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霊界物語あらすじ

説明を読む
ここに掲載している霊界物語のあらすじは、東京の望月氏が作成したものです。
まだ作成されていない巻もあります(55~66巻のあたり)
第53巻 真善美愛 辰の巻 を表示しています。
篇題 章題 〔通し章〕 あらすじ 本文
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霊界物語はやたらと長く平凡だと言う人士があるようだが、瑞月は真理なるものはもとより平凡だと思っている。この物語が平凡であっても、世人が誰も気が付いていないことであれば、千言万語を連ねてもこれを説く必要があろうと思う。
なにほどシカツメらしい文章や言葉でも、世間に知れ渡ったことを著述・論説するならば、決して堂々たる学者の態度とは思われないのである。
深く痛ましい人間味や人生味に透徹しない現代の学者は、いかにしても深遠微妙な神霊界の消息がわかるものではない。
学者でさえも神霊界の何たるかを諒解しえない世情であれば、一般人がこの神示の物語を批判できようはずがない。
瑞月王仁は、今日まですべての迫害と妨止を突破してようやく五十三巻、原稿六万枚余を脱稿したのも、決して世にありふれた事実を著すためだったのではない。また現代人に読んでもらおうという野心もない。
千年の後に知己を得ればよいという考えで口述しているのである。とは言うものの時代と神霊とに目の醒めた人士が現れて、たとえ一人なりとも愛読してくれる方があれば、実に望外の幸いである。
本文
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回顧すれば、今から三年前(満二年)の今月今日(二月十二日)は大本にとってもっとも深刻な記念日である。大阪梅田の大正日日新聞の本社社長として大活躍を試みていた折りしも、突然二三の冥使にさらわれて、牢獄の中に収容された日である。
裏の筆先にも、大正十年は変性女子の身魂にとって後にも先にもないエライ事ができる年であるが、節分祭が済んだら女子の肉体を神が連れ参る、と示されてあった。
それから世界は御神示のごとく時々刻々と変転し、満二年を経た今日、新聞に取り上げられている主な事実を挙げても、実に今昔の感に打たれざるを得ないのである。
普通選挙の実施を求める運動、労働運動、浄土宗内の内紛、ローマ法王庁使節交換への仏教界の反発、フランスによるバーデン地方占領とドイツとの対立、メソポタミヤにおける欧米諸国とトルコの対立、アメリカでの排日運動の高まり等、いまわしき報道が全紙面を埋め、世界はさながら地獄餓鬼畜生修羅の光景を暴露している有様である。
吾人は大神の神示によって前途の暗澹たる光景を洞察し、世界のために憂慮に堪えざるものである。ゆえに一日も早く世界の人類に対し五六七神政の福音を伝達せんと昼夜寝食を忘れてこれに従事しつつある。
されど、地獄道に霊の籍を置ける当局者をはじめ、現代人は自然愛と世間愛のみに惑溺し、神の光明にそむき、智慧証覚を曇らせている。いかなる大声叱呼の喊声も、雷霆の響きも、継承乱打の声も、とうてい耳には透らない悲しむべき世態である。
記してもって後日の参考に供する。
本文
01 00 - 本文
01 01 〔1364〕
春のライオン河西岸に、瓢を下げてぶらぶらしながら雑談にふけっている四五人のバラモン教の兵卒があった。これは、河鹿峠で治国別宣伝使たちに敗れたために、ランチと片彦が鬼春別将軍に命じて黄金山を襲撃させるべく組織した、バラモン軍の別働隊であった。
兵卒たちは、すでにランチと片彦が三五教に降参して改心したことは知らず、依然として彼らは浮木の森の陣営で長期戦を張っていると思っている。
兵卒・甲は、別働隊で宿営先の人民から搾り取っていい暮らしをしている境遇を賛美しながらも、河鹿峠での敗北から考えてバラモン軍が斎苑館や黄金山に攻め寄せるなど難しいと分析した。
そうかといってハルナの都におめおめと帰るわけにもいかないので、鬼春別はここに陣取ってビクトル山に王城を作り、刹帝利となって永住するのではないか、と意見を披露した。
兵卒・丙は、宿営先の人民を苦しめるバラモン軍に嫌気がさしたと漏らす。乙は丙に、固い考えは捨てて辛抱したらどうだと言うが、丙は、すでに斎苑館から宣伝使の一群がハルナの都に出立したという情報を上げ、ここへも押し寄せてくるに違いない、と反論した。
かく兵卒たちが論争していると、河の向こうからバラモン教の手旗を掲げた騎馬武者たちが流れを渡ってやってきた。一同は何事かと目をみはっている。
