覚悟を熊彦に示した。
熊彦は逆に鬼熊別の覚悟を知り、諭されてただ涙を流して声を忍ばせ、しゃくり泣きをするのみであった。
刺客に仕立てられた大黒主の侍従たちは、黒装束に身を固めて鬼熊別の館を指して進んでいた。しかし館に通じる森の中の橋が落とされていることに気が付いた。熊彦が部下に命じて落とさせておいたものであった。
刺客たちはもともと怖気づいていたので、橋が落ちていたのを幸い、夜明けに間に合わなかったと大黒主に言い訳が立つとかえって喜び合う始末であった。
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01 04 〔1088〕
午前の五つ時、鬼熊別の館の前に石生能姫が現れて門番に門を開けるよう急き立てた。門番の注進によりやってきた熊彦は、一目見てそれが石生能姫であることを認めた。そして慌てて鬼熊別の奥殿に通した。
鬼熊別は、熊彦に伴われて石生能姫がやってきたことに驚きを隠せなかった。
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01 05 〔1089〕
鬼熊別と石生能姫は奥の間に端座し、向かい合いながらしばし沈黙していた。鬼熊別は内心、大黒主の寵愛を受けハルナの館を取り仕切る石生能姫が共も連れずに一人やってきたことに何か深い仔細があるものと警戒していた。
石生能姫は、鬼熊別を慕う自分の心中を明かそうという決意でやってきたのだが、いざ鬼熊別に対面するとその思いはどこかへ消えてしまったかのようであった。
鬼熊別は、大黒主が自分を信任することは決してないことを知っていたが、すでに浮世には心にかけることはないと覚悟をしていることから、石生能姫の命にしたがって左守の留守役を引き受けたことを明かした。
また鬼熊別は実際のところ、大黒主を堕落させた毒婦として石生能姫のことを見ていたことを明かし、一日も早く前非を悔いて自害し、大黒主の目を覚ますようにと厳しく責め立てた。
石生能姫は返す言葉もなく泣き伏し、自分自身も大黒主が本妻をないがしろにして職務に身を入れていないことを嘆いていることを明かした。そして自分の身の上話を始め、元は三五教の信者であったが両親に生き別れ、まだ幼少のころに大黒主に見初められて小間使いとして連れてこられたことを語った。
しかし大黒主は、長じた自分を寵愛し、恩ある鬼雲姫が自分のために大黒主から疎まれてしまう結果となった。そのことを苦にして自害しようとしたが、そのたびに中空から声が聞こえて押しとどめられたという。
そのため、大黒主に唯一忠言できる自分の立場を鑑み、バラモン教の柱石となる人物を守ることが自分の役割だと思い切って、これまで活動してきたのだと胸中を明かした。
鬼熊別は、石生能姫のバラモン教に対する赤誠を感じ、これまで毒婦と思ってきたことを詫びた。そして、大黒主の考えを改めてバラモン教の立て直しをしたいという自分の思いを石生能姫に吐露した。
石生能姫は、大黒主の我は左守の軍がウラル教徒に敗れなければ折れないことまで見通しており、その機をうかがいながら、共に協力してハルナ城内を清めようと鬼熊別に決心の内を明かした。
鬼熊別と石生能姫は志を同じくし、共にバラモン教の立て直しのために働くことを誓って別れた。鬼熊別は神殿に向かい、バラモン神に感謝の祝詞を奏上して涙を流した。
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02 06 〔1090〕
照国別は岩彦、照公、梅公を従えて西南の原野を跋渉し、ようやくライオン河の二三里手前のクルスの森に来て足を休め、神徳話にふけっていた。
五六七の神は万有一切の有相に現れて世人を救うと説く照国別に対し、照公は、まるで木の花姫神のようだと感想を漏らした。照国別は、木花姫神も五六七大神様の御活動であり、あらゆるものに変現して万有を済度したまうのが大神様の御真相であり、大和魂の根源だと答えた。
照国別は、大和魂とはすべての真・善・美を総合統一した身魂だと説き、仏教の菩提心だと説いた。真神は宇宙の本体、本霊、本力の合致した無限の勢力であり、仏は正覚者、大聖人、大偉人、大真人のことであると解説した。
さらに、大和魂は善の方に働く感情である慈悲心、理性、よき意志の三つが一致して大勇猛心を発揮したものであると説いた。
