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霊界物語あらすじ

説明を読む
ここに掲載している霊界物語のあらすじは、東京の望月氏が作成したものです。
まだ作成されていない巻もあります(55~66巻のあたり)
第74巻 天祥地瑞 丑の巻 を表示しています。
篇題 章題 〔通し章〕 あらすじ 本文
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七十四巻は、紫微天界における国土(くに)生み神生みの神業(みわざ)の一部を略述したもので、主に太元顕津男の神の活動を説いている。
紫微天界は、何億万年もの後、修理固成の大経綸によって現在の大地球となったのである。紫微天界とは、天体中における豊葦原の瑞穂の国なのである。
五圏層の天界もまた、億兆の無数の大宇宙を形成して、永遠にずっと神人を守り、現在にいたるまで活動を続けているのである。
国土生み神生みの神業の物語の中に、神々の神名において、活動の状態と言霊の無限の稜威(いづ=尊厳の威光)を明示してある。心をしのばせて熟読するように。
物語は、紫微天界の中でもまだ幼い真鶴山の固成から、玉野森の清丘へ、そして主の大神に神勅を請うまでのいきさつを示している。
天界の言葉はすべてアオウエイの五大父音で通じているが、現代人のためにやむをえず、三十一文字の和歌を応用して神意を発表してある。
本文
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本来、神皇国日本は、大宇宙の中心に永遠の神の護りによって、天津神祖の生み成した聖域なのである。
皇御国(すめらみくに)と言い、万世一系でここを統治する主権者をスメラミコトというのも、スの言霊の神徳によって出来上がった神国だからである。
大虚空中に、すみきり澄みきらいつつ、鳴り鳴りて鳴り止まぬスの生言霊は、神を生み、宇宙を生み、大地を生み、永遠の時を経てついに、スの神国である、我が葦原の瑞穂の国である中津国を生み成した。そして、大宇宙の主宰として日(ス)の本の国を生んだのである。
天照皇大神が生り出でまして、天上の主宰として任命され、全地上の上に皇大神の徳を発揮され、神人安住の聖域と成したのである。
著者は、天地諸神の活動の意義と神国日本の一大使命、また皇室が天神から出ていて尊厳無比である理由を解明するために、ここに言霊学の大筋を簡単に解説する。
声音の区別:七十五声音の活動の違いによって、声、音、半声半音の区別がある。
アオウエイは五大父声、大宇宙に鳴り鳴りて鳴りやまず、宇宙万有の活動力をつねに与えつづけている。
声:アオウエイ、ナノヌネニ、ハホフヘヒ、マモムメミ、ヤヨユエイ、ワオウヱヰ
音:カコクケキ、タトツテチ、ガゴグゲギ、ダドズデヂ、パポプペピ、ラロルレリ
半声半音:サソスセシ、ザゾズゼジ、バボブベビ
アカサタナハマヤワの九行四十五音は正清音
ラロルレリは濁音
ガゴクゲギ、ザゾズゼジ、ダドヅデヂ、バボブベビは重音
パポプペピは撥音
大宇宙の根源を為すスの言霊の略解:
外部を統べて北にはたらく。北東にはたらいて有の極となる。ス声の精となって東北にはたらくと、できないことは何もない。
東にはたらくと長く長く伸びきって、天球の中のすべて一切を写真に写すように現れる。さらに止まることなく、最奥の座を占めるに至る。
次に、東南にはたらくと数限りがなくなるまで埋め尽くし、南東にはたらくと八極を統べる。
南にはたらくとぴったりと中心に集まり、南西にはたらくと真中・真心とあらわれる。西南にはたらくと初めから終わりまでを一筋に貫く。
西にはたらくと、自由自在であり、しかも大宇宙の天球の内外をひたして保ち、支えとなっている。次に、西北にはたらいたときは、あらゆるところに存在している。
北西にはたらいたときは、幽玄の府となって、「有にして空」である。しかも、劫大約(おおつな)を統べ、天球中の一切を写し、安定させて統べている。さらに、霊魂球をひたし、「涵しの司」として現れ、上って大ス玉となり、出入りの息は限りなく澄み切って、呼吸とともにあわられて結の柱となり、大宇宙に満ち足り、永遠に存在して限りがない。