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01 02 〔1365〕
ライオン河の下流にあるビクトル山を中心として、ウラル教を信じるビクトリヤ王が刹帝利として近隣を治めていた。東西十里、南北十五里のあまり広くない国で、国名をビクと言った。
ビクトリヤ王はほとんど七十才を越える老齢であるが、不幸にして嗣子がなかった。現在の妃・ヒルナ姫は二十三才である。元ビクトリヤ王妃の侍女であったが、王妃が亡くなった後に王の手がかかり、次第に権勢を得て城内の一切を切り回していた。
権勢のあるヒルナ姫の歓心を得ようとして数多の官人たちは媚を呈し、そのために国政は次第に紊乱して国民の怨嗟の声は四方に満ち、ところどころに百姓一揆のようなものが勃発して、ビクトリヤ王家は傾こうとしていた。
左守のキュービットは忠実な老臣で苦心して国家を守ろうとしていたが、右守のベルツはヒルナ姫に取り入り、刹帝利も眼中におかない横暴ぶりを発揮していた。
ベルツは忠実な家令のシエールを招き、いかにして自分が刹帝利になることができるかと相談している。シエールは、世情不安をあおってビクトリヤ王に責任を取らせ、退隠させようという策を提案する。
二人が計略を練って悦に入っていると、次の間で二人の話を立ち聞きしていたベルツの妹・カルナ姫が入ってきた。カルナ姫は左守の息子・ハルナと相思相愛の仲になっていた。
カルナ姫は、二人が野心の矛先を左守家に向けないように釘をさした。自分がハルナに嫁げば左守家は親戚になる、もし二人が左守家を害そうとするなら通報することもできると、利害得失を交えて、自分の恋愛を邪魔しないよう二人に言い含めて去って行った。
本文
01 03 〔1366〕
ビク国では左守は政務を、右守は軍馬を司っていた。左守のキュービットは、家令のエクスと密談を凝らしていた。二人は、右守が軍馬の権を握っているのをいいことに、わざと国内の治安を悪化させ、民心をビクトリヤ王からそむかせていると頭を痛めていた。
また二人は、キュービットの嫡子・ハルナが、文学に熱を上げて国家の事には少しも関心を示さないことにも頭を痛めていた。
しかし息子が政敵である右守の妹・カルナ姫と想いあっているということを耳にはさんでいたキュービットは、なんとかこの結婚を成就させて左守家と右守家を統合し、国内を治められないかと考えた。
エクスはキュービットに頼まれて、ハルナ本人の意向を確認することになった。エクスはハルナに問いかけて、ハルナの思い人が確かに右守の妹・カルナ姫であることを聞きだした。エクスから、父のキュービットもこの結婚には前向きであることを聞かされたハルナは、ひとり舞い上がっていた。
本文
01 04 〔1367〕
ビクトリヤ城の一室には、ヒルナ姫がひとり、琴を弾じながら述懐を歌っていた。ヒルナ姫は、新しい思想の右守と、旧弊な思想の左守が衝突して国内が割れていることを嘆いていた。歌の中には、姫が右守と道ならぬ仲となっていることもほのめかされていた。
そこへ右守のベルツがやってきた。ベルツは人払いをした。しかし属官の三人は、左守の内名を受けて右守の様子をうかがっており、立ち去ったふりをして次の間でベルツとヒルナ姫の密談を聞いていた。
右守は、ヒルナ姫に妹のカルナが左守のせがれに恋をして、すっかり左守家のひいきになってしまっている事を相談に来たのであった。ヒルナ姫は、これは左守家と右守家の内紛を収める願ってもない機会だと主張した。
ベルツも左守家が身内となることは、自分の計画にもかえっていいかもしれないと姫に賛同し、この縁談を進めるよう、ヒルナ姫に任せることになった。
右守はヒルナ姫の居間を退出し、城を出ると自分の館に帰って行った。密談を聞いていた三人の属官は、左守の館へ報告に行く。
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01 05 〔1368〕
ヒルナ姫から急使を受けた左守キュービットは、いそいで衣服を整え伺候した。ヒルナ姫は、左守の息子ハルナと、右守の妹カルナ姫の縁談をもちかけ、国内を統一するためにこの縁談を受けてほしいとキュービットに伝えた。
キュービットは元より望んでいた縁談であり、承諾すると準備を整えるために館に戻っていいった。一方ヒルナ姫は、ビクトリヤ王にこの件を報告に行った。
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01 06 〔1369〕
ヒルナ姫はビクトリヤ王の居間に進み入った。王は一心不乱にコーランをひもといている。ヒルナ姫は、城内の内紛を収めるために、左守家と右守家の婚姻を持ち出した。