中でも、理性、知識、意志をよき方向に導くものとしての慈悲心がもっとも重要であり、三五教は慈悲心を柱にする感情教であるから、無抵抗主義もそこから出てくるのであると語り、そして敵を赦すことの重要性を説いた。
一同が神徳話にふけっていると、向こうから数十の騎馬隊がやってくるのが見えた。一同は茂みに身を隠した。彼らはライオン河を渡り、ウブスナ山のイソ館を襲おうと進撃する騎馬隊であった。
騎馬武者たちは森林に馬を乗り捨て、しばらく腰を下ろして雑談を始めた。
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02 07 〔1091〕
騎馬隊は、バラモン軍の武将・片彦の一隊であった。照国別一行は、彼らがイソ館への進軍の先鋒隊だと聞いてなんとか追い返そうと思案をめぐらした。
照国別は声も涼しく宣伝歌を歌い始めた。その言霊に打たれて、早くも騎馬隊の四五人は馬首をめぐらし躊躇の色が見え始めた。片彦は味方に叱咤し、今こそ三五教の宣伝使を打ち倒す時だと活を入れた。
照国別に襲い来る騎馬武者たちを見かねて、岩彦は金剛杖を振り回して突撃し、馬の足を殴り倒した。二騎が落馬し、騎馬隊は一目散に逃げ散った。岩彦は敵の馬を奪い、騎馬隊を追いかけて行ってしまった。
照国別は泰然として宣伝歌を歌っていたが、照公、梅公とともに岩彦が打ち落とした敵の騎馬武者二名を介抱し始めた。二人はたちまち回復すると、照国別一行に命乞いを始めた。
照国別は、バラモン教の騎馬武者ケーリスとタークスを自分の弟子となし安堵させると、清春山への使いを頼み、その後はイソ館に行って修業をなすよう諭し、手紙を託して送り出した。
一方、片彦の一隊を追って行った岩彦は、バラモン教の援軍に攻められて身体一面に矢を受け、瀕死の重傷を負って地面に転落してしまった。片彦と釘彦が岩彦の首を取ろうとしたとき、どこからともなく唐獅子の大群が現れた。
巨大な獅子の背にまたがった大男の眉間から強烈な神光が発射され、その勢いにバラモン軍は散り散りに逃げてしまった。
岩彦が気が付いてその神人を見上げると、それは時置師神・杢助であった。岩彦は驚きかつ喜び、杢助にお礼を述べた。
杢助は笑って岩彦の乱暴をいさめると、一頭の大きな唐獅子を岩彦に託し、ライオン河を渡って黄金姫・清照姫の遭難を救うように命じて姿を隠してしまった。実は木花姫命が杢助の姿を借りて、岩彦を助けたのであった。
このときから岩彦の姿は透き通って鼈甲のようになっていた。岩彦は文殊菩薩となり、獅子の助けによって月の国の諸所に縦横無尽に変幻出没し、三五教の神軍を助けることになった。
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02 08 〔1092〕
ケーリスとタークスの二人は、述懐の歌を歌いながら清春山を登っていく。照国別に託された手紙を岩窟にいるバラモン教徒たちに渡すためにやってきたのであった。
ようやく岩窟の前にたどり着いた二人は、耳を澄ますと奥から騒々しい声が聞こえてくる。二人は腕を組み頭を傾けて中の様子を怪しんでいる。
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02 09 〔1093〕
清春山の岩窟に留守をあずかるバラモン教徒たちは、照国別たちが出立した後も酒宴にふけっていた。ポーロは酔った勢いで管を巻き、菖蒲の両親を取り返されてやけになり、部下たちに絡んでいる。
エルマとキリクの両人は、酔いに夢を誠と取り違え、長刀を抜いて暴れだし、中は大騒ぎになってしまった。そこへケーリスとタークスがやってきて一喝した。三五教に帰依して言霊の力が備わったケーリスの声に、一同は身体強直して倒れてしまった。
タークスは声も涼しく宣伝歌を歌い、自分たちはポーロたちを赦すために照国別から遣わされてきたのだと来意を告げた。
歌い終わるとポーロたちの体は動き、一同は二人の前に手をついてあやまり入った。バラモン教徒たちは、ケーリスとタークスの神徳に打たれて唯々諾々としている。ポーロは照国別からの信書を受け取り、恐る恐る開いた。
そこには、ポーロたちのすべての所業を赦すこと、また三五教に入信する意があるならばケーリスとタークスに付いてイソ館に赴き、共に日の出神らに教えを受けるように、という諭しの言葉が記されていた。