宇宙の一切は、スの言霊によってその太元を生み出されたものである。
ウ声の言霊の略解:
北にはたらくと離れてそむく。北東にはたらくと時が深まっていく。東北にはたらくと持ち含む。
東にはたらくと、現在世界の結びの柱となり。東南にはたらくと親しみ愛し嬉しみ、南東にはたらくと次々に産み出して魂が勇み立つ。
南にはたらくと結び合い、南西にはたらくと固有の真となり、真実がきわめて強く現れ、味の元素となる。西南にはたらくと待ち合って盛んな力となり、内部、中心に鎮まり、父母一に備わっている中柱となり、またうなり出て全世界を理解し、臼型を作ってスを容れ鎮まり、氏の元祖となる。
ア声の言霊の略解:
北にはたらくと隠れいる。夜となる。北東にはたらくとすべてのものが収まり帰る。東北にはたらくとあつい熱が備わる。
東にはたらくと光線の力と現れ、眼に見える。東南にはたらくと丸くなる。南東にはたらくと昼となり、大物主となり、世の中心となる。
南にはたらくと顕れ出る言霊となり、南西にはたらくと御中主となり、地球となり、西南にはたらくと根源のはじまりとなる。
西にはたらくと全体の形が丸くなる。西北のはたらきは一切ない。北西にはたらくとすべてのものを含み蔵す。
総じては、顕の形、近く見る言霊である。大御母、大仁慈、名の魂。スの本質であり、また心の塊である。スの方面に習い、低く居るときがある。幽の形にして、遠くまで達する言霊である。
オ声の言霊の略解:
北にはたらくと受け納める。北東にはたらくと次第にやって来て凝り固まる。また、引く力となる。東北に働くと青い空の色となって神権が強い。
東にはたらくと大気が凝って形を顕し、形の素となる。東南にはたらくと外面を護り、南東にはたらくと大気となって集まり圧力を発生させる。
南にはたらくと興し助ける言霊となる。南西にはたらくと大宇宙と大地を包む。西南にはたらくと立ち上る。
西にはたらくと大気が一体であるという心となり、親子が一体となって広く尊い。西北にははたらきがない。北西にはたらくと真愛を引き入れる言霊となる。
総じては、極みにある真空である。それは、今ある青空を現れさせ、億兆の分子を保ち、しかも分子の初めと終わりをすべて知っており、親の位置にあってふんだんに足り余る力を生じ、先天の気となり、心の関門となり、出入が自由でありながら拒絶して鳴り、擦れて火を生じる力となる言霊である。
エ声の言霊の略解:
北にはたらくと外面を開く。北東にはたらくと外に顕れて調い余る力となる。東北にはたらくと投げ打つ。
東にはたらくと自在に使う力となる。把手や柄などもこの働きである。東南にはたらくと焼点となり灯りとなる。
南にはたらくと内に集まる力となる。南西にはたらくと世に立ち居り、指すことができる力となる。西南にははたらかない。
西にはたらいて中心をつかねる。幽を顕に写し示す。西北にはたらくと、説いて分からせる言霊となる。北西にはたらくと解け、成り、消える。
総じて、真の固有であり、本末を糺し、引き付ける力となる。世を容れ、明らかに得る。絵、教令、指令、顕照。与える。得させる。教導の意義である。
イ声の言霊の略解:
北にはたらくと始めにして無為。北東にはたらくと、反射する力。東北にははたらかない。
東にはたらくとことごとく極まる。東南にはたらくと吹き行く熱となる。南東にはたらくと止まりとなり、五つ揃いとなる。
南にはたらくと成就の言霊となる。南西にはたらくと強く足り余り、西南にはたらくと吹き来る熱となる。
西にはたらくと強く思いあう力となる。西北にはたらくと小天球(あをくものそと)の証となる。北西にはたらくと、破れ動く力となる。
総じて、固い力となって基となり台となる。強く張り篭り、天の内面をつかさどる。勢いに添いつき、平等に動く言霊である。
天祥地瑞第一巻、第二巻の天神たちの六声音の言霊の中に、大宇宙・万有一切が産み出されたその原理を説明しようと、ス声と五大父声音のはたらきを示した。これをもって、この物語の大要を伝えようとした。
本文
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01 01 〔1869〕
顕津男の神は、現世比女との間に玉手姫を授かったあと、三笠山を後にして、近見男の神らの共とともに、再び国土生み神生みの旅に出た。