王は、不仲な両家が婚姻を承諾するかを心配するが、姫は、すでに左守の息子と右守の妹は相愛の仲であり、両家ともこの婚姻に前向きであることを王に伝えた。
ヒルナ姫の提案と報告を聞いてビクトリヤ王は賛同し、王自ら左守を呼び出してこの件を進めることを約束した。
そこへ折よく左守が伺候し、ビクトリヤ王から直接婚姻の件を承り、承諾した。婚姻の準備についてはヒルナ姫が仲人の手配をすることとなり、左守は王と王妃に厚く礼を述べて我が家へ帰って行った。
ビクトリヤ王とヒルナ姫は、神前に向かって感謝の祝詞を奏上した。
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01 07 〔1370〕
左守の司キュービットの館において、右守の妹カルナ姫と、左守のせがれハルナとの神前結婚式が厳粛に円満に挙行された。
宣伝使兼内事の司タルマンは、仲人として祭主を勤めた。この結婚によって左守家・右守家の年来の確執は一掃されるであろうと、城内の注意を引いた。タルマンは、四五音の言霊の祝歌を歌った。
左守のキュービットは嬉しさに堪えず、手を打って歌いだした。続いてカルナ姫もこの結婚の歓びを歌い舞い、拍手の声は雨あられと響き渡った。
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01 08 〔1371〕
新郎のハルナは扇を片手に持って歌い舞い、この婚姻が対立する両家の融和となることを祈った。左守の家令エクス、右守の家令シエールもまた歌った。
左守、右守、タルマン、ハルナ、カルナ姫、エクス、シエールらはそれぞれ祝歌を披露した。左守と右守の両家は表面やや打ち解けたように見えたが、右守の心中は容易に和らがず、依然として左守を邪魔者扱いしていた。
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01 09 〔1372〕
ビクトリヤ王の奥殿には、王妃ヒルナ姫、内事の司兼宣伝使タルマン、左守キュービット、右守ベルツ、ハルナ、カルナ姫の七人が王に招かれて、和睦の祝宴に列席した。
ビクトリヤ王は刹帝利の権利を持って右守家に渡した兵馬の権をいったん取り上げ、左守家と右守家双方に渡し、文武両方の統治について、左守家と右守家が力を合わせて取り組むようにと言い渡した。
右守は気色ばんで、祖先から代々受け継いできた兵馬の権を返す理由はない、と刹帝利の前をも顧みずに傍若無人に言ってのけた。
タルマン、左守、ヒルナ姫も右守をなだめたが、右守は逆に左守に野心があって自分から兵馬の権を削り取ろうとするのだとわめいた。右守の妹・カルナ姫がいさめると、右守は妹に離縁を言い渡す始末であった。
そこへライオン川の関守長があわただしくやってきて、バラモンの大軍が攻め寄せてきたことを注進した。
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02 10 〔1373〕
関守長カントの報告に、一同は打ち驚いた。国家の危急にさすがの右守もいままでの確執よりも防衛に焦慮しだした。そして、一切の作戦計画を王家と左守家に一任するときっぱり言ってのけた。
そこで左守と王・王妃が、軍を二隊に分けてそれぞれ左守と右守が率い、迎撃態勢を整えるように命じたが、右守はなんだかんだと言い訳をつけて、城を動こうとしない。そうしている間にも次々に敵軍による被害の報告が上がってくる。
実は右守はこの事態に腰を抜かして自力で立てなくなっていた。それを悟られたくないためだけに、危急のときにあたっても立ち上がろうとしなかった。妹のカルナ姫は自分が出陣すると言って兄を振り切り、夫のハルナを促して部屋を出て行った。
ビクトリヤ王は右守の不甲斐なさに怒って、右守を切りつけようとした。王妃ヒルナ姫は王に取りすがり、右守がここまで慢心してしまった責任は自分にあり、右守の野心を探り、改心させるために、右守と不義の交わりをしたと告白した。
ビクトリヤ王は、ヒルナ姫の忠義を認め、離縁を言い渡しながらも、感謝を述べて今後も王家につかえるように言い渡した。ヒルナ姫はとっさに自害しようとしたが、タルマンはそれを止め、今は防衛に全力を勤めるように諭した。
ヒルナ姫はタルマンの諭しを容れ、武装を整えて戦陣に向かった。左守は老齢のため王のそばに仕えることになり、タルマンも出陣して行った。
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02 11 〔1374〕
バラモンの鬼春別軍は、ハルナの指揮する城内の防衛軍を襲い、なぎ倒した。ビクトリヤ軍は敗走して武器を捨てて散乱し始めた。ハルナは槍を持って敵の陣中に入り縦横無尽に戦ったが、身に数多の傷を受けて倒れ、捕縛されてしまった。