ポーロは感激して照国別の神文を一同に読み聞かせ、皆ケーリスとタークスにしたがってイソ館に参進することになった。
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03 10 〔1094〕
黄金姫と清照姫に同行していたレーブは、ハルナの都まで母娘の共をすることを懇願したが、黄金姫は宣伝使として共を連れて行くことは許されない、とレーブを諭した。
そうするうちに、バラモン教のランチ将軍の一軍が近づいてきた。彼らが斎苑館を攻撃するために進んでくると悟ったレーブは、自分が進軍を止めてみせると勇み立った。
黄金姫は、天則にしたがってあくまで言向け和すようにとレーブを諭した。軍勢の先頭に立ちはだかったレーブは、大音声で神素盞嗚大神の館への進軍を止めるようにと呼ばわった。
バラモン軍の小頭・カルは、レーブがバラモン教でありながら三五教の味方をしていることをとがめた。レーブは細く険しい山道にたちはだかり、岩つぶてを傍らに積み重ね、バラモン軍に狙いを定めている。
それでも進軍してくるバラモン軍に対し、レーブは岩つぶてを投げつけ、カルの首筋をつかんで谷底へ放り投げた。レーブは先頭の十人ばかりを相手に奮闘し、皆谷底へ放り投げたが、ついにバラモン軍によって自分も谷底に投げられてしまった。
黄金姫と清照姫はレーブが谷底に投げられてしまったのを見て、もはや天則違反もやむなしと打って出て、軍勢を相手に暴れまわった。矢を射かけるバラモン軍によって二人は谷底に転落した。武術の心得ある二人は柔らかい砂の上に無事に着地し、追ってくるバラモン軍を待ち受けていた。
バラモン軍は谷底へ降りてきて二人を取り囲み、矢を射掛けだした。その勢いに二人は最期を覚悟したが、どこからともなく狼の群れが現れて、ランチ将軍の軍勢に襲い掛かった。
ランチ将軍の軍勢は敗走し、斎苑館への近道である玉山峠を通ることをあきらめたようであった。黄金姫、清照姫の母娘は狼に送られて玉山峠を降り、無人の野を行くごとく進んで行った。
本文
03 11 〔1095〕
カルは際限ない枯れ野原を魔風に吹かれながら進んで行く。亡者の一団を見れば、レーブに谷底に放り投げられた男たちであった。
岩に腰かけて休んでいた男を見ると、レーブであった。カルは、どうやら共に幽界に来てしまったようだとレーブに話しかけ、生前バラモン神を信心していたのに、なぜこんなところに来てしまったのだろうといぶかった。
レーブは、自分のような英雄豪傑が若いのに死んだはずがない、お前たちが引っ張り込んだのだろうと軽口をたたく。
突然枯草の中から角を生やした恐ろしげな鬼が現れて、亡者たちを大喝した。しかし鬼はレーブとカルの二人だけには優しく接し、三途の川の岸まで案内すると申し出た。
他の亡者たちは赤と黒の鬼に責められて連れて行かれた。レーブとカルは、川辺の黄金造りの一軒家に案内された。レーブとカルはこの状況をいぶかしんでいる。
一人の少女が現れて二人を奥へ案内した。敷居をまたげて奥に入ると、外から見たのとは相違して、壁が落ちてむき出し、異臭がする小屋であった。奥座敷には、立派な衣装を着た美人が待っていて、御馳走を並べている。
二人は小屋の汚さ・むさくるしさと、美人と御馳走の取り合わせをいぶかった。女はここは三途の川で自分は鬼婆だと告げた。そしてさらに奥の間へ二人を案内するという。
二人がついていくと、ぼうぼうとした草原を進んで行く。女は、現界は表面ばかり立派にしているから、こんな家を建ててあるのだと毒づいた。
二人は女に連れられて、透明な水晶の家や汚い小屋を見せられた。女はにわかに白髪の婆になり、二人の首筋をとらえて幽界へ引きずり込もうとする。婆は、三途の川は三段に分かれており、上の激しい瀬を渡る者は現界に行き、真ん中の深い瀬を渡る者は神界へ、下の緩い瀬を渡る者は幽界へ行くのだ、と語った。
二人は婆を振り切って逃げだし、三途の川の中津瀬に飛び込んで向こう岸に泳ぎ着いた。
本文
03 12 〔1096〕
二人は着衣のまま、広い川を意外にも無事に渡った。見れば美しい花が咲き匂っている花園が見えた。二人は神界へ来たのかと舞い上がったが、カルは自分の身を省みれば、決してこのような結構なところに来られる道理はないといぶかった。