顕津男の神は夕暮れの原野の真中に駒を止め、三笠山を振り返って偲びの歌を歌う。近見男の神、圓屋比古の神、多々久美の神らは、三笠山をしのびつつも、神業への思いを歌って心を奮い立たせる。
多々久美の神の声音に、曇っていた空はたちまち晴れ渡り、満点の星が輝いた。
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01 02 〔1870〕
顕津男の神は、雲を払った多々久美の神の言霊を褒め称える。
多々久美の神は恐縮して謙遜するが、顕津男の神は、自分の心にかかった現世比女への恋着の曇りをも払ってくれた、と感謝の歌を歌う。
一行、この原野で野宿することとなったので、おのおの、述懐歌を歌う。
一夜を明かした一行は、朝日とともに、再び原野を歌うたいつつ進んで行った。
本文
01 03 〔1871〕
国中比古の神は、一行の先頭に立って道案内をする。
国中比古は目的地の真鶴山に、一足先に行って一行を迎えることとなった。
しばらく行くと、激しい濁流の河が一行をさえぎった。
顕津男の神は厳然として水を清める歌を歌うと、濁りはうすらぎ、河の砂利も見えるほどに澄み切った。
一行は河をわたったところで休息を取り、眠った。
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01 04 〔1872〕
紫微天界は、太陽の光が現在の地球の7倍あり、月もまた同じだけの明るさがあるが、妖邪の気が鬱積する遠方の地は、地球のように夜がある。
だから、顕津男の神が紫微天界をくまなくまわり、明るく清める必要があるのである。
顕津男の神のサソスセシの言霊によって清められた河は、清美河という名を与えられた。
夜明けとともに一行は起き、歌を交し合う。多々久美の神は、ふたたび言霊によって雲霧を払えば、その神徳にみな感嘆の歌を歌った。
近見男の神は自ら先導を申し出、自ら名前を遠見男の神と改めた。
その日の夕暮れ、一行は真鶴山のふもとにたどり着いた。
本文
01 05 〔1873〕
真鶴山は、まだ若い山で、つきたての餅のように湯気がもうもうと立ち昇っている。山の姿もまだ固まっていない。周りには、底深い沼が広がり、そこからも湯気が立ち昇っている。
山に近づくにしたがい、柔らかい土に馬の足がとられ、沈んでいく。
顕津男の神は馬上より、カコクケキ、ガゴグゲギの言霊歌を歌うと、ぬかるみは次第に固まり、沼から出る霧も薄らいで、真鶴山の姿が日の光を浴びて現れた。
遠見男の神はこの奇瑞をたたえる歌を歌った。
ウ声の言霊から生まれたという多々久美の神が言霊歌を歌うと、沼の水はみるみる煙となって高く昇り、一滴の湿りもないまでに乾ききった。
美波志比古の神はタトツテチ、ダドヅデヂの言霊歌で沼の底土を乾燥させた。
一行は、先発していた国中比古の案内で、真鶴山の頂上に登った。
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01 06 〔1874〕
顕津男の神は、真鶴山の山頂に神々を率いて、厳の言霊歌を歌った。
国原は、マモムメミの言霊によって生まれようとする。
いろは歌、続いて天の数歌、真鶴山の国造り歌を歌う。
最後に、『ウーアーオー』の言霊を宣りあげた。
すると、真鶴山は次第に盛り上がり固まり、常磐木の松、白梅、筍などが生い出でた。
圓屋比古、産玉の二神は、この瑞祥をたたえる歌を歌った。
産玉の神が、この山を守る女神のないことを嘆く歌を歌うと、大地をわけて、一人の女神が現れ出た。真鶴山の御魂、生代比女が、産玉の神の言霊と顕津男の神の神徳によって呼び出されたのであった。
神々は各々、喜びの歌を歌いあった。
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01 07 〔1875〕
神々たちはさらに、七日七夜の間、生言霊を山のさまざまな方角から宣りあげていった。真鶴山は四方八方に伸び広がって、目も届かないくらいに広大になった。
これにより、山の四方の原野は次第に水気がなくなって地が固まり、真鶴国が誕生した。
一行は祝いと喜びの歌を歌った。
生代比女は、顕津男の神をずっと待っていたが、いまやっと真鶴山が世に出て、時が来たと歌いかける。