城内に押し入ったバラモン軍は、ビクトリヤ王、左守、右守も難なく捕縛し、ハルナと共に牢獄に投げ入れてしまった。
カルナ姫は味方の勢力ではとうてい敵し難しと見て、にわかに武装を解いて美々しく装い蓑笠をつけて旅人に扮し、バラモン軍が進軍してくる路傍に倒れて気を引いた。敵の主将を美貌と弁舌で切腹しようとの試みであった。
バラモン軍の副将たちはカルナ姫の美貌を見てさっそく、大将に差し出して手柄にしようとした。カルナ姫は、自分はビク国の女で多くの軍隊を見て肝をつぶして動けなくなったのだと身の上を語った。副将たちは久米彦将軍の配下であったので、久米彦にカルナ姫を送り届けた。
久米彦は、隣のテントに上官である総司令官の鬼春別将軍が陣取っているので、あからさまに喜ぶわけにもいかず、表面は陣中に女を入れるなどけしからんと怒鳴りたてたが、内心は喜んで、さっそくあたりの幕僚に用を言いつけて遠ざけ、カルナ姫を口説きだした。
久米彦はすっかりカルナの手玉となって心をとろかせ、作戦計画も地図もほったらかしてしまった。カルナは両親にかけあった上で結婚の段取りをしようと婚約をほのめかした。
鬼春別は、隣の久米彦のテンドで女の声がし、どうやら久米彦が女の承諾を得たような気配がするので嫉妬し、顔を真っ赤にして久米彦の室に入ってきて怒鳴りつけた。久米彦は上官に対してこの場を取り繕うと焦っている。
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02 12 〔1375〕
鬼春別は剣のつかを握って久米彦を叱責した。久米彦は、女を追い出せと言うなら辞職する、と売り言葉に買い言葉になった。
カルナ姫は、久米彦が軍籍にいるから自分は気に入ったのだが、辞職するなら鬼春別に仕えることにする、と発言した。鬼春別も、久米彦が辞職したら自分が一人で軍隊を統率しなければならなくなるから、利発なカルナ姫を副将軍にそればいい、と勝手な理屈をひねって、カルナ姫を自分のものにしようと野心を起こしだした。
久米彦はあわてて、行きがかり上そう言っただけで辞職するつもりはない、と言い改めた。鬼春別はむっとして、自分は上官の権利で久米彦を免職し、カルナ姫を副将軍にすると言い張った。
二人がにらみ合っていると、鬼春別の副官・スパールが一人の美人を連れて鬼春別に献上しに来た。女の顔を見ると、カルナ姫に勝る美人である。これはヒルナ姫が、やはりカルナ姫と同じ作戦でわざとバラモン軍に捕らえられたのであった。
鬼春別はこれを見て久米彦との矛を収め、ヒルナ姫を自分のテントに連れてこさせた。ヒルナ姫はわざと隣のテントに聞こえるように、自分はビク国の豪農の娘で、カルナ姫は侍女だということを歌ってきかせた。
鬼春別がヒルナ姫とのろけていると、久米彦がやってきた。久米彦は、カルナ姫がヒルナ姫の侍女だと聞いて、ヒルナ姫が鬼春別の妻となったら、自分はその侍女をめとったというkとおが面白くなく、談判に来たのであった。
ヒルナ姫はバラモン軍を内部から瓦解させようとという作戦だから、久米彦にも秋波を送り、気を持たせた。
ついに鬼春別と久米彦は言い争いになり、互いに刀を抜いて切り合いを始めた。様子を聞いて驚いたカルナ姫が鬼春別のテントに飛んできたが、ハルナ姫は目で合図をした。二人はわざと、恐そうにテントの隅で震えている。
副官たちはテントに戻ってくると二人の将軍が刀を抜いて切り合いをしているので驚いて中に割って入り、二人をいさめた。鬼春別と久米彦は潮時と剣をさやにおさめて腰を下ろした。
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02 13 〔1376〕
副官のスパールとエミシは、軍を指揮統率する将軍職の二人が切り合いをしていることの重大さを説いてきかせて二人を諌めた。鬼春別は撃剣の稽古だとごまかしたが、久米彦は、鬼春別が軍律を乱そうとしたので斬ろうとしたと答えた。
久米彦の副官エミシは、それが本当であっても、上官に刃で向かうとことは許されないと憤慨した。スパールは、ヒルナ姫・カルナ姫の争奪戦が原因だと断じ、それぞれの副官が二人の女を助けたのだから、鬼春別はヒルナ姫、久米彦はカルナ姫を取るべきだとその場を裁定した。
久米彦は、仕方なくカルナ姫で辛抱しようと言った。これを聞いたカルナ姫は怒り、鬼春別に下女にでも使ってもらう方がましだとはねつけた。
久米彦はまたもや怒ってカルナ姫を斬りつけようとしたが、エミシに制止された。カルナ姫は久米彦を嘲弄して、鬼春別に取り入ろうとする。色男気取りになった鬼春別に、今度はヒルナ姫が愛想をつかしたふりをして、久米彦を持ち上げた。するとカルナ姫は、先ほどは久米彦の気を引こうとわざとあんなことを言ったのだ、とヒルナ姫に食ってかかった。