いつの間にか二人が立っていた地面は持ち上がり、両側の低いところには大道が通じ、種々雑多な人や獣が往来していた。前方から悲鳴が聞こえてきた。二人が駆け寄ると、一人の男が血刀を持ち、四五才ばかりの童子の胸を突き刺そうとしているところであった。
レーブとカルは男に飛び掛かったが、びくともしない。男は童子を突き殺してしまった。カルとレーブは男を非難したが、男は自分はお前たちの心の反映だと言い、生前には童子にひとしい青人草の生血を吸い、修羅の戦場に身を置いた罪がここに顕現しているのだと嘲笑った。
レーブは、幽界旅行がさびしくて道連れがほしくてカルと打ち解けたが、その実はこのような悪人はいつかは地獄道へ突き落さなければと思っていたことを懺悔した。カルは殺された童子は自分のレーブへの恐怖心だったと悟った。
二人はお互いに自分の心を開きあい、両手を合わせて天地に祈願した。しばらくして目を開けば、あたりは紅の花が咲き匂い、美しい蝶が舞い遊んでいる。両人は初めて心の迷いをさまし、天津祝詞を奏上しながら北へと仲良く手をつないで進んで行った。
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03 13 〔1097〕
二人は天国浄土の美しい光景の中を進んで行ったが、足は疲れ腹はすいてきた。天国浄土の旅路にも、飢えや渇きの悩みがあるものかと座りこんで休息しながら、祈願を深く凝らし、悔悟の涙にくれていた。
そこへ美しい女神が二個の果実をたずさえて現れ、二人に話しかけた。女神は生魂姫命と名乗り、月照彦神の命によって都率天からやってきたという。
カルとレーブは女神に礼を述べて果実をいただこうとしたが、女神は二つの果実の効能を説明し始めた。
一つの果実は足魂といって、味よく内臓をさわやかにし五年十年も空腹を満たすもの、一つは玉都売魂といって苦く固く、わずかに空腹を満たすことができるだけのものだという。
カルとレーブはお互いに、自分が玉都売魂をいただくので、足魂は相手にやってくれと女神に申し出た。
女神は、人に甘いものを与え自分が辛抱して善をおこなった、という心がある間は、真の善心ではなく虚偽的善事だと断じ、それによって天国浄土に行こうという野心があるのではないかと戒めた。
二人は女神に心を見透かされて恥じ入った。女神はさらに、どちらを取るかと問いかける。レーブはどちらも取ることはできないと答えると、女神は『天の与ふるを取らざれば災其身に及ぶ』とこれも戒めた。
カルはついに、レーブには気の毒だが自分の身を保つために足魂が欲しいと女神に頼んだ。カルは、人間の判断ではなく女神が与える方を受け入れる、と応えた。
女神は、何事も人間の道徳や倫理では解決がつかない、神にお任せするのが第一だと諭し、ようやく神界旅行の資格ができたとカルに足魂を与えた。カルは足魂を受け取ると瞬くうちに平らげてしまった。
女神は玉都売魂を地上に投げうった。すると五色の火光が発射して、数多の美しい女神となって天上に帰っていく。二人はこの光景を眺めて伏し拝んでいる。
女神は懐からもう一つ足魂を取り出すと、レーブに与えた。レーブは瞬くうちに木の実を平らげてしまった。
生魂姫神は、数多の女神に囲まれて中空に舞い上がり、天上に去って行った。カルとレーブは互いに顔を見合わせて、この顛末に心を揉んでいた。
レーブは、苦いといった玉都売魂から数多の女神が現れたところを見ると、玉都売魂はどんなにか結構な果実だったかもしれないが、天から与えられなかったのだから、仕方がないと述懐した。
カルは天国といってもやはり、苦い目、苦しい目をくぐり抜けなければ都率天へは昇れないというお示しではないか、一つの功もたてずに天国をぶらついていては、本当の栄えと喜びは出てこないと、心を取り直し、天国でひと働きしようとレーブに呼びかけた。
二人が歩みだすと、右側の下の道には現界の人間のありさまが見え、鬼や夜叉のような人間が羽振りをきかせ、正直な人間は車に引かれたり血を絞られたり、苦役を強いられていた。
またその先の道には、ランチ将軍の軍勢が黄金姫、清照姫と死闘を繰り広げ、狼の群れに追い散らされる様が見えた。生魂姫神が再び現れ、レーブとカルが見たものについて問いかけた。