しかし、顕津男の神は、生代比女が八十比女神の一人ではないため、見合うことはできない、と諭す。
すると生代比女は嘆きの歌を歌い、たちまちその姿は消えて隠れてしまった。そして、山麓より黒煙が立ち上り、あたりを包んでしまった。
多々久美の神の言霊でも黒雲は晴れず、顕津男の神は生代比女に歌い呼びかけた。
すると黒雲の中から生代比女は答えて、顕津男の神への恋が破れた恨みに、沼の主となり、八十比女神の一人、玉野比女を呪ってやる、と歌い残して、悪竜となって玉野湖をさして駆け去ってしまった。
連れの神々は口々に、生代比女に対する怒りの歌を歌うが、顕津男の神は生代比女の情けにほだされ、主の神のいいつけに背いても、生代比女を捨てることはできない、と歌った。
たちまちあたりの黒雲は晴れ、四方に白梅が香り、天国の状態を顕した。
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01 08 〔1876〕
顕津男の神の厚い情けの歌に、生代比女の恨みはおさまり、辺りは紫微天界の様相を取り戻した。
従者神たちは、みな口々にこの奇跡をたたえる歌を歌った。そして、天津高宮に向けて恭しく神言を奏上し、七十五声の言霊を繰り返し、祈った。
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01 09 〔1877〕
宣伝歌
そもそも天地の中に、生言霊の御威光よりも尊いものは、他にない。
生言霊の功によって、山河が生まれ、草木が萌え出、あらゆる神々が生まれ出でるのだから。
紫微天界は、もともと愛と善の国土である。そして愛と善は、主の神の魂であり、姿そのものである。
愛は、神の心を生かすようにと生まれた、主の神の御賜物であった。
しかし、時がたつにつれ、愛があやしい恋の炎となり、さまざまな災いを起こすという、恐ろしい事態になった。
真鶴山の御魂として現れた生代比女は、太元顕津男の神への恋の炎を燃やした。
主の神の御言に忠実な顕津男の神に拒まれると、その失望は恨みと変じ、大蛇の姿となって、八十比女の一人、玉野比女を呪った。
そして、自ら恋の恨みの炎を消そうと、湖水に自ら飛び込んだ。
結比合(むすびあわせ)の神の歌
天界のすべてのものを結び合わせる誠の力は、恋である。
一方、喜びも悲しみも、楽しみも騒ぎも、また恋から湧き出でる。
恋はとどめることができない、ゆえに、玉野比女、生代比女の真心を、私はどうすることもできない。
美味素(うましもと)の神の歌
愛の果て、善の極みは恋となり、誠となって現れる。
しかし、恋の炎は天地のすべてを焼き払う炎ともなる。恋心は天地を塞ぎ、神の心を闇に包むことにもなる。
恐ろしきも楽しきも恋である。
二神が歌い終わると、再び山麓から猛火が燃え上がり、顕津男の神の身辺近く迫ってきた。顕津男の神は、神々を率いて、サソスセシ、ザゾズゼジの言霊と共に、生代比女を諭す歌を歌った。
すると、火焔はたちまち消えて、再び紫微天界の清浄さが辺りによみがえった。
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02 10 〔1878〕
そもそも宇宙の始め、大虚空の中心に、一点のヽ(ほち)が突然現れ、ヽは次第次第に円満さを増していき、ついに主(ス)の言霊が生まれ出た。
スの声はだんだんと膨張して、ついに七十五声の言霊が、大虚空の中に現れるにいたったのである。
スの言霊は、さらにますます大活動力を発揮することで、神となった。これが、天之峯火夫の神である。またの名を、大国常立の神言(みこと)という。
スの大神の威光はますます発展して、大宇宙を生み成した。その中心である紫微天界に天津高宮を築き、スの大神は永遠にそこに鎮まることとなった。
鎮まりつつ、大宇宙の生成を続け、国を生み、神を生み、幾億万劫の末の今日にいたるまで、一瞬たりともその活動を休まず続けているのである。
主(ス)の神は、ウの言霊から天之道立の神を生み、またアの言霊から太元顕津男の神を生み、まず紫微天界の修理固成を始めた。国土を生み、神を生む神業を、二神に任せることとなったのである。