将軍たちは二人の女が自分を想っているとすっかり信用して骨抜きにされてしまい、鬼春別はヒルナ姫と、久米彦はカルナ姫を連れて、悦に入りながら自室に戻って行った。
本文
02 14 〔1377〕
久米彦は、最初はカルナ姫がヒルナ姫の侍女ということで劣ったように思って鬼春別と争ったが、こういう経緯があって二人で自室に戻って話してみると、カルナ姫はどう劣っているようにも見えず、魅力のとりことなってしまった。
カルナ姫は久米彦を口説いて、平和の世を作るためのバラモン軍なら、戦が収まった以上は、捕虜にしたビク国の王や重臣たちを解放するべきだと吹き込んだ。
久米彦はカルナ姫の容色と弁舌に巻き込まれて、何事もカルナ姫の言とあれば利害得失を考えずに喜んで聴き従うようになってしまっていた。久米彦は、鬼春別にかけあって捕虜を解放することを約束した。
本文
02 15 〔1378〕
鬼春別は、ヒルナ姫と上機嫌でくつろぎながら葡萄酒を傾けている。鬼春別は、ヒルナ姫が久米彦に秋波を送ったことを責めてからかった。ヒルナ姫は、自分が捨てられてはたまらないので、そうやって予防線を張っているのだと答えた。
ヒルナ姫は、鬼春別が自分にのろけきっているのを幸い、自分が鬼春別に非常に執着しているようなふりをして、つねったりたたいたりした。
そして、至善至愛のバラモン軍の将軍であれば、ビク国を破壊したり人々を苦しめるようなことはしないはずだと釘を刺し、そのような乱暴な所業は久米彦の指示だろうと吹き込んだ。そしてビク国の王や重臣たちを解放して実地を示すよう促した。
そこへ久米彦とカルナ姫がやってきた。鬼春別は、ヒルナ姫の手前、久米彦をいきなり怒鳴りつけてビク国侵略の乱暴を、彼のせいにしようとした。
久米彦はけげんな顔で、放火や捕囚はすべて鬼春別の命令でしたことだと答えて口論になった。ヒルナ姫は間に入り、カルナ姫は、久米彦がやってきたのは捕虜の解放についてだと話題を変えた。
鬼春別は言い遅れてはならないと、自分も同意見だと言って、副官たちとともに捕虜を解放するよう久米彦に命令した。久米彦はあきれながらも満足の意を表した。ヒルナ姫とカルナ姫は、すかさず二人を仁慈あふれる将軍だと持ち上げた。
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03 00 - 本文
03 16 〔1379〕
バラモン軍は、牢獄につないでいたビクトリヤ王をはじめビク国の重臣たちを和睦の酒宴に招くことになった。鬼春別、久米彦らが上座を占め、王家の人々は下座に座って和睦の謝意を述べた。
ビクトリヤ王とハルナは、鬼春別・久米彦の傍らに控えている女性がヒルナ姫、カルナ姫によく似ていることに気が付き、突然バラモン軍が和睦を申し出てきたのも、彼女たちの働きがあったのではないか、とうすうす感じていた。
鬼春別と久米彦は、ヒルナ姫とカルナ姫を自分の妻のように扱っていた。将軍たちの酔った機嫌を幸い、ヒルナ姫とカルナ姫は酒の冗談にかまけて将軍たちをからかった。
ヒルナ姫とカルナ姫は、酒席のからかい話にまぎれて、ビク国王家の人々を解放するために自分たちがバラモンの将軍たちに取り入っていることを知らせた。刹帝利もハルナもそれによって二女の働きを悟り、女の魔力にひそかに舌を巻いていた。
鬼春別と久米彦は、ますます酒に酔ってよい機嫌になり、歌を唸りだした。そして二女にも歌を所望した。ヒルナ姫とカルナ姫は、歌の中に自分たちの赤誠と状況をバラモン軍に悟られないように籠めた。
これによって刹帝利をはじめ左守、右守、ハルナ、タルマンらビク国の人々は二女の貞節と活躍を知ることになった。
両将軍をはじめバラモン軍の士官たちは酔いつぶされて、酒宴の席で眠ってしまった。
本文
03 17 〔1380〕
刹帝利をはじめとするビク国の一同は、バラモン軍の将官たちが前後も知らずに寝込んだのを見すまして、善後策についての相談会をひそびそと始めた。
刹帝利、タルマン、左守は二女の勇気と知恵をほめそやした。刹帝利はタルマンの勧めでヒルナ姫の離縁を撤回し、ハルナも妻の働きに感じ入った。左守は、この事件における右守の失態を責め、改めて兵権奉還を右守に迫った。
右守は、自分の妹のカルナ姫が活躍したことを盾に取って抵抗した。右守は、一度は兵権を奉還すると言いながら、奉還状を書くことを拒否するなど卑怯な態度で場をはぐらかしていた。
タルマンはついに怒って、弓に矢をつがえて右守に向けて引き絞り、態度の決定を迫った。これにはさすがの右守を顔色を変えて奉還状を書くことを承諾した。