女神は、二人が今見たような現界幽界の亡者を救おうと、国治立大神様は三五教を開かれたのだと諭した。そして難を避け安きにつき、世界人類の苦難を傍観して人力の及ぶところではないという態度を、無責任・無能・卑怯・人畜と非難した。
そして自分の良心と相談しなさいと忠告し、去って行った。
本文
03 14 〔1098〕
レーブとカルは下の大道の惨劇を見て傍観するわけにもゆかず、お互いに宣伝歌を歌って、幾分かでもこの惨状を軽減するように努めようと心を定めた。
二人は眼下の惨状にある人々に向かって、心を改め行いを省み改めるよう呼びかける宣伝歌を歌った。すると自動車や馬車は駕籠に変じ、人々が駕籠をかついで往来するようになってしまった。
いつの間にか左右の道が高くなり、自分たちが通っていた神界道路は川底のようになってしまった。両側の道からは、相変わらず人々が往来する音が盛んに聞こえてくる。
カルとレーブはいつの間にかまた飢えと渇きを感じるようになった。もう五六年の歳月が過ぎたのであろうと話し合っていると、山の頂から二人に呼ばわる者たちがある。見れば、三五教の宣伝使のようであった。
二人は声のする方に向かって行くことを決めた。左右両側の高い大道の上には、数千頭の狼が走り抜けていく。思わず二人は川底の道に伏して、狼の群れが去っていくのを念じていた。どこからともなく、冷たい水が二人の頭上に落ちかかってきた。
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04 00 - 本文
04 15 〔1099〕
照国別の主従一行は岩彦のありかを訪ねたが見いだせず、テームス山を登りつめて山頂の関所に着いた。ここは大黒主の命によって春公、雪公、紅葉ほか二人が名ばかりの関守をやっている。
大酒をあおって大地に倒れ、酔いざめの風邪をひいては熱をだしている。春公は熱を出しながらも、酔って一同馬鹿話に時を費やしていた。
そこへ照国別一行がやってきて、春公が病んでいることを知ると、関所の中へ入ってきて鎮魂を始めた。春公は咳をすると小さな百足が飛び出した。百足は見る間に五六尺の大百足となると、一目散に逃げて行った。
春公は熱が下がり、身体は元のとおりに治ってしまった。春公は命を救われたことに感謝し、心から悔い改めた。そして照国別に従い、案内役として月の国に供をすることになった。
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04 16 〔1100〕
春公は照国別一行に加わり、道中テームス峠の急坂を下りながら歌いだした。春公はアーメニヤの生まれでもともとウラル教徒であり、竜宮島へ宣伝に行ったまま行方がわからなくなっている兄・岩彦を探している道中、大足別にであってバラモン教徒になった過去を明かした。
照国別は、春公が岩彦の弟であることを知った。そして、自分は元ウラル教徒の梅彦であり、岩彦と一緒に竜宮島に宣伝に行ったこと、岩彦が三五教の宣伝使となってバラモン教に潜んでいたが、クルスの森ではぐれてしまった経緯を語った。
春公はウラル教やバラモン教にぐらつくことなく、三五教に心を入れ替えて兄の岩彦を探す決意を歌に歌い、一行はテームス峠を下りて行った。
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04 17 〔1101〕
テームス峠を下った一行はライオン川の川辺に着いた。春公は、川をしばらく下ったところに人に知られていない浅瀬があるのでそこを渡ろうと提案した。浅瀬に向かう途中、一頭の馬を見つけ、春公は宣伝使一行にならって馬に乗ることにした。
川を渡ると、春公は兄の岩彦がヤッコスという名でバラモン教に潜入していたころに聞いた評判話を始めた。ヤッコスというバラモン教の新入りが、ライオン川で溺れていた唐獅子の子を助け、それ以来ヤッコスが危難に陥るたびに獅子が現れて助けるという。
春公は、テームス峠を獅子に乗った文殊菩薩が走り抜けたという噂も語り、自分の兄の岩彦は文殊菩薩のようだと感嘆した。
一行が玉山峠の頂上近くにさしかかると、狼の群れが現れ、その中の大きな一頭が春公の裾を加えて引き留めた。照国別は、狼は義獣だから何か変事を知らせてくれるのだろうと、着いていくことにした。