天之道立の神は宇宙万有の精神界を守り、顕津男の神は紫微天界の霊的物質界を生成し育てるという神業を、それぞれ主の神よりおおせつかった。
この二神による神業もまた、幾億万劫の末の今日まで継続・活躍しており、また限りなく終わりなく続いていくのである。
ここではもっぱら、太元顕津男の神の活動について述べているが、その内容が膨大であるため、ただ数千万分の一程度を開示したに過ぎない。だから、読者はこの物語が天界のすべてではないことを、知って読まなければならない。
国生み神生みについて
顕津男の神と八十柱の比女神たちは、ただ水火(いき)と水火をいっしょに組み合わせる。
すると、鳴り鳴りて鳴りの果てに、神霊の気が感応して、尊い国魂神が生まれるのである。
宇宙一切の生成と育成は、スの神の幸魂である愛の情動より発してる。だから、愛を離れてはいかなる生産もありえない。神々といえでも、女男二柱が見合うときは、必ず恋愛の心が湧き出でるのは、自然の道理なのである。
恋愛は魂がいついて離れないものである。だから、主の神は、国魂神を生ませるために八十柱の比女神を御樋代とするよう、顕津男の神に言いつけたのである。
そして、もし一人の比女神が二柱の国魂神を生むと、権力地位の争いによって滅びてしまう。だから、一つの国に一つの国魂神と定めたのである。
顕津男の神は、最初の国生み神生みのとき、如衣比女への恋着によって神業を遅らせた。その執着心が恐ろしい大蛇となって、如衣比女を葬り去る結果となってしまった。
その前例に恐れ慎み、八十柱の比女神以外の女神に対しては、一切心を動かすことはない顕津男の神であるが、生代比女の恋は激しく、その扱いに困惑していた。
顕津男の神とその従者神たち十一柱の神々は、生代比女の執着を取り払おうと、言霊の限りを尽くし、また祝詞を唱えたが、一向におさまらず、神業を妨害しつづけた。
終に神々は七日七夜の間、主の神の降臨を祈願した。すると、宇宙に主の神の歌が響いた。
主の神の定めた御樋代である八十柱の比女神とのみ見合い、その他の女神は、いかに美しい神であっても、心を動かしてはならない。
すると、妖邪の気は払われ、辺りは一点の雲もないほどに清く明るい国となった。
顕津男の神は主の神の神徳を感謝しつつ、どんな曲津神が襲い来ても、少しも動揺しない大勇猛心を発揮するに至った。
本文
02 11 〔1879〕
主の神の神示とその威光を見て、神々は、主の神のすばらしい威光と恋の執着心の恐ろしさを歌った。
そして、神々は真鶴山頂に立ち、それぞれ神業を分担しあい、心を合わせて各諸天界を守ることを誓った。
国中比古の神を真鶴山の守りとし、一行は玉野湖の湖畔にうっそうと繁る清しき森を目当てに次の目的地に向かった。
本文
02 12 〔1880〕
一行は、はるか西の玉野湖に進んでいく。
真鶴山は遠くに見えなくなり、次第に玉野湖の湖水が見えてくるにつれ、一同はその景色の様子と、玉野比女と顕津男の神の国生み神生みの無事、真鶴国の固成の成功を祈る歌を、それぞれ歌った。
そうするうちに、一行はようやく玉野湖畔につき、休息を取った。
本文
02 13 〔1881〕
湖畔にて、玉野比女の館を目前とし、静まり返る玉野湖水と玉野森を前に、神々はそれぞれ思いのたけを歌い、また玉野湖水に潜む、大蛇となった生代比女をなだめ諭す歌を歌った。
しかし、生代比女の恋の炎はあまりに強く、神々の生言霊の光さえ、包みかくすほどであった。
本文
02 14 〔1882〕
宇宙間において、もっとも強く美しいものは、愛の発動である。なぜなら、大虚空中に愛の発動があったからこそスの言霊が生まれ、天地の万神が生まれたからである(=神は愛なり力なり)。
ただ、愛からスク、スカヌの言霊が生まれるとおり、その度合いによって、生成化育が成就するときもあれば、度が過ぎて一切を破壊することにもなりうる。
だから、愛には善、悪、大、小がある、というのである。神の愛は善にして大、一方小愛・悪愛は、自己愛となり、他を害し、争いと破壊をもたらす。
生代比女の顕津男の神に対する愛は積み重なり、募って怨恨となってしまった。その炎は比女の身魂を焼き、大蛇となって玉野湖底に潜むにいたった。
大蛇は神々の一行を待ち受けており、静かだった玉野湖はたちまち暗黒となり、荒れ狂った。