右守はなおも奉還状の文言をはぐらかしたり、拇印をごまかそうとしたりしたが、左守とタルマンに見破られ、ついに兵権奉還状を刹帝利に提出した。右守は残る面々をしり目にかけながら不満をあらわしつつ出て行った。
本文
03 18 〔1381〕
自宅に戻った右守は、刹帝利・左守・タルマンによって兵権を奉還させられた悔しさに、召使に八つ当たりして殴りつけた。この騒ぎに家令のシエールが駆け付けたが、右守の様子から兵権を失ったことを悟り、主君の腹立ちに同調して、家具・家財をめちゃめちゃにして荒れ狂った。
さすがの右守もシエールが自分の家財をめちゃめちゃにするのを目にして、落ち着きを取り戻し、シエールを止めに入った。右守は、家財を壊したことを咎めたが、自分の心中を知る者はシエールだけだと憮然としてうなだれた。
右守は、家の中でうっぷんを晴らしていても気が利かないと、シエールにクーデターの計画をもちかけた。王城の四方をバラモン軍が固めている中でどうするのか、とシエールは心配したが、右守は何事かシエールにささやいた。
シエールは右守の案に賛同し、何事かよからぬことをしめし合せると、二人は黒頭巾に黒装束となって裏口からそっと抜け出した。
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03 19 〔1382〕
ビクトリヤ王は、二女の働きによってバラモン軍から和睦を勝ち取り、また年来の懸念であった右守から兵権を返還させることになり、気が緩んでぐったりと寝に就いた。ハルナは右守の様子がただならなかったことを気遣い、父の左守に申し出て、王の隣室に宿直を勤めた。
ハルナが物思いにふけっていると、王の居間に向かって足音を忍ばせ進んでくる者がある。男はビクトリヤ王の寝台の傍らに来ると長刀を引き抜いた。ハルナは足音を忍ばせて男の背後に近寄り、綱を男の首にかけて引っ張りまわした。
男は抜身の刀を持ったまま、気絶して廊下を引きずられていく。刹帝利はこの物音に目を覚まし、刀の鞘だけが落ちているのを見て刺客が来たと悟った。槍を取って廊下に出ると、ハルナが気絶した曲者を綱にかけている。
二人が曲者の頭巾を取って顔を改めると、右守の家令シエールであった。二人は右守に反逆の意図があることを悟り、騒ぎ立てずに対応することとした。そしてシエールを縛り上げて押入れの中に入れて置いた。ハルナは引き続き王の居間を守っている。
ヒルナ姫とカルナ姫は、自分たちの意図をバラモン軍に悟られないよう、両将軍が自分たちの膝枕で寝入ってしまってもそのまま動かずにいた。二人も夜半にうとうとと夢路に入った頃、覆面頭巾の男が足音を忍ばせて入り来たり、久米彦将軍に切りつけようとした。
カルナ姫ははっと目をさまし、曲者の腕の急所を叩いた。曲者は大刀を落としたところ、姫は手早く曲者の手を後ろに廻し、細紐で縛り上げた。
カルナ姫は将軍たちを起こし、刺客を捕えたことを報告した。一同が顔を改めると、それはビク国の右守ベルツであった。カルナ姫は実の兄を捕縛することになった自分の因果をひそかに嘆いたが、国家のためと思い直した。
鬼春別と久米彦は、ビク国側の人間が刺客に来たことに怒って和睦を取り下げ兵を呼ぼうとした。ヒルナ姫は慌てて押しとどめ、右守はビク国の中でも刹帝利に刃向っていた逆臣であることを告げてなだめた。
カルナ姫も、たかだか刺客の一人くらいは軍隊を動かさずに、自分たちに始末させて欲しいと頼み込んだ。久米彦もカルナ姫の活躍で命を救われたこともあって、この申し出に承諾した。
ヒルナ姫とカルナ姫は、城の裏門にベルツを連れて行き、ベルツの短慮をたしなめた。カルナ姫は、ヒルナ姫にベルツの命乞いをした。ヒルナ姫は、どこか田舎にでも隠れて身を忍ぶように言い含め、路銀を与えてベルツを解放した。
ベルツが闇にまぎれて逃れると、二人は両将軍にベルツを亡き者にしたと報告してごまかした。そこへ刹帝利とハルナがやってきて、自分たちのところに右守ベルツの家令が刺客にやってきたことを報告した。
右守がビク国刹帝利にも刺客を送っていたことで将軍たちの疑いは晴れた。刹帝利は曲者を退けた悪魔祓いに二次会を開こうと提案し、鬼春別も賛成した。酒宴は再開して夜を明かし、翌日の昼まで十二分に歓を尽くすことになった。
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04 00 - 本文
04 20 〔1383〕
ヒルナ姫とカルナ姫の活躍によってバラモン軍はビク国と和睦し、ビク国軍隊の一部は刹帝利の支配となった。左守は兵馬の権を与えられて城内の秩序を保ち、タルマンは宣伝使兼内事の司に戻り、左守の家令であったエクスが右守に任命された。