狼は一行を谷川に案内した。そこには十人ばかりの人間が人事不省になって横たわっていた。照国別は従者たちに介抱を命じると、天津祝詞を奏上して魂呼びを始めた。
カル、レーブを始めバラモン教徒たちは息を吹き返し、宣伝使たちに感謝した。そして照国別の一行に加わって大原野を行くことになった。行き当たった沼(葵の沼)で一夜を明かすことになる。
一行が眠りに就くと、スガル、チルという二人の男は宣伝使一行とレーブとカルを縄で縛ってしまった。バラモン教の鬼春別将軍に差し出し、手柄を立てようという魂胆でひそひそと相談を始めた。
しかし照国別はレーブとカル以外は心から三五教に改心したわけではなかったことを見抜いており、先手を打っていたレーブが縄を引っ張ると、逆にバラモン教の八人が縛られてしまった。
照国別がレーブに命じて八人の縄を解くと、八人は沼に転がり落ちながら一生懸命に逃げ出してしまった。
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04 18 〔1102〕
満月が葵の沼を照らす中、黄金姫と清照姫の二人は沼のほとりを通りかかった。二人は月を題材に道歌を交わす。
そこへ、沼に映った月を砕き、バサバサと水音を立てて八人の黒い影が沼を渡ってくる。これは、照国別たちから逃げてきたバラモン教徒たちであった。
黄金姫と清照姫は八人の前に立ち現われて、自ら蜈蚣姫だと名乗り立ちはだかった。母娘二人は、男たちをつかんで沼に投げ返した。この勢いに八人は沼を逆戻りしてまた照国別たちの所に逃げていく。
八人はカルとレーブに赦しを乞うが、カルとレーブは八人を片っ端から沼へ投げ落とした。八人は浅い沼を渡って逃げていく。
春公は、八人の会話から沼の反対側に黄金姫と清照姫がいるのではないかと照国別に諮り、一同は沼を渡って母娘を探しに出た。
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04 19 〔1103〕
沼の南では、黄金姫と清照姫が逃げていく八人のバラモン教との後姿を眺めながら、述懐の歌を歌っていた。
バラモン教徒たちが逃げて行ったあとから、馬に乗って沼を渡ってきたのは照国別の一行であった。黄金姫母娘は照国別に声をかけた。互いに挨拶を交わすと、ここまで来るに至った経緯をお互いに物語った。
レーブは母娘との再会を果たすと、谷底で気絶していたところを照国別一行に助けられた経緯を語った。
黄金姫は、レーブをお供に連れて行きたいと照国別に申し出た。照国別は、日の出別から黄金姫母娘には旅の途上で二人の良い供ができると聞いていたことから、カルとレーブを母娘に預けることにした。
照国別一行は、日の出別の命によりデカタン高原に出て霊鷲山に立ち寄り、近辺のバラモン教徒たちを言向け和すという。ハルナの都を目指す黄金姫母娘とは、ここで別れることになった。
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04 20 〔1104〕
黄金姫、清照姫、レーブ、カルの一行は西へを進んで行き、相当広い川辺に着いた。傍らの森には古ぼけた相当に大きな祠が建っている。一行は祝詞を奏上し、この祠で休んだ。カルとレーブは祠の床下に入り、あたりを警戒しながらウトウトと眠ってしまった。
そこへアルマ、ハム、テクの三人が黄金姫母娘を召し捕りにやってきて祠を取り巻いている。カルとレーブは目をさまし、三人の話を聞いている。
アルマが祠の階段を上って中に入ろうとすると、レーブは床下から石でもって床をガンガンをたたいた。三人は驚いて階段から落ちてしまった。
三人はひっくり返ったはずみに、口論を始めた。そのうちにカルとレーブ両人は石で床下を叩いたので、三人の捕り手は驚いて腰を抜かしてしまった。
レーブとカルは床下から階段上に現れて宣伝歌を歌った。バラモン教の捕り手三人は体が動かず、両手を合わせて命乞いをしている。黄金姫母娘は目を覚まして祠から出てきた。黄金姫は、三人の鎮魂をカルとレーブに命じた。
レーブは捕り手たちを悪者と懲らそうとしたが、黄金姫に叱責された。黄金姫が赦すと宣言すると、三人の腰は立ち、逃げるように森から逃げ出した。黄金姫一行は夜が明けるのを待ってイルナの国の都を目指した。
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