顕津男の神は比女を諭す歌を歌うが、生代比女は闇の中から突然現れ、顕津男の神への恨みを吐露し、幾億万劫の末までも恋の悪魔となって祟る、と呪った。
諭しの歌も大蛇となった生代比女には届なかった。顕津男の神はついに、如何なる罪に問われようとも、主の神の神言に背いても、比女の誠の心に報いようとの決意を歌った。
すると、たちまち天は晴れ渡り、湖も鏡のようにおさまった。満月の光が晧晧と、湖面を照らした。
本文
02 15 〔1883〕
顕津男の神の仁慈のこもった歌に、生代比女の恨みの炎は消えてしまった。静かで美しい玉野湖の情景は、天国浄土の様を取り戻した。
この光景に遠見男の神は瑞御霊の大愛をたたえる歌を歌った。
圓屋比古の神は、愛善・愛悪が行き交って国が固まる様を悟り、天地を丸く治めることに尽力することを誓った。また、顕津男の神の活動をたたえた。
多々久美の神は、恋の恐ろしい側面を目の当たりにした感慨を歌った。
宇礼志穂の神は、瑞御霊の神業の辛苦に思いを馳せる歌を歌った。
美波志比古の神は、瑞御霊の仁慈の徳と言霊の力をたたえる歌を歌った。
産玉の神は、生代比女の一途な思いを憐れみ慈しむ歌を歌った。
魂機張の神は、神業と生代比女の思いの間で苦しんだ顕津男の神の心に、涙の歌を歌った。
結比合の神は、再び澄み渡った景色に、目的地・玉野森へ心が急ぐ思いを歌った。
美味素の神は、湖面を照らす月と、ゆきかう日の徳をたたえる歌を歌った。
真言厳の神は、月の恵みをたたえ、先頭に立って玉野湖を馬に乗って泳ぎ渡った。
顕津男の神たち一行は、真言厳の神に続いた。
本文
02 16 〔1884〕
すると、玉野湖の水が二つに割れた。湖の底から大きな竜が現れ、顕津男の神一行の馬前に道を作った。竜の頭上には、美しい女神が立っていた。
それは、生代比女であった。顕津男の神の厚き心によって、怨恨は感謝の念となり、美しい女神の姿に更生したのであった。
以前にも増して神々しい比女の姿に、顕津男の神は恍惚として、敬虔の念が止みがたく起こってきた。
生代比女の神は、顕津男の神の心に満悦し、その歓喜はたちまち凝って、体内に御子を宿した。すると、今まで燃えていた炎は消え去り、月が清涼の空気を全身に注ぐような心地とともに、完全に解脱した。それとともに竜体も消え去った。
生代比女は、蛇体から解き放たれた喜びを歌い、また、玉野森の玉野比女は、国生みの神であると明かす。
顕津男の神は、生代比女の更生を喜びつつ、神生みの御樋代は実は生代比女であり、玉野比女は国生みの役であることを知る。主の神の許しがなければ御子をはらむことはないこと、神業の道は一つではないこと、また国生みと神生みとのけじめがあることを悟った。
従者の神々はそれぞれ、これまでの真鶴国での出来事を振り返り、感慨を歌い、また国の繁栄の予感に喜びを歌った。
本文
02 17 〔1885〕
従者の神々はさらに、御子誕生を祝い、そして国生みの神である玉野比女との神業への期待を歌った。
一行は駒に乗り、玉野の森の聖所をさして進んでいった。
本文
02 18 〔1886〕
玉野の森は、東西十里、南北二十里。年老いた松の木が覆い茂り、地は白砂で覆われ、あちこちに水清き泉が湧いている。すがすがしく神々しい森である。
玉野比女は、森の中央の小高い丘の上に宮を構え、自ら斎主となって主の大神の神霊を祀っていた。
顕津男の神は、玉野の森に足を踏み入れると、駒を止めて歌を歌った。玉野の森をたたえ、玉野比女を呼ばわった。
遠見男の神が一行の先頭に立った。従者の神々は次々に、玉野の森の荘厳さをたたえる歌を歌いながら、玉野比女の館を探して駒を進める。。
生代比女も、馬上より玉野比女に呼びかける歌を歌うと、駒に鞭打って先に駆けて行ってしまった。
一行は玉野の森の中央の、玉野比女の館を目指して進んでいる。
本文
02 19 〔1887〕
一行は、玉野の森の白砂の上を馬に乗って、ようやく玉野比女の館のある丘に着いた。
玉野丘と言われる平坦な高台の聖地である。
顕津男の神が丘のふもとから見上げると、丘の上には紅・白・紫・黄・青の五色の幔幕が張りまわされており、尊い神がご降臨されている様子であった。