城下の陣営は、バラモン軍に大部分が貸し与えられることになり、バラモン軍のビク国侵攻は一段落した。
鬼春別と久米彦両将軍は、ランチ将軍の命令通りに黄金山に攻め込めば敗北は濃厚であり、さりとてハルナの都に帰るわけにもゆかず、付近の小国を併合してここに自分たちの王国を築こうと、ビク国内に得た陣営を増築し、兵を練っていた。
二女はひきつづき将軍たちに仕えていたが、酒と弁舌にごまかして、貞節を守り続けながら、ビク国に危害が及ばないよう将軍たちを操っていた。
兵営はほぼ完成し、ビクトル山の麓の要害の地点に本営も築かれた。そうしたところ、多数のバラモン軍の騎士たちがライオン河を渡ってくると報告が届いた。
両将軍は、ランチ将軍の本隊に何かあったのではないかと疑い、思案に暮れた。両将軍が高殿より見れば、数百の味方の騎士たちがやってくるのが見えた。鬼春別と久米彦は、ランチ将軍本隊の敗兵が逃げてきたこと悟った。二女に動揺を見透かされないよう、わざと鷹揚にしている。
敗軍を率いてきた騎士は、両将軍に、ランチ将軍と片彦将軍は三五教の宣伝使・治国別に降参し、軍隊を解散したのみならず、二将軍以下ガリヤとケースの副官まで三五教の魔法を授かって、素盞嗚尊の宣伝使となってしまったことを報告した。
敗軍の将官は、三千の軍隊を率いていたランチ将軍でさえ一たまりもなく降伏したこと、やがて治国別たちがビクトル山へもやってくるだろうことも伝えた。これを聞いた鬼春別と久米彦は顔色を変え、表には強がっていても内心はすっかり恐怖心にかられてしまった。
ヒルナ姫とカルナ姫は、鬼春別と久米彦の怯えを看破したが、何食わぬ顔をして表面を包んでいた。
鬼春別と久米彦は、黄金山出征を口実として二女や部下の前に体裁を作り、一刻も早くビクトル山を引き払おうと退却を始めた。三千の兵士たちはたちまち後ろから強敵が襲ってくるような恐怖心にかられて、我先にと陣営から逃げ去ってしまった。
本文
04 21 〔1384〕
刹帝利、タルマン、左守キュービット、新任右守エクス、左守の息子ハルナは、王の居間に集まってバラモン軍の急な退却について憶測談にふけっていた。
一同は、ヒルナ姫とカルナ姫が、両将軍を操って、ビク国に永遠に害が及ばないようにバラモン軍を別の場所に移動させたのだろうと考えた。そしてビク国からバラモン軍を退却させた以上、二女はもう国に戻ってくることはないだろうと推察した。
一同は二女の忠義に感じ入り、刹帝利もハルナも、もう二度と彼女たち以外に妻を持つことはないだろうと決意を新たにした。
そこへ牢番が、逆臣シエールが脱獄したと報告しに来た。一同は、シエールがベルツと合流したら、またしても反逆を企てるに違いないと心配し、右守エクスはベルツ・シエールの動向を探るために密偵を放った。
ベルツは山奥に譜代の家来を集めて立て籠もり、機をうかがっていた。そこへバラモン軍が退却したとの報を聞き、道々農民を徴発して三千人ものにわか軍隊を集め、ビク国の王城に迫ってきた。
ビクの王城には、先のバラモン軍侵攻の敗戦から、代々右守に仕えた武士たちがわずか八百名残っているだけであった。刹帝利をはじめ、この状況に苦慮していた。
ハルナは厳然として立ち上がり、自分は夜な夜な乞食や平民に身をやつして兵営を見回っていたが、今王城を守っている武士たちはみな忠義一途の者たちばかりで、ベルツの悪業を憎んでおり、裏切るものは一人もないだろうと報告した。
そのため兵力を考慮して籠城を選択することを進言し、自ら指揮官に任じてほしいと刹帝利に申し出た。
父の左守はハルナの申し出を退け、未来ある若者は王を守って将来に備え、自分と右守が軍を率いて敵に当たるべきだと進言した。刹帝利も一度は左守の策を取ったが、ハルナは自分の策を取らなければ国が危ういとして、刹帝利に人払いを願い出た。
刹帝利が願いを容れて人払いすると、ハルナは、実は自分は昨夜神王の森に参拝して国家安泰を祈っていたところ、盤古神王ではなく神素盞嗚尊が現れ給い、籠城して敵に当たれば不思議の援軍が現れ、またヒルナ姫・カルナ姫も戻って背後から助けるだろう、と策を授けたことを明かした。
刹帝利はハルナの言に偽り無きことを見てとり、また神素盞嗚尊が授けたもうた籠城策に感じ、ハルナに臨時兵馬権の全権を委任した。
本文
04 22 〔1385〕
譜代の部下一千、徴発した農民二千からなるベルツ軍三千はビクトリヤ城を取り囲んで攻城戦が始まった。
総指揮官のハルナは城内を駆け巡って指揮をしながら固く守り、対陣はほぼ一か月に及んだ。ベルツの陣営は長引く戦に規律は乱れ、逃げ去る者も出てきてほぼ一千五百ほどに減じた。