顕津男の神は、なるほど、それで玉野比女が出迎えに来られなかったのか、と歌を歌う。後から来た生代比女は、どうやら主の神がご降臨されているらしい、と顕津男の神に歌いかける。後から来た神々は、丘の厳かな様子にいっせいに馬を下りた。
従者神たちが述懐歌を歌っていると、玉野比女が大麻を手に悠然として現れた。玉野比女は、顕津男の神を待ちかねて老いてしまったこと、今まさに主の神がご降臨されて、顕津男の神をお待ちになっていることを告げる。
玉野比女と生代比女は対面する。玉野比女は、生代比女が自分の代わりに御子を身ごもったのは、神の神言によってであったと述懐し、ともに神国を作ろうと呼びかける。
玉野比女に仕える本津真言の神・待合比古の神は、瑞の御霊来着の喜びを歌う。
一方、顕津男の神の従者神たちは、主の神のご降臨をかしこみ、丘のふもとで神言を奏上していた。一行は、大神のご降臨とは知らずに馬で聖地を汚してしまったことを悔い、いったん森の入り口まで戻った。そして清水に身を清めてから徒歩で戻ってくると、もうあくる日の夕方になっていた。
本文
02 20 〔1888〕
玉野の聖所を汚したことを悔い、従者神たち一行は、森の中に点在する玉泉の清水に、ひとつひとつ言霊歌を詠みながら進んでいった。
先頭に立つ真言厳の神は、自らの行為を宣りなおす歌を歌う。
途中、松の木の下で一夜を明かすこととなった。翌朝、神々はそれぞれ、悔悟の述懐歌を歌い、東雲の空に礼拝して再び玉野の丘に向かって進んで行った。
本文
03 00 - 本文
03 21 〔1889〕
天界にも栄枯盛衰があり、神々にも若境と老境がある。神々は若返り甦りつつ、永遠に若さを保って各々の職掌に生きるのである。
玉野比女は、主の神の宣旨を受けて長い年月、神生みの業を待っていたが、適齢を過ごしてしまった。そこに再び主の神の宣旨あり、より大きな国生みの神業を任されたのであった。
顕津男の神を迎えた玉野比女は、ともに真鶴国の国生みをし、造り固めようと歌いかける。
顕津男の神は、凡神の目を恐れて神業を始めるのが遅れたことを悔い、玉野比女に詫びるが、玉野比女、本津真言の神、待合比古の神は、これからの国生みに希望を託す歌を歌う。
一同は主の神に面会するため、白砂を敷き詰めた玉野丘の庭を歩んで行く。玉野比女は、年老いた松の影に顕津男の神を導いた。
そこに、鏡のように木漏れ日を映した、深く青く輝く清泉があった。
玉野比女は清泉の傍らに立って、この泉は主の神の御霊が現れたものであり、主の神にご面会する前には、必ずここで禊をする場所だと説明する。
顕津男の神は泉の清清しさをたたえる歌を歌い、七度禊をした。そして玉野比女に手をひかれ、本津真言の神を先頭に、待合比古の神を殿にして、白砂の庭をそっと歩いて玉の宮の聖殿をさして進んで行った。
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03 22 〔1890〕
生代比女は、顕津男の神と共に導かれていたが、なんとなく玉野比女が自分を快く思っていないのではないか、との念から、松の木陰に身を潜めていた。そして、自分のしたことのおろかさを悔い、大神にお詫びの歌を歌っていた。
瑞の御霊を悩ませつづけ、ついには玉野比女の神業であった神生みを奪ってしまった自分の罪に涙していた。
すると、白砂の庭を、大幣を打ち振りながら一人の神人が近づいてきた。そして大幣を打ち振りながら、自分は力充男の神であり、何事も神の心として勇んで来るように、と生代比女に声をかけた。
力充男の神は、自分は力を添え充ちさせる神、と歌い、罪穢れのある身であれば、そもそもこの聖所には登って来れないのだから、と生代比女を励ます。
力充男の神の歌に心の晴れた生代比女は、先に顕津男の神が禊をした清泉に導かる。生代比女は清泉を前に喜びの歌を歌い、天津祝詞を奏上した。
すると、待合比古の神がやってきて、主の大神が待っているので、早く来るように、と生代比女を迎えに来る。
生代比女は、自分を主の神が待っていることを知り、喜びによみがえったような心地のありがたさを歌った。
生代比女は、待合比古の神に導かれ、力充男の神に守られて、白砂を踏みながら大宮居に静静と進んで行った。
本文
03 23 〔1891〕
玉野比女、顕津男の神、本津真言の神たちは、主の大神の御出現を、歌を詠みながら待っていた。
すると、最後に歌った本津真言の神は、「われこそは主の大神の神言によって、この天界を支えている神である」と名乗った。
本津真言の神は、天津高宮から降り来て、主の大神の内命によって玉野比女に使え、国生みの神業が成るまで守り仕えていた神であった。
顕津男の神、玉野比女の神は、畏れ多いことと庭に下りて平伏し、畏まった。そこへ、待合比古の神と力充男の神が、生代比女を連れてやってきた。
本津真言の神は、全員がそろったところで、それぞれの神々の役割を歌によって明らかにし、自分は主の大神のご神慮を請うべく、奥殿へと入っていった。
本文
03 24 〔1892〕
本津真言の神が大幣を打ち振りながら先頭にたち、宮の階段を登っていった。顕津男の神はその後に従い、階段の最上段にうずくまって神言をあげ、大神のご託宣を願った。
しかし、大神からの神宣はいつまでたってもこなかった。
次に、玉野比女が宣旨の願いを歌に込めて歌ったが、何も起こらなかった。
続いて、生代比女が祈りの歌を歌ったが、やはり何も起こらない。
待合比古の神の後、最後に力充男の神が歌った。力充男の神は、本津真言の神こそが、主の神の御化身であったのだ、と悟りの歌を歌う。
この歌に、顕津男の神・玉野比女の神・生代比女の神・待合比古の神は驚いて、まず力充男の神へ敬拝し、そして本津真言の神の前にひざまずいて不礼を謝った。
神々が主神である本津真言の神に歌を歌う間、本津真言の神は厳然としていたが、その顔はますます輝いた。その間、不思議にも一言も言葉を発することはなかった。
最後に、力充男の神が、瑞御霊の御神業を助けて国造りをしようと誓いの歌を歌うと、主の神の化身である本津真言の神は、望みどおり国造りを助けよう、と歌うと、たちまち天から迎え来た紫紺の雲に包まれて、天空へと帰って行った。
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03 25 〔1893〕
主の大神は、玉野森にご降臨したが、神々がまだ悟りを得ていなかったので、やむを得ず本津真言の神の姿を借りて、国造りの神業を助けていた。
神々は主の大神であるとまったく気づかなかったが、力充男の神がついに気づき歌に明かしたため、再び天津高宮にお帰りになったのであった。
玉野比女は、八十比女神に選ばれたものの、御子生みの資格が得られるほど悟りが深くなかった。そのため、神生みの神業はせず、国土生みの神業に仕えるように定められたのであった。
また、顕津男の神は神業のはじめにあたって、周りの神々たちに遠慮したことが勇猛心を欠き、神業の期を逃してしまった。
一方、真鶴山の御魂・生代比女は、八十比女神には入れなかったのだが、知恵と悟りに優れた賢女であったため、神生みの業をなすことを、大神はあえて許したのであった。生代比女の積極的な行動が、国生み・神生みの神策にかなったからである。
あえて生代比女の小さな過ちよりも大きな功を取ったのも、時代相応の処置であったと思われる。
本津真言の神が天に帰って行ったのを見て、神々はそれぞれ述懐の歌を歌い、国生みの神業への誓いを新たにする。
すると最後に、力充男の神は、実は自分は紫微天界の高鋒の神であり、主の大神の霊(チ)と体(カラ)が結合して生まれた神である、と明かす。
力充男の神は、国生みに従事する神々がそろった今、自分の役割は終わったと歌い、光となってあたりを照らしながら、紫の雲を呼び起こして天津高宮に帰って行った。
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03 26 〔1894〕
一同は、本津真言の神だけでなく、力充男の神もが紫微天宮から下ってきた神であることに驚き、それに気づかなかった自分たちの不明を恥じながら、玉の宮居で歌を歌った。
一方、顕津男の神の従者神たちは、泉で禊をしたあと、顕津男の神たちを待ちながら、禊もしないで玉野丘に登ろうとした自分たちの不明を恥じ、述懐歌を歌っていた。
すると、顕津男の神たちが丘を降りて従者神たちを迎え、あらためて一同揃って丘に登り、諸神力を合わせて、国土生みの神業に従事することとなった。
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