一方鬼春別と久米彦の軍ははるかにビクトリヤの都を離れた。両将軍は猪倉山の岩窟に立て籠もって一王国を建設しようと謀っていた。猪倉山に峰続きの難所・シメジ峠まで来て将軍たちは安心し、登山の用意をして下馬すると、酒を飲んで酩酊した。
ハルナ姫とカルナ姫は、行き先が猪倉山と聞いて、実際は両将軍が治国別を恐れて遁走したのではないかと非難した。そして、どうしても自分たちは足が痛いので、騎馬でなくてはこの先一歩も進めないと駄々をこねた。
両将軍は仕方なく、山道を行けるところまで轡を取って先導しようと、二人を馬に乗せた。とたんに二人は馬首を反対に向けて鞭を当て、一目散に逃げだした。両将軍は、二人を捕えるように下知したが、バラモン軍は猪倉山に登山するためにみな下馬して乗馬用の靴を脱いでしまっていた。
バラモン軍がぐずぐすしているうちに、三五教の杢助に扮した摩利支天が、幾百ともしれない獅子を引き連れて、軍隊の中を縦横無尽に駆け回った。バラモン軍卒たちは逃げ回り、腰を抜かし、馬たちは獅子の声に驚いて逃げ散ってしまった。
摩利支天はバラモン軍を威喝すると、獅子たちを引き連れ、ハルナ姫とカルナ姫の後を追って行ってしまった。
さて、ベルツとシエールは軍規の乱れや脱退に業を煮やし、一戦して士気を鼓舞しようと覚悟を決め、獅子奮迅の勢いで大門と裏門を攻め立てた。さしもの堅固な城門もついに打ち破り、ベルツ軍は城内に乱れ入った。
ハルナは八百の手兵を指揮して防戦したが、ベルツ軍優勢を聞いて逃げていた兵士たちも戻ってきておいおいその数を増していった。そのためハルナは捕虜となり、刹帝利をはじめ重臣たちの身辺も危うくなってきた。
すると表門に宣伝歌の声が聞こえてきた。これは、治国別が松彦、竜公、万公ら部下を率いて救援にやってきたのであった。宣伝使たちの言霊を聞くとベルツはにわかにふるえだし、駒にまたがって裏門から逃げ出してしまった。
シエールは庭石につまづいて倒れ、悲鳴を上げて助けを求めた。ベルツ軍は怖気づいてシエールを助けもせず土足のまま踏み越え、先を争って大将のベルツを追って逃げ出した。
西へ逃げて行くベルツ軍の正面から、ヒルナ姫、カルナ姫の駒が戻ってやってくる。続いて摩利支天の率いる数百の獅子がその後ろからやってきて、百雷のごとく唸り声を上げた。
ベルツは驚いて馬上から転落し、路傍にのびてしまった。その他の軍卒も身体すくんで大地にかぶりつき震えおののいている。
ヒルナ姫はベルツを目ざとく見つけると馬の背中にくくりつけ、自分は敵が乗り捨てた馬に飛び乗り、カルナ姫と共にビクトリヤ王城を目指して駆けて行く。
本文
04 23 〔1386〕
治国別は城内の庭木に縛られていたハルナを助け出した。ハルナは治国別一行を殿中の王の居間に案内した。刹帝利をはじめ、左守、右守、タルマンは一生懸命に神前に祈願をこらしていた。
ハルナは刹帝利に、治国別一行のおかげで救われたことを報告した。治国別は刹帝利に丁寧にあいさつした。そして、お礼を述べる刹帝利や重臣たちに、厳の霊・瑞の霊の御神力によって悪魔が敗走したのであるから、神様にお礼を申し上げるようにと諭した。
治国別は、テームス峠で修業をしていた折り、神素盞嗚尊の御神勅によってビク国に急ぎ、刹帝利の危難を救うよう命を受けて、急ぎやってきたことを語った。そして祠の森には三五教の国治立大神様のみならず、盤古神王様、大自在天様もお祭りしているので、三五教の教えを聞いてはどうかと一同に勧めた。
刹帝利をはじめタルマンも賛成し、城内一同そろって三五教に帰順することになった。治国別をはじめ、一同は祝いの歌を交わし合った。
そこへヒルナ姫とカルナ姫が駒にまたがって表門に戻ってきた。居間に入ってきた二人を見て刹帝利は涙を流して感謝の意を表した。左守とヒルナは驚喜した。
ヒルナ姫は、シメジ峠で摩利支天が獅子を引き連れてバラモン軍を狼狽させ、そのために逃げてくることができたと経緯を説明した。刹帝利は神の御加護に感謝し、ヒルナ姫とカルナ姫に、宣伝使たちのおかげでベルツの反乱軍を撃退することができたことを語った。
ヒルナ姫は治国別に挨拶し感謝の言葉を述べた。治国別は、ヒルナ姫がベルツを召し捕ったことを知っていた。そこへ、敵の副将・シエールも生捕ったとの報告が入っていた。一同は敵軍の壊滅に沸き立った。
治国別、左守、刹帝利は神に感謝する歌を歌った。ヒルナ姫は涙を抑えながらこれまでの述懐を歌い、大神に感謝をささげた。
これより治国別一行は刹帝利の願いにより三五教の教理や儀式を城内の重役たちに教導し、神殿や教殿を新たに創立した。夏の中ごろになって、一同は鬼春別軍の後を追って、エルサレムを指して進んで行った。
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